Chaos;an onion HEAD   作:変わり身

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第3章  距離

ネカネ・スプリングフィールド。

 

両親のいない僕の面倒を見てくれて、また気にも掛けてくれる年上のお姉さん。

柔らかな雰囲気を備えつつも、涼やかに整った容姿。その流れる金髪はまるで糸のような繊細さで、多分櫛を通しても引っかかるところなんてきっと一つも無い。

体型は所謂スレンダー型なんだけど、それに反して胸のサイズはそれなりに大き目で、背も高過ぎず低過ぎずの絶妙な按配だ。

 

【僕】やアーニャとは、一回りは行かなかったと思うけど、結構歳は離れていて……多分アーニャと同じ学校に通っているんだと思う。

アーニャから良くネカネの成績の優秀さとか、ネカネに告白する奴らの玉砕話とか聞かされているから、おそらくそうだ。

 

 

つまり、ネカネは成績優秀にて眉目秀麗というエリートで、その上性格もいいというリア充な人であり、僕の描いていた【理想の姉】をそのまま体現したかのような女性なんだ。

 

 

……まぁ、年齢の事を除けばだけど。

彼女はまだ中学生くらいだからね、今がこれなら将来には乞うご期待だ。いやそのままでも好物ですけどねふひひひ。

 

強いて難点をあげるとすれば、精神面が若干脆い所だろうか?

彼女は何かショッキングな出来事があると直ぐに軽い貧血を起こしてしまう、癖?のような物を持ってるんだ。

 

まぁ、僕にしてみればそれも美点であるのだけれどもね。ふひひw

 

優しくて美しくて頭も良くて性格もいいお姉さま! しかし豆腐メンタル!!

立ち振る舞いに一点の隙も無いけど、それと同時に柔らかさも持ち合わせている【理想の姉】! しかし豆腐メンタル!!

 

―――だがそれがいい。そのギャップ。まさしく萌え、だ。

 

そしてファミリーネームからも分かると思うけど、血筋上彼女は【僕】の【従姉】と言うことになるらしい。

 

……まぁ、本当に血が繋がっているかどうかは怪しいところだけど。

 

だって【スプリングフィールド】なんて付いてはいるけど、僕の【父親】に兄弟が居たなんて聞いたことはないし、僕自身も会ったことは無い。

疑問に思ってスタンや村のご老人達に聞いても誰も何も教えてくれないし、何よりその全員がはぐらかす様な態度をとることも気に掛かる。

 

もしかしたら父親ではなく母親関係で何かあるのか、とも思ったけれど……やっぱり誰も教えてくれない。

むしろネカネの事以上に母親の事に対してはうろたえるので、ここらへんに何かはあるっぽいんだけど。

 

……いや、これ以上詳しくは聞かないけどね。

 

だって、何かもう厄介ごとのフラグ臭しかしないじゃないか。

もしかしたら愛人とか腹違いとか、そんな感じのドロドロした話かもしれないしね、藪を突付いて蛇を出すような事はしたくないんだ。

唯でさえ自分のことで一杯一杯なんだから。

 

 

……で、そのネカネの事だけど―――僕自身はあんまり好きじゃなかったりする。

 

 

いや、確かに美少女で優しくて、しかも萌えポイント完備の理想の姉ではある事は認めてやらんでもないさ。

 

こんな僕でも優しく、それこそ本当の弟のように―――彼女にとっては事実そうなのだろうが―――接してもくれている。

あの毒舌だった星来たんに聞いても、おそらく4割くらいは賞賛の言葉がうっかり混じってしまうに違いないほど良い子だよ。

 

 

―――でも僕はネカネの弟じゃない。

 

 

いや、正確には【ネギ・スプリングフィールド】としての記憶はあるけど、その前に僕は【西條拓巳】なんだ。

【西條拓巳】には妹はいるけど―――姉は、いないんだ。

 

……それなのに、いきなり【姉】なんて言われても困るしかないじゃないか。

 

 

今はアーニャのおかげ―――暫定、あくまで暫定な―――で大分マシになったけど、始めの頃はネカネに恐怖すら感じてた。

 

 

僕の記憶にはあるけど僕の記憶には無い、僕の知らない家族。

美少女で、スタイルも良くて、性格も良くて、面倒見も良いい完璧な姉。

……何度も言うけど、まるで僕の妄想の権化みたいな、彼女。

 

幾らお前は誰だって喚いても、お前なんか知らないって叫んでも、本人も周りの人も、周囲の奴ら全員が彼女のことを僕の姉だって言うんだ。

 

―――これは、相当な恐怖だよ。

 

誰とも知らない赤の他人が何時の間にか自分のテリトリーに入っていて、尚且つ僕の家族面して馴れ馴れしく接して来るんだ。

そいつが何か善からぬ事でも企んでいるんじゃないかって、疑ったり警戒したりするのは人間の本能として当然の事でしょ?

……しかも、それを言ってた奴らも―――周りの奴らも全員見覚えの無い奴らだったりしたら、尚更だ。

 

確かに僕の中にはネギとしての―――彼女の弟としての記憶はあるよ。でも、そんなの気持ち悪くて到底信じる気になんてなれなかったんだ。

何度も言うようだけど、僕は【西條拓巳】なんだから。

 

…………つか良く考えてみるとこれ、配置を変えればまんま梨深の時と一緒だよね……?

 

……まぁ、とにかく。

おかげでアーニャとのXデーが来るまで何時豹変して裏切られるのか、何時襲い掛かってくるか、何時五段活用問い詰めされるのかと戦々恐々とした日々を過ごしてたよ。

僕の二年足らずの人生経験から言って、こういう得体の知れない姉キャラは迂闊に信じると痛い目に会うからね。

優愛とかセナとか葉月とか、あと優愛とか優愛とか優愛とか優愛とか。彼女はもしかしたら妹キャラだったかもしれないけど。閑話休題。

 

酷い時には、彼女に話しかけられる度嘔吐していた時もあった。

……流石に、そこまで酷かったのはちょっと前までの話だけどね。

 

今では、まだ怖くはあるけど過剰な警戒は解いてる。

 

―――だって、少し余裕を持って見てみたら……彼女が【ネギ】に危害を加えようとするはずが無いって、直ぐに分かったから。

 

……とにかく、最初にそんな苦手意識を持っちゃった所為なのか、気が付けば僕はネカネのことが苦手になってたんだ。

苦手ってだけで、嫌いという事ではないんだけど……それでもあんまり、進んで関わりたいとは思えない。

 

 

「会話できないほどではないけれど、相対すると怖くなって身構えてしまう程の苦手意識」……それが、僕の【姉】に対する距離感だった。

 

 

……アーニャには仲直りしろとせっつかれているんだけれど、正直どうしたらいいのか分からない。

 

月に7・8日くらいしか帰ってこないけれど、その間は一緒に住む事になるんだ。仲良くしろっていう彼女の意見は分からないでもないよ。僕もちょっとはそう思ってるしね。

僕の感情はどうあれ(一応)身内だって事になってるし、(気味悪いけど)彼女と家族だった記憶もうっすらある。

 

……だけど、物凄く怖いんだ。

 

優しいとは思うんだけど、怖い。

良い人なんだろうけど、怖い。

僕を気に掛けてくれることが、堪らなく怖いんだ。

 

……それなのに、環境上仲良くしないといけないって言う二律背反。

 

―――ほんと、どうしたら良いんでしょう? わかりません><

 

 

 

 

******************************

 

 

 

 

イギリス、ウェールズの山間にある小さい村。

 

スタン達が住むその場所は、山間にある小さな村でありながら交易も盛んで生活にはあまり苦労をすることは無い、山間とは思えないほどに過ごしやすい場所だ。

水道や電気、下水と言った生活に必要不可欠なライフラインの他、望めばネット環境も手に入れることが出来、ラジオの電波もしっかりと入るため情報も簡単に得られる。

流石に宅配サービスを受けることは難しいが、村には定期的にやってくる商人に頼めば大抵の物資は手に入れることが出来るため、困る事はまず無いと言っていい。

 

―――村の存在する場所と文明のレベルが合っていないが、それはこの村が【魔法使いの隠れ里】という場所である故なのだろう。

 

強いて難点を挙げるとするならば、山間部にあるため気温が低くなりがちという事か。

特に冬などは雪が積もりやすく、それに応じて気温も氷点下にまで下がることがあるのだ。

 

そのため雪が降る冬の真っ只中にある今現在、いつも活気の絶えなかった村の中には人通りは少なく、人影は中央にある広場で何人かの子供達が遊んでいる程度。

上空から降り落ちてくる白と合わさり、閑散とした雰囲気を放っていた。

 

 

―――そんな村の、外れにて。

 

 

住宅街から少し外れた場所に立っている、普通の住宅よりも大きな木組みの家。

その居間に設置されている暖炉の前に置かれた椅子に、一人の少女が腰掛けていた。

大き目のテーブルに肘を突き、暖炉の中でゆらゆらと揺らめく炎をじっと見つめるその姿は、まるで絵画のような雰囲気を感じさせていて。

 

…パチパチ、と。木切れが熱に炙られ爆ぜる音が部屋の中に響く。

 

 

「……どうしたものかしら……」

 

 

鈴を鳴らしたような美声は、暖炉の炎の中に消え。

窓の外にしんしんと降り積もる雪を眺め、少女が小さくため息をつく。

件の少女―――ネカネは、物憂げに伏せられた瞼の上の長いまつげを揺らし、金色の粒子を辺りへと振り撒いた。

 

 

―――ネカネ・スプリングフィールドには、ある悩みがある。

それは年の離れた弟の事……ネギ・スプリングフィールドの事についてだ。

 

 

「…………はぁ」

 

 

ネカネは窓の外に目をやり、降り積もる雪を見つめる。

……どっさりと積もったそれが、まるで自分の悩みのように思えて更に憂鬱な気分になり、またもや自然にため息が漏れ出た。

 

 

ネカネにとってネギとは年のはなれた従弟であるが、実の弟のように可愛がっている。

その可愛がり方といったら、それこそまさに目の中に入れても痛くないとでも言った風情。

 

ネギが自分に残された、数少ない肉親だと言う事もそれに拍車をかけているのだろう。

 

―――小さな体躯。

 

―――くりくりとした大きな瞳。

 

―――ふとした時に行う仕草。

 

……その全てが、愛しくて愛しくてたまらないのだ。

 

出来る事なら何時もネギの傍に付いていて、常に助けてあげたいとまで思っている。

だが彼女は普段は村から離れた魔法学校に通っており、ここへ戻ってくる事も月に1・2回程度。合計にして10日未満程しかその機会を得る事が出来ない。今現在だって、明後日には学校のある町へと戻らなくてはならないのだ。

そのため、自分以外に身寄りのない弟はその間を必然的に一人で暮らす事となり、彼女は弟がちゃんと暮らせているのかどうかを常に気に掛けているのである。

 

一応スタンや村の人々には様子を見てくれるよう頼んであるが、それも常に張り付いている訳ではない。

自分の居ないうちに何か不測の事態でも起こっていないか、寂しがって泣いていないか。

 

そんな事を考えると居ても立っても居られず、最悪貧血を起こしてしまうほどなのだ。

 

……攻撃魔法はともかく、医療魔法関係においては学校随一の成績を誇る彼女であったが、流石に心労から来る貧血には対応出来ない様だった。

ともかく、それ程に彼女は大きな愛を弟に注いでおり、同時に常に弟の事についての悩みを抱えているのである。

 

 

―――まぁ、今彼女が悩んでいるのはそれとは別種の事であるのだが。

 

 

「……ネギ……」

 

 

……一言、弟の名を呟いて。

彼女はそっと、居間から続く廊下の先にある物置の扉を…アーニャが壊してしまったため、今は入り口に立て掛けてあるだけのそれを見る。

 

薄いベニヤ板で応急措置を施したその扉の中から、カタカタとキーボードを叩く音。

そして、「くそっ」「市ね!」「はい通報ー」等と言った呟き声―――英語ではないため、何を言っているのかは分からないが―――がうっすらと漏れ出てきている。

 

その声は年端も行かない子供の声で、呟きの内容……日本語が分かるものが聞けば、それとのギャップに酷く驚く事だろう。

 

―――彼女が愛する、弟の声だ。

 

四畳半にも満たない、人が暮らすには少々手狭な物置の部屋。

本来ならば不用品や使用頻度の低い道具を入れるべきであるその部屋は、件の弟が日々を過ごす鉄壁の居城として使用されている。

……まるで、自分自身が不用品だ。とでも言うかのように。

 

 

「…………よしっ」

 

 

……ふと、ネカネは今までの物憂げな姿勢を解き、椅子を引いて立ち上がった。

白い修道服のようなローブをはためかせつつ、その扉へと近づいていき……数秒ほど躊躇した素振りを見せた後、ノックを二回。

 

……そして、

 

 

「―――ねぇ、ちょっと……良い?」

 

 

恐る恐る、問いかけた。

 

 

 

―――っ!

 

 

すると部屋の内部でガタンと大きな物音が聞こえて……ネカネは緊張した面持ちで、応答を待つ。

それはまるで、想い人に告白をした乙女のようで―――ある意味間違ってはいないが―――遠目からでも緊張している事がありありと分かる事だろう。

 

……………………

 

…………

 

……

 

そうして30秒程の時間が流れ、そろそろ緊張もピークに達しようかといった所―――扉の向こう側から、声が響く。

 

 

「…………な、何? 何か用?」

 

 

先程までの呟きとは違う、少々ぎこちないイギリス英語。

部屋の扉を開けることなく投げかけられたその掠れた声は、どこか余所余所しく素っ気無い印象を感じさせた。

 

……ネカネは、扉が倒れないようにゆっくりとドアノブに手をかけ、回す。

 

見えてきたのは、真っ暗な室内の中、パソコンのディスプレイが発する光源を背景に、一人の少年が首だけこちらを向けている姿。

父親譲りの赤毛をボサボサに散らかし、僅か齢三つにして目の下に縁取る濃い隈がここ最近の特徴となってしまった少年。

ネカネが愛する愛弟の、ネギ・スプリングフィールドの姿だ。

 

……彼女はそんな弟の昔とは離れた姿に密かに心を痛めたが、表情に出すことなく続ける。

 

 

「え、えーっと、あのね? もし良かったら、お姉ちゃんと一緒にお茶でも飲まないかしら?」

 

 

自分でもちゃんと笑顔が作れているか不安だったが、今できる精一杯の笑顔をその整った顔に浮かべる。

……しかし、対するネギはそんなネカネとは決して目を合わせようとはせず、眼球が小刻みに痙攣。視線は部屋の中を不規則に揺らめいていた。

 

ネカネは気の所為と思いたかったが―――その瞳には、何故か「怯え」の感情が湛えられているように見えた。

 

 

「……え、遠慮、する……」

 

 

ネギはそんな―――彼女の勇気が込められた言葉を、にべも無く一蹴。

ネカネの知る彼は、紅茶と聞けば飛んでくるほどの紅茶好きだったはずだが、今はそうでもないようだ。

……いや、ただ単に部屋の外から出たくないか、彼女と長く顔をあわせたくないだけなのだろうが。

 

一瞬、泣きそうな表情を浮かべたネカネだったが、それは直ぐにまた笑顔に変わり。続ける。

 

 

「……あ、じゃあ……お散歩なんてどうかしら?」

 

「い、いや……いいから、それも。……雪、降ってるみたい、だし……」

 

 

二蹴。

 

 

「そ、そう……えと、それなら」

 

「……あ、あのさ。良いから、別に……僕にき、気とか、使わなくても……」

 

 

三蹴。

その声色は、やはり何かに怯えているかのようで。どもり、擦れた声はとても健常なものとは言えなくて。

 

 

「……ネギ……でも、私は―――」

 

 

だから彼女は、せめて自分はただ単に気を使っている訳ではなく、ネギを心配している事だけでも伝えようとして―――

 

 

「っ、ち、違う……! 何度も、いい、言ってるけど。僕はネ……ギ、なんかじゃない。に、西條拓巳……だから」

 

 

強い拒絶。

突然語気を荒らげたネギに話を続ける前に拒否されて、名前を呼ぶ事に関しても拒否されてしまう。

 

もしこれがアーニャだったならば、何時も通りに怒りを顕にして部屋の中に殴りこんでいくのだろう

もしこれがスタンだったならば、何時も通りに呆れた溜息をつき部屋の前で説教を垂れるのだろう。

もしこれが村の老人達だったならば、笑って軽く流すのだろう。

もしこれが村の青年達だったならば―――これは、あまり考えたくない。

 

―――しかし、ネカネは弟のそんなつっけんどんな態度に怒るでもなく、嘆くでもなく―――ただ、悲しくなった。

 

……一体、何が彼をここまで変えてしまったのだろう?

原因は、一体何処にあるのだろう……?

 

以前の、明るくて元気だったはずのネギに、一体何があったのだろうか?

 

昔のネギと、自分の名前すらをも嫌悪する今のネギ。

それには、あまりにも差がありすぎる。

 

 

「そ、そう……ならネ……タクミ? お姉ちゃん居間に居るから、何かして欲しい事があったら言ってね?」

 

 

そうして、震えそうになる声を押し殺し優しくネギに声をかける―――が。

 

 

「…………」

 

 

……返事は帰って来る事無く。彼はくるりと背を向けて、机の引き出しから大型のヘッドフォンを取り出し、すっぽりと耳を覆ってしまった。

 

それを見たネカネは目を瞑り、ゆっくりと扉を閉めた。

そうしてそのまま暫く部屋の前に立っていたが、それ以上扉の向こうからは何の反応も返ってこない。

 

……ネカネはそっと濡れた目尻を拭い、扉の前を後にした。

そして、廊下の行き止まり。居間へと続く扉に手をかけて―――

 

 

「……ご、め………。…………」

 

 

―――ふと、そんな声が後ろから聞こえてきた気がしたが。

それが本当に聞こえた言葉だったのか、それとも自分の都合のいい妄想だったのか……。

 

ネカネには、判別する事は出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

ネカネ・スプリングフィールドには、ある悩みがある。

それは、どうしたら自分の愛する弟が前のような明るさを取り戻してくれるのか、と言う事だ。

 

彼女が案じる弟は、以前はあのような排他的な性格ではなかったはずなのだ。

 

腕白で、明るくて、元気で……。

父親の英雄譚に心を躍らせ、魔法に強い憧れを抱く、魔法使いとしてはごく一般的な子供に過ぎなかったはず。

 

……だが、今では先程のような暗い性格となってしまっている。

しかも外に出る事を極度に嫌がるようになり、物置の中を自分の世界と定めたように自分からは決してそこから出ようとしてくれなくなってしまったのだ。

 

―――何故?

 

ネカネには、その原因にまったく見当が付かなかった。

 

彼がああなってしまう前に、予兆は何一つ無く。

本当にふと気が付いたら昔のネギは今のネギとなっていたのである。

一体何が起こったのか、何があったのか。自分もアーニャもスタンも、この村に住む者の誰一人としてその理由を知るものは居なかった。

 

 

「……どうしたら、いいの……?」

 

 

再び、暖炉の前の椅子に座り直したネカネは溜息と共に呟く。

 

スタンや村のお年寄りからの話では、弟は毎日を寝ても覚めてもネット漬けの日々を送っているようだ。

ネカネにはパソコン機器の事は良く分からないが、それでも何となく健康に悪いと言う事は分かる。

そのため彼女は何度もそれを注意して、せめて自分が居る間だけでも一緒の部屋で暮らすよう提案しているのだが……一向に改善の兆しは見ることが出来ない。

 

彼女の可愛い妹分のアーニャはあの部屋から連れ出す事に成功しているが、それも月に1・2回。

自分と一緒にこの村に帰って来た時しかあの部屋から連れ出す事が出来ないため、それ以外は殆ど物置に引き篭もったままなのだと言う。

 

食事や入浴と言った、生活に必要な行為を行う時には自主的に外出を行うそうだが……果たしてそれを外出に含めていいものなのだろうか?

いくら精神が大人びているとは言え、まだネギは三歳なのだ。こんな不健康な生活を続けていれば、身体に何か影響が出てしまうかもしれない……。

 

無理矢理ネット環境を取り上げてしまう事も考えたが、それは逆効果でしかないだろう。

 

 

「…………」

 

 

ネカネは、ネギがパソコンをねだって来る前の、あの今にも死にそうな顔を思い出す。

 

目の焦点は常に合っておらず、理由を聞いても話す言葉は要領を得ず。自分が話し掛ける毎に嘔吐を繰り返す、異常な様子。

まるで全てが禍々しく歪んでいる世界に一人放り込まれたかのような、絶望に満ちた表情。

 

精神を安定させる魔法も、精神科医の言葉も通じず。家の中に引き篭もり、今にも狂いだしそうだった彼の様子。

 

それが、パソコンを与えた事により幾分か和らいだのだ。

それでも暫くは余裕の無い状態が続いていたようだが……最近のアーニャとの掛け合いを見る限り、今は違うようだ。

 

勿論それはパソコンだけではなく、アーニャのおかげでもあるだろう。しかし、ネギにとってパソコンが一種の精神安定剤になっている可能性も捨てきれない。

もしそれを引き剥がしたとして、さらにネギを追い詰めてしまう羽目になってしまったら―――本当に酷い事になりかねない。

 

それに、村中での評判についても問題がある。

村の中でも特に接点の深いスタンからネギの事について色々と聞いているが……それを初めて聞いた時は、思わず持病の貧血により倒れそうになってしまった。

何故ならスタンからの話によると、今現在ネギは村の若い衆……ネギの父、【英雄としてのナギ・スプリングフィールド】に憧れる村人達から落ちこぼれの扱いを受けていると言う話ではないか。

流石に表立ってのいじめ等は無い様だが、それでも三歳児にはあまりに辛すぎる状態だ。

 

考えれば考えるほど、まるで間欠泉のように問題が次から次へと沸いてくる。

 

 

「―――ああっ。」

 

 

ふらり、と。

椅子に座っている状態にも関わらず、貧血によりバランスを崩して椅子の手すりにもたれ掛かった。

 

……一体、どうしてこの様な状況になってしまったのだろうか?

ネカネはこめかみに指を押し当て、呼吸を整えながら考える。

 

 

―――やはり、幼いネギを一人きりにするのがいけなかったの?

 

―――それとも、両親の事について教えないままだった事?

 

―――もしかして、アーニャみたいにネギの事を【タク】って呼ばないから?

 

―――そう言えば、手料理の一つもなかなか作って上げられていないわ。コミュニケーションに食事は大切だって言うし、今度ネギの好物を作って……

 

―――……いえ、待って。そもそもネギの好物って何だったかしら……? 

 

 

「……うう……」

 

 

……ネギの好物さえも知らない自分の至らない点ばかりが次々と浮かんでは消え……て、行かずに積みあがり、自分が情けなくなってくる。

再びネカネの目じりに涙が浮かび、小さい嗚咽が漏れ落ちる。

 

そうして、ネカネは考える。

 

何時からだろう?

自分とネギとの距離がこんなに開いてしまったのは……。

 

少なくとも、少し前までは何の問題も無かったはずだ。

ネギも今とは違って、素直で明るい性格をしていたはず。

 

とことこと、ネカネが歩く後をカルガモのように付いて回っていたはずだし、寝る時も自分に抱きついてきて一緒に眠っていたはずだ。

村人たちとも仲が良かったはずだし、アーニャ以外の子供達とも良く遊んでいたはず。

 

そして、父親の英雄譚を聞くのが大好きだったはずで、それを興味深々で耳を傾けてきたはずで―――

 

 

「…………?」

 

 

―――はず?

 

ふと、気づく。

 

……何故、自分は先程から思い浮かべている、ネギと過ごした昔の記憶を正確に断定できていないのだろう?

その出来事をはっきりと覚えているのならば、「はず」なんて曖昧な末尾は付かないと言うのに。

 

自分ははっきりと覚えているのだ。

昔のネギは、今と違って明るくて、素直で、父親に憧れを持って――――――持って……?

 

 

「……あ、れ……?」

 

 

ネカネの口から疑問の声が漏れる。

そして自分の指で眉間を押さえ、目を瞑って集中。

 

―――そうして、自らの記憶を確かめる。

 

 

ネギと過ごした「はず」の、まだ彼があのような性格ではなかった時の出来事を。

 

ネギが浮かべていた「はず」の、あの明るい笑顔を。

 

ネギと村の子供達が追いかけっこをして、それを村人達と一緒に見ていた「はず」だった、楽しかった思い出を。

 

 

それらの記憶を思い出そうとして、集中して、集中して、集中して、集中―――

 

 

「―――何で……?」

 

 

思い出せない。

あれ程深く浸っていた、楽しかった頃の……美しかった記憶がはっきりと確定しない。

 

―――昔って、何時の事……?

半年前? 一年前? 二年前? それとも三年前……いや、まさか赤ん坊の時という訳では無いだろう。

 

思い出そうとするけれど、あたまに靄が掛かったかのように記憶がはっきりとしない。

いや、むしろ思い出そうとするたびに、その記憶が遠くに行ってしまうような感覚を受けるのだ。

 

 

「いえ……待って」

 

 

―――そもそも、ネギは、本当に明るい性格だったっけ……?

 

―――そう、私の後をにこにこ笑顔で付いて回って……いた、の? いえ、違くて、一緒に歩いた事なんて……。

 

―――仲の良かった村の人や子供って、誰だったかしら?

 

 

そういう出来事があった、という記憶は存在しているのに、その時に何をしたのか……と言った事がどうしても思い出せない。

……例えて言うなら文字と絵。ネカネの脳裏には、そんな事があったという「記述」はあっても、その「情景」が浮かんでこないのだ。

 

 

「……あ、う……ぐ」

 

 

必死になって記憶を穿り返し、その時の映像を思い出そうとするが何一つ思い出せず。

……それどころか思い出そうとする度に頭痛がして、しかも思考を続ける毎にそれが酷くなってくる。

 

―――頭が、割れそうに痛む。

 

 

「う……」

 

 

痛みに耐え切れず、思考を散らす。

ズキズキと痛の増してくる頭を抑え、たまらず頭を抑える腕に力を入れて、ゆっくり息を吐いた。

 

自分はただ、昔の事を思い出そうとしているだけなのに、何故こんなにも酷い痛みを伴っているのだろう?

 

 

「……疲れてるのかしら」

 

 

徐々に痛みの治まっていく頭を振って、そんな事を思う。

 

ネギとの事を思い出せ無いなんて……悩みすぎて知恵熱でも出たのだろうか。

それとも、今が辛すぎて昔の事を思い出そうとするのを脳が避けているとか。

 

もしかしたら、誰かに記憶操作の魔法を受けていたり―――と、そんな訳はないか。

スタンや他の村人達も自分と同じ事を覚えているのに、記憶操作も何も無いだろう。被害妄想も甚だしい。

 

 

「……ダメね」

 

 

どうやら自分は本格的に疲れているようだ。

ネカネはそう結論付け、とりあえず頭痛薬の一つでも飲んで置こうと重くなった頭を抱えて立ち上がり、薬箱のある棚へ向かって振り返って―――

 

 

「…ぁ」

 

 

―――廊下の影から、ネギが複雑な表情を浮かべてネカネの様子を伺っていた。

 

 

「……………」

 

「……………」

 

 

思わず体が凝固した。

そうして暫く何とも言えない雰囲気が周りを包みこみ、無言の時が流れる。

 

ネギの様子はやはり先程と同じで、ネカネとは視線を合わせないよう伏せられて。

居間には入ってこないまま、廊下とを繋ぐ柱の影に隠れていた。

 

彼女の視線を避けるように、時折その小さな身体をぴくぴくと痙攣させ、柱の影に微妙に出たり入ったりを繰り返す。

それはまるで小動物がする仕草のようで……ネカネは上手く働かない頭の中で、場違いにも「可愛いなぁ」という感想を抱く。

思わず抱きしめたくなって、無意識の内に足を動かそうとして―――

 

 

「……(……はっ!)」

 

 

はた、と思考力を取り戻す。

 

そうだ、昔はともかく今はそんな事をしてはいけない。

ネギは自分に怯えているようなのに、そんな事をしてはますます怖がられるだけではないか。

 

ちょっとした自虐を交えつつ、彼女は冷静さを取り戻し―――そして、やっとの思いで口を開いた。

 

 

「あ……どうしたの? お姉ちゃんに何か……」

 

「い、いや……なんか、トイレ行って……したら、変な声、聞こえたから。気になって……そ、そん、だけ……」

 

 

「変な声」の部分でネカネを震える指で指し示し、若干答えにくそうにネギはそう言って。さらに身を縮こまらせた。

 

彼の言う変な声とはおそらく、頭痛に苛まれていた時のうめき声の事だろうが……そんなに変な声を上げていただろうか?

自分では抑えていたつもりだったが、完全には堪えられていなかったのかもしれない。

……弟に妙な声を聞かれてしまった事に対し、少し赤面。

 

だが、それと同時に気づいた。

 

この部屋とトイレの位置は、廊下をの進んだ突き当り。つまりは、ネギの部屋を挟んで反対側の位置にある。

ネギがトイレに言った後にこの部屋に来たと言うのならば、それはつまり通りがかったわけではなく、自分の意思で来たわけで。

 

その事と……自分を指差した事。そして、「気になって」という発言を合わせたら―――

 

 

「……もしかして、心配……してくれたの?」

 

「……っ……、……」

 

 

ネカネがそう言った瞬間、ネギは脱兎の如く逃げ出した。

脱兎、とは言っても走り出したわけではなく、顔を伏せ早歩きで歩き出しただけだが……それでも、その行動が答えを如実に表していた。

 

 

―――ネギが、私のことを心配してくれた……?

 

 

何時も自分のことを怯えた瞳で見ていたあの子が?

ここ最近、まともに会話を交わしてくれなかったあの子が?

 

……私の、ことを……?

 

その事が嬉しくて、あのネギが自分のことを気に掛けてくれたことが嬉しくて。

ネカネは思わず頭痛の事も忘れてしまう程に舞い上がり、頭が真っ白に染まって―――

 

 

「ま、待って!!」

 

「!……」

 

 

この場から立ち去ろうとする彼の背に、気づけば声をかけていた。

ネギはその声量に肩を跳ねさせたが―――こちらを振り向かないまま、歩みを止めた。

 

 

……沈黙。

 

 

「………あ………う……」

 

 

咄嗟に声をかけたは良いが、何を言ったらいいのか分からない。

何か言葉を掛けなければいけない。何かを言わなくてはならない……そんな思いに駆られ、口をパクパクと開閉させる。

 

……しかし、やはり何も言葉が浮かんでこなくて、「ありがとう」の一言さえもが浮かばなくて。

 

頭の中がぐるぐると回転し、無意識のうちに口が開いて―――

 

 

「え、っと……良かったら、一緒にお茶……どう?」

 

 

咄嗟に口をついたのはそんな言葉。

我に返って、ネカネは激しく後悔した。

 

―――それはさっき断られたじゃない!

 

誰!? ちょっと前に言った台詞も覚えていないお馬鹿さんは!? 私よ!!

 

そして目に見えるほどにうろたえて、俯いたまま顔を上げない背中に弁解の言葉を投げかけようとするが……先程よりも焦っている為か今度は言葉すら出せない状態。

……これは、もう、ダメだ。ネカネはがっくりと項垂れる。

 

―――せっかく、ネギとまともに会話できるチャンスだったのに……

 

これでは、再び断られて、部屋に篭られてお終いだ。

 

そう悲嘆にくれるネカネの視線の先で、ぎこちなくネギが振り返り、口を開いた。

そうして投げかれられたのは、やはり拒否の言葉であり―――

 

 

「……………………………ぐ………………ぎ…ぃ………………っ、や、やっぱぁ………………っも、らうぅ……!!」

 

「そ、そうよね。なら――――――っぇ!?」

 

 

そう思っていたけれど、返ってきたのはそんな言葉で。

思わず彼女は変な叫び声を上げてしまった。

 

―――彼の視線は定まらず、腰も引けていた。

青白く不健康な肌の色をしたその部分はさらに青く染まっていて、食いしばった口元は小刻みに震えていて。

 

もう、明らかに無理をしている事が伺えたが―――驚きと喜びで頭が真っ白になっているネカネには、それが分からなかった。

 

 

「ちょっと、ちょっと待ってて! 今すぐに用意するからっ」

 

 

そして今まで考えていた事も、頭痛も。それら全てが脳裏から吹き飛んだように、慌ててキッチンへと走っていく。

その際椅子に足を引っ掛け大きな音が響き、それに驚いたネギが身を竦めたがそれに気づかずに早足で。

 

カチャカチャと食器が擦れる音を響かせつつ、慌しくお茶の用意を始めたのだった。

 

 

「そ、そうそう! 実はこの前商人のおじさんから美味しいって評判のお菓子を貰ったのよ? それも一緒にいただきましょう!」

 

 

そうして、ネカネは弾む声音でそう言って。

棚から取り出した薬缶に水を入れ、火に掛けた。

 

 

 

 

 

―――ひたひたと、こちらに向かってく裸足の音を聞きながら、ネカネは思う。

 

 

ネギが自分と一緒にお茶をしてくれる……少なくとも自分はネギに完全に嫌われているわけではない、と思っていいのだろう。

……まぁ、明らかに無理をしている様子ではあるのだが、浮かれたネカネはそれに気づかない。

 

あれほど頑なだったネギが、あれ程自分に怯えていたネギが、自分に歩み寄ってきてくれた。

たったそれだけの事なのに、こんなにも浮かれてしまう。

 

だが、これはネカネにとってこれ以上無い吉兆とも感じられたのだ。

 

以前は周りのものを皆拒絶していたネギが、身内との触れ合いを受容―――もしかしたら妥協かもしれないが―――してくれた。

ならば、このままの調子で接していけば、元の明るかった「はず」のネギに……とは行かないまでも、それに近い彼に戻ってくれるのではないか?

 

その事を考えると、今まで沈んでいた気持ちが急速浮上。

ようやく光明を見つけた気がして、これから頑張るぞと言う気持ちになってきたのだ。

 

 

「♪~……」

 

「……………くそ、素数だ。……そ、素数を。素数をぉ……!!」

 

 

そして、ネギが居間の机に座った気配を感じつつ、ネカネは上機嫌に鼻歌を歌う。

まな板の上に置かれたケーキ風のお菓子に包丁を入れて―――ふと、思う。

 

 

―――どうせなら、アーニャも呼びたいところだけれど……

 

 

……ちら、と。

背後に視線をやり、椅子に座ったまま落ち着き無く貧乏ゆすりをしているネギを見て。

 

 

―――今日くらいは、二人きりでもいいわよね。

 

 

こっそり舌を出して、心の中で妹分に手を合わせて。

ネギにとって……拓巳にとっては、無常とも言える結論を下したのだった。

 

 

 

―――この時には、もう既に。

頭痛と同時に抱えた違和感の事など、頭の中から綺麗さっぱり消えていた――――――

 

 

 

【挿絵表示】

 




■ ■ ■

少しでも皆様の暇潰しになれば幸いです。

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