Chaos;an onion HEAD   作:変わり身
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――――それが最期に見た世界は、『自身以外の誰かが望んだ世界』だった。



第9章  一つは、世界にとっての願望機

 

 

しんしんと雪の降り積もるイギリス、ウェールズの片田舎。

そのさらに外れにある深い森の中、そこかしこに溢れる木々に隠れるようにして存在する一つの村がある。

 

人口わずか数百人程の極々小さな村であり、現代において未だ行商人が訪れるほどの閑散とした……しかし決して過疎と言う訳ではない穏やかな村だ。

大人も、子供も、老人も……数百人という人口から見れば、どの世代も極めて適正値に近い人数が住んでおり、その男女比もまた同様。

世間に溢れる、後継者不足に悩むような土地柄とは一線を画す、極めて「健康的」な村だった。

 

何故ならば、この地こそ魔法使いにとっての隠れ里。

とある人物を慕い集まった、一定以上の実力を持つ魔法使いたちによって作られた村なのだ。

 

高い実力を持つ彼らの中には、生活に役立つ魔法を習得するものや、様々な場所へとパイプを持つ者たちが居る。

それら使える力を全て用いて、この村は外敵から身を守るための結界、ライフラインや交通手段など「魔法使い」が住みやすい場所へと整えられているのである。

 

それは言わば、魔法使いのための村。

現代に生きる魔法使い達にとっては、これ以上は無いであろう最適な場所であったのだ―――

 

―――だが、しかし、その姿も今や見る影も無い。

 

家は燃え、地は割れ、人々の怒号が辺りへと響き。

空を覆い尽くす程の無数の黒い大群が―――悪魔が村中を蹂躙し、人を傷つけていく。

 

そして魔法使いたる村の住人達がそれを黙って見ている訳も無く、各々が持つ魔法の杖や武器を駆使し応戦する。

 

戦いに慣れた老人達は、一人でも多くの村人を守ろうと立ち上がり。

血気盛んな若者達は、一匹でも多くの悪魔を撃退しようと村中を駆け回り。

そして村の女性達は、未だ戦う術を持たない子供達を抱きしめる。

 

そうして破壊された建物から上がる炎が空を紅く照らし、傷つきながらも戦う村人の声と悪魔の断末魔がひっきりなしに響き渡るその空間……

 

……それはまさに地獄絵図、という言葉が相応しい様相を呈していた。

 

 

―――そんな、黒の大群が次々と降り行く村より少し離れた場所にあるバス停の付近。

 

そこかしこに木々が生い茂り、枯れ枝と雪が降り積もる冬の森の中で、一つの戦闘が行われていた。

 

 

*******************************

 

 

「光の精霊1柱―――魔法の射手!!」

 

―――凛、と。

鈴の音の様に澄んだ声と同時、彼の背から一筋の細い光が迸った。

 

『グ……?』

 

放たれるのは、何が起こったのか理解出来ていないかのような濁った声。

その悪魔は目の前に佇む標的を害そうと手を伸ばした姿勢のまま、違和感の生じる自らの胸を見下ろした。

 

視界に映るのは、黒い肌。強靭な筋肉と凱骨格に覆われた、正に筋骨隆々と呼ぶに相応しい異形の身体。

凹凸のハッキリした逞しいそれは、拳打、銃撃、斬撃全てを弾き返す剛の肉。

生半可な攻撃では傷一つ付かない筈のその胸筋に――ぽっかりと、小さな空洞が開いていた。

生命活動を続けるにおいて致命的な位置に存在する、穴。それは左胸から背面の肩甲骨までを一直線に貫いており、向こう側の景色をくり抜いていたのだ。

 

もし背中側より穴越しにそれを成した人物の姿を覗き見る者が居たのならば、その悉くが驚愕の声を上げるに違いない。

 

――何故ならば。その穴に腕を突き入れていたのは、未だ14にも満たないであろう可憐な少女だったのだから。

 

「はっ……はっ……」

 

緊張か、疲労か。

その少女は乱れた息を荒らげながら、鋭い目つきで目前に立つ巨漢の悪魔を睨みつけ。

雪に埋もれた枯れ木を踏みしめ、綺麗に五指を揃えた手刀を、僅かに煙を噴き上げる穴に向かって突きつけていた。

 

そう、少女――――ネカネ・スプリングフィールドは、その指先より放った魔法攻撃により、偽りとはいえ生の脈動を刻む彼の「それ」を寸分の欠片も残さず完全に吹き飛ばしたのだ。

 

【挿絵表示】

 

 

『ゴ……プ』

 

 

筋肉と凱骨格の隙間を縫い、糸を通すが如き精密さで放たれた一撃が自分の命を刈り取った――

 

それを悪魔が理解すると同時。彼は喉奥から血液と声にならない吐息を流し、思い出したかのように呆気なく絶命。

ネカネは彼が倒れる事を確認する前にその穴から手刀を引き抜き、魔力によって強化された筋肉で持って跳躍。その亡骸を力の限り蹴り飛ばした。

 

「―――りゃぁあッ!!」

 

ぼぐん、と。

肉を打つ鈍い音が響く。

 

衝撃を受けた亡骸は軌道上に存在した悪魔の一匹を巻き込みつつも地面と水平に吹き飛び、辺りの木々を折り砕き。

その角に急所でも貫かれたのだろうか。巻き込まれた悪魔もそれと一緒に、地に落ちる事無く空気に溶けるようにして霧散した。

 

……言葉尻だけ見てみれば幻想的な最期に見えなくも無いが、実際は血と肉の欠片を振りまいた、それはそれは醜悪なものであった。

加えるならば、今しがた殺害した悪魔は自分の故郷を襲う無頼漢が召喚したものだ。例えどのようなことがあっても幻想的だなどと思うことは絶対に無いだろう。

 

『キ、キサマァァァ……!』

 

「―――ッッ!!」

 

脳内に鳴り響く警鐘。

殺気とも言えるそれを感じ取った彼女は、蹴った勢いそのままに空中で身体を瞬時に反転。

彼女の背後から襲い掛かる、仲間が殺されてご立腹らしい別の悪魔が放つ大岩のような拳を紙一重で受け流した。

 

―――力を受け流すよう大きく身体を捻りながら、迫り来る拳の先に左肩を着け。

―――未だささやかな胸を、その手首に密着させ。

―――そして、流れ行く肘の部分に先程とは逆方向の肩を接地させる。

 

(く……っ!!)

 

―――悪魔と視線を交わしつつ、上腕部分に自らの背面を沿わせ。

―――そして、肩に手をかけ一気に身体を引いて―――

 

まるでスローモーションの様に、引き伸ばされる知覚。

ネカネの身体は悪魔の丸太の如く太い腕に沿い、その黒い皮膚に触れつつ回転。悪魔の巨体の上を勢い良く転がり上がり、擦れ違う。

それは、受身とは程遠い泥臭い動きであり、受け流しきれない力の流れが展開している魔法障壁をすり抜け、ネカネの陶磁器のような肌とそれを覆う服に幾筋もの小さい擦り傷を作る。

 

―――しかし、彼女はそれを気にも留めない。

 

『ナ……ッ!?』

 

自分の攻撃が受け流された事に驚いた悪魔が素っ頓狂な声を上げるが、その行動は中断させる事が出来ず。

ネカネは回転する勢いのまま、擦れ違い様に悪魔の首へと両足を伸ばし、露になった白く柔らかな太ももでその頭を挟み込み―――

 

「―――やぁッ!!」

 

―――ボキンッ!

 

……鋼の様に厚い肌や打撃の効き難い硬い筋肉も、曲げられる力には意外に弱いものだ。

しかもそれが、元々稼動できる方向であったのなら―――少し力を乗せてやれば、骨を折り外す事など造作も無い。

カウンターによる勢いと、彼女の細い筋肉に宿った極限まで効率化された魔力の流れによる強化。

加えて悪魔の身体から離れる瞬間の力も乗ったその一撃は、ネカネの胴ほどもあるだろうその首を180度、いとも容易く折り曲げた。

 

「……っ」

 

足に伝わるその感触に吐き気を覚えるが、ぐっと堪え。

そして彼女の身体は悪魔の首を折った慣性のまま宙空を回転。華麗に地面へ着地する。

この凄惨な光景と対比するかのように、その小柄な体躯にリボンの如く巻きつく金色の髪と、風にはためくローブとが一種幻想的な光景を生み出していた。

 

―――今度こそは、間違いなく。

 

『……カ、カカ……ガ』

 

頭部が背後を向いたその悪魔は、二・三歩正面に向かって(彼にとっては背後かもしれないが)歩き出した後―――彼女を憎憎しげに睨み付け、膝を折る。

流石は悪魔といったところだろうか、首が折れても意識を失わないその耐久力は見上げた物ではある……が、しかし。彼はそれ以上指一本動かす事も出来ない。

それは言わば「死なない」のではなく、「まだ死ねない」といった風情であり。

 

「せぇぇぇえええええええいっ!!」

 

その隙を逃さずに、自らの頭部を力いっぱい蹴飛ばしにかかるネカネの姿を、その悪魔はただ見ている事しか出来なかった―――

 

 

***************************

 

 

―――悪魔。

 

モンスター、或いは鬼。国や地域によって各々個別の呼び方はあれど名指す物はほぼ同じ。

本来ならばこの世界に存在しない、異界より引き出された人や動物と異なる異形の者だ。

 

鋼の様に強靭な肉体。頭に鎮座する硬い角。背から生え出る大きな翼。

並大抵の物ならば容易く噛み千切る牙に、如何なる物をも切り裂く鋭い爪。

固体による差は多少あれども、その姿と質は正しく化物としての体裁を誇っている。

しかし彼らの身体は純粋な肉体ではなく召喚主の魔力と依代により構成されている。肉体を一定以上破壊されてしまう程のダメージを食らってしまうと、召喚主との契約が力尽くで破棄されてしまい、彼らは異界へと還ってしまうのだ。

特殊な契約を結んだものや、強大な力を持つ上級悪魔はその限りではないのだが、それはさておき。

 

戦場における兵士に当たる、強力な使い捨ての駒。

それが彼らにとっての―――少なくとも、この旧世界に生きる魔法使いにとっての悪魔という存在であり―――

 

―――今現在、ネカネの故郷のあるこの地域は、その悪魔の襲撃を受けていた。

 

 

「……はっ……はっ……!」

 

ネカネは悪魔の頭部を蹴り飛ばした姿勢から戻し、拳を構え、足を半歩開いた戦闘姿勢へと移行。息を荒らげつつ周囲を警戒する。

その戦闘姿勢は、彼女が参考にした少しイかれた友人達のそれよりも遥かに不恰好な物で、お世辞にも様になっているとは言い難がったが―――その気迫だけならば凶悪な相貌を持つ悪魔にも負けては居ない事だろう。

 

……否、気迫だけではない。

端から見れば年端も行かぬ少女ではあるが、彼女が纏うオーラも見た目と同じ儚げな物ではなく。

 

全身の筋肉繊維と神経系に沿う様に施した強化魔法。身体の上を這い回る一本一本が異なるベクトルを持つ極細の魔力糸。

三桁は優に超えるであろうそれらが放つ圧力が、僅かながらに周りの空間を歪ませ彼女の気迫に確かな視覚効果を与えているのだ。

 

一見か弱い少女にしか見えない誰もが未熟と評するだろう彼女のその姿は、今この時に限っては達人のそれにも匹敵する存在感を放っていた。

 

「敵は……いない、わね」

 

筋肉と同じく限界まで高められた視覚と聴覚。

数百メートル先まで感知できるそれらが探るのは、周囲に存在する悪魔の気配。

少なくとも直ぐ様エンカウントする範囲内には居ない事を確認し、ネカネは警戒を解く。

 

勿論、身体強化の魔法は持続させたままだ。

この状況において一瞬の油断が最悪の結果をもたらすであろう事は、いくら戦闘に疎い彼女といえども理解できていた。

そして、もし一度強化魔法を解いてしまえば、その瞬間自分は立ち上がれなくなるであろう事も。

 

……今のネカネの身体は、実のところ割といっぱいっぱいだった。

 

魔力の節約のため、且つ隠密性を重視し、仕方なしに行っている魔力ブーストのかかった激しい肉体運動による疲労、神経の酷使や意識の加速。

悪魔の襲撃による恐怖や、その殺害に対する精神の負荷に加え、心臓のクロック数を上げ貧血を無理矢理押さえ込んでいるこの状態。

 

一旦魔法を解き緊張を緩めてしまえば―――後はもう、想像に難くない。

襲い掛かるのは極度の疲労。悪魔を手にかけた事による罪悪感、吐き気。そして貧血。

少なくとも、一秒すら持たずに気絶できる自信が彼女にはあった。

 

……今、その様な愚を犯すわけには行かない。

ネギを助けに行くため、自分が殺されないために、そして何より―――

 

「―――アーニャ、一先ずは大丈夫よ」

 

―――そう、今この場には、自分が守るべき妹分が居るのだから。

 

「……ね、ネカネおねえちゃん……!」

 

戦いに巻き込まないよう認識阻害魔法をかけていた枯れ木の影から、戦場の気配に怯えつつもそれを支えにして立ち上がるアーニャ。

その姿はまるで警戒心強い猫のようで、恐怖からか身体は小刻みに震え、目の端には涙が溜まっており今にも泣き出してしまいそうだ。

彼女は何時もの気丈な姿とは正反対の―――か弱い少女という印象を周囲に与えていた。

 

……それもその筈、彼女は今、生まれて初めて命のやり取りをする場に立ち、その瞬間を目撃してしまっているのだ。

加えるならば未だ4歳の女の子が、である。

普通の子供ならば、錯乱して泣き叫んだり、それを行った張本人であるネカネに怯えてしまっても不思議ではない筈であるが―――

 

「だ、大丈夫……? おねえちゃん、傷だらけじゃない……!」

 

しかしアーニャは恐怖により震え泣きそうではあれども、それら最後の一線は踏み留まり、あまつさえネカネの心配までしてのけているではないか。

流石に少し怖がっている様子ではあったものの、その目には彼女に対する信頼と憧れが強く湛えられており、何時もの気丈さをほんの一欠片ではあるが感じさせている。

 

……ネカネはその姿を嬉しく思い、安心させるよう「大丈夫」と一言だけ告げ。優しく頭を撫でた。

 

彼女のアレンジした強化魔法は微弱ながら回復効果も付いている。

身体欠損や大きな裂傷となればそうは行かないが、骨折や小さな擦り傷ぐらいならば、短時間で勝手に治療されて行くのだ。

……まぁ、後日に筋肉痛やら成長痛やら肌の引きつりやらで大変な事になるのだが、それは言わぬが花である。

 

(それよりも……問題はこれから)

 

多少なりとも安心し緊張が削がれたのか、ネカネに抱きつき腹部に頭を擦り付けてくるアーニャをあやしつつ、故郷の方角の空に目を向ける。

 

上空。村があるはずの場所の真上には幾百もの黒い影が―――悪魔が滞空し、輪を描き。次々と地上へと降下して行く。

ネカネとアーニャがいる、村より少しばかり離れた森の中からでも、木々の間を縫い煌々と上がる赤い火の手と黒煙が灰色の空を照らしている事が確認でき……村で何が起こっているのかは一目瞭然だ。

結界の張ってある村まで辿り着ければ、スタン達と合流して何とかなると思っていたのだが―――現実はそう甘くは無かったらしい。

 

「…………」

 

思わず、アーニャを抱きしめた手に力が入る。

村人達を心配する気持ち、非常時に置かれて居る事による混乱、現在進行形で故郷を焼かれている事への憎しみ。

様々な異なる感情が彼女の胸裏で渦を巻き、その裡を乱し焦がしていくが―――何よりも。

 

(……ネギ、タクミ……!!)

 

―――何よりも最も気になるのは、最愛の弟の安否。

もし、ネギに何かがあったらと考えるだけで、後先何も考えずに村へと走り出しそうになる。

 

自らの安全も、アーニャを連れたまま悪魔の集団の中に飛び込む事が如何に危険な事かも顧みず。

ただ、ただ、真っ直ぐに。ひたすらに。

そう……彼女の実の肉親である、最愛の弟の下へと―――

 

……しかし、ネカネの身に掛かる魔法が彼女の心を強制的に沈静化させる。

頭に上った血を貧血にならない程度に押さえ、脳内の分泌物を細かく操作。

加速された意識の中、無理矢理に思考を健常な方向へと纏め上げた。

 

(……大丈夫、ネギの傍にはスタンさんが居るはず。だから、すぐにどうにかなるとは思えない)

 

そう、ネギの事を気にかけるのは自分だけではない。

村にはスタンを始めとして、自分より腕利きの魔法使いが多数在住しているし、その他の村人達だって決して弱くはない。

怪我人の治療ならともかく、戦いに関しては自分よりも優れている者も多数居るはずだ。

 

だから、必要以上に慌てる心配など無い―――

……自分に言い聞かせるように胸中で繰り返し、逸る心を落ち着かせる。

 

(今、私がするべきことは……アーニャを守ること)

 

ネギの事も非常に気にかかるが、アーニャが居る今の状態で悪魔が襲撃を行っている村まで戻る事は自殺行為―――否、むしろ心中行為に等しい。

 

こうして森の中で息を潜めている間にも、悪魔達は続々と村へと降り立っているのだ。ならば先程倒した悪魔のように、森を徘徊している悪魔達も数多く居るはずだろう。

スタンと合流するためには、その悪魔の徘徊する森中をアーニャを守ったまま移動し、さらに村中を襲う数多くの悪魔から逃げ切りスタン達の下へと到着する必要がある。と言う事だ。

 

……ネカネには、それら全ての目標を自分が達成できるとはどうしても思えなかった。

 

先の戦闘では難なく悪魔を撃退することが出来たネカネであるが―――実際の彼女自身は戦いを生業とする戦士では無い、ただ魔法が使えるだけの少女であるのだ。

戦場と化している村へと突っ込んでいって、目標を達成できるだけの適切な判断と行動を選択できる自信は無かった。

自分一人だけならば、肉体強化の魔法でもって相当の無茶をすれば、スタンの元へと到達することが出来ただろう。

しかし、今アーニャが傍にいるのだ。彼女を守りながら行動しなければならない以上、その無茶も出来はしない。

 

―――ならば優先するべきは、護衛と逃走。

 

胸の中で泣いている少女を悪魔達から守りきり、山の麓にある町に――祖父の治めるマギステル・マギの陣地内まで戻り、助けを請う。

それが、現状の彼女が出来る精一杯であるのだろう。

 

「……っ」

 

……私がもっと強ければ、ネギの元へと駆けつけられたのに。

もう少し戦闘に関して学んでおけばよかった、戦いに役立つ魔法を覚えておけばよかった、級友達から敵と戦う術を教えてもらっていれば―――!!

 

(…………)

 

そんな後悔が激情となって溢れ出そうになるが、それら全てを彼女は飲み込む。

 

――今はただ、この状況から逃れることだけを考えろ。

 

「――ごめんなさい……!」

 

「きゃ!?」

 

心が決まれば後は行動に移すのみ。一刻の猶予も無い現状では尚更だ。

ネカネは抱きついているアーニャをそのまま抱え上げ、落とさない様しっかりと抱きしめつつ森の中を走り出す。

後ろ髪を引く慙愧の腕を振り払い、込み上げる涙を抑え、ただ只管に。

行く手を阻む木々を軽やかにかわしながら足を踏み込み、一気に加速。アーニャに負担が掛からない様に、それと周囲の動向に細心の注意を払いつつ、金の閃光となり森の中を駆け抜けていく。

 

「お、お姉ちゃん! こっちは違うよ……!」

 

途中、自分たちが村から離れている事に気付いたらしいアーニャが焦った声を上げる。

……しかしネカネは立ち止まる事無く、目線だけを腕の中に向けた。

 

「……ごめんなさい、ここまで連れて来たのは私なのに……。でも、あれ以上先に進む事は出来ないの」

 

「な、なんで!? だって、さっきも黒い奴とか、ばーって倒したよ!? なら……」

 

潤んだ目で見上げ、必死に村に戻って欲しいと訴えるアーニャ。

 

それも当然の事なのだろう、村にはネギは勿論、彼女の両親や親しい友人なども在住しているのだ。

ネカネ以上に現状の理解が出来て居ない彼女だが、それでも悪魔――曰く、黒い奴――に村が襲われており、彼らが危ないと言う事くらいは察している。

そんな中で、襲い掛かってきた悪魔を難なく討ち倒したネカネの姿。

その勇姿は、彼女に「お姉ちゃんなら、あの黒い奴を何とかできる」と希望を抱かせるのに十分だった。

 

――――なのに、なんで逃げるの……?

 

……だからこそ、ネカネが逃走を選択した事が理解できない。

ネカネならば、お姉ちゃんならば。きっと皆のところに行ける筈なのに、なんで戻ろうとするの? 何で、何で……!

 

「戻ろう? ね、お姉ちゃん! だって、パパとママが、タクだって、おじいちゃんもぉ……!」

 

「……アーニャ……っ!」

 

「お、お願いだから、おねがい……!」

 

流れ行く景色の中、ローブに顔を埋めたまま放たれる悲痛な懇願。その掠れた声は、ネカネの胸を容赦なく穿ち、精神をぐら付かせる。

 

「…………ッ!!」

 

……きっと、自分は後でアーニャに責められるのだろう。詰られるのだろう。

何故両親の元に行ってくれなかったのか、何故逃げ出したのか、何故自分達だけが安全圏に居るのか。涙と鼻水を垂れ流した顔で縋り付かれるのだろう。

 

先程まで抱かれていた信頼も、希望も、何一つ無かった事になってしまう。それどころか憎まれる事になるかもしれない。

現状の把握できない子供だから仕方が無い……そう片付けるのは簡単だが、それでも結果的にネギを見捨ててしまう選択をした今のネカネにとって、たった一人。自分に残された守るべき者からそう思われるのは、とても悲しく辛いものだった。

 

――そうなる位だったら、今からでも……?

 

「は、……っは……っ!」

 

息が上がり、足が、鈍る。

ネガティブな予想に目の端が震え、吐き気が込み上げて――!

 

「……っ」

 

再び、精神状態を操作。

ふるふる、と頭を振り、乾いた唇を噛み締める。ぷつり、と小さな音がして口内に鉄の味が広がった。

 

……駄目だ。余計な事を考えるな。今は助かる事だけを。

取らぬ狸の皮算用――とは大分違うかもしれないが、今助かった後のことを考えて頭を悩ませても仕方が無い。

アーニャの気持ちを受け止める事も、悔やむことも、自身への責めも、全てが終わった後にすればいい。

この状況から逃げだせなければ、そもそも「後」など無いのだから。

 

(だから、だから、私はっ……!!)

 

胸の中からすすり泣く声が聞こえ、もがく振動が伝わる。

戻って欲しい、逃げないで欲しいと。その小さな身体から切実な思いが伝わってくる。

 

……ネカネはそれを強く抱きすくめ、袖の内側に隠してある杖に触れる。

そうして身体強化魔法と認識阻害魔法を重ね掛け、ともすれば千々に乱れる思考を一つに収束させる。

これ以上の強化は身体にかなりの負担を強いる行為となるが、自らを追い込む意味を込めて強行。

魔力と体力の消費がより一層激しくなり、悪魔を退けながら村に向かうだけの余裕が無くなってしまった。これでもう、自分は逃げる事に全力を注ぎ込む事しかできない。

 

「はっ……はぁっ……」

 

自分が動く事ができる時間は、感覚からしてあと一時間弱といった所か。何時終わるかも分からない悪魔との戦いに身を投じれば必ず途中で力尽き、アーニャ共々餌食になってしまうだろう。

しかし逃げるだけならばどうだ。一時間休む事無く、肉体強化が成されたこの状態のまま、この速度のままで走り続ければ、森を抜けた山の麓までは何とか辿り着く事ができる筈だ。

 

――それは正しく彼女にとってのタイムリミット。

 

村に向かう事も、自ら戦いに赴く事も。ネカネはノイズとなる選択肢全てを、強制的に潰したのだ。

 

「ぁ、く、ううう……!!」

 

筋肉が、骨が、肌が。キチキチとした異音と激痛を奏で始めた。体温が上昇し、肌の色が薄桃色に上気する。

 

それは自らの身体の限界を無視して詰め込まれた魔力が放つ不協和音。オーバーフローした魔力糸が行き場を求め唸りを上げて宙を舞い、後方へと流れる景色に絡みいて空間を歪ませる。

そうして地面を蹴り出す音が激しさと重みを増し、土塊が散弾の様に打ち出され、これまで以上に走る速度を増していく。

 

彼女の軌跡に続き、残像の様に歪んでいく景色。その光景は異様極まりなく、どれだけの力がその華奢な体躯に宿っているかを伺わせる事だろう。

 

――そして、どれだけの負担がその身にかかっているのかも。

 

「はっ、っあ」

 

だが、ネカネは止まらない。

ネギの事、村の事、アーニャの気持ち、自分の気持ち。既に様々なものを無視して居るのだ。今更身体の事を無視したとして、何の問題があるだろう?

 

「お、お姉ちゃん……?」

 

アーニャが只ならぬネカネの様子に不安げな声をかけるが、最早その声はネカネには届かずに。

只管に、足を動かし続ける。

 

――自棄。

 

冷静にさせた脳が自らの状態をそう判断し対処を訴えるが――ならば、どうすれば良い?

ネギを助けに行けば、自分とアーニャの願いのままに行動すれば良いのか? 絶対に無事では済まないと分かっているのに?

 

何度も生まれ続けるそれは悪魔の誘いのようにも思え。心中が甘く蝕まれそうになる度、精神状態を操作しその感情に蓋をする。

何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も。

それを繰り返す度に、少しずつネカネの視界が色を失っていく。

自らの感情を押さえ込む度、心とも言うべき場所が磨耗していく。

 

(逃げる、逃げる、逃げる……ッ!)

 

自分自身に言い聞かせる様に心中で繰り返し、余計な思考をする余地を無くすように努めた。

最低限、周囲の気配を把握し、走る事に全能力を集中させる。

そうして更に加速すべく足に力を込め、踏み出して――――

 

――――そして、疲弊した精神は、それを見落としてしまった。

 

 

『――おやおやぁ? 自分達だけ助かろうナンテ、ズイブン薄情な人間さんデスネー?』

 

 

「――――、っ!?」

 

足元。響いてきたのは小さな女の子の声、そして、水音。

ぱしゃり、と。何処と無く間抜けな音が辺りに響き渡り、踏み込んだ筈の地面が大きく波打つ。

そうして足元に広がる溶けかけの雪が飛沫を上げて舞い上がり、流体化。驚くネカネ達を包み込んだ。

 

「きゃ……ごぼっ!!」

 

悲鳴を上げかけるアーニャの口に水が流れ込み、強引に声を潰す。

一時的に超人を凌駕した身体能力を持っていたネカネも、両手が塞がり、加えて地面が液状化しバランスを崩してしまった状態ではどうする事もできず。許されたのは、ただアーニャを抱きしめる事だけだった。

 

(――トラップ……!!)

 

身体を包み込む冷水に脈を乱しながら、ネカネは歯噛みする。森に入った時には何も無かった為、油断していた……!

この状況でとるべきだったのは、慎重さ。決して強行突破を考えるべきではなかった――そう後悔するが、それももう後の祭り。

 

「……っ」

 

上下左右、身体全体を包む液体の中で流され、平衡感覚を失った中。

胸の中に感じる温もりを守るように、或いは縋るように。ネカネはそれを抱きしめて――

 

…………

 

……

 

 

……全ては、5秒にも満たない一瞬の出来事。

後に残るのは遠くから響く喧騒の音と、枯れ木の間を風が吹き抜けていく音。それだけだった。

 

 

――人の気配が消え失せた、その場所。

白化粧が施されたその地面には、小さな水溜りが凍りつく事も無く広がっていた。

 

 

*******************

 

 

もう、嫌だ。

どうして僕がこんな目に合わなきゃいけないんだ。

 

最早描写し飽きた感のある小部屋の中。

その部屋の隅っこ。ぐしゃぐしゃにシーツの乱れたベッドの上で、僕は頭皮を掻き毟る。

 

「く、くそ、くそ……!」

 

指に伝わるのは、頭皮ではない硬い布の感触。頭の上に乗せているスタンから貰ったトンガリ帽子のものだ。

 

僕の頭全体を丸ごと覆ってしまうサイズのそれが、僕の指の動きに合わせてシワを形作り、歪む。

借り物なんだから少しは大事にしないと。なんて声が心のどこかから聞こえたけど、僕はそれを華麗にシカト。

恐怖、不安、混乱、そのほか諸々。頭の中を渦巻く激情のまま、より一層の力を込めて帽子に爪を立ててかき回した。

 

八つ当たりだろうがなんだろうが、そんなの知ったこっちゃ無い。こんな状況で帽子だけ寄こして消えた糞爺の持ち物に気を遣う必要なんて無いじゃないか。

引っかき、引っ張り、押し込み、捻り、絞り。そうしてしわくちゃになった帽子がポトリと床に落ちて、立てた爪が今度こそ頭皮を引っかいた。

 

「っ…………」

 

……駄目だ、落ち着け。落ち着けよ、僕。大丈夫だ、まだ慌てるような時間じゃない。

 

そのピリッとした痛みに少しだけ我を取り戻した僕は、震える横隔膜を押さえながら深く、息を吐き出した。

胸の奥はムカムカするし、性質の悪い吐き気もする。でも逃げてばかりじゃいられない。

ギガロマニアックスである事を見ない振りしている僕にとって、目の前に立ちはだかる現実は何処まで行っても現実のままなのだから。

 

「り、梨深ぃ……!」

 

ともすれば錯乱しそうになる意識を抑える意味を込め、愛しい少女の名を呟いて、震える眼球を無理矢理動かし外を見た。

 

窓の外、大きな雪の粒を振りまく冬の空。

そこにはどんよりと鈍色に濁ったぶ厚い曇が空一面を覆っていて、その隙間から白い欠片が舞っていた。

 

一つ一つが僕の拳位もあるそれらは、ボサボサと音を立てて降り積もり。見える限りの全てのものを白一色に染め上げる。

自重に耐え切れなくなったのか、時折屋根の上に積もっていた雪が地面にずり落ちる音が聞こえて。僕はその度に深まる寒気を予感して、ぶるりと肩を震わせた。

 

外国の片田舎が作り出した美しき大自然、いやぁこれからはそういう事も考えて暮らして行きましょうねぇ。なんて。

……まぁ、雪の間に変なものが混じってなかったら、そんな感じで締められたかもしれないね。

 

「…………」

 

カーテンの隙間から見える、その景色。

 

丁度村の真上辺りだろうか。空を舞う白い雪の乱舞に、ポツポツと……どころかワラワラゾロゾロザクザクドバドバと混じる黒いものがある。

それらは絶え間なく天から地へと螺旋を描き――遠目から見てみれば、まるで黒い竜巻が踊っているかのようだった。

 

……それは良く見れば、蝙蝠に似た羽や尻尾の様な物が付いた生物の形をしていて。その手足は身体に不釣合いなほどに太く、頭から細長い角が生えていた。

人間とはかけ離れた容姿をしているしているにも拘らず、ギャーギャーと微かに聞こえる叫び声は耳を澄ませば人語に聞こえないことも無くて――それは正しく化物、と呼ぶべき存在だった。

 

しかもダイナミック急降下を敢行する彼らは皆が皆村に対して攻撃の意思を持っているいるらしく、建物に突っ込んだり口からレーザーを出したりして破壊活動を行っているんだ。

 

しかし村の奴らもされるがままって訳じゃないみたいで、時たま地上から空に向かってレーザーっぽいのが放たれ、空を飛んでる黒い奴らを吹き飛ばしてる。

一本、二本、三本と。光の筋が黒竜巻を貫通する度に、何やら小さい物体がその中から弾き出され宙に向かってぶち撒けられていて――まぁ、それに関してはあんまり想像しない方が良いんだろうな。きっと。

 

 

―――化物と、魔法使い達の戦い。

 

 

現在、僕たちの居るこの場所はそんなポッター的な戦場となっているんだ。嘘だろ。

 

「……ひ、ひひ、ひ」

 

思わず、気持ち悪い笑い声が唇の端から漏れる。

だってそうでしょ? 

なんかデーモン系の敵キャラっぽいやつが自由に空を飛び回って、それで攻撃してきて。

 

爆音が一つ轟く度、空から地上にレーザーもどきが放たれる度。

雲を紅く照らす炎の光と共に遠目に見える建物が一つ、また一つと煙と音を上げながら瓦礫の山に変わっていくんだ。

そして、それに立ち向かう魔法使いの村人達。まるでCG満載のファンタジー映画を見てるような気分になるじゃないか。

 

朝から感じていた恐怖と、さっきのスタンとのやり取りでおかしくなっていた僕は、その光景を前にもう、何ていうか、笑うしかなかった。

それぐらいなら梨深だって許してくれるよね? ね?

 

「……ふひ、ひひひ……」

 

で、実際、これ、何なん? 何が起こってるのか、全くもって理解不能なんだけど。

 

あ、もしかして公式大型クエスト? 防衛イベ? ならPTコールしてくださればどのギルドにも行きますよ? 今僕フリーなもんで。

疾風迅雷のナイトハルトの名は伊達じゃないんだ、僕が加入したPTからは一人も戦死者を出さない自信はあるね。約束しても良い。

まぁ例外としてイライザの居るPTには入らないけどね。汚いネカマは大人しくおっ死んどけば良いんじゃない? ふひ、ふひひっひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひ…………

 

……ひひ、ひひひ、ひ、ひ――――!

 

「……ぁぁぁぁぁあああああぁぁぁぁぁ…………ッ!」

 

何なんだ! 何なんだよこれ!!

もう本当に嫌だ! ネギになってからと言うもの、禄でもない事ばっかりだ!

 

「くそっ! くっそぉ……!!」

 

僕はベッドの端に落ちていたトンガリ帽子を乱暴に引っ掴み、再び頭部から首元まですっぽり被る。

一呼吸ごとに濃い匂いが鼻腔に張り付いてくるけどそんな事は気にも留めず、身体に毛布をぐるぐると巻きつけた。

端から見ればどこぞのザコモンスターのような出で立ちだけど、その時の僕にはそんな事を気にしている余裕は無かった。

 

――この小屋の外に渦巻く、悪意。容赦なく叩きつけられる圧迫感。

そして朝から感じていた不安感も相まって情緒が不安定になっている僕は、もう色んな意味でギリギリだったんだ。

それこそ、スタンの加齢臭だかコロンだかの香りに縋り付き精神の安定を図るなんてキモい事をするくらいに。

 

「……ぐ、っくくくく……!」

 

貧乏ゆすりが止まらない。

あいつらが、村を襲ってる化物たちがこっちにやって来るかもしれない……そんな事を考えると、心の奥底から恐怖が込みあがって来る。

 

だって、いくらここが村から離れた場所にあるって言ってもそんな数十キロも離れてるって訳じゃない。空から見渡されれば簡単に見つかってしまうはずなんだ。

まだ見つかっていないのだって、デーモン達が村にかかり切りだからだろうし、攻撃が一段落したらまず間違いなくこっちまでやって来る。

 

……村の奴らがあいつらを撃退してくれる――なんて希望は、あの光景を見る限り抱く事ができないよ。

だってデーモンの数は村の住民の数を大きく凌駕してる。エンスーでの防衛イベントだって数十、数百のギルドが協力し合ってようやく達成できるんだ、あんな少数でどうにかできるなんて到底思えない。

 

――あの村は、まず間違いなく壊滅するだろう。そして、その次は僕だ。

 

「…………」

 

……村の奴らを心配する余裕なんて無かった。それよりも、自分の方が心配だったんだ

 

だって、あいつらは魔法やらなんやらが使えるんだろ? だったら相手を倒しきれなくても最低限逃げる事くらいは可能な筈じゃないか。

話を聞く限りじゃ治癒魔法なんてのもあるらしいし、怪我したってケアルとかザオリクとか回復L3とかでなんとかなるだろJK。ファンタジー的に考えて。

 

――けど、僕には何も出来ない。

 

この雪の中を逃げる体力も、襲われた時に戦う術も無い。精神的な問題でディソードも論外。出来る事があるのならば、それは見つからないよう居るかどうかも分からない神様に祈る事だけだ。

だってこちとら三歳児、人に頼らなきゃ生きる事もままならない弱い存在なのである。救いの目のある村人より、どうしようもない僕の現状を憂いたって良いだろう?

何より、あの村には良い思い出が無かったからね。

ネカネやアーニャも今は居ないし、もしも僕に被害が及ぶ可能性が無ければばザマァwwwとか言って笑ってたかもしれないよ。

 

……まぁ、死亡フラグを立てていった酔いどれ老害の事は少しだけ気になるけど。

 

記憶が作られたとか何とか意味深な事ばっかり言って、それで最後は『―――続きは、全てが終わってからじゃなぁ』なんてさ。『この戦いが終わったら俺結婚するんだ』と同レベルのフラグ強度だ。

村の奴らを逃がす為に敵を引き連れてマジカルに自爆、たった一人の死亡者となって真実は永久に語られる事は無かった、とか。超ありそうで怖いんですけど。

 

「く、くそ、くそ……!」

 

この様子から言って、どうせスタンもあそこで戦ってるに違いないんだ。あんな数の敵と、加えて嫌な奴らばっかりの村を助ける為に戦いに行くなんて、どっかおかしいんじゃないの? 

どうせなら他のご老人たちも呼び寄せて、村なんてほっといてここで僕の事を守っていて欲しかったよ。そうすれば少なくとも何を伝えたかったのかは分かったはずなのに。

 

さっき向けてきた敵意といい僕に気を揉ませる事といい、本当に糞爺極まりないな……!

帽子の下の部分から手を差し込み、柔らかい親指の爪を齧りながらそんな事を呟いて――

 

――――部屋の扉が輝き始めたのは、そんな時だった。

 

「……?」

 

帽子の内側、ベージュ色の生地が透過する光が一段と強くなった気がして、僕はトンガリ帽子の先端を引っ張って目が露出するまで帽子を引き上げた。

すると開けた視界に刺す様に強い輝きが入り込み、思わず目を眇めてしまう。

 

それは先程見た光。スタンが帰る為に使用した、扉に埋め込まれている(らしい)魔方陣が発する物だった。

 

「ふ…ふひひ…ひひ……!」

 

噂をすれば影が差す、とはよく言ったものだ。そのタイミング良さにキモい笑い声が漏れた。

……彼が、生きて帰ってきた。その事実が安心感となって僕の心に入り込み、ストレスに苛まれていた精神が少々の落ち着きを取り戻した。

 

……ん? 

あ、いや、嘘。全然落ち着いてないよ。マジでマジで。

 

「……ひ、ひ、な、何だよ。も、もう終わった、のか……」

 

勿論、敗北&エスケープ的な意味で。

僕は何度も「やっぱり」と呟きながら薄ら笑いを浮かべ、部屋の中を見渡し逃げ出す時に持っていく物を軽く一考する。

逃亡の為に戻ってきたと決め付けるのは少し早合点な気もするけど、多分そういう事で合ってると思う。

 

扉に向けていた目線を窓の外にスライドさせてみたけど、黒い竜巻は未だ村の上空に駐留したまま消える気配は無いんだ。

だったら、少なくとも敵をどうにか出来たって報告じゃない訳で。まぁ、あからさまな負けイベントであった事は明白だもんね、しょうがないね。

 

――加えて。

 

・戦況は多分極めて不利っぽい。

・ここには戦う為の物資とか、そんな物は何にも無い。

・あると言えば冷蔵庫の中身くらい。それか、僕。

 

それらの要素を踏まえた上で僕の所に来る理由――そんなの、ニア『逃げ出すために僕を連れてく』位しか思いつかないじゃないか。

 

「……ぱ、パソコン、くらいか……」

 

僕は身体に纏わせた毛布をたどたどしい手つきで脱ぎ捨てた。歪んだトンガリ帽子は何か頭の形に引っかかっていい感じにフィットしてたので、そのままで。

長い事貧乏ゆすりをしていた所為か痙攣する足を無理矢理動かして、ベッドの上を這いずる様にして机の方角に向かう。

 

この部屋の中で持っていくべきものは、愛用のノートPCだけだった。今の僕の手には余る重さだけど、置いて行くなんて事は考えられない。

 

(さて、どんな台詞で煽ってやろうか)

 

敗残兵たるスタンをどんな言葉で迎えてやるべきか。そんな事をつらつらと考えつつ、PC周りのコード類を取り外していく。

そうして電源コードだけをポケットに突っ込んで……後は、まぁ。口惜しいけど諦める事にしよう。ルーターとかごちゃっとしたコード類とか持って行けんし。

まぁ、最低限今やってるネトゲのオフが出来れば何とでもなる。

 

「よ……と」

 

PCを落とさないようしっかり両手で抱え込み……思い直して腹と服の間に滑り込ませて、ズボンの腰紐で固定する。

そしてその上からコートを着込み、僕がPCを所持している事を隠しておく。持っていることがバレてしまうと置いて行けと言われるかもしれないからね。

 

僕は重い腹を引きずりながら、輝きを強める扉の前に移動した。

この位置からは見えないけど、窓の外からはまだ轟音が堪える事無く響いてくる。あまり余裕の無い状態なのは確かだろうし、少しでも扉に近い位置に居た方が良いだろうと思ったんだ。

 

僕はもうさっさとこんな戦地からはおさらばしたいのだ、だから早く僕を連れ出して!

 

「……早く来い、早く……!」

 

僕は鼓膜を小さく揺らす音に怯えながら、扉の表面に浮き上がった魔法陣から草臥れた老人が出てくるのを待った。

一秒ごとに強さを増すその光は圧力を持って網膜を焼き、焦燥感をも煽っていく。

 

――早く来てよ、あいつらが来ないうちに、早く!

 

「…………」

 

何も言わずに、彼を待つ。

カタカタ、と。貧乏揺すりに合わせて腹部に仕込んだPCが音を刻んだ。

 

「…………」

 

カタカタ。

 

「…………」

 

カタカタ。

 

 

「…………」

 

カタカタ。

 

「…………」

 

カタカタ。

 

「…………」

 

中々姿を見せないスタンに苛立ちを募らせながらも、ただ、ひたすらに待つ。

……焦らしプレイは得意じゃないんだ! 来るなら来るでさっさと来いよ!

 

貧乏揺すりは地団駄に変わり、苛立ちのままに床板に靴底を叩き付け。

……もしかしたら魔方陣の先は洒落にならない状況なのかもしれない。それもここを緊急避難場所とするぐらいに……?

そんな事をチラッと思ったけど、僕の脳内は既に脱出ムード一色だったので、見ない振りしてどっかに放り投げた。

 

「く、くそ。早くしてくれよぉ……!」

 

滾る焦燥感を抑えきれず、ウロウロと落ち着き無く歩き回る。扉に目線をやったまま、早歩きで円を描くように、ぐるぐると。

……ずっと貧乏揺すりをしていた所為か、何か足痛くなってきた。ヒキオタの体力の無さを舐めんな。

 

とりあえず、ベッドに座ってようかな。そんな事を考えつつ、僕は扉に背を向けて――――

 

――――――――光。

 

「っうぇ!?」

 

カッ!

……なんて擬音が轟いたと錯覚するほどに、一際大きく扉の魔方陣が輝いた。

 

「え? え?」

 

……スタン?

突如背後から出現した強力な圧力に、僕は思わず振り向いた。すると僕の目に先程とは比較にならない程の痛み――つまりは、光が突き刺さる。

視神経を直接焼き切るような鋭い痛みに咄嗟に俯き、小さく呻いて両目を小さな手で押さえた。

 

これがバルスか! なんて冗談言ってられる余裕なんて無い。

だってそれに加えて、更にはピシピシと扉に罅が入るような音も聞こえ始めていて――

 

――これ、なんか違う!!

 

その様子に只ならぬ気配を感じた僕は、まだよく見えない目を擦りながらベッドの影に隠れようと走り出した。

胸に沸き起こる恐怖と共に、只ひたすらに真っ直ぐに。その際にベッドの端に足を引っ掛けたけど、その時の痛みも無視をした。

……でも、少し遅かったみたいだ。

 

「――っぐぁ!?」

 

轟音と共に背後の扉が粉々に砕け散った。

そして巻き起こる風が僕を吹き飛ばし、同時に背中に何かが物凄い勢いでぶち当たる。

 

僕はその衝撃に耐え切れず、近くにあった椅子を巻き込んで床の上にバウンドしながら転がって、回転。机の足の部分に背中を強く打ち付けてしまった。

ごり、という音と、何か背中の真ん中がずれた様な感覚。打ったのは背中なのに、何故か全身がキリキリと変な痛みを訴える。背骨とかに問題が起こってませんように……!

 

――何だ? 何が起こったんだ!?

 

「っが……っほ、ぐ、は……!」

 

「……けほっ、けほっ! おぇ……」

 

そうしてそのあまりの痛みに息が出来なくなり、涙と涎を撒き散らしながら喘ぐ僕の耳にもう一つ。自分の物ではない咳き込む音が聞こえた。

キャパシティを超えた混乱と痛覚によりノイズの走る思考の中、僕の涙でぼやける視界は無意識にその姿を――先程背中にぶつかってきた物体Xを追い、認識。

 

――まず映ったのは、赤い色素の混じった長い髪。

 

――次に映ったのは、水の濡れたローブが張り付いた、小柄な身体。

 

――そして最後に気管にでも水が入ったのか、必死になって咳をして水を吐き出し続ける幼い少女の歪んだ表情が映る。

 

「っ……た、たく……?」

 

――――僕の精神的な妹分にして身体的な姉貴分。自称幼馴染のアーニャの姿が、そこにはあった。

 




■ ■ ■

だが私は謝らない。

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