アギレの手記1
どこの国でも、俺のような立場の人間は必ずいる。
上からの命令とあらば、どこでも――例えば貴族の誰それの屋敷の御用聞きに成りすまして、当主が本当は何を支持しているのかやら、城下町のどこそこに赴き実際のところ国民がお上に対してどんな思いを抱いているのかやら、それこそ他の国へこっそり入り込んでまで、上が知りたい情報をいただいてくる。
簡単に言ってしまえば密偵というやつだ。雇う方だって、そりゃ並大抵の金持ちじゃすまない。俺は七年前に契約したんだが、その雇い主ってのが……まあ上に書いてる文で、大体の想像はつくだろう。
そんな中、時にはやばい仕事だって当然ある。何しろ命がけだ。この仕事ができるかできないかは、この仕事を続けられるか続けられないかと同義だ。それこそ反吐が出るような仕事だってある。今この場で口に出すことすら憚られる、おぞましいことも。ある種の人間にとっては、それは死ぬことよりも恐ろしい。
俺は、そういったものに対して、感覚が麻痺しているのか、それとも、ハナからそんな人間らしい上等な感情など持ち合わせていなかったのか、こういった仕事を嫌悪したことはない。それは、人間的には大いに問題だろうが、生憎と、そのおかげで俺はこの界隈ではかなりのし上がってこれた。
二十歳のころ、俺を拾い育ててくれた師匠に呼び出された。奴は結構なじじいだったが、俺には縄抜けから暗殺術まで、その持ちうる技術の全てを叩きこんでくれた。奴は粗暴で大酒飲みの下品なクソ野郎だったが、それらをうまく隠す術も持ち合わせていた。一度あるお貴族様から情報を引き出すために豪商に変装した時なんか、そのお貴族様と熱い政治論をかわし、最後には尊敬のまなざしまで浴びていたくらいだ。
「人間、教養があるだけでだいぶ違うからな。技術も大事だが頭も磨いておけ。得することはあっても、損することだけはねぇ」
それは奴の持論だったが、あまりに口酸っぱく言われてきたせいか、俺にまで影響してやがる。そして、腹立たしいことに今のところ、奴の持論を覆すことはできていない。
そんな奴が、「しばらく留守にするから俺の代わりにやっておけ」と紹介した相手が、何とも驚くことにアリアハン王家だったわけだ。このじじいは、長いこと王家専属の密偵だったらしいが、あまりに意外過ぎて想像したことすらなかったぜ。
じじいが言うには、奴は長いこと国を離れるらしい。その後釜として俺の出番、というわけだ。
「どうせヘタ打ってお尋ね者にでもなったんだろう」
俺は最初そう軽口を叩いたが、半分以上本気だった。このじじいがそう簡単に国を離れるとは思いもしなかったからだ。だが、奴は珍しく神妙な顔で「この仕事は、俺にとって最後のヤマになるだろうぜ」と語り、それから五年もの間、まるっきり音沙汰なかった。
てっきり、とうにくたばっちまったと思っていたんだが、ある日奴はひょっこり顔を出してきた。ちょうど、アリアハンの勇者オルテガの訃報が流れ始めた頃だ。
「どうしたんだよそのツラ」
じじいは、最初俺でもわからないくらい面変わりしていた。頬はこけるわ、髪はほとんど白くなっちまうわ、よく見ると体のあちこちに生々しい傷があった。
「最後の最後で、ヘタ打っちまったか」
俺の軽口にも、奴は得意の拳骨を繰り出すことすらせず「そういうこった」と、欠けた歯を見せて笑った。
その頃の俺はといえば、王家の依頼でこまごまとした仕事、さっき書いた通りの仕事を多少の物足りなさを感じつつもこなしていた。
そんな俺がお上に呼ばれた。これは珍しいことだった。いや、まったくもって信じがたいことだった。じじいの後釜になってからも、俺は依頼主と直接顔を合わせたことはない。普通じゃ考えられないことだが、相手が相手だ。そりゃ、国王ともあろうお方が、その辺のゴロツキと変わらないやくざ者とツラ突き合わせるなんざ、この国が滅んでもねえだろうな、普通は。
国王とか名乗る、たまになんちゃらって行事で遠巻きにしか拝めないそのご尊顔(正直に言えば、ただの狸にしか見えなかった。ただし、王冠を大仰にかぶっている狸だが)を拝見し、「この度はご機嫌麗しゅう」だの、「誠にもって恐悦至極」だの言っていたら、神妙な顔で立っているじじいに告げられた。
「アギレ。お前に仕事だ。お前に人類の希望を託す。俺が果たせなかった代わりにな」
何のことかわからなかったが、どうやら、厄介なことに巻き込まれ、しかもそれから逃げることはできないらしいってことだけは理解した。
今思えば、五年前に奴に呼び出された時から、これは奴と国王の頭の中にあったのだろう。
五年前に何があったか、俺は思い出した。アリアハンの勇者オルテガが、仲間を数人率いてバラモスとかいう魔物の親玉を倒しに行った。けれど失敗した。巷では、オルテガはバラモスの根城であるネクロゴンドに行くことに成功したが、途中にある火山の火口に堕ちてくたばっちまったと、まことしやかに語られている。
アリアハン王に命じられて、世界征服をもくろむ魔王を倒す勇者の物語……。国家の一大プロジェクトだったその企画は、主役のオルテガがいなくなったことで、こうして潰えたわけだ。
「簡単に言うとその通りだな。だがな、俺たちがこの五年で得たものはたくさんある」
じじいはそう言って、俺にいくつかの書類を見せた。
古ぼけた羊皮紙に書かれた、ミミズがのたくったような字は、掠れて読みにくかった。かろうじて読めたのは、「オーブ」「世界に」「六つ」「ラーミア」という単語だけだった。ちなみにこれは古代文字だ。読めるのは学者か、魔法使いか、あとは俺みたいな盗賊くらいだろう。
盗賊は、何も人様のお宝を奪うだけじゃない。遺跡や洞窟に行った時、たまに古代人が隠したお宝に出くわす時がある。そういう時に古代文字が読めるのと、読めないのとでは大きく違う。
俺の知り合いの三流盗賊なんか、遺跡でどでかい箱を見つけ、意気揚々と開けたら、中にとんでもないものが入っていてショックを受けた、とこぼしたことがある。古代文字さえ読めれば、その箱に「便器」とでかでかと書かれているのがわかったろうに。
「旅でわかったことはいくつかある。まずバラモスの居城は高い岩山に囲まれて、人の足では、侵入は不可能であること」
十年ちょい前あたりから話題になったバラモスってのは、魔物の親玉と言われている。それまで、魔物は確かにこの世界に多くいたが、今みたいに凶暴じゃなかった。そりゃ中には凶悪なものもいるが、奴らの多くは、食う以外の目的で人間を襲いはしなかった。その点においては、人間の方が遥かに凶悪だったろう。おとなしい魔物なんかは、むしろ人間に狩られていたくらいだ。何より、今みたいに強くなかった。奴らは群れで行動するものもいたが、それは同種のものだった。オオカミが仲間同士で行動するのと同じだ。ところが、最近の魔物ときたら、種族が違ってもお構いなしに手を組んで襲い掛かってきやがる。魔物同士、腹が空いていたのか互いに食い合っていたくせに、人間の姿を見るや否や仲良く襲い掛かってきた、なんて事例もあるくらいだ。
そして、それら魔物の暴走は、どうやら親玉であるバラモスのせいらしいのだ。奴さん、人間がどうあがいてもたどり着けない高いところから、高みの見物としゃれ込んでやがるのか、直接手を出してくることはない。その代り、人間側のどんな譲歩も受け付けず、じわじわと、真綿で首を絞めるようにゆっくりと、人間を追い詰めている。
「次にわかったことは、その岩山にたどり着く唯一の方法が、『ラーミア』というものらしい。正直、『ラーミア』が何なのか見当もつかん。かつて存在した古代魔法なのか、それともなにかのアイテムなのか、はたまた神の使いなのか。ただわかるのは、『ラーミア』を得るためには、世界にある六つの『オーブ』が必要なのだそうだ」
ラーミアにオーブ。どれも初めて知る名前だった。
「レイアムランドとかいう島に、それらしき神殿を見つけたが、中にいた二人の巫女に、今はその時ではないと言われたのでな、オルテガ殿は別の方法を模索しておられた」
「それが、火山側からの侵入か」
しかし、それも火山へ落ちることで不可能であると証明されたわけだ。
「大体わかった。で、俺にどうしろと?世界に散らばるオーブとやらを持って来いって?」
それはいくらなんでも無理だ。俺にはオーブとやらが何なのか、何一つわからないのだから。
「いや、それには情報が足りなさすぎる。それに、オーブを見つけたところで、誰がバラモスを殺るかって話になる」
確かに、この辺の弱っちい魔物ならともかく、世界の魔物の親玉ともなれば、簡単に倒されてはくれまい。しかも、「あのオルテガにも無理だった」という情報のせいで、やろうって気になるやつはいないだろうよ。何しろ、オルテガの名声はアリアハンだけでなく、全世界に広まっていた。ひょっとしたら、あの男は世界最強の男だったのかもしれない。
「オルテガってやつはもういねえだろうに」
「ああ、その点なら」
じじいは、そうして一瞬、何とも形容しがたい表情を浮かべた。奇妙な表情だった。奴のこんな顔を見るのは初めてだった。いうなれば「いたましい」とでも言うべきか。
「すでに代わりはいる」
そういわれて後に紹介された、新しい「勇者」とやらを見た時、じじいの奇妙な態度に合点がいった。奴はさっきも言ったように下品で大酒飲みのクソ野郎だが、一応のポリシーってものを持っている。
俺たちみたいな、金さえもらえばなんだってするようなドブネズミがそんなもん振りかざすなんて、まったくお笑い草だと思われるかもしれんが、こんな世界にだって、ルールってものはあらぁな。そのルールは、俺たちにとってはいわば「法律」なのだ。破れば排除される。とはいっても、直接手を下すわけではない。
ただ、仕事を回されないし、警吏が来ても教えてやることもない。性質の悪い奴に狙われてると忠告してやることもない。何より堪えるのが軽蔑のまなざしだ。堅気のみなさんから向けられる軽蔑のまなざしは痛くない。向けられて然るべきだからだ。だが、同じド汚ぇ底辺の奴らから向けられる軽蔑の視線ってのは、きつい。相当にきつい。
そんな底辺に住むじじいのルールに、「女子供には手を出さない」というのがあるが、奴はどうやら、そのポリシーを捻じ曲げざるを得なかったらしい。
「アデルイード・アルマです。勇者オルテガの子供です。よろしくお願いします、アギレさん」
まさか、14のガキに、世界の命運を背負わせようとしているとはね。