Chaos;an onion HEAD   作:変わり身
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終章   result

身体が欲しいと願い、それが叶えられた。ただ、それだけの話なのだ。

 

 

 

――――記憶が、あった。

 

それは本当の自分とは違う、もう一人の自分。

決して知り得る事の無かった筈の、強固にして薄弱の意思。

夢のような、幻覚のような。不定形で不確かのそれは、自覚の無いままに強迫観念としてそれを蝕んでいった。

 

――――記憶が、あった。

 

それはもう一人の自分とは違う、本当の自分。

決して揺らぐ事の無かった筈の、固められた意思。

何時から存在したのかは分からない。けれど疑う余地も無いそれは、自らの指針であり行動原理でもあった。

 

……本来ならば、相反し、反発し合い。互いを犯し合っていく筈の二つの意思。

しかし、彼らは意外にも拒否反応を起こす事無く、自然に融合し受け入れ合っていた。

 

「世界に救済を」

 

そのたった一つの目的を果たす為に存在する彼らは、ある意味ではこれ以上無い程に似通った存在だったのだ。

侵食し合い、融合し合い。細かな差異はあれど、それは誤差の範囲であり。直ぐに馴染んで消えて行く。

互いが互いの思考回路に良し悪し問わず影響を与え、汚染した。

 

壊れぬ筈の物を壊し、生きる筈の者を殺し、死ぬ筈の者を生かし、産む筈の者を産まず。世界の結末を妄想により歪ませて行き……そうして、だからこそ彼らは致命的に失敗したのだ。

 

彼らが辿った道程は、枯れた茨のその向こう。

結果的に彼らはその目的を果たす事無く敗れ去り、どうしようもない巨悪として蓄積される事に相成った。

真意を明かしたものは皆消えさり、他人に新たに理解される事は無く。彼ら自身もただ惨めに消滅した。

 

彼らは叫んだ。互いの人格に引きずられ、憎悪と妄想に取り付かれた彼らにはそれしか出来なかった。

成功したはずの逃走も、説得も。何一つ行う事が出来ないまま叫び続けるしかできなかったのだ。

 

――またなのか。二度も自分は敗北するのか!!

 

途轍もなく大きな屈辱に貫かれながら、彼らは互いの敵の名を叫び続けた。

発狂し、冷静さを取り繕う事も無く、血に塗れ瀕死の身体を引き摺って。

それは喉が擦り切れ、命の灯火が消えるその瞬間まで止む事が無かった。

 

――――その憎悪の絶叫は、その場に居合わせた人間達の記憶に断末魔として強く刻まれて。後に救国の英雄と呼ばれた彼らの内、最も力の強い存在が興味を抱いた。

 

そうして、それが呼び水となったのだ。

 

妄想の中で漂い続けるだけだった、それ。ただ世界の外で認識し続けるだけだった彼が、強烈な憎悪と好奇心により引っ張られ、十数年という長い年月をかけ、ゆっくりと手繰り寄せられ。

彼の敵となる筈だった彼らの居ない世界の中に、異分子として混ざり込み、生れ落ちた。

 

 

好奇心を抱いた者は、とある鶏頭の英雄。

 

憎悪を抱いた者は、とある陳腐なラスボス。

 

 

――――全てはとうの昔に決着し、終了し、世界設定として定着した前日譚である。

 

 

 

■ ■ ■

 

 

――――ごくり。

 

誰かが息を呑む音が、部屋の中を木霊した。

 

「…………」

 

「…………」

 

そこにあるのは、頬と指の先にガーゼを当てた僕。

そして、全身を余す所無く包帯でグルグル巻きにされた人間の姿だ。

 

――――沈黙が場を支配し、奇妙で微妙な空気が漂う密室空間。

僕達二人は、そんな緊迫してんだかしてないんだか良く分からん意味不明な空間に放置されていた。

 

「…………」

 

「…………」

 

……何と言うか、まぁ。いろいろと酷いの一言に尽きる。空気や状況もそうだけど、包帯人間が酷い。ほんと酷い。

 

彼女は頭の先から指の先まで、肌が露出している所なんて一箇所も無い。肘も膝も、曲がる場所なんてないんじゃないかってくらいガッチガチに固められてる。

強いて覗いている所を上げるとするなら、今朝ようやく血色の回復した唇くらいだろうか。いやそれを肌に含めていいのかは分からないけど。

そうして身体はベッドに括り付けられ、ギプスの嵌められた両腕と両足が横に備え付けられた木製のスタンドから吊り下げられていて。

加えて点滴袋と、良く分からない魔方陣の刻まれた容器から伸びた管が包帯の隙間に潜り込んで、中の薬品を体の中に送り込んでいるのが分かった。

 

……まるでギャグ漫画みたいなその光景。傍から見れば随分と不気味で間抜けな姿だけど、幾らオタクで不幸大好き@ちゃんねらーの僕でもまったく笑う気になれなかったよ。

まぁ当たり前だ。それが出来る程に心臓に毛が生えていたら、ある程度は当事者としてでもニュージェネを楽しめていたはずだしね。モニタの向こう側と現実は違うって事だ。

 

「…………」

 

「…………」

 

そして、僕はそんな彼女に対して銀製の道具を突きつけていた。

 

それは僕の手に馴染む細長い棒状。先っぽがくるりと丸められて器状になっていて、内側には僕が抱えている木製の器と同じく何やらどろりとした存在で満たされている。

液体とも固体とも付かないベージュ色の何かが、周りを覆う銀に反射しぬらぬらと妖しい光を放つんだ。

そうして僕は何の忌避感も無く、罪悪感も無く。それをしっかりと握り締め、彼女に向かって突き出していて――――――

 

……まぁ、単なるスプーンと摩り下ろしリンゴなんだけど。描写って大事ね。

ともかく、僕はそれを彼女の口元にゆっくりと近づけて行く。

 

「…………、…………」

 

「……………………」

 

互いに無言。

ここに運ばれて来た当初とは違い、水気と赤味の戻っている唇は、僕の指先と同じくプルプルと小刻みに震えている。

何故、どんな感情で震えているのか。正確に察することは出来なかったけど、部屋に漂う雰囲気から何となく僕と同じ感じだっていう事は分かった。

 

多分、彼女も緊張しているんだ。

僕達二人がこんな事をするなんて、以前では考えられなかった事だから。

 

――きっと僕を知る人物がこの光景を見ていたなら、ニヤニヤ笑いながら囃し立てて来るに違いあるまい。

……そんな事を考えている間に、スプーンの背が彼女の唇に触れた。

 

「! ッ……ぁぅぅぅ……ッ!!」

 

「ぁ……と。ご、ごめ……」

 

彼女はその冷たい感覚に驚いたらしく、びくりと全身を震わせて――体を襲う痛みに呻き声を上げたよ。

予め何か一声かけるべきだったかと罪悪感を抱いたけど、謝るとお互い萎縮し切ってしまう気がして、口にしかけた謝罪が止まった。

もしそうなったら、僕達は何も出来ないままになるかもしれない。

 

少し焦りつつどうした物かと悩んでいると、痛みが引いたのか彼女はフンスと(多分鼻息)包帯を揺らし、大きく口を開けた。くすみ一つ無い白く綺麗な歯並びと、唾液に濡れた柔らかそうな舌が覗く。

……ふむ。そこに入れろ、と。ふむ、ふむ。棒状のモノを。ふむ。どろっとした液体の滴るイチモツを。唾液の溜まる暖かな口腔に。ふむふむ、ふむ。ふひ。

 

まぁ、ともかく。

 

「……ぁ、あー……」

 

「……あー」

 

今度こそ妙な失敗を犯さないよう、細心の注意を持って再びスプーンを近づけていく。

片手に持っていた木の器を机に置き、静かに、ゆっくりと。中身をこぼさない様に、銀の部分が余計な所に触れないように、慎重に慎重を重ねて。

 

二人分。緊張に塗れた吐息が部屋の中に木霊した。

……いやはや、何をそんなにビクついてるんだろうね。自分でも少しおかしくなって。

そんな取りとめも無い事を考えて居る内に、スプーンの先端が彼女の口に入り込み――――そっと、舌の上に摩りリンゴを乗せた。

 

「んっ……」と。彼女は少し驚いた様だったけど、今度は身体を動かすほどに驚いた様子は無く。

口を閉じ、リンゴを味わうように僅かに顎を動かして居るのが分かったよ。

 

……そうして、どの位の時間が経っただろうか。

 

10秒か、20秒か。いや、もしかしたら分単位で過ぎていたかもしれない。気分は漫画界最強のツンデレの批評を待つ板前の気分だ。

そんな意味の分からない重圧の中、僕はベッドの横に置いてある椅子に座ったまま、身動ぎ一つ出来なかった。

 

――そうして、ごくりと彼女の細い喉が上下する。

 

「…………」

 

「…………」

 

しかし彼女は何の反応も反してくれる事は無く。沈黙が辺りを包み込んだ。

 

……心臓が、変な風に痛む。

何と言うか、重役相当の人の面接を受けているような胃と腸が爛れる種類の嫌な感じだ。そんなのした事ないけど。

そうしてそっと胃を押さえ。這い寄る緊張感を持て余していると――――蚊の鳴くような声で彼女が何か呟いた様な気がした。

 

「…………ぉ…………」

 

「……へ? な、何――」

 

場が動く兆候を逃す事無く、僕はつい反射的に彼女の声に返事を返し。

この重苦しい雰囲気が変わるのならば何でもいいと、身を乗り出して唇に耳を寄せ――――

 

 

「――――おりんご、美味しいよぅ……」

 

 

――――空気が死んだ音を、聞いた。

 

「は……、っあ!?」

 

そして、その直後、彼女の丁度目元の辺りからじんわりと薄紅色の染みが湧き出した。

 

涙腺の刺激と一緒に傷が開いたのだろうか。それは瞬く間に彼女を覆っている包帯を伝い、あちこちに伝染。目の部分から花が咲くようにして顔中をピンク色に染め上げていく。

……全身ミイラ女の顔が咲く。ちょっとしたグロ画像よりもアレな光景だよね、これ。

 

ともあれ、そんなブラクラを至近距離で目撃した僕は勿論の事混乱し、ベッドの上部に設置されていたナースコールを引っ掴んで一年半のゲーム経験に任せて連打した。

おそらく、今頃ナース室は大変な事になっているのではなかろうか。

 

「っちょ、おまっ。目、目が」

 

「うっ……く、タク、タクミの、ひっく。食べさせてっ、く、れた、おりんご……っう、おいし……っ!!」

 

「ぁあああああ、わ、わかった……! 分かったから、お、おお落ち、落ちつ、つっ……!」

 

そうして、僕とミイラ女は重篤患者用の個室に慌てた医者が飛び込んでくるまで騒ぎ続け。何故か僕だけが怒られるという理不尽な事態になったのだった。

 

 

――――化物の襲撃から今日で六日目。ミイラ女――今回一番の重症だったネカネが目を覚ました日の昼の出来事である。

 

 

****************

 

 

重軽傷者72名、内意識不明者24名、死者18名。

それがあの事件で出た犠牲者の数らしい。

 

……最初に聞いた時、この数字が騒動の規模に対して多いのか少ないのか、僕にはよく分からなかったよ。

サードメルト時の渋谷の惨状を体験していたから、感覚が麻痺していたのかもしれないね。

 

倒壊したビルや、地割れを起こしたアスファルト。そしてそれに押しつぶされて死んでいた大量の人間。それを目撃していた僕には、その数字は陳腐に過ぎた。

確かに魔法とか似非ファンタジーがある分視覚的には派手だったみたいだけど、数字で見るとどうしても「こんなものか」と見下してしまうんだ。

 

聞いた話では住民の殆どがこの病院のある町――ネカネ達が通っている学校のある、まぁまぁ都会的な町――に一時的に移り住んでると言う話だし。少なくとも壊滅的なダメージは負ったと予想できたさ。

でも、それでも。僕は村と住人達が蹂躙された事に関して悲しみも憤りも沸いてこなかった。

 

……単純に、僕が村に対してあまり深い思い入れを抱いていなかったからなのかもしれないけどね。

 

多分、死んだ村人の遺体やその遺族達を目の前にすれば何かが変わったとは思うよ。彼らの悲しみや憎しみを目の当たりにすれば、少しは実感も湧いたかもしれない。

しかし残念ながら、僕がこの病院で目を覚ましてから出歩いたのは、同じく運び込まれていたアーニャと先述のネカネの病室くらい。廊下ですれ違う奴らもみんなバタついていて、僕に構ってる暇なんて無さそうだった。

 

基本病室に引きこもっている僕を訪ねてくる奴も今の所スタン以外は居ないし、村人との接触は最低限に抑えられていたんだ。彼らの想いなんて、届くはずも無い。

 

……まぁ、うん。死亡者の欄にアーニャの両親や見知った老人達の名前が無かった事に少なからず安堵はしてやった。僕としてはそれで十分だと思うんだけど、どうだろうか。

 

ナイトハルト「大丈夫だ、問題ない」

 

ですよね。疾風迅雷のナイトハルトが言うんだから間違いないですよね。

……で、現状の話。

 

二度と元の世界に帰れない事に暴走し、勢いと八つ当たりで全てを薙ぎ払い、気絶した後。

雪原で倒れていたアーニャと僕は、その数十分後に探しに来てくれたらしい村の奴らに保護されて、あの場所から数時間かかるこの町の病院に送り込まれたそうだ。

 

僕は指先と耳先の凍傷、何時なったか分からない右目の毛細血管の破裂と比較的軽症だったけど――アーニャと、遅れて運び込まれてきたネカネはそうも行かなかったみたいだ。

元から村に居た僕よりも、たまたま帰ってきてた二人のほうが重傷だったとか、嫌な皮肉だよ。

 

アーニャは僕のものよりもっと酷い凍傷と、極度の体温の低下。

発見された時には、身体全体をがくがく震わせていてかなりヤバ気な状態だったらしい。

魔法的ご都合主義で何とかなったみたいだけど、一時期は指を切断する選択肢も出てたって話だ。僕にはそういう性癖は無かったから、何とかなって良かったよ。本当。

 

まぁそれだけなら軽症って事で済んだんだろうけど――――問題だったのは、心の方。

黒い化物に追われて、殺されかけて、挙句の果てに僕が破裂した光景を見てしまった彼女は、酷いトラウマを持ってしまったらしいんだ。

 

……そのため、現在は隔離病棟で療養中。高科先生に似た雰囲気を持つ医者にお世話になっている。

 

ネカネの方はさっきの様子を見れば分かると思うけど、凄まじいの一言に尽きる。

村の中心、化物達が蔓延っていた筈の場所で発見された彼女は、全身の骨という骨は砕け筋という筋はぶち切られ。内臓は凄まじい負荷を受けて内出血を起こして破裂する寸前の超瀕死状態。

あと少しでも発見が遅れていたら、死んでいてもおかしくなかったそうだ。何したらこんな事になるんだ、マジで。

 

両眼も辛うじて視神経が繋がっているだけで、その他の管は軒並み破裂し断裂状態。先程のやり取りも失明の危険があったらしく、その辺りの事を激しく怒られたよ。僕の所為じゃないのに。……無いよね?

 

幸い、魔法使いと医者の頑張りで何とか一命を取りとめ、彼女はあの全身ミイラ状態のまま五日間眠り続けた。

そうして六日目の朝――今日の朝、朝食の前に意識を取り戻したんだ。

 

……正直、一ヶ月近く昏睡状態で居てもおかしくない傷だよね。

何かもう『貧弱で病弱な姉』の姿がフェイクみたいに思えてきた。そんな目に合っても大して心の傷を負っていない事がその疑惑に拍車をかける。

 

あ、いや。あの怪我だらけの有様を見る限り貧弱なのは間違ってないのか? もうワカンネ。

まぁ、このまま魔法パワー全開での治療を続けていれば二ヶ月弱で歩けるまで回復するとの事で、とりあえずは一安心と表現してもいいんじゃないかな。

 

……え? 「らしい」とか「そうな」とか、伝聞系の表現が多いって?

そんなの当たり前だろ、実際殆ど人から貰った情報なんだから。

ああそうだよ、今までの事は全て又聞き。それも僕が尋ねた訳じゃない、無理やり聞かされた物だ。

 

ベッドの上でどんより縮こまってた所にアーニャよろしく押しかけてきて、嫌がる僕を他所に耳元で大声で叫ばれたんだ。鼓膜が破れたかと思ったね。

誰にって、彼女以外で僕にそんなことしてくる奴なんて、そんなの一人しかいないじゃないか。

 

――――目の前で呆れた表情を浮かべながら僕に拳を振り上げてる、クソ爺ことスタンその人だよ。

 

 

 

 

 

 

「――せっかくネカネが目ぇ覚ましたというに、何やっとんじゃお前さんは」

 

「ぐ、ぐぎぎぎ……ぎ、ち……ちが……! 僕の所為じゃ……ないのに……!!」

 

ネカネの病室から追い出された後。

有難い説教をかましてくれたヤブ医者の愚痴を言いながら廊下を歩いていた僕は、曲がり角でばったり会ったスタンに拳骨を食らって悶絶していた。

 

どうやら騒ぎを聞きつけていたらしい。僕の顔を見るなり「またお前かしゃーねーな」みたいな溜息を吐かれたのが最高にイラっと来たね。

 

「……く、くそ。せっかく、人が歩み寄りを見せれば、これだよ。よ、世の中クソだな」

 

「今までの態度が態度じゃからなぁ、ネカネにとっては夢のような話じゃったろうて」

 

――ただでさえ、色々あって心が弱ってたじゃろうしの。感極まってもおかしか無いじゃろ。

彼はそう言って、松葉杖を脇に挟み入院服の懐を弄り始める。多分、タバコか酒を探した無意識の仕草だったのだろう。

途中でここが禁煙禁酒の徹底されている病院であり、そもそも入院服にそんな物を仕込んでいなかった事に思い至ったのか、はたと気付いた様な顔で手を戻したよ。

 

そしてその動きのまま、「またそれかよしゃーねーな」みたいな呆れ顔で溜息を吐いていた僕の頭を流れる水の如く自然に引っぱたき。少し気まずげな様子で髭をいじくり始めた。

 

「確かにワシも見舞いに行ったれとは言ったが、流石に『あ~ん』とは。ネカネもぼーずも随分と積極的になったもんじゃ」

 

「……おい……お、おい……!」

 

今の一連の流れで僕が殴られる要素なんてあったか。

気まずいからって安易に暴力に走るなよ、こんなんだから老害って言われるんだよ。

僕は痛みに滲んで来た涙を拭き、左目でスタンを睨み付けようと顔を上げて―――「っ……」――彼の顔を直視した瞬間、直ぐに目を逸らした。

 

「……ん? 何じゃね」

 

「……、いや……」

 

その姿を不審に思ったらしいスタンが声をかけてきたけれど、僕は咄嗟に返事をする事が出来なかった。

彼の体罰に怯えた訳じゃない。そんなのは既に慣れっこだからね、今更臆する必要も無い。

 

……見ていられなかったのは、包帯の巻かれた彼の頭部。白の隙間から覗く、無機質な石となったその容貌。

それは耳の先から額の中程、鼻筋を通るようにして唇のすぐ上までを侵食し、彼の顔の右半分を石仮面へと変貌させていた。

そうして、敵を――おそらく化物を――睨み付けた険しい表情のまま、時が止まったかのように固められているんだ。

 

――彼もまた、事件で大怪我を負った一人だという事だ。アーニャやネカネとはまた違う方向性で、ね。

 

何でも石化魔法とやらの所為らしい。顔の他にも右手の中指とか右足の脛から先とかが石になっていて、ここが魔法使い専用の病院じゃなきゃとてもじゃないけど出歩けない様相だ。

とりあえずは時間をかければ大体は治るって話だから、大して心配はしていないんだけど――――包帯の隙間から僕を射抜く、敵を睨み付けた状態で固まっている灰色の眼光がまるで僕を責め立てているように感じて、どうしても気後れしてしまう。

 

……スタンは何時も通りで変わらないから、僕の被害妄想なんだろうけど。

 

「……べ、別に僕から言い出した訳じゃ、無い。ネ、ネカネの方から、言い出して来たんだ」

 

「……? ああ、『あ~ん』か、『あ~ん』をか?」

 

「れ、連呼すんなよぅ……!」

 

何時もとは違う、突っかかって来ない態度に彼は違和感を覚えたようだけど、特に何を言うでもなく。

今更ながら自分のやった事の恥ずかしさに赤面し始めた僕をからかう事に意識を向けたようだった。

ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべ、頭に肘を乗せて体重をかけながら寄りかかってくる。頭半分石化してるからクソ重いんですけど。

 

「ひょっひょっひょ、多分ネカネも冗談のつもりだったんじゃろうなぁ。お前さんが乗っかって引っ込みが付かなくなってしもうただけで」

 

「…………」

 

「せめてもーちっと段階踏んどけばなぁ、少しは違ったと思うんじゃがのぅ」

 

「…………」

 

「まぁ、何じゃ。あれじゃよ、身の程は弁えとけっちゅーこっちゃな。コミュ症が付け上がるから碌な、」

 

僕は勢い良くしゃがみ込んだ! スタンは松葉杖をつっかえ棒にして転倒を防いだ!

 

「お、とと……身体のバランスが崩れてるんに、酷い事するのぅ。倒れて砕けたらどーしてくれるんじゃ。ぷんぷん」

 

「……く、くそ……何だよ、僕が悪いのかよ……! 皆して説教しやがって……!」

 

善意の行動だったはずなのに、何なんだよこの結果は。

やはり自分のキャラに合わない事はするもんじゃないね、僕は僕らしく排他的であるのが一番だ。今回の事は星来たんが与えたもうた啓示と思って、さっさと忘れる事にしよう。

僕は胸に湧き上がる苛立ちのまま、スタンの横を通り過ぎ、すれ違い様に陳腐な報復としてつま先を右脛に当て擦った。コツン、と軽い音が響く。

 

……少しは取り乱す事を期待したけど、彼は少し眉を上げるだけで目立った反応は返さず。何故か残念そうに僕を見送るその視線にやたら腹が立った。

 

「お? ……何じゃ、もう終いか」

 

「も、もう、付き合ってられるか。僕は、お見舞いに行かせてもらう……!」

 

そうフラグを吐き捨てて早歩き、僕は振り返る事無く廊下の角を曲がろうとして――――

 

「――――聞かんのか?」

 

ぴたり、と。背後から投げかけられたその言葉に、足を止めた。

そうして首だけを傾げてスタンの方を見れば、何やら試すような視線で僕を射抜いていて。

 

「…………」

 

「…………」

 

……何を? なんて。聞き返す必要は無かった。だって、心当たりは幾らでもあったから。

あの事件は何だったのか、何故あんな事が起こったのか。化物達は何者だったのか、僕の殺した奴らは誰だったのか、そして――――あの日、スタンは何を言おうとしていたのか。

この約一週間、僕はその一切を誰にも尋ねていなかったんだ。スタンが聞かせてくれなかったら、被害状況すら知らないままだったかもしれないね。

 

「…………」

 

……もしかしたら、彼は僕の事を怪しんでいるのかもしれない。

 

僕は、あの時自分がやった事を誰にも伝えていなかった。当たり前だ。そんな事を言っても誰も信じてはくれないだろうし、信じたら信じたで面倒な方向へ話が転がっていくのは目に見えてるからね。態々地雷を踏みに行く趣味は無いよ。

 

唯一の目撃者であるアーニャも詳細は把握していないだろうし、今はそんな事を伝えられる状態じゃない。錯乱が収まったとしても『幻覚』の一言で片付けられてしまう可能性が高いだろう。

……おや、期せずして二人だけの秘密が発生してしまったようだ。ちっとも色気を感じないけど。

 

ともかく、そんな今の状況では、村人達には何が起こったかなんて知る術は無く、まったく理解していないはずなんだ。

突然襲ってきた化物達が、同じく突然現れた茨によって消し去られた。リアルブートされたディソードは誰にでも視認できるようになるから、おそらく村人の中ではそんな認識になってるんじゃないかな。

 

それに加えて、僕が殺した人間の死体。それが発見され事件の原因だと分かれば、当然魔法使い達も――スタン達も必死になって調べざるを得ない筈だ。どんな些細な綻びも見逃さないくらいにね。

 

思い返してみれば、最後に別れた時の様子からしてスタンは僕の事に何か気付いてた感があった。

その内容次第では、当事者にも拘らず事件に興味の薄い僕に何か疑いの目を持っていても不思議じゃ無い。

 

……まぁ、でも。正直、僕にとってそんなのはどうでも良いんだけど。

 

「……で?」

 

「……? で?」

 

だって、そうだろ?

 

「――それ、聞いた所で。何か意味あんの?」

 

きょとん、と。

スタンの残った左目、僕と同じ境遇のそれがぱちくりと瞬いた。

 

「……ん?」

 

「い、いやだから。僕みたいな、ガキに。で、出来る事なんて、泣き叫ぶか、引き篭るか。そのどちらかしか無いじゃないか。っそ、そ。そんなの、今までと何も変わらない。僕が、僕として暮らしてくのに、何も、何も。違わない」

 

……僕は、今回の出来事のあらましに興味を抱いていない。

それは村に思い入れがない事や、面倒事を避けたいという気持ちとは別に。今の僕に何も出来る事が無いという事も挙げられる。

まぁ、ぶっちゃけ体の良い言い訳なんだけど、残念ながらどうしようもない程に事実でもあるんだ。

 

……ギガロマニアックスの力で村の復興? 村人のケア? 僕が知るかよそんな事。少なくともあの黒い化物はどうにかしてやったんだ、だったらそれで最終イベントは終了だろう?

 

――今の僕の目の前にあるのは選択肢じゃなく、エピローグへの一本道。今更赤ミームを聞いて立てられるフラグは、もう何もない。

……ネカネとかに何か頼まれたらDLCに繋がるかもしれんけど。それはさておき。

 

「し、真実とか。秘密とか。謎、現実。そそんな、面倒な事を抱え込む……のは。そ、そうなんなきゃいけない奴が、その気になった時。且つ。よ、余裕を持ってる場合にすればいい。んだ……」

 

そう、それが一番いい。将軍との邂逅で、それを思い知ったよ。

あの時も、今回も。力が無かったにも関わらず知らないといけなくて、知らなきゃ幸せだった事が多すぎた。

 

――そして、その全ては既に手遅れに行き着いて。だから僕は、これ以上何も聞かない。聞きたくない。

 

このまま口を噤んでいれば、スタンがどう思おうともそれは疑い止まりにしかならないんだ。何もしなければ何も起こらない。

僕が何とかしなきゃいけなかったニュージェネの時とは違い、進んで事件に関わっていく必要なんて今の所無いんだからね。

 

――君子危うきに近寄らず、キモオタ現実に近寄らず。僕らしくて大変よろしい。

 

「……むぅん」

 

そうして何やら腑に落ちない様な表情で目を細め、長い顎鬚に指を埋めて、わしわしと引っかく。

何かを思い出すかのように、或いは何かを忘れようとするかのように。彼の眉間には深い皺が刻まれ、眉が逆八の字に歪んだ。

 

「もうちっと、真っ直ぐに向き合えんものかのぅ」

 

……そして、ぽつり。

 

『何かもう、ええわ』みたいな呆れた表情で僕を見つめ、おざなりに嘆息。

ひらひらと手を振りながら松葉杖に体重をかけて体を倒し、妙なバランス感覚でふらふらと身体を揺らし始めた。

その姿は不貞腐れた子供の様にだらしなく、彼の精神年齢が如何に低いかが如実に分かる事だろう。

 

「……そ、そっちは? 何も、無いの」

 

「さて……あった気もするが、忘れたの」

 

――ぼーずが情けないままであるなら、当分思い出す意味も無いじゃろなぁ。

 

彼は何故か皮肉めいた笑みを浮かべながら、そう呟いて。ばっちんと似合わないウィンクをしたよ。

……何となく気恥ずかしくなった僕はそれに一つ鼻を鳴らし、今度こそ振り向く事無く歩き出した。

勿論、挨拶なんてしないままだ。

 

「…………」

 

「……あー、馬鹿らし馬鹿らし……」

 

……でもまぁ、あれだけ言われたまま一矢報いずに去るのも癪である。

 

角を曲がった先、背後で未だぶちぶち言っているスタンが歩き去っていく音を確認し――――僕は廊下の壁面に設置されていた非常電話が変化した睡蓮の剣に軽く触れ、妄想した。

それに禁忌めいた縛りは存在しない。将軍との繋がりが絶たれた以上、彼の事を気にする必要も最早存在しないないのだから。

 

そうして思い浮かべるのは、唯一つ――――。

 

「――――おっひょぉう!?」

 

どんがらびったん。

 

『突然重心のバランスが崩れ』ずっこけて、床に『肉』を打ちつけたらしい彼の悲鳴を聞きながら、僕はひっそりとほくそ笑んだ。

 

 

**********

 

 

アーニャの居る病棟は、僕の病室から少し離れた場所にある。

 

受付を通って、幾つかの廊下を通り過ぎ、幾つもの扉を通った先。病院の中を何度もくねくねと曲がってようやく辿り着ける、簡単には外に出られないような奥まった場所。

持ち込むものや面会できる時間も厳しく制限された――言ってはなんだけど、精神が不安定になっている患者を押し込める牢獄と言ったところだ。

 

聞いた話では、怪我の治療をする医師や魔法使いは勿論の事、白魔法使い的な人や精神科医、カウンセラー等多くの専門医が詰めており、かなり充実した施設らしい。

……隔離病棟。精神科医。カウンセラー。

いや、うん。何かもう、まぁ、あれだ。ギガロマ的に凄まじく不吉な語群ではあるよね。

というか、魔法使い()が絡んでいる時点で野呂瀬達のあれやこれやよりも胡散臭さでは上では無かろうか。いや、あれはまた別のおぞましい何かか?

 

ともあれ、怪我と錯乱というデュアルショック状態のアーニャは、その一番景色の良い病室で眠っているんだ。

瞼の裏という『黒』の見える事の無いように、カーテンを大きく開け日差しをその小さな身に浴びながら。

部屋を漂う埃が日の光を反射したのか、キラキラとしたエフェクトもかかっているその姿はまるでどこぞの御伽噺に出てくる眠り姫のようだった。

 

……ただし、安眠できてない方の奴。

 

やはり、あの時の光景は彼女の心に大きな傷を付けていたらしい。閉じられた目の下には薄いながらも隈が出来ていて、ハの字に顰められた眉は眉間に皺を形作り。苦悶の一歩手前の表情で魘されていた。

 

「……じゃあ、静かにね」

 

「……ど、うも」

 

左目しか使えず、少しバランス感覚を崩している僕をここまで案内してくれた看護士に一言告げ、後ろ手にドアを閉める。勿論、音を立てないようにゆっくりと。

そうしてきちんと閉まったのを確認した後、僕は足音を立てないようにしてそっとアーニャに近寄っていく。

 

……普通はこんなにもデリケートな環境に三歳児を、しかも一人っきりで放り込むなんて馬鹿な真似はしないんだろうけど、そこはそれ。ギガロ☆マジカルで一発である。

こんな便利な力が使えなくなってしまった将軍はさぞかし不便な思いをするはずだろう。そう思わなきゃやってらんね。

 

少々うんざりとした気分になりながら、ベッド横の椅子を引いた。

 

「…………」

 

「ぅ……あ……」

 

なるべく音を立てないように気を付けたつもりだったけど、アーニャは人の気配を察知したみたいだ。

怯えるように、求めるように。掠れた声を漏らしながら、弱弱しく首を動かして身動ぎをする。

 

起きてしまうかと一瞬体が固まったけど、どうやら僅かに寝返りを打っただけだったようで、ほっと一安心。

何か碌でもない夢を見ているのか、閉ざされた瞼の裏で眼球がピクピクと痙攣しているのが分かったよ。

 

「……アーニャ」

 

僕はそんな彼女の姿に痛々しい気持ちを感じながら――――そっと、頬に手を伸ばした。

起こさないよう慎重に、皹だらけのガラスに触れるが如き繊細さをもって。僕の掌が子供特有の柔らかな肌を包み込む。

 

指先が目の横に触れた瞬間、彼女は一瞬だけ大きく身動ぎをしたけれど……やはりその目が開く事は無く。

悪夢に魘されたまま、不規則な寝息を立て続けていた。

 

――あの時の経験から、彼女は『黒い物』に対する強い恐怖を覚えている。

 

化物の黒。血の色の黒。

黒色を見る度にそれらを思い出し、錯乱。夜の帳にも怯えて碌に眠れなくなってしまったそうだ。

 

そうして遂には今みたいな明るい内に眠るようになって、昼夜が逆転。しかしそれでも完全に眠る事は出来ないみたいで、数時間毎の覚醒と睡眠を繰り返している。

 

そのため、僕は未だ覚醒状態のアーニャには会えていない。

会いに行っても今みたいに面会できる時間中は寝てるし、何より彼女付きの精神科医が対面するのはもう少し待ってあげて欲しいって言うんだ。

 

せめて錯乱の兆候が無くなってから。心に巣食う恐怖心がある程度薄れてからにしたほうが、彼女の精神に負荷を与えないで済むとのお達しだった。

一応、眠っている最中。短時間ならお見舞いに来ても良いとの事で、僕は眠っている彼女の顔を眺めに来るのが日課となっていたんだ。

 

……まるで質の悪いストーカーだ。そう考えて自嘲する。

 

「……、……」

 

そうして僕は彼女に謝罪の言葉をかけようとして、失敗。中途半端に口を開いたまま、何も言えずに口腔を閉じる。

 

……分からないんだ、彼女に何を言うべきなのか。

 

残酷な光景を見せてトラウマを負わせてしまった罪悪感はある。今だって自責の念は溢れ出てるし、申し訳ない気分でいっぱいさ。

けれど、それとは逆に僕は彼女を責めているんだ。お前が余計な事を言わなければ、僕は今頃消えられていたのに、って。

 

――傷つけてしまったという確固たる罪と、楽になれる道を奪ったという身勝手なエゴ。相反する二つの感情が、謝罪という正しき行為を邪魔していた。

 

「…………は」

 

「ぁ、ぁ……」

 

彼女を見つめたまま、僅かに吐息を漏らす。

それは溜息とも言えない様な、僅かな呼気。

こんな子供一人にすら満足に気持ちを伝えられない自分の情けなさにうんざりとした。

 

……いや、それだけじゃない。彼女を助けられる力を持っているのに、それを行使しようとしない臆病さ加減にもだ。

 

そう、僕にはアーニャを今すぐにでも回復させる手段がある。

妄想の力、心と現実を捻じ曲げるギガロマニアックスとしての力。

将軍が七海にやったように、その力を使って辛い記憶を消してしまえばそれだけで彼女は救われるんだ。

 

村が襲われた記憶も、僕が吹き飛んだ記憶も。何もかもを無かった事にすれば、また以前のような気丈な彼女が戻ってきてくれる。

こんな所に隔離される必要も無くなって、全部が全部元通りになるんだ。

 

……なのに、僕はそれを絶対にしたくないと思っている。

 

「…………」

 

思い出されるのは、僕が意識を失う寸前。

ぐちゃぐちゃに乱れきった思考の中で、アーニャが僕にかけてくれた言葉にも満たない短い単語。

 

――――『タク』

 

……何の事は無い、何時も呼ばれている僕の名前だ。

記憶を消したとしても、きっと同じく呼んでくれる筈の、それ。

たった二文字の言葉を放ってくれたという事実を、忘れて欲しくなかった。

 

勿論、状況が状況だったしアーニャがその事を覚えてくれているかは疑わしいよ。

でも、例えそうだったとしても。もし本当に記憶を消してしまったら、無かった事になってしまうんじゃないのか。彼女だけじゃなくて、僕も『以前の僕』に戻ってしまうんじゃないのか。

それを考えると、どうしてもその気に成れなくて。それどころか忌避感すらも沸いてしまうんだ。

 

――――アーニャの為じゃない、このキモオタは自分自身のためという最低な理由で彼女の治療を拒んでいるんだよ。情けなさ過ぎて涙が出てくる。

 

「……周囲共通認識は、二人以上の人間が揃って初めて出来る事柄なんだ」

 

「…………」

 

「だからあの時の事を覚えている君が居なければ、僕は僕で居られない。きっと、駄目になって消えてしまう」

 

「ん…………」

 

そうして感じている負の感情をごまかすように、小さな声で話しかける。

それはまるで、浮気のばれた恋人に言い訳をする駄目男。或いは非のある自分を正当化しようとしてる駄目人間

まぁ、実際はそんな色気のある関係ではないんだけれど、概ねは間違っていない筈だ。

 

「……あの時、君は言っていたよね。僕の事を見てるって。僕の事を知ってくれるって」

 

「……ぁ……」

 

「……だったら、頼むよ。お願いだから……」

 

彼女は僕の言葉に何も言わない。先程までと変わらず、ただ魘されているだけだ。

頬に当てた掌からは、柔らかい感触と一緒に高めの体温が送られてきて、それが何らかの意思を伝えて来るようにも感じられて――――

 

――――僕は目を閉じて、彼女と心=妄想をシンクロさせる。

 

「…………」

 

「ぅ…………?」

 

流れ込んでくるのは、僕やネカネが破裂して化け物に食われているイメージ。

いや、僕らだけじゃない。スタンをはじめとした村人達や両親。彼女の知っている全ての人々が、黒の化物に惨たらしく殺害されていくんだ

 

身体が醜く撓み、臓器が吹き飛び。一面の雪景色を醜く汚して。アーニャの視界を粘ついた血液の色――つまりは、赤の混じった黒へと染め上げて行き。

そうして徐々に世界が真っ黒に染まっていって、最後にはアーニャは一人孤独に発狂し、絶叫する。そんな夢だ。

 

――――それはあまりにも醜悪で、残酷で、陰惨な悪夢。

 

「っ…………」

 

……改めて僕が仕出かしてしまった事に大きな罪悪感を抱くけれど、唇を噛み締めて堪え。妄想を叩きつけてその光景を改変する。

アーニャを苛む悪夢そのものを削除し、新たな夢を構築。黒に犯される彼女の世界を浄化し、青と白の世界を――将軍と梨深の思い出の場所を創造するんだ。

そうして彼女の傍に僕やネカネ、ついでにスタンの姿を寄り添わせ、悪夢とは真逆の穏やかな世界を描き出し。彼女の心に重ねて。

 

「……ぁ……」

 

すると、彼女から安堵の溜息の様な物が聞こえた気がした。

左目を開けて確認してみると、先程までの魘されていた表情が嘘のように消え、安らかな寝息を立てていたよ。

 

「…………」

 

……それはただの気休めかもしれない、根本的な解決策とは程遠い一時凌ぎに過ぎないのかもしれない。

 

今日のアーニャにこうした所で、どうせ明日の彼女はまた同じように苦しむ事になる。今見た夢を忘れ、新しい悪夢に犯されるんだ。

場当たり手法、いたちごっこ、ミストさん。言い方は色々あるけど、根本的解決には程遠いって事は共通してる。

 

……けれど、今の僕にはそれしか出来ない。

もっと良い方法があるのは知っている。取れる手段があるのも分かってる。

でも、それでも、僕は。

 

「…………」

 

僕は深い眠りに落ちたらしいアーニャの頬から手を離し、パイプ椅子の背もたれに体重をかける。

そうして首だけを回し、病院の窓の外――憎らしいほどに晴れ渡る青い空と、その下に広がる鬱陶しい町並みを眺めた。

 

見えるのは、街中を歩く人々の姿。一人一人が考え、決断し、行動している光景だ。

 

「…………ひ」

 

それを見ているうちに無意識に口の端が歪み、お馴染みのキモい吐息が漏れ出る。

 

……将軍は、この世界を妄想によって作られた心象世界だと言った。

木々も、人も、歴史も、何もかも。見聞きでき、感じられる全てが妄想の産物だと。そう言った。

ギガロマニアックスに精通している君が言うんだ、きっと、それは正しい事実なんだろう。

どうしようも出来ない程に、どうにも成らない程に、ね。

 

――――けれども、まぁ。

 

「……ふぅ……」

 

僕は溜息を一つ付き、窓の外から目を逸らし、視線を天井に上げる。

そうして思い出すのは、僕の心の奥底に巣食う彼らの事だ。

 

――おりんご、美味しいよぅ……。

 

――まぁ、何じゃ。あれじゃよ、身の程は弁えとけっちゅーこっちゃな。コミュ症が付け上がるから碌な――。

 

思い思いに行動し、僕を焦らせ、僕を苛立たせる彼ら。

ノアⅡがどんな妄想と情報を捏ね合わせたのかは分からないけど、本物の人間と同じ位に面倒臭くて僕を振り回している事に変わりないじゃないか。

この世界だってそう。毎日毎日クッソ寒いし、願った所で突然暖かくも成らないし、村人は冷たいし、僕が僕として振舞う事さえ許されていなかった。

 

――そして、目の前の女の子の記憶一つすら好き勝手に弄れていない。

 

幾ら妄想から造られた心象世界だと言っても、これじゃあ煩わしい現実と余り変わらないじゃないか。妄想なら妄想らしく、もう少し融通を利かせてくれたって良いんじゃないのか。

 

「……く、クソゲー過ぎるでしょう、マジで……」

 

……まぁ、実際帰れなくなってここで暮らしていく事になった以上、僕にとってはここが現実とならざるを得ない訳だけど。

将軍との繋がりを絶ち、生きる事を選んだ僕にとって、この世界はもう元の場所に戻る為の繋ぎじゃなく無くなっているんだ。

故郷の村を失い、みんなは怪我だらけで、幼馴染は僕自身が傷つけて。面倒そうなフラグが乱立中。

そんなリセット必須のイベントだらけにも拘らず、逃げ出す事も許されていない現実世界となっていて。

 

……これから。こんなボロボロの現実で暮らしていかなきゃならないと思うと、僕は心底死にたくなったよ。選択を撤回して、マジで、本当に、クイックロードしたい。

 

「……ぁー」

 

納得したくない『現実』を認識し直した事による絶望感と共に、天井に向けていた視線をアーニャに戻し、彼女の顔の横に倒れ込む。

本当はベッドの端に額を乗せる程度の筈だったんだけど、片目の視力が極端に落ちてる所為で目算が狂ったのか、思っていたよりも彼女の近くに飛び込んでしまい、一瞬ヒヤリとしたよ。

しかし先程のシンクロの影響かアーニャは穏やかに眠ったままで、起きる様子は欠片も無く。

 

「…………」

 

彼女の顔が近くにあると言うこの状況に、あの時の様子を幻視し、再び口の端が歪み。同じようにゆっくりと目を瞑った。

……今ならば、謝れるかな。そんな事を思って。

僕は感情に任せたまま再び口を開き――――そして、やはり言葉が出てこない事に落ち込んだのだった。

 

――――そうして。

 

窓から差し込む日の光が僕の瞼の裏側を焼き、暖か過ぎない冬の陽光が僕達二人を呑み込んで。

僕は燻った心を持て余し、アーニャは久しぶりの安眠を貪り続ける。

 

……こんな何処までも噛み合わない僕達は、何時までこの関係で居られるのだろう。そんな事を考えかけて、直ぐに止める。今考えると、多分ドツボに嵌るだろうから。

 

時間は幾らでもあるんだ。だったら、面倒な考え事は明日以降に回せばいい。明日にもその気にならなかったら、また明後日。それが駄目ならまた次の日に。

 

蟠りも、謎も、憤りも、後悔も、懺悔も、全部誰かに押し付けて、先の未来に持ち越して。キモオタはキモオタらしく、後ろ向きに生きて行くんだ。余計な事を考えず、今はただ彼女に対する罪悪感だけを抱いてればそれでいい。

 

「…………はぁ」

 

溜息を付いて目を開き、顔を上げて眠る彼女の横顔を眺め。

そうして安らかな寝顔を見ているうちに、僕は予感した。

 

それは確信。

 

それは真実。

 

僕はこれから先もずっと。こうやって情けなさ極まる逃避を続けるのである――――――――。

 

 

 

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■ ■ ■

無機質な、廊下。
外気の冷たさが染みこむ灰の通路に、二つの足音が響く。

「…………」

「…………」

一人は、俯き加減で壁伝いに歩く小柄な影。
そしてもう一人は、小さな花束を肩に担ぎ、大股で歩く大柄な影。

進む方角も、纏う雰囲気も、歩く速度も。何処までも正反対で、何処までも対照的な二つの人物。
彼らはお互いの姿を認識していないかのように通り過ぎ、すれ違い。別々の方向へと足を進めていく。

「――なぁ、ガキ」

「…………」

大柄な影が声をかけ、小柄な影が足を止める。
振り返る事も、首を傾げる事もせず。彼らは背中を向けたまま相対し。

――そして、声が飛んだ。


「お前、親とか欲しいか?」

……傍から見れば、唐突にして意味不明な言葉。
それは小柄な影にとっても同じだったようで、戸惑ったように首を捻り――しかし、確かな意思を持って口を開いた。

「……は、初めから居ないし、今更、いらない……」

「――ヘッ、言いやがる」

その掠れた声はとても小さなものだったが、はっきりと廊下に響き、残響し。空気に溶けて消えて行く。
大柄な影はその返答に後頭部を引っかき、溜息を一つ。そうして何処と無く楽しげな雰囲気を放ちながら、手を一つ振ると歩き出す。
その足取りは、先程よりも楽しげであると同時、どこか寂しそうにも見えた。

「…………」

残るのは、未だ立ち止まったままの小柄な人影だけ。
しかし、彼もやがては歩き出し、立ち去った影とは反対の方角へと消えて行く。後にはもう、何も無い。



――――これより先、彼らは二度と邂逅する事は無かった。

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