1
潜水艦としての改装を受けた際、アークエンジェルはその他の面でもいくつか改良が施されている。
そのうちの一つが、レクリエーション施設の充実である。
長期航海において、クルーのメンタルケアは重要な要素の一つとなる。士気が落ちれば、そのまま戦闘力の低下にも直結するし、最悪の場合、反乱を起こされる可能性すらある。
それを回避するためにも、展望デッキ、食堂、バー、各種ゲーム施設などを艦内において、クルーが退屈しない為の措置を施すことは、別段珍しくない。
その中でアークエンジェルが新たに取り入れた物の一つが、温泉である。
「天使湯」と銘打たれた暖簾をくぐると、そこには実際に岩風呂風味の湯船や洗い場、更には木製の桶や椅子まで用意された、純和風の造りをした風呂があった。
戦闘や訓練の後などにはクルーが日参し、湯に浸かっていくのは、今やアークエンジェル内においてちょっとしたブームになりつつあった。
その温泉に今、ラクス、リリア、エスト、マユの4人が入っていた。
シャンプーハットを付けたマユの頭を、その後ろに座ったエストがシャカシャカと泡立てながら洗ってやっている。
カガリやラクス、リリアからは妹のように見られがちなエストだが、こうしてマユを相手にしていると、逆に彼女の方がお姉さんに見えてくる。
「終わりましたマユ。流しますので目を閉じてください」
「はーい」
マユが目を閉じたのを確認して、エストは彼女の頭に桶の中のお湯をかぶせる。
その様子を、湯に浸かったラクスとリリアは微笑ましそうに眺めていた。
任務の後に、こうして風呂に入ってゆっくりできる事は、リリアにとってもうれしい事である。特にリリアは、パイロットとしての任務はもとより、マードック達に混じってイリュージョンやライキリの整備も行っている。
整備長のマードックは、リリアがヘリオポリスでアークエンジェルに乗り込んだ時から、彼女の指導的な立場にいる、言わば師匠のような存在だった。
機械油と汗に塗れた身体を洗い流すのに、温泉は最適だった。
「それにしても、リリアさん」
振り返ると、何やらラクスが深刻そうな顔をしてリリアを見ている。
「どうかした、ラクス?」
もしかしたら、重大な事でも聞こうとしているのだろうかと思い、正面から向き直るリリア。
と、ラクスは声を潜めるようにして、リリアに言った。
「胸の大きい女性の方が、男性の支持を得やすいのでしょうか?」
「・・・・・・・・・・・・は?」
リリアの目が点になったのは、言うまでもない事である。
一体全体、いきなり何を聞いて来るのか、この歌姫様は?
だが、そんなリリアの様子に構わず、ラクスは話し続ける。
「先日、プラントで行われている、わたくしによく似た方のコンサートを見て思ったのです。わたくしがあの方に劣っているものがあるとすれば、それはあの、豊かな胸なのではないか、と」
「あ、あの、ラクス、さん?」
「わたくしとあの方は、姿も声も似ていますが、やはり基本となる戦力(胸)の差は大きいのではないかと」
力説されて確かに、とリリアは思う。
恐らく意図的に演出されたであろうことは想像に難くないが、確かに、コンサートをしていた「ラクス」は随分と過激な衣装をして、セックスアピールとも取れる演出がされていた。
スタイルという面で、本物のラクスが劣性である事は否めなかった。
「い、いや、でもさ、相手の長所で勝負したって意味ないよ。ラクスにはラクスの良さがあるんだからさ。むしろ、そっちを伸ばす方向でやっていった方が、勝機は高いと思うよ」
「わたくしの、良さ、ですか・・・・・・」
ラクスはさらに、ズイッとリリアに寄って来る。
「それは、どういう点なのでしょう?」
「え・・・・・・えっと・・・・・・」
言われて、リリアは言葉に詰まる。
そもそもからして、「○○さんの良さ」などというものは本来、漠然的に認識しているものであり、改めて言葉に出そうとすると、かえって考え込んでしまうものだ。
さて、では改めてラクスの良さと言うと?
まずは歌唱力。この点に関しては疑いようもない。元歌姫としての実力は今もって健在であるし、であるからこそプラント側は「偽ラクス」などと言うカードを切り、クライン派に先んじて駒を張ってきたのだ。だが、相手は声も同じであるし、こちらはスローテンポ、向こうはアップテンポと言うジャンルの違いもある。正直、これで勝負するのは分が悪いような気がした。
では、性格はどうか? ラクスは言うまでもなく、とても優しい性格をしている。誰に対しても柔らかい物腰で接している。だが、性格が長所と言われると、やっぱりちょっと微妙な気がした。
となると、他には・・・・・・
そこまで考えていると、クスクスと言う笑い声が聞こえてきた。
振り返れば、ラクスが口に手を当てて可笑しそうに笑っている。
「ら、ラクス?」
怪訝な面持ちになるリリアに対し、ラクスは笑いながら言う。
「冗談です」
「・・・・・・・・・・・・」
一瞬、ポカンとするリリア。だがすぐにからかわれたとわかり、怒り笑いのような表情を浮かべる。
「ラクスゥ~!!」
「キャッ!?」
いきなり、リリアにお湯をかけられ怯むラクス。
だが、お返しとばかりにラクスもお湯を救い、リリアの顔に浴びせる。
「ちょ、ラクス!?」
「お返しです」
シレッと答えるラクス。
対して、リリアも不敵な笑みを浮かべる。
「やったなァ」
言うや否や、再びお湯を救ってラクスの顔面にぶっかける。
それに対抗するように、リリアもお湯かけを再開する。
悲鳴を上げながら、互いにお湯の掛け合いをする少女2人。
「・・・・・・・・・・・・何をしているのですか?」
エストが呆れ気味に声をかけたのは、そんな時だった。
ハッとして、動きを止めるラクスとリリア。ほぼ同時に、逆上せ以外の事情で、顔を赤くする。
良い年した少女2人が、お風呂でお湯かけ遊びというのは微笑ましい反面、冷静に突っ込まれると、かなり恥ずかしかった。
「先ほどのお話ですが」
ラクスが再び声をかけてきたのは、脱衣所で着替えをしている最中のことだった。
エストは少し離れた場所で、マユの着替えを手伝ってやっている。着ている服は相変わらずメイド服なので、微妙に様になっていた。
「先ほどっで、胸の話?」
「ではなくて、ですね。プラントの事情についてです」
リリアの言葉に対し、ラクスは笑顔のまま先を続ける。
「て言うと、『偽ラクス』の事?」
「それも含めてなのですが、わたくし、一度宇宙に上がり、プラントがどのような状態にあるのか、調べてきたいと思っているのです」
それは、暗殺されかけたころからずっと、ラクスが考えていたことだった。
デュランダルの目指す物。自分が暗殺されかけてまで、彼が何を目指しているのかを知る。
それは、これからの戦いの方針を決めるうえで、必ずや重要になってくるはずだ。
それだけではない。宇宙には潜伏中のクライン派がいる。彼らと連絡を取り、連携を図る事が出来れば、今後の戦いに大いに有益なはずだった。
「でも、どうするの? 今から宇宙に行く手段なんて無いでしょ」
この辺の主要な宇宙港は、地球軍かザフト軍に押さえられている。スカンジナビアまで戻れば国王のつてでシャトルを用意してもらえるかもしれないが、地球軍とザフト軍がエーゲ海付近でにらみ合っている現状、アークエンジェルがこの場を動く事はできなかった。
だがラクスは、何でもないとばかりにニッコリと笑って見せる。
「そういった事は、わたくしにも考えがあります。今、バルトフェルド隊長達と一緒に細部を詰めているところですので、もう少しお待ちください」
自信を持って告げるラクス。
そんなラクスの横顔を、エストが静かな瞳で見つめていた。
2
エーゲ海の拠点において、地球軍は急ピッチで作業を務めていた。
先のダーダネルス海峡海戦により、戦力の半数近くを喪失した地球軍は、増援を受けると同時に戦力の立て直しが必要だった。
特に主力となるモビルスーツの損耗は大きく、次の戦いまでに十分な数が揃えられるかどうか、微妙なところである。
事情はセイラン軍の方も似たようなものであるらしい。もっとも、あちらの方は地球軍に比べて戦力の立て直しは順調であるらしい。
聞く所によると、オーブ内戦の戦況は、セイラン軍にとってかなり苦しいものとなりつつあるらしい。先ごろ、宇宙でも大規模な戦闘が行われたが、そこでもセイラン軍は大敗を喫したとか。
しかしそれでも尚、スエズ派遣軍には増援が次々と送られてきている。
その事情としてはやはり、最高司令官が宰相の息子であることが大きいだろう。
セイラン親子の事情としては、ここで多少、本国の戦線が手薄になったとしても、地球軍さえ巻き返してくれれば、いくらでも状況を覆せると考えているらしい。だからこそ、本国の戦線が押されているにも拘らず、充分な数の増援が送られてきているのだ。
その為にも、何としてもここらでザフト軍を撃破する必要がある。
特に問題なのは、あのミネルバだろう。今やあの艦は、数々の困難な戦いを勝利に導いた「ヒーロー」になりつつある。
ザフト軍の士気は天を衝き、相対的に地球軍は地に堕ちている。
ここで敵を撃破しなければ、ズルズルと押し切られてしまうだろう。
急ピッチに決戦に向けた準備を進める地球軍に、客人が訪れたのは、そのような最中だった。
「よく、来れましたね。スエズからでも随分かかったでしょう」
J・P・ジョーンズの司令官室で客人を出迎えたネオは、仮面の下の笑顔を向ける。
ソファに座っているのは、40前後ほどの、見た目は冴えない中年オヤジである。
しかしその実態は、地球連合宇宙軍少将にして、第2軌道艦隊司令官レイモンド・クラークである。
さきのフォックスノット・ノベンバーにおいては地球軍艦隊を指揮し、敗北こそしたが、その後、速やかな撤退に成功。出撃全部隊の戦力を保ったまま月に収容する事に成功している。
目立つ功績こそ少ないが、地球連合軍の隠れた名将であると言える。
「戦力増援具申の為にヘブンズベースに行った帰りさ。君達がここで頑張ってるって聞いて、ぜひ激励したくてね」
ネオは両手に持ったコーヒーのカップを1つ、クラークに差し出して自分もソファに腰掛ける。
「増援の具申ってことは、宇宙戦線も苦しいのですか?」
「どこもかしこもさ。戦力的にはギリギリでね。私の要請も却下されてしまったよ」
コーヒーに口を付けながらクラークは自嘲気味に言った。
「今はみんな、ザフトの方が優勢さ。宇宙戦線はまだ充実している方だよ」
元々、地球連合軍の最大の持ち味は物量である。それがあったからこそ、先の大戦ではザフト相手に互角以上に戦う事ができたとも言える。
しかし、ユニウス条約の結果、一定以上の戦力を持つ事を禁止された結果、地球軍とザフト軍との物量差は、先の大戦時程には圧倒的ではなくなってしまった。
勿論、宣戦布告とともにユニウス条約は無効化している為、地球軍も戦力増強を急いでいるが、未だに新規戦力が戦線に加わるには至っていない。
その為、前線部隊は現有戦力のみで戦う事を強いられているのだ。
結局のところ、ジブリール達は自分たちに都合のいい絵をかく事ばかりを考え、現実を全く見ていなかったのではないかと思えてならなかった。
「どうだい、ミネルバの方は? どうにかできそうかな?」
「大船に乗ったつもりで、と言いたいところですが・・・・・・」
おどけた調子で言ってから、ネオは口元を引き締める。
「正直、厳しいですね。相手は今や、名実ともにザフト最強戦艦に相応しい存在になっています。こちらの全部隊をぶつけたとしても、勝てるかどうか」
戦力で圧倒できないとなると、何らかの策を仕掛ける必要がある。
ネオの中ではすでに、ザフトの行動をいくつかパターン化し、その全てに対応できるように策が練られていた。
「そう言えば、X1の噂は聞いたかい?」
「X1・・・・・・」
話題を変えたクラークの言葉を、ネオは反芻する。
それは、地球軍が極秘に開発を続けている新型機動兵器で、従来の機動兵器のカテゴリを超え、広域殲滅を主目的とした大火力を搭載しているとか。
1機でザフト軍の3個部隊に匹敵すると期待されているのだが。
「そのX1が、ユーラシアの工廠で完成したって話だ」
「本当ですか?」
それが本当なら地球軍の戦力不足も、多少なりとも改善が期待できるのだが。
しかし、クラークの方は難しい顔をしている。
「正直、どうなんだろうね?」
「何か、懸念でもあるのですか?」
X1の完成は待ち望まれている事だ。それが間もなく戦線に加わるのだから、喜ばしいことのはずなのだが。
「広域殲滅型機動兵器。1機で複数の部隊を同時に相手にできるだけの火力。だが、そんな物が果たして必要なのかね?」
「どういう意味です?」
「アレ1機開発するだけで、ウィンダムが50機は作れるだろう。正直、私には後者の方が有益に思えるよ」
クラークが言いたいことは、ネオにも理解できた。物量が地球軍の持ち味なのだから、その長所を伸ばすべきなのだ。
「1頭の巨象と50匹の蜂。殺しつくすのにどちらが大変か、考えるまでもないだろう」
当然、後者だ。
言ってしまえばX1の開発は、旧態然とした大艦巨砲主義が機動兵器と言う形を取って復活するようなものである。
「ですが、作ってしまった以上、あれを上手く使いこなす必要があるでしょう」
「そうなんだけどね」
ネオの指摘に、クラークは肩を竦める。
「だが、火力に頼って無理な攻めを行うべきじゃないね。あれを使うなら、攻めてきた敵に対する防衛用に使うべきだと私は思うよ」
クラークとしてはX1の価値は火力よりも、むしろ卓越した防御力にあると思っている。要塞級の防御力を駆使して敵主力の攻勢を押さえ、その間に高速機動部隊を繰り出して敵の中枢や補給線を叩き、戦線崩壊を誘発するのだ。
その為にも、敵の主要戦力は叩き潰しておく必要がある。
「閣下、お願いがあります」
「何だい?」
深刻な表情のネオに、クラークもまた真剣な顔で応じる。
「恐らく、今度の戦いが決戦になるでしょう。私は隊の全てをすり潰してでも、ミネルバを沈めようと思います。もちろん・・・・・・」
ネオは躊躇う事無く、続きを言った。
「今度は私も出撃し、全軍の先頭に立つもりです」
その言葉に、クラークは目を細める。
つまりネオは「すり潰す」対象に、自分自身の命も入れているのだ。
そこまでしなければいけない程に、ミネルバは強敵であると言う事か。
「もしも私の身に何かあった時は閣下、私の直属の部下、ラキヤ、スティング、アウル、ステラの処遇を、閣下にお願いします」
ネオとしては、それが気がかりであった。
戦死したり、捕虜になる事は別に怖いと思わない。だが彼等、特にエクステンデットの3人が、自分のいなくなった後、心無い奴ら(たとえばベイルのような)に道具扱いされるのは心苦しかった。
つまり、それだけの覚悟が必要と言う事か。
「判った、任せてくれ。だが、お前さんも決して死に急ぐんじゃないぞ」
「勿論ですよ」
そう言って不敵に笑うネオ。
だが、精神的には必ずしも余裕がある訳ではなかった。
3
《先日より行われていた各地ザフト軍基地へのラクス・クラインの慰問ツアーも、いよいよその幕を閉じる事になりました。先の大戦でも、父シーゲル・クラインと共に、終始戦闘の停止を呼びかけ、またこの新たなる戦いにも心痛めて、早期の終結を願い、デュランダル議長と行動を共にする、このプラントのカリスマ的歌姫は、長く本国を離れ、厳しい状況下で過ごす兵士達にとっては、まさにこの上ないオアシスとなり・・・・・・》
ディオキア基地正面ロビー前に黒いリムジンが停止したのは、そのようにニュース報道がされているときだった。
そのリムジンから、まず色黒で長身、パンチパーマの男が出て来た。
「はいはいはいはい、どもどもども。あんじょー頼むでぇ」
胡散臭いイントネーションの男に続いて出て来た人物。
それを見て、兵士達は歓声を上げた。
「勇敢なザフトの戦士の皆さーん!! こんにちはー!! お疲れ様でーす!!」
元気な声で手を振る可憐な少女。
それは紛れもなく先日、この基地でもコンサートを行ったラクス・クラインだった。
ラクスが今日、ディオキア基地からシャトルで宇宙へ戻る事は伝わっていた。その為、ラクスが来るのを待っていた兵士も大勢いたのだ。
ロビーに入ると、係の兵士が慌てたように駆けてきた。
「ラクス様、本当にお疲れ様です!!」
「いえいえー」
朗らかに笑って、手を振るラクス。
そんな彼女を押しのけるようにして、長身のマネージャーが進み出た。
「早速で悪いんやけど、時間が無いんや。ケツかっちんやさかい、シャトルの準備、はよしてんか?」
「あ・・・・・・はい、し、しかし定刻より早い到着なので、その・・・・・・」
怪しい風貌のマネージャーに戸惑いを隠せない係員。要するに、もう少しかかると言いたいらしい。
だが、構わずマネージャーはズイッと顔を近づける。
「急いでるから、はよ来たんや。せやから、そっちも急いでーな!!」
「は、はいッ ただちに!!」
完全に圧倒され、慌てて駆け去っていく係員。恐らく、シャトルの出発を早めるように、催促に行ったのだろう。
その間にも集ってきた兵士たちは「ラクス様ァー!!」などと大歓声を上げ、ラクスはそれに対し、元気に手を振って答えている。
ラクス達がシャトルの準備を待っている間、色紙を手にした兵士達が近寄ってきた。
「ら、ラクス様、あの、サインお願いします!!」
そう言って色紙を差し出す兵士。
付き添っていたマネージャーが慌てて制そうとするが、ラクスはにこやかに笑うと、手を差し出した。
「あら、構いませんわ」
そう言うと、淀み無くスラスラとサインを書き上げてしまう。
どうなるかとハラハラして見守っていたマネージャーは、その様子を見てホッとため息をついた。
「はい、どうぞ」
ラクスが色紙を差し出すと、その兵士は感激に頬を染めて勢いよく頭を下げた。
「ありがとうございます!! 光栄です!!」
「いえいえー これからも世界平和の為に頑張ってくださいね!!」
すると、状況を見守っていた兵士達が、我も我もと色紙を持って駆け寄り、あっという間に長蛇の列ができてしまった。
それらにラクスは、次々とサインを書いていく。
そこへ、1人の少女がラクスの背後からトコトコと近寄ってきた。
背はラクスよりも低い。長い黒髪をした、全体的に小さい印象の少女だ。顔はサングラスで隠しているので伺う事は出来ないが、かなりの美少女ではないかと思われた。
「お仕事中申し訳ありません。ラクス様、お電話が入っております」
「はーい」
付き人と思われる少女の淡々とした調子で差し出した携帯電話を、ラクスは受け取ると耳に当てた。勿論、その間もサインを書く手を止める事はない。
ラクスは二言、三言、相手と話すと、携帯電話を閉じて付き人の少女に反した。
ちょうどその時、先ほどの係員の兵士が走ってくるのが見えた為、即興のサイン会は終了の運びとなった。
「失礼します。ラクス様、シャトルの発信準備、完了しました!!」
「ご苦労さん、ホンマ、恩に着るわ、あんちゃん!!」
そう言うとマネージャーは、実に馴れ馴れしく係員の肩を叩いた。
シャトルに乗り込み、ハッチが閉まりタラップが外されると、マネージャーはニヤリとえ笑みをラクスに向けた。
「よう考えたら、サインなんかお茶の子さいさいやったな」
「もう、そのしゃべり方はよろしいのではありませんか?」
そう言って、ラクスも微笑みを浮かべる。
すると今度は、反対側に立っている付き人の少女が口を開いた。
「こんなしょーもない作戦、よく思いつきましたね」
サングラスを取った少女。
それは、エスト・リーランドだった。
同時にマネージャーの男もカツラとサングラスを取る。こちらはアンドリュー・バルトフェルドである。
そして2人に挟まれる形で立っているラクス・クライン。当然のことながら、彼女も本物である。その為にラクスは「偽物に成りすます」演技をしていたのだ。
エストが言うところの「しょーもない作戦」。それは「本物が偽物に成りすます」事だった。
先日、ラクスがリリアに話した通り、ラクスは自身が宇宙に赴き、情報収集やクライン派との連携強化を図りたいと考えていた。だが、近隣の宇宙港は全て敵に抑えられており、当てがない。
そんな折、ディオキア基地から「ラクス・クライン」がシャトルを使い、プラントへ帰還する事を知ったアークエンジェル以下、政府軍一同は、一般のザフト軍人にはラクスにかかわるからくりが知られていない事を逆手に取り、今回の作戦を思いついたわけである。
「それにしてもエスト、あなたまで来ることはなかったのでは?」
ラクスは傍らの少女を見て言う。
当初、ラクスはあまり人数を連れて行ってアークエンジェルの守りが手薄になる事を懸念していた。その為、連れて行くのはバルトフェルドとあと1人くらいと考えていたのだが、そこにエストが名乗りを上げるとは思っていなかったのだ。
「・・・・・・私には後悔があります」
ラクスの言葉に対し、エストは質問とは関係ない事を話し始める。
「2年前のあの時、なぜ、キラを1人で行かせてしまったのか、と」
「エスト・・・・・・それは・・・・・・」
2年前の決戦時、キラはエストの同行を許さず、必ず帰ってくると言い残し1人出撃していった。
しかし、現在に至るまで、キラは帰ってきていない。
その事がこの2年間、エストの心の中で硬い棘となって刺さり続けていた。
「行く前にキラは言いました。『自分がいない間、ラクスを守れ』と。ならばラクス、あなたが行く場所に、ともに行くのが私の役目でもあります」
「・・・・・・そうですか」
ラクスはもう、何も言おうとはしなかった。そこまで言うならば、好きにさせようと思ったのだ。
その頃、ディオキア基地の正面ゲートにはピンク色のリムジンが到着していた。
そこから降りてきたのは、本来、この基地からシャトルに乗る予定だった「ラクス・クライン」。ミーアだった。
だが、出てすぐに出迎えが来ないことに、すぐに怪訝な面持ちになる。
「何や? なんで誰も出迎えに来ーへんやないか?」
「んもうッ あたしが来たっていうのに!!」
マネージャーと一緒に不満顔を作るミーア。
この「ラクス・クライン」がわざわざ来たというのに、迎えが誰もいない事が不満だった。
中に入っても、誰もミーアの方を見ようともしない。
まるで自分の存在が、誰にも認識されていないかのようだ。
「なぁに? なぁに? いったい、どうなっているのよ?」
苛立ちながら、ズンズンと歩いている時だった。
「ら、ラクス様、なぜここに?」
兵士の1人が、驚いた顔をしてミーアを見る。
そしてその手には、サインの書かれた色紙が握られている。
その色紙に書かれている、ラクスは見覚えがあった。何しろ、さんざん練習して、何万回と書いたサインだったのだ。
事情を聴き、ミーアとマネージャーは慌てて管制室へと走る。
聞けば、既に「ラクス・クライン」は自分達より先に基地に入り、即興でサイン会までやって、今まさに、予定のシャトルで発進しようとしているとか。
つまり、その「偽物」が、自分の人気や喝采を横から奪い、今まさに逃げようとしていると言う事か。
そんな事、絶対に許さない。
管制室に飛び込むなり、マネージャーが叫んだ。
「アカン!! アレ、ほんまもんや!!」
「ハァ?」
その言葉に、ミーアは不機嫌な顔でマネージャーを見る。
その視線に気づいたのか、マネージャーも慌てて修正する。
「あ、ちゅうちゃう!! パチモンや!! 名を騙るニセモンやで!!」
その言葉に、ミーアはハッとした。
本物。
本物の、ラクス・クライン?
ミーアは考えもしなかった。完璧以上に「自分に成りすます」事ができる人間。そんなものは「本物」以外にいないと言う事を。
すぐにシャトルの発進停止命令が送られる。
しかし、
「すまんなー、ちょっと遅かった」
パイロット席に座ったバルトフェルドが、不敵に呟く。
既に正規のパイロットは拘束し、客席に縛り付けている。エストはその監視にあたっていた。
制止を振り切り、動き出すシャトル。
加速し、上昇を開始する。
だが、ザフト軍の対応も早い。
直ちにスクランブルの掛かった機体が飛び上がっていく。
AMA-953「バビ」
ディンの後継機として、ザフト軍が実戦配備を進めている大気圏用航空型モビルスーツである。ディンに比べるとかなり大型の機体だが、加速力と火力では大きく凌駕している。
たちまち、10機近いバビが上空に上がり、シャトルを追撃する。
更に、はるか上空の宇宙空間では、付近を航行していたナスカ級戦艦が、シャトルの進路をふさぐべく行動を開始していた。
バビの背部ユニットから、一斉に放たれるミサイル。
「上がれェェェェェェ!!」
操縦桿を握るバルトフェルドが、必死に加速をかけるが、ロックを外すことができない。
命中するか。
そう思った瞬間。
横合いから放たれた閃光が、全てのミサイルを叩き落とした。
その様子を見て、ラクスは笑みを浮かべる。
彼女がサイン会の時に受けた電話は、この為の準備が整った事の連絡だった。
陽光が煌めいた一瞬、
駆け抜けた双翼が、大剣を手に切り込む。
シャトル発進に合わせて、シンとマユがイリュージョンを駆って援護に駆け付けたのだ。
一閃される大剣。
その一撃で、数機のバビは頭部を切り飛ばされる。
イリュージョンは更に、ビームサーベルを2本抜き放ち、片っ端からバビの翼、武装、頭部を斬り飛ばしていく。
ものの1分もしないうちに、追撃可能な機体は存在しなくなった。
イリュージョンは更に低空まで舞い降りると、腰の狙撃砲を展開、ディオキア基地のレーダーサイト、滑走路、格納庫を片っ端から吹き飛ばしていく。宇宙空間に出たシャトルの行先を、トレースされない為の措置だった。
沈黙するディオキア基地。
だが、まだ終わりではない。
「やるぞ、マユ」
「うん」
頷きあうアスカ兄妹。
2人は同時に、キーボードを打ち、パスワードを打ち込む。
「パスワード認証。コード『ヌァザ』封印解除!!」
「承認。オンライン確認。全動力を『光の聖剣』に接続します!!」
「イリュージョン、砲撃モードへ移行する!!」
イリュージョンの双翼の一部が開き、中から巨大な大砲が出してきた。
それは肩越しに展開し、更にジョイントがロックされると、長さが倍にまで伸びる。
「砲身展開完了。エネルギー充填開始!!」
「砲撃モードは『収束』に設定したよ!!」
「了解ッ ターゲットロックオン。砲撃準備完了!!」
光が収束し、砲身が輝きを増す。
次の瞬間、莫大なエネルギーが解き放たれた。
「「クラウ・ソラス、発射ァァァァァァァァァァァァ!!」」
視界全てを焼く程の閃光。
抜き放たれる「光の聖剣」
それは大気その物を切り裂き、圧倒的な威力を維持したまま、一気に駆け上がる。
超高密度プラズマ収束ビーム砲「クラウ・ソラス」
かつて、プラントに撃ち放たれた核を一撃のもとに殲滅したイリュージョン最大の兵器。
閃光は大気の摩擦にもほとんど減衰する事はなく、宇宙空間まで達する。
この時、上空で網を張っていたナスカ級戦艦は、大気圏から飛び出してきたシャトルを、まさに射程に捉えた瞬間だった。
砲門を開こうと、砲塔を旋回させた。
次の瞬間、
シャトルを追いかけるようにして駆け上がってきた閃光が、ナスカ級戦艦のメインスラスターを撃ち抜いたのだ。
突然の事でバランスを保てず、スピンするナスカ級戦艦。
その横を、シャトルは一散に駆け抜けていった。
「ナスカ級戦艦撃破。ラクスさん達も無事だよ、お兄ちゃん」
「やれやれだな」
マユの報告を聞き、笑みを浮かべるシン。
どうやら、作戦は成功したらしい。
クラウ・ソラスを収容すると、イリュージョンは機体を反転させて去っていく。
それを追う事ができるザフト軍機は、1機も存在しなかった。
PHASE-25「真偽取り替え遊戯」 終わり