ゼロの喰種   作:gulf0205

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トリステインの人喰い鬼
学院


その夜……リンはルイズのベッドに腰掛けたまま、何もない暗がりを凝視していた。

王宮からの令状によりリンは学院への帰還を許され、オスマンは嫌な顔をしながらもリンの存在を認めた。

 

そんなことはどうでもいい。

 

部屋に入り藁束に腰掛けた時、ルイズは言った。ベッドで寝てもいいわよ。でも変なことしたら許さないからね。

 

だからなんだ。

 

あの頬骨の浮き上がった『白鳩』の言葉がリンの中で反芻する。そういえば昔、蛇のような鱗赫の喰種を一匹始末したな。東京の地下道に潜っている時にな、まずは女の喰種を見つけて駆逐した。その体を解体して撒き餌にしたら……クックッ、その息子らしい喰種が飛び出してきおったよ。

 

「……」

 

暗闇の中に、あの日の光景が浮き上がる。壁のパイプにくくりつけられた腕。広い下水道の空間。血の海に横たわる兄。それを見下ろす『白鳩』達の姿。

その中にあいつがいた。自分から言いだした。

あの時、ルイズがかわりに怒ってくれなければ、間違いなくその場で襲っていただろう。

自分には関係ないからと言ってその場はごまかしたものの、いまになって血が再燃する。

血が火のついた油のように燃え盛り、全身を焼くようだった。

頭が痛むほどに心臓が力強く脈打つ。

赫眼が現れ顔がひび割れる。

こんなところでいったいなにをしているんだ? 今すぐにでもシルフィードに乗って殺しに行くべきじゃないのか? デルフリンガーで四肢を切り落として道端に転がしてやらないと気が済まない。僕ならできる僕ならやれる僕なら勝てる僕なら殺せる僕なら負けない僕なら強い僕なら僕なら僕なら僕なら僕なら

 

ーー本当にいいの?

 

「……?」

 

誰かが耳元で囁いたような気がした。

左手の甲にあるルーンが強く輝き、部屋の片隅に誰かが座っているような感じがする。

その『誰か』が再び問いかけてくる。

 

ーー本当にいいの?

 

「……」

 

あの時……正体がばれて学院を飛び出したあの日も、ちょうどこんな声が聞こえた。

あの時は殺すなと、ルイズの居場所を壊すなと、その『誰か』はしきりに訴えていた。そしていまも殺すなと訴えてくる。どうして?

 

ーー殺せばいまの生活には戻れなくなるよ?

 

「……」

 

血管に氷水を流し込まれたように、煮えたぎっていた血が急速に冷めていく。赫眼が消えて元の表情に戻っていく。

 

ーー君にとって一番大事なものってなに?

 

「……」

 

問われて、後ろで寝息を立てるルイズを見やる。

疲れているのかいないのか、着替えることは怠らずに無防備な薄いネグリジェ姿をさらしていた。

窓から差し込むかすかな月明かりがその愛らしい寝顔を浮かび上がらせる。

どうしようもなく守りたくなる安らかな寝顔。強く抱きしめると折れてしまいそうな肢体。透き通った肌。柔らかそうな頬。魅力的な唇……。

ルイズと離れ離れになってしまうのは嫌だ。絶対に、嫌だ。

 

ーーどっちを切り捨てるつもり?

 

あいつを殺してルイズとの生活が終わり、また東京のようなその日暮らしを始めるか。

兄と母の思い出やあいつへの怒りを心の奥底に沈めて、ルイズとの日々を過ごすか。

 

「……」

 

答えは決まっていた。

リンはふぅと息を小さく吐いて、ルイズの隣に身を横たえる。

復讐なんてのは結局のところ “生きてるのがムカつくから殺してスッキリしたい” というものでしかない。そしてこの場合、満足感を得る代わりに失うものが大きすぎる。

喰種捜査官にバカはいない。あのオヤジを殺す動機が一番あるのはリンだ。ハヤトだけでなくお姫様だって真っ先にリンを疑う。

そしてこの学院から誰にも知られず首都まで向かい、あのオヤジを見つけて殺して誰にも気づかれずに学院に戻るという方法はとうてい思いつかない。

だから、諦めるしかないのだ。

その思案が使い魔のルーンによるものだとしても、それに歯向かう理由にはならない。

 

「……」

 

隣のルイズに体を向けて、大きな枕に頭を乗せる。

すぐ目の前にあるルイズの横顔を見ていると、さっきまでの怒りが嘘のようにまぶたが重くなってくる。

いやそれ以上に少し驚いた。

この深海に引きずり込まれるような眠気は初めてかもしれない。

寝ている間に『白鳩』や別の喰種に襲われるかもしれないのだ。リンにとって睡眠といえばわずかな物音で目がさめるような、ひどく浅いものでしかないのが普通だった。

それがどうしたことか、ルイズの隣にいるだけでかなり安心する。文字通り心が安まる。

ルーンの輝きが強くなるほどに眠気も強くなっていった。

ルイズの小さな体を抱き寄せるように腕を置くと、もう、目を開けていられなかった。

 

 

 

次に目を開けるとすでに窓の外は明るんでいた。

体に染み付いた習慣はそう簡単に変わらないらしい。日の出と同時に目が覚めてしまう。

身を起こして伸びをすると、関節がコキコキと小さくなる。隣ではルイズが相変わらず眠ったままだ。

ふと、脱ぎ捨てられた制服が目にとまった。初めて会ったあの日みたいだ。

 

「……洗濯、しなきゃ」

 

苦笑して静かに立ち上がり、制服と下着をカゴに放り、例によって窓の下に誰もいないことを確認してから飛び降りた。この方が近い。

記憶を頼りに洗い場に向かうと、すでに先客がいた。シエスタだ。

後ろ姿に声をかける。

 

「おはよ」

 

「あ、おはようございっ……!」

 

振り向き、後ろにいるのがリンだと気付いた瞬間にシエスタの表情がこわばった。まるででっかい猛獣を見たような。

 

「どうして、ここに……?」

 

疑念と警戒心が透けて見えるような言葉だった。必死で隠そうとしていてもその目つきには怯えの色が見て取れる。

気にせず、以前のような振る舞いで洗い場の端に膝をついた。

 

「昨日ね、ここに戻ってもいいってさ」

 

「そう、なんですね……」

 

洗い場にある桶に水を汲んで、石鹸と洗濯板でゴシゴシする。以前は下着をよれよれにさせてルイズに怒鳴られたっけ。

シエスタはリンから一歩ほど後ろに下がってから、どうしていいのかわからずに戸惑っているようだった。

 

「別にとって食べたりしないよ?」

 

「えっ!? え、ええ、まあ……」

 

ほんの冗談のつもりだったのだがシエスタにとっては冗談にならなかったようだ。二歩三歩と後ろに下がったのだから。

しゃーない、もうそろそろ切り上げようか。そう思って洗濯物を絞って水を切り、カゴに戻した。

 

「……ねえ、やっぱり僕のこと、怖い?」

 

「それはっ、その……」

 

うつむき加減で歯切れの悪い口ぶりは肯定したようなものだった。

 

「怖いよね、そりゃ」

 

はは、と自嘲的に口元を笑わせる。

『人喰い鬼』なんて呼び名からしてヤバイとわかるものと、自分から仲良くなりたがる人はいないだろう。

第一、シエスタに初めて会った時に『美味しそう』なんて感想を持った手前、あまり偉そうなことは言えない。

もしもルイズが人間を召喚してアルビオンで『人喰い鬼』と対峙したなら、きっとリンを含めて『人喰い鬼』を目の敵としていたことだろう。

幸いにもそうはならなかったわけだが……。

 

「あっ、あのっ!」

 

立ち去ろうとしたとき、シエスタに呼び止められて振り返る。

 

「うん?」

 

「私、その、リンさんのこと、嫌いじゃないですから。まだよく、お互いのことを知らないだけだと思うんです。だからそのうちきっと、みんなと元通りになれると思います!」

 

途切れ途切れの単語の集まりのような言葉だが、言いたいことは伝わってくる。

いつか以前のような仲になれる。それが本心であれ建前であれ、そうなれたらいいな、とは思う。

リンはいつもの笑みを顔に貼り付けて言った。

 

「うん、頑張ってみるよ」

 

できるだろうか? わからない。

けれど少しは歩み寄ってみようとは思った。

そのためにはどうすればいいかを考えながら部屋へと戻った。

 

 

 

部屋に戻るにはさすがに廊下と階段を使う。あの垂直に近い壁をよじ登るには赫子を使わなければ無理だからだ。

そろそろ起こさないといけないので、物音には気を使わずに下着やら制服を窓際に部屋干しする。

それも終わったところで、さて起きてもらおうか。

 

「朝ですよー、っと」

 

肩を揺する。

ルイズは「うーん」と唸って寝返りをうった。さらにはシーツを顔の半分まで引き上げてしまう。朝が弱いのは相変わらずだ。

やれやれと小さなため息をついて、シーツを思いきり引き剥がした。

 

「ひゃっ」

 

ルイズは変な声を出して身を丸め、うーっ、と唸り声をあげながら目をこする。

寝顔はあれだけ可愛らしかったというのに、起きるとずいぶん不機嫌そうな顔になった。

 

「あんたねえ、もっとこう、優しく起こせないの?」

 

「優しいと起きないでしょ?」

 

「うーっ」

 

言い返すと再び唸り声をあげて、もうどうでもよくなったのか身を伸ばした。

リンはタンスからルイズの着替えを取り出してベッドの上に置いて、いつものように廊下に出た。

 

「二度寝しないでね」

 

「しないわよ。子供じゃないんだから」

 

体つきはじゅうぶん子供に見えるのだがそこは黙っておいて、ルイズが立ち上がるのを見届けてからドアを閉じた。

さて、今日はどうしようか?

リンは廊下の壁に背をあずけて考える。

いつも通りに行くだろうか? 『人喰い鬼』なんてものが、ルイズと同じように学院内を歩きまわれるだろうか?

東京ではいつも一人だったが、ここでは人々に囲まれていた。短い期間だったがみんなと一緒にいることができた。

これからも同じように過ごせるかどうかを考えると、言いようのない不安な気持ちになってしまう。

正体がバレた上で人々と共に暮らす。そんな聞いたこともない体験をする喰種は間違いなくリンが初めてだ。

ふと、となりから気配を感じてそちらを向いた。

ルイズよりも小柄な体と不釣り合いなほど大きな杖、青い髪と赤縁のメガネの下にある幼い仏頂面……タバサだ。

そういえば最初に会った日もこんな朝だった。

 

「おはよう」

 

貼り付けた笑顔で言った。

 

「……おはよ」

 

能面のような無表情でそう返してきた。

 

「今日は睨んでこないね?」

 

冗談めかして言った。

最初に会った日は殺気をぶつけ合ったりもしたが、今日はそんなことはなかった。

タバサは少しムッとした表情になって言い返す。

 

「敵意を先に向けてきたのはあなたの方」

 

「そうだっけ?」

 

こくりとうなずく。

タバサが先だったような気がするのだが、こだわるようなことでもないのでそういうことにした。

やがてルイズとキュルケがほぼ同時に出てくる。

 

「ごきげんようヴァリエール。あなたの使い魔も帰ってこられたのね」

 

リンを一瞥するキュルケの表情は、警戒心をごまかすような作り笑いだった。

普段から作り笑いを浮かべているリンだからこそ、その笑顔が本心のものではないと見抜けてしまう。

ついでにいうとキュルケは左半身だけをこちらに向けていて、右手の方をこちらに見せていない。さりげなく隠しているかのようだ。

ルイズは寝起きの不機嫌さと早朝からキュルケの顔を見たせいか、いつにも増して眉間を寄せた。

 

「おかげさまでね、オールド・オスマンもリンが学園に入るのを許可してくれたわ。わかったらいいかげん杖を隠し持つのやめたらどうかしら?」

 

「あら、気づいてたの?」

 

キュルケはいたずらっぽく笑い、隠していた右手を見せた。そこには杖を握っていて、リンは苦笑して肩をすくめる。

どうもキュルケはリンに対して警戒心を解けずにいるらしい。正体が知られる前の、初めのころはやたらと胸を強調するように見せてきたものだが。

キュルケはその杖を自慢の胸元におさめ、ルイズはリンの手を取って引っ張る。

 

「ほら行くわよ」

 

「行くってどこに?」

 

「アルヴィーズの食堂に決まってるじゃない」

 

リンはわかりやすく嫌な顔をした。

正体がバレた上で人前に立たされるのは気がひける。

例えばこのあと何百人もの生徒たちの前に立ったとする。そこで改めて自己紹介をしたとする。

 

 

おっす、オラ『人喰い鬼』、よろしくな

 

 

うん、無理だ。無理無理無理。よろしくやりたい人なんていない。

 

「えぇ……」

 

「あによ、拒否権なんかないんだからね」

 

渋々ながらそのまま引っ張られていった。もとい連行された。

道中の廊下ですれ違う生徒からの、なんかこう、いかにも『うげっ、なんでここに!?』みたいな驚愕と恐怖の視線が実に痛い。

 

「おいあれって『人喰い鬼』なんだろ?」

 

「ど、どうしましょう、わたくしルイズのことを『ゼロ』だなんて呼んでしまったわ」

 

「し、知らないわよ、わたしは言ってないわ」

 

「なによあなただって呼んでたじゃない!」

 

「やめなよ、あいつに聞こえるっつーの」

 

もう全部聞こえているが面倒なので無視した。

いままで見下していた相手が力を持つと身の保身に走るのはどこも同じらしい。

とにかく耳障りな噂話や居心地の悪くなる視線を我慢した。それにしても先を行くルイズのこの堂々っぷりには恐れ入る。

気づいていないはずがないのだが……疑問に思ってきいてみた。

 

「ルイズちゃんはなんともないの?」

 

「どういう意味よ?」

 

「だってほら、みんな陰口言ってるのに堂々としてるからさ……気づいてないのかなって思って」

 

「顔を見て言いたいこと言えない人の意見なんか気にしなくていいのよ。あんたに文句あるならわたしに言えばいいんだわ」

 

「それはまた心強いなあ」

 

軍隊を背後に並べて交渉するような感じがしないでもないが、ルイズが気にしていないのならそれでいいか。

ルイズは歩きながらリンを振り返ってビシッと人さし指を突きつけた。

 

「言っとくけど、あんたがバカやったり誰かを傷つけたりしたらわたしが許さないんだからね!」

 

「わかった、大丈夫だよ。ルイズちゃんに迷惑かけないって」

 

ルイズに迷惑かからなければその限りではないのだが……その注釈をごまかすように笑って見せた。

 

「よろしい」

 

ルイズは満足したようにふふんと鼻を鳴らして再び前を向く。

そうしてアルヴィーズの食堂に入った。例によって料理の不快臭が鼻につく。

さっさと出て行きたいが、とりあえずはルイズの椅子を引いて、座らせた。

 

「じゃあ僕はこれでーー」

 

「だめよ。せめて壁際には立ってなさい」

 

「どうしても?」

 

「どうしても」

 

そこまで言われては拒否できない。仕方なく出入り口のすぐ脇に立った。

やがて料理が運ばれてきて、シエスタたちの手伝いでもしようかと思ったが、まだ立っていることにする。

そして教師陣が正面のテーブルにつき、オスマンが壇上に上った。

 

「静粛に」

 

小さく、それでいて力強い一言が食堂のざわめきを消し去る。

 

「もう気づいておるじゃろうが、ミス・ヴァリエールの使い魔について皆に伝えておこなくてはならん」

 

好奇の視線が集まってきた。あーやだやだ。

 

「彼はまさに『人喰い鬼』じゃ。以前にも言ったように、人間の天敵じゃ」

 

否定できず、頬をかいた。

早く終わってほしい。

 

「じゃが彼は王室の要請により、とある働きをした。それは極めて秘匿性が高い任務じゃ。それを成し遂げた功績を加味した結果、リンはこの学院の一員として迎え入れることとなった」

 

ざわめき。

戸惑い。

困惑。

嫌悪。

好奇。

ただひたすらに居心地の悪い思いを我慢するしかない。

 

「リンの……なんじゃ、食事については王室が手配するそうじゃが、わしとて完全に気を許したつもりはない。よって、当面の間は監視させてもらう。以上じゃ」

 

事務的な報告を終えて、オスマンは自分の席へと戻った。

そして食前の祈りが始まったところでリンは食堂を後にした。さてと……配膳の手伝いでもしようか。

そう思って裏手の方へと回り、マルトーらがいる調理場に入る。

 

「おはよう」

 

ピタ

 

そんな音が聞こえてきそうなほど料理人やメイドたちの動きが止まった。

頭が軽いパニック状態になって次にすべきことがわからなくなったのだ。

喰種が警戒も注意もしていないときに突如として敵対心むき出しの『白鳩』に出くわすと、ちょうどこんな感じになる。

 

「ああ、おまえさんか」

 

マルトーのその冷たい声色の言葉によって、停止していた彼らは何事もなかったように再び動き始める。

叫ぶでもなく逃げるでもなく、給仕を続けるという選択を選んだらしい。

 

「うん、僕だよ。なにか手伝えることある?」

 

「そうだな……とりあえず “外に出て” 薪でも割っててくれ」

 

気のせいだろうか……俺たちに近づくなと言われた気がした。

 

「わかった」

 

つとめて明るく返事をして、調理場の裏へと回った。

そこには浴場や料理に使う短い丸太がうず高く積まれており、土台となる切株には斧が突き立てられている。

 

「外に出て薪でも割ってろ……ねえ」

 

薪割はもののたとえで、本命は外に出てろ、なのだろう。

 

「まあ、しゃーないか」

 

斧を引き抜き、丸太を一つ切株に乗せる。丸太の中心にある亀裂を狙い、一撃で叩き割った。

ぱかん、と気分のいい音を立てていくつもの破片に割れる。喰種の腕力ならこれくらい余裕だ。

赫子を使えばもっと手っ取り早いがここで使うのはよくない気がするので、斧を使って割り続けた。

ぱかん、ぱかん、ぱかん、と。

 

割った後の薪入れが満杯になり、積み上げられていた丸太の半分がなくなったあたりで、ルイズがやってきた。

 

「ここにいたのね」

 

「ご飯は終わったの?」

 

「ええ。授業に出るから、行くわよ」

 

「うん」

 

もうそんな時間らしい。

結局ルイズ以外には誰もこなかったなと複雑な気分になり、斧を丸太に突き立ててルイズの後を歩いた。

 

 

 

 

次にやってきたのは風の塔にある教室だ。

教室の誰もいない片隅にルイズが座り、その隣にリンは座る。

後からやってきたタバサとキュルケはリンの背後に並んで座った。

そして滑稽なことに、この一角の周りは見事に誰も座らなかった。見えない壁に阻まれているかのようにこの四人だけが孤立している。

 

「この状況、なんか笑っちゃうわね」

 

キュルケがリンの内心を代弁して、ルイズはジト目でキュルケを見やる。

 

「じゃああんたもあっちに行けば?」

 

「いまは男に囲まれたい気分じゃないのよ」

 

言って、キュルケはコンパクトと口紅を取り出してお色直しを始めた。

本心からなのか、ルイズを気遣ってか、タバサの近くにいたいからか、それともリンを見張るためか。それはキュルケにしかわからない。

しばらくしてガラリと扉が開き、ギトーが入ってきた。

ギトーとリンの目があうと、ギトーは嫌なことを思い出したかのように眉間にしわを入れる。

無理もないだろう。リンはギトーに負傷させて杖をへし折ったのだから。

 

「授業を始める前に、あー、ミス・ヴァリエール」

 

「なんでしょうか?」

 

「その使い魔がいると授業に支障がでる。外で待機させたまえ」

 

「どんな支障があると言うんですか?」

 

ルイズは不機嫌さを隠さず問うた。怒鳴らないのは相手が教師だからか。

 

「『人喰い鬼』がいると他の生徒たちが授業に集中できない。現に杖を密かに握っている者が何名かいる」

 

リンやルイズのいる場所からでは見えないが、ギトーのいる場所からなら杖を握っているのが見えるのだろう。

そこまで警戒されるとちょっと傷つく。仕方ないけど。

ルイズがさらに反論しようとしたが、先に立ち上がった。

 

「いいんだよ。僕は外で待っとくから」

 

「でも……」

 

「平気だって。勉強頑張ってね」

 

作り笑いを浮かべて教室を出た。

これでいい。これで。

そう自分に言い聞かせて歩く。そうしないと泣けてくる。

さて次はどこに行こうかと思い、図書室に行ってみることにした。

リンは本をそれなりに読む方だ。難しい文学小説は無理だが、いわゆるライトノベルというものならどうにかなる。

読める本があればいいのだが、ひとまず行ってみることにした。

 

そんで。

 

「その……申し訳ありませんが、ここは魔法学院の生徒と教師以外の立ち入りは禁止しております」

 

と、入り口の冷や汗をかいた司書に止められた。

 

「ちょっと見るだけでも、だめ?」

 

「は、はい……そのお……オールドオスマンもそう仰っておりますので……どうか、お引き取りください」

 

力づくで押し入るわけにもいかず、リンは肩をすくめるしかなかった。

 

「そう……わかった。じゃね」

 

軽く会釈して、その場を立ち去る。

 

 

まあ、仕方ないよね。

と自分に言い聞かせて、もう一度シエスタたちのいる調理場付近に行ってみた。まだ後片付けやらなんやらが残っていると思ったからだ。

中庭を歩いてその調理場へと近づき、中から水洗いの音と話し声が聞こえてくる。

悪いとわかっていても気配を隠して盗み聞きした。

 

「ねえシエスタ、あなたリンと仲いいでしょ? ここには近づかないでって言っといてよ」

 

「そんなの嫌ですよ。怒ったら私が喰べられちゃうじゃないですか」

 

「じゃあ誰が言うの? みんな嫌でしょ?」

 

「シエスタが適任だろ? あいつ俺たちの中でシエスタと一番仲良いし」

 

「えー?」

 

「あなた彼と一緒に仕事できるの?」

 

「それはちょっと……抵抗ありますけど……」

 

「だったらお願い、ね? ご馳走するから」

 

「もーわかりましたよ……あー、やだなあ……」

 

それが本音か。

リンは顔をしかめて調理場から後ずさった。

話し合えば理解しあえるだなんて言っておいて結局これだ。

あんまりじゃないか。期待させるだけさせておいて……わざわざ上げてから落とすか?

歩み寄ればその分だけ離れていく。だったらもうできることはなにもないではないか。

 

「……」

 

リンは無言のままここを離れた。

 

 

 

 

 

行き着いた場所は使い魔たちが集う広場だった。

ベンチに座り、ぼんやりと空を見上げた。

自分はこんなにも傷つきやすい性格だなんて思わなかった。

喰種だから拒絶されるのはわかるし、仕方ないと受け入れることもできる。

しかしどうしようもなく裏切られたという感覚に囚われてしまう。

あれだけ親しくしておいたのに手の平を返すのか。

そりゃあリンだってクインケを持った有馬と友達になれるかといったらまず無理だ。最初から嫌だと言う。

シエスタもシエスタだ。最初から『あっち行って』と言われたほうがまだマシだった。

 

「はあ……」

 

仕方ない。仕方ないんだ。

リンは喰種。

あちらは人間。

喰種は人間を食べるもの。拒絶されて追い出されるのはよくわかる。

そうわかっているはずなのに、胸の奥底がキリキリと痛む。

 

「……」

 

そういえば、こうして空を見上げるのなんていったいいつぶりだったらう?

東京の路地裏から見上げる空なんて、四角形に切り取られたひどく狭い空でしかなかく、見上げる価値もなかった。

アルビオンでさえも目線から下しか見ていない。

 

「……」

 

空ってこんなに広くて青かったんだな。

そう物思いにふけっていると、空の色をした風竜、シルフィードがやや離れたところに降り立った。

着地したシルフィードはゆっくり近づいてきて、顔色を伺うようにしてきゅいきゅいと鳴く。

 

「ごめんね、もうご飯は持ってきてあげられないんだ」

 

近づけてきた頭を撫でてやると、シルフィードは寂しげな……あるいは同情するような眼差しを向けてくる。

シルフィードは「きゅい」と一鳴きすると、ベンチの隣に座り込み、猫のように頭をすり寄せてきた。まるで一人にはさせないとでも言うように。

 

「はは……本当に話せたらいいのにね」

 

シルフィードの頭を撫で回してやると、背後で気配。

 

「やあ、リン君」

 

振り向くと、そこにはコルベールがいた。

 

「おはよう、コルベール先生。腕は治ったの?」

 

「あっ、ああ、おかげさまで」

 

完治したことを証明するように、リンが骨折させた右腕を掲げてみせた。

 

「そう、よかった」

 

リンが骨折させておいて言うのもなんだが、コルベールの腕に障害が残ったら少し後悔する。

主にルイズが不利益を被るのではないか、という意味で。

 

「隣に座ってもいいかな?」

 

「どうぞ」

 

「では」

 

コルベールはリンの反対側の端に腰かけた。今さら何も言うまい。

しばらくお互いに黙っていたが、コルベールがようやく口を開いた。

 

「君は、その……答えたくなければ答えなくてもいいんだが……どれほど、人を殺したんだい?」

 

なぜそんなことを聞くのかわからなかった。

わざわざ聞かなくてもわかるような質問だから、とある漫画のセリフを引用して正直に話した。

 

「先生が二二年間で食べたパンの数くらいかな?」

 

言うと、コルベールは顔を引きつらせる。

一週間ほど喰べないときもあるので、実際にはもう少し少ないのかもしれないが。

 

「そ、そうか……」

 

再び会話が途切れた。

なので今度はリンから問う。

 

「先生は殺したことないの?」

 

その問いかけに、コルベールは苦々しく顔で目を閉じる。思い出したくない過去を振り返るように。

 

「ああ、あるとも」

 

「どうして? 喰べるわけじゃないよね?」

 

「……命令、だったんだ。疫病の流行っている村を焼き払えと……しかしそれは嘘だった。疫病など存在せず、その村に逃げ込んだ一人の人間を殺すためだけに、村そのものを焼き払うように命令されたんだ」

 

背を丸めて、懺悔でもするような、そんな口ぶりだった。

すがるようにリンへと顔を向けた。

 

「君は……人を殺すとき、なにも感じないのかい?」

 

問われて、最初に殺した人間を思い出した。

兄に連れられて、食事用の肉を初めて調達しに行ったときのことだ。

あのときは酒に酔った中年のおっさんだった。後ろから赫子でひと突きにして、すぐに二四区へと続く下水へと引きずり込んだ。

初めての獲物の肉は美味しくなかった。

 

「……最初の一人を殺したときは……なんていうか、ひどく、嫌な気分だったな」

 

あのときの気分を後悔や懺悔というのだろう。

二人目は若い男女の恋人で、その女の方だった。

女をリンが、男を兄が、それぞれ殺した。

女は柔らかくて美味しかった。特に内臓が。男はそこそこだった。

 

「二人目のときは、怖かったな」

 

「怖かった?」

 

「うん。捕まるんじゃないか、とか、誰かに見られたんじゃないか、とか、ハヤトみたいなやつがやってきたらどうしようとか」

 

三人目は……もう思い出せない。

 

「三人目からは、なにも感じなくなったな。なんだこんなもんか、って」

 

「そうか……」

 

コルベールはなにを思うのか、リンにはわからない。

 

「笑わないで聞いてほしいんだが……私はその、自分の過ちをどう償えばいいのだろう? 私は私の過去とどう向き合えばいいのだろう?」

 

村を住人ごと焼き払ったことを後悔しているらしい。その事実とどう向き合えばいいのかわからない、と。

しかし相談する相手が悪すぎたと、リンは自分でも思った。

 

「たぶん参考にならないけど……それでもいいかな?」

 

「ああ」

 

「……その過去で苦しんでいるなら、向き合わなければいいんじゃないかな?」

 

「え?」

 

「この世の不利益はすべて当人の能力不足」

 

言うと、コルベールは言葉を詰まらせた。

かまわずに続ける。

 

「その村だって襲われないように用心棒を雇えばよかった。貴族にでも取り入って守ってもらえばよかった。自分たちで武装しておけばよかった。その逃げ込んだ一人を最初から差出せば先生がやってくることもなかった。そうしなかったのはぜーんぶ、村人の責任」

 

「それ、は……しかし……」

 

「その村の人たちは自分から不幸を呼び寄せたんだよ。別に先生が気にする必要なんてないんじゃない?」

 

コルベールはリンの言葉で眉間にしわを入れた。

まさに絶句というものだろう。

 

「……ね? 参考にならないでしょ?」

 

「はは、は……」

 

冗談めかしていい、コルベールは苦笑いして広くなった額の汗を拭う。

罪悪感や自責の念と向き合うから苦しむ。苦しまないためには被害者を悪人にしてしまえばいい。

喰種は人を殺すほどに徐々にその術を身につけるものだ。だがそれができる人間は真性のクズしかいないだろう。

コルベールのような男にはまず無理だ。

 

「君は……出て行こうと思えばどこへでも行けるのに、なぜミス・ヴァリエールに付き従うのかね?」

 

「……さあ、なんでかな? ルイズちゃんのこと、けっこう気に入ってるからかな」

 

その答えに、コルベールはしばし考えて、問う。

 

「もしも、なんだが……ミス・ヴァリエールか、この学院、いや、この国すべての人間のどちらか片方しか助けることができないとしたら、君はどうする?」

 

「他を見捨ててルイズちゃん一人を助ける」

 

即答した。

心の底からの本音だ。

コルベールは今度こそ苦々しい表情となる。

 

 

 

><><><><><><

 

 

 

コルベールは苦虫を噛み潰した顔をしながら、リンという人となりを理解した。

一人の個人か見知らぬ多くの命。どちらか一方を切り捨てなければならないという重大な決断を迫られたとき、人は必ず思い悩むものだ。悩んで、そして結論を出す。

しかしリンは悩まなかった。

リンという青年は、言ってしまえばルイズという神に仕える狂信者だ。神のためならばどんなことでも、なんでもやる。

そしてリンは『人喰い鬼』だ。命を奪うという業罪、背負うべき十字架。

リンはコルベールの半分程度しか生きていないにもかかわらず、背負わされた十字架を捨てる方法を見つけてしまった。

彼はもう、駄目だ。

人が持たなくてはならない大事なモノを、リンはすでに失っている。人としての大事な一欠片。それが壊れてしまっている。

もう、戻ることはないだろう。

……だからか。

人して失ったものを補うために、ルイズという神にすがったのか。

 

「そうか……君と話せてよかったよ」

 

コルベールは立ち上がり、別れを告げた。

その眼差しにわずかばかりの憐憫の情がこもっていたとしても、無理のないことだった。

この若さでどれほどの苦悩を味わってきたらこのようになるのか想像もできない。

人間性を棄てなくては生きていけないほどの茨の道。『人喰い鬼』とはそういう人生なのだろう。

 

「またね」

 

リンはひらひらと軽く手を振って、コルベールは笑みを返す。

 

「ああ、また」

 

リンに背を向けて、コルベールは立ち去った。

 

 

 

 

その重たい足で向かったのは、オスマンの学院長室だった。

ロングビルが退職してからというもの、秘書の仕事はコルベールが兼任していた。

 

「なにか得られるものはあったかの?」

 

オスマンは鏡を見たままコルベールに問いかけた。

鏡にはベンチに座るリンが映っていた。こうして監視しているらしく、コルベールがリンと会話していたことも見ていたようだ。

コルベールはひとつため息をついて、答える。

 

「いいえ、なにも。……彼は人とは違う倫理で動いておりますな」

 

コルベールの背負う十字架。それがわずかでも軽くなるならと思ってリンと話をしてみたが、まさか答えが責任を被害者に課すというものだった。

この世の不利益はすべて当人の能力不足。

加害者が己を正当化する言い訳だ。これを受け入れてしまうとコルベール自身も『人喰い鬼』と同じになってしまう。

 

「じゃろうな」

 

「ですが、ミス・ヴァリエールにだけは逆らうことはないでしょう。彼にとっての彼女は神に等しい」

 

「神……のう。なおさら危険じゃわい。億が一にでもミス・ヴァリエールが人の敵に回るようなことになれば、あやつは躊躇わずに人の敵になろうて」

 

「……そうならないように生徒たちを教え、正しい道へと導くのが我々教職者でしょう?」

 

「それもそうじゃな」

 

オスマンは長いあごひげをさすりながら、鏡に映るリンを睨んでいた。

彼が学院に歓迎される日はまだまだ遠い。









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前話から随分と時間がたってしまいました。
理由は

上位者がファミリアを創るのは間違っているだろうか

というものを執筆し始めたからです。
ダンまちとブラッドボーンのクロスものなのでまあ気が向いたら読んでくださいな。
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