勇者アデルとその仲間たち   作:うばたま

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エディアールの手帳9

 まさか、あの時とったマタンゴが役に立つとは思わなかった。

 馬車の中で、泥のように眠るタニア嬢を横目に、わたしは思った。

 マタンゴの傘を乾燥させて、粉末状にしたものは、眠り薬になる。香りは少々甘いが、無味なので、水に溶かして簡単に飲める。

 あの後興奮するタニア嬢に何とか飲ませ、眠らせたのだ。そうしないと、暴れて、自分を傷つけてしまいそうだったから。

 眠るタニアをマントで包み、グプタが抱きかかえ、わたしたちはアジトを出た。

 倒れている盗賊たち、死んでいる者もいれば、気を失っている者もいる。それらはカンダタが引き受けた。おそらく、彼らは生きてここから出られまい。だが、タニア嬢の様子を見たわたしからすれば、それは些末な問題だ。

 「お前、タニアを家に送らないのか」

 カンダタにそう言ったのは、アデルだった。

 「話はある程度聞いた。タニアがこんな目に遭ったのは、全てお前のせいだ。そんな彼女を家に送り届けるのさえ人任せにして、逃げるのか」

 「……アデル」

 セトが、諌めるように彼女の名を呼んだ。

 これはきつい。カンダタがどれほど厚顔無恥だろうと、あの直後に、タニアの顔をまっすぐに見ることなどできはしないだろう。

 アデルは、彼女にしては珍しいこと、いや、わたしが知る限り初めてだが、ひょっとして怒っているのだろうか。表情一つ変えないから気づかなかったが。

 「……すまないが、頼む」

 カンダタはそれだけ言い、わたしたちに、深々と頭を下げた。この男が誰かに頭を下げるなんて、きっと初めてだろう。

 アデルはそれ以上何も言わず、馬車の用意をした。幸い、馬車も馬も何も変化はなく、見張りについていたソートとメモリーは、主人の帰還に喜びの声を上げた。

 タニア嬢を馬車で寝かせ、傍にグプタがついた。わたしたちが借りた馬は、セトとイオリ、アギレが乗り込んだ。グプタの馬にはジルダが乗っている。アデルは馭者を務め、リゼットは眠るタニアに、治癒魔法をかけてやっている。心の傷は相当のものだが、体の傷だってかなり酷い。わたしが馬車に乗り込んだのは、薬草の知識があるからだ。

 

 〈ナラダール〉では、シッキムが店の前で心配そうにわたしたちを待っていた。わたしたちとグプタを見て、駆け寄ってきた彼は、馬車の中に孫娘が眠っているのを見て、安堵の笑みを浮かべた。が、わたしたちの様子に、何が起きたのか察し、涙を浮かべた。

 感謝の言葉はもらったが、さすがにこの場で自分たちの本来の用件を切り出すわけにもいかず、わたしたちは屋敷を出た。最悪、黒胡椒なら他の店で調達してもいい。

 何しろ、わたしたちは、彼女を助けたわけではないのだから。

 馬車の中で、一度だけタニア嬢が目を覚ますことがあった。

 「ここ、は……?」

 呟く彼女に、グプタがそっと手を握った。

 「タニア、気が付いたかい?ここは馬車の中だよ。旅の方々が、助けてくれたんだ。もう安心だよ。君は助かったんだ」

 グプタが優しくそう言ったが、タニア嬢の顔には、安心した様子は見受けられなかった。

 「助かった……。いいえ、助かってないわ。私は、助からなかったの」

 それだけ言うと、彼女は再び目を閉じた。静かな寝息が聞こえてきた。今のは、まどろんでいたせいだろうか?いや、たぶん違う。彼女は、自分が助からなかったと思っている。そうかもしれない。彼女が一晩で失ったものは、あまりに大きく、そのどれも、取り戻すことはできないのだから。

 

 無力感に苛まれながら宿に戻ると、宿の主人が愛想よく迎え入れてくれた。

 「すみません、主人。できればもう一泊したいのだが……」

 うまくいけば、今日胡椒を手に入れ、そのままポルトガに飛ぶ予定だったのだが、とてもそんな気は起きない。そもそも、ジルダも疲れ果てているので、馬車ごとのルーラなど、無理だろう。

 「ええ、知ってますよ。先ほど、サハクさんの使いの方がこられて、もうお代も頂いております。今夜は料理長が腕を振るいますからね、バハラタの名物料理を堪能ください」

 主人が言い終える頃、奥から六十を超えるくらいの、老人がこちらに来た。

 「おお、あなたがたがサハク殿のお知り合いですか!いえね、儂は離れで過ごしているのですが、今朝方サハク殿に久しぶりにお会いしたんですわ。久しぶりに見ましたよ、あんな晴れ晴れしたサハク殿は。何かいいことでもあったのですかと訊くと、実に楽しい旅をしたのだとか。何でも、一緒に旅をしたあなた方が、実に気持ちのいい方々で、久々に楽しい気分になったと。ようございましたなあ。あの方とお会いするのは実に十年ぶりです。娘さんを亡くされてから、バハラタを離れられて……」

 老人は、そう言って、わずかに顔を曇らせた。彼も知っているのだ。十年前の悲劇を。

 「サハクさんのお知り合いとくれば、今夜はたっぷりサービスしますよ。さあさあ、お風呂の用意も出来てますよ。バハラタ自慢のハッカ油をたっぷり入れておきました。香りもいいし、今日みたいな暑い日にはぴったりです。疲れも取れますからね」

 今朝お茶を淹れてくれた女性が、リゼットとジルダに微笑みかけた。

 「サハクさんは、あなた方に感謝しておられました。特にお嬢さん方に。こちらのお嬢さんは亡くなったお嬢さんと同じくらいだし、こちらの金髪のお嬢さんは、娘さんが生きておられたら同じくらいだと。そんなお二人が、困難を打ち砕く様が、もうとにかく爽快なのだと。サハクさんはまた旅に出られるそうですね。もしお会いすることがあったら、またこの宿にお立ち寄りくださるようお伝えください」

 「……ええ、伝えます」

 それだけ言うと、アデルは部屋に向かった。ジルダも、リゼットも、何も言わなかった。

 

 

 

 「アギレ。本当は、あの時止められたのではないですか」

 部屋で、たまたまアギレと二人になった時、わたしたちが冗談交じりに七つ道具と呼ぶ、盗賊の仕事道具を整備している彼に、わたしはふと思ったことを訊いてみた。

 「あの時?」

 「カンダタが、サハクを斬った時ですよ。あの時、カンダタの近くにあなたはいました。あなたならば、彼の動きにすぐに気付いたはずです」

 アギレは何も言わない。ただ、道具の点検を黙々としている。

 「それは、サハクへの慈悲ですか?あるいは、タニア嬢への」

 もし、あの場でカンダタを止めていれば。

 わたしたちは、罪人であるサハクを役人に突き出しただろう。彼は縛り首になるだろうが、その前に、なぜ罪を犯したのか、どんな罪を犯したのか、衆人環視の元、告白するだろう。黙して語らないまま断罪される囚人もいるが、彼は語るだろう。すべてを。

 そうしてしまうと、タニア嬢が悪名高いカンダタの娘であることも、その彼女が、盗賊たちに何をされたのかも、全てが伝わってしまう。それは、彼女の人生に大きく影響するだろう。

 サハクもまた、苦しみが長引くだけだ。彼の目的は、あくまでカンダタを苦しめることだ。タニア嬢への仕打ちは、そのための手段に過ぎない。あまりにむごい手段ではあったが。

 「さあな」

 彼はそれだけ言うと、再び作業に没頭した。それ以上、話す気はないようだった。

 わたしも、それ以上訊かなかった。知ったところで、何も変わらない。サハクは死に、彼の復讐は終わった。

 カンダタはこれからどうするのだろう。あの盗賊団は、既に壊滅だろう。何人かは命を落としているし、生き残った者も、カンダタの制裁を受ける。

 その後、あの男はどうするのだろう。

 

 

 次の日の朝、驚くことに、わたしたちの元に〈ナラダール〉からの使いが来た。

 シッキムは、昨夜のうちにグプタから詳細を全て聞いたのだろう。げっそりやつれた様子ではあったが、しかし、丁重にわたしたちを迎え入れてくれた。

 「申し訳ありません。本来ならこちらが伺わなくてはならないところを、不躾にもお呼び立てして……」

 「いえ、問題ありません。して、今日はどのような御用で?」

 「御用というより、あなた方は、手前どもに用がおありだったのでは?おそらくは、胡椒の」

 「ええ、まあ」

 その通りなのだが、昨日の今日で商談に入るとは思わなかった。

 「薄情な祖父と思っておられるだろうな」

 シッキムが自嘲気味に笑ったので、わたしたちは慌てて、出された紅茶を飲んでごまかした。薫り高い紅茶だ。おそらく、最高の茶葉を使っているのだろう。

 「恐れ多くも、手前の最後のお客様は、ぜひとも孫娘の命の恩人にと思いましてな」

 「引退、されるんですか」

 わたしの問いに、彼は寂しげに頷いた。

 「本来なら、十年前に店を畳むべきでした。愚息がしでかしたことは、手前は何一つ関与してはおりません。それは確かでございます。ですが、それならば、本当は、あやつが借用書を燃やしたと言っても、店を潰しておくべきでした。先祖から受け継いだ大切な店だから、タニアを育てるためにも、などと理由をつけて意地汚くしがみついていたことこそ、手前の罪。いや、あのような男を育ててしまったことこそが、最大の罪だったのでしょう。ただ、ただその罰が、罰を受けたのが、タニアだったことが、何ともかわいそうで……」

 そう言って肩を震わせた彼に、誰も、何も言わなかった。

 全ては十年前の悲劇からだった。そして今、みながことごとく罰せられた。ただ、最も罪のない者が、一番の罰を受けたことが、やりきれない。

 「あなたがたは胡椒をお求めだとか。できる限りご用意させていただきます。勿論お代は結構……」

 「ちょっと待ってください」

 彼の話を遮り、わたしはアデルを見やった。アデルは黙って頷き、静かに出された紅茶を啜った。すべてを任せる、ということだろう。

 「申し訳ありませんが、せっかくのお申し出ですが、代金は当然お支払いします。何しろ、わたしの座右の銘は〈ただより高いものはない〉ですからね」

 そう言い、わたしは鞄から地図を取り出した。

 「その代り、あなたには厄介な仕事を頼みます」

 「な、なんなりと」

 「ここがポルトガ。そして、こちらがバハラタ」

 地図に印をつけながら、わたしは続けた。

 「わたしたちは、ポルトガから来ました。誰からとは申しませんが、ある高貴な方から、黒胡椒を依頼されたのです。黒胡椒はあちらでは大層貴重な品。それらを、大量に仕入れるために、今後ポルトガと契約を交わしていただきたい」

 「それは結構です。しかし、ポルトガからバハラタまで、相当な距離です。大量の胡椒となると、どうやって……」

 「船です。航路をこうやって……ポルトガから南に進み、そこから東へ向かう。ポルトガの造船技術ならば、大量の胡椒を長距離で運ぶ船を用意するなど、造作もありません」

 「ちょっと待ってくだされ。この航路の途中には、バラモスがいるネクロゴンドがあるんですよ。あの界隈には、海にも空にも恐ろしい魔物がいる。そんなところを通れるわけが……」

 「通れます。あと三年、いや、二年以内には必ず通れるようになります」

 わたしはそう言い、アデルを振り返った。彼女はこちらをまっすぐに見ながら、強く頷いている。

 「二年以内に?あなた方は何を……」

 「私は勇者アデル。私の目的は、魔王バラモスを倒すこと。それが私の目的であり、使命です」

 きっぱりとした口調で、彼女は言った。その青い瞳には、強い意志が込められている。不思議なものだが、一緒に聞いているわたしたちをも安心してしまうほど、彼女の言葉には重みがあった。そうだ、彼女こそ、バラモスを倒せる唯一無二の存在なのだと、なぜだかわたしはこの時強く思ったのだ。

 「そうなったならば、毎年ポルトガに大量の胡椒の取引をしていただきたい」

 「ですが、手前はもう引退する身……。そのような大仕事……」

 「僕が引き受けます」

 その時、ドアの向こうから、グプタが入ってきた。

 「不躾にすみません。失礼ついでに、その時は、僕が引き受けます。僕とタニアで、ポルトガとの取引をお受けいたします」

 「グプタ……」

 「ご主人。さきほど、改めてタニアに結婚を申し込みました。彼女は、自分に起きたことで、僕と結婚できないと思い込んでいたようですが、彼女は何一つ変わってはいない。彼女を守れなかった僕だけれど、これからは、僕のやり方で彼女を守ろうと思います。どうか、僕たちの結婚を認めてくれませんか」

 「グプタ……だが、店は」

 「確かに、十年前のこと、主人に全く非がないとは思いません。ですが、少なくともタニアには、何一つ非はない。僕はもう、彼女には何一つ失って欲しくないんです。この店だって、家だって、彼女にとっては思い出の詰まった大事なもののはず。それでもこの店を潰すというなら、僕も一から始めます。必ず、タニアをバハラタ一の胡椒屋の女将にするんです」

 シッキムが肩を震わせる。あの頼りなかったグプタが、たった一日で、ずいぶんたくましくなったようだ。大事な人が傷つけられ、何もできないでいる無力感、あの絶望を経験し、一回りも二回りも成長したのだろう。這い上がる力を持った人間は強い。

 前に進むことを、彼は選んだのだ。

 

 

 そうして、わたしたちはバハラタを発った。

 大量の黒胡椒と、ポルトガと〈ナラダール〉の、今後の貿易の契約書を携えて、わたしたちは、ポルトガに向かった。

 〈ナラダール〉の人々の今後は大いに気にはなったが、わたしたちがどうこうできるものではない。わたしたちにできることは、魔物と戦うことだけ。

 目的は魔王バラモスを倒すこと、それだけなのだから。

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