勇者アデルとその仲間たち   作:うばたま

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リゼットのおはなし7

 神殿の中は、かなり冷え込んでいました。それだけではなく、すえた、嫌な匂いと、肌がピリピリするような空気。そして、何者かの気配が確かにしました。

 巨大な神殿は、小さな村くらいの広さなので、迷ってしまいそうです。

 先頭をアデルさん、次にシアンさんと私が、その一歩後ろでアギレさんという形で、私たちは先に進みました。前に来た時は案内があったので平気でしたが、かなり複雑な造りになっているようです。それに、二年前に魔物が通ったせいでしょうか、ところどころ傷がついています。

 「こりゃあ大規模な修復が必要だな」

 アギレさんが小さく呟きました。

 石造りの壁と廊下のせいで、空気は冷えていましたが、正直ありがたいものでした。なんといっても、レーベからここまで一週間以上山道を歩いてきたのです。それに比べて、なんと歩きやすいこと。

 もうじきロマリアだというのに、私は少しだけ気分が落ち込みました。何しろ、今の私ときたら、髪はぼさぼさで垢じみていて、体からは汗と泥の匂いがします。途中の湖や川でちょっと体を洗ったりはしましたが、ほとんどが、濡らしたタオルで拭く程度でした。

 そんなことを考えていたのがよくなかったのか、私が小さくため息をついたところで、先頭のアデルさんが剣を抜きました。

 「気を付けろ、何か来る!」

 アデルさんの鋭い声と共に、ドスドスと何かがこちらに走り寄ってくる音と、獣の、興奮したような唸り声が聞こえてきました。

 一角兎……に似た、けれどはっきりと違う生き物でした。なぜ違うとわかるかというと、毛色が、自然ではありえない、毒々しい紫色なのでした。そして、一角兎とは全く違う、血に飢えた、獰猛な目。何よりも、信じ難いことに兎の口元、威嚇のためかむき出しにされたその牙を見た瞬間、私は背筋が凍りました。兎なのに、そいつには牙があるのです。それは、明らかに肉食獣の持つそれでした。

 つまり、この兎は私たちを食べるつもり(・・・・・・・・・・・・)なのです。

 後方からは一面銀色の毛皮のオオアリクイが来ました。この前のオオアリクイよりも、一回りほど大きいサイズです。種族が違うのかもしれません。

 「なんで魔物が!」

 叫びながらシアンさんが前方の紫色の兎に斬りかかりました。二年前に来た魔物の残党でしょうか。それとも、使い物にならなくなった旅の扉を、ロマリアも放置したために、ロマリアの魔物が入り込んできているのでしょうか。

 どちらにしても、一つ言えるのは、ここにいる魔物は、アリアハン固有の物よりはるかに強いというだけです。

 灰色の巨大なアリクイは、一頭ではなく群れていました。その数は三。真っ赤な瞳をこちらに向け、細長い舌をチョロチョロ出したり引っこめたりしています。もしかしたら、舌なめずりをしているのかもしれません。

 「リゼット、ナイフを抜いておけ!」

 アギレさんはそう言って、既に懐から出していたナイフをアリクイに投げつけました。ナイフは正確に眉間に刺さり、断末魔が響き渡りました。

 けれど、残り二頭のアリクイは怯むことなく襲い掛かります。アギレさんがアリクイの突進を避け、その隙にもう一本ナイフを投げました。ナイフは命中しましたが、アリクイが後ろ向きだったため、それは背中に突き刺さりました。こちらは、硬そうな毛皮で覆われた場所です。ナイフでは、致命傷には至らなかったのか、アリクイは血を流しつつ、怒ったように吠え、アギレさんに向かって再び突進しました。もう一頭もそれにならいました。二頭の標的はアギレさんのようです。

 その時、アデルさんが、アギレさんめがけて猪突猛進するアリクイの片方に、手負いではないそのアリクイに、メラの炎をぶつけました。

 炎はまともにアリクイに直撃し、獣の咆哮が、冷たい空間に響き渡りました。壁に反響したのか、それはやたら大きく響きました。

 アデルさんはそのまま、炎に包まれて悶えるアリクイの、その伸びた舌を斬りつけました。床に、アリクイのどす黒い血が広がり、灰色の舌が、小刻みに痙攣しているその舌が床に落ち、跳ねました。

 アリクイの体がどうと倒れ、焼けた、嫌な匂いが充満しました。アリクイはまだ生きてはいるようですが、その熱さと舌を切り落とされた痛みに、動くことがままならないようです。生きたまま焼かれるのは苦しいのでしょう。弱々しい声が聞こえました。アデルさんは、何も言わず苦悶の声を上げるアリクイの背中に、深々と剣を突き刺しました。とどめというよりそれは、むしろ慈悲の一撃でした。

 もう一頭を、アギレさんが、三本目のナイフで今度こそ仕留めました。

 終わった、とほっとしたその時でした。

 「しまった!」

 シアンさんの、焦ったような声に振り向くと、あの紫の兎が、血だらけでこちらに向かっていました。兎の前に、小さな魔方陣が浮かび上がるのが見えました。何ということでしょう。兎が、魔法を使ったのです。

 その瞬間、私の膝から力が抜け、私は膝をつきました。瞼が恐ろしく重く、視界はぼやけています。

 「リゼット!」

 アデルさんの声が聞こえましたが、それは、とても遠くからのようでした。

 睡眠の呪文、ラリホーをかけられたのです。

 そのことに気付くこともなく、私は倒れました。冷たい石の床は、頬に心地よいものでした。

 意識を手放そうとしたその時、私の眼前に真っ赤な何かが現れました。

 何だろうと疑問に思ったことで、ほんのわずかに眠気を忘れました。もう一度見たところで、私は一気に覚醒しました。

 それは、兎の血にまみれた口でした。牙が血液に濡れ、血がしたたり落ちています。いったい何の血かと思った瞬間、激痛を感じました。

 おそらくラリホーのせいで気づいていなかったのですが、私は腕を噛まれていました。噛み千切られていなかったのは、おそらくですが、私が手に持っていたナイフのおかげでしょう。あのナイフは、前も言ったように聖水に長時間浸されていた、聖なるナイフです。たとえ斬りつけなくとも、そこにあるだけで魔物は敬遠し、触れただけでも多少なりともダメージを与えます。魔法まで使えるような、魔の気の強いこの兎なら、より大きなダメージだったのではないでしょうか。

 とはいえ、喰われかけていたという実感は、たとえようもない恐怖を私に与えました。兎は、なおも私に襲い掛かろうとしています。その獰猛さ、敵意に、私は縮み上がりました。かつて、盗賊たちに囲まれたあの時以上の、原始的な恐怖。ここには強者と弱者しかおらず、喰う者と喰われる者しかおらず、相手は前者で、私は後者なのです。

 気づけば、私は悲鳴をあげていました。腹の底から絞り出すような、狂気じみた声でした。もしかしたら、私はあの瞬間、気がふれていたのかもしれません。とりあえず、アデルさんがすぐさま兎を斬り殺してくれていなかったら、私は気が狂ったまま、喰われていたでしょう。もしそうなら、少しばかりは幸運だったかもしれません。正気のまま、生きて喰われる恐怖を味わわずに済むわけですから。

 

 

 「大丈夫かリゼット」

 兎を仕留めたアデルさんが、そう声をかけました。シアンさんとアギレさんは、なぜか気まずそうに私から目を背けています。

 なぜだろうと思ったところで、疑問が解けました。辺りに漂う、嫌な匂いのせいでした。

 座り込んだ私の周りに、水たまりができていました。私が出したものだと理解するまで、少しかかりました。新品だったはずの僧服が。アリアハン出発のあの日、神父様と皆さんがくださった、あの手作りの僧服が、今は私の出した汚物にまみれていました。

 理解した瞬間、私は羞恥と屈辱に、とうとう泣き出しました。顔を覆って、わんわん泣きじゃくりました。

 今までなら、皆さんのお役にも立てず、助けられるだけで申し訳ないと思っていました。今もそうなのですが、それ以上に今、急激に湧き起ってきたものは、そんな殊勝なものではなく、怒りでした。

 どうしてなの。

 どうして私がこんな目に遭わなくてはいけないの。

 こんな、知らない国で、こんな恐ろしい思いをしなくてはいけないの。私が何をしたというの。喰われなくてはいけない、どんな悪いことをしたというの!

 お姉さまは、こうなることがわかっていたのです。この旅が、こういう目に遭う旅なのだと。だから、お姉さまは逃げたのです。私に全て押し付けて、妻子がいる男と逃げたのです。これは私の役目じゃないのに。私は無関係なのに!

 それもこれも、私のことなんか、使い捨てにしたっていい存在としか思っていなかったからです。

 私が、どこで命を落としても、どんなひどい死に方をしようと、お姉さまの胸は痛むことすらないのです。

 そうです、本当はわかっていました。お姉さまは、身勝手で、傲慢な、鼻持ちならない人なのです。本当はわかっていました。だからみんな嫌っていました。

 私も、嫌っていたのです。

 必死で押し隠していましたが、私は、お姉さまが大嫌いだったのです。

 それを認めてしまえば、私の、あの数年間は無駄になります。ひたすらお姉さまのご機嫌を取り続けた自分が、あんまりみじめじゃないですか。ああ、でも。でも、今の私よりみじめなものなどありはしないでしょう。さっさと認めてしまえばよかった。

 長いこと泣き続けていたのでしょう。

 シアンさんが、少し不機嫌そうに「どうすんだよ」と言うのが遠くで聞こえました。

 「もうあいつは無理だ」

 ええ、その通りです。私に旅なんか無理に決まってます。最初からそうでした。私は何の力もないただの子供で、愚かな田舎娘で、騙されて利用されて、汗と泥まみれで、おまけに今は小便まみれです。下品な言い方をしましたが、どうせ誰も聞いちゃいません。

 でも。でもね、シアンさん。

 私だって、頑張ったのですよ。精いっぱい頑張ったのですよ。あなた方みたいに、選ばれたような人たちとは違うけれど、それでも、この二年間頑張ったんですよ。

 「あなたの、せいじゃないですか」

 しゃくりあげながら、私はキッとシアンさんを睨みつけました。私が反論したせいか、それとも、血と汗と涙で恐ろしい有様になっているであろう私の顔が恐ろしかったのか、シアンさんがぎょっとしたように私を見ました。

 「あなたが、ちゃんと仕留めていればこんなことにならなかった!あなたのせいでしょう!」

 「は、はあ!?」

 「アデルさんは、アリクイをきちんと仕留めましたよ!」

 これは、今にして思えば完全に八つ当たりで、しかも、シアンさんには痛いところでした。大体、助け合うのが仲間、フォローしあうのが仲間なのだから、シアンさんが取り逃がした敵を、私が仕留めなくてはいけなかったはずなのです。

 けれど、今の私にそんな常識的な考えができるはずがありません。感情が高ぶり過ぎて、妙に意地の悪い気分になっていました。聖職者失格ですね。

 「お前なあ!」

 私の一言に、激昂したシアンさんが睨みつけました。どうせ、次に来る言葉は「小便娘」とか、そういったものでしょう。それを言ったら、もう一度アデルさんと比較してやる。絶対だ。

 私がそう決意した時、アデルさんが鋭く叫びました。

 「リゼット!」

 その時、私の体が浮かび、次いで、自分の体が、確かに落ちていく不安定な感覚を感じました。

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