使い魔召喚の儀式から二日後。
ナガセ・ハヤトはトリスタニアの街を歩いていた。
名前からしてわかるように彼はこの国の、引いてはハルケギニアの人間ではない。
動きやすいようにやや大きめのスーツと、こちらで新調したブーツ。スーツの上からトレンチコートを身につけていても、そのがっしりした体格がわかる青年。
右手には取っ手のついた四角形の箱ーークインケーーを握っていた。
「少しは慣れたか?」
隣を歩く女性、アニエスが言う。年下ながら結構目がきつい。
「少し、ですがね」
ハヤトもまた憮然と答えた。
本当はまだ慣れてはいない。
ハヤトがここにいるのは馬鹿げているが簡単な理由だ。
数日前、魔法学院で行われたという使い魔召喚の儀式。
それに合わせてこの国のお姫様が使い魔を召喚してみたところ、どういうわけかハヤトが呼び出されたのだった。
本当に、全くもって、バカバカしい。
ハヤトはそう自分にも周囲にも言ったが、実際に目の前で石が金属に変わったり、人が空を飛んだり、杖の先から水や火が出るのを見ては信じるしかなかった。
なにより夜空に浮かぶ二つの異なる色の月。ここは日本でも、ましてや地球でもない世界なのだ。
そしてハヤトが異世界から来たという言い分は、クインケを展開したり捜査手帳を見せたりして信じてもらった。
そこで喰種という『人喰い鬼』のハンターをしていたということも。
執政官のマザリーニという男は、一国の姫君の使い魔が人間だということは周囲に知られたくないらしく、ハヤトを銃士隊という部隊に配属した。
建前としては力仕事も時には必要になるため、とのことだ。女性の平民だけの部隊に編入、というのは少々抵抗があったが……拒否できる立場ではなかった。
とにかくハヤトら二人は糞尿の転がる路地へ入り、人気の少ない場所へと進む。
「ここだ」
案内された場所には、おびただしい血痕が残されていた。
壁の高いところまで血しぶきが上がっているところを見ると、一撃で首を刎ねられたのだろう。
屈んで調べていると、アニエスが羊皮紙を取り出して、当時の説明をした。
「今朝方、巡回中の衛兵が発見した。被害者は街の外からやって来た男で、名前も身元も、どこからやって来たのかもわかっていない」
「遺体の状況は?」
「左脚の付け根から膝の上あたりが、切り取られて無くなっていたそうだ」
「持ち帰って食事したんだろうな」
ハヤトはそう判断した。
見渡して壁に付いた傷に目が止まる。立ち上がり、その傷に指を這わせた。
ここになにか、鈍角の刃物が突き刺さったようだ。
おそらく首を刎ねた赫子が勢い余って、そのまま壁に当たったのだろう。
その証拠に血とはまた違う、黒い粘液が指に付いた。まだ乾いていない。
「喰種……」
赫子の残留物を指でこすりながら、思わずそう呟いていた。
さっさと元の世界に帰って本来の仕事に戻りたいのだが、喰種がいるとわかった以上、これを放置することはできない。
かといってやれることはそう多くない。
遺体の切り口や残留物から、ある程度の赫子の形状は推測できるが……それだけだ。
喰種の嗜好、外観、性別、それらは赫子からでは推し量ることはできない。
「目撃者もいないのか? マスクや仮面をかぶったやつは?」
「そういう報告はない。だが本当に『人喰い鬼』の仕業なのか?」
アニエスは疑いの目を向けてきた。
ここにも人を食べる亜人というものや、人とまったく同じ姿の吸血鬼というものがいるらしい。
余談だが『グール』と呼ぶと吸血鬼の奴隷を指すため、混同を避けるために喰種のことを『人喰い鬼』と呼び合っていた。
「間違いない。ここでその男性を襲い、足を持ち帰った……どこかに住んでいるのか、隠れ家でもあるのか……こういう体の一部を切り取られた遺体というのは、いつ頃から出るようになったんだ?」
「およそ半年ほど前からだ。それから二、三週間おきに発生している。異常者の仕業として調べているが、めぼしい成果は出ていない」
「その被害者は全て街に住んでいない人たちか?」
「いや、何人かはこの街の住人だ。おまけに老若男女と無差別。しかも衛兵すら一人やられた」
うめき声をあげて頭をかいた。
こういう『食えればなんでもいい』というタイプはとにかく尻尾が掴みにくい。
被害者に特定の共通点があればそこから探っていけるが、それができない。
そして今朝捕食したということは、囮を使っての誘い出しも使えないだろう。
「いったん戻ろう。わかっていることを整理したい」
「そうか」
現場を立ち去り、大通りに出た。
そこでは相変わらず客を呼ぶ声が喧騒となって賑わいを見せているのだった。
城に戻ったハヤトは、与えられた小部屋のテーブルに羊皮紙を広げたり、壁にこの街の地図を広げたりして考えた。
というより悩んだ。
過去の切り取られた遺体の発見場所を調べてもらったが、まさか報告書や現場調書をとっていないとは。
そもそも『捜査』という技術がこの国では確立されていないようなのだ。
万引き、引ったくり、スリ、強盗、追い剥ぎ、殺人……それらもろもろは街を巡回する衛兵が駆けつけ、その場で犯人を取り押さえる。
それだけなのだ。遺された痕跡から犯人を辿ろうとしない。
いやその言い方は失礼か。
痕跡をそもそも辿れないのだ。指紋を集める道具などないし、集めたとしてもそれをデータベース化して保管もできない。
過去に起きた事件を人海戦術で追っていてもまた次から次へと犯罪が起きてしまう。
いくら人手があっても足りることはないだろう。
「はあ……」
ナガセ・ハヤト、二四歳。
喰種捜査官。一等に昇格してまだ二ヶ月目。行動に移る前に心がくじけそうになった。
アニエスにもらった羊皮紙を睨む。読めん。
英語に似ているが……会話ができるのに読めないとはどういうことだ?
「むう……」
おまけにハヤトは捜査能力においては半人前である。
まだベテラン捜査官の下で働いているのが普通なのだが、ここに呼び出された以上は自力でなんとかするしかない。
ドアがノックされた。
「どうぞ」
「失礼します」
入ってきたのはアニエスとそう変わらない年の女性だ。こちらはやや緊張した面持ちで、まるでなったばかりの捜査官のようだ。
彼女もまた銃士隊の一員で、敬礼の姿勢をとった。
「ヘレナです。アニエス隊長より、ミスタ・ハヤトの下につくよう指示を受けました。どうぞよろしくお願いします!」
アニエスも暇ではないということか。隊長なのだから仕方ない。
「よろしくヘレナ。そうかしこまらないでくれ。あと俺のこともハヤトでいい」
ヘレナはどうしようかしばし迷い、敬礼の姿勢を崩した。
羊皮紙を見せて言う。
「さっそくですまないが、まずはこいつを読んでくれないか? 翻訳しないといけないんだ」
「はい」
隣り合うようにテーブルの椅子に座り、ヘレナが読み上げた。
その文字の上に日本語を書いて行くのだが、これまたどういうわけか、一度聞いた単語がすんなり頭の中に入ってくる。
聞いた単語ならそのまま文字にして書けそうだ。
「ふむ……?」
「どうされました?」
「いや、翻訳して少しづつ覚えるつもりだったが、読んでもらったら理解できるようになったんだ。これのおかげか?」
左の掌を見やる。そこには文字とも紋章ともつかないものが刻まれていた。
召喚主であるアンリエッタ姫から『コントラクト・サーバント』とやらを受けた時、これが刻まれたのだ。
「まあいいか。続けてくれ」
「はい」
翻訳作業はしばらく続いた。
そして日が沈みーー路地裏。
「ハヤトさん、眠くならないんですか」
隣を歩くヘレナが欠伸を堪えながら問いかけてきた。
日が沈んでから数時間。
月明かりと窓から漏れるかすかな光しか光源がないため、二人とも松明を持っての行動だ。
この時間でこんな場所だとさすがに人はいないらしく、二人の足音だけが響いた。
「俺は平気だが、眠いなら帰ったらどうだ?」
「いいえ! 隊長の言いつけですから」
「アニエスは厳しいのか?」
「そりゃあもう。実はハヤトさんの下について楽できるー、なんて思ってたくらいで。あ、いまのは内緒ですからね」
「そうか」
苦笑いを浮かべるものの、すぐに気を取り直した。
路地裏特有の悪臭のなかに、血の臭いを嗅ぎ取った。
いまや嗅ぎなれた、血と錆の混じった臭いだ。これはそう、人が捕食されたときの……。
「どっちが楽かはわからないぞ。血の臭いがする」
その言葉にヘレナも顔を引き締めた。
路地の角を進み、入り組んだ奥へ。
臭いの方に松明を向けた。
「きさま……!」
できれば見たくない光景がそこに広がっていた。
女性が血の海のなかに横たわり、その隣にしゃがむ人物。
ハヤトたちに背中を向けているため顔は見えない。服の上から外套を羽織り、フードをかぶっていた。
喰種が捕食をするときの基本的な服装だ。
その人物はゆっくりと立ち上がり、振り向いた。
男、だろうか。フードを目深にかぶっていて顔は見えない。
「ひ……」
ヘレナの口から絞り出すような声。
そのフードの男だが、口元がくちゃくちゃと上下しているのだ。そこから導き出される結論は一つしかない。
やりやがった。
松明を地面に放る。
「ヘレナ気をつけろ! こいつが『人喰い鬼』だ!」
叫ぶと同時にクインケを展開。
普段のアタッシュケースが開き、取っ手がそのまま柄となり大きな肉厚の剣へと形を変えた。
甲赫型クインケ:ハゼ。
喰種が動く。
姿勢を低くしてこちらへと迫った。ずるりとその背後から二本の触手が現れた。
先端には釣り針の『かえし』を思わせるトゲがびっしりと。
鱗赫だ。甲赫とは相性が悪いが、だからなんだ。
それなりに速いが対応はできる。
その突っ込んでくる速度に合わせてハゼを右へ横薙ぎに振るった。
喰種はさらに姿勢を低く、這うように避ける。鱗赫がこちらを向いた。ここまでは織り込み済みだ。
ハゼを振り抜いた勢いのまま左足で蹴りを見舞う。入った!
側頭部に食らった喰種は地面を派手に転がる。
鉄板入りのブーツだ。人間ならば昏倒か頭蓋骨骨折だが、喰種はそうもいかないだろう。
バン!
つんざくような破裂音。喰種の頭ががくんと跳ねる。
見ると、ヘレナが懐から拳銃を取り出していた。フリントロック式のものだ。
「やった!」
歓喜の声をあげるヘレナだが、すぐに表情は青ざめる。
頭に銃弾を受けた喰種がノロノロと立ち上がったのだ。
それもそうだろう。喰種に普通の銃弾は通用しないのだから。
「これで死ぬほど可愛くない。離れてろ」
喰種はフードをかぶりなおしてコキコキと首を鳴らした。
その背後をめがけてハゼを袈裟斬りに振る。
がくりとハゼが止まる。止められた!
喰種の二本の鱗赫がハゼに巻きついて……いや違う、咥えている。
鱗赫の先端が『表返った』のだ。かえしに見えたものは牙だ。
黒い鱗が表面を覆い、ハゼを咥えるその形はまさしく蛇そのものと言っていい。
「な、めるなああああああ!」
気合いの一声と共に、力任せに喰種ごとハゼを振った。
壁に叩きつけてやる!
喰種はハゼに取りついたまま身を反転。あろうことか壁に『着地』した。
にい、と口元が歪む。
衝撃。
壁を蹴った喰種に体当たりされた。
世界がぶれて一瞬の浮遊感。そして背中をしたたかに地面に打ちつけないよう、受け身を取って地面を転がり、即座に立ち上がる。
訓練の賜物だ。
背骨が軋むように痛むが、骨は大丈夫だろう。
バン!
再び激発音。
喰種の頭ががくんと動き、気だるそうにヘレナを見やった。
「あーうっとおし」
その声からさっするに、喰種はかなり若い男らしい。
だがそれどころではない。
「ヘレナッ、逃げろ!」
「逃げません!」
ヘレナは拳銃を捨てて剣を抜いた。強情な!
ならばヘレナに行かないよう積極的にかかるしかない。喰種に斬りかかる。
しかし空振りした。喰種はヘレナに向かって駆け出していた。
ヘレナは剣を構える。無理だ。あの細身の剣では簡単に折られてしまう。
「逃げーー」
ばじゅっ
水を叩いたような嫌な音がして、喰種の鱗赫がヘレナの腹部をごっそりと食い破っていた。
「うあ……」
ヘレナの目は驚愕に見開き、思い出したように内臓がどろりとこぼれ落ちる。
そして両目を剥いて膝から崩れ落ちた。
「きっ、さああぁぁまああぁぁぁ!」
叫び、駆け出した。
血が沸騰するようだ。頭がガンガン鳴り響く。
ハゼを幾度も振った。
一度、二度、三度……
だがそれらは喰種の鱗赫によってそらされ、あるいはよけられ、当たらない。
その攻撃の隙間を突くように鱗赫が迫った。身をよじり、または叩き落とす。
クインケと赫子が何度となくぶつかる。
「こっちだ!」
「貴様らなにをしている!?」
「だれか倒れてるぞ!」
銃声を聞きつけたらしい衛兵たちが駆けつけてきた。松明の火が近づいてくる。
「ちっ」
喰種は舌打ちして大きく後ろへと跳び、そのまま路地の闇夜へと消えて行った。
クインケを格納し、元のアタッシュケースへと形を戻した。
ヘレナは……ダメだ。調べなくても死んでいるとわかる。
近づき、その白目を剥いたまぶたを閉ざした。
「なにがあった?」
衛兵の一人が問いかけてきた。
静かだった路地裏は松明と衛兵たちによって騒がしくなる。
「グ……いや『人喰い鬼』と遭遇した。さっき逃げたやつだよ」
立ち上がり、被害者となった少女の元へ歩く。
「うぅ……ひどいな……」
衛兵が呻いた。本当にひどい。
腹を裂かれ、内臓が引きずりだされていた。しかも歯型までついている。さすがに気分が悪くなる。
「銃士隊のアニエスを呼んでくれ。彼女の部下が一人やられた」
「ああわかった」
その衛兵が走り去って行き、ハヤトは二つの月が浮かぶ夜空を見上げた。
有馬特等どころか先輩の亜門上等にも届かない。
俺は無力だ。
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「はー、間が悪すぎ」
トリスタニアの夜の街を駆け抜けながら、リンは強奪した外套を脱ぎ捨てた。
地面を蹴って建物の窓枠に足をかけ、その屋根に登る。そして街の外を目指して走り、あるいは跳ぶ。
本当に間が悪い。
あの青いドラゴンに乗せてもらったその当日に、しかも喰種捜査官に発見されてしまった。
本気で殺した方が良かったか?
羽赫も使えるには使えるが、あれは空腹の元になるし、スタミナ切れを起こしやすい。
一週間ぶりの生肉にありつけたのに、羽赫を使ってふいにするのは嫌だった。
だけどそれはそれで危険だったかもしれない。
喰種という存在が広まれば、やがてはルイズの耳にも届くだろう。
「ちっ……」
いまから殺しに戻るか?
だめだ。危険だ。今度はメイジを相手にしないといけないかもしれない。
屋根を走り、街を取り囲む外壁へと跳んだ。
壁のわずかなとっかかりに指や鱗赫を引っ掛けたりしてよじ登り、壁の向こうへ。
街の人間に見られないよう、少し遠くの方に降りてもらったのだ。たしかこちらの方に……見えた。
「おまたせ」
ドラゴンがきゅい、と鳴いて頭をかしげる。血の臭いでも嗅ぎ取ったのだろうか。
知ったことか。いまは離れなくては。
「じゃあ学院に戻ろう」
その頭を撫でてから、ドラゴンの背中にまたがる。
空へ飛んだ。
腹は満たされたが、不安ができてしまった。
もし喰種捜査官が魔法学院に来たら……いや遠からずくるだろう。
この世界にはいない人間がいるとしたら、それは使い魔召喚の儀式で呼び出されたと考えるはずだ。
「どうしたらいいかな?」
ドラゴンにいきなり言ってみても、意味がわからないというように首かたむけるのだった。
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リンの杞憂をよそに日は過ぎて行く。
ルイズの脱ぎ散らかした衣服の洗濯から始まり、食事はカートで運んでシエスタとともにドラゴン……シルフィードへの餌付け。
魔法の授業はルイズとともに受けたが、魔法が使えないのでほとんどうたた寝である。
残念ながら数学や言語は独自でやるものらしく、この学院で教わることはできなかった。
リンが一番がっかりしたことだ。なにしろこちらの文字が読めない上に、簡単な計算しかできないのだから。
学校に通ってみたいという願いはかなったものの、ここで身につくものがないのが残念でならない。
そしてギーシュとの決闘騒ぎから数日後……。
「街に行くわよ!」
「いきなりだね」
洗濯物を干し終えると、唐突に宣言された。珍しく早起きしていると思ったらそういうことか。
「でも授業は?」
「今日は虚無の曜日で休みなのよ。わかったらついてきなさい」
「ならーー」
シルフィード……はやめておこう。休みなら主のタバサが乗るかもしれないし、道のりは覚えておいた方がいい。
「ん、わかった」
「じゃあ行くわよ」
ルイズといっしょに学院を出て厩舎へと向かう。車なんてあるわけがないがまさか馬とは。
おっかなびっくり馬にまたがり、始めての乗馬。ルイズはなれた仕草であっさりとまたがった。
おおう、なんか新鮮な乗り心地。
「で、どうやって進ませるのかな?」
「脇腹をかかとで蹴るの。そんなことも知らないの?」
「始めてなんだから仕方ないでしょ」
言って、馬の脇腹をかかとで蹴る。
強かったのか馬は大きく鳴いて後ろ足で立ち上がった。
「う、わっ!」
着地しようと手綱を手離す。でも靴があぶみにひっかかった。
結果として背中から地面に振り落とされ、後頭部をしたたかに打ちつけるのだった。
「おぐっ!?」
「……なにやってるのよ」
変な声が出て、ルイズは馬の上からジト目で見下ろす。ちょっとは心配してよ。
><><><><><><
タバサは部屋で本を読んでいた。
しかしながらその内容はろくに頭に入ってこない。視線が文字の上を転がるだけだ。
ここ最近リンのことばかり考えている。
人間では持ちえない膂力を持ちながら、それを振りかざそうとしないルイズの使い魔。
数日前、シルフィードが独断でリンを街へ連れて行ったと話した。一発お仕置きしたが、問題はそのあと。
街から戻ってきたリンは血の臭いがしたというではないか。
彼は街でなにをしていた?
シルフィードに食事を振る舞うのはいい。タバサとしても食事代が浮いて本をより多く買えるというものだ。
だがリンは? 彼はいったいなにを食べている?
それにここでなにかを口にしたことがあっただろうか?
彼が亜人だとして、人と同じものが食べられない亜人だとしたら、考えられる可能性は吸血鬼。
だがそれはないだろう。
リンは昼間のうちに平然と活動していた。それに吸血鬼の手下のグールならば、あんな風に自発的な行動はしない。
ではリンの正体はなんなんだと問われると、わからない。
思案は堂々巡りを続けて結論が出ない。
結論が出ないならばオスマンや教師たちに相談もできない。おそらく一蹴されるだけだ。
かといって問い詰めるのも良くないだろう。
ギーシュの一件では明らかに手加減をしていた。先住魔法かそれに準ずる力を持つ可能性が高い。
藪を突ついて大蛇やドラゴンが出てきたらシャレにならない。
ふと、廊下からバタバタと足音が近づいてきた。
「サイレント」
一人の時間を邪魔される気がしたので、タバサは自分の周囲に空気の膜をはる。
これで静かになった。
リンのことを頭から追い出し、本格的に読書に没頭しようとしたとき、ドアが開け放たれる。
入ってきたのはキュルケ。
なにかを訴えていたが当然ながら聞こえない。
かといってこのまま無視するわけにもいかず、サイレントを解除した。
「お願いよ、あなたのシルフィードを貸してちょうだい!」
「虚無の曜日」
虚無の曜日は少なく貴重な時間なのだ。あまり邪魔されたくない。
「あなたにとって虚無の曜日がどれだけ大事かは知ってるわ! だけど恋よ、わたし恋してるの!」
それはいつものことだろう。恋をしていない時などあるのだろうか。
「あのリンって人が気になってしょうがないのよ。そのリンがヴァリエールと出かけたの。追いかけたいけど今からじゃもう追いつけないから、だからシルフィードにのせてちょうだい!」
小さくため息をついて、本を閉じた。まだリンにご執心とは相当だ。それは人のことを言えた義理じゃないが。
杖を手に取って立ち上がり、マントを羽織る。
「ありがとう。行ってくれるのね」
頷く。
友人の頼みだからというのもあるが、タバサもやはりリンとルイズが気がかりだ。まさかルイズを襲うとは思えないが、気になる。
窓際にたって口笛を吹いた。
そして窓からキュルケとほぼ同時に飛び降りる。
空からシルフィードが迫ってきて、その背中にまたがる。急上昇。
「馬二頭。食べちゃだめ」
シルフィードはきゅいと鳴いて、方向を変えて飛ぶ。この方角はトリスタニアだ。
「……?」
途中、一台の馬車が魔法学院に向かっているのが見えた。トリスタニアから来たのだろうか?
だが特に気にせず、そのまま街へと飛んだ。
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馬に揺られること数時間。
慣れない乗馬というものはけっこう体力を使うということを知った。
リンが到着したのはかつての町の外壁だった。以前は夜だったこともあるが、昼間に訪れるとけっこう大きいことがわかる。
衛兵の立つ門をくぐると、この前とは段違いの賑わいを見せていた。
いくつもの露店が通りにできており、客を呼ぶ声と雑踏が活気となって伝わってくる。
この空気はリンも心が躍った。こういう『生きる熱気』とでもいうのか、そういうものは東京では味わえなかった感覚だ。
「はー……」
感心する声を出すと、満足したのかルイズは平らな胸を張った。
「ここがトリスタニア。トリステイン王国で一番大きな街よ。着いてきて」
馬から降りて、手綱を持ったままルイズの後をついていく。意外と馬は従順に従った。
向かった先は厩舎だ。屋根付きの小屋がいくつも並び、見張りの衛兵が立っている。
「馬をあずかってちょうだい」
「はっ」
相手が貴族だからか、壮年の衛兵は姿勢を正した。そして手綱を受け取って厩舎に繋ぐ。
「ではこちらが割札です。失くさないように気をつけてください」
「そんな真似しないわよ」
愛想よくしたらいいのに、ルイズはそう反論して木札を受け取った。
今度はリンの番だ。
「お願いね」
「……ふん」
鼻を鳴らされた。え、なんで?
さっきの態度とは大違いに愛想が悪くなり『ほらよ』とばかりに無言で木札を渡される。
そうだった思い出した。平民とはこういう扱いだった。
口元をひくつかせ、その場を後にする。
大通りに戻って大きく息を吐いた。気持ちを切り替えよう。
「これなに?」
これとはこの木札だ。手書きの文字だか模様だかが片側に描かれている。
「割札よ。これともう片方を重ねて、文字がちゃんと重なったら馬の持ち主ってわけ」
なるほど。単純だけど効果的だ。手書きだから偽物も作れない。
「へー。ルイズちゃん物知りだね」
「あんたが知らなすぎるのよ。あとそれ本当に失くさないでよね。このあたりスリもいるんだから。もし失くしたら学院まで歩かせるからね」
「気をつけるよ」
言って、腰のポーチにそれを入れた。
「前から気になってたんだけど、それなにが入ってるの?」
「前は非常食を入れてたんだけど、今は空っぽだよ」
「ふうん」
きいておいて興味なさげだ。
元の世界にいたころは死体を持ち帰って干し肉にしていたものだ。
こっちに来てからは死体の調達もやりづらくなったし、肉を削いで干す時間も場所もない。それも頭に入れておかないと。
「それで、街にきてどうするの? なにか買い物?」
「わたしのじゃないわ。あんたのよ」
「僕?」
「そ、あんたの」
ルイズが路地へと入り、後に続いた。
「……路地が汚いのはどこもいっしょだね」
ネズミだのゴキブリだのがいてそれらを狙う犬や猫、そして糞。おまけに酔っ払いが吐いたらしいゲロ。
夜と違って昼になるとそういうものがはっきりと見えてしまう。
「わたしも本当は来たくないわよ……ええっと、ピエモンの秘薬店の近くだから……あったわ」
向かう先には、剣が描かれた看板を掲げる店があった。武器屋だとしたらわかりやすい。
「剣?」
「そうよ。感謝しなさいよね。あんたが強いのはわかったけど、武器があった方がさまになるじゃない」
「剣は……持ったことないんだけど」
剣より仮面やマスクの方が嬉しいのだが、それを言うとルイズの好意を無下にしてしまうので黙っておいた。
「いいから来なさい」
「はーい」
気楽に返事をして、中に入った。
薄暗い店内には肝心の剣がほとんどない。壁には剣や武器をかけておく金具だけが突き出している。
カウンターで『ぐでー』っとしていたおやじがルイズを見て姿勢を正した。
「いらっしゃいませ、貴族のお嬢様がた」
「こいつに見合う剣を用意して」
「へえ……いやそれが近ごろ物騒でしてね、見てのとおりいまは品切れでさ。あるのは錆びついたなまくらばかりで」
「冗談でしょ? せっかくここまできたのに」
「そう言われましてもねえ……『土くれのフーケ』とかいう盗賊だけならともかく、ここ最近は『人喰い鬼』の噂まで流れ出てまして、貴族も平民も武器を欲しがってるようなありさまでさ」
リンは少し考えた。
ルイズには赫眼を見せてしまっている。だがまだ崖っぷちでもない。
崖っぷちなのはルイズに正体が知られた上で拒絶された場合だ。
リンは笑みを顔に貼り付けたまま成り行きを見守ることにする。
「盗賊? 人喰い鬼?」
「へえ。『土くれのフーケ』といや貴族ばかりを狙った盗賊で、どんな金庫も宝物庫も土くれみたいに破っちまうんだとか。こっちは義賊だ、なんて言って酒の肴になるていどなんですがね」
一泊おいて、おやじは続ける。
「もう一つの『人喰い鬼』は貴族も平民もあったもんじゃねえんです。なんでも衛兵や銃士隊まで喰われちまったとか。まあおかげでうちは儲かるんですがね」
まさかその『人喰い鬼』が目の前にいるとは思うまい。
「まあ『人喰い鬼』はただの噂でさ。黒い羽根があって尻尾を生やして背中から触覚だが剣だかを生やしたバケモンがいたら、一発でわかるってもんでさ」
がはは、と笑い飛ばした。噂のおかげで売り上げが増せば笑いも出るだろう。
「まったくだね」
リンも笑った。というより嘲笑った。
あの喰種捜査官、おおかた喰種の特徴である赫子を説明したのだろう。そしてそれらがないまぜになって、こういう化物像ができあがったのだろう。
会話でしか情報が広まらないこの世界で、伝言ゲームのように尾ひれ背びれがつきまくって全体像がゆがんでしまう。
なんともリンの都合のいいように回ったものだ。
……そう思ったのもつかの間だった。
「ただ、目が赤黒くなったやつがいたら注意しろとも言われてやすがね、そんなやつ見たことも聞いたこともありやせんよ」
言いやがった。
ルイズは『え?』といった表情で後ろのリンを見上げて、リンは変わらぬ笑みを向ける。
「くっちゃべってないで買うのか買わないのかどっちかにしな」
「だれ?」
どこからか声。
そちらを見るが、誰もいない。
話をそらすようにリンは誰もいない壁際へと歩く。あるものといえば立てかけてある錆びた剣だけだ。
「下だ、下」
下? 錆びた抜き身の剣しかない。
「俺だよ」
と、剣の柄? かなんだかよくわからないが、その部分にある金具がカチカチと動いた。
「剣が喋った?」
「インテリジェンスソードね」
ルイズが言うと、店のおやじが説明する。
「へえ、デルフリンガーって言うんでさ。みてくれは悪い、口も悪いで誰も買いたがらないしだいで」
リンはその剣を持ってみる。長さはルイズの世界で言うところの1.5メイルほどで、ちょっと重たいくらいか。
「……おでれーた、おめえ使い手か? よし、俺を買え」
「使い手?」
「そのルーンのことさ。それにおめえ……」
デルフリンガーという剣はリンにしか聞こえないように声を小さくして、言う。
「人間じゃねえだろ?」
「あれ、わかる?」
「わかるさ。なあ頼むよ、俺を買いな。後悔はさせないからよ」
わざわざ小声で話すあたり、べらべら喋るわけでもなさそうだ。
「ルイズちゃん、これにしよう」
「錆びてるじゃない……」
心ここにあらず、といった風にルイズは言う。リンが『人喰い鬼』ではないかと疑っているからだろう。
「ですがお嬢様、いま使える剣といやデルフくらいしかありませんね。あとは来週か再来週あたりの入荷になりまさ」
「わかったわよ。じゃああれをちょうだい」
「でしたらエキュー金貨50でけっこうでさ。無駄に場所ばっかりとってたんで、いい厄介払いってもんで」
ルイズは無言のまま金貨を取り出し、カウンターに置いた。
金貨といってもほとんどメッキに近いだろうと、リンは想像した。純金ならいくらなんでも高すぎる。
武器が極端に高いならともかくだが、それなら平民が買えるわけがない。
「確かに50枚いただきやした。あとどうしてもデルフがうるさかったら、この鞘に押しこんでくだせえ。静かになりやすんで」
「どうも。よろしくね、デルフ」
「おうよ相棒」
笑顔で鞘を受け取って、デルフを納めて背中に背負う。うん、いい感じ。
難しい顔のルイズといっしょに店を出た。
すると路地の奥から見知った顔がやってくる。
「やあ二人とも。いい天気だね」
「なんでここにいるのよ」
ルイズが眉間にしわをよせ、不機嫌そうに呟く。
やってきたのはキュルケとタバサの二人だ。たまたま出くわしたわけでもないだろう。
こんな路地には武器屋くらいしかないのだから。
「二人も武器を買いに来たの?」
「まさか。あなたに会いに来たのよ」
「僕?」
「ええ」
いきなり抱きつかれた。
香水のにおいがするがリンには正直キツイ。顔が『うげえ』ってなりそう。
しかしこの胸にあたるこの弾力はなかなかどうして……まあ嫌いじゃないが、魅力は感じない。
「なななななにやってるのよこのバカ女!」
ルイズはキュルケとリンの間に体を割り込ませて引き剥がす。正直助かった。
「人の使い魔に色目使ってんじゃないわよこの色ボケ! ゲルマニアで男に相手されなくなったからってわざわざトリスタニアまで出てくんじゃないわよ!」
一息にまくし立てた。おまけに『うー』っとうなり声。
「やーねえ、ちょっと抱きついただけじゃない。ねえダーリン、こんなヒステリー持ちなんか放っていて私とご一緒しない?」
キュルケは前かがみになって、第二ボタンまで開いているブラウスに指を引っかけた。
その豊満な谷間でも見せつけたいのだろうが、残念ながらリンは喰種だ。
そういうものを見ても興奮したり性欲が強まったりはしないし、かじりつきたい気分でも場所でもない。なによりルイズの顔がプッツン三秒前って顔をしている。
「あーごめんねキュルケさん」
言って、ルイズのそばに立った。ついでに肩に手を置く。
「今日はルイズちゃんとデートなんだ。だからまた今度ね」
するとルイズは突き飛ばすように離れて、ゲシと尻を蹴っ飛ばされる。ちょっと痛い。
「今度なんかないわよ! あと誰がデートしてるですって? だ、れ、が!?」
「僕はそのつもりなんだけど」
ぼふ、と面白いくらいにルイズの顔が赤くなる。そして嬉しいやら恥ずかしいやら判別しづらい顔をして、右足が動いた。
股間狙い!?
さすがにこの蹴りは身を半分そらして回避。喰種でも股間はまずい。
「わ、わ……」
派手に空振りしたルイズは後ろに倒れようとしたため、すぐさま背中に手を添えてあげた。
「気をつけて」
笑顔でいうとルイズは顔を赤くしたまま叫んだ。
「うううううるさいうるさいうるさーい!」
「うるさいのはお嬢さんがたですよ」
誰かと思えば武器屋のおやじだ。ドアから迷惑そうに頭をのぞかせている。
そりゃ店先で騒がれたら迷惑だろう。
「店の前でやめてくだせえ」
「あーごめんなさい、ルイズちゃん行こうか。じゃあ二人とも、また学院でね」
ルイズの背を押して歩き、キュルケとタバサには左手を振って背中を向けた。
「私の色香になびかないなんて……ますます燃えてきちゃうわ!」
そんな感極まったキュルケの声がリンには聞こえたが、気づかないフリをして大通りへと戻った。
雑踏と喧騒にのまれながら、ルイズに問う。
「ねえ、なにかききたいことがあるんじゃない?」
「う……」
悩み顔に戻る。きいていいのかいけないのか、それを悩んでいるのだろうか。
だが意を決したように、ルイズは口を開いた。
「あんた、その、『人喰い鬼』なわけ?」
その質問に、用意しておいた答えを出した。
「僕はルイズちゃんの使い魔だよ。それでいいじゃない」
それで吹っ切れたのかどうなのかわからないが、ルイズは胸をはった。
「そうよ、あんたは私の使い魔。だから勝手なことするんじゃないわよ?」
その言葉には、ふふ、と笑い声を返した。
到底、肯定できないことなのだから。
これから人を食べてきます、なんて言えるわけがないのだから。
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いせかいせんりゅー
おいハヤト
筋トレあとは
近づくな
(女性隊長 さん)
……そんなに臭うか?(男一点 さん)
かなりな(女性隊長 さん)
お風呂使っていいですからね(トリステインの花 さん)