カンピオーネ!Also sprach Zarathustra 作:めんどくさがりや
夜ーーー
闇と月と星々が天を覆う時間。女神アテナがこよなく愛する時間だ。
しかし、今世の夜は明るすぎる。
人工の光が街を埋め尽くし、天の星々すらも地上まで届かない。
しかし、それもせんなきことだ。
何故なら人は闇を忌み嫌う。これは太古からそうであった。
偽りの光の中を、アテナは歩いていく。
その歩みはゆったりとしたものだが、その実、人間ではありえないほど速い。
アテナが目指すは懐かしきゴルゴネイオンの気配。
路を進むアテナは、蛇の気配が強まっていくのを感じた。
頰は自然と緩み、唇が微笑の形を作る。
もうすぐだ。もうすぐ自分は真なる己を手に入れる。
ふとアテナは、先刻の一幕を思い出した。
ーーーさて、彼奴はあの後どうなったものか?
死の言霊を吹き込んだが、大人しく死んでくれただろうか。
あるいは、死を克服して再び障害として立ちはだかるだろうか。
それもまた是なり。
その時は、再び武勇を以って打ち砕く。ただそれのみ。
されど、無視出来ぬ問題もまた一つ残っていた。
アテナは先刻の事を思い出す。偵察の為放った配下たるフクロウが、何者かに潰された。
誰が、などという愚問は考えるまでもない。即ち、
顔も知らず、姿すらも視界に収めたこともない。しかし、その者が神殺しである事は確信出来る。
アテナたる我が身の配下を潰すなどという愚者は、神殺し以外に存在しない。
願わくば、その者とも相対してみたくはある。何故ならこの地に降り立った頃から、ゴルゴネイオンとは別に蛇の気配を感じるのだ。
もしや、その神殺しが殺めた存在が蛇に連なる者かもしれぬ。
ーーー少し、遊んでみるか。
興が乗ったアテナは今まで隠していた己の本質を解き放った。
すると彼女の一挙一動によって街から灯りが消えていく。
夜道を照らす街灯が。オフィスの中の蛍光灯が。
人家、雑居ビル、商店、飲み屋、ネオン、自動車のヘッドライト、果ては懐中電灯にちっぽけな豆電球に至るまで。
あらゆる光が消失していく。
代わりに街を満たすのは闇の世界。数メートル先のものさえ見通せぬ夜の深淵。
そしてそれに人々は混乱する。本能がもたらす恐怖に焦燥し、困惑し、怒り、怯え、不安に打ち震えた。
これぞ正しき夜の在り方。
人々の負の想念を感じてアテナは満足した。しかし、まだ足りぬ。
「アテナの真名において命ずる。闇よ来たれ、陽の恵みを追い散らせ。プロメテウスの火をかき消すがいい。天の星々と黒き風よ、古の夜を顕しせしめよ」
言霊を口ずさみながらアテナは歩む。
闇の帳を広げた以上、望みはゴルゴネイオンのみ。
まつろわぬアテナは、大地と闇に属する者。
夜の世界を蘇らせた今、あと必要なものはむせかえるような土の香り、即ち豊穣の命。
さあ、蛇の元へ行こう。確固たる己を取り戻すため。
さあ、蛇の元へ行こう。忌まわしき恥辱を清算するため。
さあ、蛇の元へ行こう。かつての栄光を手にするため。
さあ、さあ、さあ、さあッーーー
「我が求むるはゴルゴネイオン‼︎今宵アテナは、古の《蛇》を奪還せん‼︎」
アテナの言霊が響くたび、虚空よりフクロウが湧き出してくる。
フクロウ達が飛翔するなか、アテナはひたひたと歩み続ける。
ただひたすら、ゴルゴネイオンの気配を辿って。
◆
「ん……」
自室にて、読書に勤しんでいた蓮は、ふと顔を上げる。
そして何を感じたのか、唐突に立ち上がるとベランダの方へと向かっていき外に目を向ける。
蓮の眼前には夜の街並みが広がっている。気にすべき事柄など何もーーー
いや、待て。何かがおかしい。蓮の常人とは比べ物にならないほどの視力が、違和感の正体を見つけた。
「停電か?いや、それにしては不自然な……」
光が消えていき、闇が範囲を広げていく。まるで、水を黒く濁らせる墨のようだ。
「どうしたものか……」
すると、机の上に置いてあったスマホが着信音を響かせる。
番号を見ると、全く覚えのないものであった。疑問に思いながらも電話に出る。
「はい、どちらさん?」
電話に出ると向こうも応える。
『もしもし、真奈瀬さんですか?』
「は?万里谷?」
電話の相手は、友人である万里谷 祐理であった。
◆
七雄神社の境内にて、祐理は通話を切ると息を吐く。
先ほどまで話していた相手は、草薙護堂と呼ばれる少年。されどただの少年ではない。軍神ウルスラグナを倒し、その権能を簒奪せしめた七人目のカンピオーネであるのだ。
そして、祐理が王より頼まれたのは端的に言えば囮だ。
かの女神が求める神具、ゴルゴネイオンを持ってアテナをおびき寄せる。
危険ではあるが、自分がやらなくてはならないのだ。
気づけば、いつの間にか神職達と二十代後半の青年、甘粕冬馬が寄ってきていた。
彼らに向けて、祐理は淡々と答える。
「草薙さんは権能を使ってこちらへ戻るそうです。私はその手引きをします。でも、この辺りへアテナを呼び寄せるわけにもいきません」
だから、もっと人の少ない場所に移動しないとーーー
「皆さん、後のことをお願いできますか」
祐理は、媛巫女の威厳を込めて命じる。神職達は、祐理の強い視線を受けて黙り込んだ。
「危険です。アテナをおびき出すのなら私が」
甘粕が口を挟むが、祐理はそれを自分のすべきことだと断わる。
それに相手がアテナなら、何人いても同じこと。単独行動の方が、余計な犠牲を出さずに済む。
無論、自分も死ぬつもりは毛頭ないが、もしかしたらというのもある。例えば、死なずとも精神が崩壊するやもしれぬ。まつろわぬ神と相対するのはそういうことなのだ。
ふと、とある人物の顔が思い浮かぶ。何故この瞬間に思い浮かんだかはわからない。もしかしたら、自分は心の何処かで死を受け入れているのかもしれない。まあそれはどうだっていい。
彼は自分が媛巫女であることを知らない。ゆえに関わらせるわけにもいかない。しかし、警告はしておくに越さないだろう。
祐理は甘粕にもう少し携帯を貸してもらうよう願い、とある人物に電話をかける。
数回のコール音の後、相手が電話に出る。
『はい、どちらさん?』
彼の変わらない様子に安堵する。もし、彼が外に出ていたらどうなっていたか。
「もしもし、真奈瀬さんですか?」
『は?万里谷?』
祐理は、友人に警告をすべく言葉を紡ぐ。
◆
突然の電話に戸惑いつつ蓮は喋りだす。
「どうしたんだよこんな時間に。てかお前、携帯持ってないんじゃなかったか?」
『いえ、これは知人から借り受けたものです。私のではありません』
知人から、という言葉に眉をひそめる。
「お前今どこにいるんだ?まさか夜遊びだなんてバカなこと言わねえだろうな」
『そんわけないじゃないですか』
向こうから呆れたような声音で言われる。
『それで、真奈瀬さんは今どこに?』
「どこって、普通に家だけど」
そう言うと向こうから安堵の息が漏れていた。
『それは何よりです。では真奈瀬さん、これから何があろうと絶対に外に出ないでください』
「は?いきなり何言って……てかお前どこいんだ?」
蓮の耳に祐理の声の他に風の音や木々のざわめきが聞こえる。明らかに家ではない。家以外で彼女が外にいるとしたらその場所はーーー
「お前まさか、神社にいんのか?」
『…………』
祐理は答えないが、蓮はなおも言葉を紡ぐ。
「巫女の仕事、にしては遅すぎねえか?一体何やってんだよ」
『……すみませんが、それを言うことはできません』
数秒の沈黙の後、祐理はただそれだけを言う。
『とにかく、絶対に外には出ないでください。では』
それだけ言うと、通話が切れた。
「あ、おい⁉︎……ったく、一体なんだってーーー」
瞬間、部屋の電気が消えた。それと同時に、首筋の斬首痕に疼きが走る。つまり、この停電は超常的な存在が関わっていること。
「…………」
蓮は先ほどの事を考える。
祐理は何故この時間帯に神社にいるのか。そしてこの停電、いくらなんでもタイミングが良すぎる。昨日、彼女が羅刹の君に出会ったという、さらに、この地に降り立ったまつろわぬ神。
これらを考慮すると、即ちーーー
「そういうことかよ……」
そうか、そうだったのか。ならば自分のすべきことなどただ一つ。
蓮はベランダに出ると、辺りを見渡す。周囲は完全な闇に包まれている。
しかしこんなもの、自分にとっては無意味でしかない。
人の視界に映らぬなら、
「ーーーー」
意識を集中する。目を開き、肌で感じ、古い目玉は抉って捨てろ。
すると蓮の瞳が翠の輝きを放つ。それと同時に蓮の視界に強大な呪力が映る。おそらく、あそこにまつろわぬ神がいるのだろう。
蓮はベランダに足をかけると、凄まじい勢いで跳躍した。そのまま何処かの民家の屋根の上に着地し、人ではありえない程のスピードで駆け抜けた。
目指すは、あの呪力の元。
◆
闇に閉ざされた市街を、祐理は早足で進む。
闇に閉ざされた街に偽りの光は存在せず、頼りにできるのは月と星々。
周囲を歩く人は一人もいない。
もともと深夜のオフィス街であるのだから、夜更けともなれば昼間と比べれば人の数は少なくなる。
それでも、これほどまでの無人になるなどありえない。
ではどこにいるのか?言うまでもない。皆、家や勤め先に閉じこもり、朝を待っているのだ。
光を一切使えぬ状況で外を徘徊するのは、自分くらいなのだろう。
よく知るはずの街であるのに、自分がどの辺りを歩いているのかわからない。とにかく少しでも人が少ない場所を歩いているだけなのだから。
手に持つ包みのなかにはゴルゴネイオンが入っている。
これを持っているということは常にアテナの標的とされることと同義である。
せめて、神と神殺しの対決を、少しでも被害の少なくなる場所でと、そう思いながら歩を進めていると。
「見知らぬ神に仕える巫女よ。そなたの持つ蛇の印を渡して貰いたい」
静寂に包まれた夜に響き渡る涼やかな声。
「妾はアテナ。ゼウスの娘にして、そこを越えし者。そなたの手より《蛇》を強奪する者でもある。異邦の神に属する者への非礼を、まずは詫びておこう」
振り返ると、そこにいたのは月明かりに照らされた処女神がいた。その視線は、ただ祐理の持つゴルゴネイオンを映していた。
「古の《蛇》ーーーようやく、ようやく見つけた。これで妾はかつてのアテナへ、まつろわぬアテナへと回帰する」
アテナは笑みすら浮かべて喜悦の表情になる。
「巫女よ、後代まで語り継ぐといい。三位一体の女王が蘇り、再臨した一幕を」
アテナは掌を前へ差し出す。それだけで、ゴルゴネイオンがアテナの元へ飛んでいった。
「これこそ、古の《蛇》。ついに妾は過去を取り戻した」
蛇を取り戻したアテナは、天に向けて高らかに謡う。
「妾は謡おう、三位一体を為す女神の歌を。天と地と闇を 繋ぐ、輪廻の知恵を。
妾は謡おう、貶められた女神の唄を。忌むべき蛇として討たれた女王の嘆きを。
妾は謡おう、引き裂かれた女神の詩を。至高の父に陵辱された慈母の屈辱を」
朗々と言霊が紡ぎ出される。歌うように、祈るように、讃えるように。
「我が名はアテナ。ゼウスの娘にしてアテナイの守護者、永遠の処女。
されど、かつては命育む地の太母なり‼︎かつては闇を束ねし冥府の主なり‼︎かつては天の叡智を知る女王なり‼︎ここに誓う、アテナは再び古きアテナとならん‼︎」
アテナの姿が変わる。
背が伸び、すっきりと手足も伸びきり、面差しから幼さが消え、可憐な少女の姿から端麗な乙女へ。着衣も現代のものから古風な白い長衣となっていた。
女神の姿を間近に直視して、祐理の霊感はその本質を理解した。
ここにいるのは、大いなる地母の末裔。
ここにいるのは、死と闇を従える暗黒の支配者。
ここにいるのは、天と地と闇を統べた落魄せし女王。
「まつろわぬ……アテナ……‼︎」
ついに、三位一体の女王が再臨した。それと同時に冥府の冷気が辺りに撒き散らされる。
その影響で体が震え、体温が下がる。しかし、それでも抗わなければならない。
「お戯れはおやめ下さい‼︎御身にはまだまだ戦うべき相手が、神を殺める羅刹の化身ーー草薙護堂がおります‼︎」
死の息吹を浴びているというのに、なおも立ち続ける祐理に、アテナは感心するように言う。
「ほう、人の身でありながらなおも立ち上がるか。その気概は賞賛に値するがね。しかし、死の息吹を浴びたのはそなただけではない。先ほど、草薙護堂めにも吹き込んでやった。彼奴が死の淵から蘇り、再び妾の前に立つというのであれば、そなたの願いを聞き届けてやっても構わぬがな。いや、あるいはーーー」
そこまで言いかけて、アテナは口をつぐむ。ここで言うは無粋だと判断したからだ。
「……いや、今のは甘言と切り捨てろ。さあ巫女よ、彼奴が生きているというのなら、証明してみせよ」
「御身が言うまでもなく、あの方はここに来ます‼︎」
全ての迷いを振り捨てて、祐理は精一杯の大事で叫ぶ。
「草薙さん‼︎私とアテナはここにいます‼︎早く来て‼︎草薙さん‼︎ーーー草薙護堂‼︎」
瞬間、風が吹いた。
最初は弱く、しかし段々と強くなり、やがて渦巻く強風となる。
それを見てアテナは哄笑する。
「生きていた、いや、蘇ったか‼︎見事だ、草薙護堂‼︎それでこそ我らが仇敵‼︎魔王の忌み名を持つ者よ‼︎」
渦巻く風の中心、そこにいたのは間違いなく草薙護堂であった。
◆
護堂がその場に来る事は出来たが、状況は決して良いものとは言えなかった。
アテナは完全な復活を果たし、祐理はその身に死の風を浴びた。このまま放置すればやがては死に至るという。
護堂は背後に控える金髪の少女ーーーエリカに問う。
「……エリカ、お前に治せるか?これ」
しかし、エリカは首を横に振る。
「……無理ね、私はそこまで万能じゃないわよ」
その言葉に護堂は歯噛みする。一体どうすればーーー
そこでエリカがすぐさま答えを返す。
「護堂、《剣》を使いなさい。あれならアテナの呪縛を切り裂けるはずだから」
その言葉に護堂は納得する。たしかにあの《剣》ならば死の風をも切り裂けるだろう。
すぐさま護堂は聖句を唱える。
「我は言霊の技を以て、世に義を顕す。これらの言霊は強力にして雄弁なり。強力にして勝利をもたらし、強力にして癒しをもたらす」
護堂は黄金の剣を振るい、祐理を蝕むアテナの神力を断ち切ると、彼女を睨みながら言う。
「なあ、最後にもう一度だけ確認するぞ。俺は貴女が何もしないで帰るのなら、見逃してやろうと思ってるんだ。どうだ、そのつもりはあるか?」
そう言うが、アテナは拗ねた子供のように言ってみせた。
「そのような興ないことを申すな。妾は古き三位一体を取り戻したばかりでな、少し遊んでみたいのだよ」
その言葉に護堂は怒りを露にする。
ーーーそこまで人間を無視するか。
肚を固め、前に出ようとする。
「待ちなさい、護堂」
しかし、それをエリカに止められる。そちらを向くと、エリカは後方に鋭い視線を向けていた。
「何かが、来る」
瞬間、風切り音と共に何かが護堂らの横を通り抜け、アテナに向かう。
アテナはすぐさま黒き鎌を取り出し、それで受け止めると、金属を打ち付けたような音が響く。
「不可視の、斬撃?」
護堂がそう呟いた瞬間、斬撃の後に続くように、何者かが頭上を跳躍するのが見えた。
そしてその者はアテナの元まで跳ぶと、ためらいなく蹴りを放つ。
ドゴォ‼︎
凄まじい殴打音と共に、アテナが十メートル程飛ばされる。
「ぐっ、妾が足蹴にされるだと……⁉︎」
その者は、護堂らとアテナの中間地点に着地すると、ちらりとこちらを一瞥する。
紺に近い艶やかな黒髪に翠の光を放つ瞳に中性的な顔立ちで、首に白いマフラーを巻いている。誰だ?何処かで見たことがあるような……
「な、なんで……あなたが……」
訝しんでいると、祐理が信じられないといった表情をしている。
「何者だ‼︎」
アテナが問うと、その者は凄まじい眼光で睨みつけて、低い声音で言う。
「なに俺の
ヒーローは遅れてやってくる。てなわけで蓮タンの登場です。最後のセリフは、マリィルートでのセリフをもじってみました。