Chaos;an onion HEAD   作:変わり身

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迫り来る恐怖に負けて茨を手に取った事を。僕はきっと、一生後悔し続けるんだろう。



第12章  Re;

死の間際、野呂瀬玄一は自らの野望が成就した世界を視た。

死の間際、西條拓巳は咲畑梨深が生きている世界を視た。

死の間際、ニシジョウタクミはIr2の式が無い世界を視た。

そして、ノアⅡの無意識――感情を持たないそれが、三つの世界を観測し、認識していた。

 

全ては死にかけた奴らが描いた、くだらない妄想。ただ、それだけの話だったんだ。

 

「ふ、ひひ……! ひひひひひ……っ」

 

凄いよね。アインシュタインをも超えた僕と、アインシュタインと並び立った彼。そして、アインシュタインの一歩手前に留まった男。

世界で見ても確実に五本指に入るような上位ギガロマニアックス三人が、委細は違えど同じタイミング、それも死の直前と言う人が最も念を濃くする場面で、世界を渇望したんだから。

 

「ひひひひひひっ、ふひ、ふひひひひひひ……」

 

最初にノアⅡが受けたのは、自身の主にして鍵たる野呂瀬の妄想。そして次に僕。相反する二色の妄想が混ざり、猛り。思念の激流を産み出した。

それはノアⅡの身体が失われた後も、彼、或いは彼女の意識を動かし続けるには十分すぎるものだったんだ。

幸か不幸か、僕は全てを纏めて取り込んだみたいだからね。ノアⅡの放つ電磁波もそのままの状態で混ざりこんだんだろうさ。

 

そうして繋がりを辿っていった先。唯一身体とディソードを持ったままの彼の力を利用して、炸裂。僕達二人の妄想が混ざった世界をリアルブートしようとしたんだ。

可能不可能関係なく、ただ愚直に動き続けるそれは、もしかしたら一種の暴走状態だったのかもしれないよ。

 

……でも、駄目だった。将軍が僕達の炸裂に耐え切れず、ギガロマニアックスとしての力を放り出してしまったんだ。

その衝撃は将軍からギガロマニアックスとして得てきたもの、失ってきたもの、全てを巻き込み、一切合財奪い取り。

僕達は――ディソードを通してディラックの海に干渉していたその妄想は担い手を失い、現実世界に辿り着く寸前で置き去りにされたんだ。蜘蛛の糸を掴んだカンダタの様にね。

 

「ひぃひひひひひひっひっひっひ、ひ、ひ、ひぃひひひひ……!」

 

そうして放り出された妄想は、本当なら何も成せないまま消えて行く筈だった。反粒子の波の中に呑み込まれて、二度と浮き上がって来ない筈だった。

 

まぁ、当たり前だ。世界をリアルブートするなんて、人間に可能な範囲を大きく飛び越してる。

僕らがどんな化物であったとしても、どんな強い想いを持っていたとしても。人間程度の妄想じゃそんな大それた事なんて出来やしないんだ。

ノアⅡだって同じだ。それが出来るのは人々を洗脳した上で未来に望む世界を作り出すだけで、現在に望む世界を創り出せる訳じゃないんだよ。

 

……ところが、ここで想定外の事態が起こった。

リアルブートされる寸前の密度を増した妄想の一部が、ディラックの海の中で周囲共通認識を発生させてしまったんだ。

 

「ひ、っひっ、ひひぃ……ふひひひひひひひっ……!」

 

何度も言っている通り、あの時存在した妄想の塊は、僕、将軍、野呂瀬、ついでにノアⅡ。この四つのものが混ざってた。

将軍は、ただ妄想を巻き込まれただけだから除外。野呂瀬も同じような感じだから除外する。

意識と呼べる程に確立していたのは、人間を辞めてジョジョってた僕と、強迫観念にも似た妄想に動かされていたノアⅡのそれ。意識モドキだとしても、それが二人分あれば周囲共通認識は発生する。

 

じゃあ、その共通認識で妄想がリアルブートされるとしたら、一体それは何処に顕現されるだろうか。

 

「ひ、ひ――――!!」

 

――――答えは、妄想が混在する混沌の渦中、だ。

 

それは、まるでマトリョーシカ。

僕達は、ディラックの海の中に浮かぶ妄想の中にまた違う妄想をリアルブートするなんて、物凄く器用な事をやらかしてしまったんだよ。

 

おまけに何をまかり間違ったのか、僕の意識と呼ぶべき妄想の欠片がその世界に放り込まれた訳だ。

……何て、下らない真相。

 

「ふひひひひひひひひひひひひひひひ、ぃぃひっひひひひひひひひっひいいっひひ!!」

 

反粒子の詰まった空間の中で、器の手を離れた妄想が存在し続けられるのか。という疑問はあるよ。

 

けれど、脳みそを破壊されても蘇り続けた反粒子の塊である僕が混ざっていて、尚且つ身体が無いから自己崩壊を起こす心配も無かったんだ。相性はこれ以上無いほどに良い筈だろう?

それを考えれば、決して不可能とは言い切れない。海の一部として馴染んでしまったとしてもおかしくなんて無いんだ。

そして、今もノアⅡの妄想は続いてる。野呂瀬の要素を持った僕達からの妄想を遂行すべく、世界を構築し続ける。妄想の世界の中で、妄想を産み出し続けてるんだ。

 

構成に足りない知識と情報は、全て外から補える。

 

――思考盗撮。

 

ディラックの海は、時間や場所の影響を受けない、独立した虚数空間だ。それはつまり、干渉してくるギガロマニアックス達には現在過去未来の区切りが存在しないと言う事で。

ノアⅡは、そんな幾千幾万のギガロマニアックス達のディソードを介して、そいつらの知っている事、知っているつもりだった事を読み取ったんだよ。

 

木も、空も、雪も、建物も、アーニャも、ネカネも、スタンも、村の人間たちも、ネギと言う人間も。それどころか、この世界に存在する全ての人間も、全部そう。僕と同じ、妄想で出来た作り物。

僕らのご同輩には、アインシュタインを始めとした歴史に名を連ねる偉人達が沢山居たらしいからね。情報には事欠かなかっただろうさ。

 

魔法とか何やら、ファンタジーの存在だってその一部分に過ぎないんじゃないかな。

不特定多数のそいつらの中には、英雄の存在と、それを信奉する人間達を視ていた奴が居たんだろう。

魔法の存在を信じ込んでいた奴も、魔法世界()が存在すると思い込んでいた奴も、化物が存在すると洗脳されていた奴だって。

神を狂信してた奴も、裏世界()の存在を疑っていた厨二病患者も。ひょっとしたら宇宙人とか火星人を本気で居ると思ってた奴も居たかもしれない。

 

そんなくだらない妄想に犯された、人間失格の連中が思い浮かべている絵空事を、ノアⅡは全て「知識」として受け取って。正しい事も間違っている事も関係なく、全てを世界の公式として取り込んだ。

人間ならリアルブートが不可能だったそれらも、思考がぶれる事も反粒子の負担も感じる事も無いノアⅡの無意識なら。加えて心象世界なんて閉じた世界でなら不可能じゃなくなるんだよ。

 

――――『世界五分前仮説』

 

バートランド・なんちゃらが提唱した、「世界が五分前に、全ての実在しない過去を住民が覚えていた形で出現した」という仮説からなる哲学的思考実験の一つ。

今回起こった出来事は、図らずもそれを実現したんだ。流石に、五分前って事は無いだろうけど。

 

「ぴひひひひ、ひ、ひ、ひ……!」

 

あの世界に希テクノロジーや紳光、三百人委員会が存在しなかったのは、将軍が『自身の罪の無い世界』を望んだからだ。

だって彼らが居なければ、将軍が後悔し続ける事態なんて起きないんだからね。

ついでに、僕の望んだ『梨深が生きている幸せな世界』もそれに付随する未来に達成されるんだ。存在させる理由なんて一つも無い。

 

懸念されるのは野呂瀬の望んだ『争いの無い管理された世界』だけど――――それはもう、何らかの理由で潰えているんだろうね。

僕の腕から伸びる茨のうち、枯れている一本を見る限り、きっとその筈だ。

 

はてさて、今の僕は、ディラックの海に浮かんでいる筈の僕達は、一体どんな姿形に成っているんだろうね?

妄想だけの実体の無い姿? それとも僕の最期の時の様な塵の姿かな?

将軍が言ってた通り、反粒子の中に脳みそと心臓が浮かんでいるのかな、若しくは永久機関を積んだノアⅡの機構かも知れないね。

 

――――そんなの、知りたくも無いし知る機会も無いけど。

 

上位のギガロマニアックスの一致した妄想、感情の無い意識、反粒子の塊になってた僕、僕と繋がっていた将軍、将軍が力を放り出したタイミング。あり得ない程の異常な現象が重なって起きた、この現状。

それだけの要素を揃えるなんて、殆ど奇跡に近いよ。きっと二度と同じ事なんて起こらないだろうね。

 

「ひひひひぃ! ひひぃ! ひ、ひ、ふひひひひひひひ――――!!」

 

ああ、そうだ。僕が「ネギ」になったのも、そんな馬鹿どもの妄想と、それに混入した僕が合わさってしまった結果なんだろうね。

「優しい姉と、彼女候補の幼馴染がいる、イケメンの僕」、考えてみれば、どこかで聞いた事のある設定だ。具体的に言うなら妄想の七海が消え去った直後ぐらいに。

それに魔法やら何やらが肉付けされてリアルブートされれば――ねぇ? 1996年時に三歳ならば、2010年時の西條拓巳の年齢的にも一致するし、まだ登場してない「物分りのいい妹」だって、出来ててもおかしくない。

 

見なよ。あれだけぐだぐだ悩み続けて、僕は誰だ自己の安定がどーしただとか哲学的な感じで彼是して苦しんでたのが、「全部妄想でしたー」で終了っすよ。

 

 

――――もう、笑いが止まらない。馬鹿らしくて、アホらしくて、冗談みたいで、糞みたいで。惨め過ぎて、本当、嫌になる……!

 

 

「――ひ、ひ――――んっだよぉ! 何なんだよぉ! 今更、馬鹿じゃないの!? ねぇ、氏ねよぉ! 市ねっ! 死ねぇ!!」

 

彼の心象世界。青と白の空間の中。

青い空を映す湖面、動く度に水の音を上げるそれに背中から倒れこんで、顔中から体液を流して笑い転げていた僕は、胸糞悪い薄笑いを浮かべたまま立っている将軍に支離滅裂な罵声を浴びせた。

 

『――――――――』

 

何かブツブツと言葉を話してるみたいだけど、今の僕にはそれに耳を傾ける余裕なんて無い。

涙を飛ばし、涎を飛ばし。笑いすぎて掠れた声を無理矢理絞り出して、感じたまま、浮かんだままの悪意を無加工で投げつけるのに精一杯。

 

本当はもっと酷い言葉とか嫌味とかを言ってやりたかったけど、僕の頭はもう破裂寸前でまともに動こうとしていなかった。

 

――今まで居た場所が、会話してた人達が。みんな僕と同じ、妄想から出来た存在だった。

 

木材の湿った匂いも。

冬の寒さも。

ストーブの暖かさも。

美味しかったサンドイッチも。

アーニャの糞ガキっぷりも。

ネカネの優しさも。

スタンの説教も。

村人も、ネトゲで触れ合った奴らも、あの化物達も、僕を殺そうとした黒い奴も全部全部。全てがみんな、嘘っぱち。

 

そんなの、僕は絶対に認めたくなかったんだ。将軍の妄想だと。推測だと。全てを力いっぱい否定したかった。

……けれど、無理矢理に記憶をぶち込まれた僕の妄想が、あるのかどうかも分からない脳が。これを真実だって認めていて。

 

心と理性とがズレている。僕はそれを自覚していたけれど、何もする事が出来ず。ただ延々と喚き続ける事しか出来なかったんだよ。

どうしたら良いのか。何を思えば良いのか。それすらも、今の僕には分からなかった。

 

「だって、こんなっ! これっ……! そん、そんなの、そんな、して、何になるんだよ! お、おか、おかしいじゃない、っか、こんなのぉ……!!」

 

どうせなら、僕が「ネギ」としてリアルブートされた瞬間に教えて欲しかった。皆と言葉を交わす前に教えて欲しかったよ。そうすれば、ここまで乱れる事は無かったんだ。

ディソードに触れて「自覚しなかった」僕が悪いんだろうけど、そう将軍に当たらずには居られない。

 

僕は土下座の姿勢で蹲り、涙を流して嗚咽を漏らす。しかし顔の形は先程と同じ笑みのままで、情緒が全くといっていいほど安定していないのが如実に分かる有様だ。

――千々に裂かれた心が、大きな悲鳴を上げている。それがはっきりと自覚できた。

 

「んの為に! 何の為に! ぼく、僕は、っあ、あんな、あんなぁ……っ!!」

 

僕が居た事に、成した事に。あの世界に存在した事に、一体何の意味があった?

感じていた苦しみに、過ごして来た時間に何の意味があった?

最後の最後でアーニャを助けた事に、何の意味があったんだ?

 

全部全部、妄想だったって言うんなら、そんなの。

 

「な、何の、何の意味も、無かったじゃないか……!!」

 

ニュージェネの時や梨深の時とは違う、正真正銘に無価値だった時間と、その結末。

滑稽なピエロだったにも程がある。

 

――凄まじいまでの、虚無感。

 

「……っぐ、っぞぉ……! しね。しね、よぅ……ッ!!」

 

……そうやって泣いていると、腕から垂れる枯れた茨が、涙に歪む視界の中に入った。

無残な姿を晒すそれは野呂瀬の残滓。果たされなかった世界の残骸だ。

多分、僕もあと少しもすればこの枯れた茨と同じ末路を辿るんだろう。打ち砕かれた妄想は消滅し、そしてノアⅡと将軍だけが世界に残るんだ。

 

……どうせなら、何にも知らないまま。アーニャを助けられた少しの安堵を胸に、死への恐怖に塗れたまま居なくなりたかったよ。

そうすれば、少なくともこんな場所に来て、彼の記憶を見る事も無かったんだからね。

 

――けれど、現実/妄想はこれだ。

 

ほんの少し「生きたい」なんて思ってしまったばっかりに。生への執着を抑制できずディソードを掴んで、将軍を自覚してしまったばっかりに。

知りたくも無かった真実とやらを突きつけられて、絶望と混乱の中で死んでいく事を強制された。

 

「……くっそ、くそ……! な、にが、何が、したかったんだよ、きみ、っはぁ……!!」

 

そうして、やり場の無くなった感情。

憤りや憎しみ、嫉妬や悔恨。その八つ当たりにも似た負の感情は、僕の意識をここに呼んだ張本人。未だ一人で何かを話し続けている将軍へと向けられた。

 

僕を生み出した親にして、全ての元凶。

憎むべき存在だった彼の居る場所に向かって、震える足、力の入らない腕に力を込め、立ち上がり。茨で繋がったディソードを引き摺ったまま、ゆっくりと近づいていく。

一歩、また一歩。足を踏み出す度、長い事忘れていた青年の足の長さに四苦八苦。何度もよたよたとバランスを崩しかけて、それがまた僕を苛立たせた。

 

「そんな、あんな記憶、僕はいらなかった! 必要なかったんだよ!!」

 

『……――で、僕は、君にしてあげられる事が余りに少ない事に気が付いた』

 

「素直に死なせてくれれば良かった! 君には、現実を生きている君には、何の関係も、無い、無かったんだからな!」

 

『僕には、おぼろげに君の存在を感知できるだけで、君が何をしているのか察知する事は出来ないんだ。だから――』

 

噛み合わない会話。

 

前のめりに倒れそうになる身体を必死に往なし、将軍に向かって叫び続けるけど。僕の言葉は彼に届いていないようだった。

どんなに大声を張り上げても、どんなに泣き喚いても。将軍はその薄ら笑いを止めず、視線も何処かあさっての方向に向けられたまま喋り続けるだけで。

 

それは、無視や聞き流してるのとは違うように思えたよ。

何というか、予め記録されている言葉をただ再生されているだけの様な。映像や動くマネキンを相手取っている様な違和感だ。

 

――不愉快、極まりない。

 

僕の姿が目に入っていないかのように、聞きたくも無い声を吐き出し続けるその姿が、目障りな事この上ないんだ。

 

「こ、の……ッ!! っぐ!」

 

暴れる感情のまま走り出そうとして、失敗。足を縺れさせて、頭から湖面に突っ込んだ。

バシャンと水が弾ける音が周囲に響き、遅れて打ちあがった飛沫が着水。雨音にも似た響きが僕の鼓膜を揺らす。

水の冷たさも、痛みも感じない。今の僕にあるのは、もどかしさと情けなさ。大きな喪失感と、虚無感。それと、将軍への憤りだ。

 

『――僕は既にギガロマニアックスの力を失って――――君には感謝しても仕切れない――――例えそれが偶発的なものであっても――――』

 

僕には、彼が何を考えているのかが分からない。

毎夜毎夜、この将軍の心象世界の夢を見させて、ディソードを取るように仕向けて。

結局、僕は最期まで気付か無かった訳だけど、何のためにそんな事をしてたんだ?

 

自分の記憶を見せる為? 僕の現状を教える為? それとも感謝を伝えたかった? 

……どれにしてもありがた迷惑の余計なお世話だ、反吐が出る!

 

湧き上がる怒りのまま、僕は将軍の言葉を聞かない事に決めた。

どうせあと数刻もしない内に僕は消えるし、向こうは向こうで僕の話を聞く気も無いんだ。だったら耳を傾ける義理も意味も無いだろう?

 

「ぎ……ひひっひひひ、ひ。っし、っし、ょう軍ん……ッ!!」

 

そうして消える前に、せめて一発。

僕が抱いている負の感情の全てを乗せた一撃をお見舞いしてやりたい、と強く思って。

 

血走る目をギョロ付かせ、蜘蛛の様に四つん這い。バランスも何かも無視をして、格好悪く走り出す体勢をとった。

何処の東映版マーベルヒーローだよ、なんて思考の冷静だった部分がそう告げたけど。それすら僕は無視をして。腕と足に力を溜め込んだ。

 

『……だから、僕は、君にあげられる唯一のものをあげようと思う』

 

未だに何かぐだぐだ言ってるけど、もうそんなん知らん。

ただ――殴りたいんだよ、僕は!

 

『それは多分、君が一番望んでいたもの。君が欲しがって止まない物だった筈だ』

 

軽く吐息を吐き、歯を食い縛る。口の端から涎が垂れたけど、既に顔はぐちゃぐちゃなんだ。気にする程の事じゃない。

そうして、力いっぱい湖面を蹴りだそうとして――――

 

 

『――そう―――』

 

 

ふと、将軍の視線が。僕を貫いた気がした。

 

 

彼は、言う。

 

 

『――そう、ニシジョウタクミの身体と――西條拓巳としての人生を、僕は君に捧げたいんだよ』

 

 

――――――――がぎ、り。

 

僕の思考が、鈍い音を立てて止まった。

 

 

********************************

 

 

「――は、……え?」

 

思わず、呆けた声を漏らした。

今正に走り出そうとしていた身体は溜め込んでいた力を失い、再び土下座に似た四つん這いの姿勢へと形を戻して。

僕はただ、先程から変わらず飄々とした様子の将軍を見続けることしか出来なかった。

 

そしてやはり認識していないのだろう。そんな僕の様子に目を向ける事も気付く事すらもなく、彼は続ける。

 

『さっきも言ったと思うけど、僕はもうギガロマニアックスとしての力の大部分を失っている。あるのは、君との繋がりだけ。そっちの存在は感じられるけど、こちらから自由に意思を伝える事は出来なくなってるんだ。そうだね、精々夢として記憶を見せるくらいだ。出来てるって確証は、無いけれど』

 

「ぁ……あ、え」

 

『今こうやって話している事も、本当に君に伝わっているのか、凄く不安だ。……傍から見れば、僕は誰も居ない病室で独り言を言ってるように見えるかな? 誰も見てないと良いな』

 

将軍は、そう言ってくすりと笑う。

以前と比べて表情が豊かになったように感じるのは、余裕が持てるようになったのか、それとも皺が無くなったからか。判断がつかない。

 

『……とにかく、もし、この声が届いているのなら、その世界から妄想を切り離し、繋がりを辿って僕の下に来て欲しい。

 そしてギガロマニアックスの力で脳細胞を作り変えて、「君」をインストールすればそれで終わり。僕は僕じゃない、君に成るんだ』

 

 

――君は西條拓巳として、誰でもない一つの個として生きる事が出来るんだよ。

 

 

その一言は、僕の心深くに染み込んだ。

 

『だから、こんな貧弱な身体だけど、どうか君に――――』

 

ザリ、と。

それを全て言い切る事無く、大きな雑音と共に彼は突然動きを止め――その身体中にノイズを走らせた。

まるでテレビの砂嵐みたいに、アニメでよく見るホログラムの様に。彼の姿が激しくぶれて、掠れて。人の形を無くしていって。

 

そうしてそのまま数十秒した後、突然将軍の姿が正常に戻り――再び僕の脳内に彼の記憶が送り込まれてくる。

流れるのは、崩壊した渋谷を眺めている光景、七海の右手をリアルブートした時の記憶。

どうやら、将軍は同じ記憶を何度もリピートしているらしい。既に一度見た景色が、頭の中に広がって行くよ。

 

「…………」

 

そんな最中にあって、僕は何の反応も返す事無く、ただ凍りついていた。

先程まで感じていた怒りも、嘆きも、絶望も。綺麗さっぱりなくなって。酷い困惑が頭の中を埋め尽くしてるんだ。

そうして、先程の言葉が延々と木霊する。

 

――僕が、現実に帰れる?

 

「…………」

 

それも、彼に産み出された妄想人間として、じゃなく。

自然に産み出された人間としての身体で。設定じゃない、正真正銘の一として。

 

西條拓巳として、会いたかった、僕を知っている人たちの所へ――――?

 

「…………」

 

……それは正に、悪魔の誘惑だった。

この世界。最早死を待つしかないこの状況から、皆の居る現実世界に帰ることが出来る。

それだけじゃない、将軍に成り代わるって事は、たった一人の、正真正銘の西條拓巳として、梨深の傍に居られる権利を得られるって事で。

 

「…………」

 

そうだよ、それに七海だって、僕を本当の兄貴に見てくれるようになる。

血の繋がりの無い妹というのも捨て難いけれど――胸を張って「本当の家族」という関係になれるんだよ。

 

――皆の所に帰れて、大切な存在の隣に堂々と居られる。

 

それは僕がネギとして存在していた時に、何度も願った夢。これ以上無い位に強く欲した場所だった。

 

「…………」

 

……半ば、無意識の内に。

ずるずる、と。四つん這いの状態のまま、身体を将軍の下に引きずっていく。

 

暗闇の中、彼の記憶に染まった景色の中、一つだけ。人の形に揺らめく光に向かって。

それは街灯によって来る害虫の様に、屍骸に群がる意地の汚い獣の様に。みっともなく、浅ましく。

 

その姿には、たった一片の誠実さすらも無かった。

 

「…………」

 

――――セナの声が、聞こえる。

 

 

『アイツは、私との約束を守ってくれた。あの男の妄想を殺し、全てに決着をつけてくれた』

 

 

「……ふ、ひひ……」

 

――――こずぴぃの声が、聞こえる。

 

 

『帰ってきたら、い~~~っぱいスキスキしたかったのに。い~~~っぱいありがとうしたかったのに』

 

 

「……そ、そうだ……僕は……」

 

――――優愛の声が、聞こえる。

 

 

『ええ、それは分かります。だって、私も――――それを、望んでいますから』

 

 

「……っぼ、僕は、っあ。のぞ、望まれてるんだ……!」

 

――――あやせの声が、聞こえる

 

 

『……グラジオール、邪神の使途、そして……私の拓巳』

 

 

「っし、将軍よりも、誰よりも……! 帰ってきて欲しいって、ね、願わ、れて、るんだ……!」

 

――――三住くんの声が、聞こえる。

 

 

『……よく分かんねぇけど、あいつが、俺のダチが居なくなったのはテメェの所為って事かよ!?』

 

 

「ひ、ひひ……ふひひひひひ……!」

 

視界が開き、再び白と青の世界に戻る。

そして感じたのは、不謹慎な優越感。

脳内を流れた、僕を想ってくれてる彼女達の姿。それは自身の行動を正当化するには十分な光景で。

一センチ前に進む度、腕の力が増していく。早く将軍の下に辿り着こうと、精神が昂ぶって行く。

 

そうして、徐々に将軍へと近づいて行くんだ。

涙を流したまま、涎を垂らしたまま。だらしの無い笑みを浮かべた表情に、どろりと濁った光を湛えた目で。

 

僕は見た。彼らの隣で笑っている自分の姿を、楽しげに談笑している、僕の幸せを。

僕じゃ掴めなかった光景。彼だけが掴む事の出来た光景。

いつか夢見た現実/妄想に、何度も望んだ願望に。今なら、触れることが出来るんだ。

 

「……っあ、あ」

 

茨の巻きついた右腕をゆっくりと持ち上げて。引っ張られた胸筋に肺が押し潰されて、声が漏れた。

未だバランス感覚は取り戻せなかったけれど、そんなの、最早些細な事だ。

あれ程難しかった立つという動作を、歩くという動作を。僕は全て吹き飛ばして。

 

――そして、気が付けば、僕は将軍の前に腕を伸ばした姿勢のままで立って居て。

 

「……は、はは……」

 

帰ったら、まず何をしようか。

梨深に会って、七海に会って、三住くんに会って。その他大勢に会って。僕は何を伝えよう。

好きだって言おうか、ありがとうって言おうか、僕と友達で居てくれた事を感謝しようか。

言いたい事が、言ってほしい事が山ほどある。

そんな、幸せな、夢。

胸に溢れる幸福感に、指先が震える。

 

さぁ、帰るんだ。

 

僕には、帰りを待ってくれてる人が、沢山居るんだから。

 

そうして、伸ばした腕が、指が。未だあさっての方向に喋り続けている彼の姿に重なって――――

 

 

 

 

 

 

『――――タクッ!』

 

 

 

 

 

 

――――最後に、その声を聞いた。

 

 

「っ、」

 

ぴたり。将軍に触れかけていた指が止まる。

 

僕の耳朶を打ったのは、聞きなれた少女の声。

聞いているだけで安心するような、鈴が転がるように綺麗なその音は――――果たして、誰の物だったろうか?

僕の名を呼んだのが、一体『どちら』だったのか。何故か判別できなかったんだ。

 

「――――」

 

そうして呟いたのは、一人の少女の名前。

口の中ではっきりと呟いた筈のそれは、やはり自分でも聞き取る事ができなくて。

昂ぶっていた心がざわざわと漣立ち、小さな苛立ちが僕の心の中で摩擦を生む。

 

……体が、動かない。

 

目の前の将軍に触れれば、それだけで終わりなのに。皆の所に帰る事ができるのに。

心の底から望んでいる筈のその一歩が、どうしても踏み出すことが出来なくなっていた。

 

「……、……っぐ、ひ……」

 

『……――までで、僕は、君にしてあげられる事が余りに少ない事に気が付いた――』

 

ふらり、と。喋り続ける将軍から距離を取るように。一歩、二歩。バランスを崩しながら後ろに下がり。

そうして立っていられなくなった僕は、水面に音を立てて尻餅をついた。

 

後に生まれたのは、もう何度目かも分からない雨。

それは湖面に幾つもの小さい波紋を描いて、そこに映る僕の姿を乱し、隠して。

 

――そして、波紋が止んだ後、そこに映っていた顔は。

 

「……ふ、ひひひ、ひひ、ひ……」

 

全身から力が抜け、糸が切れたかのように頭が下を向き。呻き声にも似た小さな笑い声が、口の端から垂れていく。

それは今の僕の心情を表すかのように墜落し、垂れる僕の体液と一緒に湖面の中に沈んでいって。其処に映っている情けない笑い顔にぶち当たる。

 

即ち――泣き笑いをしている三歳のガキの、顔に。

 

「ぃ、ぇっひぇっひぇっひぇ、ぃひ、ひぃぃ……!」

 

横隔膜が引き攣って、気味の悪い声が無意識に発せられた。

それは、笑い声だったのか、それとも悲鳴だったのか。きっと、どっちも合っているんだろうし、どっちも間違っているんだろう。

 

――僕の心は、顔と同じでもうぐちゃぐちゃだ。

 

自分が何を感じているのか、何を思っているのかは勿論。

何をどうすれば良いのか、どうして何を成せば良いのか。回すべき思考も、下すべき判断も。何もかもが出来なくなってる。

胸に溢れた幸福感も、見ていた筈の夢も。全ては飛沫と共に弾け、消え。

 

「……っあ、ああ、あぶ、危なかった……よ……! そ、そんっ。っな……君、の。君の思う、通りに、なんて。さ、させるもん、かよ」

 

だから、これから喋るのは、何の意味も無い、戯言なんだ。

正常な判断とは程遠い、理屈も道理も何も無い、惨めで卑怯なキモオタの、嫉妬に塗れたプライドの発露。

 

――ただ感じるままに、何一つ思考せず。感情の迸りを、口に出す。

 

……水面に映る小さな手から続く大きな手が、湖面を握り締めるように指に力を入れた。

 

「そう、そうやって。ぼぼ、僕を、嵌める気。なんだろ? 自分、自分が。っぐ。罪滅ぼし、とか、そんな感じで。気持ち良くなろうとし、ってる。だけの。オナニーを、手伝わせる、気、なんだろ」

 

ホモォとか、マジキモイ。粘つく口内が、そんな言葉を転がした。

そうして未だふら付く足を酷使して立ち上がろうとするけど、上手く行かなくて。まるで生まれ立ての小鹿のような有様を晒してしまう。

 

立とうとしてはずっこけて、立とうとしてはずっこけて。

そんな事をグダグダやっていると、三週目に入ったのか、三度崩壊した渋谷と七海の姿が目の前に広がった。

 

「ほ、ほらこうやって。なんか、し、死にかけで、「かわいそうな僕」、っを、演出して。見せて。ゆう、誘導してるんだ。都合の良い、ようにさ」

 

バランスを取ろうと手を振り回していると、指先に何かトゲトゲしたものが引っかかって。掴み。

そして不思議と痛みを感じないそれを見ないまま、その先っぽを湖面に突き刺して、杖代わりに利用した。

 

握った掌から度を越えた嫌悪感が僕に襲い掛かるけど、今更そんなものを感じた所でどうなる訳でもない。僕の心は既に、それに反応できる段階じゃなくなっているんだから。

 

「ぼ、僕を、君の所に、行かせる様に。僕を、コントロール、っす、る。為に……! あんな、さく、っさ、サクラも使って、準備の良い、事だよねぇ……!!」

 

次々に僕の事を想ってる風な発言をしてくるイカレポンチどもをそう切って捨て、ぐるぐると回る視界の中に、将軍の姿を映し込む。

彼は未だにぶちぶちと意味の無い発言を繰り返していて、見てるだけで心象的不快指数MAX。

 

「っで、も。僕は、騙されない。騙されるもんか。ふひ。だって、だって。そうだろ? もし、僕が、それ、誘いに乗ったり、したら。将軍を、消して、殺してしまったら――」

 

 

――そんなの、梨深が、七海が。泣くじゃないか。

 

 

それは、僕が一番望まない事だった。

君を大切に思ってくれる人、君が生きている事を喜んでくれた筈の人。僕が君を殺すのは、彼女達に対する禁忌にも等しい裏切りなんだよ。

 

「本末転倒、だろ。そんなん……! ぼぼ、っくはぁ! 死ぬ、前に! っいぃぃひひひぃ、っい、言ってやるぞ、死ぬ! 死ぬ! 死ぬ! 前にっ! 梨深がぁっ、梨深を、想って!!」

 

四週目。崩壊した渋谷と七海の姿が広がる。

 

「――っせぇんだよぉ! 消えろよぉ!!」

 

世界が暗闇に包まれていく中、僕は棒を握った腕を大きく振り回し。将軍が飽きずに送りつけてくる記憶を切り裂いた。

後に戻るのは、この世界だ。彼と梨深の思い出の場所、青と白の心象世界。

 

「っそ! くそっ!! ひ、ふ、ひひひ、ひひっ! り、梨深の、出てくる記憶を見せなかったのは、そう言う事、だろ? 僕に、余計な躊躇いを、与えなくする。為ぇ! ひひひ、ひひっ! ひ!」

 

そうして振り回した勢いのまま、僕の身体はグルグルと回転する。

雨の中、傘を持たない女の子が踊る様に、ぐるぐる、ぐるぐる。涙と涎を振り散らしながら、笑い声を響かせながら。

 

足を縺れさせ、歪な回転を描いて。

くるくると、くるくると。

 

「ざ、残念だったねぇ!! し、し、疾風迅雷のっナイトハルトがっ! そんな、そんな、幼稚な策に嵌ると思うてか! いひひひぃ! ぃひぃっぃぇっひぇっひぇ!!」

 

――そして、僕は回転を止め。先程以上にふら付いた足取りで、彼の姿を睨み付けた。

 

覚悟なんて無い。決心なんて無い。

ただ心の感じるまま、勢いに任せて。君の言う事を聞きたくない、なんて情けない我侭を通して。

子供の様に、駄々を捏ねてるだけなんだ。

 

「――だから、僕は、僕は……っ!! っし、らない! 戻るなんて、シラネ! 此処に、妄想だらけの、世界にっ、い、居る、まま……で……ッ!!」

 

……良い、なんて。口が裂けても言えやしない。

 

今すぐ前言を撤回して、現実世界に、梨深の、七海の、三住君の。皆の居る世界に戻りたいと強く願ってる。

……けれど、僕が将軍を犠牲にして向こうに戻って、それで梨深は喜んでくれるの? 笑ってくれるの?

 

――――僕には、とてもそうは思えない。

 

例え笑顔を見せてくれたとしても、それは作り笑顔だと確信を持って言える。

当たり前だ。自分の大切な人を奪って、尚且つそのガワを使っている人間に、親愛の情を持ってくれる訳が無いんだ。

 

……だったら。

 

彼女の悲しそうな顔を見るよりは。

 

彼女の涙を見るよりは。

 

彼女が本当の笑顔を向けてくれない世界で生きていくよりも、僕は――――

 

「……ふひ、ふひひ。き、君の、残ってる力は、僕が全部、貰っといてあげるよ。こ、このまま、君を残すのも、腹が立つしね」

 

ぼたぼたと落ちる涙を気にも留めず、僕は右手で握った棒を――――ディソードをしっかりと握り直し、将軍へと向ける。

 

いや、正確には、その右腕から伸びている茨。

金属の様にも、無機物のようにも見える繊細さを持つ、将軍の妄想、ギガロマニアックスとしての力の欠片。

 

「も、もうこんな、ふざけた事、出来なくしてやるんだ。僕はもう、君の顔なんか、見たくない。声も、聞きたくない……! 僕の残した負債を抱えて、エスパー少年として、恥を晒しながら生きていけば良いんだ……!!」

 

そうして、僕の意思に応じて。ディソードを覆っていた茨が、動き、蠢き、開き、奔り。

まるで薔薇のように、中心の剣の部分を核として――ディソードが、咲いた。

 

「…………っ!!」

 

嫌悪感の漂う茨の中から出てきたそれは、剣と呼ぶにはあまりに長く。

 

今にも折れそうな繊細さと。

 

夢幻なる気品に満ちて。

 

絢爛さは露ほどもなく。

 

魂が吸い取られるかのような、清純なる悪意と。

 

畏怖を感じさせるかのような流麗さを持ち合わせ。

 

僕の高揚する心とリンクして、柄の部分に宿る禍々しい炎の意匠が――真っ赤に、揺らめく。

 

「……お、お別れだよ、永遠に」

 

僕は、それを高く掲げた。

力を誇示するように、見せしめとするように。高く、高く、高く――。

 

「……、っ……ぅ?」

 

……ふと、呼ばれたような気がして。背後へと、僕と将軍の居る場所とは反対側へと、首を傾けた。

 

見えたのは、一本だけ続いている茨。枯れている訳でも、明滅している訳でもない、極めてフラットな蔓。

ある筈の物も、人の脳髄も、機械の塊も。何も何も、見える事は無くて。

でも、ほんの一瞬だけ、誰かの影が見えた気がしたのは確かだ。

それが誰だったか、なんて。僕には分からなかったけれど。少なくとも、赤い髪をしていたようにも思えて。

 

――自覚しないまま、口の端が歪んだ。

 

「っ……つ、伝えといて、よ。暴力女1号に、ガルガリ君ソーダは、これ以上無いほど不味いよねって」

 

意識を、将軍に戻す。

そうして、湖面に映る、蒼い睡蓮を振り上げた『僕』が、同じように口を動かした。

それは、僕から彼に送る最後にして最大の嫌がらせだ。

 

「痛々しい暴力女2号に、ぶちゅぶちゅさんって正直センス最悪だよねって」

 

「メンヘラ女に、チョコレートほど邪心に染まり切ったものなんて無いよねって」

 

こんな事をしたって、何がどうなる訳でもないって分かってる。けれど、それでも。

やはり僕は彼の事が大嫌いなんだ。僕だけが貧乏くじを引くなんて許さない。君だけがハッピーエンドに至るなんて許せない。

 

「ヤンデレ眼鏡に、あれ? 君って誰だったっけ? って」

 

「キモウトに、これから引きこもるよ僕って」

 

――――だから、精々。皆から総スカンされて、フルボッコにされれば良いんだよ。

 

そうして、それを最後に、僕は一旦口を閉じて。

大きな躊躇いと共に、最後の言葉を紡いだんだ。

 

 

「――僕の、好きだった彼女に――」

 

 

――僕はきっと、この選択を死ぬまで後悔し続ける。

 

――何であの時帰らなかったんだ。何であの時将軍を殺さなかったんだって。

 

――悔やんで、悔やんで、悔やみ続けて。

 

――手に入ったはずの夢を見ながら、隣に居られた筈の彼女の姿を思い浮かべながら。ずっとずっと、泣き続けるんだ。

 

――だから、せめて。彼女には、伝えて欲しいんだ。

 

――僕の言葉を、西條拓巳としての最後の言葉を。あの日言えなかった、感謝の言葉を。

 

 

「――――あ、ありがとう、って……ッ!!」

 

 

そうして、僕は。全身を震わせて、泣きながら、憤りながら。勢い良く剣を振り下ろし――――

 

 

 

 

 

 

 

茨の欠片が、宙を舞った。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

                   ――――――――――――――……、ブツン。

 




■ ■ ■

次回は少し遅れるかも。

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