Chaos;an onion HEAD   作:変わり身
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――――彼が最期に見た世界は、自身の望んだ『争いの無い管理された世界』だった。



第8章  一人は、世界にとっての救世主

 

―――その日、僕は朝から言い知れない不快感を抱いていた。

 

 

「……………………」

 

 

何時もと変わらない、くそ寒い冬空。

 

カーテンから漏れ出る光は鈍色で、外は曇りか雨―――いや、この寒さだと雪になってたかな。まぁ天気が悪い事には変わりは無かったはずだ。

わざわざ窓の外を見に行く気は起きなかったから正確には分からなかったけど、布の隙間から見える景色には雪が降ってたから、多分そう。

 

そして狭い倉庫の中には、発露に濡れる木材の匂いが充満してて変な感じだ。

決して臭い訳ではないけど特徴的ではある香り。程よく湿度を含んだその空気が、僕の鼻腔の内側に一呼吸ごと張り付いてくるよ。

濃い木の香りと、僅かなカビの臭い……。

 

……部屋の隅に設置されてる達磨ストーブがフル稼働してるから、その所為もあるんだろうね。

ストーブの上には水の入った薬缶……に似た金属製の水差しが置かれていて、しゅんしゅんと音を立てて水蒸気を上げているから。

 

ついでに部屋の中の湿度が高いせいか、何か部屋の隅っこ辺りからカサカサと虫が蠢く音がして。

その音の大きさから、結構でっかい虫―――G様でない事を祈る―――だと言う事が自然と知れて、げんなりした。

 

―――ただ、それだけの朝。

 

 

「……………………」

 

 

何時も通りの朝、何時も通りの日常。

何処もかしこも何時もと同じ、何一つ違和感の無い普通の日。

一般人にとっては、これから何の変哲も無い一日が始まるはずの。

僕にとってはそろそろ仮眠を取るはずの時間帯。無色透明の朝の一幕だ。

 

……にもかかわらず、僕の心はざわざわと波を立てていて。何故か非常に、落ち着かない。

 

 

「…………ちっ…………」

 

 

朝が過ぎて、昼ごろになってもそれは収まらなかった。

 

PCをしていても、ネットのページが閲覧できる様になるまでのラグに何時も以上に苛々して通常の数倍はストレスが溜まるし。

ネットゲームをやっても、画面の切り替わりは勿論、キーを叩く音にも一々苛々して集中できずに連続あぼん。パーティを組んだ奴に「今日は生理?www」なんて最低なからかいを受けた。

何にもやる気が起きなくなって仮眠しようかとベッドに横になっても、カチカチと時を刻む時計の音が焦りにも似た不安を煽り、上手く寝付けないんだ。

 

何かに気が付かなきゃいけない、何かをやらなくちゃいけない。……そう、何かを見落としている。

そんな焦燥感溢れる感情が僕の中で渦巻いて。けど、具体的に何をしたらいいのかも分からなくて。

その日の僕は、起動もしてないPCの前で呆けたり、部屋の中をうろつき回ったり、意味も無く小屋の中を歩き回ったり……なんの意味の無い無駄な行動を繰り返していたんだ。

 

……例えるならばその不安は、ニュージェネの起っていた最中に僕を付け回していたそれに良く似ていたよ。

何か行動を起こさないといけないって言う強迫観念。放って置いたら良くないものが近づいてくる、という被害妄想。常に胸を圧迫する吐き気。

部屋の隅を見てみても視線は感じられなかったけど―――僕の内側をかりかりと引っ掻く不安はまるで思考盗撮を受けていた時の感覚に似ていて。確かめずにはいられなかったよ。

 

―――誰かの悪意が、近づいてくる。

 

何一つの根拠も無く、僕はそんな危機感を感じていたんだ。

 

 

「…………くそ、くそ。な、何なんだ。……くそっ」

 

 

そうして心の感じる苛々のまま頭から毛布をひっ被った僕は、ベットの隅で身を縮めていた。

背後を警戒して部屋の角に背を密着させて、左右の視界も背後から続いてくる壁で限定させて。前方だけを見据えられるようにした。

逆に言えば逃げ場のない場所に収まってしまったとも言えるけれど、それよりも後ろを向いたら何かが居そうな感じがして怖かったんだ。

 

ふと振り向いたら、そこには刃物を持った殺人鬼が瞳孔を光らせていたり、とか。

PCの画面が暗転したら、画面に何かが映っているんじゃないか、とか。

いきなり腹から刃物が飛び出してきて……苦しみつつ背後に首を傾けてみたら、そこには僕に刃物を突き刺した優愛が目の配色を反転させて微笑んでいたとか。

そういうネガティブな妄想が止まらない。妄想はしちゃいけないとは分かってるんだけど、それでも止められないんだ。

 

……他の人から見れば笑い話にしか映らないんだろうけど、僕にとっては物凄い恐怖を煽る光景なんだよ。

あの頃―――ニュージェネ事件の序盤も序盤。事件の概要も将軍の正体も何も分からなかった頃は、よくそんなネガティブな種類の妄想トリガーを引いていたんだからね。

まぁ、その時の登場人物は優愛とか梨深とかだった訳なんだけど。

……ニュージェネの時の事は今でも偶に夢に見る。

それは妄想と思い込みがごっちゃになった、タチの悪い悪夢だ。

 

優愛がまた変な勘違いをして、包丁を持って五段活用しながら迫ってくる悪夢とか。

 

梨深を悪魔女と呼んでた頃によく見てた、体中に杭を打ち込まれて死ぬ悪夢とか。

 

……最後の最後に受けた、あの拷問の時の事とか―――

 

 

「……ぁぁぁああぁぁぁあぁぁ……!」

 

 

―――思い出すうちに凄く怖くなってきた。一旦考え出すと際限なく記憶が蘇って来る。

 

 

「……くそ……」

 

 

だめだ、だめだってば。もう何も考えるな。

これ以上考えを巡らせていたら、昔みたいにまた妄想への引き金を引いてしまう―――

 

僕は目をきつく瞑って頭をぐしゃぐしゃと掻き毟り、被っていた毛布をさらに目深に引っ張った。そうして、思考をあさっての方向に逸らして、気を紛らわせようとした。

……この前サンドイッチの具材塗れになったこの毛布だけど、今はもう綺麗になってる。

以前に扉を直しに来たスタンの爺さんが、説教を終えた後にま……魔法。で、汚れを落としてくれたんだ。

 

 

「……………………っ」

 

 

何なんだ、何なんだよこのどうしようもない不安感は。

別にはっきり目に見えるような不安の影がある訳じゃないのに、何でこんなにも情緒が不安定になるんだ。訳が分からない。

 

確かに僕は「ネギ」の事で慢性的な不安感・不快感を持ってるよ。酷かった頃は追い詰められすぎて発狂間際まで行った事もある。

……でも最近はそれもある程度は落ち着いてきてるし、何より僕が今もってる感情はそういう自己を揺らがせるような不安感じゃない。

 

内部からじゃなく、外部からの要素。

緩やかに崩壊していく自分への恐怖ではなく、他者から与えられる悪意への恐怖。

野呂瀬や諏訪と相対していた時に感じていたものと同種の感情だ。

……今回のそれは、相対する「敵」が見えていないから余計に怖く感じているんだ。

 

 

「くそっ……梨深ぃ……っ!」

 

 

……目を閉じてもさっぱり消えてくれない不安感。

僕の感じて居るそれは最早妄想を伴った恐怖となり、精神を圧迫する。

 

あの時抱きしめられた梨深の温もりを思い出して、何も考えないよう必死になって妄想を散らしてはいるけれど……次から次に新しい妄想が湧き出てしまう。

そして、もしかしたらそれらがリアルブートされてしまうんじゃないかって更に不安になって、二重の意味で恐怖が増大されていく。

 

―――恐怖が現実化してしまう。

 

―――将軍への負担が更に大きくなってしまう。

 

力が使えるって確証は無いよ。

……でも、例の茨が僕の目には見えているんだ。何らかの力が残っている可能性は、0%じゃない筈なんだ。

 

それらの事を考える度、ネガティブな妄想が輪をかけて肥大していく。

……そうやって頭を抱えて居る内に、僕の目の前に何か人の気配があるような気がして。

扉を開けた音も何もなかったから、誰も居るはずが無いって事は分かってる。その感覚は単なる被害妄想に過ぎないんだ。

そう理性は判断しているのに、感情が恐怖に戦きそれを「現実」にしようとする。【思い込み】を【妄想】に昇華させ、【現実】へと染み込ませようとしてくる。

 

 

「……っだ、駄目だ! 駄目だ、だめ……だぁ……!」

 

 

僕はそんな自分の感情により一層の焦燥を抱いて。

心の中で必死に自分を否定したんだ。

 

 

(リアルブートだけは、ギガロマニアックスの力だけは使っちゃいけない……!!)

 

 

……そう強く思って、僕は自分の妄想を押しつぶす。

 

目の前には、誰も居ない。

 

この部屋には僕一人きりだ。

 

僕が今感じている不安や恐怖は、全部が全部勘違いなんだ―――

 

 

何度も何度もそう自分に言い聞かせ、目を開いてそれを確実にしようと決心をして。

そうして、僕は意を決して瞼を開き――――――そして、

 

 

「――――――何が駄目なんじゃい、蓑虫ぼーずが」

 

 

―――目を開けた先。

 

顔より数センチ先の至近距離に浮かんだ鷲鼻の糞爺の御尊顔に、僕は恐怖も忘れ。純粋な驚愕を持って絶叫した―――

 

……不安は、未だ消えず。

 

 

*****************************

 

 

「いやぁのぅ? 前にこの扉を直した時にの、こっそり転移魔方陣を埋め込んどいたんじゃ―――」

 

 

……僕の心臓を止めかけたもかかわらず、何ら悪びれた様子の無い爺―――酔っ払い糞爺ことスタンは、笑いながら僕にそう言ったよ。

何時も通りに口にはパイプ、頭にトンガリ帽子を被った魔法老人スタイル。

珍しく今日は酒の匂いをさせていなかったけど、その胡散臭い雰囲気に変わりはなかった。

 

そして先程の悲鳴が面白かったのか、彼はニヤニヤとした意地の悪い笑顔を僕に向けてきたよ。

PC前の椅子に腰掛けて、四つある足のうちの二本だけでバランスを取りながらその顔を浮かべている姿は、僕に羞恥心と殺意(配分3:7)を抱かせるには十分な光景だったね。

……何かさ、スタンとは会う度にこんな感じになってる気がするよね。もう鬼門と言って良いレベルなんじゃないかな。

 

―――いや、それよりも。

 

「……ひ、人の部屋の、ドアに、な、何てことし、しし、しでかしてくれてるんだよ! ば、バカじゃないの!?」

 

「えー、だってぼーずの様子を見に来るのにこんな村外れまで歩いてくるのしんどいんじゃもん」

 

「もん、じゃねーよ! こ、っこれ、っ立派な、ははは、は、犯罪ぃ……っ!!」

 

 

僕は魔法世界()の法律は知らないけど、それでも人ん家のドアに勝手にそんな物を仕込むのは犯罪だと思う。それもかなり悪質の。

抗議の意味も込めてスタンを睨み付けるけど、彼はそれを鼻で笑って一蹴。

手に持ったパイプに口をつけ、煙を肺の中に吸い込み―――そして僕を呆れたような瞳で見下ろしながら深く吐き出した。

部屋の中に充満する煙はタバコとは違う何か独特の香りがして、部屋の中の木材の匂いを打ち消していくよ。

 

……何時もは酔っ払ってる糞爺だけど、流石に魔法使いとしての年季が違う所為か魔法に関しての知識はかなり深いものを持ってるらしい。

 

特に日々の生活に使えるような極めて小規模でマイナーな魔法を多く覚えてるみたいで、本人からの自慢話で良く聞かされるよ。

道端に落ちてる大き目の小石だけを狙って除く魔法とか、服に雪がくっ付かなくなる魔法とか。

幾ら酒を飲んでも一瞬で酔いを醒まさせる魔法(要約するとゲロを吐かせる魔法)とか、地味に役立つ物から本気で下らない物までその種類は豊富だ。

 

この前、部屋の扉を直してくれた魔法もその一つ。

あんなの魔法使いを名乗るんなら誰でも出来そうなもんだと思うけど、アーニャやネカネに聞く話だと、物を修復する魔法はこの村ではスタンしか出来ない超高等技術らしい。

事前にそれなりの設備が必要な錬金魔法?とは違って、呪文一つで構成物質を結合させたり組み替えるのは普通は不可能……とか何とかネカネは言ってたけど、良くワカンネ。

つまりはスタン爺さんは凄いって事らしいよ。うっそ臭ェー。

 

 

「嫌じゃったらちっとは村に顔見せに来んかい。そうしたらすぐにとっぱらったるわい」

 

 

魔法使いの癖に何言ってるんだろう。

僕が村まで降りたがらない事を知っていてのこの台詞、何て自己中心的な糞爺だろうか。

確かに村からこの家まで結構な距離があり老人にはキツイ距離ではあるよ。

 

でも、彼らは魔法使いなんだ。

空飛ぶ箒とか、絨毯とか。体力に拠らない移動手段なんて腐るほどあるに決まってるのに……!

 

 

「じゃからほれ、魔法を使った移動手段を―――」

 

「……そういう事じゃ、ないよぅ……」

 

 

僕はぐったりとしながらそう呟く。

 

……何か、疲れる。

普段の僕ならば、この流れのまま拳骨を貰うまでスタンに反発し続けるんだろうけど―――とてもじゃないけど今はそんな気分になれない。

彼とのギャグシーンを続けるには、今の僕には心の余裕が足りないんだ。

 

 

「……?」

 

 

スタンもそんな僕の様子を見て、訝しげな表情を浮かべたよ。

何か物足りなさを感じているような、或いは自分の当てが外れたかの様な。そんな感じだ。

 

そう、まるで。

他愛も無い話で僕ともっとじゃれあって居たかったかのような―――

 

……?

 

 

(……何だろう?)

 

 

違和感がある。

具体的にどうって訳じゃない。無いんだけれど。

何となく、スタンの様子に変な感じがある……気が、する。

 

……気のせい、だろうか。

 

 

「……っ、って、いうか、さ。な、何? 何しに来たんだよ」

 

 

僕は頭の片隅に浮かんだ違和感を投げ捨てて、彼にそう問いかけた。

……自分から会話を求めるなんて、やっぱり普段の僕にはあんまり似つかわしくない行動だったかもしれないけど、仕方が無い事とも言える。

さっきまで感じてた―――いや、今も感じてる不安感を紛らわせるために、この人との会話を長引かせたかったんだ。

 

 

「予想では、さ。もっと、ああ、後だと思ったんだけど。……来るの、は」

 

 

実のところ、僕とスタンがこうやって顔をあわせる頻度というのはそんなに多くない。

ネトゲ廃人の習性上、僕は寝る時間と起きてる時間が日によって違うからね。起きてる時間とスタンが訪れる時間とがマッチングしない事が多々あるんだ。

 

スタンは食料とか洗濯物とかのアレコレがあるから最低でも週に3回くらいは来てくれてるみたいだけど、訪れる時間は彼の気まぐれ。朝早くに来てくれる事もあれば、夜遅くに来ることもある。

僕の眠りが深いのかスタンが気を遣ってくれてるのかは分からないけど、僕が目を覚ましたらパイプの煙の残り香が漂ってた。なんて事はしょっちゅうだ。

 

ランダムエンカウント方式のレア、といった所かな。

この前の遭遇も運が良かった(悪かった)様な物で、今回のように二回連続でエンカウントするなんて相当珍しい事といえるだろうね。

……しかも今回は、ワープっぽい魔法まで使ってと来た。

もしかすると何回か様子を見つつ、僕が起きてる時間を狙ってきた可能性もある―――

 

……なんて、まぁ。

 

 

(もしそうだとしても、僕に会いに来た理由なんてきっとしょうもない理由だろうけどさ)

 

 

まさか僕のSOSを察知した、なんて事は無いはずだ。結果的に僕の不安と恐怖を多少なりとも和らげてくれた事には感謝してあげてもいいけれども。

どうせ酒の肴としてからかいに来たとか、そんな理由に違いない。

 

―――そう、思ってたんだけど。

 

 

 

「……ふんむ……」

 

 

しかし、そんな軽い気持ちで投げかけた僕の問いに、彼はからかいの言葉を返すでも無く溜息一つ。

そして先程とは違いしっかりと椅子に腰掛けて、足を組んだ姿勢で僕を見つめてきた。

 

 

「……な、なん、だよ……」

 

 

急に変わった場の雰囲気に僕は困惑。

……おふざけの雰囲気がなりを潜めたその瞳―――説教するときの目とは違う類の物みたいだったけど、居心地は良くは無い。

僕は殴られた頭頂部を毛布の上から摩りながら、視界に映るスタンの頭部分を隠す様に毛布の端っこの位置を調整。

更に、その下の目を明後日の方向に逸らした。

 

 

「……いや、まぁ、のう……」

 

 

そして彼は何やら喉の奥に物が引っかかった様に。

何時もの良く喋る口をモゴつかせていて、毛布の下からは長い髭が小刻みに揺れている事が伺えた。

 

……? なんだろう。

今までスタンの口から精神的にクる程のド直球な言葉しか聞いたことの無い僕の目には、そのまごつきがとても珍しく映ったよ。

そして、さっきまで感じていた不安や恐怖、この雰囲気と合わせて何か妙な違和感が僕を包み込んだ。

 

 

「―――」

 

 

……毛布に隠れて顔は見えなかったけど、その言葉を告げられた時に何故かスタンの不安が伝わってきたような気がしたよ。

迷い、とでも言ったらいいのかな。

これを告げることによって今の状態が壊れてしまうんじゃないのか―――とか。そんな、現状が壊れてしまうかもしれない事に対する不安。

唯の妄想なのかもしれないけど、僕は間違いなくその感情を感じ取ったんだ。

 

 

「……それより、の。先のぼーずは何をそんなに怖がっておったんじゃ?」

 

 

何から切り出した物か―――そう悩んでいるようにも感じた彼は、僕に告げようとした答えを飲み込んだように、逆に質問を返してきた。

 

 

「…………」

 

 

……明らかに話題逸らしだ。とは思うけれど。

 

別に聞きただすほどの勇気も興味も無いし、その理由も無い僕にはその話題逸らしに乗ってやる以外の選択肢は無かった。

こんな微妙な空気の中で自発的に発言するなんて僕のキャラじゃないしね。それはナイトハルトかリーゼロッテに任せてればいいんだ。

まぁ何に怖がっていたのか、なんて。そんなの僕にも分からないから答えようが無くて、結果、「なんでもないよ」としか言えなかった訳だけれど。

 

……『姿の見えない何かに怯えてました』とかまるっきりヤク中の言葉だし。言える訳、ねーっす。

 

 

「何でも無い訳なかろうよ。あんなにも『駄目だァ、駄目だァ~』なんと、なっさけなく頭を振っておったじゃろ」

 

 

スタンはそう言って情けない表情と声音を作り、ワザとらしく首を振り始めた。何時から見てたんだよ、この糞爺め。

僕の真似と思しきその仕草に米神がヒク付いたけど、自身の情けなさを身にしみて自覚している僕としては何となく怒り切れない。

……実際、さっきの醜態以上の事もしでかしたし、エスパー少年事変以降はもっと酷くからかわれた事もあるんだよ。

だからそんな中途半端にからかわれても、不快感はあれど怒鳴るほどに僕の琴線は揺れなかったんだ。

 

 

「………………」

 

「………………」

 

 

で、痴呆の様に首を振るスタンを前に僕は黙り込む事しか出来なくて、何とも言えない空気が更に深くこの場を包み込む事になった。

……さっきまで確か似合ったはずの軽い空気は既に無くて―――何となく、お互いが噛み合わない

 

 

「………………」

 

「……ふぅぅぅ……」

 

 

しばらくそんな感じでお互い黙り込んでいたら、スタンは何かを観念したように溜息をついた。

毛布の下からこっそり覗いたその顔は―――さっきまでとは違って鋭い物で、僕は反射的に毛布を被りなおしたよ。

……そうして徐々に張り詰めた物になっていく雰囲気の中、水差しの中で沸騰するお湯の音がやけに大きく響いた。

 

それは生死をかけた時のぴりぴりした緊張って訳じゃなくて。

 

例えるならば、優愛が本性を現した時。

例えるならば、夕焼けの中で梨深が僕という存在のネタばらしをした時。

 

そんな、僕の知らない「僕」が暴かれる直前の様な。胃の奥を掻き毟る様な感覚―――。

 

 

「……まぁ、そろそろ潮時じゃろ」

 

 

―――おちゃらけて流すのも、気付かない振りをするのも。

スタンはそう言って、意を決したように鋭い目を僕に突き刺した。

僕は感覚でそれを感じ取り、咄嗟に耳を押さえようとしたけど、間に合わず。

彼の言葉は不気味な程に鮮やかに、僕の耳へと入り込み――――――

 

 

――――――聞こう。ネギ・スプリングフィールドとは、一体『何』なんじゃ?

 

 

スタンの背景に、茨の姿が混じった。

 

 

************************************

 

 

「最初に気付いたのは……あー、何時だったか。まぁ、そんなに昔の事ではないのぅ」

 

 

……彼は、訥々と語る。

 

 

「村の酒場で昔馴染みと飲んでおった時に、ぼーずの昔の話になっての。それはもう盛り上がっておった」

 

 

僕は、腕を中途半端に上げた姿勢で固まったまま、その話を聞いている。

別に、何かショッキングな結論を聞かされたって訳じゃないのに、どうしてか身体が動かないんだ。

恐怖で身体が強張ってる訳でもない、ただ純粋に―――酷く、緊張している。

そして、そんな僕の事をスタンは目を逸らさず真っ直ぐに見つめているのが分かった。

その目に込められているものは―――不安と、警戒と、ほんの少しの敵意。

 

……何故かは分からないけど、僕は感情でそれを理解し、感じ取ったんだ。

 

 

「やれ昔のお前さんは明るかっただの、ネカネが可哀想だの、アーニャはぼーずには勿体無いだの。そらもう悪しように堕とし放題でな。

 そんな事を話してる内―――ワシはぼーずの昔話に、違和感を覚えた」

 

 

スタンは話を一旦そこで切り、パイプに薬草を詰め足して、一服。

そうして疲れたように吐き出した煙が部屋の中を漂った。

雲の様に、靄の様に。

決まった形を持たないそれは千変万化を繰り返し、僕の鼻腔に何とも言えない香りを運んでくる。

 

……こめかみが、ジクジクと熱を持った。

 

 

 

「……お前さんがどこどこを走り回っておった、どこどこで怪我をした、池に落っこちた、笑った、泣いた―――他愛も無い、何処にでもあるような思い出話。

 ぼーずが大人になった時にでもからかいのネタになるじゃろう、微笑ましい悪戯の記憶じゃ。

 ……その時ともに飲んでた奴等は皆ワシと同じ老いぼれ共での、8・9人程度じゃったかのぅ……?

 まぁ、ともかく全員がその話を覚えとっての、共に懐かしみ、盛り上がった訳じゃよ」

 

「……な、何、が。おお、おか、おかしいん、だよ。そんなの、何処にでもある、った、ただの、飲み会の話じゃないか……っ!」

 

 

スタンは怒鳴る僕の様子を伺いながらも、溜息を一つ吐き。パイプで唇を突付く。

……頭が、痛い。なのに心は安定していく。そんな矛盾した認識。

 

 

「―――おかしいのは、ワシら9人が全員その昔話を『同じ視点』で覚えとった事じゃ」

 

 

彼の言葉が耳に届く度、僕は中途半端のままの腕を更に上げて両のこめかみを押さえるように頭を抱え込んだ。

その所為で毛布がひらりとベッドの上に滑り落ちるけれど、僕はそれを気にも留めず。

 

 

―――変わらず鋭い眼でそんな僕を見つめつつ、トントンとこめかみを叩くスタンの姿を赤みがかった視界の中に捉えた。

 

彼は、言った。

 

 

「お前さんが走り回ってた姿を、笑って泣いてはしゃいどった全ての記憶を―――寸分違わず、ワシらは『同じ場所から』『同じ視点で』共有していたんじゃよ」

 

 

……彼が何を言っているのか理解出来ない僕の脳裏に、『ネギ』の記憶が走馬灯の様に流れ行く。

それはもう―――酷い頭痛と共に。

 

 

「……何度も確認した。ワシらがボケてるのかとも思って、魔法を使って互いの記憶も確認した。……しかし、結果は同じじゃ」

 

 

スタンが一言一言を発する度、僕の心は冷静さを取り戻していく。

今より幼いネカネが、僕の手をとり笑っている。

近づいてくる悪意は消えた訳じゃないのに。

アーニャが僕の頭を叩いて、それに『ネギ』が抗議して。

それ所か加速度的に近づいてきているのに。

 

 

「皆が覚えている『ネギ』に関する記憶は全て同一の物。会話の内容も、ぼーずと二人きりでした秘密の約束とやらも、みーんな同じものなのじゃよ」

 

 

―――……そして、この頭痛も皆共通。

……おそらく、彼は今僕と同じ種類の痛みに襲われているのだろう。

一際強くこめかみを押し込み、痛みに耐えるような表情で、彼は言った。

 

 

「……前々から何となく、お前さんについての違和感はあった。

 しかし、その違和感を追おうとすれば、それ以上深く考えようとすると例外なく頭痛が襲ってきよる。

 まるで、お前さんには触れて欲しくないとでもいう様にな」

 

 

その言葉に思い出すのは、かつての記憶。

以前ネカネが家に帰ってきた時に、リビングで頭を抑えて苦しんでいた彼女の姿。

その時は何時もみたいに貧血で苦しんでいた物と思っていた。

 

……でも。

 

でも、もしかしたら。

 

 

「……それが、どういう意味を持つか。分かるかの?」

 

 

スタンは僕にそう問いかけてきたけど、僕にはそれを理解する余裕なんて無かった。

 

だって頭が痛い。何も理解できない。

泥遊びをして笑う僕。

でも、不安は。

転んで泣き喚く僕。

頭が、焼ける様に痛む。

さっきまでの不安は、嘘の様に消えていく。

友達と遊んでいる僕。

矛盾。僕に侵食する。

誰かにいたずらをしている僕。

心が、安定する。

それを見守る誰かが笑う。

矛盾。悪意が直ぐそこまで近づいていて。

誰かが、誰かが、思い出せない。

もう少しで。ノイズ。

笑っている。怒っている。軋む。

 

『……やった』

 

……矛盾? 誰、か。 

誰が、誰……誰が。視界に、悪意が、眼球を這う血管が浮かぶ。頭が、軋む、ノイズ。記憶が、誰かが、痛い、ネギは、割れる、誰が? だれ、だ、だ、れがgggggggggggggg―――……

 

……彼は、そんな僕から目を逸らすようにして、言った。

 

 

「つまり―――」

 

 

……止めろ。

言って。

言うな。

止めないで。言って。

言って、止めろ、止めて、言って、言って、言って―――

 

―――『言って、あげて』

 

 

 

――――『ネギ』とワシらとの記憶。

過去にあった思い出の全ては、作られた物という可能性が高い――――――

 

 

 

―――唐突に、頭痛が消えた。

 

そうしてそれと同時に、スタンの背後にある茨が―――そして僕の頭の中の何者かが。キチキチと異音を立てる。

それに触れろと、触れるなと。『二人』が『二人』、僕に対して相反する意識を叩きつけてくるんだ。

 

……僕は頭を抑えていた手を外し、目を逸らしたままこちらの様子に気付かないスタンの背後に手を伸ばした。

 

 

「……そんな事はワシも、仲間らも信じたくは無い。しかし、ぼーずの―――……」

 

 

まだスタンが何か言っていたけど、その時の僕は彼の言葉なんて耳に入らない。

まるで誰かに誘導されているかのように手を伸ばし続けていたんだ。

 

あれほど触れたくないと、見たくないと思っていた茨に自分から触れに行くなんて、判断能力を欠いていたとしか思えないよ。

 

―――でも、僕は止まらない。

 

彼の背後にある茨からは、やっぱり不快感を感じるけど。

そんな事は全く気にする事は無く、僕は判断能力を欠いている状態のまま、手を伸ばし続けて。

 

もう少しで手が届くんだと。もう少しで会話できるんだと。

 

僕と繋がる『彼』は、僕の意思を一時的に乗っ取って、唯只管に茨へと触れようとするんだ。

 

そして、その指先が触れかけた――――瞬間。

 

 

――――――ズドォォォン……!!

 

 

「―――!!」

 

「……ぁ……ッ!?」

 

 

我に返った。

 

家の外から響く爆音。

地面が揺れ、パラパラと天井から埃が落ちる。

 

 

「…………は、ぃえ……?」

 

 

自分が今何をしようとしていたのか、何がしたかったのか。そして今何が起こっているのか。

全てが分からないまま、僕は僕に戻っていた。

手を伸ばした姿勢のまま、ゆっくりと茨の塊を見たけれど―――やはり、そこには確かな嫌悪感があって。

 

 

「……ぼーずや」

 

 

そのままぼうっとしていると、スタンの声が耳朶を打つ。

のろのろとした動作で、彼に向かって顔を向け―――ぽすん、と。頭に何かを乗せられた。

……いや、乗せられた。というか、被せられた、が正しいかもしれない。

 

 

「え……な……!?」

 

 

突然視界が真っ暗になり慌てた僕は、焦りでおぼつかない手つきで持って「それ」から頭を引き抜いた。

その内側に篭っていた濃い香りにふらつきつつ見てみると、それは彼が何時も被っているトンガリ帽子だったよ。

……さて、篭ってたのは整髪剤の香りか加齢臭。どっちかな。

 

 

「それを被ったまま、ここで大人しくしとれ」

 

 

後者だったら嫌だなぁ、とゲンナリしている僕をよそに、スタンは懐から杖を取り出し呪文を一つ。

杖の先から光の粒子が迸り、僕の部屋のドアの中に入り込み―――その中心から光の魔方陣が浮かび上がらせる。

もしかしてこれがさっき言ってたワープ魔法って奴だろうか。

いや、そんな事より。

 

 

「な、ちょ、ちょっと!! なん、何なんだよ、あんた! 『ネギ』の記憶が、とか、この帽子、とかぁ! な、なんん、何なんだよ!」

 

 

そうだ、スタンの話はまだ途中じゃないか。

途中僕は色々とおかしくなっていたけど、話自体は一応聞いていたんだ。

さっきの爆発音も気にはなるけど、それよりもまず―――

 

僕―――じゃない、ネギの記憶が作られたってどういうことだよ。

 

 

「ねぇ! ちょっと……!!」

 

 

そう叫びつつ追いすがる僕の姿にスタンは苦笑を一つ。

何やら安心したかのように先程まで纏っていたピリピリとした雰囲気を解き、帽子の下に隠していたオールバックの髪を撫で付けた。

 

 

「―――続きは、全てが終わってからじゃなぁ」

 

 

その言葉を最後に、スタンは魔方陣へと一歩飛び込み―――光に飲み込まれるようにしてその姿を消した。

彼の動きは流れるように滑らかで全く隙の無い、言ってみれば、戦いに向かう者の動きだったと思う。

僕も慌てて魔方陣に手を突っ込もうとしたけど、その時には光は消失済み。

木の板を叩く感触だけが伝わってきて、危うくつき指をするところだった。ファック。

 

 

「……な、ん。なんだ……」

 

 

そうして、僕一人きりとなった狭い部屋の中で。

スタンの言った言葉が、僕自身の行動が、漠然とした恐怖が僕の頭の中をぐるぐると回っていた。

 

朝から感じていた悪意。

作られた記憶。

茨に触れようとした僕。

一つしかないネギの姿。

消えた嫌悪感。

 

そして僕は何が起こったのか何一つ分からないまま、彼が開いたと思われるカーテンの外側、スタンが見ていた町の方角に目を向けて―――

 




■ ■ ■

次回は結構遅れるかも。

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