絶対零度のお嬢様が往く   作:みか

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シエル視点です。大分間が空いてしまったので、前話から読んでいただけると内容がわかりやすいかと思います。



第22話 直覚

血の雨が降る。

惨劇の場において、古来より極東にはそんな言葉が伝わっているらしい。

 

しかし、実際にそれを目の当たりにした人間はどれほどいるのだろうか。

 

 

 

私は神機兵の陰にうずくまっていた。呆れてしまうほど早鐘を打つ自分の鼓動を別にすれば、聴こえてくるのは雨音と、それに溶けるような呻り声だけ。

 

「すぐ行くから待ってて」

 

 

副隊長、彼女は不思議な人だ。

寡黙で表情はあまり見せず、一人の時は静かに本を読んでいる。

読書に夢中になるあまり食事を忘れたりすることもあるらしく、ギルにたしなめられていた。

だからといって常に一人というわけではなく、ナナやロミオの訓練に付き合ったり、ラケル先生の車椅子を押しながら庭園を散歩していたり、着ぐるみを着た人とジュースを飲んでいたりする。

 

あまり人と関わったことのない私には、彼女がどのような人間なのかわからない。

不思議と人を寄せ付ける人。

ただ、そう思う。

 

 

 

 

シエル。

 

そう私を呼ぶ声が聴こえた気がして顔を上げた。

 

「シエル、平気?」

 

ほんの少し眼を細めたいつもの微笑みがそこにある――

 

もちろんそんなことはなくて、見えるのは線状に降り注ぐ血の雨と、不気味に光る鉛色の巨体だった。

 

「……ボルグ・カムラン」

 

立ち上がり、アラガミに銃口を合わせる。

 

 

 

……撃てない。

凍り付いたように指先は動かず、かわりに歯がかちかちと音を立てる。

 

アラガミはゆっくりと近づいてくる。

心臓が狂ったように収縮し、必死で脳に酸素を送り込もうとしている。

 

べしゃん。

 

アラガミが水たまりを踏んだ音に私の身体は過剰に反応して、引き金にかかった指を夢中で動かした。

 

解き放たれた弾丸は銃口の指し示す方へまっすぐ飛んでいき、

 

……そして、エリアの端にある土壁にめり込んで止まった。

 

 

当然だ。だって私の腕はこんなに震えて……

 

 

 

 

 

 

 

地面が強く押し縮められ、鉄骨が軋むような鈍い音が響いた。

 

 

いつまでも訪れない衝撃。

 

恐る恐る開いた私の目に飛び込んだのは、降りしきる血に染まった神機兵。

ボルグカムランの巨大な尾針を頭上に掲げた神機で受け、押し留めていた。

 

「副隊長!?」

 

神機兵は私の呼びかけに答えるように、一度ちらりとこちらをうかがうと、両腕の関節部が上げる悲鳴にも構わず、針を押し戻した。

わずかに体勢を崩したアラガミに肉薄し、上段から大きく神機を振るう。

 

刀身は掲げられた盾の表面を削り、アラガミの首に浅く突き刺さる。

 

血が勢いよく噴き出し、刀身と神機兵を更に紅く染めた。

 

悲鳴と共に振るわれた盾腕は、神機を引き抜き、身を退いて躱す。

 

神機兵はベクトルを完全に無視した動きでアラガミに急接近すると、胴体部、脚部、腕部と無差別でありながらも効果的に攻撃を仕掛けていく。

 

アラガミはその動きに対応しきれず、時間が過ぎるにしたがって、どんどんと傷を増やしていった。

 

 

「……凄い」

 

速さの桁が違いすぎる。

 

私は目の前で行われる戦闘に目を奪われるばかりだった。

 

躱し、打つ。受け流し、斬る。受け止め、突き、抉る。

 

試験運用の時とは比較にならない。

体躯で劣る神機兵が大型アラガミを完全に圧倒している。

これが神機兵本来の実力であり、性能であり、可能性なのだ。

 

しかし……

 

 

間断なく攻撃を続けていた神機兵が突如として飛びのき、口元を拭う動作を取る。

 

 

「副隊長!」

 

 

神機兵は機を逃すまいとすかさず飛びかかるボルグカムランを軽くいなし、遠心力を使って逆に左盾を叩き割った。

そして刀身を素早く引き戻し、腰を屈めて突きの構えを取る。

 

 

「ブラッドアーツ!?」

 

数瞬の溜めののちに放たれた鋭い突きは、軌道上にあった右盾を腕ごと吹き飛ばし、アラガミの頭部に深々と突き刺さった。

 

断末魔の叫びが木霊する。

 

 

「なっ……」

 

直後、叩き割られたはずの左腕が鋭く動いた。真横からすくい上げるようにして、結合の崩れた盾を振るう。

 

止めを刺すため大きく踏み込んでいた神機兵は当然避けられない。

 

「ナツキさんっ!」

 

未だやまない雨音をかき消し、ぶちんっという嫌な音が耳に届いた。

 

ばしゃり、と神機兵の一部が血だまりに落下する。

 

 

 

 

驚異的な反応速度で上体をそらした神機兵は、致命的な一撃をなんとか避けることに成功した。

……しかし、唯一の攻撃手段である神機と右腕を失ってしまった。

 

後退し、距離を取ろうとする神機兵だったが、腕を失ったせいか全身が細かく痙攣を始め、やがて倒れ込んだ。

 

 

……左脚が機能を失っている。

残った左手と右脚で必死に体勢を立て直そうと試みているが結果は芳しくない。

 

アラガミは満身創痍ながらも未だ行動可能。

 

「どうすればっ」

 

援護をしなければと思うが、もう弾は無い。

神機をブレードフォームに変え、飛び出すべきか!?

 

私が一瞬迷った隙に、アラガミは行動を開始していた。

 

 

左しかない腕を前方に構え、突進の体勢を取る。

神機兵はまだ動けない。

 

……今から出ても、あの突進は止められない。

 

 

 

全てがスローモーションに感じられ、

 

「……あ」

 

 

時が、止まる。

 

 

 

私の中で、何かが弾けた。

 

 

 

頭に上っていた血が、すっと逆流する。

脳は冷え切り、

赤く染められた雨粒の一つ一つがはっきり見えるほど視界がクリアになり、

 

「任務、了解」

 

私の取るべき行動がはっきりと理解できた。

バックパックを引き裂き、底に詰められていた予備のOアンプルの容器を引きちぎり、一息で中身を飲み下す。

 

同時に片腕で神機を水平に構え、

 

「そこ」

 

引き金を引く。

 

制御に一切の問題は存在しない。吐き出された弾丸は秒速894・45メートルで飛び、本来ならば右盾のあった空間を通ってアラガミの口内に到達。即座に爆発する。

 

ぐらりと体勢を崩すアラガミ。

すかさずバランサーを調節した神機兵が右足のみで猛然と起き上がり、左腕を伸ばす。

 

目標はアラガミの頭部に突き刺さったままの神機。

 

もたれかかるようにして柄を握り、全重量を込めて斬り下ろす。

 

私はその間に発射角度を調整し、両断されつつあるアラガミからわずかに覗くコアを撃ち抜いた。

 

全ては一瞬の出来事。

 

断末魔の声も聞こえない。

 

「任務完了」

 

 

 

アラガミは静かに眠りについた。

 

 

 

 

 

~~~~

 

 

神機で身体を支え、何度も崩れ落ちそうになりながら、神機兵は私の元までやってきた。

 

 

コックピットが音を立てて開く。

 

「シエル、平気!?」

 

ナツキさんは自身が血まみれだというのに、開口一番、そんなことを口走った。

 

「私より自分の心配をしてください」

 

あれだけ無茶な動きを連発していたというのに、彼女は肌着しか身に着けていない。

つまり、ショックを吸収してくれるようなものが何もなかったということだ。

 

「あー、私なら平気……」

 

「失礼します」

 

なおも何か言おうとしたナツキさんを遮り、体の状態を確認する。

 

無数の打ち身、それに伴う鬱血、いくつかの内臓器の損傷。

 

致命的ではないが、決して楽観視できるものではない。

直ちにフライアにて治療を行う必要がある。

 

「……回復錠です」

「あ、あのシエル?」

 

有無を言わせず口に押し込む。

 

「むぐっ」

 

「回復錠です」

 

「あ、あの……」

 

「回復錠です」

 

「……はい」

 

 

~~

 

 

手持ちの回復錠を全て使い切った後、私はナツキさんを問い詰めた。

 

「副隊長、あなたは自分がどんなに危険なことをしたか理解できていますか」

 

「えっと……」

 

「部隊員一人のために、指揮官が犠牲になってどうするんですか」

 

「あ、いや、それは……」

 

「副隊長は…………あなたは……本物の馬鹿です」

 

「泣かないで、シエル」

 

「……馬鹿です」

 

「うん」

 

 

「一歩間違えば……」

 

「死んで……」

 

「うん」

 

「死んでいたかもしれないんですよ」

 

「うん」

 

 

生返事。

 

 

「っ、本当に、自分が何をしていたのかわかって……」

 

 

 

「うん。いいよ」

 

血にまみれた彼女は、

 

 

「シエルのためなら」

 

そう、いつものように微笑んだ。

 

 




どの台詞から抱きついたかはご想像にお任せします。(投げやり)

どうしてこうなった、なんて聞かないでください。
何度書き直してもこうなるので仕方がなかったんです。

ああ、ラケルートを目指していたはずがシエルートに入ってしまう……
ギルートは没。エミールートも没。ハルートはガンダム。
エミール「そうかそうか、つまり君はそういうやつなんだな」

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