秋蘭達の立て篭もる村が近付くと、俺と冬蘭は囮役を務める為、冬蘭の直属部隊と共に本隊から離れた。機動力が必要なので、俺も含めて全員騎乗している。
慣れない乗馬に苦労しつつ、ふと空を見上げると薄い雲が空に広がっていた。雨を降らすような雲ではなく、これから始める戦いに影響を及ぼす事もないだろう。
目線を前方へと移すと、敵部隊の展開している様子が窺える。囮であるこちらに比べてかなり多い。そのうえ敵は村を包囲しているという話なので、ここから見える部隊以外にもいるはずだ。
「多いな」
つい本音が漏れてしまう。その声が聞こえたのか、冬蘭が俺の顔を覗き込んできた。
「怖気づいたんですか?」
「そう見えるか?」
質問を質問で返すなと、漫画で言っていたキャラがいたけれど、話を誤魔化したい時についつい使ってしまう。幸い冬蘭は気にしていない様子で、俺の質問について考える素振りを見せている。
「ん〜八幡さんの表情って読みづらいんですよねえ。いやらしい事や下らない事を考えている時以外は」
「うぐっ」
う、嘘だろ。冗談だよな。それが本当なら大変なんだが。そういう事を考えてる時、バレバレだったの? いや、俺は普段からバレて困るような事なんて考えてないから問題無いんだが……うんダイジョウブナハズ。
冬蘭は慌てる俺を気にもせず、俺を安心させるように微笑む。
「大丈夫ですよ。そういう時も、普段よりちょっと目の腐り具合が酷くなっているだけですから」
全然大丈夫じゃない。戦う前から味方の精神攻撃が俺を激しく襲う。ねえ楽しい? 俺の精神を
「……それで敵は今、何をしているんだ? 村を攻めているようには見えないぞ」
言い訳とか誤魔化すとか、そんなチャチなもんじゃあ断じてねえ。最初から俺達は作戦について話していただけだ。それ以外の話など一切していない、いいね?
「一時休憩といったところでしょう。村を囲んだ柵周辺に激しい戦闘の跡が遠目にも確認出来ますし、敵陣から炊事の煙が出ています」
「そうか。それなら次の戦闘が始まるまでに仕掛けたいな」
不自然どころではない話題の転換だったが、冬蘭は雑談している時間が無いのでスルーしてくれたみたいだ。さらにタイミング良く斥候へ出していた兵が帰って来た。兵は早速敵の情報を報告する。
「相手は今こちらの前方に展開している部隊でほぼ全てのようです」
「はあ? 村を包囲しているんじゃないのか」
敵に包囲されて大ピンチだって聞いたから、慌てて救援に来たんだが違うのか。首を傾げる俺に兵はより詳しい説明を続ける。
「敵はあちらにいる部隊を除くと、他は必要最低限の見張りを配置しているだけです。騎馬が七百位はいたので、主力のいる逆方向から逃げたとしても追い付けると考えているのかもしれません」
秋蘭達は全員で五百。敵は騎兵だけでも秋蘭達を上回っているのか。義勇兵は三百という話だが、騎馬なんて贅沢なもんを多くは持っていないだろう。秋蘭達が義勇兵と村人を伴って逃げた場合、直ぐに追い付かれて背後を突かれる。仮に村人達を見捨てても追い縋る敵騎兵に背後から攻められ続けるし、反転して戦おうとすれば敵歩兵まで追い付いてくるだろう。
「村から逃げ出しても追い付ける自信があるから、下手に兵を分散させていないのか」
「やはり無秩序に暴れるだけの暴徒ではないようですね。これは少し面倒な事になるかもしれません」
俺が自分の推測を口に出すと、冬蘭はそれに頷き、表情を曇らせた。だが俺は冬蘭の危惧を否定する。俺からしたら面倒どころか好都合だ。
俺は斥候の報告を聞くまで、敵は村を包囲する為に兵を分散させていると考えていた。その為、分散した敵を集めて此方の本陣まで誘き寄せる方法を色々考えていたが、その第一段階である【集める】という手間が省けるなら幸いだ。
「いや、今回に関しては兵が分散していなくて好都合だ」
「そうですか? 相手が多少頭の回るようなら、私達が囮となっても簡単には追って来ないかもしれませんよ。それに私達囮部隊は相手より明らかに少ないですから、挑発だけして直ぐに逃げたりしたら罠だって見破られる可能性も……」
冬蘭の心配は至極もっともなものだ。しかし、俺は相手が追ってこないという可能性をほとんど考えていない。彼等が確実に、それでいて死に物狂いで追いかけて来るアイデアが俺にはある。
「何か策があるんですか?」
俺が囮役を失敗する事を全く心配していないのを見て、冬蘭は察したようだ。
自慢出来る事ではないが、挑発して相手を怒らせたりするのは得意中の得意だ。
「まあな。こういうのは昔から得意なんだよ」
しかし、それでかつては痛い目を見た。高校時代、憎まれ役をやった結果恨みを買い、大切な者達に迷惑をかけないよう距離を取る羽目になった。だから余り気は進まない。だが、止めるという選択肢は無い。
村を見る。俺達が住んでいる街と比べると、本当に小さな村である。今にも攻め落とされそうな、あの村の中に秋蘭達がいると思えば躊躇っている暇は無い。とにかく敵には村から離れてもらう必要がある。それに高校の文化祭の時、相模に対して行った挑発と今回では事情が違う。今回の相手はここで倒してしまうべき敵である。恨みを買ったからといって、大した問題はないはずだ。
自分にそう言い聞かせて馬を敵陣の方向へ進ませる。少しずつ敵部隊へ近付くと相手もこちらに気付いたようだ。敵陣が少し慌しくなっているのが見える。
「これ以上は危険です。既に弓の射程ですよ」
「こんな距離でも狙えるのか?」
「狙って当ててくるとは思いませんが、凄腕の射手ならあるいは。ただ届いてもこの距離なら払い落とせるので、安心して下さい」
敵との距離が百五十メートル位の所で冬蘭が俺を止め、片手剣を構える。
えっ、払い落とせるの? 弓矢を? そんなのアニメや漫画でしか見た事なんだが、やはり冬蘭も名のある武将という事か。もし払い落とされる弓矢が、俺に向かって飛んで来ている物じゃなかったら見てみたい気もする。しかし、現実はそう甘くないし、むしろ今から狙われるような事をするのだから望むべくも無い。
そうこうしているうちに敵陣から一人騎兵が現れた。うちの武将連中ほどではないが、そこそこまともな装備をしている。こいつが頭だろう。これは本当にもう暴徒とは言えないな。
敵のリーダーはこちらが少数なのを確認すると大声で嘲った。
「おいおい、どこの軍かは知らんが、そんな数で勝てると思っているのか。身ぐるみ全部置いて行くなら命だけは助けてやっても良いぞ」
リーダーの言葉を聞いて他の敵兵達が一斉に笑う。完全に
「逆だ、逆っ! お前等こそ武器を捨てろ。俺達はお前達に対して降伏勧告をしに来ているんだよ」
「くはっ、本気か? おい聞いたか、お前等。あの人数で俺達に降伏勧告だとよっ!!!」
俺の言葉に敵リーダーは、笑いを堪え切れないといった様子で後ろに控える仲間達へ振り返る。敵陣でドッと笑い声が上がる。
俺はその笑い声が治まるタイミングを見計らい、彼等を惑わす毒を放つ。
「お前等は降伏するしかないんだから、人数なんて必要ねえんだよ。いいか、他の場所で暴れているお前等の仲間は既に鎮圧されている。もちろん首謀者達も押さえてある。お前等はこの村を落とせても、もう進むべき先が無い状態だ。ここで降伏しなければ、あての無い逃亡生活の末、人数もすり減って最期は戦死か処刑というのが関の山さ」
「なにぃ? 俺達の本隊は二十万にも届こうかという大軍だぞ。負けるわけが……」
「今ここに来ている俺達は少数でも、こっちの本隊まで少ないわけないだろ。別に何の不思議も無い」
敵リーダーは俺の言葉を否定しているが、完全に嘘とも言い切れない様子だ。この世界には電話やネットなんて便利な物は存在しない。今現在、本当に自分達の本隊が無事なのか確かめる術が無いのだから戸惑うのも仕方が無い。しかも、俺達の余りの少なさと、それに反比例した態度のデカさが信憑性を生む。
中途半端に考える頭があるものだから迷ってしまう。俺の言う事が真実でなければ、こんな態度は取れないのではないか。いや、数的不利を誤魔化す為にハッタリをかましているのではないか。しかし、この人数差で完全に事実無根なハッタリを言えるのか。可能性を考え出すとキリが無い。迷いは増える一方である。
俺の嘘という名の毒で敵リーダーは迷い、一時的に正常な思考能力は失われている。俺は次に火種と油を放り込む。
「さっさと降伏しろ。俺は忙しいんだよ。これから首謀者である三姉妹の処分に立ち会う予定だからな」
「まさか……あの方達をどうするつもりだっ!」
俺は怒声を上げる敵リーダーを見て確信する。これは完全にハマッたな。さり気なく首謀者が三姉妹だという恐らく官軍などには知られていない情報を入れ、嘘に信憑性を持たせる。本当は三姉妹を捕らえるどころか、まだ姿すら見ていないのだが、冷静さを失った相手にこのハッタリは有効だった。俺は一気に勝負へ出る。
「乱を起こした首謀者だぞ。処刑に決まっているだろ。それにしても処刑するには、おしいよな。長女の張角は胸もデカいし、妹達も可愛いしな。これは処刑する前に……いや、何でもないぞ」
何でもないと言いつつ、俺は何でもなくない顔する。出来るだけ嫌らしく笑みを浮かべる。遠いから実際に表情まで見えるとは思えないが、雰囲気くらいは伝わるだろう。
敵リーダーは言葉を失ったかの様に、しばらくの間沈黙していた。騒がしかった敵陣も静かになっていた。これは煽り足りなかったか? もう一言二言追加してやろうかと、新たな挑発の言葉をかんがえていると敵リーダーが怒声を上げてこちらへ馬を走らせ始めた。それに続くように敵陣からもワラワラと兵が現れ、こちらへ向かってくる。
「きさまァァアアアアアアッ!!! ぶち殺してやらあああ!!!」
「「ウォォオオオオオオオオオオオ」」
怒号と共に敵が迫ってくる。俺は慌てて馬を操り、華琳達の待ち伏せする方向へと急ぐ。
捕らえた捕虜の話と首謀者が若い女旅芸人という事実から、俺は三姉妹が【アイドル】的な扱いを受けていると予想した。アイドルの狂信者を挑発するには何が有効か? 古今東西、アイドルのご法度は性的なスキャンダルだ。偶像を汚された狂信者達は、我を忘れて襲い掛かってくるはず。そこでこの俺の策である。
鬼気迫る勢いで追って来る敵を尻目に、俺は馬を急かして逃げの一手である。しかし、悲しいかな付け焼刃の乗馬技術では、もたついてしまう。そこをスッと横に並んだ冬蘭が手助けしてくれる。俺の馬の手綱を横から持って巧みに操る。
「た、助かる。ありが……」
礼を言おうと冬蘭の方を見ると、彼女は俺をジトーっとした冷たい目で見ている。
「最低ですね……」
「うっ」
冬蘭の冷え切った声に俺は怯んでしまう。
やってしまったのか。俺はまた昔みたいにヘマをしたのか。確かに漫画やアニメのヒーローがやるような手ではないが、この位の挑発でも駄目なのか。卑怯だと、汚いとまた否定されるのか。また居場所を失ってしまうのか。トラウマを刺激され、体の芯まで一気に冷たくなるような思いをしている俺の横で、冬蘭はまだブツブツ何かを言っている。
「胸がデカいと処刑するのもおしいんですか。大きい事がそんなに偉いんですか……」
「そっちかよ」
体中に溜まった冷たい物と一緒に力まで抜けているような感覚。
「女の価値を胸の大きさでどうこう言うのは良くないです」
「いや、あれは挑発の為にだな……ご、ごめんなさい」
冬蘭の冷たい視線を受け、俺は謝るしかなかった。情けなく思うかもしれないが、謝罪と感謝をちゃんとしないと大変な事になる。具体的に言うと小町を怒らせて謝罪しなかった時、次の日から三日くらい口を利いてくれなかった。ちなみにその間、俺が声を発したのは授業で教師に当てられた時だけだった。謝罪大事、例え自分に非が無くても……泣いてない。俺は泣いていないぞ。これは心の汗だ。
自分達の倍以上いる敵が、怒り狂って追いかけて来る中、俺は全く関係の無い苦い記憶を思い出していた。気落ちしていても馬は走ってくれるし、速度が落ちたり方向が逸れそうになると冬蘭が手綱を取ってくれるから追い付かれたりはしない。感謝しないとな──────────そもそも気落ちしている原因はお前だけどな。
冬蘭「女の価値を胸の大きさでどうこう言うのは良くないです」
八幡「いや、あれは挑発の為にだな……」
冬蘭「華琳様に報告します」
八幡「止めロッテマリーンズ」
冬蘭「ふざけているんですか」ボコーッ
八幡「いや、千葉県民にとってマリーンズは特別な……」
読んでいただきありがとうございました。お待たせしてすみません。