俺達は現在、不穏な動きを見せる袁紹に対して先手を取るべく出兵準備を進めている。兵の招集編成や物資関連の指示は粗方出し終わっている。というか細かい実務は荀彧が担当している。必要な物資の具体的な数の計算とそれらの手配に関しては、俺より荀彧の方が優れている。むしろあんなの俺には無理。考えただけで頭がおかしくなる。正直兵站関連は俺みたいななんちゃって軍師には荷が重い。必要な物を必要な分、必要とされる時にその場所へ用意する。こういった言葉にすれば簡単そうだが、実際にやるとなると困難極まる。隣の街を攻める程度ならともかく、一日や二日で着くような距離に侵攻するわけではない。物資も一つの街で本隊全て賄える量を揃えられるわけではない。複数の街から集め、敵地へ送る。輸送の労力、時間、リスクと考えるべき要素は数多ある。
こーんな重要で困難な仕事は特別優秀な軍師でなくてはやれないよなあ。
前に華琳、俺、荀彧の三人での作戦会議中にそう独り言を俺が呟いたら、荀彧が「当然私がやるわ」と名乗り出た。ちょろい。
そして今日の俺と華琳は二人で華琳の執務室で話し合っていた。
「精鋭の五千人位ならすぐにでも出立出来るだけの準備は進んでいるんだが」
「少数精鋭による急襲は決まれば派手だけれど、いくら麗羽相手でもそう簡単にはいかないわ。規模だけは随分大きくなっているから、準備する時間を出来るだけ与えず、最速で本拠地まで攻め込んだとしても相当な兵数がいるでしょう」
「流石に厳しいか」
将は質と数どちらでも勝っていると思うが、兵数の差が大きすぎるとなると厳しいか。袁紹軍は流石にそこら辺の野盗とは練度と装備が違うしな。しかも敵地なので多くの面で相手に利がある。
「麗羽の兵力は分かっているの?」
「あちらさんも手に入れたばかりの領地にある程度兵を置いておく必要があるし、まあ出せて二、三万ってとこだろう。今すぐって話ならな」
袁紹は今や并州、幽州、青州まで勢力を伸ばしているとのこと。何処それって俺も最初思ったんだが北の方で、現代で言う所の……あっ、そもそも俺現代の中国の地名も北京とか有名な所しか知らないわ。まあ地図(董卓討伐の時に荀彧がかっぱらって来た)を使って華琳に説明してもらったので、現在地との位置関係は把握しているから問題ない。荀彧は大変なものを盗んできました。国の管理する地図や各地域の様々な情報が書かれた台帳です。やっぱ軍師という人種はロクな人間じゃあないな。
とにかく袁紹は急速に領地を拡げたから兵も分散しているはずだ。もちろん領地が拡がったのだから時間をかければ今まで以上の兵数を動員できるだろう。しかしつい最近まで戦っていた相手の領土なので、支配基盤がしっかりするまでそれなりの兵を配備しておかないとコントロールが効かなくなってしまう。旧公孫賛軍の敗残兵が野盗になっている可能性もある。手に入れたばかりの領地には番犬が必要だ。
「こちらはどうなの?」
「二万……経験の浅い兵達も全員連れて行くならもう五千くらいは出せるか。周りに攻めて来そうな勢力も無いし、各城の警備兵も半分ずつくらい集めればさらに」
「それは駄目よ。野心を持っていないように見えても、大きな隙を見せれば気も変わるというものよ」
「多少手薄にしても、うちに攻め込んで勝てるような陣営なんてそうは無いだろ」
近くで有力な陣営と言えば劉備くらいか。だが劉備の所は優秀な将と軍師が揃っているが、規模はまだ脅威と言えるレベルではない。それに食べ物で釣って友好関係を築いているから積極的に攻めては来ることはないだろう。無いと良いなあ。まあ糧食を差し入れた時に劉備軍の兵隊達は凄く喜び、それをきっかけにとても友好的な者達が増えているし大丈夫だよな。中には色々な情報を教えてくれる親切な者もいるので、不意打ちされる心配は少ないし。
あと陳留から見て南には劉表や袁術がいるが、そいつら同士が揉めているうえ、袁術の客将の孫策もどうやら袁術に対して含むところがあるらしく一枚岩ではない。孫策についてはほとんど面識が無いが、董卓討伐連合の自己紹介の際、ちょっと見ただけで袁術への忠誠心などこれっぽちも無いのは分かった。董卓討伐連合が解散した後、関係はさらに悪化し、孫策は袁術と袂を分かつような動きを見せている。つまり南の連中はこちらに構っている余裕は無いはずだ。
他に大きめの陣営は劉……ひょ? しょ? 劉璋だったか? 印象が薄くて記憶にほとんどない。
「私達から見ればね」
華琳の思わせぶりな言い方に、俺は首を傾げた。
「勝てるかも、少しくらいなら領地を切り取れるかも、そんな考えを持つ者もいるかもしれないわ。皆が皆私達程情報を集めている訳でも、軍略に明るい訳でもないわ」
「まあ人は自分の見たいものを見るしな」
「ふーん、言い得て妙ね」
感心する華琳。
まあありがちなフレーズだし。語源は知らん。
相手が自分より賢いんじゃないかという心配はするが、自分より阿呆過ぎて予想外の行動をするんじゃないかという心配は普段あまりしないな。これも油断につながるか。そういった可能性も頭に入れて置く必要はあるな。
「世の中には想像を絶するようなアホもいるからな」
「これから戦う麗羽とかね」
「確かに」
二人共くすりと笑ってしまう。共通の敵の悪口ほどすべらない話は無い。
気を取り直して作戦についての話へ戻す。
「じゃあ陳留の留守に誰を残す?」
春蘭姉妹など俺が関わりの多い将以外にも、華琳の下には何人も将はいる。しかし実力を含めた信頼度に大きな差がある。隙を見せないようにするなら、信頼度が高く対外的にも名がある程度通った者に留守を任せたい。
「夏蘭にするつもりよ。貴方に付けることが多いけれど、今回はこちらを任せようと思うわ」
「夏蘭か」
夏蘭、曹仁は戦闘力がトップクラスなうえ、曹一族の人間で華琳の身内である。まさに条件を満たしている。脳筋のきらいがあるのは少し心配だが、補助を付ければ問題ないだろう。ちなみにこれが春蘭だと華琳以外の言葉では止まらない場合があるので、補助が意味をなさない可能性がある。
「適任だな」
俺達の話し合いが一段落した時、ちょうど部屋の外から声がかかった。この声は荀彧か。
「華琳様、急ぎの報告があります」
「入りなさい」
華琳が応えるとすぐに荀彧が入って来た。荀彧は俺の顔をチラッと見て一つ舌打ちをし、その後華琳の傍まで進んだ。
今の舌打ち必要だった? ただここまでハッキリしているといっそ清々しいな。それに仕事の話は普通にするし、陰で足を引っ張ったりすることもないからコイツのこういった態度も俺は割り切って考えている。クレイジーサイコレズが男に舌打ちするのなんて挨拶みたいなもんだろ。
「袁紹が軍を率いて動き出しました。兵数は約三万です」
執務室を沈黙が支配する。少しして華琳が俺に問うような目を向けて来た。
「公孫賛との戦いが終わって間もないし、軍備を整えている段階だったはずだ」
「私が得ている情報でも装備や糧食をまだ集めている途上のはずよ……ただ」
俺に荀彧も同意したが、そこには続きがあった。
「袁紹だから自軍の状態をちゃんと把握しているかすら怪しいでしょう?」
あぁ。ついさっき阿呆過ぎて予想外の行動する奴がいるかもしれないから、そこも気を付けなければいけないと考えていたところだったんだが。今か。
「いやしかし途中で糧食とか足りなくなったりするんじゃないか?」
「自領の通り道周辺の街や村に出させるでしょ。それに華琳様の領地に入ってしまえば、もっと無茶もするでしょうし」
「急に大量の糧食を出させたら民の生活が成り立たなくなるだろ」
「袁紹がそんなこと気にすると思う?」
すごい説得力。連合軍の時も立場の弱い劉備に無茶振りしてたからなあ。参加した軍の中でも兵数の少ない劉備に偵察ついでに汜水関を落とせとか言ってたし。
「流石に餓死者が出ない程度には軍師が後で他所から補填するでしょうけど、、少しの間民が飢えるくらい袁紹自身は意識すらしないわよ」
荀彧の辛辣な袁紹評に対して俺と華琳から反論が出る事はなかった。
華琳は大きく溜息を吐き出した。それは袁紹に対する呆れか、予想出来なかった自身への自嘲か。
「仕方ないわね。迎撃はどうなるかしら」
「袁紹軍と対等に近い兵数を揃えてからの出立では州境は越えられます。いくつかの砦や街は一時的におさえられるかと」
「じゃあ少数精鋭を先行させて時間稼ぎしたらどうだ?」
華琳の質問に荀彧はよどみなく答えた。ただその内容はあまり良い知らせではなかった。
難しいとは思うが時間稼ぎを提案してみたら、荀彧は少しだけ考える様子を見せる。
「出来ないとは言わないけれど、各個撃破の危険性があるでしょ。兵数をあちらと同等にすること自体かなり無理しなくちゃいけないのに、兵力を分散するなんて……私だって華琳様の領地で袁紹に好き勝手されるのなんて腸が煮えくりかえ」
最初は普通に見えた荀彧だったが、どんどん熱くなっていく。その様子は完全に触るな危険状態だったので俺は大人しく見守るにとどめた。
先手を取られたのは痛いな。こんな事にならないように準備していたんだが、袁紹の阿呆が原因で予定を台無しにされるとは。頭を抱えたくなる。
それに伴い対応が難しくなった。自領に入り込まれるのは今の荀彧のように精神的なストレスを受けるだけでなく、戦禍がそのまま自領に降りかかることを意味している。街を焼かれたら補修しなければならないし、農村を荒らされたら支援せざるをえない。放っておいて離散されればそのままこちらにとっては国力低下につながる。
心配しなくてはいけないのは拠点を取られる事だけではない。戦っている場所付近の経済活動は当然平時のように上手く回らない。まあ逆に物を高く売りつけられる、もしくは買い叩けるチャンスだと見る山師もいるかもしれないが統治側からすれば良い事なんて無い。
華琳は気持ちを切り替えるように拳を軽く執務机に置く。トンッという音に荀彧の独白は止まり、自然に荀彧と俺の視線が華琳へ集まる。
「こうなってしまったら正攻法しかないわね。小細工をしてもあの子は派手好きだから少数の敵との戦いを面倒がって付き合わずに、ここへ一直線で侵攻してくる可能性すらあるわ」
「下手な事をしても逆に読めなくなるか。これだから派手好きの阿呆は……ん?」
袁紹は派手好きで想像を絶するレベルの阿呆だから常識が通じず、今回は予想外の事態になってしまった。だが逆に考えることも出来るんじゃないか。常識外れの策で対応しちまえば良いやって。普通の相手なら通用しないような手でも袁紹相手なら効くんじゃないか。
「何か面白いことを思いついたのかしら?」
華琳はむしろ彼女の方が何か面白いイタズラでも思い付いた様な笑みを俺に向ける。
別に袁紹に対する悪質な嫌がらせを思いついたわけじゃないから、そんな顔しても無駄だぞ。俺くらい善良な人間になると嫌がらせとか、そんなもん思いつかないから。思い付いたのは、もっと華琳が普段言っている王道的な手だ。
「袁紹に決戦の場所と日時を書いた果たし状を送ろう」
「「はあッ~!!!?」」
華琳と荀彧の驚きがシンクロして部屋に響く。
八幡「やっぱ軍師という人種はロクな人間じゃあないな」
荀彧「アンタ頭に何か刺さってるわよ」
実は私、「阿呆」の語源を劉備の息子の阿斗だと思っていました。でも信憑性の薄い説らしいですね。びっくり。