バハラタは巨大な都市だ。
ダーマとアッサラームのちょうど中間地点。中央には大きな川があり、アリアハンやランシールへと続く海も近い。まさに交通の要衝である。
サハクは「大きな仕事がある」と、ついた早々に分かれた。もともと護衛という目的で同行しただけなので、問題はない。
「そういえば、黒胡椒を探しているんだっけ?この辺りで黒胡椒を扱う店はピンからキリまである。だが、一番の高級店はやはり〈ナラダール〉だろうな。黒胡椒のみならず、白胡椒、赤胡椒、青胡椒と数多くあるし、他の香辛料も取り扱っているぞ。ついでに、その近くの宿屋は食堂含めてかなりお勧めだ。丁寧で温かみがあり、馬の世話もよくしてくれる。これを持って行きな」
彼はそう言って、荷物の中からターバンを出してくれた。小さなガラス石が中央についている以外は、何の変哲もないターバンだ。
「この中央の石は、俺の店独自の細工がされている。あの宿屋は懇意にしているから、俺の名前と一緒にこれを見せれば、よくしてくれるだろう」
ありがたくターバンは頂き、わたしが頭に巻いた。セトたちには似合わないと笑われたが、結構気に入っている。
わたしたちは彼に礼を言い、言われた宿屋に向かうことにした。
宿は掃除が行き届いているのか、埃一つない。よく磨かれた、ぴかぴかの窓から見えるこじんまりとした庭には、鮮やかなハーブがいくつか植えられており、目にも優しい。家具の一つ一つも、優しい色合いをベースにした、居心地のいいものが多い。派手さはないが、リラックスできる、気持ちの良い空間だ。なるほど、大商人が薦めるだけあって、いい宿だ。
宿のカウンターにいた男は、わたしの頭に巻かれたターバンを見るや否や、飛び上がるほど驚いていた。
もう日は暮れているし、店は明日に行っても遅くはない。
ちょうど夕食時だったので、宿をとるついでに食事も頼んだが、そこでも、店員の対応が驚くほど丁寧だったので、サハクの影響は相当なものだったのだろう。
「これ、すごくおいしいです」
香辛料がたっぷり入った煮込み料理を食べながら、リゼットが満面の笑みを浮かべた。クセは強いが、確かに美味だ。あまり肉料理は取り扱ってないらしく野菜がほとんどだが、どれもなかなかにボリュームがある。
こういう時、少し羨ましくなる。わたしの国は、世界に誇る文化を多く持っていると言えるが、こと食に関しては、他の国から揶揄されるほど乏しい。
アリアハンに来た時もそう思ったが、いざ旅に出てそう思うことが多くなった。
まあ食文化の話は置いておく。
あてがわれた部屋は広々としていた。
物珍しくも美味な料理に満足したわたしたちだが、一方で、馬小屋に繋いだシトラスとケラソスまで、ずいぶん満足していたようだ。
わたしたちが蹄の点検や、ブラッシングに来た時には、既に宿の従業員たちの手によって、念入りなブラッシングと、蹄の掃除、新鮮な飼葉やニンジンをたっぷり与えられたそうで、えらく機嫌がよかった。
ルーラでアッサラームについた時は、あの乾いた大地と、至る所に敷き詰められている砂に、不満そうに鼻を鳴らしていたのが嘘のようだ。
ソートとメモリーは宿のごちそうに使った鶏のおすそ分けをもらったらしく、これまた機嫌よく馬の番を買って出ている。いつもは自分たちの食い扶持はきっちり狩っている彼らだが、今日の鶏は大層気に入ったらしい。
つまりその夜、わたしたちは久しぶりに、実に満ち足りた時間を過ごした。すぐ近くで、とんでもないことが起こっているなど、夢にも思わずに。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「おい、とんでもないことが起きたらしいぞ」
朝食の席で、セトが私に囁いた。
「大変なこと?」
「さっき、俺とイオリが朝の稽古をしていた時に聞いたんだが」
彼はそこまで言って、一層声を潜めた。
「この近くの大富豪が、昨夜に殺されたらしい」
大富豪と聞いて、浮かぶのは昨日まで一緒にいた男だ。けれど、セトが聞いた名前は、サハクではなかったらしい。
「もっと長ったらしい名前だったな。
「そうなると、やっぱり怨恨なのか」
この地方独特の、ミルクで煮出した紅茶を啜りながらアギレが呟く。知り合いじゃないとわかった途端、薄情なものだが、やはり興味がないとは言えないのだ。
「怨恨だと思うな。噂では、体中、バラバラに切り刻まれていたそうだ」
それはさすがに尾ひれがついているのではないだろうか。何にしろ、相手が魔物ではなく人間なら、気の毒ではあるが、わたしたちには関係がない。
「その辺にしておけ。俺たちとは関係ない話だ。下手人を追うのは、役人の仕事だ」
尤もだ。わたしたちにはわたしたちの仕事がある。
「それがなあ。噂では、やったのはカンダタの一味らしいぞ」
その一言で、一同の手が止まった。何しろ、カンダタとは、一度遭遇したことがある。わたしはいなかったが、アデル、アギレ、ジルダ、イオリは一戦交えているのだ。
「マジか?あのおっさんはそうそうコロシなんかしないだろ」
「そうでしょ。自分でも義賊気取ってたじゃない」
アギレとジルダが言ったところで、給仕係の女性が「おや」と声をかけた。年は四十半ばくらいか。昨日も、この女性が給仕をしてくれたのだ。愛想のいい、話好きな女性だ。
「お客さんがた、カンダタを知ってなさるかね」
「ああ、まあ。あの盗賊は、ロマリアに出てたからね」
「お客さん方はロマリアから来なさったか。西から来られたんだろうとは思ってましたが」
彼女がジルダの金髪を見ながら何度か頷いた。彼女はポルトガ出身なのだが。この地域は濃い色合いの髪の持ち主が多い。ジルダのような髪は珍しいのだろう。
「そういえば、あの野郎はロマリアに渡っておりましたね。西側でも悪さばかりして、ご迷惑をおかけしておるとと噂は聞きました」
どうも、先ほどから彼女の口調を聞く限り、カンダタにいい印象を抱いてはいないようだ。
今までも、カンダタの噂は聞いてはいたが、過去は確かに大悪党ではあったが、今は改心して、あくどい商売をしている者からしか奪わない、奪った宝を貧しいものに配ることすらある等、そこまで露骨に嫌悪感を示すものは少なかった。
「あの野郎はここ最近義賊を気取ってはおりますが、昔は札付きの悪党でございましてねえ。進んでコロシこそしないものの、窃盗だけでなく人攫いなんてこともしてたんですよ。攫った人間を、売り飛ばすんですわ。それを今更義賊だなんてねえ、笑っちまうじゃありませんか」
憤慨したようなその口調には、明らかにカンダタへの憎しみと侮蔑が見え隠れしていた。
何にしろ、アギレの言う通り、犯人がたとえカンダタであろうとも、わたしたちができることは何もない。
……はずだった。
〈ナラダール〉は、胡椒屋というより、高級な旅籠のような外観だった。香辛料一つでここまでと一瞬思ったが、美味なだけでなく、抗菌、防腐作用のある胡椒は、ポルトガのみならず、ロマリアでも、わたしの故郷エジンベアでも貴重である。できれば栽培したいところだが、どうも風土や気候が合わないらしく、あちらではあまり実らないのだ。
宿の女性から教えてもらったのだが、胡椒には多くの種類がある。てっきり別の木になる実だと思っていたが、収穫したものの処理で変わるのだそうだ。この辺りは、紅茶と少し似ている。
白胡椒は熟した実を発酵させ、皮を取り除いたもので、青胡椒は未成熟の実。
ポルトガ王ご所望の黒胡椒は、未熟な実を乾燥させたものなのだ。
そこまで予備知識を入れてやってきたというのに、肝心の店が閉まっている。
定休日なのかと思ったら、臨時休業だとか。まったくついていない。
「何のご用でしょうか」
私たちが店の前で呆然としていると、御用聞きの少年が、胡散臭そうに話しかけた。今いるのはわたしとアデルとアギレだ。わたしもアデルも、街中なので鎧こそ着ていないが、腰に剣を帯びている。あまりいい印象は与えられないだろう。
「申し訳ない。実は黒胡椒を大量に用立てて頂きたく、こちらにやってきたのですが、どうやら休みのようですね」
やっていないものは仕方がない。サハクのお墨付きなのでここを選んだわけだが、別に店は一つというわけではない。
それだけ言って立ち去ろうとしたが、なぜか少年はわたしたちを値踏みするように眺めている。
そういえば、昨夜は殺人事件もあったところだ。武装したよそ者に、どんな感情を抱くかは、深く考えなくてもわかる。
厄介ごとに巻き込まれないうちに離れようと思ったところで、屋敷の中から、何やら争う声がした。
「マサラ!グプタを止めてくれ!」
少ししわがれた声がしたと思ったら、いきなり馬に乗った若者が店から飛び出してきた。一瞬しか見えなかったが、なかなかにいい馬だ。ここの一人息子だろうか?さすが高級店だけあって、持っている馬も上等なのか。
青年はわたしたちに気付いたようだが、すぐに睨むように前を向き、馬の腹を蹴った。
あっという間に遠くなっていく馬の背を見ていると、今にも泣きだしそうな老人が走ってきた。
「マサラ!どうして止めなかった。おお、グプタが……」
「旦那様、無茶言わないで下さいよ。走る馬を止められるわけないじゃないですか」
ご尤もだ。ふと横を見ると、アギレが目配せしている。宿のある方向へ微かに顎を向け、戻ろうと促しているようだ。私も同意見だ。何となくだが、嫌な予感がする。厄介ごとに巻き込まれるような。
「旅の方!」
背後から先ほどの老人の声がした。
「あんたがたは強そうじゃな」
……少し、遅かったらしい。