勇者アデルとその仲間たち   作:うばたま

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エディアールの手帳8

 「昔、バハラタの町に一組の夫婦がいた。夫婦仲はよく、誰もが羨む仲睦まじい夫婦だった。共に年を取っていこうと、そう誓い合った二人だった。

 夫は金貸しを営んでいた。というとあまりいい印象は持たれないだろうが、高利貸しをしていたわけじゃない。ごく一般的な金貸しだった。

 金を貸して欲しい奴がいれば金を貸す。もちろん相応の利息は取るし、担保は確保する。だが、それは当然のことだ。それが商売だし、黙って踏み倒されるわけにもいかないからな。何が言いたいかというと、夫婦の経営は至極まっとうで、誰に恥じるようなこともなかったということだ。

 まじめに働いていた夫婦に、ある日子供ができた。妻の方はもともと体があまり丈夫ではなく、出産に耐えられるか男は心配したが、妻は絶対に産むと決めていた。難産だった。苦しみつつ、妻は命と引き換えに子を産んだ。産まれた子は、かわいらしい女の子だった。男は父親となった。

 妻は、男に先に逝くことを詫び、娘をどうか頼むと言い残し、息を引き取った。

 最愛の伴侶を失った男は深く嘆いたが、妻の言葉を命を賭けて守ると決意した。男は、娘のためにより一層働いた。金貸しのみならず、質屋も行った。この仕事のおかげで目が肥え、より一層店は繁盛した。

 ある日、とある宿屋の主人が融資を願い出た。その宿屋は小さく、古く、従業員の給料さえまともに出せないほど逼迫していた。まず貸さない方がいい類だな。だが、男は受け入れた。主人の人柄、その誠実さを買ったからだ。主人は涙を浮かべつつ感謝した。他の金貸しには鼻で笑われ、中には叩きだし、塩をまかれたこともあったそうだ。

 その後、宿は奇跡的に持ち直し、金はもちろん相応の利息分も含めて戻ってきた。宿の主人はこの時の男への恩を、ずっと忘れることはなかった。

 その宿?今は持ち直しただけじゃなく、バハラタ随一の大旅籠になっているぜ。主人の誠実な経営が、少しずつではあったが認められたんだろうな。主人も息子に店を譲り、優雅な隠居生活に入っている。今でも律儀に男へ義理立てているおかげで、男と縁がある人間には、ひときわ心のこもったもてなしをしてくれている」

 その宿とは、わたしたちが宿泊している宿のことか。道理でよくしてくれていたわけだ。

 「娘はすくすく育ち、十四歳になった。長じるにつれ、母親に似てくる娘が、男はかわいくてたまらなかった。

 絶世の美少女……とまではいかなかったが、愛嬌があって人懐っこい、明るく元気な子供で、誰からも好かれ、周囲からかわいがられていた。親の欲目もあっただろうが、男の自慢の娘だった。

 娘はある日、父親に好きな男ができたと告げた。将来その男と結婚したいと。男はいい気はしなかったが、まだ娘は若い。結果がいい方向へ行くか、悪い方向へ行くかはわからなかったが、娘の人生だ。心配しつつも見守ることにした。

 娘は父親の言葉を聞き、明日想い人に、気持ちを打ち明けようと決心した。しかしこういう時、娘ってのは女親の存在を恋しがるものだ。この家の一番大きく、立派な箱を開け、娘は物思いにふけった。

 その箱は、亡き母の形見の品々を入れている箱だった。大きく、人が一人入れるほどのサイズだった。彼女の若い頃のドレス、生まれる娘のために縫った産着、娘の名前候補を書いたノート、夫からもらった贈り物……。貧しい頃のものだったから、値打ちのつくものなんか、ほとんどありはしない。だが男と娘にとっては、なにものにも替え難い大事な宝だった。

 その日、家に盗人が入った。その盗人はなぜか家にある、ある物を盗んでいた。それは、この家と、ある一定の人物には、非常に大きな意味を持つものだった。それは、借金の証文だった。

 そして、盗人は、行きがけの駄賃とばかりに、部屋にある大きな宝箱に目を付けた。

 盗人は箱を手にし、まんまと盗み出した。しかし盗人は知らなかった。その箱の中には、この家の娘がいたことに。大きな箱に入り、母親の残り香に包まれると安心するため、娘はたまにそこで眠る癖があったのだ」

 サハクの語る話に、グプタが顔を青ざめさせた。

 「まさか、まさかあんたは……」

 だが、サハクは表情一つ変えずにつづけた。

 「娘が攫われたことに気付いた男は、嘆き悲しみ、そして怒った。一体誰が大切な、大切な妻の忘れ形見をかどわかしたのか?男は何としてでも娘を見つけようと、躍起になった。怪しいのは金を貸した奴らの中にいる。そう思った男は、長く勤めていた番頭に頼み、金を貸していた人物の元へ、奉公人を送り付けた。そして、逐一報告させた。

 しかし娘はなかなか見つからない。そして一か月が過ぎた。眠れない夜が続いた。仕事もほぼ番頭に任せ、男は血眼になって娘の行方を追った。

 だが、事件は最悪の結末を迎えた。

 バハラタの中央に流れる川。あそこで、娘の遺体が捨てられていたのだ。酷い有り様だった。やせ細った体はどこもあちこち傷だらけ、顔は酷く殴られており、無邪気な面影を残していなかった。明らかに乱暴された痕があり、その顔には、苦悶の表情が浮かんでいた。窺えるのは恐怖と屈辱。苦しんで死んだのは明白だった」

 ここで、サハクは一呼吸置いた。瞳を閉じ、軽く唇を震わせている。思い出し、湧き起る多くの感情を、無理やり押さえこんでいるかのように。誰も何も言わなかった。言うまでもなく、彼の語る〈男〉とはサハクのことだろう。そして。

 

 「男は気が狂うほど泣き叫んだ。いや、おそらくここで気が狂ったのだろう。妻の最後の頼みだったのに、結局娘の身を守ることはできなかったのだから。苦しみ、嘆き、娘の後を追おうかとすら考えた。

 そんな頃、奉公に出した一人が、ある情報を持ってきた。ある胡椒屋(・・・)で、妙な話を聞いたと」

 胡椒屋。グプタは口元を押さえたまま、カンダタを睨みつけている。

 「そこはある老人が経営している胡椒の老舗なのだが、経営が上手くいっていなかった。男はその老人に多くの金を貸していた。期限をだいぶ伸ばしてもやった。利息を少し負けてやることもした。老人の人柄を知っていたからだ。だが、店は全くうまくいかず、もはや打つ手はなかった。金を返せないなら、担保にしていた店の権利をもらうしかない。男も、内心気は進まなかったが、どうしようもない。その老人だけを見逃せば、今までの客たちは黙っていないだろうし、そもそも男の商売も成り立たない。これは、仕事なのだから。

 奉公人が言うには、ある日の晩、妙な客が現れたそうだ。老人は客を迎える用意はさせず、ひっそりとその男に会っていたらしい。体は大きく、目つきは鋭く、とても堅気には見えない粗野な男だったそうだ。そして老人は、その男を激しく叱責していた。会話の内容はこうだ。

 「なんてことをしたんだ」「あの家の人に、どれだけ世話になったか」「お前はあの家の娘さんがどんな目に遭ったか知っているのか」「母さんが聞いたら、どれだけ嘆くか」「どこまで親を失望させたら気が済むのか」「タニアにとって、やはりお前のような父親はいらない」なんてな」

 全員が、今度はカンダタを見た。まさか。

 老人とは、さきほどのシッキムだろう。そしてカンダタは、彼の息子だったのか。そういえば、もともとカンダタはバハラタ出身だったと聞く。だが、まさか。しかし、それならば、彼がタニア嬢を助けにここまで単身乗り込んできたことも、一応の説明はつく。

 「あんた、まさか、タニアの……父親……?嘘だ!タニアも親父さんも、そんなこと一度だって言わなかった!タニアの父親と母親は、タニアが生まれる前に流行り病で亡くなったと!」

 「嘘に決まってるじゃないか。まあ、小娘は本当に知らなかったようだったぞ」

 サハクはそう言いながら、ニヤリと、口元を歪めた。何か、楽しいことを思い出したかのように。タニア嬢に、彼は語ったのだろう。自分の父親が、稀代の大盗賊であり、多くの人間を泣かせてきた大悪党だと。

 「それを聞いて、男は悟った。カンダタは、あの老人の息子だ。盗賊となった奴は、どういった事情でかは知らんが、娘がいた。しかし娘は実家に預け、父親と名乗ることはなかった。その実家が、借金のカタに全てを失うと知り、動いたわけだ。事実、その店は借金を返さずに済んだことで、持ち直した。

 その疑惑を確かなものにするため、男は全てを投げうってでも、真実を知ろうとした。店を番頭に譲り、自分はただのチンピラを装い、カンダタに近づいた。幸い男は長年商売人をしていたため、金のうまい使い道を熟知している。この頃のカンダタ組は、ただのチンピラの集まりだった。だが、人が増えれば、それは組織となる。組織を維持するには、金が必要だ。

 男はただ盗むだけしか知らない奴らに、根気よく金の使い道を説き、どうやれば効率よく金が増えるのかを教え、知識と情報の強さを教えた。目利きの能力も一役買った。

 次第に組織内の男の地位は上がり、男は一目置かれるようになった。同時に、男は慎重に金を使いながら、古くからいる盗賊たちから、頭目の情報を引き出した」

 サハクの笑みはますます強くなっていく。これから何か、とてつもなく愉快なことが起きるというように。まるで、祭りを心待ちにする子供のようだった。憎悪の光を宿す瞳をのぞけば。固く握った拳から滴る血をのぞけば。

 「お前、盗んだ箱がガラクタしかないと知り、悪態をついたそうだな?『ガラクタしかねえじゃねえか!』と叫んで、あの箱を娘の前で壊したらしいな?

 お前にはガラクタだろうが、あれは俺たちにとって、かけがえのない宝だったんだ。そして、怯えて泣く娘を見て『仕方ない。金目の物がないならこいつを売るしかねえ。ちょうど、これくらいの女がいいって奴がいるからな』と言って、変態親父に売り飛ばしたらしいな。

 もともと人攫いをしていたお前には、造作もなかったか。家に帰してくれと必死で懇願する娘に『恨むならお前の親父を恨め。金貸しなんて、俺たち盗賊よりタチ悪い人種だぜ』と言ったらしいな。ろくに知ろうともせず、偏見だけで。

 そんなお前が、オルテガ殿との出会いがきっかけで義賊になった気でいるお前が、本当に滑稽でな。

 オルテガ殿は見抜いていたんだろうよ。お前が、死体にたかる蝿よりも汚い存在だということに。

 ……義賊?そんなわけないだろう。お前がどれほど義賊を気取ろうとも、引退しようとも、たとえどれだけの善行を積もうとも、お前の罪は一つも消えはしない!お前は今も昔も、ただの薄汚いゴミクズに過ぎないのさ!」

 ああ、アデルとリゼットをあちらに置いて正解だった。シアンがいなくて、本当によかった。

 こんなひどい話は、聞くに堪えない。できればわたしも聞きたくなかった。

 何一つ落ち度がないのに、そんな目に遭い、殺されたサハクの娘が哀れだった。

 父の存在を知りもしなかったのに、父親の罪を押し付けられたタニア嬢が気の毒でたまらなかった。

 復讐のために、堕ちるところまで堕ちたサハクが悲しかった。彼は、きっとごく普通の、真面目で誠実な、優しい父親だっただろうに。

 「ロマリアにいた奴らの一人、お前に手首を切り落とされた幹部が俺を頼ってきた時に聞いたぜ。お前、また〈勇者〉にふられたらしいな。そっちのお嬢さんにこき下ろされたらしいな。それを聞いて、どれほど気分がよかったか!そんな晴れやかな気分になったのは、五年前にオルテガ殿がお前をいらないと言い切った時以来だぜ。だからこそ、勇者様ご一行には申し訳ないが、お付き合いいただいたのよ。絶望に震えるお前を見せるには、最高の相手だと思ってな。おかげでいい気分だぜ!」

 「それじゃあ、あんたの復讐相手は、こいつと、娘さんを買った変態親父じゃないか。こんなやつ、さっさと殺していればよかったのに!なぜタニアを!」

 グプタが叫んだ。頬を伝う涙に、気づいていないようだ。恐らくだが、彼が先ほど語った友人こそ、サハクの娘だったのではないだろうか。そして、彼女の想い人だったのは……。もしそうなら、理屈ではなく、サハクがタニア嬢を憎む気が、わからないでもないのだ。

 「俺も最初はそうしようと思ったさ。だがな、ある日こいつが言っているのを聞いてしまったんだよ。『こんな因果な仕事をしていれば、恨みも買う。いつか殺されるなんてこともあるかもな。もうその覚悟はできている』と。それじゃあ駄目なんだよ。それじゃあ、こいつは苦しまない。俺と同じ、いや、それ以上の苦しみを味わってもらわないと、割に合わないじゃないか。

 変態親父の方は、昨日の晩に、始末しておいた。娘と同じ苦痛を味わってもらうために、ゆっくり、時間をかけて切り刻んでやったわ。あの男、今でも若い娘をいたぶるのが趣味でな。使用人にも、たとえ悲鳴が聞こえようと、けして寝室には入るなときつく言い付けてあったそうだ。まさか、それが裏目に出るとはなあ。最初は目を潰してやった。次は、指を一本ずつ切り落とした。出血で死なないよう、傷口は炙ってな。ヒイヒイ言ってたなあ。あまりにひどい死にざまだったから、朝から役人様も大忙しだったろうなあ」

 なるほど、今朝の殺人事件はこれだったのか。しかし、あの噂は、全く誇張されていなかったとは。

 「マサラに指示して、小娘の飲み物に眠り薬を入れさせた。娘が寝入ってる隙に、マサラの手引きで手下が侵入し、ここまで連れてきたわけだが、上手くいったもんだ。あの小娘、最初は何が起きたかわからないようだったな。それで、さっきの三人を紹介してやったのさ。しばらく女に飢えてたらしく、奴ら大喜びだったな。俺はちゃんと言ったんだぜ?『結婚を目前に控えた娘さんなんだから、お手柔らかにな』と。だがなぜだかあいつら、それ聞いて余計に興奮しちまってな。全く仕方がない奴らだ」

 カンダタが思わず腰の剣を抜いた。だが、すんでのところで思いとどまる。まだ、タニア嬢の行方がわからないからだ。今ここでこいつを殺してしまうのはまずい。

 「最初にやったのは、お嬢さんに潰されちまったあいつだったかな?いきなり突っ込んで、全く不躾な奴だった」

 グプタがサハクに飛びかかろうとしたのを、アギレが止めた。やめてくれ!とわたしは叫びたかった。こんなことは、聞きたくない。

 「気の毒になあ。あの小娘、身持ちがよかったんだな。まさか初めてとは思わなかった。奴も喜んでたぜ。何しろ生娘は初めてだったらしいからな。その後は、さっきの二人が順番にやってた。奴らがある程度満足したところで、教えてやったのよ。どうしてこんな目に遭わなきゃいけないのかってな。『恨むなら、お前の親父を恨め』ってな。おやあ?どこかで聞いた台詞だったかな。どういうことかわからないって顔してたから、全て教えてやったよ。お前の親父が誰なのかと。流行り病でくたばるようなタマじゃねえってな。絶望した顔してたから、慰めてやれと、他の男、お前たちも会ったろう?入り口にいた見張りの三人。奴らをあてがってやったよ」

 そう言って、サハクは壁に触れた。気づかなかったが、そこは仕掛けがあったようだ。同時に、カンダタの前にあった壁が動いた。中は隠し部屋だった。開いた瞬間、何ともすえた匂いがした。血と汗と精液がまざった、嫌な匂いだった。

 「タニア!」

 叫んだのはグプタだった。

 そこにいたのは……横たわる、見るも無残な女性の姿。服は何一つ身に着けておらず、顔は腫れ上がり、体中青あざだらけだった。男たちの欲望の犠牲になったのだと、一目でわかる有様だった。傍らに打ち捨てられた、切り裂かれた衣服が、酷く痛々しい。

 駆け寄ろうとするグプタを制したのはアギレだった。同時に、ジルダが走り出した。走りながら自分の上着を脱ぎ、それで彼女の裸身を隠してやった。

 タニアは目を開けていた。傍にきたジルダに気付き、わずかに視線を動かした。その時初めて、わたしは彼女がまだ生きているのだと知った。生きているのか、死んでいるのか見分けがつきにくい。もしかしたら、心の方は死んでいたのかもしれない。

 「タニアさん、だね?あたしはジルダ。あんたを助けに来たんだ。もうあんたを酷い目に遭わせる奴はいないからね」

 ジルダが優しい口調でそう言い、用心深く彼女の身を起こしてやった。わたしは、彼女の方に道具袋を投げた。中には、清潔な布と消毒用の酒、薬草の類が入っている。手渡してやれればいいが、男であるわたしが今近づくのは、タニア嬢の心の負担になりそうだった。

 ジルダはそれを横目で確認し、そっと掴んだ。

 「タニア」

 ジルダに、顔の汚れを拭いてもらっていたタニアが、サハクの声に身を強張らせた。無感情な瞳に、恐怖だけが宿った。それは、初めて見る彼女の感情の発露だった。

 「お前の親父がいるぞ、お前の父親カンダタが。お前がこんな目に遭ったのも、全てはこいつのせいだ!」

 「貴様!」

 カンダタが、懐から短剣を抜く。

 タニアが、ゆっくりと顔を上げた。カンダタの方へ顔を向ける。

 「よく見ろ!お前の親父だよ!生まれたばかりのお前を捨て、俺の娘を殺した男が!そのせいで、お前はこんな目に遭ったんだぜ!」

 タニアの両目が大きく見開かれた。黒い瞳に映るのは、まぎれもない憎悪と軽蔑だった。

 「あああああああ!」

 獣じみた叫び声を上げ、彼女がカンダタを指さした。

 「お前のせいだ!お前の!お前のせいで!どうして生きてるの!どうして!お前のせいでこんな、こんな……うわあああああ!お前が父親なわけない!死ね死ね!お前なんか死んでしまえ!」

 声も嗄れよとばかりの、悲痛な叫び声だった。ジルダは何かを堪えるように唇を噛みしめ、彼女の肩を静かに抱きしめた。

 カンダタは、蒼白な顔でしばし、己を罵倒する娘を呆然と眺めていた。タニアは泣き叫びながら、狂ったように暴れはじめた。ジルダが、彼女を抱きしめる力を強めるのがわかった。

 その瞬間、打ちのめされたカンダタの瞳から、涙が零れ落ちた。それで堰を切ったかのように、彼は声を上げて泣き始めた。うおおおんと、とても大人の男が出すようなものとは思えない、子供のような声で。

 「やった!とうとうやったぞ!これだこの顔だ、この顔が見たかった!十年間、これを見るためだけに、俺は生きてきたんだ!やった!あっはっははははは!」

 サハクは、気が狂ったように笑い出した。いや、さっき本人が言っていたように、彼はとっくの昔に狂っていたのだろう。

 それはまるで地獄絵図だった。泣きわめくカンダタと、暴れるタニア。狂ったように笑うサハク。それを打ち破ったのは、カンダタだった。

 「うおおおお!」

 握っていた剣を振り上げ、涙を流したままカンダタは、なおも笑い続けるサハクを真一文字に斬りつけた。それは、一瞬の出来事だった。

 血を噴き出しつつ、サハクは倒れた。満面の笑みを浮かべたまま、彼は絶命した。

 彼の復讐は終わったのだ。

 「勝ち逃げ、されたな……」

 血溜まりを眺めながら、アギレがそう呟いた。

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