Chaos;an onion HEAD   作:変わり身

7 / 30
第6章  追加現実

―――――――――夢を、見ている。

 

 

「…………」

 

 

……気づけば僕は、青と白の世界にいた。

 

何処までも続くような、広く、高い、青い空。そしてそれをくすみの無い白い雲が彩りを加えていて。

暖かな太陽は優しい光を放ち、頬をなでる風はとても穏やかで、眠くなるような心地よさを運んでくる。

 

 

「―――……」

 

 

足元に広がるのは、まるで鏡面のように澄んだ湖。

僕の足を中心に波紋を広げるそれは天空の青と白とを映し出して、それが無ければどちらが空なのか分からないほどだ。

 

上を見上げても、下を向いても空、空、空―――……

 

見渡す限りの青空。何時までも続く穏やかな空間に僕は立っていた。

ここは何処で、どうして僕がここに居るのか。そんな疑問は一切浮かぶ事は無く、ここに居るのが当然だと思っていて。

 

何も不安に思う事は無く。

 

何も期待する事は無く。

 

何も負うべき義務は無く。

 

何者にも侵される事も無く。

 

そしうして何をするでもなく、僕はただそこに立ち続ける。

 

目を閉じて、穏やかな空気を感じ続けるんだ。

……安息だけが、そこにはあった。

 

――――――――――――夢を、見ている。

 

 

「…………」

 

 

ふと背後に気配を感じて、僕は閉じていた目をゆっくりと開き、その気配へと振り向く。

……すると僕が振り向いたその先には―――剣が、水面に突き刺さっている姿があった。

 

―――剣、なのかな。

 

突起も、飾りも、余計なものは一切付いてないシンプルなシルエットと―――そして、それに隙間無く巻きつく茨の姿。

 

もはや剣とは呼べないかもしれない姿をしたそれは、表面から覗く葉脈のような半透明のガラス部分を脈動させ、赤い明滅を繰り返し。

金属のようにも、有機物の様にも見える繊細さと。思わず息を呑んで見惚れてしまうほどの美しさを持ち合わせていた。

 

それに覚えるべき苛立ちは、今の僕には無い。

 

それに関する記憶も、今の僕には無い。

 

それに対する理解も、今の僕には無い。

 

……だから、それに内包されている意味も、今の僕には分からない。

 

 

「…………?」

 

 

……それを見ているうち、僕は右腕に違和感を覚えて。

 

腕を持ち上げてみると、肘の先から二の腕にかけて……直ぐ其処にあるものと同種のものらしき茨が、何時の間にか巻き付いていた。

その茨が続く先には例の剣が在り―――僕のほかにも三つ、合計四本の茨が剣を中心に+の字に伸びているのが分かるよ。

 

……いや、伸びていた、のが正しいね。

だって、その三本の内の一本は千切られたように根元の部分から無くなっているから。

 

それはまるで水をやり忘れた植物のように光彩を失って、見事なまでに枯れていた。

他の茨が金属の如き質感を持っているのに反し、それはカビだらけの紙のよう。触れただけでパラパラと風に乗って散っていく。

 

この青空に埋め尽くされた清清しい空間にはあまりにも不釣合いだ。

 

――――この茨の先に居た奴は、一体何処に行ったんだろう?

 

 

「…………」

 

 

……剣の方へ目を向ける。

 

僕の茨と、その千切れた物を除いた二本の茨は、それぞれ対極の方角に伸びていた。

その茨の蔓は、僕のそれを加えてTの形に展開されていて、空の向こう―――水平線の彼方へと続いている。

それぞれの先に何が在るのか……あまりにも遠すぎて僕の視力では伺う事が出来なかったよ。

 

―――その光景はまるで二つに分かたれた道筋のようで、中間に居る僕に進むべき道を選べと言っているみたいだった。

 

 

「…………立て看板、とか」

 

 

それならせめて、どっちに行けば何があるのか位は書いていて欲しい。そう思うけど、やっぱり別に関係ないかもしれない。

どちらを選ぶか、なんて。それを決める時は、今じゃない気がしたから。

 

 

「…………、」

 

 

そうして剣を見つめたまま何をするでもなく突っ立っていると、右腕の茨が脈動し始める。

 

最初は弱弱しく、次に激しく。まるで、息を吹き返した心臓が再び動き出すように。

 

その脈動は僕の腕を締め上げる勢いで激しさを増し、同時に赤い光もその輝きを強めて行くけど……何故か、痛みは一切無かった。

かなりきつく締め続けられているはずなのに、痛みどころか圧迫感も感じない。

 

 

「…………」

 

 

また、疑問。

 

僕以外の物も同じなのかな、と光を追って再び視線を剣の方角に向けると―――やはりと言うべきか、そこには同種の光景が繰り広げられていて―――

 

 

「…………?」

 

 

……いや、違う。少しだけど、一本だけ赤い光が脈動するタイミングがずれている。

 

その光景はまるで、茨の先にある何かが僕と【もう一人】に何かを送り込んでいるようにも見えて。

 

現金な話だけど、それを意識した瞬間、僕はその赤い光が脈動する度に、自分の中に送られている何かの感覚を理解した。

 

その感覚はとても独特なもので、説明が難しいけれど―――【僕】の中に、【ぼく】が追加されている。あえて言葉にするなら、そんな感じだ。

 

……普通ならば、嫌悪するべき出来事のはずなんだろうけど―――

 

 

「……く、ふ……ひひ……!」

 

 

―――だけどそれを理解した僕は、その感覚に何の疑問も抱かなかった。むしろ妙な安心感を抱いて、安堵の溜息をついたよ。

 

 

新しい【ぼく】が出来上がっていく事を、【僕】が認識出来ている。それだけで、【僕】が【僕】であることが磐石となるんだ。

 

加えて流れ込んでくるぼくの中には、何の感情も付属されていなくて。

攻撃も、侵食もされることも無く。

強く強く、どこまでも強固な一線が僕たちの間には存在しているんだ。

……だから、自分が脅かされる事が無いと確信できて―――その事に、酷く安心する。

 

そうして、【僕】と【僕】の妄想と、不特定多数の【彼ら】の妄想を、彼―――或いは彼女は。ただ、並べ続けていく。

 

感情は無く、言葉も無く。意思も無く。あるのは唯、事務的な意識だけ。

 

それがそいつにとって幸せな事なのかどうか……僕には、判断する事は出来ないけど。でも、僕にはどうする事も出来やしない。

だって、あの茨の先にあるものは―――……

 

 

「…………?」

 

 

―――……あるものは……?

 

我に返った瞬間、僕は自分が何を理解していたのかを理解できなくなっていた。

自分が何を思っていたのか、安心していたのか。その全てが砂のように崩れ落ち、風化し、消え去って。

 

そして、自分が理解していたという事すらも。僕が、【どちら】だったのか、さえも。

 

全部全部、跡形も無く僕の中から消え去って。

 

―――――――――全ては、一瞬の邂逅。

 

そうして、世界は、再び元に戻る。

 

 

 

 

―――――――――僕は、夢を見ている。

 

 

……気づけば僕は、青と白の世界にいた。

 

 

何処までも続くような、広く、高い、青い空。そしてそれをくすみの無い白い雲が彩り、暖かな太陽が優しい光を放ち。

頬をなでる風はとても穏やかで、眠くなるような心地よさを運んでくる。

 

足元に広がるのは、まるで鏡面のように澄んだ湖。

僕の足を中心に波紋を広げるそれは天空の青と白とを映し出して、波紋が無ければどちらが空なのか分からないほどだ。

 

上を見上げても、下を向いても空、空、空―――……

 

見渡す限りの青空。何時までも続く穏やかな空間に僕は立っていた。

どうして僕がここに居るのか、そんな疑問は一切浮かぶ事は無く、ここに居るのが当然だと思っていて。

 

何も不安に思う事は無く。

 

何も疑う事は無く。

 

何も負うべき義務は無く。

 

何者にも侵されることも無く。

 

そうして何をするでもなく、僕はただそこに立ち続ける。

目を閉じて、穏やかな空気を感じ続けるんだ。

 

……安息だけが、そこにはあった。

 

―――――――――いや、彼は、

 

 

「…………」

 

 

ふと背後に気配を感じて、僕は閉じていた目をゆっくりと開き、その気配へと振り向く。

……すると僕が振り向いたその先には―――剣が、水面に突き刺さっている姿があった。

 

―――剣、なのかな。

 

突起も、飾りも、余計なものは一切付いてないシンプルなシルエットと―――そして、それに隙間無く巻きつく茨の姿。

 

もはや剣とは呼べないかもしれない姿をしたそれは、表面から覗く葉脈のような半透明のガラス部分を脈動させ、赤い明滅を繰り返し。

 

金属のようにも、有機物の様にも見える繊細さと。思わず息を呑んで見惚れてしまうほどの美しさを持ち合わせていた。

 

……その姿に覚えるべき苛立ちは――――――

 

 

―――――――――――彼は夢を、見続ける。

 

―――――――――――それは、無限に繰り返す。

 

―――――――――――記憶も何も、引き継がずに。

 

―――――――――――彼が、その手に【妄想】を受け入れるまで、ずっとずっと、続いていく。

 

―――――――――――そう、それを手に取るまで、永遠に。

 

 

その世界は、ずっと―――――――――――――――

 

 

【挿絵表示】

 

 

■ ■ ■

 

 

 

 

―――ピリリリ、リリリ。

 

 

電子音。

 

 

「…………」

 

 

―――ピリリリ、リリリ。

 

―――ピリリリ、リリリ

 

 

電子音。

電子音。

単調なリズムを刻む、電子音。

 

 

「……………………」

 

 

何時も通り、電球の光も外からの光も無い、カーテンを閉め切った真っ暗な部屋の中。

机の上に置かれたPCのディスプレイに灯る唯一の光源に顔を焼かれながら、僕はその音を聞いていた。

 

何の変哲も無い、ただ適当に高音を組み合わせただけの音。機械にしか発する事の出来ない無機質な音。

 

だけど無意味という訳じゃなくて、それは確かな意味を持って鳴り続けていた。

そして、微かな安堵と大きな苛立ちとを持って、僕の耳朶を打ち続ける。

 

―――Call、Call、Call……

 

その音が鳴り響くたび、そんな文字と、とある人名とが発信源から浮かんでは消え、浮かんでは消えを繰り返して。

オレンジ色の光をチカチカと明滅させながら、まるで僕を呼んでいるみたいに。

 

―――そう、まるで自分の事を手にとってくれ、と言わんばかりにその音を鳴らし続けていた。

 

 

「…………誰だよ…………」

 

 

……まぁ、つまりは電話の呼び出し音な訳だけど。

 

電話に関しては碌でもない記憶しか無いから、呼び出し音を聞いていると苛々してくる。

僕は机に置かれたPCに向かい合った体勢のまま、直ぐ隣に置かれている喧しい音を鳴らしている電話の子機を見つめて。

 

 

「―――っげ……」

 

 

そのオレンジに光る画面に映っている送信者の名前を見て、思わず小さくうめき声を上げた。

 

―――着信:ネカネ。ネカネ・スプリングフィールド。

 

……僕の最も苦手とする人間の名前が、そこには表示されていたから。

 

 

「…………」

 

 

……この時代、社会人でも携帯電話を持っている人間は少なかったはずなんだ。多分向こうは公衆電話か、噂の魔法学校にでも備え付けてある電話でも使ってるんだろうね。

個人所有の電話で無い以上、この電話にネカネの名前が表示される訳は無いんだけど……でも何故か、しっかりくっきり黒いドットで表示されている。

もしかしたら、持ち主の魔力とか何だかを感知して色々しているのかもしれない。だってほら、電話の裏側に刻まれてる如何にもな魔方陣が淡い金色に光ってるし。

 

魔法使い……ふむ。生活用品に魔法を使うのはありえない事じゃないだろう。

……でも、でもさぁ。こういう電子機器にまで魔法とか、何か違くね? 少しは自重しろといいたい。僕の精神的な平穏のためにも。

まさかこのPCにも魔法的な何かがあったりとかしないよね? PCを撫で回して確認。

 

 

「……な、なるほど、分からん」

 

 

まぁそれはともかくとして、電話だ。

 

―――取るべきか、取らざるべきか。

 

 

「……はぁ……」

 

 

当然僕としては迷わずこのまま居留守を使う道を推奨したい……のだ、が。今後のことを考えると取って置いた方がいいかも知れないとも思う。

後で居留守(今思ったけど僕は基本的に引き篭もってるから留守の場合が無い。それなのに居留守って。馬鹿か)を使ってたことがばれて、またネカネに泣かれるのも困る。

……以前なら幾らネカネが泣こうとも我関せずを貫いて居たんだろうけど……。

 

が、かといって。彼女からの電話を取るのも躊躇せざるを得ない。恐怖的な意味で。

 

何か用件があるならそれを早く済ませてくれればいいのに、どうもネカネは僕と長く喋りたがってるみたいで、どんな些細な事からでも会話を膨らませようとして来るんだ。

……こっちはあんたの一挙手一投足にびくびくしているって言うのに、何を話せと。この前のお茶の時だって相当無理してたのに。

 

 

「………………………ぅ……………」

 

 

―――ピリリリ、リリリ。

 

―――ピリリリ、リリリ。

 

僕がそんな事をうじうじうだうだあーだこーだ悩んでいる間にも、喧しく電話は鳴り続けてる。

早く留守電にでもなればいいのに、そういう設定でもしてあるのか一向に留守電サービスに変わる気配が無い。

 

……いい加減諦めて切っても良さそうな物なのに、中々に執念深くて本当嫌になるね。

どうせ話す内容なんて、何月の何日には帰ってくるとか、ちゃんとご飯食べてるかとか、そんな事ぐらいしか話題無いのになぁ……。

 

ベースには電話なんて設置されてなかったし、七海に(強引に)勧められるまで携帯電話すら持って無かった僕。

外部の人間(ネットの向こうの奴等)からの連絡は主にメールが中心だった僕。

そんな人間との会話のキャッチボールなんて弾むわけ無いんだし、それを期待する方が間違ってると思うんだけど。

 

 

「……そこんとこ、どう、思います……?」

 

 

―――ピリリリ、リリリ。

 

―――ピリリリ、リリリ。

 

魔導電話(仮)に尋ねてみるけど、返ってくるのは当然ながら電子音。でも心なしか「はよ取れや」と切れ気味な感じに聞こえてきたのは気のせいでしょうか。

だってほら、電話の裏側に刻まれてる如何にもな魔方陣が濃い赤色に変わったし。

 

―――ピリリリ、リリリ。

 

―――ピリリリ、リリリ。

 

―――ピリリリ、リリリ。

 

―――ピリリリ、リリリ。

 

 

「……ああ、もう……!」

 

 

……分かった、無駄な時間稼ぎはもう止めるよ。取る。取るよ。取ればいいんだろ!

止むことの無い電子音にいい加減苛々が限界だよ。集中してPCに向かう事もできやしない。

 

僕は微細に震える右手を、胸中から湧き出るヤケクソの感情で押さえ込んで、ゆっくりと伸ばす。

そうして充電器に設置されていた電話をそれに輪をかけてゆっくりと握り締め、深呼吸。浅くなる呼吸を整えながら、じっくりと指を這わせていく。

 

 

「……はぁー……っ、は、ぁー……っ」

 

 

まずは♯のボタンに親指が触れ、次に9、それから5、そして1。保留のボタンに指の腹が引っかかり、その進行が一瞬止まってまた再開。

僕の指が通話ボタンへと近づくごとに、徐々に視界に映り込んで来るそれが異様な雰囲気を放っているような感覚が強くなって、血の気が引いていき親指に血が通わなくなっていくよ。

 

……あ、ちょっと気分が悪くなってきた。

 

 

「……っぐ、ぎ、ぎ……ぎ」

 

 

視界が歪み、脂汗が湧き出る。眼球はふらふらと焦点を失い揺れ動き、涎が粘つく。

噛み締めた下唇から血が滲み、口内に鉄の味が広がっていって。口の中が生臭くて不快指数が10%増しだ。

電話に出ようとするだけでこの有様。七海のアレやらセカンドメルトのソレやらが余程深いトラウマになってるみたいだ。

……もうメールでいいじゃんかよぅ……この際魔法とかメルヘン技術使ってやってもいいからぁ……!

 

 

「……ん、ぎ……ぃぃ……!!」

 

 

そんな呪詛を心の中で吐きつつ僕は通話ボタンに指を乗せ、その手の形を維持したままスピーカーを右耳に押し当てた。

……未だに続いてる電子音が鼓膜の傍で鳴り響いて、その煩さに軽く頭痛がするよ。

さらに、口元のマイクに反射する僕の吐息の音が電子音と合わさって不快な旋律を奏でてる。不快指数20%増し。

 

―――そうして、そんな不協和音をBGMにして、

 

 

 

「……ぅ、ぉぉお。ぉおぉぁあッ!!」

 

 

 

―――擦れた声

 

萎縮しそうになる声帯から無理矢理声をひねり出し、自身を鼓舞して―――

 

 

「――――――ッ!!」

 

 

僕は、勢いを込めて通話ボタンを押し込

 

 

 

 

『早く電話にでなさいよバカァァァーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!』

 

 

 

 

「――――――ッツェァアァーーーーーーーーーーーッ!?」

 

 

轟いたのはアーニャの怒声。

 

通話ボタンを押し込んだ瞬間右の鼓膜から左の鼓膜まで突き抜けるソプラノヴォイスが貫通。ぶち破れる鼓膜とぶっ壊れるカタツムリ。

僕の聴覚機能を根こそぎ抉り取ったその声は、狭い室内に反響して僕の平衡感覚をも完全に破壊した。

 

僕は堪らずもんどりうって椅子ごと左方向へと倒れこみ、どたんばたんと喧しい騒音を奏でる。僕自身には聞こえなかったけどさ。

……今度はPCを巻き込まないで済んだみたいだけど、その代わりなのか何なのか左肩を変な風に床に打ち付けたみたいだ。左肩周辺に鈍い痛みが走ってるよ。

 

 

「お……おご、おご、ご、ご……!」

 

『さっきからずーっとまってたのに! 何で出ないのよっ! あなたどうせ部屋から出ないでしょっ!?』

 

 

耳と、肩と、頭の奥。三つの痛みに耐えている僕に、頭の横に転がった電話の子機からアーニャの文句が垂れ流されてくる。

頭を動かし涙の滲む瞳でその方角を見てみると、こちらの方角を向いた子機の表示画面に、デフォルメされたSDサイズのアーニャが怒っている姿が映し出されていたよ。

 

……もちろん黒いドット絵で。

 

 

「な、なん……でぇ、ッカネの、筈じゃ……」

 

『わたしも一緒にいたのよ! でもネカネおねえちゃん、タクが電話に出てくれないって泣きそうだったからっ! あなたに文句いいたくて代わってもらったの!』

 

 

搾り出すような声、かなり小さな声量だった筈けどアーニャの耳には届いたらしく、ぷんすかと可愛い擬音の付きそうな声でそう反論してくる。

ドット絵の方も両手を上下に振り回して、怒っている事をあざといほどにアピールしてるよ。

 

……なるほど、あの魔方陣の赤い色は電話機ではなくアーニャの怒りを表していたという訳でしたか。

最悪なコンディションの中、僕の冷静な部分が感情を無視して納得。こんな事になるんだったらはやく出てれば良かったよ、くそ。

 

 

「……ぐ、く」

 

 

とりあえず火病を起こしてるアーニャの事は一旦さて置き、僕はまだふら付いてる頭を抑えて左右に振って。

倒れた椅子を頼りに立ち上がり、その途中に手を伸ばし電話を回収する。何か手の中からぎゃんぎゃん叫び声がひっきりなしに響いてくるけど、僕はそれをスルー。

そして椅子を起こそうと背もたれの部分に指を引っ掛けようとしたけど……片手が電話で塞がってる事に気づいて、手を引っ込めた。

 

……三歳児の筋力では椅子を持ち上げるのにも結構な力が要るんだ、片手だけでどうにかできるとは思えないね。

 

しょうがないから椅子はそのままに放置。小さく聞こえるアーニャの喧しい説教を聞き流しつつ部屋の隅に置いてあるベットに向かい、仰向けに寝っ転がった。

……まだバランス感覚がおかしい。見上げる天井がゆらゆらと揺らめき、車酔いに近い感覚を受けるよ。

 

 

『―――だから、ねぇちょっと! わたしの話きいてるの!?』

 

「……き、聞い、てるよ……」

 

 

     *      *

  *     +  うそです

     n ∧_∧ n

 + (ヨ(* ´∀`)E)

      Y     Y    *

 

 

『……ほんとにぃ? じゃあさっきわたしが何て言ったか』

 

「そ……それはもう、良いから。……ネ……ッ、ネカネ、から。何か話あるん……っじゃないの?」

 

『ネカネ【お・ね・え・ちゃ・ん】!!』

 

 

僕のネカネへの呼称にまたも噛み付き、大声を出す。

別にお前には関係ないじゃないか、と口をついて出そうになるけど、それを堪える。だって言い返したらまた面倒くさい事になるのは目に見えて以下略。

 

 

『もー……!!』

 

 

……アーニャへの返答を無言のままで避けていると…………やがて諦めたのか、通話口の向こうで溜息の音が聞こえた。

ちらりと電話の表示画面へ目を向けてみると、SDアーニャも溜息を吐く様な動作をしていたのが目に付いたよ。

 

 

『……帰ったとき、おぼえてなさいよね』

 

 

最後に不貞腐れた声音でそう言って、アーニャの声が途絶えた。忘れた。

ノイズのような音が混じり、次にアーニャと誰かが会話する声がうっすらと聞こえて―――電話の裏側の魔方陣が放つ光が淡い金色へと戻る。

 

 

「え、あ、ちょっ―――!」

 

 

そして―――

 

 

『あ……えーと……ネ―――』

 

 

―――ザリッ

 

そうして一瞬アーニャより少しだけ大人びた声が―――ネカネの声が聞こえた気がしたけど、直ぐにまたノイズが走り彼女の声が遠くなり。くぐもって聞こえてくるのは、アーニャとネカネが何事かを言い合う声。

ぎこちない動作で電話を見れば―――やっぱりというべきか、SDサイズのネカネが映っていたよ。何か画面外から物言いみたいなエフェクトが出てて、それに耳を傾けている感じだ。

 

……来た。来てしまった。

 

憂鬱な気分で溜息をひとつ。凝固した身体が弛緩する。

アーニャと何を話しているのは分からないけど、とりあえず深呼吸。どっくんどっくん煩い程に脈動してる心臓を感じながら、今のうちに精神だけでも落ち着けておく事にする。

 

……僕がネカネと話す時は何時もこんな感じだ。

 

自分でも怖がりすぎと思わないでもないけど、これでも随分と良くなったほうだと思う。だって吐いたりしてないし。

というか、これは電話越しっていう事も結構関係しているんじゃないかな。……うん、多分。

僕は思考を明後日の方角へと散らしつつ、深呼吸を続ける。そして―――

 

 

『え、と……タクミ? お姉ちゃんだけど……聞こえてるかしら?』

 

「……う、ん。……き、きこ……聞こえる……」 

 

 

アーニャとの話が終わったのか、ネカネの声が再び耳に届いた。

……今度は大丈夫。必要以上にテンパる事も無く、僕基準では落ち着いた感じでの会話が出来た。

ちょっとぎこちない感じがあるのはまぁ……仕方が無いと割り切るべきだろう。

これ以上離れようとすればネカネが追ってくるし、近づこうとすれば僕の恐怖心が邪魔をする。

 

―――僕とネカネの関係は、こんな感じでぎこちなさが目立つくらいが、歩み寄れる/逃げ出さない限界点なんだ。

 

 

『その……げ、元気? 風邪とか、ひいてない?』

 

「う……うん。まぁ、……な……っんとか……」

 

『そう……? なら、良いのだけれど…………』

 

「……………ん……」

 

『…う、ん………と…………』

 

「…………っちは?」

 

『えっ?』

 

「っそ…………そ、っち……は……」

 

『!……あ、ぅ、ええっ、私……お姉ちゃんのほうは大丈夫! ちゃんと気を付けてるし……えと、アーニャも元気だし……!』

 

「…………………そ、そう。…………なら…………」

 

『ええ、わた……お姉ちゃん達なら、心配ないから…………ありがとう、ね?』

 

「…………ん…………」

 

『……えと、それで……その」

 

「…………う、ん」

 

『…………その…………』

 

「…………………」

 

『ご、ご飯とか……ちゃんと食べてるの? その、欠食……えと、朝昼晩って、食べてる?』

 

「……っい、いち、一応……は。……うん…………偶、に……抜くこと、ある、けど」

 

『……そ、そう……ちゃんと食べなきゃダメよ? 身体とか……壊しちゃうから……』

 

「……………ん」

 

『ええ…………。…………えーっと…………』

 

「………………………………ぅ…………………」

 

『……あ、お姉ちゃんとアーニャ、近いうちに帰れると思うのだけれど……その時に、何か……』

 

「………………ぇ…………」

 

『……えと……何か、欲しい物とか、買っていけるかな、って………………、何か、ある……?』

 

「……ぇ……ぅ………ぁ、ッコー……ラ……」

 

『え? …………あの、何て?』

 

「……コーラ、っが、良い…………買って、くるん、っなら」

 

『あ……うん。……ちゃんと、買っていくわね』

 

「…………ぅ……ん………」

 

『……………………………』

 

「……………………………」

 

『………………その、他には……?』

 

「…………特に、無い……」

 

『そ、そう…………』

 

「…………ん…………」

 

『…………その………えっと…………………』

 

「…………っぅ……」

 

『……その……………………』

 

「………………………………………」

 

『………………………………………………』

 

「………………………………………………………」

 

『……………………………………………………………』

 

 

…………これはひどい。

 

明確に壁を感じる会話。僕とネカネの両方が、お互い違う感情からどもり、上手く話す事ができない。

会話の内容を選択するのに時間がかかって、沈黙の時間が多くて気まずい雰囲気が半端じゃないよ。

 

 

「………………………………………」

 

『………………………………………』

 

 

何時までも続く沈黙。直接顔をあわせての会話よりも間が持たない。

 

……僕の電話への苦手意識も大概だけど、どうやらネカネも電話……というか、機械関係が苦手みたいだ。

 

そう言えばPCを買って貰った時も、機種の指定からプロバイダの設定まで全部商人の人に任せきりだったね。

本人的には色々調べて頑張ってたみたいだったけど、どうしても分からなかったみたいだったよ。涙目でカタログ読み込んでたネカネテラモエス(現在主観)

 

……最終的に型遅れのPCが届いた時に、僕は激怒して割と酷いこと言っちゃった記憶があるけど……今となっては悪い事したと思ってる。

基地外じみた言動して、気を遣ってくれてるのに酷い事言って、物をねだったと思ったら届いた物に文句を言う。まるでDQNじゃないか。

 

 

「………………………………………」

 

『………………………………………』

 

 

……というか、なんで電話なんかして来るんだろう。お互いに電話が苦手だっていうんなら、手紙でも良いじゃないか。

 

多分電話してくるのは、僕の声を聞きたいとかそんなこっ恥ずかしい理由なんだろうけど……それなら確か、手紙に魔法をかけた奴でも同じ様な事が出来るって話だし。

何でも、自分が喋る姿を立体映像にして手紙に籠めるとか何とか……ホログラムみたいなやつかな? 酔っ払ったスタンから聞いた話だから良くワカンネ。

とにかくそんな便利な物があるんなら、無理して電話なんて使わなくても―――

 

 

「…………あれ?」

 

『!…………な、なにかしら?』

 

 

ふと、声が漏れた。

それに反応してネカネが問いかけてくるけど、僕はそれを無視して考えを巡らせる。

 

 

(……この部屋に電話?)

 

 

疑問。

 

何で? 電話が苦手な僕の部屋に? 機会が苦手なネカネの家に? あるのはラジオだけで、テレビも無いのに。

……置く? わざわざ? それ了承したの? 僕が?

 

……それは無い。もし僕の部屋に電話を置こうとすれば、絶対僕は拒否するね。PC以外の外部からの被アクセス方法を僕が自分の空間に置くはず無いよ。

 

 

 

************

 

 

 

薄暗い室内、埃の積もった棚にダンボールの山。

ベットがあって、布団があって、達磨ストーブがあって、椅子があって……作業用の机の上には、光を放つPC。

 

 

―――それが、この部屋にある全て。

 

 

 

************

 

 

 

―――なら、今実際に握ってるこの電話機は?

 

―――この電話、何時置かれたっけ?

 

 

 

「……ね、ぇ」

 

『あ……タ、タクミ、どうしたの? さっきの「あれ?」って―――』

 

「……こ、この……家に……さ。……っで、電話なんて、あった…………っけ……?」

 

『……? ……え、ええ。でなければ、今こうしてお話できてないし―――っ』

 

 

―――耳に当てた電話機から聞こえるネカネの声が、一瞬何か痛みを孕んだ物に聞こえた気がした。

 

 

「……な、何……、何か……あ、ったの……?」

 

『……いえ、何でもないわ。ちょっとこめかみがピリッとしただけだから』

 

「…………そ、そう…………」

 

『それで……その、何で今になって電話のことなんか……?』

 

「…………ん……ちょっと、きに、気に……なって……」

 

『……?』

 

 

疑問の雰囲気を出すネカネをよそに、僕は首を曲げてPC横の電話の充電器を見る。

 

四角形をしたプラスチック製の置物、その真ん中に子機を置く溝があって、中にあるのは銀色の金属の突起。側面の一部に穴があって、そこから黒いコードが延びていた。

それを目で追っていくと―――机の上から床に落ち、部屋を斜めに横切る形でベットの裏に回り込み、コンセントへと向かってる。

 

 

「……………………」

 

 

……床に、落ち?

 

コードなんて、床に這ってたっけ……?

 

 

************

 

 

僕はベッドの上から降りて、のろのろとPC前の椅子に向かって歩き出す。

 

足元にはアーニャが壊した扉の残骸が散らばっており、細かい木片が広範囲に渡ってばら撒かれてて、割と酷い有様だ。

一見何も落ちてない場所に見えても、靴を一歩踏み出す度に木の欠片が砕け散る音が響くあたり、その拡散具合が分かるだろう。

 

 

************

 

 

 

「……………………」

 

 

いくら思い起こしても、僕はこの部屋に電話を置いた記憶が無い。

それどころか電話の姿を見た記憶も無ければ、それを使った記憶すらも無くて―――

 

 

「……っ」

 

 

……いや、ある。あるよ。やっぱりある。

 

ネギの記憶には、僕が魔法学校にいるアーニャやネカネ、スタンと電話で会話してて、こう、今と同じくこの部屋で、子機を握り締めて―――

 

 

――――――ザリッ

 

 

 

「……っぎ……!」

 

『……タクミ……?』

 

 

―――いや、やっぱり無いよ。

 

だって子機が設置されてたのって、この部屋じゃないか。

ここ、元は―――僕が引き篭もる前は物置だったんだ。わざわざ物置に電話を置く奴なんている訳が、

 

 

――――――ザリッ

 

 

……いや。

 

 

「あ……え……ぇ」

 

 

違う、やっぱり使ってたのは子機じゃなくて、親の方だった。

そうだ、居間の、暖炉の横に置いてあった電話機で―――

 

 

 

************

 

 

居間へ続く扉を開いて、今は沈黙している暖炉を通り過ぎる。

暖炉の中にはまだ新しい木切れが燃えやすいよう、キャンプファイヤーの時に燃やすアレみたいにかっちり組まれていて、直ぐに使えるようにしてあった。

 

 

************

 

 

「……あれぇ……?」

 

 

……あったっけ? 確か無かった気がするけど。

 

 

―――記憶の混乱。

 

頭の中がごちゃごちゃになってぐるぐる回り、訳が分からなくなる。

僕の記憶と、ネギの記憶に―――いや、【僕の覚えているネギの記憶】と、【今覚えているネギの記憶】にズレがある。

今までに体験してきた出来事と昔に体験していた出来事の辻褄が合わないんだ。情報量が増えている。

 

―――増えているのに、昔の事が―――ネギの記憶が、しっかりと思い出せないのは、何でだろう?

 

 

「…………」

 

 

……それは例えるならば、文字と映像の関係に似ているよ。

【電話をしていた】という記述はあるんだけど、【何処でしていたのか】という場面が思い出せないんだ。

 

……それはまるで、僕の【設定】としての過去を思い出そうとした時みたいだった。

 

 

「……何、で」

 

 

―――何で、この部屋に電話があるんだ?

 

―――ネギの記憶には電話を使ってた記憶はあるけど、僕が覚えてる限り記憶にはそんな情報は無かったはずだ。

 

―――僕が覚えてるネギの姿と、今記憶されてるネギの情報が、違う。

 

―――なのに、どうして僕は今までそれを疑問に思っていなかったんだ?

 

 

『ネギ? もしもし? 何かあったの?』

 

『(ちがうってばおねえちゃん、ネギじゃなくて、タークーミー!)』

 

「…………」

 

 

耳元から二人の声が聞こえてくるけど、僕はやっぱり無視をして。ベットに寝転がった体勢のまま、天井の木目を眺める。

 

……普通なら、普通の僕なら、記憶の混乱を不気味に思って、グダグダと考え込んだり思いつめたりするんだろう。

僕がニュージェネに巻き込まれたときの様に、僕が梨深から自分の秘密を知ったときの様に。

 

―――僕が【ネギ】となってしまった直後の様に、ね。

 

 

「…………」

 

 

……でも実際は、心は穏やかに凪いでいた。

 

確かに混乱はしている。自分の記憶に違和感を抱き、訳が分からなくて頭の中はぐちゃぐちゃ。

思考能力が低下して、まともに物を考えられなくなってるよ。

……だけど僕は、その違和感を不快には感じていなくて―――むしろ、その違和感を認識している事に大きな安心感を抱いていて。

 

 

「…………何、で?」

 

『え? ……えと、何で。って……何がかしら?』

 

 

……何でだろう?

 

ネギとしての立場には、僕のディソードについてはあんなにも激しい拒否感を抱いているのに。

どうして僕は、記憶のズレって言う本来忌避すべきはずの、僕の存在を揺らがせるような事態を受け入れていられるのだろう?

 

過去、僕が妄想だった事が分かった時には、自分が崩れていく様に感じて発狂さえしかけたというのに……あの時とは違って、自身の存在が脅かされるという恐怖は感じていないんだ。

 

―――違和感が生じている事に、違和感を感じていない。

 

……矛盾してるじゃないか、そんなの。

 

 

「…………イミフ、なんですけど」

 

『!!…………』

 

 

……頭痛がする。

 

昔の事を、ネギの事を思い出そうとする度に僕の頭を鈍い痛みが走り抜ける。

ズキズキと、ジクジクと。ネットをやりすぎた日の痛みとは別の鈍痛だ。まるで【ネギ】の過去の事を思い出そうとするのを【何者か】が阻止しようとしているみたいだよ。

 

僕は目を閉じて、何時かのネカネの様にこめかみに左手を当てる。

目を閉じた事で、より痛みがはっきり認識できるようになったよ。

 

 

「…………」

 

 

どくん、どくん、と心臓に合わせるように脈打つ痛み―――だけど、その痛みを好ましく思っていて。

 

そうして僕はその痛みを感じ続ける。

仰向けのまま、目を閉じて。安らかな気分に浸りながら、しんみりと。

右腕の電話のことなんか忘れて、ネカネの事も忘れて。

 

 

―――僕はただ、心地良さを感じていたんだ。

 

 

 

 

……数秒後。

 

僕の「イミフ」の一言に傷ついて泣いちゃったらしいネカネを見たアーニャがまた大声で叫んで、今度こそ僕の三半規管を完膚なきまでに叩き壊すその時までね。

難聴になったらどうしてくれるんだよ、くそ。




■ ■ ■

じーわじわ。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。