リゼットのおはなし1
私と妹が二親を亡くしたのは、ちょうど五年前でした。ロマリア領にある、山あいの小さな村カザーブは、冬の終わりでした。私はまだ十にもなっていませんでした。妹のマリーは四つでした。
父は腕のいい鍛冶屋でしたが、お酒が大好きな人でもありました。ある寒い冬の晩のことでした。きっとお酒を飲み過ぎたのでしょう。いつものように酒場へ行った父は、なかなか帰ってきませんでした。そんなことは慣れっこだった母は、父を捜しに行かずに眠ってしまいました。
明け方になって、まだ父が帰ってきていないことに気付いた母は、ようやく父を捜しに表に出ました。いつの間にか、雪が降っていました。それも、かなりの量でした。雪をかき分けながら、母はようやく父を見つけました。でも遅すぎました。父は雪に埋もれてすっかり凍っていました。まるで暖かい外套を着込むかのように雪をまとっていたそうです。酔っぱらった父の目には、雪が極上のお布団に見えたのかもしれません。確かに、あの冷たささえ気にならなければ、寝心地は悪くなかったかもしれませんよ。
母は私と妹を育てるために懸命に働きましたが、無理がたたって体を壊し、同じ年の流行り病にやられ、あっさりと亡くなってしまいました。
私と妹は親戚の家に預けられることになりましたが、その人があまりよくないものの考えをする人で、私たちは早々に売られることになりました。あまりにも手際が良かったので、今思えば、初めからそのつもりだったのでしょう。
母のお葬式が終わるころに、すっかり日が暮れたその頃その人はやってきて、自分は母の弟だと言いました。それは本当でした。私は一度だけこの人が、母にお金の無心をし、追い出されたことを覚えていたのですから。そうして、母のためにお葬式を挙げてくれた近所の方々にも丁寧にお礼を言い、私とマリーは自分が引き取ると宣言しました。
その態度があまりに感じよく、誠実なものだったので、近所のみんなは、私たちによかったねと言ってくれました。みんないい人ばかりでした。母が生きている頃から、お料理のおすそ分けをしてくれたり、何かと私たちの世話を焼いてくれた人たちでした。
そうして私たちは叔父であるその男と町を出て、山道に入った瞬間に男たちに囲まれました。
「こいつらか」
「まだガキだが、こっちはもうじき働けそうだな。青い髪はなかなか人気だし、このくらいがいいって奴は腐るほどいるからな」
私の髪は少々変わった色をしていました。この大陸にはたまに出てくるのですが、色素が薄く、青みがかかっているのです。本当にきれいな髪はシルバーブルーと呼ぶのでしょうか。シアンさんがそれですね。私の場合はせいぜい濁った水色といった風でした。それでも、やはり珍しいことは珍しいのです。
ニヤニヤと嫌な笑いを浮かべながら、値踏みするような男たちの視線に、背筋がぞっとしました。思わず叔父である男の裾を掴むと、彼は大層煩わしそうに私の手をはねのけました。まるで、汚いものが触れたとでもいうように、不愉快そうに眉をしかめた後、すぐに愛想のよい笑みを浮かべて男たちから大きな袋を受け取りました。
「二人合わせて千五百ゴールド、確かに。まいどあり」
二人で千五百ゴールド。それが、私とマリーの値段でした。高いのか安いのかわかりませんでしたが、少なくとも、私もマリーも、自分を売る気など、さらさらなかったのです。それなのに、目の前で売買は成立していました。当人であるはずの私たちの意志など、完全に無視です。
マリーは何が起きたのかわかっていませんでした。実を言うと、私もよくわかっていませんでした。ですが、このままこの男たち、おそらくは盗賊か何かなのでしょう。彼らについて行ったら、とんでもないことになるということだけは、十分すぎるほどわかっていました。
私は激しく抵抗しました。私の様子に、驚いたマリーが激しく泣き叫びました。マリーはひどい癇癪持ちだったのです。この頃は、母を気遣ってだいぶ我慢していたようですが、この時は我慢しませんでした。
怒号のように激しく、甲高い彼女の声が、森の中で響き渡りました。予想以上のその大きさに、男たちは一瞬怯みましたが、すぐにマリーの頬をすごい勢いではたきました。ぱちん、とかばしん、とかいう音ではありませんでした。一瞬私は彼が拳で殴ったのかと思うほど、それはそれは形容しがたい、恐ろしい音でした。妹は、たった四歳だったのに。けれどマリーはそれで黙るような子ではありませんでした。彼女も今までのたがが外れたのでしょう。より一層激しくわめきました。ガラスをひっかいたような、耳をつんざく大音量でした。
今思えば、私たちを救ったのは、マリーの癇癪でした。男たちがマリーの口をふさぎ、さっさと移動しようとしたところで、男の足元に、突然炎が立ちのぼりました。
「全くうるさいったらありゃしないと来てみれば。人の売り買いはポルトガでもロマリアでもご法度のはずだけどね」
男が慌てて落としたマリー(幸い怪我はありませんでした)に駆け寄った私は、その時ようやく、誰か大人の人が来たのだと気付きました。ほっと安心したのもつかの間、その人は女性で、しかもたった一人だったので、私は(失礼ながら)酷くがっかりしました。これではこんな屈強な男たちには到底適いっこありません。おまけに彼女は細身で、いかにも弱そうです。ちょうど逆光のために顔は見えませんでしたが、月明かりを受けてたなびく彼女の綺麗な金髪が、やけに印象に残りました。
それなのに、その人は、男たちのことなんかちっとも怖くなさそうでした。叔父に関しては、完全にその存在を無視していました。
彼女の姿を見た男たちは、最初こそ驚いたものの、すぐに下衆な笑みを浮かべました。一言二言何か言いました。それは、以前見たお芝居で、悪人役が言ったのと、そっくりそのままでした。彼らはそれぞれ剣を抜きました。けれど、そこまででした。剣を構えたそばから、彼らの剣は、握った柄の部分が、彼らの手ごと凍っていたのです。
「そのままだと、その手は使い物にならなくなるよ。そうなるより先にずらかった方がいいんじゃないかい?」
女の人は、それはそれは楽しそうに言いました。
「それとも、今度は焼かれたいかい?」
ゾッとするような笑みに、男たちは「ヒエッ!」と身震いした後、ほうほうのていで逃げて行きました。叔父だけは逃げていませんでした。腰が抜けていて、逃げられなかったのです。
その叔父に、女の人が近づき、その手からさっきのお金の入った袋を取り上げました。そうして、私たちを手招きしました。
「あんたたち孤児かい」
孤児という聞きなれない言葉に、一瞬きょとんとしました。ですが、そうなのです。父もおらず、母も亡くなった今、私とマリーは、まぎれもなく孤児でした。
私がこくんと頷くと、彼女は「おいで」と手を引いてくれました。乱暴で愛想のない言い方でしたが、握った手はとても暖かかったのをよく覚えています。
彼女はその後明け方まで一緒に居てくれました。とはいっても、何も話はしませんでした。あまりお喋りするのは好きじゃない様子でした。それに、妹のマリーは頬を物凄く腫らしていたので、私はそちらをなだめるのに精いっぱいでした。冷たい水でしばらく冷やしたら、彼女は眠ってしまいました。
その後、女の人は私たちを辻馬車に乗せてくれました。後から知ったのですが、とても評判のいい辻馬車でした。そうして、私たちのような孤児の女の子は、修道院へ行くといいと教えてくれました。王都にあるマンダリーナ修道院への行先も教えてくれました。
こうして、私とマリーは王都へ行くことになったのです。
マンダリーナ修道院の院長は、とてもお優しい方でした。私とマリーの境遇にいたく同情してくれた院長は、私たちをここで預かってくれることになりました。
私はそこで、お姉さまに会ったのです。
年は私よりも五つほど上でしたから、当時は十五歳。花のようにお美しい方でした。
お姉さまはさる高貴なお血筋の出だそうで、それは彼女の物腰、所作、言葉遣いからも見受けられました。私は彼女に気に入られ、身の回りのお世話を言い渡されました。
院長はあまりいいお顔をしなかったようですが、私は大変嬉しかったのです。確かにマリーと会える機会は減りました。なにしろ、私はお姉さまが御用がある時はすぐに駆けつけなくてはいけませんでしたから。けれど、そのおかげで私は様々なマナーや、教養まで身につけることができました。
お姉さまには大変尊いお力がありました。癒しの力です。怪我や毒に犯された人々が、よくここに訪れました。お姉さまは、そんな方々を何度もそのお力で癒していらっしゃいました。
それから三年、国からアリアハンの勇者と共に打倒バラモスの命が下られた時、お姉さまは大層驚かれていました。そして、何かを決意するような、何かを諦めるようなお顔をされた後、私を同行させることを条件に、お引き受けになられたのです。
私が同行すると言っても、それはアリアハンまででした。その後は勇者様と戦いに出られるのですから、私のような戦い方も知らない子供では、足手まといの何者でもありません。おそらくお姉さまは、これから始まる長い闘いの日々の前、その刹那だけでも、私との楽しい思い出をお作りになられるのだと、私は思いました。院長はやはり渋いお顔をされましたが、最後は了承してくださいました。
そしてアリアハンに行く途中、その関所で、お姉さまは突然身をお隠れあそばされたのです。
関所では兵士の方がとても丁寧に対応してくださり、旅の扉まで案内してくださいました。
こちらです、と案内された部屋の中は、そこだけ空気が違っていました。大きな部屋の中央には、石で造られた台座があり、その上では……あれこそが魔力の流れとも言うのでしょうか、薄い霧のようなものが、何層にも連なって渦を巻いていました。薄青いその霧は、美しいけれどどこか恐ろしくもありました。
私は身震いしましたが、お姉さまはにっこりと微笑まれて、私の額にそっと触れました。
「ラリホー」
その不思議な響きのする言葉を、私は理解していませんでした。その言葉の、いいえ、呪文の意味を知るのはもっと後のことでした。この頃の私は、僧侶ではありませんでしたから。
急に頭がぼうっとして、視界が何やらぐるぐる回ります。足元がふらつき、私は思わず、大変失礼ながらも、お姉さまの裾を掴んでしまいました。お姉さまは私の手をさっと払い、私を突き飛ばしました。無礼にも気安く、許可なく触れれば、それくらいは当然です。
そうして、私は朦朧とした意識の中、霧に包まれました。
気が付くと、私は先ほど通された部屋に似た場所にいました。雰囲気はそっくりでしたが、別でした。何より、大きく掲げられた旗には、狐とグリシナの絵が描かれています。それはアリアハン王家の物でした。ちなみにロマリア王家の旗は熊と百合の絵が描かれています。
茫然と立ちすくむ私に残されたのは、私の小さな荷物と、一通の手紙と、ロマリアとアリアハンの通行許可証でした。その他には何もありませんでした。