老人はこの店の主人で、名をシッキムという。
彼の話をまとめると、昨夜から彼の孫娘のタニアがいなくなっている。夜に床に就くときは確かにいたはずなのに、だ。そして、彼女の消えた部屋には、ある物が置かれていた。
何かのマークが縫い込まれたワッペン。驚くことに、これこそがカンダタ一団の証らしい。そんな大層なものを作っていたのかと、少し呆れる。
「ということは、誘拐か」
アギレの顔はどうも険しい。腑に落ちないといった表情だ。確かに、過去がどうであれ、今は義賊気取りのカンダタが、こんなことをするだろうか。たとえこの、いかにも誠実そうな老人が、実は堅気ではなかったとしても、少なくともうら若い孫娘に何かするとは思えない。
何より、カンダタは二年前に引退しているのだ。ロマリアと同じく、恐らくは残党の暴走だろう。
この辺りで、嫌な予感が的中というか、やはりというか、シッキムから、床に額をこすりつけんばかりに懇願された。
「突然こんなことをお頼みするのは不躾であるとは百も承知ですが、どうか、先ほど飛び出したグプタを引き止め、連れ戻してはくれませんでしょうか!」
「いや、しかしそれは」
役人の仕事だろう、と思ったが、役人の多くは昨夜の殺人事件で出回っている。しかも、相手がカンダタ一味とくれば、少人数でなど無理に決まっている。だからといって、見ず知らずのわたしたちに頼むものだろうか。
「商人たちの中では聞き及んでおります。オルテガ殿のお子であるアデル様のご活躍は」
わたしは思わず隣のアデルをまじまじと見た。よくよく考えれば、ロマリアでは、わたしたちはそれなりに働いたのだ。アリアハンとロマリアの、閉鎖された関所を開け、ポルトガとロマリアの関所も開け、ロマリアで暴れていたカンダタ一味を退治し(半分はカンダタがやったのだが)……情報を大事にしている商人たちは耳も早い。
私たちが不用意に宿屋でアデルを呼んでいたことは、当然宿側も知っていただろう。サハクから何か聞いていたのかもしれない。
そのアデルは、先ほどから黙ったまま、手元の紙に何か書きつけている。
「馬を、借りても?」
ようやく彼女が、静かに口を開いた時、アギレは既に大きなため息をもらしながらも、どこか諦めたようだった。
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そういうわけで、わたしとアギレ、アデルはシッキム老が用意してくれた馬に乗り込み、グプタを追いかけている。案内人に、先ほどの少年マサラがついてくることになった。
わたしたちの目的はあくまで〈グプタを止め、連れ戻す〉ことである。緊急性があるために、すぐさま向かうことにした。宿にいるセトたちには何も知らせていない。だが、彼らには伝わっている……はずだ。
一旦宿に戻り、仲間たちと行こうと主張するわたしと、それでは間に合わないかもしれないと主張するシッキムのやり取りを見ていたアデルが、すっと口笛を吹いた。
わずか数秒の後、ソートとメモリーが飛んできた。二羽とももう成熟している。
ただの鴉にしては、異様に大きいその姿に一瞬シッキムはぎょっとしたが、何しろ勇者が親しげに彼らを腕に止まらせているのもあり、何も言わなかった。
「ソート、みんなにこれを頼む」
アデルはソートの足に先ほど書いたメモを括りつけると、ソートが勢いよく飛び上がった。
どうやら、連絡係を引き受けてくれたようだ。
これはありがたい。何しろ、わたしたちは最低限の武器を持っているだけで、何の準備もできていないのだから。
「カンダタ一味のアジトを知っているのか」
「この辺りでは知らない者はいませんよ。昔は役人たちももっと警戒してたんですけど、最近は目に余るような悪さをしていなかったので、あまり気に留めてなかったみたいです」
怠慢に聞こえるが、確かにカンダタの存在は、ある意味利点も大きい。カンダタたちが睨みを利かせていれば、他の盗賊団がこの地域を狙いにくいからだ。まさに毒を以て毒を制するわけだ。しかし、カンダタ一人が引退した途端にこの有様とは。
マサラは、アデルの後ろに乗り込んでいる。まだ十二歳の小柄な少年が一人乗ったくらいでは、馬の速度も落ちないらしく、さきほどからかなりのスピードが出ている。
「そういえば、攫われたのは孫娘だったな。あのグプタというのは、兄貴か何かか」
「いえ、グプタさんは、うちの番頭です。真面目で、きつい仕事にも嫌な顔一つせず、それでいて、仕事ぶりはきっちりした人で、ご主人が相当に気に入ってたんですよ。それで、ここ最近タニアさんの婿にという話が出て」
なるほど、彼は入り婿なのか。それにしても、いくら婚約者とはいえ、役人も尻込みする盗賊団のアジトへ単身乗り込もうだなんて、無茶にもほどがある。
良く言えば勇気がある。悪く言えば、向こう見ずな馬鹿。余計なお世話だが、そんな人間が、経営を任されてやっていけるのだろうか。
カンダタのアジトは、それほど離れてはいなかった。
借りた馬が優秀なのもあったが、飛ばせば半刻もあればたどり着く場所にそれはあった。
ロマリアにあったという、シャンパーニの塔と違い、それは古い遺跡だった。
遥か古代、洞穴を加工し、作り上げた石窟だが、今では誰も使わないために、盗賊が棲み付いたらしい。何とももったいない話だ。ところどころ、われわれが知らない、古代の神と思しき彫刻のようなものも掘られており、歴史的価値はかなり高そうだ。
私たちが馬の足を緩めたところで、男たちの怒号が聞こえた。すぐ近くだ。
アデルが猫のような身のこなしで素早く馬から飛び降り、音もなく、声のした方へ走り出した。
アギレもまた馬から降り、アデルに続く。わたしは取り残されたマサラを下ろしてやり、静かにするよう合図を送りつつ、不穏な空気に騒ぎ出す馬をなだめつつ、アデルたちを追った。
どうやら、間に合ったようだ。
グプタを、三人の男たちが取り囲んでいる。グプタの馬は奪われたのか、一人が手綱を握っている。グプタの上着は既になく、身に着けていた貴金属も取り上げられていた。彼の顔には殴られた青あざができ、唇は着れて真っ赤な血が石の床に垂れている。
高級店の番頭ともあれば、衣服にもそれなりに気を遣う。それを巻き上げられているらしい。まさに身ぐるみ剥いでいるところか。
アデルはそのまま走り、グプタに気を取られて未だこちらに気づいていない男の一人を、後ろから、剣の柄で殴りつけた。
ぎょっとした様子のもう一人に、続けざまに足払いをかけ、転倒させる。男が顔を上げた時には、既にいつの間にか抜き放った剣を喉元に突き付けていた。
「な、何だお前ら!」
馬の傍にいた盗賊が叫んだが、そちらの方は、アギレが後ろから殴りつけ、昏倒させた。
そのまま、いつも身に着けている革袋からロープを取り出し、三人を手際よく縛り上げた。いつも思うが、あの小さな革袋にどうやってこんな長いロープを仕込んでいられるのだろう。
「大丈夫ですか、グプタさん」
わたしの後ろでおっかなびっくり一部始終を見ていたマサラだったが、グプタのうめき声に、慌てて駆け寄った。
「マ、マサラ?どうしてここに……」
「ご主人がこの人たちに頼んだんです。グプタさんを止めるようにって。グプタさん、一人じゃ無理ですよ」
「グプタさん、ですね」
グプタに手を差し伸べながら、アデルが言った。
「シッキムさんに頼まれました。あなたを止め、連れ帰るようにと」
その言葉に、グプタの目に怒りの色が浮かんだ。わからなくはない。彼からすれば、婚約者を見捨てて帰って来いと言われているに等しい。
「冗談じゃない。僕は絶対に帰らない。タニアを連れ戻すまでは!」
「けどなあ。攫われた娘さんは、今のところ無事だろうよ。大事な人質だ。早々傷物にしやしないさ」
「あんたたちは何も知らないんだ!カンダタがどれほど残忍か!」
そこまで言って、彼は一瞬吐き気を堪えるように顔を歪めた。
「十年ほど前だ。僕の友達が、カンダタ一味に誘拐された。その子の親が金持ちだったから、狙われたんだ。金や貴金属や証文なんかをあいつらは盗み、最後には僕の友達も攫った。その子の死体が見つかったのは、一か月後だ。酷い有り様で……あいつらはそういうことを平気でする人種なんだ。タニアを傷つけないなんて、信じられない!」
「その娘さんは気の毒だったがな。そうは言っても、現実問題、あんたはこの人数の盗賊、しかも三下相手にこのざまだろうが」
三下、と呼ばれた盗賊が、アギレを睨みつける。しかし、残る二人が気絶したこの状況では、睨むだけが精いっぱいだろう。
「おまけにこの遺跡、どうやら地下に繋がっているようだ」
「地下となると……」
アギレの持つ盗賊特有の特技である〈鷹の目〉が使えない状況である。あれは屋外でないと使えないのだ。
そして、内部はどうなっているのか、こちらは全くわからないのだ。どんな罠があるかもしれない場所に、何の前準備もなく入るのは自殺行為である。
「ま、とりあえずは」
アギレは縛り上げた盗賊の前に立ち、気を失っている一人の前にしゃがみ込んだ(気絶していた男は二人いたが、もう一人は、アギレの気配に目を覚ましていた)。
何の前触れもないまま、ごく当然のように、アギレが男を殴りつけた。拳で。
鈍い音に、マサラとグプタが同時に身を強張らせた。
「な、何だ?」
殴られた盗賊は、目が覚めたのか、呆けたような声を上げたが、すぐに自分が縛られているというこの状況、仲間も同じように縛られている事態、そして、今自分を殴った男が、酷薄な笑みを浮かべておもむろにナイフを取り出していることに気が付いた。
「な、何だ!?何だっていうんだ、あんた……」
「これからいくつか質問する。時間がないからさっさと答えろ。あそこにある遺跡は、お前たちのアジトか」
「ああ?何だってそんな……」
言い終わる前に、アギレがもう一度殴った。さっきより大きい音がした。床に、男の歯が落ちる、硬い音がした。
グプタが息を呑むのがわかった。アデルは表情一つ変えず、残る二人に目を光らせている。
「さっさと訊かれたことに答えろ」
「そ、そうだ……」
「アデル」
アギレが振り向きもしないままにアデルに声をかける。アデルはゆっくり頷き、もう一人の盗賊を、少し離れた場所まで引きずり始めた。
「お、おい!いったいどこへ連れていく気だ!?」
「しばらく頼む、エディ」
「心得ましたよ」
わたしは剣を抜くと、一人怯えている盗賊に剣を向け、震えているマサラに上着をかけて、その視界を塞いでやった。
盗賊を離したのは、示し合わせないようにするためだ。それぞれ尋問をし、できるだけ正確な情報を得る。もし、二人の言っていることに食い違いがあれば……。
「ちゃんと答えろよ。後で答え合わせのお時間があるからな。お前たちの仲間は何人だ」
「十人くらいだ」
「くらい?」
またしても殴る音がする。グプタが目を逸らすのを、わたしは許さなかった。婚約者を助けるために、死をも辞さないその覚悟は素晴らしいが、この程度の暴力すら見られないとあれば、その覚悟もただのはったりにすぎない。
「十五人だ……」
「中の構造はどうなっている?」
「中は、中は迷宮のようだ。広いし、古くて危険だから、俺も全部は知らない。ほ、本当だ。同じような部屋が続く造りになっていて、迷ったら出てこれない。普段は、松明の置かれているところだけしかいかないようにしている」
「ふむ。部屋が続く形式というのは、割とロマリアではあるタイプですね。大きさに違いがあるのが普通ですが」
偶然なのか、それとも、西の影響がどこかにあるのかはわからない。それとも、侵入者の目をくらませるためだろうか。
「お前たちのボスの名前は?」
「カンダタだ!」
その瞬間、男から、赤い何か飛び出て、床を濡らした。ついで、つんざくような悲鳴も。へたり込んでいたグプタの足元に、腸詰のような野太い指が落ちてきたのは、その時だった。
「カンダタが引退したことは知っている。次は目玉をくり抜くぞ」
男の指を切り落としたアギレは、そう言って無造作にナイフについた血を振り落した。
「もう一度訊く。今の頭目は誰だ」
「カ、カルマン様……いや、カルマン、だ」
男は、すっかり震え上がっている。ここまで冷静に指を切り落とされるとは、思ってもいなかったようだ。
「カルマン?初めて聞く名前だ」
アギレが首を傾げながらなおも問う。
「なぜ〈ナラダール〉の店主の孫娘を攫った」
お前たちが攫ったのか、とは、彼は訊かなかった。
「カ、カルマンの命令だ。なぜかまでは知らない。俺たちは……」
そこまで言いかけ、男は一瞬口ごもった。しかし、アギレのナイフに一瞬視線を向け、すぐに口を開いた。
「カルマンはあの娘にやけにこだわっていた。絶対に殺さずに攫ってこいと」
少し気になる。あんな豪邸に忍び込み、いくら寝込みとはいえ人を一人、傷つけることなく攫うなど、できるだろうか。いや、あるいは……。
そして、そうまでして攫った目的がわからない。普通なら、裕福な家の娘を攫えば、身代金を要求するはずだ。
「娘はあの中か」
「そ、そうだ。昨夜のうちに運んできた」
その時、アデルが傷だらけの盗賊を引きずりながらやってきた。
「どうだったアデル」
「大体は訊きだした。本当のことかどうかは知らないが」
「お、俺は嘘なんかついてねえよ!」
アデルが尋問した盗賊が、恐怖に顔を引き攣らせながら叫んだ。顔に大きな火傷ができている。どうやら、それなりに
「タニア嬢が、ここにいるのは確かなようだ。けど、さすがにこの状況では不利だな」
「もともと、俺たちが受けた依頼は、この兄さんを連れ戻すことだからな」
その時、放心していたグプタが弾かれたように顔を上げた。
「だ、駄目だ!ここまで来てタニアを見捨てて逃げられるものか!タニアはすぐ近くにいるんだ!あなたは勇者なんだろう!?僕一人ではどうしようもないのはよくわかった。恥を忍んで頼みます。どうか、タニアを助けてください!」
そうなるとは思っていた。アギレは、またもや諦めにも似たため息をついた。私も似たような顔をしていたに違いない。アデルにとって、〈勇者〉というのがどんな意味をもたらすのか。
これだから、何も知らない人間は困るのだ。いとも簡単に口にしてくれる。
おかげで、アデルは何があってもあの中に突入するだろう。