エルフの里は、やはり俺たちを歓迎はしてくれなかった。出て行けと言わんばかりの視線はさんざん食らったが、実際に危害を加えられることはない。ホビットのパヌルゴスがいるからか、エルフが争いごとを好まないからかはわからんが。
「パヌルゴス。一体どういうつもりです」
先ほどより、怒りのこもった声で、女王がパヌルゴスを睨め付けた。
「まあまあ。これで最後にするよ。それに、お前さんに返さなくてはならん物を見つけての」
奴がそう言い、振り向きざまに顎をしゃくる。気が進まないながらも、俺は一歩前に出て、布に包まれたそれを掲げた。
「なんですか、それは。人間のものなど受け取るいわれはありません。さあ、早く出て行きなさい」
「いや、正真正銘あんたのものだよ、女王」
パヌルゴスの声と同時に、俺は布を取った。正直もうこのルビーは拝みたくはなかったんだがな。
「それは……≪夢見るルビー≫?」
「それと、これを」
シアンが懐から手紙を取り出した。古代語で書かれたそれを女王は受け取り、目を通し、みるみる顔を青くさせた。彼女の心情を思うと、やりきれない。この二十年、彼女は娘の身をどれほど案じていただろう。ただひたすら、無事を願っていただろう娘の遺書を読んだ母親の心情など、馬鹿な俺には想像すらできない。
「なんと!アンと男は地底の湖に身を投げたというのですか!?おお!私が二人を許さなかったばっかりに……」
声を震わせつつも、女王はけして涙を流しはしなかった。こんな結末も想定し、覚悟していたのか、それとも女王である立場故か、はたまた、人間風情に涙など見せるわけにはゆかぬという矜持からか。
もしかしたら、人間の前でルビーの涙を見せる危険性を、体に叩き込んでいるからかもしれない。
長い長い沈黙の末、彼女は目を閉じ、一度深く呼吸をし、「……わかりました」
地底湖と同じ、澄んだ青い瞳を、側仕えの少女に向ける。心得たとばかりに、彼女が下がり、すぐに戻ってきた。銀色の盆に、小さな袋を載せて。
「それは≪目覚めの粉≫。これを持って、村にお戻りなさい。そして呪いを解きなさい。アンも、きっとそれを望んでいるでしょう」
俺たちは礼の言葉を述べ、ふと、俺の手にまだ残っているルビーに気付いた。これも返さなくては。
「女王、これを」
先ほど痛い目を見たせいか、俺は不作法なことに、ルビーからわずかに目を逸らしつつ、ルビーを再び掲げた。
「お待ちなさい」
女王の、透き通る声に、俺はなぜだか妙に、咎められたようなばつの悪さを感じた。この感覚は、そうだ、昔、母親に叱られる直前の、戦々恐々とした感じによく似ている。
「あなた、名前は」
女王が、俺なんぞの名前に興味を持ったことに驚いた。
「セト。セト・ターヘル・イスハークといいます」
「そう、セト」
彼女は一度だけ俺の名を口にし、そしてまっすぐに俺を見た。「こちらへ」
少々戸惑った顔の仲間に、頷き、俺は女王に近づいた。つか、高貴な女性に近づくとか、恐ろしく緊張するんだが。
「あなたは、このルビーを、中のエルフを見たのですね」
「はい、見ました」
「何を見ましたか」
さすがにこれには答え辛かった。だが、ここで適当なことを言って、やっぱり人間は信用ならない、目覚めの粉を返せと言われたら、今日一日の苦労が、あの爺さんの二十年が水の泡だ。
「……過去を。過去に傷つけたであろう、人を」
俺が言うと、女王は「そう」とだけ言い、それ以上追及しなかった。
「このルビーは、その人にとっての罪を見せるもの。その人が今一番抱く罪悪感、自責の念、後ろめたさ。それらを暴き出し、増幅させます。あなたは、そう、これに耐えましたか」
「どうでしょう。後ろにいる仲間たちがいなければ、あのままあそこで死んでいたかもしれません」
あそこで平手を食らっていなかったら、今も俺はあそこで呆けていたかもしれない。その可能性は大いにある。
「あの日、アンと最期の語らいになってしまった、でも、そうとは知らなかった夜。私は、恋人ができたと告げるアンに、これを見せました。このルビーの魔力を話しました。生きとし生ける者は皆罪を犯す。生きているだけで、誰かを傷つける。犠牲にする。それは、ヒトも、エルフも、魔物も、何人たりとも逃れられない運命」
彼女の手の中のルビーが、光を受けて怪しく輝いた。慌てて目を背ける俺に、女王は微かに笑ったように見えた。
「私たちは罪の子。私はアンに言いました。『これを見せてみなさい。彼が、己の罪にどう向き合うのか、見極めなさい』と。あの子は断りました。彼を試すような真似はしたくないと。ですが、次の日、これがなくなり、あの子が……」
そうだったのか。それで、女王は、アンが騙されたと思っていたのだ。
「彼は何を見たのでしょう」
俺が言うと、女王は「さあ」と首を傾げた。
「それは誰にもわかりません。もしかしたら、罪の意識に耐えられず、死んでしまったのかも。心をあまりに強く蝕まれた者の中には、心の臓が凍り付いた者もいたそうですから。ああ、そうそう」
彼女はほっそりとした指でルビーをなぞった。
「一つ言い忘れていました。このルビーは、罪悪感を抱く者にしか効果はありません。己の罪を恥とも思わぬ、後悔などしない者には、何一つ効果がないのです」
帰り道、俺たちは終始無言だった。
結局、女王には本当のことを言わなかった。その罪悪感が、俺たちの口を閉ざした。今俺たちがあのルビーを見れば、それなりの痛手を受けるだろう。
俺は、ぼんやりと、洞窟から抜け出した時のことを思い出していた。
洞窟を出た俺たちは、入り口で待ってたパヌルゴスと合流した。奴の足元には、マタンゴの死骸がいくつか落ちている。俺たちが仲間を倒したことで、こいつらは洞窟の外に避難してきたのか。
「おお、お帰り。どうだった?」
「これじゃないのか、あんたが探してたのは。最奥の地底湖に沈んでたが」
俺がナイフを差し出すと、奴はニッコリ笑ったまま受け取った。
「ああ、そうじゃそうじゃ。これだな」
「パヌルゴス」
黙って成り行きを見ていたシアンが、ゆっくりと口を開いた。
「返してくれ。それは、リゼットの≪聖なるナイフ≫だ」
「……おっと。それはすまなんだ」
意地の悪そうな笑みを浮かべ、奴はリゼットにナイフを差し出す。
「お前が探しているのは、こっちだろう」
俺がそう言って、地底湖で見つけたナイフを差し出すと、奴は今度は用心深そうにそれを確認した。
「ふむ。この彫刻技術。間違いなさそうだの」
やはり、このナイフはパヌルゴスのものではなかった。
「パヌルゴス。もしかしたら」
眼鏡を押し上げつつ、エディが言った。
「アン王女とデジールは、心中などしていないのではないですか?」
パヌルゴスが黙りこくる。ホビットは嘘が苦手な種族と聞く。
「今から、私の予想を言います。違っていたら、遠慮なくそう言ってください」
そう前置きして、エディが再び口を開く。
「私の予想はこうです。二十年前、エルフの王女アンは、人間に恋をした。彼女はオペリオルの息子、デジールに恋をし、一緒になりたいと思った。しかし、彼はそうではなかった。彼は」
木々がざわめく音がする。冬を目前に、動物たちが慌ただしく準備に明け暮れるこの中で、エディのやや神経質な声が、静かに響く。
「彼は、彼女を利用するつもりだった」
「なぜそう思う」
「オペリオル老の言葉です。彼は、いなくなる直前、父親にこう言っています。『もうすぐ、親父に楽をさせてやるよ。もう、町の連中にバカにされないくらい』と」
それは、心中を考えた者の言葉とも、駆け落ちを決意した者の言葉とも思えない。
「彼の家の調度品を見ました。そのいくつかは、エジンベアのものでした。国のやり方についていけない者が外国へ逃れることは、かつてエジンベアではよくありました。彼の家は、町から随分離れていましたね。彼ら親子は、町にとっては≪よそ者≫だったのではないでしょうか。ノアニールは田舎です。よそ者である、ただそれだけで、十分村八分にされる理由になりうる」
俺は、あの家で見たカップを思い出した。そういえば、あれに描かれていた鳥は、この辺りのものじゃなかったな。
「だからこそ、デジールはエルフの宝を手に入れたかった。大金さえ手に入れば、町を出ることもできる。たとえ町に残ったとしても、待遇は大いに変わるでしょう」
「あの洞窟は、魔物さえいなければ、大抵の者なら入ることができた。特に、最深部の地底湖は圧巻の一言でした。恋人同士が語らう場所には最適でしょうね。二人はそこで落ち合い、彼女は彼にルビーを見せた。もしかしたら、駆け落ちを言いだしたのは彼だったのかもしれません。その軍資金がいるとかなんとか、理由をつけて」
周囲から、常に愛されて育ってきたであろう王女。常に蔑まれて生きてきた彼。はたして、そんな二人が愛を育めるだろうか?できるはずだ、愛さえあれば、なんて俺は言えない。
「そうして彼はルビーを手にし、彼女を裏切る。彼女は嘆く。彼が立ち去ろうとする。彼女が追いすがっても、振り向くことすらしない。彼を何とかとどめようと、彼女は護身用に持っていたナイフを、彼の背に突き立てる。何度も、何度も」
最初に、あの洞窟でエディの仮説を聞いた時は、さすがに抗議したもんだ。だが、こいつの言うことが一理あるのは、認めざるを得ない。
「途中にあった白骨死体を覚えていますか?私はこう思っています。あの白骨が、デジールだと」
エディは懐から、銀色のロザリオを取り出した。これは、確かあの白骨が首からかけていたものじゃないか。
「持ってきたのか」
「ええ。ここが気になっていました。このメダイ、十字架に薔薇です。ロマリアのものなら、国花を使うことが多い。こんな宗教的な意味合いを持つ物は、特に。薔薇は、エジンベアの国花です」
そういえば、オペリオル爺さんの家にも、薔薇の絵が掛けられていたのを、ふと思い出した。
「あなたは私たちに会った時、こう言いました『これは、アンに感謝しなくては』と。アン王女がもし亡くなっていたら、そんな言い方はしなかったと思います。あなたは尊いお方の傍にいると言っていた。そこは、人間には到底足を踏み入れることができない場所だと。つまり、エルフやホビットなら入れる場所なんですね。そこに、アン王女はいらっしゃるのでは?このナイフは、あなたが彼女に頼まれて回収に来たんじゃないですか?」
パヌルゴスは陽に灼けた頬を軽く掻き、ゆっくりと頷いた。
「あんたの言う通り。アンは今、ここから離れた土地にいる。そこは、神にも等しいお方の住もう場所。人間はけして入れない場所」
そうして、パヌルゴスはようやく教えてくれた。二十年前の真相を。
「アンは、当初駆け落ちする覚悟はあったらしい。そしてあのルビーを持って行った。二人はいつも愛を語り合っていたあの場所で落ち合い、彼女は彼にルビーを見せた。彼は何も反応しなかった」
そういえば、エディもシアンも、あのルビーを見たが、何も起こらなかった。あれは、中のエルフを、相当まじまじと見ないと効果はないらしいからな。
「なぜかアンは嫌な予感がして、彼に言った『中のエルフをよく見て』。彼は返した『よく見てるよ。見事な出来栄えだね』」
少し変だ。女王が言うには、あれは、心に抱く罪悪感を増幅させるもの。これから駆け落ちをしようって男が、そりゃ明るい未来を描いたにしろ、捨てていく家族に対して、何も抱かないはずがない。
「そして、彼は言った『僕の目的はこれで果たした。僕はもう帰る。お前も元気でな』」
「え?」
リゼットが思わず聞き返した。誰だってそうなる。だって、今の今まで駆け落ちしようと話してた男が、こんなことを急に言いだしたのだから。
「アンは驚いて『今なんて言ったの?』男は『おまえのおかげで宝が手に入った。もうお前に用はない』」
くらくらしてきた。こいつの何が怖いかって、自分が悪いなんて、微塵も思っていないってことだよな。何しろ、あのルビーに反応しなかったくらいだ。
「そうして、デジールは呆然とするアンに背を向けた。アンは『私を騙したの?駆け落ちするんじゃなかったの?愛してたんじゃなかったの?』と尋ねると『君はエルフだ』とだけ返ってきたそうだ。アンがたまらず泣き出すと、『君の涙はルビーにならないからね』」
だから何だ。ききしにまさるクズ男だ。こういう奴は殺した方がいい。あ、もう死んでるか。
「そうして、気づくと、護身用に持っていたナイフで、立ち去ろうとする男の背を刺したそうだ。背中を刺され、逃げ惑う男の腹部にもう一刺し。あとは、目についた場所全てに、何度も、何度も。気が付くと、男は死んでいたそうだ」
何ともやりきれない話だ。いくら殺人とはいえ、俺は、アン王女に同情するね。
「そうしてアンは、最初、自分も死のうとしたが、できなかったそうだ。エルフの里に戻ろうかとも思ったが、とても戻れなかったそうだ。こんな形で男に裏切られた自分、愛した男を殺してしまった自分を、母親に知られたくなかったとな。それに、彼女にはもう一つ、母親に知られてはいけない事実があった」
「なんですか、それは」
エディの質問に、パヌルゴスは何も言わずに首を振った。こればかりは話せないということか。
「だが、エルフの宝である≪夢見るルビー≫は返さなくてはいけない。だから、地底湖に置いた。偽りの遺書を添えて。ここはエルフたちがよく来る場所でもあったから、そのうち誰かが見つけてくれるだろうと思っていたんだろう。運悪く、それからすぐ魔物がここに入り込んだせいで、エルフが来ることはなくなったが。彼女は旅に出た。そうして、いつしか人間が決して来れない場所へ足を踏み入れた。そこで今の主に迎え入れられ、仕えることにした」
「では、なぜ今更ナイフを?」
「最近になって思い出したそうだ。ノアニールの一件を、風の便りで偶然聞いてしまったらしくてな。初めてアンは、あの湖が現在魔物に乗っ取られて入れないことを知った。自分のせいで、無関係な町一つが呪われたままでいることに、酷く気が咎めたらしい」
無関係、か。俺は小さくため息をついた。まあ、確かに無関係なんだろうな。だが、もとはといえば、デジールの性根をああまで歪めたのは、町民からの差別だった可能性はないだろうか。町の住民があの家族を受け入れていれば、あそこまで、デジールは宝に固執しなかったのではないだろうか。そうすれば、純粋な気持ちを利用された挙句踏みにじられた、かわいそうなエルフはいなかったんじゃないだろうか。
もちろん、どんな事情があったにしろ、奴がやらかした裏切りを正当化することはできない。だがなあ。
因果応報というには、あまりにでかい代償だが、俺には、女王がノアニールの町を呪ったのも、あながち的外れじゃない気がしてしまったのだ。
オペリオルは、エディが持ってきた銀のロザリオを見て、感極まったように泣き出した。
「これは息子の。妻が、息子に譲ったものです。妻は、息子が行方知らずになってから、すぐに心労で倒れ、この世を去りました」
「息子さんは、エルフの王女と恋に落ち、思い余って、二人で地底湖に身を投げたのです。遺書が見つかりました」
結局、俺たちは、この哀れな老人に真実を告げなかった。
エルフの女王さんにもだが、この話をしたところで、意味はないからだ。女王の方には、娘が生きていることだけは伝えてやりたい気はするが、アン王女の方が、未だ拒絶しているらしい。それは冷たい気もしたが、エルフの二十年はあっという間だ。アン王女の心の傷は、未だ癒えていないのかもしれない。そして、所詮他人の俺たちには、これ以上母娘の問題に立ち入る権利はない。
「そうですか、デジールは、その娘さんと」
俺は、老人の濁った瞳に、微かに安堵の色が浮かぶのを確かに見た。彼も気づいていたのだ、息子の恐ろしさを。だからこそ、息子が命を捨ててもいいと思える相手と心中した事実は、彼が想定していた事実より、遥かにましだったのだろう。
俺たちは渡された目覚めの粉を撒いた。路上で眠っていた人々が、ゆっくりと起き上がる。
「あれ?どうして私は道で……?」
「ふわあ、何だかよく寝ていたような?」
この先、この人たちは、自分たちが二十年も眠っていたことを知るのだろう。オペリオル爺さんは、自分が責任もって説明すると言っていたが、どうなるかな。俺たちも、ロマリアに報告はするが。
「行きましょう、セト。私たちにできることは、もうありませんよ」
エディの後ろから、パヌルゴスがひょっこり顔を出した。
「儂はもうしばらくノアニールにいるよ。オペリオルが心配だからの。お前さんたち、今回はようやってくれた。本当にありがとう」
こいつは、恐らく俺たちの力量を見極めようとしたのだろう。あの洞窟の魔物は、そこそこ凶悪だった。それらを倒し、真実を見つけることができるか、それを試したのだ。そのこいつがこう言うからには、俺たちは、勇者の仲間として及第点をもらうことはできたのだろうか。
「これから、どうなるのでしょうね」
カザーブへの帰り道、リゼットがぽつりと呟いた。
「さあな。俺にはわからん」
わからないことだらけだ、何もかも。大体、俺は、生まれつき頭の出来が良くないんだ。