エルフの女王のおわす住居は、宮殿と呼ぶような代物じゃなかった。だが、まあ。その辺の宮殿より、インパクトはある。何しろ、一本の巨大な木なのだから。
その辺の屋敷より、遥かに背が高い。幹の太さも、家でも十分成り立つ。その巨木の中は、くり抜いたように空洞になっていた。
「遥か昔、雷に打たれた時に、中がほとんど焼けたんだ」
それを改良して、屋敷にしたってことか。こうやって見ると、中身だけ燃えたのもすごいことだ。中は相当に広い。一体、どんなでかい木だったんだ。
入り口には、誰もいなかった。宮殿というからには、護衛のようなものがいるはずなのだが。
パヌルゴスは、ドアを軽くノックしただけで、ずかずかと入り込んだ。仮にも、女王様相手にありえない不作法さだ。
とはいえ、俺たちも仕方なく続く。なんとなくだが、パヌルゴスがいなければ、俺たちは、中に入れてもらうどころか、速攻で村から追い出されそうだ。
中には、花が、まるで絨毯のように敷き詰められていた。そのせいか、爽やかで、少し甘い香りがする。よく見ると、その花は、本来春や夏に咲くものだ。秋に見られるものではない。温室で育てるにしても、こうも多くの種類となると、どれだけの労力と金がかかることか。四隅に置かれている灯りは、ランタンに見えるが、中に入っているのは炎じゃない。もしかしたら、光の精霊とか、そういった類のものかもしれない。
質素だが、ここは確かに、森の女王にふさわしい宮殿だったのだ。
「パヌルゴス、一体どういうつもりです」
割と広い内部の中央に座っていた美女、恐らく女王だろう、彼女が、不愉快そうに顔をしかめた。その傍には、若い(ように見える)エルフが、俺たちを見て、驚いたように、目を丸くしている。
女王は美人だった。真っ先にこんな感想を抱くところが何とも情けない男の性だが、相当な美女だった。
踝まで覆うような、地味な色合いのローブをまとい、稲穂を思わせる金色の髪は高く結い上げ、小さくて白い顔は、ほとんど化粧気がない。身を飾るものといえば、頭上に輝く、小さな銀色のティアラだけだ。そんな地味な姿だが、いや、それが余計に、彼女の美しさを際立たせていた。
そして、若い。いや、エルフの年齢なんか、見た目は当てにならないのだが。リゼットとそう変わらないんじゃないかってくらい、彼女は幼く見えた。そのくせ、堂々とした風格は、老成したものだ。
「ここをどこだと心得ているのです。人間など連れて来て」
「そう言うな、女王サマ。この人間たちは、ノアニールの呪いを突き止めたいがために、遠路はるばるこうして来たのだよ」
ノアニール、のところで、女王の眉がわずかに動いた。
「ノアニールの呪い……。ああ、そうでした。そんなこともありましたね」
俺は、彼女の言い草にむっとした。何があったかは知らないが、町一つ丸ごと、二十年も呪われているのだ。取り残されたあの爺さんが、どんな思いであそこに留まっていたか。それを、呪いをかけた張本人が、まるで思い出話をするかのように気楽に言うと、さすがに腹が立つ。
思わず身を乗り出すと、横のエディが俺に一瞥をくれた。余計なことを言うなということだろう。ああ、わかっている。だがなあ。
「あれから二十年だぞ。儂らからすれば、瞬きする程度の短い時間かもしれん。だが、人間にとっては、十分罰を受けたに等しい時間じゃないかの」
罰と言ってもなあ……。たぶんだが、ほとんどの町民は、単なるとばっちりだと思うんだが。
パヌルゴスの言葉に、女王は微かに笑った。蔑むような、嘲笑うような、そんなよくない類の笑いだ。美人にあれをされると堪える。喜ぶ奴もいるかもしれないが。
「私のかわいい娘アンは」
ゆっくりと、彼女が告げる。というか、子持ちだったのか、この人。人、いや、エルフは見かけによらない。
「ノアニールの若者と恋に落ちました。そして、里からエルフの宝である≪夢見るルビー≫を持ち出し、逃げたのです」
エルフの宝、≪夢見るルビー≫ね。名前だけ聞いても、相当に価値がありそうだ。
「アンは騙されたに決まっています。おおかた、ルビーを騙し取られて、里に帰るにも帰れずにいるのでしょう。かわいそうな、アン」
「ちょっと一方的過ぎじゃない……ですかね。エルフのお姫様を騙したって言っても、その根拠なんかどこにもないだろ……じゃないですか」
シアンが、妙な敬語で抗議し始めた。黙ってろってのに。まあ、気持ちはわかる。さっきの、あの爺さんを見ちまうと、特にな。
「人間は、己の欲望を満たすためには、どんな残酷なことも平気でするもの。今まで、どれほどの仲間たちが酷い目に遭わされてきたことか。そのくせ、自分たちにとって都合の悪いことはすぐに忘れる。破壊と略奪。あなたたちの歴史は、その繰り返しでしょう。数ばかり増え、次々と私たちから住む場所も奪ってゆく。そうして私のかけがえのない娘まで。これ以上、何を奪おうと言うのです」
湖をたたえた青い瞳に睨みつけられ、俺たちは怯んだ。何も言い返せなかった。本当言うと、俺はエルフと人間の確執を、ほとんど知らない。俺にとってエルフとは、絵本の挿絵みたいな遥か遠い、現実味のない存在だ。
実際にいるかどうかすらわからなかった。カザーブではもはや、伝説上の生き物みたいに扱われている。
それはつまり、人間は、女王がいうような、過去にエルフたちにしてきた蛮行を、何一つ伝えてきていないからだ。そうだろう。不都合な真実は、できるだけ隠しておきたい。
「さあ、もう出てゆきなさい。パヌルゴス、あなたもです」
「ああ、そうそう」
刺々しく告げる女王に、一人空気を読まずにパヌルゴスが手を叩いた。
「すまんが、女王よ。南の洞窟へ入る許可をくれんかの」
唐突に変わった話に、女王が一瞬きょとんとした。そんな顔をしていると、やっぱりまだほんの小娘のようだ。
「なぜです」
「実は、前に来た時にナイフを忘れてしまっての」
「……ナイフですか。あの神聖なる泉にそんなものを。まあいいでしょう。いまあそこは魔物が棲みついてしまいました。その中を入ると言うなら、どうぞご自由に。命の保証はしませんよ」
「ああ、構わんよ」
笑いながら、パヌルゴスが女王に背を向けた。どうやら、俺たちもお暇した方がいいようだな。
「さっきの、本当なのか?」
冷たい視線を受けながらエルフの里を出た後、シアンがパヌルゴスに尋ねた。彼は何やら用事があるようで、迷いのない足取りで進んでいく。そういえば、さっき忘れ物を取りに行くとか言ってたっけ。
「さっきの、人間がエルフから奪ってきたって」
「ああ、本当よ」
何でもないと言うように、パヌルゴスは頷いた。
「エルフってのは、美しい種族だろう?美しい上に、長寿な生き物だ。しかも、ほとんどが強い魔力を持っている。まさに、神に愛されたような種族だ。それに対するやっかみもあったし、何より、エルフにはなあ」
言い淀んだパヌルゴスが、咳払いをした後続ける。
「エルフの中には、涙を流すとその涙がルビーになる者がいてな。そのルビーがもう、鳩の血みたいに鮮やかな赤の、見事なルビーなんだ。そうなると、わかるだろう」
「ああ、わかったよ。いや、十分わかった」
エディも、シアンも、リゼットも、その説明だけで十分わかったようだ。流す涙が極上のルビーになる。たとえば、巷を騒がす盗賊団みたいな連中がそれを知ったら、何をするか。俺みたいなバカでもわかるってもんだ。
「ルビーの涙を流すエルフとなると、儂が知っているのは、さっきの女王くらいか。後はもうおらん」
人間を嫌うわけだ。さっきの女王の態度の意味がよく分かった。彼女は、人間たちに、何度も仲間を奪われていたのだ。そりゃ、娘も奪われたように思うんだろうな。
とはいえ、どうする。
原因はわかった。けど、このことを、例えばロマリア王家に報告したとしてもだ。エルフの里は、人間だけでは足を踏み入れることもできない。今回俺たちが入れたのも、パヌルゴスがいてこそだ。
そして、あの女王さんが何とかしてくれない限り、あの村は、ずっとあのままだ。
「……本当のところ、アン王女はどうなったのでしょう」
ずっと黙っていたエディが呟くように言った。おおよかった。真面目に考えていたんだな。俺はてっきり、さっき見たエルフについてやら、彼らの取り巻く環境やらに気を取られているのかと思っていた。
「エルフと人間の間で子供は作れるのでしょうか。もしそうなら、寿命はどうなるのか、それに……」
「うん、予想してた」
今言ったのは、俺じゃなくリゼットだ。ま、俺もそうだろうとは思っていたよ、うん。
「ああ、それは作れるぞ」
エディの疑問にあっさりと答えた後、パヌルゴスは「さて」と俺たちを見上げた。
「どうした?」
「お前さんたち、ちょっと頼まれてはくれんかのう?」
「頼みってなんだよ。それに、どこへ行こうとしてるんだよ」
「南に、結構でかい洞窟がある」
楽しそうな口調で、奴は続けた。
「お前さんたちには、その最深部の地底湖に行って、忘れ物のナイフを持ってきて欲しい」
「はあ?そんなの自分でやれよ」
シアンが不満げに返した。俺も同意見だ。まあ、このおっさんのおかげで、ノアニール事件の原因はわかったが。
「いいから頼むよ、儂は泳ぎはあまり得意ではないからの」
彼は、ニヤリと笑った。
「もしかしたら、お前さんたちの希望が、叶うかもしれんぞ?」