勇者アデルとその仲間たち   作:うばたま

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リゼットのおはなし8

 落下していく、というのは間違いではありませんでした。

 私は気づいていなかったのですが、先ほどの戦闘の場所の近くに、大きな穴が開いていました。過去の魔物たちによるものか、それとも、建物が古いだけなのかはわかりませんが。そのせいか、私がいた場所も亀裂が走っていたらしく、さっきの戦闘の衝撃で、穴が広がってしまったようです。

 その結果、私が落ちました。踏んだり蹴ったりです。

 私は一人ではありませんでした。それがわかったのは、激しい衝撃を感じた時です。

 高い場所から落ちたのだから、衝撃は当然ですが、痛みはそれほどありませんでした。なぜなら、一緒に落ちたアデルさんがかばってくれていましたから。あの、足元が崩れる瞬間、アデルさんは、私をかばって、一緒に落ちてくれたのです。

 本当はありがたいと思わなくてはいけないのですが、私は複雑でした。何しろ、今の私は下半身がびしょ濡れです。水たまりに落ちたからではなく、私が失禁したせいで。

 それが、アデルさんにもついてしまっています。それが、どうしようもなく恥ずかしく、情けない。

 再び泣きそうになっていると、「大丈夫か」と、深い青い瞳が覗きこみました。

 「だ、大丈夫です……」

 「そうか」

 アデルさんはそう言いましたが、その顔はどこか妙でした。灯りがない地下のせいでしょうか。アデルさんの顔色が、少し暗く見えます。それに、汗が……。

 「アデルさん、ひょっとして怪我をされたのでは」

 考えたら当然です。一フロア分落ちているのです。しかも、私をかばいながら。

 「歩けますか?アデルさん」

 そう尋ねましたが、アデルさんは少し考えた後、「……無理だな」と短く言いました。見ると、アデルさんの足に、何かが刺さっています。木の枝のようなものです。今更ですが、ここは地下の、人の手が介入していない場所のようです。さっきのような石造りの床ではなく、土と、苔が見える、じめじめした場所でした。それは、地下牢のようなものかもしれません。

 ともかくも、早くアデルさんの怪我を治さなくてはいけないのですが、一つ問題がありました。治癒魔法は便利ですが、闇雲に唱えればいいというわけではありません。特にこんな不潔な場所で受けた傷なら、消毒する必要があります。

 「アデルさん、傷を……」

 見せてください、と言いかけたところで、アデルさんが私の口を塞ぎました。

 「静かに」

 そう言って、あたりを注意深く見まわしています。その強い視線は、なぜか小型の肉食動物を思わせました。

 「近づいてくる、さっきの魔物と同種の奴らが」

 その声と同時に、低い、唸り声が聞こえてきました。これは、先ほどのアリクイと同じものです。しかも、唸り声は段々と大きくなっています。

 「……四匹」

 アデルさんが短く言いました。

 今気づきましたが、ここは、かなり巨大なホールになっています。入り口にあたる部分は、もとは頑丈なドアがあったのでしょう。それが壊され、近くに落ちていました。先ほど牢じゃないかと予想してましたが、もしそうなら、罪人を、まとめてここに放り込んでいたのかもしれません。

 「上のアギレたちが、たぶん来てくれる。それまでこっちで何とかする。お前はその隙に、あっちから逃げろ、リゼット」

 アデルさんの声に、私はどきんと心臓が跳ね上がりました。それは、ほんの一瞬私が思っていたことを見抜かれた気がしたからです。魔物の存在を感じた時、私は一瞬、確かに、ここにアデルさんを置いて逃げることを考えました。

 これではお姉さまを責められません。私こそ、自分勝手で、無責任な人間でした。

 それなのに、アデルさんはあっさりと私を逃がそうとしています。こんな時でも、自分の命を真っ先に考えようとはしないのです。

 「勇者ってのはそういうもんだ」

 以前、アギレさんがそう教えてくれたことを思い出しました。

 「勇者ってのは職業であり、同時に称号なんだ。それを受けたからには、勇者は人類のために、己を犠牲にしてでも戦わなくてはいけない。そういう掟がある。たぶんだけど、そうでもしないと恐ろしいんだろうよ、何でもできる勇者ってものが。魔物と区別がつかなくなってな」

 その話を聞いた時、私は、さして何か感じたわけではありませんでした。ですが、今、この限界の境地の中、それでも自分の身を一切案じることなく、戦おうとするアデルさんの姿に、勇者の背負った、いいえ、背負わされた物の重さ、その理不尽さ、そして、私たち人間の業の深さを強く感じました。

 私は無関係なのに。私は先ほどそう思いました。だから、魔王討伐なんて恐ろしいものは、アデルさんに任せておけばいいと思っていました。それは、私の仕事ではないと。そうかもしれません。ですが、そうやってアデルさんに全てを押し付けようとしていた点において、私はお姉さまや、多くの人々と、何ら変わりはないのでした。

 「怖くはないのですか」

 私の問いに、アデルさんが訝しげに眉をひそめました。そりゃそうでしょう。こんな時にする質問ではありませんでした。ですが、どうしても訊きたかったのです。いえ、訊くべきだと思ったのです。

 「悔しくはないのですか。悲しくはないのですか。こんな、理不尽なこと。勇者だからって、使命だからって、何であなただけがこんな目に遭わなくちゃいけないんですか!」

 「それしかないから。そうしなければ、僕は生きていてはいけないから」

 きっぱりとした、迷いのない口調で言い切り、アデルさんはふらふらと立ち上がりました。けれど、歩くことも、ましてや戦うことなど、到底出来そうもありません。

 魔物たちが、ゆっくりとこちらにやってきました。一気に襲い掛かってこないのは、様子を見ているのでしょう。野生の狼もよくやります。間合いを測りつつ、出方を窺う。私たちが、どの程度の強さなのか見極めようとしているのです。もし、私たちが自分たちより遥かに弱いとわかれば、その時は躊躇なく襲い掛かるはずです。

 「早く逃げろ!」

 アデルさんは叫び、同時に先頭のアリクイにメラを投げつけました。ずっと光の射さない地下にいたからか、魔物たちに、怯えと動揺が走りました。そして、確かな怒りも。

 野生の動物は火を恐れます。ですが、過度な期待は禁物です。昔、故郷のカザーブでも猟師のおじいさんが言っていました。熊は火の怖さは知っているが、逃げ出すほどは恐れていないと。

 「嫌です!」

 私は叫び返し、驚くアデルさんの腕を掴み、自分の肩に回しました。

 「逃げますけど!私一人じゃなくアデルさんもです!」

 そして、担いでいたリュックを、魔物の方へ放り投げました。あの中には、乏しいですが食糧が入っています。魔物が一瞬でもあちらに興味を示してくれれば儲けものです。

 「行きますよ!」

 アデルさんの腰を掴み、私は力の限り駆け出しました。魔物がリュックの中にある干し肉に興味深げに近づいてくるのを視界の端に捉えながら。

 

 半ば引きずるようにアデルさんに肩を貸して進みましたが、やはり距離はそれほどでもありません。魔物たちは私のなけなしの食糧を食いつぶしてしまったのか、再び私たちに目を向け始めました。

 いつの間にか数が増えています。見たこともない芋虫の魔物……のちにキャタピラーと教えられる、巨大な芋虫の姿に、私はゾッとしました。たとえ喰われるにしても、あいつだけは嫌だと思いました。芋虫に触られながら殺されるのはまっぴらです。

 私は、腰につけたカンテラを魔物の群れに放り込みました。ちなみにソートとメモリーを入れているカンテラは、あちらはアギレさんが持っていてくれたので、幸いでした。

 魔物に命中はしませんでしたが、カンテラには油がまだたっぷり残っていましたので、奴らの足元を勢いよく燃やしました。牽制にはなったでしょう。

 「リゼット」

 「なんですか、私は逃げませんよ。アデルさん、あなたもこんなところで死んでいいわけありません!」

 「僕は死なない。まだ使命を果たしていないから」

 「使命なんかどうでもいいんです!」

 私が大声で怒鳴ると、アデルさんだけでなく、魔物たちまで一瞬体をビクリとさせました。その姿に思い出しました。野生の動物には、ハッタリは思いのほか効果があるのです。彼らは馬鹿じゃないから、自分より強いかもしれない相手とは、できるだけ戦おうとしません。怯えて声も出ないより、大声を出した方が、強そうに見えます。

 「いいですかアデルさん!そんなこと言ってるんじゃないんです。あなたが死んではいけない理由は!こんな小汚い魔物に、喰われるのは、私が許さないからです!」

 私は叫び、奴らから目を離さず、腰の聖なるナイフを抜きました。自分の意志でこれを抜くのは初めてです。それにしても、妙なことを口走った気がします。とにかく大声を上げるのが、動物には有効なハッタリなのですが、考えもなくしゃべりすぎたのではないでしょうか。

 「……わかった」

 冷静な声で返し、アデルさんはそっと囁きました。

 「リゼット。バギは使えるか?」

 「……使えないわけではないんですが。攻撃には至らないというか、風が巻き起こるだけというか」

 バギとは、僧侶が使える数少ない攻撃魔法です。風を使って敵を切り裂く魔法ですから、ぜひとも覚えておきたかったのですが、どれだけ練習しても、せいぜい強めの風が吹く程度で、まだまだ実践では使えない代物です。

 「それは、むしろ好都合だ」

 アデルさんはそう言って、掌に意識を集中させました。どうやらメラを使うようです。確かに、あまり動けないこの状況では、それしかないでしょう。ですが、メラは強いけれども、火球を投げつけるだけです。今みたいに複数の敵が来たら、一頭しか相手にできないのです。

 「いいか。僕が合図を送ったら、バギをあいつらに向けろ。強くなくていい。風さえ起こればな」

 幸いなことに、ここは地下なのに、先ほどから風が通っているのです。この環境なら、風を起こす程度のバギならばできるでしょう。

 「で、ですが、本当に使い物になるようなバギじゃ……」

 「大丈夫だ、信じろ」

 私の手を一瞬だけ握り、アデルさんが力強く言いました。敵に囲まれた状況で、おまけにアデルさんは足を怪我してまともに動くことすらできないこの絶望的な状況の中でも、なぜか安心してしまえるような、そんな強さがありました。

 「はい!」

 ですから私も、もう余計なことを考えるのはやめました。意識を集中させます。せめて、少しでも威力が強まるように。

 魔物たちが、この膠着状態をとうとう破りました。こちらに向け、威嚇の唸り声を上げ始めたのです。いつまでも攻撃してこない私たちを、取るに足らない相手とみなしたのか、それとも血の匂いに食欲を抑えきれなくなったのかはわかりませんが。

 奴らがゆっくりとこちらに向かってきました。その時、横で鋭い声が上がりました。

 「今だ!」

 私はすでに完成させていたバギの魔法を、奴らにぶつけました。その途端、後方から熱気を感じ、一瞬にして私の放った風は、巨大な炎の渦となって魔物の群れに襲い掛かりました。

 勝負は一瞬でした。灼熱の炎は轟音と共に踊るように燃え上がり、魔物たちの毛皮を、肉を、骨すら燃やしました。

 断末魔の声を上げながら、魔物たちが倒れていくのを、私は茫然と見ていました。

 「い、今のは……」

 呟いた時、後方からヒュウっと軽い口笛が聞こえてきました。

 「ほらな、やっぱり女は怖いだろ、シアン。お前もさっきの失言、手をついて謝っておいた方がいいんじゃねえの」

 アギレさんが、シアンさんに笑いかけながら、のんきにこちらに向かってくるところでした。

 「慌てて探してたけど、いやはや、心配することなかったな。これまた凄まじい」

 「な、何だこれ……。ベギラマか?アデル、これやったのお前か?」

 「リゼットだ。僕はメラしか唱えてない」

 「ち、違いますよ!私はバギしか……」

 「あ~なるほどね。そういうことか」

 笑いながらも、アギレさんはアデルさんの前に跪き、すぐに怪我の具合を見ていました。私も慌ててリュックから包帯を取り出そうとして、リュックがないことに気付きました。そういえば、先ほど魔物の群れに向かって投げつけたままでした。

 私はアデルさんの怪我を治療しなくてはいけないので、リュックはシアンさんが取りに行ってくれました。

 アギレさんはアデルさんの怪我を見た後、包帯を水筒で湿らせました。水と思ったら、匂いでアルコールだとわかりました。

 「思い切り刺さってるな。今から抜くから、ちょっと痛むぞ」

 それだけ言うと、アギレさんはアデルさんの足に刺さっている枝を抜きました。途端に溢れ出る血を止め、消毒し、手際よく包帯を巻きつけます。

 「血が止まったら、リゼットにホイミしてもらえ」

 私のバギは、お些末なものでしたが、ホイミは、こちらはこの二年間相当に修行したおかげで、割と形になっています。さすがにこの傷をすぐに治すことはできませんが、それでも何とかなるでしょう。ただ、痕は残るかもしれません。

 

 地下の魔物は、さきほどの四匹だけだったらしく、静かでした。私たちは休憩に入りました(私も、こっそり着替えさせていただきました)。そして、私は先ほどの魔法について思い出しました。

 アデルさんに二回目のホイミをかけたところで、私は尋ねました。結構な出血だったせいか、それとも疲労のせいか、アデルさんはうつらうつらと舟を漕がれています。

 「アギレさん。さっき、私たちはどうしてあんなすごい魔法が使えたのでしょう」

 「ああ、あれか」

 アギレさんは少し笑って言いました。

 「火ってのはな、燃えるためには風がなきゃ駄目なんだ。風というか、空気な。空気がたくさんあれば、火は勢いが強くなる」

 そういえば、私の持つカンテラも、ランプも、火を消す時は蓋をかぶせます。それはつまり、周りの空気を遮断していることだったのです。

 私のバギは、風が吹く程度の弱いものでしたが、そのおかげであの炎が出来上がったというわけです。

 「ま、打ち合わせもなく、なかなかうまく連携できたもんだ。だが……実はな、アデルは一人だけなら死なない方法はあったんだ」

 「え?」

 「勇者のみが使えるアストロンって魔法があってな。体を鋼みたいにしちまう魔法なんだ。これが効いている間は、どんな攻撃だって受け付けない。使いこなせるようになったら仲間ごとそうしちまえるんだがな、まだ未熟なのか、自分だけにしか効果がねぇ」

 「ということはつまり……」

 何ということでしょう。私はあれほど偉そうなことを言っておきながら、その実アデルさんの邪魔をしていたのです。私が逃げ、アデルさんがその魔法を使っていれば、少なくともアデルさんは攻撃を受けませんでした。

 「とはいえ、その状態でいる時は、身動き一つ出来ねえからな。最悪、呪文の効果が途切れた瞬間攻撃されりゃ意味がない」

 「アストロンでは無理だった。僕が今回助かったのは、リゼットのおかげだ」

 眠っていると思っていたアデルさんの声に、私は思わず顔を上げました。

 「あの魔物たちは飢えていた。たぶん、一時凌いだ程度では、諦めなかっただろう。アストロンが解けたその時、僕は負けていた」

 「いえ、もともと私がいなければ、アデルさんが穴に落ちることもなかったのです。それで怪我さえしなければ、アデルさんはあんな魔物には負けなかったはずです」

 「はいはい、たらればの話をしても仕方がないだろう。今回は二人の連携が上手くいって、見事魔物を倒した。これでいいだろう」

 アギレさんの腰についていた古いカンテラから、微かな声がしました。

 「ソートとメモリーもそうだって言ってる」

 そういえば、二羽にはまだご飯をあげていませんでした。最近、この二羽は目が開き始めているのです。結局、レーベで里親を見つけられなかった私たちは、このまま連れてきてしまったのですが、無事でよかった。

 「アデル、歩けるか」

 「ん」

 小さく頷くアデルさんに、アギレさんが笑いかけました。

 「ならよかった。さっき、お前たちを探している間にロマリアへ続く旅の扉を見つけた」

 私はドキリとしました。つまり、その旅の扉に入ってしまえば、もうそこはロマリアになるのです。アリアハンでの旅は、ここで終わりです。

 私はある予感を感じていました。

 甘ちゃんな私は、ロマリアに着きさえすれば、もうこの旅から解放されるものだと思い込んでいました。修道院に行き、事情を話せば、何とかなって、私の旅は終わるのだと。

 おそらくそれはないでしょう。私の旅は、きっと始まったばかりです。

 誰も、お姉さまの代わりをしたがる人はいないでしょう。大人は、この旅の過酷さを、私よりも遥かに理解しているでしょうから。

 二年前、お姉さまが逃げ出したあの瞬間から、私の運命は既に決まってしまったのです。私は、きっと、この旅から逃れられない。

 けれど、面倒なこと、恐ろしいことを全てアデルさんたちに押し付けて、あとは知らんぷりするより、いくらかはマシかもしれません。

 だってそれだと、私もお姉さまと同じになってしまいますから。さっきみたいにお姉さまを強く憎む気持ちはありませんでしたが、やはり、私はお姉さまを許せそうもありません。とはいえ、憎いだけではないのです。三年も一緒に居たわけですから。

 それにしても、一体どこでどうしているのでしょう、サブリナお姉さまは。

 

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