霧雨魔梨沙の幻想郷   作:茶蕎麦

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第二十三話

 

 

 

「あー。駄目ね。本気になって私の真似事を始めたのは面白いけれど、その前に萃香のあんなに雑な攻撃をグレイズさせるなんて、魔梨沙らしくない」

「あら、身体に掠めることすらいけないなんて、厳しいお師匠様ね」

「当たり前よ。あれでも魔梨沙は人の子。霊力魔力妖力根本は同じといえども、妖かしの力に触れて好影響があろうはずもない。だから、空を飛ぶときによくよく教えこんだのよ。一度全てから浮くのなら影響を受けないくらい全てから離れることだ、って」

「あらあら。博麗の飛行術の根幹の教えすら持ち出すなんて、よっぽどね。先の言葉も過保護故の厳しさだったというのなら、納得できるかしら。ねえ、霊夢?」

 

 幻想郷中の妖怪が天の月が砕けた影響を大なり小なり受ける中、どっしりと構えてスキマから戦いを鑑賞しているのは、青い衣服に黄色い太陽の柄が目立つ三角帽を被った魅魔に、中華の意匠が凝らされた紫色のドレスに身を包んだ八雲紫。

 大亡霊に大妖怪は、何事かと宴会予定場から出てくる妖怪たちを尻目に、会話を続けている。その際に、水を向けられた先の霊夢は、下がった頭だけ上がった紅いリボンを目立たせ、半ば俯いていた。

 

「っ、納得できるわけないじゃない。親代わりなんでしょ、魅魔は。あの一発だけで、魔梨沙がどれだけ傷ついたか判らないわけでもないのに……」

「頭の怪我は派手に見えるけれども、後に残るような傷もなく骨の一本も折れていない。五体満足充分よ。後は意識の線さえ凝らせば、立派に戦えるだろうね」

「なら、魔梨沙が戦えなくなったらどうするのよ」

「私が代わりに萃香の相手をするよ。霊夢、あんたが魔梨沙と同じように萃香と喧嘩出来るっていうのなら別だけれどね」

「それは、無理、ね……」

 

 霊夢は苦虫を噛み潰したかのような表情をしながら、噛みしめるようにして言う。そう、霊夢が真っ直ぐ魔梨沙の傷ついた姿を見ることが出来ないのは、無力感によるものである。

 スキマの入り口に勇んで飛び込んでいっても、それは果たして死に行こうとするようなものだ。今【現在】の博麗霊夢は、殴りかかってくる鬼を抑える術を持っていない。

 かといって、回避の技量も足りてはいなかった。そもそも接近戦で全てを避けることの出来る魔梨沙が異常なのだ。

 命をかけるような無理は絶対にしないとの魔梨沙とした約束が脳裏をよぎる。相手が軽々と破っているだけ、自分はそれを大事にしなければという気持ちがあった。

 空を飛べても、星は遠い。その能力によって異変がそれらしい形を持つことを抑えられているのを知らずに、霊夢の内心は臍を噛むような気持ちで一杯であった。

 

「はぁ、なによ、コレ……魔梨沙が、魔梨沙が、傷ついているじゃない!」

「アリス」

 

 そうして、立ち上がることの出来なかった霊夢と対照的に、砕月に嫌な予感を感じて絡んでいた妖夢を放って駆けてきたアリスは、棒立ちのままスキマの前にてその顔を真っ直ぐ向けて、思い切り歪める。

 次に、アリスは迷うことなくその手を伸ばした。

 

「あの小鬼……許さないっ!」

 

 現実を噛み締めた霊夢と違って、アリスは目の前の現実を認めない。魔梨沙が傷つきながらも弾幕ごっこという名の格闘を楽しんでいる様子が、彼女の眼の奥では怒りと赤髪に流れる血の赤で染まっている。

 魔梨沙が傷つけられたと、そればかりが目に入って他のすべての情報は些事と消えた。地力を上げるためになるべく頼らないでおこうとしていた究極の魔導書の封印解除すら、簡単なもの。

 あの頃と違って、もう詠唱は必要ない。グリモワールによって底上げされた力の奔流によって風が起き、やがてその全ては纏まりアリスが伸ばした手の先へと集まっていく。

 弾幕はブレインと主張する何時もの姿はどこへやら。ただ力任せに無理やり集めた魔力はあっという間に魔導書によって変換され大妖怪すら消し飛ばさんという程のものへと変貌した。

 

「あら。流石にそれを通すわけにはいかないわね」

「なっ!」

 

 勿論、そんな威力の魔弾は、弾幕ごっこでは認められない。目標を映していたスキマは閉じて、アリスは矛先を見失う。これでは、魔梨沙を傷めつけた相手を誅せないと、彼女は力を緩めず七色が眩しい莫大な魔力を紫に向ける。

 

「……貴女は八雲紫、でいいかしら。もう一度さっきのスキマ、開けてもらえる?」

「その物騒な魔法を解いて下さったら、幾らでも開けてさしあげますわ」

「私が言っているのはお願いじゃないわ、命令よ。さあ、究極の魔法をその身に味わいたくなければ、あの小鬼を私の前に差し出しなさい」

「うふふ。私も術師の端くれ。究極というのは興味深いですわね」

 

 アリスの意に反し、鬼やそれに準じるほどの妖怪であろうとも触れれば指先から蕩けていきそうな程の力を前にして、紫は微笑みながら余裕を崩さない。

 むしろ偶の運動に丁度いいと言わんばかりに対することに乗り気ですらある。一触即発、そんな空気が流れ始めた中、それを変えたのは霊夢であった。

 

「二人共、そこまでよ。紫は挑発して遊ぶのは止めて、アリスはそんなバカみたいな力を出すのは止めなさい」

「霊夢! 貴女なら分かるでしょう。魔梨沙が傷つけられたのよ、許しておけると思う?」

「私もムカつくわよ。でもねえ、あんたは気づいていないでしょうけど、魔梨沙は笑っているのよ。あれだけ怪我をしても相手を受け入れて、触れられたら終わりの鬼ごっこを続けている。それなのに、傍が慌てて邪魔になったらどうするの」

「魔梨沙があいつを受け入れて、いた?」

 

 霊夢の言葉を受けて、そういえば、とアリスは思い出す。魔梨沙の表情は少し歪んでいたが、笑顔ではなかったか。そして、弾幕ごっこを繰り広げていたのに間違いはない。

 異変で暴れる相手を遊んで鎮めて、そうして受け入れるためのもの、それが弾幕ごっこよ、と、そんな魔梨沙がよく口にしていた言葉を、アリスは今更記憶から引きずり出せた。

 そこに危険はないのと、当時のアリスは問うた。魔梨沙は、それも楽しんでしまえばいいのよ、と答えたことをアリスはよく覚えている。

 

「……そっか。魔梨沙らしいわ」

 

 一挙に、意気は萎えた。魔梨沙は自分の信を順守している。翻って、自分はどうだ。魔梨沙の喪失をただ恐れて、相手を消すための巨大な魔法を放とうという、下手をすれば驚かせ魔梨沙の不利になってしまうような行動を知らずに取っていた。

 それは恥ずかしいことだと、アリスも思い、直ぐ様発動寸前の魔法をキャンセルする。激しく浮いて沈む、そんな様子を黙って面白そうに見てから、ようやく魅魔は口を出した。

 

「さあ、喋っている内に霊夢が言うところの、鬼ごっこが終わっていてはつまらないわ。紫、また頼んだわよ」

「空間に映像を投影するくらい簡単に出来るというのに、弟子を直ぐ守れるように私に頼むなんて、本当に過保護……はい今度は、ギャラリーのためにも大きめに開いてあげたわよ」

「すまないねえ、紫」

 

 丁度、鳥居をスクリーン代わりのようにして、大きくスキマは開かれる。いち早く宴席を発ったアリスの後を追って来たレミリアや幽々子達、そして着いたばかりのパチュリー達が、大きく開いたそのスキマから戦闘を覗く。

 

「あら、丁度クライマックスっていうところかしら? それにしても随分と貧相な相手ね」

「あらー、今回の異変の下手人は鬼だったの。鬼退治なんて久しぶりに見るわー」

「……魔梨沙、随分とやられていますね」

「あのくらい、フランドールと戦闘した時と比べればまだまだのものよ。それにしても鬼か……想像していなかった相手ね」

 

 集まり、酒の一滴も入っていないのに騒ぐのは麗しき野次馬達。この一種の催しが人気を集めているのは、宴会の幹事を真面目に行い、その疲れを感じさせずに明るくふるまう魔梨沙の人柄によるものだろうか。

 しかし、その中で、鬼と戦っている人である魔梨沙を心配するものはあまりに少ない。そのことが、少しばかりアリスを寂しくさせる。

 

「魔梨沙、大丈夫かしら……」

「大丈夫よ」

 

 思わず心配を零すアリスの言葉に応じ、霊夢はここで顔を上げた。その表情は、無理にではあるが、笑みの形を作っている。

 

「怪我しても、相手をやっつけて終わり。それが何時ものパターンなんだから」

 

 そう、ここに集まったアリス以外の人妖達は、魔梨沙が異変やその後の難事に挑んで見事解決したことを知っていた。

 実力は充分。だから、大丈夫だと、それだけは自信を持って霊夢も言える。ただ、その隣に自分がいないことが不満なだけ。

 

「そう……」

 

 しかし、そんな実績を伝え聞くことしか出来なかったアリスは、胸の前で手を組み合わせ、人の気も知らずに笑顔で戦っている魔梨沙を見詰めることしか出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 二人の戦場、そこは今まるで、地獄の炎に包まれているかのようであった。

 伊吹萃香が地面に拳を叩きつけるのに呼応するように、魔梨沙の足元からは巨大な火炎弾のごとき鬼火が溢れだす。鬼火「超高密度燐禍術 -Lunatic-」と萃香が宣言してから、この火山の噴火を彷彿とさせるような熱が溢れる空間は生まれた。

 鬼が生み出したこの小焦熱地獄に汗をだくだくと流しながら歪んだ笑みを絶やさずにいるのは、霧雨魔梨沙。彼女は身に迫る熱を無視して焔の隙間を縫って飛び回っている。

 炎に照らされ目立つのはその背中の羽根に、照らされ暗さが際立つ紫色の衣装。飛んで火にいる夏の虫、ではないが巨大な蝙蝠のようにも見える少女は、危険を重々承知しながら接近し星の力によって火中の栗を拾う。

 

「この弾幕、熱くてたまらないわー」

「ああもう! どうして当たらないのさ! く、痛っ!」

 

 そう、杖から生まれるいよいよ力を増した紫色の星は、交差しながら萃香の逃走経路を巧みに塞ぎ、避けきれなかった彼女に手傷を負わす。

 魔梨沙を脅かしている地面を跳ねまわる炎の塊に触れてもダメージ一つない萃香であったが、不思議と悪魔の星には傷を付けられてしまう。おかしい、と思ってから、羽根が付いてから以降その弾幕の密度が上がっていることに、萃香は気づく。

 

「あれー。ひょっとしてさ、私の真似してる?」

「能力の真似は出来ていないけれど色々と参考にさせてもらったわー。力の効率的な萃め方とかね。まあ、悪魔を象って魔力を増幅させないとここまでいかないっていうのは難だわー」

「なるほどその羽根は魔を象徴化したものか……それにしても、そんなデカイの避けるのには邪魔にしかならないだろうに、掠りもしない」

 

 通常の考えからすると、それがなくても飛べるというのに、大きく羽を広げるというのは的を広くするのと同じようで不可解な行為である。

 勿論、それ自体には意味があった。妖かしにとって意味深い月の象徴三日月に、天の定めに逆らう天津甕星の金星、そして星々を含み全てを隠す夜の如き翼。それら全てが魔に通じるものである。そんなものを背負った魔のものに、益がないとは思えない。

 しかし、弾幕の威力より避けることの方が重要である弾幕ごっこにおいては翼の存在は普通ならば、むしろ邪魔となるだろう。だが、そんなことは関係ないといったように、魔梨沙はひらりひらりと舞い、羽ばたきは全ての妖弾を縫うように避ける。

 そも、防御を用意すらしない魔梨沙の弾幕ごっこは、常人のものとは前提条件からして違うのだ。墜とされれば負け、ではなくまともに当たれば負け。

 そんな気概で幾多の異変に挑んだ魔梨沙の自信と能力は図抜けていた。幾ら当たり判定が大きくなろうと、端から自分が動かせばまともに当たることはないのだから、と余裕の笑みすら見せる。

 何しろ、先に負ったダメージですらグレイズ越しに受けた強引なもの。本気になった魔梨沙に、一撃を喰らわせるというのは至難の業である。

 

「ここからはずっとあたしの番よー」

「いたたー、こうまで当たらないなんて、あんたは羽毛か何か……いや、それこそ空気かい」

「霊夢の方がもっとふわふわと避けるけれどねー」

 

 先に見せた地べたでの回避術も、確かに優れていたものであるが、そもそも重力に縛られたままというのは魔梨沙の性に合致しない。

 夜空に星が瞬くことが当たり前のことのように、魔梨沙が縦横無尽に空にあるのはあまりに自然なものであった。完成されたようにみえるその絵はそう簡単に、砕けはしないと、萃香も感じ取る。

 

 ならば、今度は趣向を変えよう。砕くために叩けば逃げるのなら、囲んで捕まえてしまえばいいのだと、密と疎を操る鬼は考えた。

 

「疎符「六里霧中 -Lunatic-」!」

「わっ……あれ、居ない?」

 

 星が展開する合間に、萃香がスペルカードを見せつけ、くいっと瓢箪から酒を一飲みしたかと思うと、その姿は霧へと変貌する。大量の煙のように広がった萃香は薄まり、魔梨沙の眼をもってしても見つからない。

 全体に霧は広がっていて、濃淡がある。嫌な予感を受けた魔梨沙は、その濃い部分から翼に風をはらませ、逃げ去った。すると、丁度萃香が居たその位置から、大玉弾幕が周囲に散らばっていく。

 三連続も連なり全面に広がる藍色は闇によく紛れ、更に視界を白く塞がれた中での回避というものは中々難しい。しかし、当然のように魔梨沙はするりと隙間を縫って避ける。

 

 ――まだ足りないか。

 

 何処からか響いた声が、魔梨沙の耳朶に響く。すると、僅かに霧の濃くなった二箇所から、数多くの青白い妖弾が発された。それは、魔梨沙を狙った単純なものであるが、全てが彼女の死角となるところから放たれたものである。

 霧に、薄蒼い炎のような弾幕は溶け込んでいて、勘でなんとか察知した魔梨沙もその目を集中していなければ、迫る力を見逃しかねない。だから目の前のことに注意して、魔梨沙は疎らになった萃香本体を見逃した。

 

「……やられたわー」

 

 霧は全体にますます濃くなって、すべてを覆う。釈迦の掌ほどではないが、ここまで完全に囲まれては劣勢であることは否めない。深い白色の中で、薄い青色が非常に邪魔だ。

 飛び回っても、薄くなってしまった萃香を見つけられず、鋭角な星々は空を切ってから地面へ落ちて突き刺さる。先ほどまでの力任せではなく、今度はよく考えられた代物であると魔梨沙も認めずにはいられない。

 対象の見当たらない空間での鬼ごっこは、まるで耐久弾幕のごとき様相を呈し始めた。このまま時間切れまで耐え続ければいいかとも魔梨沙は思うが、しかしより深度を増す霧中にて、自分に向けられる青色に、時折弾ける大玉を避け続けるのは至難の業だ。

 ならば、こちらからも仕掛けなければならないと、白中に消える紫の星弾を宙から下方にばらまいてから、魔梨沙は思い立った今が機であると、星の杖を掲げる。

 

「ほら、魅魔様ほどじゃないけれど、あたしだってゴミ掃除は得意なのよー」

「うおうっ」

 

 そう、魔梨沙は先ほど師より魅せつけられた力を真似して、強引に集塵魔法を仕掛けた。魔梨沙が沢山魔弾の直撃を与えた萃香に対して、魔力でのマーキングは済んでいる。

 余計なモノのないスッキリとした空間を好み、大の綺麗好きを自称する魔梨沙は、鬼に汚染された空間から自分の魔力で染めた部分に相似するもの全てを萃めていく。

 魅魔のように、幻想郷中に広がった全部を力尽くで、とはいかないがそれでもここら一帯の霧は大体が除去され、曖昧だった形は翼で強化された魔梨沙の力によって鬼の姿に纏まる。

 

「やっぱり無理に萃められる、この感覚は慣れないけど――ははっ、やっぱり、魅魔の真似をしたね!」

 

 だが、明確化した萃香の口は、端が歪んで弧を作っていた。そう、萃香は星が月に及ばないのも、しかしそれに憧れていることも察して理解していたのだ。

 だから、罠を張れた。既に、特定の位置へ集めるための魔法を使うことで動けないでいる魔梨沙へ向って、僅かに残った霧が弾幕を発している。

 しかし、連続して発されることで先端から全体が槍のような形となって来る妖弾を前にして、絶体絶命になっている魔梨沙、彼女も負けずに大きく笑っていた。

 

「きゃはは! 弾幕ごっこの基本は隙間探しと隙間作り。きっと、貴女ならこの間隙を逃すことなんてないと分っていたわ!」

「なっ」

 

 萃香の笑みを凍らせたのは、向かってくる幾条もの光線。それは全て、魔梨沙を囲み、守るようにして発揮され、全ての光が萃香に命中した。

 煌々とした力が立ち昇っているのは、墜ちたはずの星々から。切っ先が星形をした青色のそれは、まるで天から落ちるその軌跡を再現したかのように真っ直ぐなレーザー光線。

 

「ぎゃあ!」

 

 四方から魔梨沙を守る傘のように集い、星杖の先萃香の位置で束ねられたレーザービームは、寄る弾幕を破壊し、鬼を焦がすに至る力を発揮している。集塵魔法から逃げるまでもない、と余裕を持っていた萃香にその熱量は集中し、彼女に悲鳴を上げさせた。

 ここに至って初めての痛恨の一撃。酒呑の鬼は、人に謀られて墜ちるはめになった。

 

 そう、萃香が地から再び真っ直ぐ伸びるだけの弾幕を大量に浴びることになったのは、魔梨沙の計算通りである。

 本来ならばそれは宙で使う、避けられたその後に、背後から軌道を遡るレーザーと化し再び襲いかからせるという二段構えの星弾だった。

 しかし魔梨沙はそんな魔弾を巧妙に地に設置することによって、誰知らずレーザーを任意に一点に向けて射出可能な仕掛けを作っている。そして、彼女はその一点に星の杖を向けて萃香を集めたのだった。

 避ける側からしたらそれはつまり、レーザーによる沢山の自機狙い弾。簡単なそれを萃香が避けられなかったのは、自分の勝ちを確信していて油断したからだ。

 まさか、狂喜しているように見えた魔梨沙が攻防一体の計算をしているとは思わずに、集塵の位置指定のため動けない彼女に妖弾を向かわせることで終わりとした。しかし、レーザーに囲まれた魔梨沙は守られ宙にて無事である。

 反して、思わず青い光線を受け、数日前のレミリアのように焼けた肌を赤くしている萃香は、地に落ち膝から崩れ落ち荒く息を吐いていた。

 

 さて、これは拙いと萃香も思う。負けが眼の前にちらつき始めていた。だが、それは本来の鬼退治ならば彼女の死を意味している。

 まさかこうまでいいようにやられるとは思わず聞き流していたその言葉。しかし、打った全身に走っているだろう激痛を意に介さずに笑んでいる頭上の強者にやられるのであれば悪くない、と萃香は思い始めていた。

 全てが酔っ払って起こした遊びの一環であったことも忘れて、鬼は強き人を受け入れる。

 

「はは……やるじゃないか。このままじゃ本当に退治されてしまいそうだ。いや、今の世でそれも面白いか。どうだい、一つ鬼の首を上げてみたくはないかい?」

「そんな酔っ払って赤らんだ顔なんていらないわ。あたしの鬼退治は、貴女を負かしてから悔しがる顔を肴に酒を交わしてお終いよー」

「あははっ! 何だいそりゃあ。鬼退治の作法ってものがなっちゃいないね。しかし……それも悪くない」

 

 笑い、体の痛みを無視して起き上がってから、萃香は紫の瓢箪から少しばかり酒を口に含んだ。魔梨沙が語ったのは、喧嘩した後にそれを忘れて仲良くするという、夢想のような理想である。

 でも、酔狂な鬼である伊吹萃香は、夢想に漫ろだった気を萃めて認めた。鬼退治のように、攫い討たれてはい終わり、では確かに物足りなかった。

 萃香は百鬼夜行なんて代物ですら簡単に作れるが、その中に半端な人妖を容れることは出来ない。萃めても恐れて離れていく、それが力なき者の特徴だから。しかし、そんな現実を力づくで破壊しようとしている少女が一人。

 

「あたしに負ければ、皆同士。誰も貴女を怖がるものはない。さあ――――受け入れられるためのラストダンスを始めましょう?」

 

 人妖共に、気兼ねなく萃まる夢想。人間で魔女な魔梨沙は、それを成そうとしている。

 紅の瞳がぱちくりと、萃香を見詰めて誘惑するように瞬いた。それを強く見つめ返して、萃香は獰猛に笑む。

 

「有難い誘いだ。でも、私は鬼。恐れられるのが仕事であってね。意地を見せてあげるよ!」

 

 跳ねるように飛び、魔梨沙の眼前を越えてなお飛翔するするその小さき体からは、底知れないまでの妖気が溢れ出す。萃香はカードを掲げて、声を張りあげた。

 

「これが最後のスペルカードさ、「百万鬼夜行」!」

 

 そして先程までのもののように一発で仕留めるための暴力的な代物ではなく、近寄ることも出来ないように大量に力を並べた弾幕が発されていく。

 密と疎を操る鬼。彼女が弾幕ごっこという間隙の遊びが得意でないわけがない。魔梨沙と萃香の周囲は、あっという間に光りに包まれていった。

 

 

 

 

 

 

 最後に発されたのは誰の言葉か。誰も口を開かぬ沈黙の中で、ただ、霊夢の耳朶には、凄いわね、というレミリアがスキマの先に向けた賛辞が残っている。

 それほど、萃香が形作る弾幕は激しく、美しい代物であった。それは、今までの能力だよりの攻撃用のものではなく、伊吹萃香という妖怪が表現できる最高の美。

 鬼という種族、そして萃香自身の力量を思えば、それが素晴らしいものになるのは疑いようのないことだ。そこに、舞うようにすんでのところで全てを避けている魔梨沙を当て嵌めれば、その絵は更に際立った。

 

 輪状に周囲に広がっていくのは、月光のもとに青白き中玉弾幕。そして、三方に分かれて巡るように周囲を流れるは、霧のような白く曖昧な形状の妖弾。

 米粒状の青と赤の弾は、四方八方に発されて広がっていき、魔梨沙の左右の動きを制限する。それらの量が、眩いばかりに過分だった。

 しかし、重なり広がる光の推移は、様々な美しい形を見せてくれる。青と白の中で鮮烈な赤に、霧がぼかしの効果を与え、空の絵は深みを増す。そこに魔梨沙の羽ばたきの黒が混じることで、光は瞬いて鮮烈さを脳裏に焼きつかせる。

 

「はぁ……」

 

 思わず吐き出したことで、霊夢は先まで自分が息をするのを忘れていたことに気付く。そうして、眼前に心配すべき姉貴分が居ることすらも半ば無視して見つめていたことを思い出す。

 魔梨沙の周囲は白を基調とした妖弾の行列によって支配されていた。だが、渦中にて未だに魔梨沙は力に触れず。むしろその高難易度をあざ笑うかのように、萃香の周囲を巡っている。

 いや、魔梨沙も別段徒に廻っていた訳ではないようだ。時折、光りあふれる空間にごくごく僅かな合間を紫色の星が幾筋か流れて、中心にて弾幕を張る萃香に当たっていく。

 流星は、煌々とした空を傷つけず、むしろリズムよく飛んで行くため、霊夢に達人によって宙の絵に筆が足されているかのような錯覚すら覚えさせた。

 

 それほど綺麗な宙の戦いも、最初の数えきれない無数の爆発のような様体と比べれば落ち着いてきたようで、中心の二本角をした妖怪の、ぼろぼろな姿が見て取れるようになってくる。

 同時に、悠然と空を飛んでいたかのように見えた魔梨沙の白い肌に目立つ幾多の赤い擦過傷が霊夢の目に留まるようにもなった。

 

「そろそろ、お終い、か」

 

 誰かが口にしたその言葉は残念そうに響く。この場の皆が、祭りの花火を見上げるように、その戦いの推移を望んでいる。

 あれだけ心配していたアリスも、今は無謀とも思える光弾の迷路に立ち向かう魔梨沙の、映える翼が人外のようだがしかし頼もしい背中を見ていた。

 そう、スキマを覗いている誰もが予期しているのは、魔梨沙の勝利による異変の終焉。力が失くなってきたのか、そのスピードが落ちてきたことや、よく見れば星形弾幕の密度もさほどではなくなってきている等、彼女の敗北要素は散見できる。

 しかし、その表情を見比べれば、どちらが勝っているのか直ぐに分かる。疲労困憊の萃香と違い、ここに至ってむしろ魔梨沙の笑みは深くなっているのだった。

 弾幕の生成音に、グレイズの音が少なくなってきたためだろうか。きゃははは、という笑い声が霊夢の耳にまで届くようになってきた。

 そんな、甲高い響きを煩わしそうに聴きとった彼女の師の会話もまた一緒に。

 

「魔梨沙もアレがなければ、安心して見ていられるんだけれど」

「アレ、とは何か聞いてもいいかしら?」

「分かっている癖に。周りの奴らに分かり易いよう端的に言えば、弾幕ごっこを楽しみすぎる心よ。より深く味わいたいがために、徐々に魔弾を撃つ間隔を引き伸ばして相手の底力まで見ようとする。悪くいえば、猫が獲物を嬲るように、ね」

「確かに、私の奥の手、弾幕結界を三度目に避けきった時も、私を時間制限まで落とさずに調整しているような素振りを見せていたわ。……或いは今回、時間が萃香の味方をするかもしれないわね」

 

 それほど大きくない声も、大勢が魅入られている沈黙の中ではよく響く。何人が魅魔と紫の会話に、次の展開の期待を想起されたことだろう。レミリアなんて、宙に浮かびながら両の手で顔を包むように頬杖をついて、身を乗り出していたりする。

 だが、魔梨沙が不利になるだろうという予想を受け入れられないアリスは、そんな二人の会話に口を挟んだ。

 

「それでも、魔梨沙は負けないわ」

「しかし、ひと波乱くらいはあるかもしれないよ?」

「そんなこと……っ!」

 

 魅魔の応答の後、その言葉を裏付けるかのように、天の光は力を増した。

 時間制限は特に設けられていないが、それでも体力か妖力に限界がきたのだろう。ラストスパート、と再び萃香の周りの二色は先の勢いを取り戻し、それすら越えて宙に大きな花を咲かせた。

 いや、それは花どころか僅かな間隙を気にしなければ光る球体にすら見えてしまう。天蓋に残り形を取り戻してきた砕月を目に入れずにいると、夜空に生まれた新しい月と勘違いしかねないくらいに萃香の弾幕に隙間は殆ど見当たらなかった。

 勿論、不可能弾幕ではないために、一応の道筋はあるようで、魔梨沙はその中に存在することが出来ている。しかし、誰彼の目から見れば、まるで魔梨沙は光弾の海に浮かんでいるかのようだ。

 

 魔梨沙は、目の前を埋めかねない程の輝きを、乗り越えられるのだろうか。望む誰もが、そんな疑問の答えを待った。

 皆が期待と共に、それを抱いていたのは僅か。回答には、三連に繋がった星が導いてくれた。あるかないかの僅かな隙間を通って行った流星は、息も酒も絶え絶えの酒呑童子にぶつかり、激しい音を立てる。

 

「……くぅ」

「よいしょ、っと」

 

 そうして、墜ちた萃香は、魔梨沙に抱えられた。全身ボロボロの姿の鬼に、頭の血が止まった魔梨沙には傷が散見出来るだけ。

 この結果も当然といえば、そうなのだろう。鬼の首魁と比べても格上といえる、魔界の神とルール無用の弾幕ごっこをして勝ちを拾ったこともあるのが、魔梨沙である。その能力も相まって、回避力だけならば幻想郷に比肩するものなどいない。

 

「ふぅ」

 

 魔梨沙は、もう歪んでいるだけの満月を見上げて、ため息をついた。相手を落として、自分は弾幕を耐え切り、それはもう文句なしの勝ちである。だが、どうしてだか、彼女に笑顔はなかった。

 その答えは、魔梨沙の背後に広がっている。地に降り立ってから、魔梨沙はそれを指さし、横たわらせた萃香に言った。

 

「あたしの負けねー。ほら。月、砕かれちゃったもの」

 

 そう、魔梨沙の左羽の中央には、赤い三日月の代わりに、大きな穴がある。飛ぶのに支障はなく、それだけで墜ちることはなくとも、自分は口にした言葉を彼女は忘れていない。

 この月を割ってみせろ。そんな売り言葉は買われ、そして見事に萃香はそれを成していた。

 だから、自分は負けているのだと、魔梨沙は芯から思って、残念がっている。

 

 そんな姿を見た萃香は、落ちていた瓢箪を手に萃め、こんな人間の相手をするには素面ではやっていられないと、中身を口に含んだ。

 一口、嚥下してから、馬鹿正直な人間に対して大いに口を歪めて、萃香は応じる。

 

「いや、私の負けだよ。結局、星は落とせなかった」

 

 小さな鬼は、大敗を呑み込んだ。しかし、そこに苦々しいものはなく、むしろ清々しくすらあると、なにか言いたげな魔梨沙を無視し、笑みを深めて立ち上がった。

 そして、きょろきょろと辺りを見廻してから、直ぐに隙間を見つけて、その先の人妖達に質問をする。

 

「さて、せっかく負かしてもらったんだ。同じ境遇のもの同士、やけ酒といこうか。なあ、構わないだろう、そこの魑魅魍魎達?」

 

 

 返って来た答えは、そう悪いものばかりではなかった。

 

 

 

 そして、百鬼夜行の主は、僅かな人妖たちの中にて、満足する。

 それも当たり前のことだろうか。皆を萃めて、楽しく呑む。それを願って、異変を起こした彼女なのだから。

 

「弾幕ごっこで、鬼退治されるっていうのも、悪くはないねえ」

 

 スリルは減ってしまったけれど、と零しながらも、初めて鬼の伊吹萃香は幻想郷の現在を受け入れていた。

 

 

 

 


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