「最悪な日だった…」
「どんまい、お兄ちゃん!」
喫茶店からの帰り道。
俺は皐月と共に家路についていた。
―…あの後のことは本当に面倒だった。
シャッター音の後、誠への怒りに任せて少女…―アンを退かそうとした俺だったが、彼女はいつの間にか泣き疲れ眠っていた。
さすがに起こすのも悪いと思い抱き上げると、いつの間にいたのかアンの身内という青年が顔を青くし近づくと、俺から引っ手繰るように彼女を奪った。
「お嬢様がご迷惑をお掛けし、申し訳ありませんでした」
「…あ、いえ。こちらこそお怪我をさせたようですみません」
「いえ、きちんと手当して頂いたおかげで大事には至らず済みました」
「……えぇ」
「では、こちらでの後処理と用事は済ませてありますので、私どもはお先に失礼させていただきます」
「…はい、ありがとうございました」
すらすらとマニュアルでも読んでいるような会話の後、青年は他の人には気づかれない鋭い目を俺に一瞬向けたと思ったら颯爽とその場を去って行った。
俺はというと、彼の視線に少々息を呑んでしまった。
きっと初めてエメラルドとサファイアの宝石を両目に持った・オッドアイを見たからだろう。
それにしても、あれは主を想う従者故の態度だったか今思えば疑問だ。
ちなみに支払いは向こう方が済ませて下さったそうで、これは非常に申し訳ないことをしてしまった。
アンが去った後、残された俺たちはさすがに店に居辛くなり近くの公園に移動することとなった。
加賀美は何か言いたげな顔(少し興奮気味にも見られたが)をしていたが、『今日の事は誰にも言わないから!』と告げ早々と帰ってしまった。
彼女の配慮に感謝する反面、結局デザートを堪能出来なかったことに謝罪しなければと思った。
一方、誠はというとスマートフィンをいじったまま一向にこちらに謝る気配はない。
主犯が何を呑気にしているのかと怒りを露わにしようとしたところでやっと奴の口が開く。
「それにしても、お前がロリコンだったとは知らなかった…」
「…は?」
「だから同級生は眼中に無かったというわけか…!」
「……」
「ん?でもまずシスコンが大前提にあるのか!」
何をガタガタ言いだしたかと思えば、全く根も葉もない言葉だらけで訳が分からない。
今コイツを殴ってもきっと誰も俺を責めないだろう。
いや、もういっそのこと殴らせてくれ。
「それにしても、」
「…?」
「お前があんなに必死になって他人を助けたり心配すんの初めてみたかもな」
「…おい、俺を一体なんだと思っているんだ」
「あ、皐月ちゃんには常にだけどな」
「妹だからな」
「はいはい、優しいお兄さんですな~」
馬鹿にしているようなその態度にようやく手を上げようと構えると、不意に服の裾を引っ張られる。
ん?なんだ今いいところなんだ。一発、いや数発コイツを殴らせてくれ。
「お兄ちゃん、お家に帰ろぅ?」
「少し待て、コイツを殴ってから…」
「誠くんは放っておいていいから」
「え、皐月ちゃん!?」
「…ん、それもそうか。お前は賢明な奴だな、皐月」
「でしょっ!」
「え、なにこの兄妹、俺に相当酷くないか!?」
「自業自得だよ、誠くん!」
「そんなこと笑顔で言わないでよ、皐月ちゃん!」
俺の妹は難なく誠の嘆きを容易くかわすと俺の手を取り、「誠くん、またね!」と笑顔で言い残し背を向け歩き出す。
これが世に言う小悪魔というものなのだろうか。
兄である俺にも妹の素性は未だに分からないものだ。
まぁ、異性である時点で理解しようとするのが難しいのかもしれないが。
俺は前を歩く妹が浮かべているであろう表情を考えながら、公園を後にした。
――――――
「アンちゃんね、」
「…?」
しばらく家路を黙々と歩いていたら、横にいた妹が不意に話し出す。
どうやらあのフランス人と思われる少女の話のようだ。
「パパに会いに日本に来たんだって、遠いフランスからひつじさんと」
…あの年若い青年はどうやら彼女の執事だったようだ。
「初めての国で寂しかったとこで皐月と会ったんだ!それが昨日のことで…」
「…昨日の今日で仲良くなったのか?」
「うん!皐月とアンちゃんの言葉を全部ひつじさんがやってくれたの!」
「…そうだったのか」
どう意気投合したかは分からないが、寂しがっていた彼女に手を差し伸べたことで二人の親交が始まったようだ。
皐月も母からフランス語を少しは教わっているため、軽い自己紹介くらいは出来たであろう。
それがきっと彼女の寂しさをぐんと減らした要因だったのだろう。
「今日はパパにあげるプレゼントを一緒に選ぶためにひつじさんに内緒で会うことになったの!」
「あの喫茶店でか?」
「うん!ジェスチャーで色々言い合って、とっても楽しかったの!」
「そうか、それは良かったな」
言葉が通じ合わない環境でも彼女たちの楽しげな笑顔が思い浮かぶ。
良い経験が出来て何よりだ。
「それとお兄ちゃんの話をしたら、凄く喜んでたの!」
「…俺のことをか?」
「写真とか見せて教えたの!ちょっと乙女な目をしてたよ、アンちゃん!」
「分かるものなのか、それは」
「乙女の勘は当たるんだからね、お兄ちゃん!」
両側のポニーテールをゆらゆらさせながら小悪魔の顔でそう言った妹は、我が家が見えたのか楽しげに小走りをする。
どうやら玄関前に母がいるようで「おかえりなさーい!」とこちらに手を振っているのが見える。
妹の元気な「ただいま!」の声を耳にしたところで、ポケットに入れていたスマートフォンから着信を知らせる振動がした。
…あ、そういえばあの子にハンカチを渡したままだ。
まぁ、いずれは帰国するであろう彼女に会うことはないだろうと考え、俺は画面のロックを解き、メールを開く。
「…これは、」
珍しく誠からのようで詳細を見ると奴があの時撮った写真の一枚が添付されていた。
短く件名に『天使の寝顔に微笑む悪魔』と書かれてあった。
おい、誰が悪魔だ。
―…そこには天使のような寝顔で眠る少女に心許したように微笑む俺が写っていた。
確かに白を基調とした服装の金髪の少女に対し、全身真っ黒な俺。
自分でいうのもなんだが、絵になる構図と云うやつだ。
メールそのものを即削除しようかと思ったが、少し思案し初めてメニューから”保護”を選択して気が変わらない内にポケットの中にしまった。
何故そうしたかは分からなかったが、あのあどけない寝顔をどうにも忘れたくないような気がしたからかもしれない。
俺はどちらかというと一度会った人の顔は忘れないタイプだが、もう会うことのない人のことを覚えていられるかまでは分からない。
きっと忘れたくなくてそうしたのだろう、多分だが。
「お兄ちゃーん!今日はママ特製のビーフシチューだってー!」
遠くで妹の嬉しそうな声が聞こえる。
母の手作りとは、今日はやはり厄日のようだ。
俺は苦笑いを浮かべながら家への数メートルを歩き出した。
―…それから数年して俺は少女と再会することになるが、それはまた別の話。
あ、ちなみにアイツの学年末はかなり難航したらしい。
風の噂でそう聞いた。
――END――