3学期の修了式が近づき、三年生への足音が間近に迫ったその日。私達の教室は妙な静けさに包まれていた。
「…………」
何というか、浮かれ気分を無理やり押し込めたようなソワソワした感じ。
あちらこちらで嬉しそうなヒソヒソ声が飛び交い、非常に落ち着かない。PCにも集中できず、無意味にマウスカーソルを彷徨かせる。
「……あ、先生が来た」
「…………」
そうこうしている内に教室の扉が開き、何かの箱を抱えたネカネ先生が入ってきた。
先生も先生ですました表情を浮かべ、何も言葉を発さない。クラスメイト全員の視線を受けながら先生は教卓の上へと箱を置き、私達を見回した。
一人ひとり、真剣な目で。……私はそっと、眼鏡の奥で視線を逸らす。
「ひっ」「あうっ」「ニン……」「あわわわ」「うう……」何故かバカレンジャーも視線に大きく肩を震わせたのだが、合宿中に何かあったんだろうか。「強い」というアンナの言葉を思い出す。
「……ん、こほん。えー……」
ともかく、そうしてタップリと良く分からん間を取った後、ネカネ先生は咳払いを一つ。
大きく息を吸い込んだかと思うと、勢い良く眼前の箱を開け放った――――!
「――皆、学年トップおめでとう――!!」
『――やったああああああああああああああ!!!』
ドッ、と。ネカネ先生が心からの笑顔を見せた瞬間、それに呼応し2-A全員が喜びの声を上げた。
「うるっせ……!」その威勢たるや教室全体を揺らすほどのもので、私は思わず耳を塞ぐ。
視界の端を何かがパラパラ落ちたかと思えば、それは天井からの埃だった。どんだけ煩いんだよお前ら。先生も意外とノリ良いし。
(まぁ……騒ぎたくなる気持ちも分かるけどもさ)
心の中でひっそりと呟きつつ、教卓の上へと目を向ける。
その天板の上には、先ほど箱から取り出された光り輝く一つの像が鎮座していた。つい先日行われた学期末試験――その学年一位を記念したトロフィーだ。
そう、何とこのバカ集団。何処をどうまかり間違ったのか総合成績学年トップに咲き誇りやがったのである。明日世界終わるんじゃねーか、これ。
「いやー、にしてもまさか一位取れるとはねー。精々ブービー位だと思ってたのに」
「全くです。それもこれもネカネ先生のおかげ、と言った所ですわね」
高畑先生はどうした。と言うのはまぁ置いといて。
未だガヤガヤと喧しい教室の中、聞こえてきたクラスメイトの誰かの言葉に私もこっそり同意する。
他の奴らはともかくとして、クラスの重りと言っても過言では無かったバカレンジャーの成績を引き上げるとは、並大抵の事じゃない。
私を含め多くのクラスメイトは自力で好成績を残した訳だが、それを抜きにしたって尊敬に値する。見ろ、あの何時も無表情なザジですらパチパチ拍手してんだぞ。
「ねぇ、そうだ! 今度皆で学年トップおめでとうパーティやろうよ!」
「そうです! 多分次回は元通りになりそうですから、今しかできないですー!」
「……? あれ、もしかして私達貶められてる?」
テンションの上がった鳴滝姉妹の提案に神楽坂が眉を顰めるが、殆どの奴らは賛成らしい。やろうやろうと盛り上がり、今後の予定を話しだした。
もうSHRの時間に入っているのにこんなに騒がしくて良いのだろうか。疑問に思いつつネカネ先生を見てみれば、ニコニコと穏やかに笑ったまま特に口を出す気は無いようだ。
次の時間は先生の担当する英語だし、今日くらいは自習って事で許してくれるのだろう。私は降って湧いた自由時間を有効利用するため、改めてPCへと視線を戻した。
まぁ、あれだ――とりあえず、話し合いもパーティもどうぞ勝手にやってくれ。正直私はそれどころじゃないんだよ。
「…………」
……落ち着き、意識を切り替えれば。冷たく戻った体温が周囲の熱気と摩擦し、幾らか気分が悪くなる。
しかし皮肉な事にこの騒がしい雰囲気が一種の安心感を与えてくれて、言い様の無い苛立ちが腹の底から湧き上がった。
「……ッチ」
――ストーカーの対処法。
あー、バカバカしい。ディスプレイに浮かんだその文字を見つめ、それと分からぬように舌打ちを鳴らす。
視界の端を、鼠のような何かが横切った気がした。
*
――ちり。
「……来やがったな」
「え? 何か言った?」
放課後、アンナの占い屋。
本日のストリートパフォーマンス時間が終わり、アンナと一緒に占い屋セットをかたしていた私は、後頭部を抉る例の感覚に掠れた声を絞り出した。
途端隣で水晶を磨いていた彼女が怪訝な声を上げるが、それに答えられる余裕は無い。何でもないと軽く手を振るだけに止め、努めて視線に気づかない振りをする。
最近気づいたのだが、どうもこの視線はアンナと一緒に居る時間に感じる事が多いような気がする。
もしかして狙いは私ではなくアンナなのではないか――そうも思ったものの、それだと先日家で感じた視線と矛盾してしまう。彼女が狙いなら、私の家を見る必要はなかった筈だ。
一番現実的なのは、全てが私の勘違いとする事だ。しかし残念ながら現在進行形で薄気味悪い感覚は続いており、これを錯覚だと断じるのは無理そうだった。
(どこだ……どこに居やがる……)
……見られている。作業の手はそのままに、目だけ動かして周囲を確認。どこかで見ている筈の誰かを探す。
こういう時眼鏡って便利だ、視線の在処をある程度隠す事が出来るから。絶対想定された機能じゃないけど。
木の影、ベンチの裏、道の向こう。ちりちりと感じる視線の元を追い、様々な場所にこっそり目を向けるが――しかし、やはりというべきか人影は無かった。
……いや、隠しカメラという可能性は残っているのか? でもそういうのから視線って感じるものなのだろうか。
私の部屋もあれから探し回ったが、結局見つからなかったんだ。完全に姿を隠せるカメラが有るとも考えにくいし、どういう事なんだ。マジで。
「……チサメ? もう片付け終わったけど、どうしたの?」
「! あ、ああ。何でもない、じゃあ帰るか」
気づけば、全ての部品をベンチの下へと押し込んでいたらしい。
不思議そうな目をするアンナを誤魔化しつつ、その手を取って歩き出す。彼女は少し驚いたようだったが、すぐに笑みを浮かべ手を握り返してきた。
そしてそのまま何時も通りに歩き出し――はた、と気付く。
(……?)
……何で私は、手ぇ握ったんだ?
殆ど、無意識の内の行動だった。らしくない。極めて私らしくない。アンナが泣いていたならともかくとして、今は元気いっぱいなんだから。一人で歩ける子供は歩かせた方が一番いいだろうに。
もしかして、自分でも分からない領域で相当に追い詰められてるとか? それはそれで極めてヤな話だ。畜生。
「……ねぇ、チサメ。やっぱり何か心配事でもあるの……?」
アンナも私に違和感を抱いたのか、心配そうな目でこちらを見上げてくる。その視線に射抜かれていると心の中の何かが緩んできそうだ。
こういう時こそ「何でもないよ」と言えれば良かったのに、それに気圧され「あー」だの「えー」だの口ごもってしまった自分の愚かさよ。視線の中に追求の念が混じり、思わずそっと目を逸らす。
……何と言ったらいいものか。ちう関係の事は説明すると私が死ぬ(社会的だ肉体的だ何だと関係なく、ただ、死ぬ)為出来ないし、さて。
「あー、その、だな。最近さ、妙な視線を感じないか?」
「……視線?」
「ああ、何かドロッとした感じのやつ。気のせいかもしれないが、それがどうにも気になってな」
「……、……」
本当なら子供にこんな話をするべきでは無いんだろうが、詳しく話さなければ大丈夫だろう。そう思い、大した事じゃない風情を装い軽い調子で打ち明けた。
……のだ、が。
「ぐ……むむむ……」
「オイ、どうした」
それを聞いたアンナは突然眦を釣り上げ、苛烈に周囲を威嚇し始めた。
鼻息荒く、頬を染め。キョロキョロと忙しなく辺り見回す。まるで警戒心の強い小動物のような、随分と可愛らしい仕草だ。
……もしかして、居るかも分からない下手人を捕まえようとでもしてくれてんのか?
うーん。嬉しいっちゃ嬉しいんだが、良く分からん微笑ましさがあって緊迫感がまるで無し。何ともはや微妙な気分である。
そしてそんなバレバレの行動をすればどうなるか――そんなのはこれまでから分かりきってる事だ。
(……消えた、な……)
……余計な事を、とは言うまいさ。どうせこのままじゃ視線の主の特定なんて出来そうもなかったんだ、消えてくれた方が有難い。
私は未だ周囲を警戒しているアンナの頭を乱暴に撫で、一応の感謝の意を伝えておく。
「……ありがとな。お前のお陰で視線は散ったよ、強い強い」
「え? べ、別にそんなんじゃ無いわよ。ただ……感じ取れない程の強さとか、私の鈍さとか、凄ーくムカついただけ」
「うん?」
「またって、そんなに信用無いのかしら……」アンナはブツブツと文句を呟いているが、こちらにはちんぷんかんぷんだ。
……視線の正体に心当たりがあるとか? いやまさかな。即座に否定しようとするが――それには少し、彼女の様子や言葉が引っかかる。
「……なぁ、もしかしてさ。視線の事何か知ってんのか?」
「うーん、知ってるっていうか何ていうか……」
疑問に思った私が問いかけると、アンナは困った様に片手をウロウロ中空に彷徨わせる。
その表情に焦りは見えども悪意は見えず。単純にどう説明したらいいのか迷っているだけみたいだ。……分かっていたとはいえ、少しホッとする。
そうして暫くそのまま唸っていたが、やがて「そうだ!」と声を上げると手を離し、懐から手帳とペンを取り出すと近くの壁を机にして何かを書き始めた。
「……手帳って。随分準備いいな」
「お姉ちゃんが持っておきなさいって渡してくれたの。イザって時に電話番号とか書いてあるからって――よし、出来た!」
流石ネカネ先生。その準備の良さに感心していると、何かを書き終えたアンナがそのページを破り取り、私に向かって差し出してきた。
受け取って見てみると、それは赤いインクで描かれた魔法陣の様に見えた。簡単な円の中に星とアルファベットを崩した文字(なのか?)が描かれており、いかにも「ザ・魔法陣!」といった感じ。
その他には何も描かれておらず、完全に単なるメモの切れ端だ。裏返しても透かしてみても変わった部分はナッシング。
何じゃこら。困惑しながらアンナへと目を向けると、彼女は自信満々な表情で無い胸を張った。
「もし私が居ない時に気持ち悪い視線を感じた時は、これを握って私を強く思って。本当は電話に付けるものだけど、想いはちゃんと届くから助けてあげられるわ」
「……誰が助けてくれんの」
「勿論私に決まってるでしょ? 攻撃に関しては負けないし、余計な事する気持ち悪い奴なんかこうよ、こう!」
シュッ! シュッ!
まるでシャドウボクシングの如く苛烈なパンチやキックを中空に繰り出すアンナ。
武道でも齧っているのか、その勢いたるや武術の素人の私が見ても堂に入ったものであり。拳の先に殴り飛ばされる誰かの姿が見えた気がした。
……こーりゃ頼りになるこって。どっと疲労感が押し寄せ、乾いた笑い声と一緒に溜息を吐く。
(ま、こんなもんだよな。「普通」)
多分アンナは、何かのアニメや漫画の話と混同しているんだろう。似たようなシチュエーションがあったとか、きっとそんな感じだ。
ああ、しかしこの紙はもしかすると占い的に意味のあるおまじないなのかもしれないが――どっちにしろ現実的な助けにはならなそうだな。即興書きの魔法陣を見て、軽く笑う。
まぁ嬉しい事には変わりなし。私は頼りになる魔法陣様を大切に鞄へ仕舞い入れ、アンナの頭をポンポンと叩いた。
「はは。じゃあ頼りにしてやるよ、イザって時は頼んだぞ」
「任せときなさい! 私の剣でチリチリパーマにしてやるわ!」
「ケン……拳でどうやって燃やすんだよ、全く」
やっぱガキだな。そうしてそのまま雑談しつつ、ゆっくりと家路を辿る。
……もし、この時の約束が無かったらどうなっていたのだろう?
後日全てを知った後、ふとそんな事を思う時もあるが――まぁ、今の私には関係の無い話である。
■
助けてアンナマン。
何かいやらしい響き。