Chaos;an onion HEAD   作:変わり身

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黒 編

――六年。それが、アーニャが耐え続けている時間だ。

 

あの雪夜の日。自らの故郷が焼かれ滅ぼされた日から、アーニャの心は黒に犯され続けている。

今でだって忘れない。空を埋め尽くす悪魔達、姉貴分と共に居た時の事、そして――タクミが肉袋となり弾けた光景。

黒とは、即ち記憶なのだ。寝ても覚めても日常的にアーニャの意識を喰らい、精神を苛み続ける悪夢の、悪魔達の色。

 

それらはふとした事で蘇り、強制的に追憶のトリガーを引かせる。中でも特に強い影響力を齎すものが視覚情報からの刺激――つまり、黒い物を見る事だった。

 

……当時に想い、体験した感情の全てが一斉に蘇り、一瞬の内に自身の心を食い潰す。それはとても怖い事で、彼女にはまだ耐える事の出来ない痛みだ。故に錯乱し、泣き叫ぶ。

現在においては少しは改善されたとはいえ、健常になったとは言い難い。日本に来た当初の様子からも、それは明らかの筈だった。

 

――だと、言うのに。

 

「ふーっ……ふーっ……!」

 

アーニャは今、その黒の中に居る。

夜闇の色、そして周りに並ぶ黒い男達。彼女にとって現状はこれ以上に無い程に最悪だ。事実その表情は苦悶と恐怖に満ち、衣服には吐瀉物の跡さえある。

この場所まで辿り着き多少なりとも耐えられているのは、千雨を助けたいという願いと――そして、自らの握る双剣から噴出する炎が辺りを照らすおかげだろう。

 

剣――即ち、ディソード。六年という時間は、彼女が自らの裡に秘める力を自覚するには十分な時間だったのだ。

 

「……ア、アンナ……?」

 

そうして前を見据えたアーニャの目に、千雨が映った。

可愛らしい服は無残に破れ、目を赤く泣き腫らし、驚いたようにこちらを見つめている彼女。その姿を見れば、一体どのような境遇にあったのか子供といえど薄々ながら察せられる。

 

「……ち、チサメ。チサメに……っ!!」

 

轟、と。眼の奥で炎が燃え荒ぶ。

それは確固たる怒りだ。噴き上がる激情がアーニャの意思を炙り、赫怒を司るディソードへと流れ一層に盛った。

 

「――チサメにっ……酷いことするなァァァッ――!!」

 

――地面を踏みしめ、未だ残る黒い男に刃を振るう。

 

距離も、狙いも定まらない。癇癪を起こした子供が苦し紛れに繰り出した拳のような、何もかもが滅茶苦茶な一閃だった。

しかし彼女にとっては関係ない。理屈も法則も全ては無意味、現実に対し望んだ結果を強制する。

 

――――ッ!!

 

悲鳴が聞こえた。両断され、焼却され、この世界から消え失せた男達の物だ。

アーニャが腕を振るう度、その目測とは全く違う場所で男が死ぬ。花弁より噴き出す焔華が舞い踊り、彼女にとっての「恐怖」を殺す。

 

その事に躊躇は無かった。義憤や箍の外れかけた理性の問題とは別に、アーニャは男達の正体を朧気に把握していたのだ。

 

――おそらく、彼らは肥大化した妄想の結晶だ。

 

(この粘ついた、黒い、黒っ! 同じ黒……!)

 

確信はできないが、この妄想の主はおそらく千雨自身なのだろう。

 

……思い出すのは、あの雪の日に見た光景。追い詰められた自分の意識に現れ、悪魔の形を取った粘着く黒点。あの個体だけは他の悪魔とは違うものだった。

ディソードを手に入れ、ギガロマニアックスとしての見地を得ている今だからこそ分かる。この男達は悪魔ではないが、あの時の黒と同じ黒なのだ。

 

きっと彼らもそれと同じ、何らかの理由で追い詰められた人間が生み出したもの。

そしてその可能性があるのは――タクミの証言から言って、「素養」を持つのであろう千雨である可能性が高い。……あの時の自分と同じだ。

 

「ぅ……ああああああああああッ!!」

 

自身の過去を焼き尽くすかのように、彼女は更なる雄叫びを上げる。両肩の先に開く六枚の花弁が大きく展開し、一際強大な炎が吹き出した。

 

赤く、紅く、明く。灼熱の風が鮮烈に周囲を照らし、黒を焼く。恐れる対象を退けているという事実が恐怖に屈しそうな心を鼓舞し、ほんの少しの活力を生み出すのだ。

 

同時に加速度的に体力と精神力が消耗していくが、止める訳にはいかなかった。もし止めればその瞬間に自分は終わると、そう理解できていた。

 

(もっと、あ、あかるくしなきゃ……今なら出来るんだ、私に……ッ!)

 

吐き気が昇り、涙が溢れるのが分かる。しかしアーニャはそれを抑える事もしない。

 

彼女はある種暴走状態にあると言ってもいい。度を越えた恐怖と嫌悪により視野狭窄に陥り、柔軟な物の考えが不可能となっていた。

本当に千雨を助けたいのならば、男達を殺すよりも彼女を連れて逃げ去る事を選ぶべきだった。しかしアーニャの頭にはその選択肢は無く、戦い続ける事を選んでいる。

 

……似ているのだ。六年前の環境と。

例えば、大量の黒い男達は悪魔、襲われてしまった千雨は過去の自分や村人達。他の細かい部分も含め、アーニャは様々な要素を過去の出来事と重ねてしまっていた。

 

それは一種の代替行為なのだろう。昔の無力な自分とは違い、今のアーニャは「黒」を――「悪魔」を倒し過去の自分を助け出せるだけの力がある。

だからこそ夜闇の中へも飛び込んだ。根拠の薄い情況証拠から自覚しない域で事実を予測し、鋭敏な恐怖心がそれを目聡く嗅ぎつけて。そして、トリガーを引いたのだ。

 

記憶の逆流に心を呑まれ、過去と現在、千雨と自分を重ね。思い込みという名の答え/妄想が花開く。理屈ではなく、トラウマ染みた義務感が今のアーニャを動かしていた。

 

……或いは、タクミへの贖罪の意味もあったのかもしれない。

妄想の中とはいえ、彼を殺したあの黒い悪魔がアーニャの心から生み出されたモノとするならば、それはつまりそういう事なのだから。

 

「――燃えろぉぉおおおおおおおッ!!」

 

力を込めた地面が爆ぜ飛び、アーニャの身体が空を舞う。

 

大きく薙いだ灼熱の刃が数十の男達を纏めて裁断し、追随する赤火が灰すら残さず蒸発させて。路地の壁面が真っ赤に染まり、深い焦げ跡を刻んだ。

六年前と同じ、暴走による最適解への到達。それを成した本人はやはり自覚の一つも無いまま、只管に殺戮を敷いていく。

 

今ならば、絶対に負けない。

かつて幻視したヒーローのように。自分を助けてくれたネカネや、青い剣を構えたタクミのように。今度は私がその役目に就いてみせる。

 

そう心が叫ぶままに剣を振り回し、焔華を舞い散らせ、そして――……そして、その果てに何が待つのか。狂乱と混乱と錯乱、その淵に立つアーニャは終ぞ気付く事は無い。

 

――――黒い男が全て無くなった時、自分は何を燃やせば良いのだろう?

 

……再び生まれた、自覚しない域での予測。それは恐怖と共に燃やされ尽くし、夜闇を照らす礎となっていった。

 

 

 

 

「……何だ、これ……」

 

ポツリ。小さく掠れた声が漏れる。

 

眼前で展開されている常軌を逸した光景。まるでどこかのアニメに出てくるようなド派手な殺陣を目の当たりにした私は、半ば思考停止の状態にあった。

今日一日でトンデモな目には遭ってはいたが、その中にあってもこれはピカイチだ。服の破れを抑える事さえ忘れ、ただ見入る。

 

「わぁぁぁああああああッ!!」

 

――――ッ!!!

 

アンナの絶叫と共に両腕の剣が振り抜かれ、その度に黒が散り。声無き声が悲鳴を上げる。

 

そこにはアクション映画のような美しい動作は無く、ただ力任せに身体をぶん回すだけの見苦しい類のものだ。何時かのような洗練さは微塵も感じられない。

……にも関わらず、様になっているように見えるのは何故だろう。縦横無尽に地や壁を蹴る彼女の輪郭に大きな威圧が帯を引き、まるで夜空に軌跡を刻んでいるようだ。

 

そしてそれに伴い撒き散らされる炎は私に火傷の一つも与えない。燃やされ、断たれていくのは黒い男だけで、むしろ炎自体が意思を持ったように私の周囲を避けているようにも思えた。

 

……多分、アンナは私の事を助けに来てくれたのだろう。数日前の約束通り、こんな暗い闇の中にも関わらず。何をどうやってか私の危険を察知して――――と。

 

「……ん」

 

ふと気付けば、無意識の内にポケットを弄り回していた自分に気付いた。

余りに突飛な出来事に動揺しているのか。最初はそうとも思ったが――――はた、と思い出した。そう言えば、ここにはアンナ特製お守り代わりの魔法陣が書かれた紙切れを突っ込んでいた気がする。

 

……もしかして、ソレか? ソレが鍵だったのか?

衣装が「ちう」のものに変わっているとはいえ、思い返せば某かの紙切れは握っていた気がする。

転倒したおかげで何処かへと行ってしまい確かめる術は無いが、その可能性は極めて高い。かもしれない。

 

正直、あんな落書きで何が起きるとも思えなかったものの――実際問題アンナに助けられている以上、それが如何に「普通」より逸脱した理論だろうが否定する事は出来ないのだろう。

何せ剣から炎を出したり、軽々と男をなます斬りにするような奴だ。他にどんな技を持っていたとしてもおかしくは無い。八面六臂の大立ち回りをする彼女を呆然と見ていると、心の底からそう思う。

 

「……は、ぁ」そうして彼女を見ていると知らず膝の力が抜け、ぺたりと座り込んだ。膝と尻を打ち付け、鈍い痛みが走る。

 

オイ、何だ。一体どうした。思わず焦り、無理やり足を動かそうとするが上手く力が入らない。

いや、それだけじゃない。腿も、腰も、背中も、頭も。どこもかしこも凄まじい倦怠感に包まれ、状況と裏腹に酷く安心した心境に――――

 

「……安心……?」

 

……安心、しているのだろうか。私は。こんな「異常」の真っ只中において随分とまぁ気楽なものだ。

 

つーかホント何なんだよ、これ。魔法か? エスパーか? どっちにしたって「普通」じゃない。いや、今更の話だけどもさ。

「う、く」張り詰めた精神が緩んだのか再び涙が流れ出し、同時に疑問も止め処なく溢れ出る。その一つとして満足の行く答えは出せそうになかったが、それでも良いと思えた。

 

 

――私は、私を散らさずに済んだのだ。その事実をようやっと自覚し、感情が弾けた。思考が掻き乱され、抑えが効かない……!

 

 

「……っぐ、……き」

 

けれど、最後の一線は越えさせてなるものか。血が出る程に唇を噛み、その痛みで強引に涙を止める。

 

それは単なるプライドだった。しかしここで取り乱してしまえば、僅かに残っている理性でさえもなし崩し的に砕けてしまうと予想できる。

そうなったら後はへたり込んで喚き散らす事しか出来ないだろう。

ただでさえ今まで散々な醜態を晒していたのだ、せめてハリボテだったとしても冷静さを取り繕っていたかった。

 

……鉄錆の香りを舌で転がし、嗚咽と一緒に飲み込んで。私は残った涙の筋を拭い、そうして改めてアンナの姿を睨んだ。

 

「ラ・ステル・マ・スキ……る、るあ、あああああっ! 遅い! 燃やさなきゃ、もっと、明るく……!!」

 

――――ッ!!!

 

一体、また一体と。次々と呆気無く男達が燃え上がり、夜闇を照らす。つくづく「異常」な光景だ。

 

あれ程、それこそ空や道を覆い尽くす程にあった男や眼球達は著しくその数を減らしている。この調子で行けば、完全に殺し切るのも時間の問題だろう。

 

……一体私がどれだけ必死に逃げ回っていたと思ってるんだ。

「異常」に対する理不尽さが胃の奥から湧き上がり、思わず舌打ちを鳴らしそうになる。無論、そんな恩知らずな事は「普通」じゃないのでやらないが。

 

(……でも、何だ。あまり良い空気……じゃない、よな)

 

私に「異常」の事は良く分からないが、それでもこの場が優勢にある事くらいは理解できる。

しかし男達が減っていく毎、アンナの表情は逆に切羽詰まったものへと変わっていくのだ。多少なりとも落ち着いて観察すると、それが顕著に分かった。

 

思い返せば、現れた時もそうだ。彼女の顔には勇ましさなど微塵も無く、恐怖に対する怯えが大部分を占めていた気がする。

おそらく黒、というか闇の中で行動するのが怖くて仕方ないのだと思う。しかし炎で照らせるのならば問題ないような……というのは素人考えなんだろう。精神がそんな単純な構造をしていない事は、私自身がよく知っている。

 

(……良いのか、このまま放っておいて)

 

良く分からない不安が心中をよぎるものの、だからと言って何が出来るのだろう。

あの炎の中に飛び込んで「止めて」とでも叫んでみるか? いやそんな理由も力も無いだろうが、何言ってんだお前。

 

どうするべきか。どうしたら良いのか。考えている間にも事態は進む。荒れ狂う炎により黒い男は既に殆どが駆逐され、残りは十人も居ない。

ざまぁみろ、いい気味だ、助かった。本来ならばそう歓迎し喜ぶべきなのだが――今の私には、消滅していく彼らの姿が何かのカウントダウンのように思えてならなかった。

 

(あと、八人――いや、七人、六、五……)

 

そうやって数えているうちにも、人数は次々と減っていく。

激しい炎がアンナの身体に巻きつきそのまま突貫。最早単なるカカシと成り下がっていた男達を貫通し、大きな風穴を開けた。……あと、四人。

 

――――!!!!

 

「…………ッらあァっ!」

 

地面に火炎くゆるブレーキ痕を残しながら着地し体制を整えるアンナに、それを好機と見たのか三人の男が手を伸ばす。

 

しかし瞬きする間に一人が縦に裂かれ、一人がサイコロ状に裁断され、一人が風船のように弾けて死んだ。

おそらく、彼らにも何が起きたのか理解できないままだっただろう。その死体は炎を吹き上げ、闇に溶け。残る「黒」は唯一人、新たに増える気配も感じられない。打ち止めなんだ、きっと。

 

「…………」……本当に、放置しておいて良いのか? 

あの黒い男達が私にしようとした事を考えれば、このままアンナに任せておくべきだ。見逃して後日また現れたなんて事になったら目も当てられない。

 

だが、この焦燥は何だ。私が把握していない領域で、心が何かを感じ取っている。共鳴、同調。そうとしか表現出来ない何かが、意識の隅を突いているのだ。

その刺激を送る者は、鼠の形をしているように思えた。流線型で、機械的。およそ生物とは思えない姿をした彼らは、その尻尾を赤く光らせながら何かを知らせようとしてくれているようで――――

 

――……赤? その色は、今まさに彼女が振るっている剣の、

 

「――もっと、明るくしてよおおおおお!!」

 

「!」

 

いつの間にか裡に埋没していた意識が、甲高い絶叫によって引き戻される。

ハッとして視線を向ければ、丁度アンナが刃を振りかざし、残る男に止めを刺そうとしている所だった。

 

炎により酷く嬲られたのか、男の手足は完全に燃え尽きダルマのようになっていた。何時もの心優しい彼女からは考えられない所業だ。

 

「――――」

 

――それを見た途端、私はアンナの下へと這いずっていた。

 

一度活が消えたおかげでバカになった身体を引きずり、届く筈の無い手を伸ばす。

……彼女を止めようとしていたのか、それとも他に何か目的があったのか。後の私は覚えておらず、何度考えても良く分からないままだ。

 

しかし心の中では、何か大切な物が回っていたような気がする。義務感のような、そうでないような何か。多分、不完全ながら意識的なシンクロを起こしていたのだろうと思う。

 

ともかく私は何事かを叫び、アンナの気を引いた。それは確かだった。

 

「っ」

 

するとアンナはそれに反応し、ピクリと肩を震わせたが――――でも、少し遅かったらしい。

 

――――ッ、――――ッ!!!!

 

その動きに過敏な反応を見せた焔華が一息に男の肥満体を包み込み、激しい熱風が吹き荒れる。

炎の中でみるみる内に男の身体が溶けていき、美麗な赤を作り出し。彼らの醜悪さとは裏腹の煌々とした灯りを振りまいた。

 

……聞くに堪えない断末魔のノイズさえ無ければ、ある種幻想的な光景にも見えなくもない。あくまで炎だけに限定すればの話だが。

 

「……あ、あ」

 

意識せず、情けない声が漏れた。私を脅かす「黒」は消えたにも関わらず、何か致命的な失敗を犯したような気がしてならない。

私はこれで追われる事も襲われる事も無くなったというのに、何故。

 

「…………」

 

それを成したアンナはどこか呆然とした様子で動きを止め、炎を眺め佇んでいた。先程までの苛烈さが嘘のような静けさだ

燃え尽きた。そのような表現が脳裏をよぎる。

 

五秒、十秒と時が過ぎ。私は歓声も彼女への礼も言わず、ただその姿を眺め続けているだけで――――。

 

「あ、や、やだ。やだ……!」

 

突然、アンナが弱々しい声を上げた。

 

ふらふらと覚束ない足取りで徐々に勢いを弱める炎へと近寄り、慌てて双剣を突き刺した。再び六枚の花弁が一斉に開き、溢れる焔華が切っ先に集う。

注ぎ火、とでも言えばいいのだろうか。どうやらアンナは男を燃料とした炎を消したくないようで、必死に火力を注ぎ込んでいる。

 

……しかし、注げども注げどもその勢いは回復しない。それも当然の事だろう、既に男の欠片は焼却しきっており、灰すらも残っていないのだから。

アンナもそれは分かっている筈なのに、炎を止める事は無い。――双剣の発する炎が、少しずつ弱くなっているにも関わらず、だ。

 

「……お、おい。アンナ?」

 

「やだ、やだよぉ。燃やしたのに、何で、なんで……」

 

これまでとは質の違う「異常」

 

流石に不審に思い、戸惑いつつも声をかけるが、どうやら聞こえていないようだ。泣きそうな声音で某かを呟きつつ、六枚の花弁を更に大きく開き炎を呼ぶ。

だがやはりその勢いは弱く、小さくなっている。荒れ狂う激しさは微塵も感じられず、ゆらり、ゆらりと不安定に明滅を繰り返すのだ。

 

そして、それに付随しアンナの様子も異常をきたし始めた。呼吸が段々と不規則になり、額には玉の脂汗。立っている事も難しいのか、足から力が抜けたかのように膝を屈する。

まるで双剣に生命力的な何かを吸い取られているようだ。その刃自体も軋むような異音を発しており、明らかにヤバそうな雰囲気。

 

まずい。良く分からないが、何かが確実にまずい――そう思った私は未だ抜けたままの腰を引っ張り、彼女の下へと急いだ。地面と擦れる膝が痛い。

 

「おい、大丈夫か? アンナ、アンナ!」

 

「な、何で暗く、全部倒したのに、やだ、暗い。くろいぃ……やだ、やだやだやだ」

 

「くっそ、やっぱ聞こえてねぇか……!」

 

声は変わらず届かない。ならば触れる事さえ出来れば。

彼我の距離はもう五メートルも無い、あと少し頑張ればその小さな背に指が届くのだ。私は最後のひと踏ん張りと、擦り傷の痛む手に力を込め――――

 

 

「――――いやだぁぁぁあああああああああああああああああっ!!」

 

 

――瞬間、絶叫が轟いた。

 

 

「ぅ、あっ!?」

 

パキン、と。ガラスの割れるような音が響き、色の無い衝撃が身体の中心を突き抜ける。

思わずバランスを崩しかけたが、元より倒れているような状態なので然程影響は無かった。不幸中の幸いとはこの事だろう。

 

くそ、今度は何だ……!?

もう大抵の事じゃ驚かねーぞ――――私はそんな悪態と口に入った砂埃とを唾液に絡めて吐き出し、咄嗟に閉じた目を、開け、て

 

「…………」

 

言葉を、失った。

 

「あーッ! あー! ああああっ、ぁあっああぁぁ、ああああぁぁぁッ――!!」

 

私の視線の先。そこにはアンナが大声を上げて錯乱していた。

 

怖いのだろう、嫌なのだろう。彼女は頭を抱え振り乱し、ダンゴ虫のように丸まって只管に叫び続けている。

いや、そこまでは予想の範囲内だった。模範的な錯乱とはかくあるべきという見本のような様子だったから。問題なのは、先程まで炎を噴いていた双剣の方。

 

 

――――あれ程美しく、明るく周囲を照らしていた光は最早無い。灼熱の紅は今や濁った黒へと変わり、真っ暗な闇を吐いていた。

 

 

「……黒い、火?」

 

……刃には、黒い血管のような筋が這い。六枚の花弁が限界を越えて開ききり、筋の切れた肉のように開閉機構を失っていた。

そうして隙間より溢れ出るのは暖かみの何一つ無い、嫌悪の凝縮された漆黒の炎。

 

アンナが蛇蝎の如く嫌う、その色。

剣はそれを自ら生み出し、彼女の心を炙っていた。

 






・ 魔法使わんの?
半錯乱&呪文唱えてる間に炎が消えちゃう! 怖い! 的な感じでどうかひとつ。
次回はちょっと待ってね。

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