霧雨魔梨沙の幻想郷   作:茶蕎麦

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第三話

 

 

 

 紫色の長髪がトレードマークである七曜の魔女、パチュリー・ノーレッジにとって、紅魔館は家であった。ここ数年間でとみに広くなった、我が家である。

 最初、この建物は変わり者の吸血鬼の館といった印象だった。しかし百年もの時を経て、自分のための図書館、そして親友と過ごす箱、やがて我が愛しの棲家といった風にその認識は変化していったのである。

 そんな家の底の方、地下の大図書館にて、パチュリーはいつも通り読書に勤しんでいた。現在も彼女の親友である吸血鬼レミリア・スカーレットが紅い霧にて幻想郷に異変を起こし続けていることは知っている。

 むしろ、中々目当ての巫女が来ないために今日はレミリアが一段と気合を入れて紅霧を起こしているということすらパチュリーは知っていた。だがしかし、彼女は大図書館の中で動かない。

 それは別に親友に対する信頼があるからでも、自分に無関係と切り捨てているからでもなかった。ただ、余裕があるのである。そう、ルールがあるだけ以前彼女たちが幻想郷に来る時に起こした異変、俗に言われる吸血鬼異変の時と比べれば遥かに状況は温い。

 

「咲夜は、まあ侵入者の排除に当っているのかもしれないけれど、小悪魔ったら、遅いわね……」

 

 椅子と机、そしていっぱいの本。それだけで幸せになれる安上がりなのが魔女であるとパチュリーは思っているが、しかし彼女は嗜好の類を断つまで禁欲的ではない。

 故に、空になったティーカップを寂しく思い、本から目を離して従者にあたる存在を探したりもする。自分で淹れるには面倒でも、適当な時に美味しいそれを喉に流し込めることが出来ないと気分が悪くなる程度に、パチュリーは紅茶を愛飲していた。

 しかし、自分が探している姿は影も見当たらない。メイド長である人間、十六夜咲夜が居ないというのは有事における館内の掃除係でもあることからも理解できるが、この大図書館の司書を任せている小悪魔が居ないのは少し問題だ。

 読書向きの静かさを保ったままであったためにふらりと出て行くその姿を問題としていなかったが、戻ってくるのが気付けば随分と遅くなっている。

 求めていなかったために事務に力仕事が出来るおまけくらいの戦闘能力、弾幕展開能力の彼女が心配といえば心配だった。もっとも、そういう魔法も掛けていない今、わざわざ異変の主を無視して地下に来る侵入者というのは想像しがたいものではある。

 だが空になって不満を覚える紅茶と同じくらいには忠実な性格をした小悪魔を気に入っていたし、気にもなってはいた。

 

「はぁ……仕方がない。少しくらい我慢しましょうか」

 

 まあそのくらいならと、パチュリーはまだ動かない。

 結局、手元の本への興味と、面倒臭さが勝ったようだ。少し、口元をへの字にしながら、ちょいとパチュリーはナイトキャップを不満げに引っ張った。

 自分は淹れ方が下手。それに、勝手気ままでいたずら好きで練度の足りない妖精メイドたちに飲用するものを任せるのは問題外だし、それにそもそも彼女たちは異変にあてられて大半が地上や侵入者に向いちょっかいをかけに出かけている。

 だから仕方がないと、厚い革の装丁の本を再び覗き込んだ、その瞬間に。

 

「――パチュリー様、侵入者です!」

 

 図書館の扉が騒々しく開かれて、そこから飛び込むように小悪魔が現れた。彼女が大切にしていたその赤髪どころか全身をボロボロにした、そんな姿で。

 心配のとおりに酔狂な客がやって来たということを、ここでようやくパチュリーは知る。

 ただ、想像していた最悪よりも、やはりずっと温い小悪魔の姿が、どうしてだか胸に引っかかった。少し経ってから思っていた以上に自分の中で嗜好品の価値が高かったことに、パチュリーは気付く。

 

「すいません、私、弾幕ごっこに負けて、案内をさせられて……」

「そう……別に構わないわ。私が出迎えてあげる」

 

 パチュリーは立ち上がって、息を荒げる小悪魔の方へ歩み寄り、向って来る大きな魔力に対して少しだけ眉根を寄せた。

 

 

 

 

 

 

「中も大体紅いのね。ここまで徹底しているとそろそろ好感がもてるわー」

 

 紅魔館の中へと侵入を果たした魔梨沙を待っていたのは、外観との縮尺を間違えたかのような、赤くて広い廊下であった。

 その所々に転がっている巫女にやられただろう妖精メイドたちが色の調和を乱してはいるが、概ね単調でなく綺麗な内装だと魔梨沙は思う。

 前世らしき知識からぼんやりと覚えているために和風の建物ばかりの人里で過ごしていた魔梨沙にも洋風建築に対する驚きはないが、紅魔館がこれほど立派な洋館であることは知らず、彼女も内心舌を巻いていた。

 

「っと、驚いてばかりじゃ駄目ね。えー、霊夢はあっち。そして、一番強い力は……あら、地下?」

 

 魔梨沙は真っ先に帽子から取り出した星形のペンデュラムによりダウジングをして、霊夢の行き先を理解した。そして、次に同じくしてボスらしき力の強い反応を探してみると、それは僅かに迷ってからピンと地面を向いた。

 霊夢がここぞというときに勘を外さないことを魔梨沙は経験からよく知っている。そして、自分の占いの精度の高さも信じている。

 そう、知って信じているがゆえに不思議なことであった。霊夢が真っ直ぐにこの異変の元凶に向っているのは間違いなく、しかしそれよりも強い力の反応が一つあるというのにも確かであり。

 

「そうね……スペルカードルールがあるから霊夢が負けても大丈夫でしょう。まあ、勝つだろうけれど。ならこっちの反応は、あたしが抑えて、それで異変を終了とすればいいかしらね」

 

 不慮の事故死はあれども、基本的にスペルカードルールを守る以上は妖怪は人を殺せず、そもそも幻想郷で重要な役目を持つ巫女を殺そうする上等な妖怪なんて、この幻想郷ではそういないだろう。

 迷い魔梨沙はしばし逡巡するが、しかし彼女は強い力に対する興味が勝ったのか、今度は地下へと向かうための階段をダウジングで探し、そしてそこへ真っ直ぐに飛んで行く。

 

 赤い口を開いた階段を下り、直ぐ左右に広がった地下一階というべき空間を無視して、魔梨沙は力に導かれて地下深くへと向かう。道中の妖精メイド達の邪魔はそれほど酷くはない。

 すると、階段が失くなったその階に着いてから振り子は横へと方向を変えた。その先は魔梨沙の眼にもその先は迷いそうなくらいに入り組んでいることが理解できる。

 

「はぁ、まるでダンジョンね。ダウジングを習得しておいて良かったー」

 

 迷路のような道も、しかし導かれるままに進んでいけば直線と変わらずに行けるもの。星の導きに感謝しながら進んで、そうして魔梨沙は行き止まった。

 塞ぐように眼の前にあるのは、大きな扉。そこは魔法によって封じられている。大きな六芒星の魔法陣によって封印されているそれを魔梨沙が力づくで破壊するのは厳しそうだった。

 触れるのも躊躇われるほどの力で、綿密にその扉は保護されている。術式から鍵を発見しようにも、複雑過ぎて魔梨沙には難しいようだ。封印を突破するのに出来ても一日二日かかるようであっては、それは最早無理であるのと大差ない。

 

「うーん、邪魔な籠目模様ね。そう思わない? そこの悪魔ちゃん」

「なっ! 確かに一度もこっちを見ていないのに、どうして私を!」

 

 そう、扉の前で途方に暮れているように見えた魔梨沙。しかしその周囲を見る目は霊夢も認めざるをえないくらいに鋭くある。

 力を隠していた悪魔、わざわざ隠すほどに力があるともいえないが、それがこっそりと逃げようとしていたのを魔梨沙は先のダウジング同様にその【能力】を使って認めていた。

 

 驚いたのは、件の悪魔、契約により名前を預けているために小悪魔と呼ばれているそれである。

 小心な彼女は異変の影響で地下の封印が緩んでいないか気になり見に来て、迷いながらも辿り着き、それが確りと変わらずあることに安心していたところだった。

 そこに、大きな魔力を持った人間が来て、慌てて息を潜めて隠れ逃げようとしていたのに、見つかったのだ。力の弱い彼女は隠れんぼに慣れていて自信があったというのに、である。

 

「そんなことはどうでもいいじゃない。ただ、あたしは聞きたいの。ねえ、貴女はこれを開けられる人、知らないかしら? 封じた人、あるいは中のものを世話している人なら鍵を持っているんじゃないかとあたしは思っているんだけれど」

「……そこに何があるか、貴女は理解しているのですか?」

「すっごく大きな力があるわねー。危険極まりないわ。だから、それがどういうものか調べないと。さーて、鬼が出るか蛇が出るか」

「蛇なんかじゃありません。あの奥にいらっしゃるのは強大な吸血【鬼】ですよ。破壊の力を掌る、それはそれは恐ろしい悪魔です」

 

 恐れる瞳が、力の入って震える体が、魔梨沙に小悪魔の言葉に嘘がないことを教える。彼女が恐れる相手がこの奥にいるのは違いない。

 吸血鬼というだけで強さは保証されているようなもの。それに破壊の力が加わるとなれば、なるほどそれは恐怖に値する。

 そして魔梨沙にとって、前者なんてどうでも良かった。香ばしい加味、破壊の力という言葉の響き。それが力を欲する魔梨沙を昂らせる。

 

「破壊の力。へぇ……それは是非とも会いたいなぁ。うふふ――――ねえ、もう一度聞くけど、貴女はこれを開けられる鍵を持っている人を、知らない?」

「なっ!」

 

 胸の内で高鳴るそれは、最早興味ではあり得ない。心の底から溢れ出る執着心が、破壊の力を持つものを求める。それを手に入れるかどうかは後回し。ただ、力に惹かれて魔梨沙は赤い目の色を変える。

 魔梨沙の中で、枷が一つカタリと外れる音がした。それを知りながら、魔梨沙は抑えられない自分を開放し、そして気持ちに沿って溢れだした魔力を暴れさせたままにする。

 

 小悪魔が受けたのは、まるで怒涛のような魔力の流れ。魔のものであるからこそ、その力に対する畏怖は湧く。

 周囲の魔の色をを染め上げられた小悪魔は、急に現れた眼前の人間の恐ろしさに顔を青くする。しかし、ギリギリのところで彼女はこらえた。

 長い悪魔人生、小悪魔だって幾度かこれくらいの恐怖は経験している。それに、このくらいならパチュリーが本気で怒った時と【大して変わらない】のだ。それが人間から発されているという異常を忘れて、震えながら小悪魔は言う。

 

「お、脅しには屈しませんよ」

「あー、ごめんねー。脅かしちゃった? 違うのよ。力尽くとか、そんな気持ちは全くないから。ほら、連れて行ってくれるかどうか、コレで決めましょう?」

「弾幕ごっこ、ですか。……分かりました受けましょう」

 

 指の先に魔力で編み上げた紫色の弾を浮かべた魔梨沙を見て、小悪魔はしぶしぶ賛同した。それは、目の前の相手を打倒するのにそれ以外の方法が見当たらないためである。

 小悪魔は知らない。魔梨沙相手に弾幕ごっこで勝つこと。それこそが脳裏に浮かんでいた選択肢の中で何より困難な道であったことを。

 

 

 

 

 

 

「霧雨魔梨沙、ね。それで、こちらの事情も何も知らない関係のない貴女が、どうして地下の封印を抜けようと考えているのかしら?」

「もちろん異変の解決のためよ。あたしが感じた力の持ち主が解決に乗り出している巫女の邪魔になったら大変だって分かるから、異変に参加する意思があるかどうか確認するためにも会うことは必要かなって思ったの」

「嘘。貴女はフランドールの力に惹かれた羽虫。そんな風に理性的に考えているはずがないわ」

「うふふ。辛辣ねー。あたしが霊夢を心配していることも確かなことよ? まあ、破壊の力とやらをこの目で見たいというのは大きいけれど」

 

 だいたい紫色の二人の魔法使いは相対して、言葉をかわす。しかし、その二人の性格や気持ちは決して同じものではない。

 意図せずに喜色から溢れださせてしまう魔梨沙と違い、パチュリーが魔力を溢れさせているのは怒った際の自然なものである。

 互いの間では多量の魔力がぶつかり合い、交じり合うことはない。同等の力が押し合うことで空間が軋み、緊張が走っていく。

 体を休め身だしなみを整えておくようにとパチュリーに言われてこの場から逃げ出すように去った小悪魔などは、十分離れたはずであるのに怯え、震えている。

 

「ふぅ……あの子は狂気を抱えている。それに今日は満月。あの子の力も最高潮に達しているはず。ただの人間が近寄るのはそもそも危険すぎる。別に私としては貴女がどうなろうと構わないけれど、無闇にフランドールを刺激されるのは困るわ」

「なるほど。だからその子は篭っているのね。自分の力が怖いから」

「……そういえば、貴女は封印魔法を見ていたのね。そうよ、フランドールが本気であったらどんなに強く封印をしても意味を成さない。見た通りにあれは、主に外からの働きかけを封じているものよ。力のないものが自分に近寄らないように、とね」

 

 私とお嬢様以外はそのことを知らないけれど、とそう付け加えて黙したパチュリーの表情は硬い。彼女が現状に納得していないことは明らかである。

 しかしどうしようもないからと、パチュリーは落ち付いている今をかき乱すような要素を嫌う。それが自らがその背中を飾った相手、フランドール・スカーレットのことを思って行動しているわけでない者であっては、尚更会わせようとは思えない。

 

「健気な話ねー。でもあたしなら大丈夫。そう簡単にやられるほど弱くはないわ」

「そうね、相対してみれば分かる。人間にしては貴女は強いのでしょう。勘違いするのも仕方のないくらいに。そう……違うのよ。フランドールのありとあらゆるものを破壊する程度の能力は、体験して参考になるようなものでは決してない」

「うーん。忠告有難いけれど、あたしは疑り深いから、ちょっと実際に会うまで信じられないなー。ごめんね」

「はぁ……この、わからず屋」

 

 怒りといえども感情にまかせてしまうのは駄目なことであると考え対話を続けたパチュリーであったが、しかし被った鉄面皮は歪んでしまった。間違いないと感じておきながら初対面の相手の言葉を信じられない、魔梨沙のひび割れた小心が邪魔したために。

 土台、異変を起した相手と治めようとしている敵同士、不通は仕様がないことかもしれない。だが、目つきが険しくなりため息が漏れてしまうのは、眼の前の相手が気に食わないというその理由が大きかった。

 そろそろ、パチュリーも人の気も知らずにニコニコと笑い続けている少女にムカついていたのだ。

 

「いいわ。そんなに言うなら試してあげる。貴女がスペルカードも見たことのないあの子がきっと持ちかけるだろう本気の弾幕ごっこに、耐えられるかどうかを」

 

 しかし、勝手にしろとはいえない。これ以上フランドールに簡単に壊れてしまうようなおもちゃを与えてしまうのは情操教育上ごめんだと、パチュリーは自信作のスペルカードを三枚取り出して見せつける。

 

「うふふ。魔女の力というのも興味深いわー」

 

 対して、魔梨沙は笑みを深めて応答した。

 

 


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