ソートとメモリーの巣は、アギレさんが古いカンテラで作ってくれました。と言っても、カンテラの中に藁や、端切れなどを入れただけでしたが。それでも、二羽には上等なゆりかごだったようです。
「鴉の雛は親鳥の鳴き真似してやると口を開けるぞ」
アギレさんの言う通り、二羽は鴉の鳴き声をしてみせると、待ってましたとばかりに口を開けました。真っ赤な口内は、無垢で儚げなものに見え、なぜか私は落ち着かない気になりました。
一番こういうことに無関心そうなアギレさんは、鴉のことをよく知っていました。聞くと、以前旅する時に鴉を連れていたのだそうです。もしかしたら、アギレさんはあの場所に二羽を置いていくことに、気が咎めたのかもしれません。何しろ、この子たちの親を殺したのは、まぎれもなく私たちなのですから。
「いつから勇者様ご一行は、鴉の飼育係になったのやら」
シアンさんがただ一人、ぶすっとした顔で吐き捨てるように言いました。
アギレさんもアデルさんも、シアンさんの皮肉に何とも思っていないようでしたが、私は地味に堪えました。何しろ、あれからもう一度魔物に襲われる事態が起きましたが、やはり私は馬車の隅で震えていただけだったからです。この旅において、私の存在はほぼ不要でした。
せめてもと、お昼に皆さんが倒した一角兎を捌き、塩漬けした後、燻製にしておきました。馬車の中にあったお鍋で作ったのですが、その手際をアギレさんが褒めてくれました。
嬉しくはありましたが、シアンさんが言うように、仮にも勇者の仲間である私は、旅に出てからしたことと言えば、食事作りと鳥の世話です。こんなことでいいのでしょうか。
やはり、かねてから思っていたのですが、ロマリアへ着いたら、私は修道院に一度戻ろうと思うのです。私では、とてもお姉さまの代わりになることなどできません。僧侶として勇者様のお供をするなど、どだい無理な話なのです。院長に全て話し、お姉さまの手紙も見せ、どなたか代役が務まる僧侶に頼むべきなのです。
馬鹿な私は、そんなお気楽なことを考えていました。この時は、まだ。
レーベに着いた私たちは、まず館主から依頼の荷物を、レーベの組合に届けました。馬車とはここでお別れです。
「では、レーベから南ですね」
組合から出た私が言うと、アギレさんは首を振りました。ということは、少し早い時間ですが宿を取ろうと言うのでしょうか。正直それならありがたいです。なにしろ、馬車の中で寝袋(これも馬車に積まれていたものです)というだけでも、ましな方なのでしょうが、やはりベッドの上で眠りたいですから。
「いや、これから少し寄るところがある。この前言っただろう?旅の扉の封印を解くと」
そういえばそうでした。つまりは、封印をかけた人間はレーベにいるのでしょうか?
「リゼットはここに来るまでに、あの塔を見たか?」
あの塔とは、おそらくはアリアハンの王都の西にある灯台のことでしょう。大きな塔で、アリアハンと海を境にぽっかり浮かぶ小さな島に立っています。
「あそこに知り合いがいる」
「もしかして、今からあそこに戻るのですか」
アギレさんが言う塔は、アリアハンの西で、ここに来るまでの道のり、しかも、一日目に見たところです。ここから行くと、馬で数日かかるのですが。
それに、よそ者である私でも知っていることですが、あの島は無人島で、王家の許可がないと入れないことになっています。島へ行く小舟は、王家の物ですので、無断では使えないでしょう。
「いや、ちょっとした抜け道がある」
そういうアギレさんの顔は、どこか楽しげでした。
レーベから少し南に行くと、小さな森があります。迷うほど深い森ではないのですが、それでも初めてくる私にとっては、幾分恐ろしいものです。
田舎育ちだからわかるのですが、こういった、人の手が入っていない場所というのは、甘く見ていたら痛い目に遭います。この場合の「痛い目」とは、大体において命の危険にかかわることです。
だからこそ、私はアデルさんたちと離れないよう、しっかりとついてきました。何しろ、お三方とも森の中というのに足が速いのです。私が山育ちなのと、この二年間セトさんから鍛えられていなかったら、私は置いてけぼりを食らっているところでした。
森の中には社がありました。とても小さいものでしたが、扉には何やら奇妙な文様が刻まれていました。ちょうど、一人くらい通り抜けられるような大きさです。
アギレさんは扉を開けました。鍵がかかっていたようでしたが、そこはやはり盗賊なのでしょう。
「暗いから気を付けろよ」
アギレさんが言うと、アデルさんは小さく頷いて、さっさと入ってしまいました。シアンさんも、少しだけ困惑した様子でしたが、すぐについていきました。私はというと、こんなところに入っていいのだろうかと、少々躊躇しておりました。けれど、こんな森の中に置き去りになるわけにはいきません。
思い切って入ってみたのですが、入り口があれほどに狭いのに、中は思ったより遥かに広いのです。
ただ入り口は……足を踏み入れた瞬間、何やら奇妙な感じがしました。足元だけでなく、全体が歪んだような。ちょうど、旅の扉を通った時と似ていました。
そこを通ると、もう奇妙な気配はなくなり、階段がありました。降りると……驚くことに、石造りになっていました。しかも、明かりが届く範囲一面です。しばらく歩いても、まだまだ続いています。私たちは、アデルさん、シアンさん、私そして最後にアギレさんの順で歩き出しました。細く長い道は、いつの間にか巨大な広間に出ました。室内どころではありません。下手すれば、小さな村くらいの広さかもしれません。
「広いですね」
地下室にしては広すぎます。ふと壁を見ると、たいまつをかけられるような取っ手がついていました。人が通ることを想定して作られているわけです。けれど、こんな広い空間を、一体誰が……。
かれこれ一時間は歩いたでしょうか。先頭のアデルさんが、突然ぴたりと歩みを止めました。
「おい、どうしたんだよアデ……」
言いかけたところで、アデルさんが剣を抜き放ったことに気付いたシアンさんが、慌てて剣を抜きました。それと、魔物たちが襲い掛かるのは、ほぼ同時でした。
それを見た瞬間、私は背筋が凍りました。魔物はみな恐ろしいものではありますが、特に恐ろしい、カエルの姿の魔物だったからです。人間の子供くらいの大きさのカエル(フロッガーというそうです)が、長く紫色の不気味な舌をチラチラ見せながら襲い掛かってくるその姿に怯むことなく、アデルさんがフロッガーに斬りかかりました。黒味がかった緑色の体液が飛び散り、私は思わず顔をしかめました。が、敵はフロッガーだけではありませんでした。
騒ぎを聞きつけたのか、それとも様子を伺っていたのか、人の顔をした大きな蛾が一頭(蝶や蛾は一頭、二頭と数えます)と、鮮やかだけど毒々しい緑のスライムが数匹、あれは確かバブルスライムと呼ばれる、危険なスライムです。バブルスライムの毒は、人から徐々に体力を奪い、やがては死に至らしめる恐ろしいものです。
後方からは、大きなアリクイがやってきました。威嚇するように毛を逆立て、後ろ肢で立ち上がりました。あの鉤爪の一撃は、さぞ恐ろしいものでしょう。
オオアリクイの鉤爪の一撃は、シアンさんが剣で受け止めました。アデルさんはフロッガーにとどめを刺した後、バブルスライムの群れに向かいました。
フロッガーの血で汚れた剣を放り投げ、アデルさんは素早く右手を向けました。短く声を発すると同時に、火の玉が勢いよく飛び出て、先頭のバブルスライムに直撃しました。あれは、攻撃呪文のメラです。
一瞬で蒸発した仲間の姿に、残りのバブルスライムが動きを止めました。だけでなく、火を見たせいか、オオアリクイの動きが一瞬鈍りました。その隙を突き、シアンさんがオオアリクイを仕留めました。
残ったバブルスライムは、再びアデルさんに向かいましたが、もう一度火球を食らい、今度こそ敵わないと思い知ったようで、残りは脱兎のごとく逃げて行きました。
私がほっと胸を撫でおろした瞬間です。
「リゼット、伏せろ!」
後ろからアギレさんが、珍しく声を荒げました。状況を理解していなかった私は、その声のあまりの大きさに驚き、反射的に身を縮こめました。それが、結果的に私の身を救ったのです。
頭上で、凄まじい悲鳴が聞こえました。ぎゃあ、とか、ぐわあ、とかいう、中年男性の濁った声のような響きです。そして、ぽとりと何かが足元に落ちました。
一体何事だろうと目を開けるとそこには、人の顔をした蛾が、ごろんと横たわっていました。その額と思しき部分には、アギレさんのブロンズナイフが深々と刺さっていました。
ソレと、私の目が合いました。といっても、向こうは絶命している、もしくは今まさに「しているところ」です。けれど、その血走った、全てを呪うかのような強い瞳は命の最後の炎を燃やしており、私の心臓は縮み上がりました。
「ふう、間一髪だったな。俺の声に即座に反応したのはよかったぞ」
アギレさんが何事もなかったかのように、ソレからナイフを抜きました。途端に血が溢れ出て、蛾の周囲に大きな血溜まりを作りました。昆虫のような姿なのに、血液(体液かもしれません)は人間と同じ真っ赤なのです。
アギレさんは全く気にする風でもなく、ナイフを懐から出した布で拭き、鞘に収めました。
アデルさんも、放り投げた剣を拾い、刀身についた血を一振りして飛ばし、布で拭いています。私は、情けないことに気分が悪くなってしまいました。同時に、こんなこと考えてはいけないことなのですが、やはり、この人たちが怖くなってしまったのです。自分の命を助けてもらったというのに、なんと身勝手で、恩知らずでしょう。でも、やはり怖いものは怖いのです。
「魔物が出たってことは、目的地が近い。あと少しだ」
私が疲れているとでも思ったのか、アギレさんがポンと肩を叩きました。けれど、私はそれすらも恐ろしく、ろくに返事もできませんでした。そもそも、私に襲い掛かってきたあの魔物を、アギレさんが倒してくださったのに。私はそのことに対して、お礼すらも言っていないのです。そして、そんなことに気付いてもいなかったのでした。
「お前、さっきあっさり剣を捨てたよな」
歩きながら、シアンさんがアデルさんに尋ねました。そういえば、先ほどアデルさんは、バブルスライムの群れが襲い掛かってきているのに、剣を放り投げていました。
「あの剣にはフロッガーの血がついていた。もう使えないことは二撃目でわかった」
そういえば、先ほどアデルさんはフロッガーを一撃では仕留められずに、二度太刀を浴びせたのでした。
「あの場では拭くこともできない。なら、重いだけで邪魔になる」
「ま、妥当な判断だな」
アギレさんが後ろから頷きました。
「世の中には魔物の血を完全に弾くような剣もあるそうだ。そういった剣なら、ぜひとも持っておきたいな」
私はそうは思いませんでした。そういった剣を持つということは、より多くの命を奪うことです。魔物とはいえ、命は命。以前アデルさんが言ったように、バラモスが現れる前は、アリアハンの魔物は、めったに人を襲いませんでした。
彼らに何の罪があるでしょう?いいえ、たとえ人を襲い、食ったところで、それが罪でしょうか?人だって生き物を食べるのに。今日の朝食は、燻製した一角兎の肉のスープでした。それは罪なのでしょうか?人間だから許されるのでしょうか?魔物は人間を殺したら罪でも、人間は魔物を殺したら罪にはならないのでしょうか?
「ここだ」
そんな私の思考はふいに中断を余儀なくさせられました。いいえ、魔物が出るような場所で考え事をすること自体間違っているのですが。
ふと気づくと、目の前に階段がありました。
「そういえば、さっき魔物が出たということは近いと言ってたな」
アデルさんが言うと、アギレさんは「そうだ」と短く言いました。「さっきのは、この塔の主の手荒い歓迎だ」
塔?一体どういうことでしょう?
その答えは、階段を上ってすぐにわかりました。
階段を上ると、これまた広い広間に出ました。窓もついています。そして私は驚きました。目の前には海。そして、遠くにはアリアハン城が見えます。
「ここは……」
「さっき言ってただろう?アリアハンの西にある塔。それがここだ」
あの、小さな社とこの塔は、地下で繋がっていたのです。
驚く私たちの後ろから、男性の声がしました。
「ようやっと来たのか。遅かったのう」
振り返ると、そこにいたのは初老の男性でした。魔物が出るような場所だというのに、ゆったりとした部屋着を着込み、何とも寛いでいる様子です。彼は優しげに微笑んでいました。
「じじいも相変わらずだな。好々爺ぶっておきながら、しれっと魔物をけしかけやがって」
「適度な緊張感は必要じゃぞ」
そういう彼の声は、少しも悪びれておりません。私は、腰を抜かすほど怖かったのですが。
「本当にろくでもない」
アギレさんは吐き捨てるように言った後、私たちに言いました。
「このじじいはナジミ。かつてオルテガと旅をした盗賊だ」