私は星熊勇儀。
最近大きな悩みを抱えていて困っている。鬼には悩みなんてないだろうとよく言われるが、鬼には鬼なりの悩みが一つや二つはあるものだ。
その悩みとは──
「パルスィに汗臭いって言われた……」
「そんなこと私に言われても困るんだけど」
私のことを迷惑げに見つめてくるこの女は古明地さとり。この地下世界の有力者で、地霊殿の主人だ。
淫乱を主張するかのようなピンクの髪に、蠢く触手の根本にある第三の眼を使えば、どんな相手だろうと言葉攻めが可能であろう。
そんな淫堕の化身みたいな少女だ。
「ふうん。あなたは私のことをそんな風に思ってたの。そんな淫乱な女にあなたの相談を受ける資格はないわね。さよなら」
「ちょっと待ってくれ、さとり。別に悪気があったわけじゃないんだ。褒め言葉みたいなもんさ」
さとりに心を読まれてしまった。このままでは私の悩みを聞いてくれなくなってしまう。
私は一生懸命さとりをフォローした。
「あなたはエロいですねと言われて、褒められてると感じる女がどれほどいるのかは疑問です」
だめだ完全に怒ってる。さとりは一度拗ねると中々治らないからなぁ。
だけど、とさとりは続ける。
「私のところまでわざわざ足を運んで来てくれたのですから、追い返すのは悪いですね。少しなら相談に乗りましょう」
「さすがさとり様。心が広い。鬼にも負けない寛容さだ」
ここぞとばかりに畳み掛ける私の言葉に、彼女は少し顔を赤らめる。パルスィという愛すべき女がいなければ惚れてしまいそうに可愛いやつだ。
「それで、なんでしたっけ」
「ああ、前にパルスィに抱きついた時に汗臭いって言われちまったんだ。どうすればいいと思う?」
「風呂に入りなさい」
「入ってるって! 別にそこまで不潔じゃねぇよ!」
さとりはさとりで私のことを一体なんだと思っているのか。ガサツな性格だと私自身も理解はしているが、これでも女である。きちんと毎晩風呂にはつかってるし、長い髪もシャンプーで洗ってるし、鬼の象徴であるこの一本角は光沢が出るほどタオルで磨いてる。
「だったらどうして汗臭いのでしょう。……移動方法は?」
「全力疾走」
「それですね」
どうやら私が汗臭い原因が見つかったようだ。
さすがさとり。こんなにもあっさり私の悩みの原因を見つけてしまうとは。
「過剰評価ですよ」
「そんなことねぇよ。ありがとう、さとり」
「汗臭いです」
彼女に抱きついたら、パルスィと同じことを言われてしまった。
いけないいけない。
「じゃあなさとり。また何かあったら相談しに来るわ」
私はその場を後にして全力疾走……おっと危ない危ない。ちゃんと歩かなくては。
*
「ようパルスィ。今日も可愛いな」
「よくもそんな臭い台詞が言えるわね……妬ましいわ」
橋に寄りかかっていた彼女に抱きつく。その華奢な体は力を入れたら折れてしまいそうだ。
「……?」
「どうした?」
なにやらパルスィの顔に訝しげな表情が浮かんでいる。
さてさてようやく気付いたようだな。今日の私はいつもの私とは違うのだよ。
「なんか……勇儀が臭くないんだけど」
「ん? なんのことかなぁ。私にはさっぱりわからないな」
今日は家を出てからずっと歩いてきたのだ。その途中で幾度となく、走りたくなる衝動に駆られたが私はそれに打ち勝った。愛するパルスィのためだと思えばたいしたことはなかった。
「……」
「どうしたパルスィ。そんな浮かない顔して」
パルスィの表情は硬かった。
おかしい。私の計算ではここでパルスィが私の胸に飛び込んできて、くんすかくんすかしてくるはずたったのだが。
なんと言おうか迷っていると、パルスィの深緑の瞳に小さな雫が湧いてきた。
「ど、どうしたパルスィ! 誰かにいじめられたのか! そうか地下の妖怪どもだな。誰にやられたか言ってみろ、私が叩き潰してやるから」
私は拳を血が出るほど握りしめる。
パルスィを泣かす奴は誰であろうと容赦はしないつもりだ。鬼の恐ろしさを思い知らせてやる。
「いえ、違うの。勇儀が他の女とナニをしても私は妬まないわ。勇儀が幸せなら……それで」
ナニを言っているのだろう。
パルスィの言っていることが理解できない。なにか話が食い違っている気がする。
「うん。いったん話を整理しようか。パルスィは一体なんのことについて言ってるのかな」
「誤魔化さなくていいのよ。勇儀が他の女と風呂場でイチャイチャしたせいで、汗の匂いが全然しないのなんか全然妬んでないんだから」
パルスィはその端正な顔をしかめて私を睨んでくる。その頰には一筋の涙が伝っていた。
「ご、誤解だぜパルスィ。私は他の女とイチャイチャなんかしてない。私が心から愛してるのはパルスィだけだぜ」
そう言ってパルスィを強く抱きしめる。柔らかな金髪がふわりと頰を撫でる。花のようないい匂いが漂ってきた。
「……本当?」
「ああ、私が鬼であることに誓って」
パルスィは私の背中に腕を回してくると、再び泣き始めた。今度は先ほどよりも勢いよく。
「お、おいなんで泣くんだよ。嘘じゃねえって」
「分かってる。あんたがこんな場面で嘘を吐くような奴じゃないっていうのは私が一番分かってる」
私は泣きじゃくる彼女の髪を優しく撫でてやるのだった。