タバサとキュルケがルイズとリンを追って学院を飛び立ったころ……。
馬車に揺られながら、ハヤトは窓の外を眺めていた。
どこまで行っても緑の丘が続くだけだ。遠くに森が見えるが、この草原にはポツポツと木が立つだけでこれといった景色の移り変わりに乏しい。
「その魔法学院というのは遠いな」
もう何時間もゆられている気がする。車ならばもうとっくについていることだろう。
「このくらいは普通だ」
隣に座るアニエスが憮然と告げた。
アカデミー首席の女性がこんな感じだったような気がする、とハヤトは日本にいたころを思い返した。
アニエスがハヤトと行動を共にすることになったのは、銃士隊の隊員に犠牲者が出たためだ。
『人喰い鬼』の危険性がはっきりしたために、それなりに人員を割く必要が出た。大人数は動かせないので、隊長のアニエスを含む数名が『人喰い鬼』専門の捜査に当たることになった。
その捜査の一環としてこれから魔法学院に赴くのだが、まさかこうまで許可申請に手間取るとは思わなかった。
主な理由はひとつ。
曰く、『平民の分際で貴族のご子息を預かる学院を捜索など、いったいどういうつもりだ』ということである。
伝統だとか、風習だとか、処分する場合誰が責任をとるのか? 外交問題にならないか? その他もろもろ。
ふざけてる。
結局、聞き込みだけで実際には手を出さない、ということで一応の決着はついたものの、ばかげてる。
被害者が平民だからという理由でろくな捜査ができないなんて、理不尽極まりない。
それに、もしも召喚の儀式で喰種が呼び出されたとなったら、ハヤトは駆除するつもりでいる。
そのためにクインケも持ってきたのだ。
「……ヘレナはすまなかった」
「いったい何度言うつもりだ。もう気にしなくていいと言っている」
「しかしーー」
「罵ってほしいのか? 部下を死なせたろくでなしだと。ふざけるな」
腕と脚を組んで、言う。
「銃士隊も衛兵も、強盗や物取りに殺されるかもしれない。そういう覚悟をもって任務に当たっている。おまえもそうじゃないのか?」
「それはそうだが……」
「ならヘレナの死をいつまでも引きずるな。『人喰い鬼』を見つけて駆逐することが手向けだろう」
「……ああ。そう、だな」
ーー敵を前にしたら手足がもげても戦えーー
喰種捜査官の心得だ。
手足がもげたわけでもないのに、戦わなくてどうする? 捜査しなくてどうする?
ハヤトは胸の内にあったわだかまりが溶けていくのを感じ、ふっ、と笑った。
「年下の君に励まされるとはな。俺もまだまだか」
この世界ではハヤトの想像以上に『死』というものが身近な存在なのだろう。
飢えや病はもちろん、なんらかの犯罪行為。
そういうものはテレビの向こう側でしかない日本と違い、ここではいつ身に降りかかるかわからないこととして、彼女は受け入れているのだろう。
「気分は軽くなったか」
アニエスも顔をほころばせた。それがなんだか意外だった。いつも仏頂面をしているから、なおさらだ。
「どうかしたか?」
「いや、アニエスも笑うんだと思ってな」
「……ふん」
照れ隠しなのか気分を悪くしたのか……アニエスは反対側の窓を向いた。
ハヤトも口元を緩ませつつ窓を見やる。
「……?」
前方から二頭の馬がやってきた。
片方はピンク色の長髪をなびかせた少女で、もうひとりは黒髪の青年。
その青年の、あの服装。あれは元いた世界の様式ではないか?
その馬は何事もなくすれ違い、後方へと駆けて行った。
さらに揺られ続け……到着した。
馬車は外壁の門をくぐり、中庭の中で止まった。降りる。
「大きいな。これが学院か」
見上げるほどに大きな塔と、それらを取り囲む五つの塔。そして見たことのない不思議な生き物。
さすがは魔法の世界。
ハヤトはしばし呆然とし、一呼吸で元に戻る。まずは責任者にあうとしよう。許可証は下りているのだ。面会はできるはず。
「こっちだ」
アニエスに促されて、本塔へと歩いた。
階段や通路を上へ上へと歩く。徒歩だとなかなかいい運動になる。
ここのメイジは恐らく飛ぶか浮くかして上へ行くのだろうと、ハヤトは推測した。
そして最上階。
アニエスが三回ドアを叩く。
「入りたまえ」
老獪な男性の声が聞こえてきた。
「失礼する」
「失礼」
アニエスと共に部屋に入った。
正面の机には立派な白ひげを蓄えた老人が座っていた。
その隣には頭が寂しくなった中年の男性と、ハヤトやアニエスとさして変わらない年頃の女性。
老人の名前はたしかオールド・オスマンだったか。
「む、お! おお!」
オスマンと目が合うなり、そのオスマンが目を見開いた。なんなんだ?
「その姿、その箱! おぬしもしや……あーどこじゃったかな……?」
オスマンはローブの下を漁り始めた。
わけがわからないと言うようにお互い顔を見合わせた。
「あったぞ。ほれ、おぬしも持っておるのではないか?」
そういってオスマンが取り出したものを見て、今度はハヤトが目を見開く。
「それは捜査手帳じゃないか」
しかも喰種捜査官が持つ手帳だ。
歩み寄り、手に取った。かなり古い手帳だ。端のほうは擦り切れている。
開けると、古びた写真とかつての持ち主の名前が書いてある。
「東城直樹、上等捜査官……聞いたことがないな……」
生年月日は昭和初期だ。生きていてもかなりの高齢だろう。
「トージョー、というのか……やっと名前を知ったわい」
オスマンは遠くを懐かしむように見つめた。
「話を、聞かせてください」
「うむ。あれはもう三十年前かの……」
三十年前、オスマンは森を歩いていた。
人を襲い、金品を奪うのみならず、その血肉を啜る亜人を討伐して欲しいと、近隣の町の住人たちが依頼してきたのだ。
そしてオスマンは出会った。
背中から不気味な刃を生やした、異様な亜人だ。
目は赤黒く、よだれを垂らしながら襲いかかる亜人。
当然、魔法で応戦するが、どういうわけか魔法が通用しないのだ。
炎で焼いてもすぐに元に戻り、氷で貫いてもたちどころに傷が塞がってしまう、人喰いの亜人。
もうダメかと諦めた時、ハヤトと同じ姿をした男が現れたのだ。
亜人はひどく狼狽し、男はためらわずに『異界の剣』を振るいたやすく亜人を葬った。
だが……男はすでに傷ついていた。
街へと戻り懸命に看病したが、ついには助からなかった。
「彼はずっと呻いておったよ。ここはどこなんだ、元の世界に返してくれ、と」
「そうですか……」
生きていたらせめて捜査手法を習うことができたかもしれないし、ことが終わった後、帰るための手がかりになるかもしれなかった。
「お返しします」
「いや、それはおぬしが持っておくべきじゃろうて。それにわしからも質問させてほしい。おぬしやミスタ・トージョーはどこからやってきたのかの?」
「詳細は言えませんが……ある人物に召喚されてここに来ました。俺の世界には月が一つしかなく、当時のあなたを襲った『人喰い鬼』が人々の中に紛れているところです」
「ふうむ、別の世界とはにわかに想像がつかんが……おぬしが嘘をつく理由も見当たらないからの、信じよう。して、いったいどの要件で参られたのかな? フクロウ便の手紙では、事件の捜査とあるが」
ようやく本題に入れる。
「実は、あなたを襲ったものと同じ『人喰い鬼』が、トリスタニア近辺に最低でも二体潜んでいる疑いがあります。その内の一体が.ここで行われた『使い魔召喚』の儀式で呼び出された可能性が高い」
その言葉に、オスマンと中年男性が顔をしかめた。それらしい人物に心当たりがあるのだろう。
「『人喰い鬼』の外見は普通の人間と見分けがつきません。なにか心当たりがあるんですね?」
そこまで告げると、学院の教師ら三人は顔を見合わせた。
「まさかミス・ヴァリエールの……」
「落ち着くのじゃコルベール」
オスマンはしばしヒゲをさすり、口を開いた。
「確かに、儀式でひとりの平民が召喚されたとも」
「その人物が普通の食事をしているところを見たことがありますか?」
「わしは見ておらんな。ミスタ・コルベール、ミス・ロングビル、おぬしらはどうじゃ?」
「いえ、彼が食堂に現れたのは一度だけで、それ以降は見ていません」
「私もです。しかしメイドのシエスタと共に、料理をカートに載せて広場に向かっているところは見たことがあります」
「そのシエスタという方に会わせてください」
喰種に近づいている感じがして、ハヤトの表情は険しくなる。
人を欲望のままに喰らう悪鬼。それを駆逐する使命感と、喰種への憎悪が混ざった顔。
ハヤトがアニエスに案内されたのは、使用人たちが使う二階建ての建物だ。
その一階にあるホールで、普段着の使用人たちが談笑していたが、いっせいにその視線が集まった。この中の誰かがシエスタだろう。
「失礼、この中にシエスタという方はいるだろうか?」
ざわついた。
やはり「どうして銃士隊が?」といった声が多い。
だがその中には「やだカッコイイ」とか「シエスタったらモテモテじゃない」という嬉しいやら恥ずかしいやらの声も混ざっている。
それは無視。
「は、はい、私です」
ひとりの少女が立ち上がった。黒髪に黒い瞳で、どこか日本人らしい部分がある。
「君はミス・ヴァリエールの使い魔という青年と、ずいぶん親しいと聞いています」
シエスタに歩みよって、問い詰めた。
喰種が人の友人を作るというのはまれにあることだ。
しかもここは異世界。
人間の協力者がいるとそれだけ発見が困難になる。
「その使い魔の青年、食事をとったところを見ましたか? そのあと吐いたことは?」
「えっと……」
シエスタは不意を突かれたように言いよどむ。
考える暇を与えず、ハヤトは次の言葉を出した。
「ああ、俺の名前はナガセ・ハヤト。トリスタニアに現れた『人喰い鬼』を捜査している」
「ひとくい、おに?」
聞きなれない単語にシエスタはそのまま言い返して来た。
そして『人喰い』などという物騒な単語に、ほかの使用人たちがさらにざわついた。
「そうだ。ここにいるみなさんも聞いてほしい。数日前、トリスタニアで殺人事件が起きた。それもただの殺人じゃない。犯人は人の姿をした化物で、我々は『人喰い鬼』と呼んでいる」
シエスタに向き直り、問う。
「その『人喰い鬼』の特徴は、目が赤黒く変色すること。そして普通の食べ物が食べられないことだ。もし食べたとしても後になって吐き出すだろう」
シエスタの表情が硬くなったのをハヤトは見逃さなかった。
なぜ表情が硬くなったのかを考えると答えは明白だ。そういう思い当たるふしがあるからに違いない。
「シエスタさん、改めて尋ねるが……その青年がものを食べたところを見たことはあるか? 食べた後で吐き出したことは?」
シエスタの顔をじっと見つめた。
はたから見れば容疑者を尋問しているように見えるだろう。
いすくめられたシエスタは顔を伏せる。まるで表情を見られたくないかのように。
「ええと、その、わ、わたし、わかりません!」
シエスタは駆け出し、ホールを出て行ってしまった。やりすぎたか?
「ハヤト」
いままで黙っていたアニエスが口を開いた。
「捜査に熱心なのはいいが少しは周りを見ろ」
言われて、ホールを見渡す。
……なぜ嫌な奴を見る目を向けられているのか、ハヤトにはわかりかねた。
それだけ使い魔の青年とやらはここでは好かれているのだろうか?
「……失礼」
おとなしく頭を下げて、ハヤトとアニエスはホールを出て行くことにした。
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ロングビルのいまの心情は穏やかとはほど遠い。
あれほど入りたかった学院の宝物庫に入れたはいいのだが、あいにくといまはオールドオスマンが一緒にいる。
「うーむ、どこに置いたかの……」
魔法で宝物……というかガラクタを浮かべながらオスマンは言う。
そう、ガラクタだ。
宝物庫というからどんな金銀財宝があるかと思ってみたが、なんのことはない、あるのは用途不明のガラクタばかりではないか。
あーちくしょう、やってられるか。
オスマンに背中を向けながらそんな顔をした。
学院に金銀財宝がない、というのはまあ仕方ない。予想していたことだ。そういうものは王城の金庫にでも入っているだろう。
それにこの使い道のわからない工芸品であっても、お金を持て余した成金などは有難がって大枚をはたく。
だがロングビルが何よりも気に食わないのは、狙っていた獲物である『異界の剣』を目の前で持っていかれることだ。
ロングビルはまたの名を『土くれのフーケ』で通っている。
貴族ばかりを狙った盗賊。それがロングビルの正体だった。
オスマンはその剣とやらをあのハヤトとかいう平民に返す気でいるのだ。獲物を目の前で横取りされるなんてとうてい我慢できることではない……が、オスマンを出し抜く自信はない。
そもそも顔を見られたまま犯行に及ぶなど愚の骨頂だ。
「うーむ……」
オスマンがまた呻いた。
というか命の恩人の武器をどこに置いたか忘れるか普通? まあこれだけ積み重ねれば無理もないかもしれないが。
ロングビルがため息をひとつこぼしたところで……見つけた。
これが剣?
ただの箱に見えるが、この取っ手には『異界の剣』と札がくくりつけてある。
「オールドオスマン、こちらでしょうか?」
「む? おお! それじゃそれじゃ! でかしたぞミス・ロングビル」
手渡すと、オスマンは懐かしむような顔をした。この箱がそうらしい。
「これが剣ですか? 私には箱にしか見えませんが?」
「うむ、ミスタ・トージョーはこの箱を剣に変えておったわい。ミスタ・ ハヤトなら使い方がわかるじゃろう。では出るとしようかのう」
促され、ロングビルは後ろ髪を引かれる思いで宝物庫を出た。
もうここにいる理由はない。
ロングビルは学院を立ち去る理由を考えながら、オスマンの後を歩いた。
前を歩くとお尻をなでられるからである。
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ハヤトはアニエスとひとまず別れ、別々に情報収集に当たった。
使用人相手に印象を悪くしてしまったため、そちらはアニエスに任せ、ハヤトは、教員や生徒らに聞き込みを行う。
ここでも身分の差が立ちはだかるかと思いきや……以外とすんなり応じてくれた。
最初に答えてくれたのは胸元を大きくはだけさせ、胸ポケットにバラを差した金髪の少年と、その恋人と思われる金髪を縦ロールにした少女。
まず少年。
「ああ彼のことかい? まあ特に悪い印象は持ってないよ。ヘラヘラ笑っているわりになかなか主人思いさ。あれだけ蹴られたり小突かれても特に反発せずゼロのーーいや失礼、ミス・ヴァリエールに仕えているんだからね」
「誰かさんとちがって、あれくらい私のことを見てくれる人がいたら、私もそっちに気移りしちゃうかもしれないわね」
「な! そんなこと言わないでおくれよモンモランシー! 僕は一番君のことを見ているじゃないか!」
「一番じゃなくて私だけ見てなさいよ!」
これ以上は収穫がないので、次。
明らかに食べすぎ太りすぎの少年。
「リン? ああよくメイドと二人で食事してるみたいだよ、モグモグ……カートいっぱいの料理をはこんで、しばらくしたら二人で戻ってきてるんだ。あれだけ食べて太らないんだからほんと羨ましいよね、ムグ、モグモグ……なあもういいだろ、おやつ食べてるんだから」
糖尿病まったなしの菓子を頬張るのを邪魔しないように、次。
頭の……訂正。説明は必要ない。コルベール。
「彼のことですか? うう、む……使い魔の中でも特別、ということしか言えませんな。あ、いや、『人喰い鬼』とかいう疑いを抜きにしても、その、変わっているとしか。ただ私には好青年にしか思えませんよ? 先週、主人の名誉を守るために戦ったりはしましたがね。それはそうとミスタ・ハヤト、この『愉快な蛇くん』に興味がおありかな!?」
コルベールのいう『愉快な蛇くん』とは箱からぴょこぴょこと頭を出したり引っ込めたりする玩具のことだ。
興奮したようにコルベールの顔つきが変わって少し引いた。
「え、ええ、それは俺がいた世界では内燃機関と呼んでいるものです」
「ほほう、内燃機関とな。うむ、ではこの装置の原型はそう呼ぶことにしよう。ミスタ・ハヤトの世界ではこれは普通のものなのかね!?」
「ええ、まあ。馬を使わない馬車といいますか、そういうものがごく当たり前のように道を走ってます」
「素晴らしい! これぞ科学! これぞ火の有効活用! そうだこいつをさらに大きくして出力を上げて、いやいやそもそも油の噴霧をより微細なものにして爆発力を上げれば……となるとそれだけ頑丈な金属がーーー」
コルベールの一面を垣間見た。
研究の邪魔になりそうなのでハヤトは退散、次。
ここから先はかなり不毛な結果になった。
曰く、知らない。
曰く、どうでもいい。
曰く、ギーシュに勝っただけの平民。
曰く、興味ない。
これ以上の聞き込みは無駄だと判断し、合流予定のスズリの広場へと向かった。
そこには自由に使える丸テーブルと椅子があり、羊皮紙を広げるだけの余裕もある。
「さて、ひとまず状況を整理しよう」
「ああ」
やや遅れてやってきたアニエスとともに、聞き込みの結果を羊皮紙に書いていく。
まずは前提だ。
トリスタニアにいる『人喰い鬼』はおそらく二体。
以前から潜んでいて正体がまるで掴めない方を『カスミ』。そのまま霞という意味だ。
そしてハヤトと交戦してヘレナを殺害した方を、その鱗赫の形状から『黒蛇』と呼ぶ。ここからが本題だが、リンが『黒蛇』である疑いがある。
「そもそもなぜリンを怪しむ? 根拠は例の使い魔召喚だけだろう?」
「疑うだけならそれでじゅうぶんだ。この世界にいないはずのものがこの世界にいる、となると、俺と同じように召喚されたと見るべきだ」
「この『カスミ』と『黒蛇』が同一である可能性は?」
「それもない。『カスミ』は被害者の一部分だけを持ち去っていた。そして綺麗に切断されていたところを見ると、尻尾のような尾赫か剣のような甲赫だろう。それにかなり小食だ。下手をすると子供かもしれない」
「子供?」
「『人喰い鬼』にしては食べる量と回数がかなり少ないんだ。それに人の遺体を丸ごと持ち運ぼうとしたら、かなりの大荷物になって目立つだろう。だが一部だけなら持ち運びは簡単だし、小食なのもうなずける」
「その『黒蛇』はどうなんだ? ずいぶん簡単に尻尾をつかめそうだが」
「……安心したんだろうな」
「安心?」
「ああ。俺のいた世界では『人喰い鬼』はかなり生き辛い場所だ。そして夜中の路地とはいえ、堂々と捕食していた。かなり気が緩んでいたか、見つかっても殺して黙らせればいい、くらいに思っていたんだろう」
「それが二体いるという根拠か?」
「そうれもあるが……なにより『黒蛇』は名前通りの鱗赫を持っていた。鱗赫で殺したのなら、傷口にはやすりをかけたような傷痕が残る」
「なるほど、な。だいたいわかった」
「じゃあここからは聞き込みの結果をーー」
言いかけたところで、オスマンとロングビルがやってきた。
オスマンの手にはアタッシュケースが……クインケが握られている。
「ここにおったか。これも返そうと思っての」
「これも遺品ですか?」
受け取った。わりと軽く、状態もいいように見える。
「うむ。まあ使い方がわからんのでな、保管して埃をかぶせておくよりはいいじゃろう」
「感謝します」
クインケは多いほうがいい。もしもハゼが壊れでもしたら喰種への対抗手段がなくなる。
そう思って手元のスイッチを操作した。
ガシャリと大きな音を立てて、クインケが展開。やや細い剣へと形を変えた。
鍛えているハヤトなら片手でも振り回せそうだ。おまけに三十年経過しているのに全く劣化しているように見えない。
「『固定化』をかけていたんですね」
クインケを閉じて、箱へと戻した。このクインケはアニエスに使ってもらうとしよう。名前はあとでアニエスが決めるといい。
「んむ。錆びさせるのは惜しいのでな。どれ、ミスタ・ハヤトのそれにもかけよう」
「感謝します」
顔がほころんだ。その申し出は本当にありがたい。
オスマンは杖を抜くと、ハゼに向かって何かを唱えた。
「これで大丈夫じゃろう」
なにか光ったり音が鳴ったわけではないが、オスマンが大丈夫というからにはそうなのだろう。
図々しいかもしれないが、せっかくなので申し出ることにした。
「実はもう少し協力していただきたいことがあります」
「なにかな?」
ハゼをテーブルに置いて、メンテナンス用のスイッチを押す。
すると武器として展開することなく、アタッシュケースのまま開いた。
中にはハヤトにもよくわからない装置と、半透明の容器が入っている。その容器の中にはドロリとした赤黒い液体が半分ほど入っていた。
中身はRc溶液だ。これが無くなってしまうとクインケは使えない。
「この武器はクインケといって、『人喰い鬼』に致命傷を与えうるものです。そしてこの容器の中に……そう、平たく言うと、『人喰い鬼』の血が必要なんです」
「血とな……ふうむ……して?」
「この液体がないと、クインケは武器として使えない。『錬金』という魔法で、どうにか複製してもらえませんか?」
「わしはかまわんよ。元となる『血』があれば『錬金』でできるじゃろうて。それにわしらが手伝わねば、王宮のメイジたちは取り合わんだろうしの」
「助かります」
オスマンの言うとおり、王宮勤めのメイジにもRc溶液やクインケに『固定化』をかけてもらうよう頼んだりもしたが、話すらろくにしてもらえなかった。
アンリエッタ姫に相談しようと思ったが、マザリーニに止められたのだ。
功績もあげていない平民が一国の姫君と親しくされると醜聞に繋がりかねない、と。
そういうわけでオスマンの助けは非常にありがたい。
「こちらの捜査にひと段落がついたら、学院長室に向かいます」
「待っとるよ」
オスマンを見送り、ハヤトはテーブルへと向きなおった。
「さて、続けよう」
「ああ」
リンに関する聞き込みを総合的にまとめた結果はこうだ。
ーー笑顔を絶やさず使用人に好かれる好青年ーー
「本当にリンが『人喰い鬼』なのか?」
アニエスが疑うような目を向けてくるのも無理なからぬことである。
「容疑者なのは変わりないさ。シエスタ、だったか、彼女は確かに食事を共にしたと言ったのか?」
「口ではそう言ったさ。だがやはり何か、庇っているようにも見えたな」
アニエスは腕と足を組み、目をふせる。
彼女もシエスタの態度には思うところがあったのだろう。なにかがおかしい、と。
「『人喰い鬼』が人畜無害を装うのはよくあることだ。そして友人を作って口止めをしてもらうこともな」
「シエスタがその『友人』だと言いたいのか?」
「可能性だ。とにかく、オスマンのところに行こう。肝心のリンとその主人がいない以上、無駄に時間を潰すわけにもいかない」
立ち上がり、文字で埋め尽くされた羊皮紙を丸める。こういう走り書きのようなものでも後で役に立つことがあるのだから。
夕刻。
北と南がどちらかわからないので、夕日が沈んでいる方角が西なのだろうとハヤトは予想した。
ハヤトは庭の長椅子に座り、トリスタニアへを向く門を見つめる。
ぽつぽつと出かけていた少年少女が戻ってきていた。
門をくぐり、厩舎へ馬を返していく。
「……少しは肩の力を抜いたらどうだ?」
隣のアニエスが呆れたようにいう。そんなに力んでいるように見えるのかと、ハヤトは少し驚いた。
だが……。
「そうも言っていられん。アニエスこそ気を抜くな。正体を見せた瞬間、なにをするかわからないんだからな」
「わかっている」
「……?」
あの楽しそうなギーシュとやらと一緒にいる少女、あれは昼間の少女、モンモランシーとは違うようだが?
ふと、そこへモンモランシーがやってきて、ギーシュは慌てふためく。
バチン!
ここまで聞こえてくるほど強烈なビンタを食らって、ギーシュは置き去りにされていくのだった。
「青春、か」
枯れた老人のようなセリフをハヤトは吐いて顔をほころばせた。
ハヤトの青春といえばCCGが運営する養成所での、汗くさい日々くらいだ。
正直ちょっと羨ましくもある。
もしも両親が生きていたなら、ああいう思い出もあったのかもしれない。
小さく頭を振った。今はそんな感傷に浸っている場合ではない。
……来た。
ピンク色の長髪を持った少女。あれがルイズ・ヴァリエールか。
その後ろについている黒髪の青年、日本人風の顔、服装。あれがリンだ。
途中ですれ違ったあの二人組とはな。
「アニエス、距離をとって待機。不用意に近づくな」
「わかった」
立ち上がると、リンが気付いたのかこちらを向いた。目が合う。
だが何事もなかったように厩舎へと入っていき、出てきた。
警戒しながら歩いていく。
「少し、時間をもらいたい」
「あんた誰よ?」
ピンクブロンド髪の少女、ルイズが不機嫌そうに答えた。
歳下相手に『あんた」呼ばわりは癪だが、貴族というのはそういうものだと、この学院ですでに思い知っている。
「俺は銃士隊に所属している、ナガセ・ハヤトといいます。トリスタニアで噂になっている『人喰い鬼』について、話をうかがいたい」
リンから視線を離さずに説明した。微笑みを崩さず、黙って聞いている。
この笑顔が気にくわない。
いままで何十、何百と人を見てきたのだ。その中には人に紛れた喰種もいる。
ハヤトの勘が告げているのだ。
この笑顔は仮面で、自分の素顔を隠すための、笑顔という名の無表情。
それがこれだ。
「君はリンというそうだが、なんでも使い魔として召喚されたとか。元はどんな世界にいたんだ?」
「んー、月が一つだけの、日本の東京ってところから」
「偶然だな、俺もだ。喰種捜査官といえばわかるだろう?」
「グール?」
ルイズが眉をひそめた。たしかここでは吸血鬼の奴隷を『グール』と呼ぶのだったか。
「俺の世界では『人喰い鬼』のことを喰種と呼んでいる。とにかく、トリスタニアの『人喰い鬼』は元々は俺がいた世界にしかいないはずなんだが……」
リンはここでようやく表情を変えた。口元はそのままに、困ったような顔になる。
だがそれすら演技に見えるのは気のせいだろうか。
「もしかして僕がその『人喰い鬼』だって疑ってるのかな?」
その言葉で、ルイズは顔をしかめた。心当たりがあるのか。
「そうなるな」
ハヤトはクインケをいつでも展開できるように、親指をそっとスイッチに乗せた。
「ルイズさん、単刀直入に聞きますが、彼の目が赤黒く変わったところは見ませんでしたか?」
嘘は許さない。
そんな目つきになるのは仕方のないことだった。
その目つきにルイズは若干たじろいで、すぐにキッと見返し、胸を張って、言う。
「黒くなったからなんなのよ! こいつは私の使い魔よ!」
黒くなったからなんなのよ。
黒くなった。
黒く、なった。
「……ほう」
視線をリンに移した。
「ルイズちゃん……」
やれやれとでも言うようにリンは肩をすくめてみせた。
直後、リンの右手が背中の剣へと動いた。
そして左手はルイズへと動いた。
赫子はどうくる?
ルイズはどうする?
剣が左上から迫ってくる。
どう対処する?
コンマ一秒以下の判断。
瞬きよりも早い決定。
殺す。
甲赫型クインケ:ハゼを展開しつつ、その剣を弾いて後ろに跳ぶ。
「きゃ!」
リンの左手はルイズを突き飛ばし、ルイズは離れた地面に投げ出された。
「ネタバレは自分でやりたかったな」
リンは赤黒い眼を見せつけ、笑顔。
それは獰猛な肉食獣か、あるいは醜悪な化物が見せるような、歪んだ笑顔だった。
ーーーーーーーーーーーー
いせかいげきじょー
リン
「ルイズちゃん、洗濯終わったよー」
ルイズ
「……そういえばあんた、なんでわたしやタバサは『ちゃん』付けでキュルケは『さん』なわけ?」
リン
「そりゃあ……」(胸チラ)
ルイズ
「ふん!」
リン
「いった!?」