「なーんか雰囲気変わった?」
リンは笑みを浮かべた。そこにはもはや嘲りの色はないが、関係ない。
リンを倒す。
ウェールズの頭にあるのはそれだけだ。
リンは礼拝堂を横切るように移動し、長椅子をウェールズへと蹴り飛ばした。
横へ飛び、床を転がるように回避。転がっている拳ほどの石が目に付いた。とっさに掴む。
呪文詠唱。
「ウィンド・カッター!」
風の刃を、やはりリンは避けることもせず腕に受けて迫ってきた。
そう来ると思った。
その顔面に、掴んだ石で殴打。
「あだっ!?」
間抜けな声を出して、リンはたたらを踏む。その胸に杖を突きつける。
「エア・ニードル!」
杖の周りを真空にも等しい風が渦巻き、リンへと伸びるが、身をよじるように避けられる。
だが掠めた渦が、リンの胸元を引き裂く。浅い。
「ウィンデ!」
風を巻き起こして後ろへ飛び退く。
リンはさらに追いすがるように迫る。拳や蹴りが繰り出されるが、視認できた。
エア・ニードルでそれらを貫いてやろうとするが、リンは当然ながら当たる前に拳を引っ込める。
脳が痺れるような感覚。心臓が高鳴り感覚が研ぎ澄まされ、自然とスペルが口から紡ぎ出される。
「イル・オ・クラム・デ・ソラ・ウィル・ウィンデ……」
『風』『風』『風』『風』
純粋な殺害能力なら『カッター・トルネード』を凌ぐ風のスペル。
「サベージ・バイト!」
杖の先端から、暴風の塊を撃ち出した。
球状の暴風は内側に向かって吹き荒れている。
周囲の物体を吸い込むように巻き込み、中心部分では真空状態が生み出される。
そこで切り刻んだ物質と真空が渦を成し、リンの世界で例えるならばミキサーと同じ状態となっているのだ。
リンとの距離は五歩もない。もはやゼロ距離。
「……!」
反射的にリンは腰と肩から赫子を展開し、左へ回避。
左の鱗赫がウェールズの杖を右手ごと打ち付けて弾き飛ばし、右の鱗赫と羽赫で右半身の盾に。
暴風に吸い寄せられるようにリンはふらつき、接触。
べぎごぎぐぢっ……
鱗赫と羽赫は結合力が弱く、暴風に吸い込まれて粉砕。
その下にあったリンの右腕も切断寸前にまで切り刻まれ、右上半身も大小様々な裂傷が入った。
リンの右腕をかじった暴風は、獰猛な獣のように周囲の瓦礫を吸い込み、バキバキと噛み砕きながら突き進む。
そして壁をガリガリとかじり、最後に吸い込んだものを吐き出すように爆散。
轟、と音を立てて壁に大穴を開けて、消えた。
ウェールズは右手に握っていた杖がなくなっていることに気づき、焦る。
手負いとはいえリンに掴まれでもしたら、あとはボロ雑巾のように引きちぎられるだけだ。
と、そのリンはこちらに左腕を伸ばして、掌を見せていた。まるで『ちょっと待った』とでもいうように。
「ああああ……痛ったいな……この辺でやめよう。これ以上やると殺し合いになる」
「……は?」
意味が、わからない。
ウェールズは最初から殺すつもりで魔法を放っていた。
ハイになっていた頭が冷えて、冷静さが戻ってくる。
打ち付けられた右手がじんじんと痛みだし、蹴られ、殴られた腹も痛みを訴えてきた。
「ウェールズさんの本気って、けっこう、きついね……」
ぼたぼたと血を流し、赫子を引っ込めながらリンは言った。
そういえばと思い出す。
リンはさっきの瞬間まで一度も赫子を使っていない。デルフリンガーも出入り口のそばに置いていた。つまり殺す気はなかった?
「僕を、試したのか?」
試したのならそれはそれで侮辱だ。
リンは真面目な顔つきで、まっすぐウェールズの目を見て答える。
「ムカついたっていうのは本当だよ? もしも『戦って死ぬ』なんて言い続けていたら、本気で殺すつもりだった。でも気が変わった」
「気が変わった?」
「そう」
リンは体ごとこちらを向いた。隠れた右半身があらわになった。
我ながらひどい傷を与えたものだ。肋骨が所々見えているし、裂かれた右腕の肉はどうにか骨にこびりついているような状態。
ボロとなり、体に引っかかっているだけのシャツは出血によって赤く濡れている。
あれでよく『痛い』程度ですむものだ。
「僕は諦めの悪い人が好きなんだよ。ちょうどーー」
バタバタと騒々しい足音が近づいてくる。さっきの騒音が聞こえたのだろう。
半壊した扉からバリーら部下たちや、ルイズ、ワルドとハヤトが駆け込んでくる。
「ーールイズちゃんみたいな、ね」
リンはルイズに左半身だけを向けるように体を動かした。
どうやら傷を見せまいという心遣いだろう。ズグズグと傷口は塞がっていくが、さすがに時間はかかるようだ。
「殿下、いったいなにごとです!?」
「リン! あんた何やってたのよ!?」
バリーとルイズが口々に当然の質問をぶつけてきた。さてなんと答えたものか。
「いやー、ウェールズさんが寝ぼけたこと言ってたから、ちょっと叩きのめした」
リンはあっけらかんと『寝ぼけた』とまで言ってのけた。この神経の太さはどこで手に入れたのか。
だが……いまこうして思い返してみると、なるほど、たしかに寝ぼけたセリフだ。
勇敢な戦死など、まるでおとぎ話に出てくる悲劇の英雄みたいではないか。恥ずかしい。
「たっ、たたたたっ、たたき、のめした!?」
ルイズの表情がまるで喜劇のように青ざめ、引きつる。思わず苦笑い。
「そ。で、思いっきり切り裂かれた」
「切り裂かれた、ね」
ウェールズは苦笑し、気をとりなおしてバリーらに向き直る。
「バリー」
「はっ」
「みんなを食堂に集めてくれ。話がある。そしてリン」
「んー?」
「罰だ。僕の杖を探して持ってこい」
「はーい」
あの木屑の中から探し出すのは骨が折れるだろう。
リンやルイズらを残し、部下たちを連れて礼拝堂を出る。
もう覚悟はできた。
汚泥をすすってでも生き延びてみせる。アルビオンは誰にも渡さない。
「……殿下、なにやら顔立ちがずいぶん変わりましたな」
「そう、かな?」
「ええ。猛々しさが備わったといいますか……まるで別人のようです」
「褒め言葉として受け取っておくよ」
「もちろん褒めたのですよ、殿下」
服についた砂埃を叩き落とし、顔の汚れをぬぐって髪型を整える。
多少はマシになったウェールズが食堂に入ると、父、ジェームズの目つきが悟ったように変わった。
「父上、そしてここにいるみんなも聞いてほしい」
その静かでありながら力強い言葉は、酒に酔っていた兵たちを緊張させるのにはじゅうぶんだった。
「民のため、戦って名誉の死を遂げる……それが王家の務めだと思っていた。けれどよく考えてみれば、それはただの自己満足だと気づいた」
静まり返った食堂の中で、ウェールズの声だけが響く。
「民が求めているのは助けだ。救済を求めているんだ。僕たちが死んで見せても、民はなにも得ることはない。だから……僕は、死ぬわけにはいかない」
その一言に、兵たちはざわめく。
食堂から出て行ったほんのわずかな時間で、身にまとう空気が変わっていることに誰もが気づいたのだろう。
「けれど僕一人ではなにもできない。リンに言われたよ。僕は世間知らずの馬鹿で、弱者だと。ここまで状況が悪くなってしまったのは、僕が不甲斐なかったからだ。ここまで付いてきてくれたことに本当に感謝する」
「殿下!? いったいなにをーー」
手をあげてバリーを制した。まだ話は終わっていない。
「そしてこれからも一緒に来てほしい。名誉とは無縁の暮らしが待っていると思う。民を置いて逃げ出した卑怯者と貶されると思う。それでも僕は、このアルビオンの王家だ。この国を奪い返すために、どうか生き恥を晒してほしい。この通りだ」
言って、深々と頭を垂れた。
誰もが顔を見合わせ、示し合わせたように立ち上がる。
「いまさらなにを言ってるんですか?」
「行き先がヴァルハラから変わったってだけでしょう?」
「ついていきますよ、殿下!」
垂らしていた頭をあげ、部下たちの顔を見渡すと、誰もがまっすぐにウェールズを見つめて、敬礼の姿勢を取っていた。
「本当にありがとう。本当に……」
仲間は離れなかった。緩みそうになった涙腺をこらえる。
アルビオン王家の禁忌。それを使うのだから、泣くわけにはいかない。
正面のジェームズへと歩み寄り、片膝をついた。
「陛下、『ヘヴィ・レイン』を使用します」
その単語に部下たちはどよめく。
禁じられた魔法としてその単語は知られている。
だがその実態を知るのは王家の血を引く者と、王家直属の宮廷魔導師だけだ。バリーさえも知らない。
ジェームズは目を細めて、足元でひざまづくウェールズを見下ろした。
「王家と『ヘヴィ・レイン』の歴史、忘れたわけではあるまい?」
「もちろんです。しかしーー」
ウェールズまっすぐ実父を見上げる。そこには迷いもためらいもない。
「ーー本当に大事なもののためなら、不要なものは捨てなくてはなりません。いまの僕たちには、見栄もプライド不要です」
「……そうか」
ジェームズは目を伏せた。
しばしの沈黙ののち、目を開いたジェームズは立ち上がる。
「アルビオン国王ジェームズの名においてここに命ずる。『ヘヴィ・レイン』を実行せよ! すべての責任は私が取る!」
「陛下しかしーー」
「黙れ若造。私が使用を命ずるのだ。私の判断だ」
禁忌を犯す。
その責任をすべて背負うつもりなのだ。
「詳細はウェールズが決めよ。国王命令だ」
「はっ!」
立ち上がり、部下たちに向き直る。
「聞いたな!? 宴は終わりだ! エリック! 保護した民間人を船に乗せて避難させろ! ラ・ロシェールに降ろしたらすぐ戻ってこい。宮廷魔導師は下準備にかかれ。他の者はとにかく金になりそうなものをかき集めろ! すべて売り払う! ほら動け! 敵は待ってはくれないぞ!」
パンパンと手を叩いて檄を飛ばす。そして尻を蹴飛ばす勢いで部下たちを食堂から追い出した。
酔いが覚めてない部下たちは当然ながらふらつき、転がりながら廊下を走っていった。
「ふふふ、変わったな」
ジェームズはくつくつと笑い、笑顔で返す。
「人は変わるものですよ」
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ウェールズたちが去って行った直後の礼拝堂にて、ハヤトはどうすべきか悩んでいた。
「うー……痛い……」
「いったいなにしたのよ!? っていうかなにされたらこんな怪我するの!?」
ルイズはハンカチで切り裂かれたリンの腕を抑えた。
あの傷の範囲では、はっきり言って気休め程度にしかならないし、喰種の回復速度の前にはなんの意味もない。
「いやほら、ルイズちゃん、ウェールズさんに亡命するように言ったでしょ? ってことは生きてて欲しかったんだよね?」
「それは……そうだけど……」
「だからちょっと、気合いを入れ直したんだ。で、やる気になったウェールズさんに『サベージ・バイト』とかいう魔法をぶつけられたってわけ」
「それ風のスクエアスペルじゃないの!」
「でもほら、もう治ってきたから」
リンのいうとおり、出血どころかすでに傷口までふさがっている。
Rc細胞由来の武器……クインケや赫子は容易く喰種の肉を切り、骨を断つ。さらに傷の治癒能力を大きく阻害させる。それらを使わずに喰種を斃すのは極めて困難だろう。
「ふむ……」
ワルドがなにか思案顔で声を漏らした。目が合うと、ワルドはこちらへ歩いてきて、小声で問いかけてくる。
「参考までに聞きたいんだが、『人喰い鬼』……いや喰種か? 喰種を魔法で殺すことはできるのかい?」
ワルド……裏切りの疑いがあるが、この問いには答えよう。
「一撃で頭を潰せ。目玉や口の中は脆い。そこから狙うといい」
なにかの拍子でリンが死んでくれればそれでいい。ワルドが代わりにやるなら僥倖だ。
ハヤトがリンになにもしないのは、ウェールズが『待った』をかけているからだ。だからいまは指をくわえて見ているしかない。ただそれだけだ。
「なるほど。ためになるよ」
ふっとワルドは笑みを浮かべた。その意味はわからない。
完治したらしいリンは立ち上がり、椅子の破片が散らばる床を見渡しながらうろうろし始める。杖を探しているのだろう。
ルイズも同じように歩き出し、それにつられてワルドも手伝った。
曰く、婚約者だけにやらせるわけにはいかないらしい。
ハヤトは手伝うでもなく三人を眺める。
「……」
リン。
あいつはなぜルイズやワルドになにもしようとしない? 喰種のくせに。化物のくせに。人を喰らう悪鬼のくせに。
ルイズ。
彼女はなぜリンの隣に平然と立っていられる? 怖くないのか? 自分が襲われるとは考えていないのか? 信頼しているのか? それとも愚かなのか?
ワルド。
あいつはなにを考えている? 裏切り者なのか? ただの考えすぎなのか?
わからないことだらけだ。
バタバタと慌ただしい足音が聞こえてくるのと、リンがウェールズの杖を見つけたのはほぼ同じ頃だった。
「まだここにいたのか」
兵士が言い、ハヤトが答える。
「ああ。なにかあったのか?」
「ウェールズ殿下が民間人の移送を急がせた。君らも早く乗船してくれ」
「急だな」
「状況が変わったんだよ。とにかく船着場に急いでくれ」
引き返そうとする兵士だが、それをリンが呼び止める。
「ちょっと待った」
「うん?」
「ウェールズさんに持って行ってあげて」
と言って杖を差し出した。
リンに杖を持ってくるようにウェールズは言ったはずだが……面倒なので黙っておく。
「ああわかった」
兵士は杖を受け取り、走り去っていく。
「じゃあルイズちゃんたちは先に行っててよ。僕は着替えてから行くから」
「わかったわ」
リンは転がっていた剣を拾い上げると、すぐ脇を通り過ぎて出て行った。
睨みを利かせていたのだが、一瞬たりともこちらに気を向けなかった。まるで最初からハヤトなんていないかのように。
「……」
ハヤトは眉間に深い縦じわを入れて、こめかみに血管が浮き上がる。
喧嘩を売っているのだとしたらかなり効果的なやり方だ。手出しできないとわかっているから、まったく恐れず、警戒しない。
あるいは不意打ちされても対処できるという自信からくるものなのだろうか。
「ルイズ」
ふと、ワルドがルイズに声をかけた。そちらを見やる。
「ワルド様?」
「時間がなさそうだ。僕と、結婚してほしい」
冷たい声で、ワルドはそう告げた。
しかし時間がないとはどういうことだ?
「そんな……こんな時になんて……」
「こんな時だからこそさ。ウェールズ殿下の新たな門出だ。彼に、仲人を頼みたくてね」
なにか、違和感を感じる。言いようのない不安さえも。
「少し、待ってください」
困ったようにルイズが言い、一礼して小走りで出て行ってしまった。
「ここで待っているよ!」
ワルドはルイズの後ろ姿に告げた。
そのルイズの姿が見えなくなり、ワルドに問う。
「……急にどうしたんだ?」
「いやなに、彼女の気が変わらないうちに結婚式だけでもと思ってね。ハヤトも船着場に行ってくれ。後から行くよ」
「ああ」
ワルドも出て行こうとする。
「ここで待つんじゃないのか?」
「少し別の用事がある」
言って、ワルドも出て行ってしまった。
どうにも怪しい。
目的がウェールズの命とルイズの二つ。そうだとしたらワルドを放っておくことはできない。
ハヤトは捜査官らしくワルドを尾行した。
><><><><><><
ルイズは当てもなく廊下を歩いていた。
兵士たちがせわしなく動き回り、金や銀の食器、絵画、家具、とにかく売ればそれなりのお金になりそうなものを運んでいる。
そういった人々の横を過ぎながら、ワルドへの返事を考えていた。
ワルドと結婚する。
それは幼いころからわかっていた。しかし結婚はまだ先、まだ先のことと引き延ばしに考え続けた。考えないようにしていた。
そしていざ当日、結婚してくれと言われて、覚悟ができずにいる。
どうしたらいいの?
憧れではある。しかし好きかと問われると返答に詰まる。
こういうときに相談できる相手といえば……ハヤトは論外。リンしかいない。
「ちょっとあなた」
「はい、なんでしょう?」
ここに勤めているらしいメイドを呼び止めた。
叩き起こされたのか、服や髪はやや乱れていて両目も半開きだ。
「リンがどこにいるか知らないかしら?」
「リンさんなら部屋に戻りましたよ。血まみれでしたね。ああ、部屋ならここをまっすぐ進みまして、突き当りを左に曲がった先の階段を一番下に降りたところです」
「そう。ありがとう」
言われた通りに歩き出す。
「あっ、でも中には入らない方がーー」
後ろからなにか聞こえたが特に気にせず、進む。
まっすぐ行って突き当りを左に。そして階段を降りて、気づいた。
上の慌ただしさとは違い、こちらには人がいない。そして妙に空気が淀んでいるような気がする。
階段の一番下には鉄板と鋲で補強された無骨な扉が閉じてあった。その上部には釘が打ち付けられ、鈴が下げてある。
その扉には張り紙。
『リンの部屋。立ち入り禁止。用がある人は呼び鈴を鳴らすこと』
「なによこれ」
立ち入り禁止だなんて、使い魔のくせに偉そうね。
と、特に考えずに扉を押し開けた。チリンと冷たく鈴が鳴る。
扉の向こうにはまた扉がある。二重扉の理由がわからないが、そちらも押し開けようとした時、声がした。
「だれ?」
リンだ。開けようとした姿勢のままぴたりと固まる。
なんとも言えない異臭が漂ってくるのだ。空気が腐ったような、本能的に危険を感じるような、そんな臭い。
「わたしよ、リン」
「ああルイズちゃん? ちょっと待ってて、いま行くから」
……気になる。
使い魔の衛生状態や健康を気にするのも主人の務めよね。
なんて言い訳を自分に言い聞かせて、開けた。後悔した。ここは地下牢だ。
通路が奥に伸びて、左右に鉄格子がはめられている。その通路をリンがこちらへと歩いてくる。
問題なのはこの臭いだ。むせるとまでは言わないものの、生臭い血の臭いがする。
ここがリンの部屋であると同時に、つまり、例えば、捕らえた捕虜や死体なんかを、そういう目的で使う場所もあるのだ。
独房の中がどうなっているのかは想像に難くない。
「だから開けちゃダメだって」
リンがルイズをエスコートするように地下牢の外へと連れ出し、扉を閉じる。
「僕が怖くなった?」
微笑みながら問いかけてくる。
「……怖くないわ」
少し、間があいた。
この笑顔を持つ男が、人を喰べるなんていまいち信じられない。
快楽で人を殺すような男は、演劇や本といった物語の中では常にニタニタといやらしい笑い方をするものだ。
「そう」
少なくともリンのように困ったように微笑みかけたりはしない。
「……それで、なんの用事?」
その話題に戻り、二人で階段を上がる。
「ワルド様に、プロポーズされたの。ここで式を挙げたいって」
「そうなんだ? それで、なんて言ったの?」
「まだ答えてないわ。ねえ、わたしどうしたらいいかしら?」
「どうって言われてもね……ルイズちゃんは結婚したいの?」
引き止めるつもりがないような言い方だった。
そして引き止めて欲しいかのような考えに、ルイズは自分で内心驚いた。
「わからない……わからないから、きいてるのよ」
「んー……結婚したことないからあんまり偉そうなこと言えないけどさ、結婚してくださいって言われて返事できないなら、やめといて方がいいんじゃないかな?」
返事ができないならやめた方がいい。
ごくごく単純で当たり前の言葉だが、事実その通りだ。
「そう……よね」
憑き物が落ちたような気分になる。ワルドは確かに憧れではある。けれどそれと好きかどうかはまた別問題だ。
親が決めた婚約話だが、それには従えない。それがルイズの答えだ。
好きでもない人と結婚する……アンリエッタ姫はどれほどの覚悟を持ったのか、ルイズにはわからなかった。
「そうよね……ワルド様とは、結婚できないわ」
慌ただしい廊下へと戻り、ルイズはリンを見やる。
「ワルド様に断ってくるわ」
「僕も行こうか?」
「平気よ。船で待ってて」
言い残して、瓦礫の散らばる礼拝堂に向かった。ワルドはそこで待つと言っていた。
><><><><><><
捜査官は気配を殺しての尾行は必須技術だ。
それでもバレる時はバレるものだが……ハヤトは息を潜め、足音を立てないようにし、ワルドの後を尾ける。
廊下を進むほどに人の気配が少なくなる。何度も角を曲がり、階段を降りて、また進む。
どこへ行く気だ? なにをする気だ?
疑惑が確信めいたものに変化するころ、ワルドはなにかの部屋へと入る。
「……?」
あんなところでなにをするというのか。
ハヤトは扉の前で立ち止まり、耳をそば立てる……なにも聞こえない。
扉の隙間から中を覗き込む……いくつもの空っぽの棚が並んでいるようだが、ワルドがいない。
そっと部屋に入った。
「ハヤト」
「っ!?」
扉のすぐ横に、ワルドが腕を組むように立っていた。尾行に勘付かれていた。体が強張る。
「お前いつから気づいていた?」
冷徹な眼差しを向けられる。
気づいていたか? と言った。なにに? とは問うまい。つまり、認めたのだ。裏切り者だと。
ワルドが杖を抜いた。
ハヤトの胴体に向けてワルドの刺剣型の杖が迫る。杖の先端は平らなのだが、その杖を包みこむように何かが渦巻いているのが見えた。
触れるだけでまずい。ハヤトの直感が告げる。避けろ!
クインケを展開する時間はない。
だから、背を見せるように体を反転。背中を杖がかすめる。
その勢いのまま、甲赫型クインケ:ハゼを大剣状に展開。その腹面をワルドの横腹へと振る。相手が誰であっても、どんな理由があったとしても、喰種捜査官が人殺しになるわけにはいかない。
狭い屋内だがハゼを横殴りにする余裕はあった。ワルドの後ろには壁、上には天井。
飛べない上に後退してもまだハゼの攻撃圏内。となると避ける方法は一つ。しゃがむことだ。
読みは当たった。ハゼはその勢いのまま横の壁に激突。ワルドはその下にしゃがむ。
その顎に、渾身の蹴りあげ。確かな感触。入った。
爪先に鉄板が仕込んであるブーツだ。しばらく固形物が食べられなくなるだろうが、そこは我慢してもらう。
ハゼの切っ先を床に下ろした。
「なに?」
ワルドの姿が消えた。どうして? これも魔法か?
即座に背を壁につけて、部屋を見渡した。姿を消す魔法だとしたらどこから来るかわからない。
警戒するが、部屋になんの変化もなかった。埃一つ動く様子がない。
隙を見計らっているのか、それとも逃げたのか……。
……らちがあかない。背中を壁につけたまま、扉から廊下へと出る。
まだ変化はない。
そういえばワルドは礼拝堂でルイズを待つと言ってなかったか?
急ごう。彼女が危険だ。
><><><><><><
城の最上部にて、ウェールズは指揮をとっていた。
すでに玉座や赤絨毯と言ったものは下へと運ばれ、残っているものはなにもない。
残るは城の建材であるむき出しの石材くらいなものだが……ウェールズを中心とした宮廷魔導士はそれを崩していた。
楼閣の頂きから『固定化』を解除し、『錬金』によって砂へと変換。
そうやって大量の砂礫を下へと落としていく。
禁呪とされる『ヘヴィ・レイン』にはとにかく下準備に手間がかかる。そして材料はこの城を使うしかない。どうせ捨てるのだから、悔いはない。
「そこ落ちるぞ! 気をつけろ!」
ウェールズが指示すると、宮廷魔導士たちは『フライ』で移動。すると天井とそれを支えていた柱ごと、一気に砂になり、崩れ落ちた。
大量の砂埃にウェールズは咳払いをし、目をこする。
「殿下」
後ろから部下の一人がやってきた。
「どうした?」
「ワルド子爵がお話がしたいそうです。なんでも、ミス・ヴァリエールとこの城で結婚式を挙げたいと」
「ここで?」
「ええ。仲人役を務めて欲しいそうです」
ウェールズとしてはそれは別に構わないのだが……。
「ふむ。みんな、しばらく席を外す。あとは頼むぞ」
威勢のいい返事がきて、ひとまずウェールズは下へ降りた。ここへの立ち入りを禁じているのだ。下準備すら見られたくない。
階段を降り、扉を潜ると、そこにはワルドがいた。
「ウェールズ殿下、僕の頼みをきいてもらえませんか?」
「ミス・ヴァリエールとの結婚式かい? 彼女は承諾したのかい?」
「もちろんです。是非とも仲人を引き受けて頂きたい」
「それは構わないが、しかし礼拝堂はもう使えないぞ?」
「いえ、あなたの新しい門出の場でもある。むしろいまの礼拝堂こそふさわしいかと」
「君がそういうなら、喜んで引き受けさせてもらうよ」
「ありがとうございます、殿下」
そう言うワルドの笑顔は、ひどく冷たいものだった。
><><><><><><
船着場に到着したリンは、特になにをするでもなく出航の時を待っていた。
別に手伝えと言われたわけでもないので、彼らの荷物運びをするつもりもない。面倒だし。
と、そこへワルドがやってきた。
「やあ、リン」
「こんばんは。あれ? ルイズちゃんと会わなかった?」
「会ったとも。それで彼女は僕のプロポーズを受けてくれたよ」
「ルイズちゃんが?」
ついさっき断ってくると言ったのに?
「ああ。簡略だが、ここで結婚式を挙げることにしたんだ。それで君には一足先に帰って欲しいそうだ。なに、あとから僕がちゃんと連れて行くよ」
「ふーん?」
おかしい。なにもかもがおかしい。なんだこいつ?
さっきまでルイズと一緒にいたこと知らないらしい。それにしてもなんかいろいろと、怪しい。
「ねえワルドさん」
腰かけていた樽から立ち上がり、ワルドの正面に立つ。うん、やっぱり変だ。
「なにかな?」
「僕、っていうか喰種ってけっこう鼻が効くんだよね」
「……それで?」
「なーんで『におい』がしないのかな? 生きていても死んでいても、必ずにおいがするはずなのに」
「……」
「……」
グリフォンのように射殺すような視線と、蛇のような獲物を絡めとるような視線が交わった。
「なに企んでるの?」
「……目障りだな」
ワルドの腕が杖に伸びる。リンが踏み込む。
ワルドが杖を抜く。リンが貫手を繰り出す。
ワルドが杖をリンに向け、リンの貫手がワルドの頭を叩き割った。
ワルドの杖を持つ、抜く、刺すの三動作に対し、リンは距離を詰める、刺すの二動作だ。素手である分リンの方が速い。
「不意打ちで僕に勝てるわけ……あれ?」
頭蓋骨を粉砕し、脳漿をかき混ぜる感触は確かにあった。
しかし倒れるはずのワルドの姿が、霧のように消えてしまった。
「デルフ、これなに?」
背中のデルフリンガーをわずかに持ち上げると、金具をカチカチと鳴らしてデルフはしゃべる。魔法に関してはデルフに尋ねるのが一番いい。
「こいつぁ風の偏在だな。平たくいや、分身だよ。おい相棒、あのヒゲなんか企んでやがるぜ」
「わかってるよ。ルイズちゃんを探さないと」
デルフを鞘に戻し、走った。兵士の一人が慌てて声をかける。
「おいリン、船はもうーー」
「ごめん先に行ってて!」
言い残して上へと続く階段を駆け上がった。
ワルドがここでなにをしようと勝手だが、ルイズに手を出すのだけはダメだ。
そんなことしたらブチ殺す。