赫眼でもって、リンはハヤトを睨みつけた。もはや表情に笑みはなく、憎悪のこもった眼差しで。
リンはこの学院の生活が好きだった。
喰種の人生とは終わりのない綱渡りのようなものだ。そして人と関われば関わるほどに、その綱は細くもろくなっていく。
だが異世界ならば、このハルケギニアという世界ならば、人と楽しくやっていけると思っていた。
実際に楽しかった。
ルイズやシエスタ、タバサにキュルケ、そしてコルベールやオスマンとロングビル。
食う、殺される、それ以外の触れ合いは何よりも楽しいものだった。
しかしこのハヤトのせいですべて台無しだ。
なにもかも無駄になった。
たった一週間かそこらで、綱渡りの綱から転げ落ちてしまった。
こいつのせいで!
死ね!
デルフリンガーを握る右手に自然と力がこもる。
腰をわずかに屈めて、跳んだ。
いっきに距離を詰める。妙に体が軽いが関係ない。横薙ぎに振ってハヤトのクインケを弾く。
間髪入れずに鱗赫を繰り出した。
先端が蛇の頭のように割れた鱗赫だ。
こいつのハラワタを食い破ってそのまま胃袋にブチ込んでやる。
「ちい!」
ハヤトが後ろに跳ぶ。
にい、と口元を吊り上げるようにリンは嗤う。
「バーカ」
喰種の捕食器官である赫子は基本的に一人につき一種類。
だがリンは違う。
蛇のような鱗赫と、羽赫だ。
肩の上部から、服を突き破って『矢』が飛び出した。
こちらの世界で例えるならば、『ウィンディ・アイシクル』という魔法によく似ている。
大量の『矢』がハヤトへ迫る。避けられないだろう。
するとハヤトはその場から動かず、クインケを逆さまにした。
「……!」
顔をしかめたのはリンだ。
クインケが左右に開いたのだ。肉厚の刃だった部分が開き、まるで盾のようにハヤトの姿を隠した。
ガガガガガッ!
大量の石を壁に叩きつけたような音を立てて、すべての『矢』は防がれてしまう。
さらにリンが足を一歩踏み出した。
『矢』で牽制しながら距離を詰めて鱗赫を叩き込む。鱗赫ならあの甲赫を破れるはずだ。
「やめなさい!」
そのルイズの一喝が、リンの二歩目を止めた。
「……なぁに?」
ジロリと見やった。
元を辿ればルイズの余計な一言にも原因はある。
そのルイズの方を見て気がついたが、すでに多くの人だかりができていた。生徒たちはもちろんのこと、使用人や、マルトー、シエスタ、ギーシュもいる。
そしてその人たち全員が恐怖の顔を浮かべていた。
それがなんだか悲しかった。
やっぱり人間とは相容れないのだと、また思い知らされた。
だが例外もいる。
「なにじゃないわよ! なんなのよいったい!? いきなりその平民に襲いかかったりして!」
ルイズだ。
そして。
「はーい、ダーリン。なんだか面倒が起きたみたいね」
「事情が知りたい」
ハヤトとリンの間に割って入るように、キュルケとタバサを乗せたシルフィードが降り立った。
自分が怖くないのだろうか?
いや知らないだけだろう。勝手に期待して、裏切られたくなかった。
「とにかくハヤトって言ったっけ!? あんたもあんたよ! なに人の使い魔に難癖つけてんの!?」
その矛先はハヤトに向いて、ハヤトはクインケの形状を盾から剣に戻して叫ぶ。
「三人とも聞け! そいつは『人喰い鬼』なんだ! 何の罪のない人々を欲望のまま喰らう悪鬼だ! 生かしておけば君たちにも危険が及ぶ! ここで殺すべきだ!」
「証拠でもあるって言うの!?」
「証拠ならばあるぞミス・ヴァリエール」
さらにやってきたのはオールドオスマンを含めた多数の教員たちだ。
『フライ』で人垣を飛び越え、やや離れた場所に降り立った。それもリンを取り囲むようにだ。敵意があるのは明白である。
「オールド・オスマン?」
オスマンはすっとリンを指差した。
「その瞳、背中のそれ、わしが三十年前に出くわしたやつとそっくりじゃわい。残念ではあるがの、彼はここに置いてはおけん」
「それだけ? それだけで私の使い魔を殺そうっていうんですか!?」
「それだけじゃない」
ハヤトが口を挟む。
「五日前、そいつはトリスタニアで二人の女性を喰い殺しているんだ。一人はユリン、もう一人は俺の相棒だったヘレナだ。二人を殺して喰っているんだ! 俺の目の前で!」
その言葉に動揺が広まった。
タバサやキュルケでさえ眉をひそめ、ハヤトに背を向けてリンに向き合う。
それは対峙といってもいい。
「……本当なの?」
そのルイズの問いかけに、いまさら嘘をつく理由もない。
向き直り、一縷の望みを持って、答えた。
「本当だよ」
ルイズの顔が驚愕に変わる。怯えと恐れ。恐怖心。
そういうものがルイズの顔に現れて、リンは鼻を鳴らすように笑った。
ああ、これで全部、終わった。
結局は人の世界にリンの居場所はなかった。
この学院にとってリンという存在は外から紛れ込んだ異物にすぎず、排除して駆逐するのが当たり前なのだ。
バカバカしい。さっき自分で戒めたじゃないか、勝手に期待して裏切られたくないって。
一縷の望みを持って? ルイズが笑顔で受け入れてくれるとでも?
リンは自分を嘲った。
僕は喰種だ。それも生まれた瞬間からずっと。
「相棒! 右だ!」
今まで黙っていたデルフリンガーが叫ぶ。リンの意識は引き戻され、とっさに右手のデルフを盾にするように構えた。
蛇のようにうねる炎が迫った。やばい。
そう思った時には手遅れで、炎が眼前に。
「えっ?」
右腕を消し炭にすると思った炎は、なぜかデルフに吸収されていく。
だが完全ではない。
火力は落ちたが余波となった熱量が、容赦なくその右腕を焼き焦がした。
デルフには魔法を吸収する能力でもあるらしい。
だが手が焼けた。手首までの表面が黒く炭化し、服に火が燃えうつる。
「あっち!」
デルフを手放さなかったのは我ながら流石だった。
左手で服の火を叩いて消し、炎が向かってきた方向を見やった。
コルベールだ。あのハゲが杖を構え、リンを睨んでいるではないか。
「リン!」
「大丈夫だよルイズちゃん……それより、先生、いきなりひどいんじゃない?」
頭に血がのぼる。
どうやって殺してやろうか? それを考えると口元が吊り上げるような笑みが浮かんだ。
いきなり火を放つなんて攻撃以外の何者でもない。
「くっ……」
コルベールが呻いた。それはそうだろう、消し炭となった皮膚がパラパラと落ちていって、その下からみずみずしい皮膚が再生されていくのだから。
三十秒とたたず元通りの腕に治った。デルフを左手に持ち替えて、確かめるように右手を開け閉めする。
コルベールの炎で終わらせるつもりだったのか、リンの動きを伺っているのか、教師陣は動かない。
埒があかない。そしてもうここにいるべきではない。
「……もういいや」
そう言って、厩舎の方へと歩いた。
「どこに、行くのよ?」
覇気の感じられないルイズの問いだ。止まれとは言わないらしい。
ルイズの前で立ち止まって答える。
「ここにはもういられないからね。さよなら」
簡潔に告げる。
だらだらお別れを言っても仕方ない。
ルイズは何かを言おうとしたが、無視して歩いた。事実、なにも言わなかった。
不意に行くてを阻むように地面が盛り上がる。
何かが土の下から出てくるというより、地面そのものがせりあがるような。
そうやって見上げるほどに巨大な土人形が出来上がった。
粘土を叩きつけるように人の形にしてみたらこんな風になるのかもしれない。
たしかゴーレムとかいったか。ギーシュのそれより厄介そうだ。
それがリンの前に立ちはだかった。
『行かせない』ではなく『逃さない』と言いたいのだろう。
「残念じゃがの、おぬしはこの世界にとって危険な存在なのじゃよ」
オスマンが杖を向けた。
何人かの教師が生徒や使用人を広場から追い払っている。
つまり、これが答えだ。
リンはため息をひとつついて、首をゴキリと鳴らした。
「ちょっと、小腹がすいたんだよね」
赫眼で睨みつけた。
あれは餌だ。今日の夕飯だ。そう思うと口がぐにゃりとねじ曲がる。
それはまさに破顔と言っていい。『顔』が『破』れた笑顔だ。
「リン! やめなさーー」
無視して走る。
羽赫を展開、翼を広げた。
風を切る速さで地面を飛ぶように駆る。
ハヤトは後でいい。まずは邪魔な教師陣からだ。
最初は黒髪黒服の陰気な教師。
羽赫の『矢』を放った。
渦をなしたそれらは広がるようにその教師へ向かう。一発当たればそれでいい。
「ふん!」
その教師は剣のように杖を払う。
すると風だろうか、不可視の力が『矢』を弾き飛ばしながらリンへと迫った。
だが弾かれる『矢』によってその軌道が視える。
右へ避けて、右足で地面を蹴り飛ばす。
瞬時に距離を詰めた。射程内。鱗赫を展開。
ーーダメだ殺すな! ここはルイズの居場所だ!ーー
「っ!?」
何かがリンの頭の中で叫ぶ。その声が鱗赫の向きを若干変えた。
腹ではなく、右腕へ。
ぶちっ
水気を含んだ音を出して、鱗赫の口が腕肉をひとくちほど食いちぎった。
その肉と血は鱗赫を通って胃の中へと送り込まれる。喉を通らない食事のなんと空虚なことか。
教師が手放した杖をキャッチ。デルフで叩き切る。
「うおああああああああああ!」
教師の叫び声を尻目に、次、土ゴーレムの上に移動したロングビル。
地響きを立ててゴーレムは迫ってくる。鈍い。羽赫型喰種に比べるとあくびが出るようなノロさだ。
こちらからもゴーレムへ駆けた。
火球だとか氷の矢だとかがどこからか飛んできたが、それらはデルフで切り払った。
コルベールの炎ほどではない。
ゴーレムの拳が振り下ろされる。あれに潰されたら間違いなく死ぬ。
「遅い遅い」
迫り来る拳に、リンは飛び乗った。見た目通りの鈍重さだ。
ズドンと爆音に似た音を出してゴーレムの拳が地面に突き立てられる、その腕にひょいと飛び乗り、駆け上る。
ロングビルの顔が驚きと恐怖に歪む。
嗜虐心をそそるイイ顔じゃん。おまけに食べごろな肉付き!
そうは思っているのに身体が拒否する。
殺すなと、ルイズの居場所を壊すなと、なにかが鬱陶しいほどに訴え続けている。
わけがわからない。
ゴーレムの肩まで駆け上がったとき、ロングビルは宙に飛んだ。
『フライ』だか『レビテーション』だかを唱えたのだろう。
無駄だ。
飛び立つスズメを捕らえるネコのように跳躍。伸ばした鱗赫がロングビルの足に噛み付いた。
引き寄せ、杖を握る手をデルフの背中で殴りつける。
「あぐっ!」
ボキゴキと骨がまとめて折れる感覚が伝わってきた。
ゴーレムを操るための杖が離れていき、ゴーレムが崩壊。ただの土の山へと化す。
そこへ着地し、くわえている鱗赫でロングビルの足肉を食いちぎった。
悲鳴。
「ミス・ロングビル!」
コルベールが叫ぶ。次はあれにしよう。
走った。
行き先を遮るように炎や氷、風の刃が吹き荒れる。ついでに背後で爆発。誰かの声。
関係ない。
魔法はデルフで切り裂いた。吸収しきれない魔法はそのまま食らった。
どうせすぐに治るのだ。気にせず突き進み、耳に入る声は雑音として処理。
コルベールが頭上に杖を掲げると、巨大な火球が現れる。
なにをするつもりかはわからないが、先手必勝だ。羽赫の『矢』を放つ。
だがそれらはオスマンの風によって吹き飛ばされた。
構わない。さっきの黒髪教師のように近づけばいいだけだ。
「……?」
一瞬視界がぐらついた。さっきから息苦しくないか?
体の異常も無視。飛び込め。
足がもつれる。跳べ!
ただの体当たりをコルベールにみまった。
「がはっ……!」
コルベールの肺から空気が絞り出される。頭上の大火球が消え失せ、コルベールが地面に投げ出される。
頭が少しクラクラした。さっきの大火球は周囲の酸素を奪っていたのだろうと、リンは想像した。
とにかく、だ。
「殺さないから安心してよ」
「くっ!」
コルベールが手放さなかった杖を向けようとする。だがこの距離だ、リンのほうが速い。
デルフの背中で、ロングビルと同じように腕を殴りつけた。パン、と小気味よい音。
コルベールの右手が変な方向に曲がり、杖を手放した。
コルベールの杖を遠くへ放り投げて、次はオスマン……は、やめておこう。
オスマンの前にハヤトが立っている。走ってもリンに追いつけないから、ああやって待ち構えることにしたのだろう。
オスマンはここの学院長で一番偉い。そして一番強い可能性もある。あの二人が連携されたらさすがに危ないかもしれない。
大きく深呼吸して、あたりを見渡す。
広場には使用人や生徒たちはいなくなっていて、代わりに塔の窓から身を乗り出してこちらを見ている。
で、目が合うと短い悲鳴をあげて上半身を引っ込めるのだった。
リンを除いて、立っているのはオスマン、ハヤト。そしてキュルケ、タバサ、ルイズの三人。
あの三人は怪我をさせたくない。 そして無理にハヤトとやりあう必要もない。
どうせ顔はバレたのだ。しかも学院のほぼ全員に。命がけで殺してやるほどの理由がない。
ルイズを見やる。
わがままで意地っ張りの頑張り屋さん。嫌いじゃなかったよ。
「ばいばいルイズちゃん。楽しかったよ」
笑顔でそう言った。作り笑いじゃない、本当の笑顔で。
ルイズがなにかを言おうとしたが、言葉を発するより先にリンは走る。
厩舎へ向かい、馬へ飛び乗り、学院の外へ出る。
さよなら。
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学院の喧騒はおさまることを知らず、日が沈んだ後もざわめきは続いていた。
タバサは食堂で本を読んでいるが……こういう時はまったく本の内容が頭に入ってこない。
そして考えていることは例によってリンのことだ。
ルイズの使い魔で、人を喰らう鬼。
しかも魔法による傷をたちどころに回復してみせる肉体。暴力極まりない膂力と背中のアレ。
リンが欲しい。
そういう変な意味ではなくて……とにかく、リンが欲しい。彼の力は非常に魅力的だ。
毒によって精神を病んでしまった母を救い、父を殺したあいつを殺すだけの力が彼にはある。
たしかに自分が食べられる危険性はある。しかしそれを考慮しても捨ておくのは惜しい。
問題はどうやって協力してもらうかだ。
シルフィードはリンが普通の食べ物を吐いていたと言っていた。
つまり『人喰い鬼』の呼び名通り、人以外を食べることができないのかもしれない。
そうだとしたらリンの協力を得る方法はひとつしかない。
タバサが人肉を調達し、彼に与えることだ。
そして彼に安心して住める場所を提供する。これならばリンを手元に置きつつ、都合よく彼を使えるだろう。
住む場所はプチ・トロワでいいだろう。さすがに協力者の母親や使用人を襲う真似はするまい。
そんなことをしたら自分の協力者を失うことくらいわかっているはずだ。
問題はどうやって人肉を用意するかだ。
多少ならばなんとかなる。
所属する北花壇騎士団の任務で、まれに山賊や盗賊の討伐が降ることがあるのだ。
その死体を与えればいいし、なんなら同行してもらってもいい。
しかしその量は限定的だ。一度にそう何十人と相手にするわけではないし、人間相手の任務はほとんど別の騎士に割り振られる。
もっとも、これらはルイズがリンを手放すという前提がなければ成立しない。
はたして彼女はリンをいらないと言うだろうか?
そのルイズはこの食堂にはいない。オスマンに呼び出されたのか、部屋に閉じこもっているのか。
「なあに? 考え事?」
隣に座るキュルケが生意気なーー訂正、豊満な胸を押し付けるように肩に腕を回してきた。
肯定するとさらに聞かれることは目に見えているので、ここは否定しておく。
「別に」
「嘘おっしゃい。あなたさっきからずっと同じページじゃない」
「……」
返事に詰まる。見ていないようでけっこう見ているらしい。
「どうせリンのことでしょ? 彼ってけっこう刺激的だったのね。あなたの忠告をちゃんときくべきだったわ」
「無事にすんだから、気にしてない」
本当に無事でよかった。
もしもリンに分別がついていなかったら、そしてキュルケがリンを部屋に招き入れでもしたら。
そう考えるとゾッとする。それにキュルケになにかがあったなら、誰がなんと言おうとリンを誅しに向かったことだろう。
キュルケはどこか遠くを見ながら言った。
「無事にすんだから、あなたが危険な賭けをしないか心配よ」
「賭け?」
「ええ、賭け。そうね、たとえばリンを二番目の使い魔にしようとか」
「……そんなこと考えてない」
そうはいっても図星である。
キュルケはこうみえてなかなかどうして勘が鋭い。
「そう? ならいいけど。あなたは私の友達よ。友達を悲しませるようなことしないでちょうだいね」
「……」
そうだ。キュルケはタバサにとっても友達だ。友達だからこそわかってくれるだろう。
危険な賭けに友達を巻き込みたくないという、この想いも。
「諸君、静粛に」
と、前方にオスマンら教師たちがやってきた。
負傷したコルベールと黒髪陰気な教師ーーたしかギトーといったかーーの二人は患部を包帯で巻いて、肩から三角巾で吊っている。
さすがに水の秘薬でも即座に完治とはいかないようだ。
タバサは耳だけオスマンの声を傾けて、視線は手元の本に落とす。
「もう説明する必要はないのう。知っての通り、ミス・ヴァリエールの使い魔がミスタ・コルベール、ミスタ・ギトー、ミス・ロングビルの三人を負傷させて逃亡した。ここにはおらぬが、ミス・ロングビルも命に関わるほどではない。足を怪我しておるのでな、医務室で療養中じゃ」
それはそうだろう。リンは殺さないように立ち回っていたのだから。
「そしてミス・ヴァリエールへの処遇じゃが、一切の不問とする。この件は彼女の使い魔、リンが引き起こしたのじゃからな」
その言い方に、タバサは少し引っかかった。
リンが引き起こしたというが、そもそもリンを挑発したのはあの平民ではなかったか?
「オールドオスマン、『人喰い鬼』とはなんですか?」
だれかがそう問うた。
人を喰らう鬼。
トリスタニアで噂になっていた存在だ。今朝その噂をきいたときはただの眉唾ものだと思っていたが、まさかその日の午後にその正体を知ることになるとは。
「うむ……一言で言えば、人間の敵じゃ。吸血鬼と同じかそれ以上に厄介な存在じゃよ」
ざわつきが大きくなった。吸血鬼といえばハルケギニアでもっとも危険な亜人とされている。
先住魔法を使い、血を吸った相手を『グール』という奴隷へと変えてしまうのだ。
しかも外見は人間と同じで『ディテクトマジック』を使っても見破ることができない。
その吸血鬼と同等以上の脅威が、一週間近くこの学院で生活していたわけだ。
「聞くのじゃ。たしかに『人喰い鬼』は凶悪かつ狡猾な存在といえよう。一週間も正体が気づかないばかりか、下手をするとこれから先も気づかなかったやもしれん。しかしながら、リンがいた世界から『人喰い鬼』専門のハンターもこのハルケギニアに来ておる。すでに何人か会っておるはずじゃな、コートを着た平民のミスタ・ハヤトじゃ」
ハヤト……あの異様な剣を持っていた平民だろう。
『人喰い鬼』が多数いる場所なら、そういう者たちもいるのだろう。
「ひいてはミスタ・ハヤトを中心とした討伐隊を編成し、リンを追撃する予定じゃ。くれぐれも後を追おうなどと考えないように」
リンが逃げた方角を言わないのは後を追えないようにするためだろう。
しかしすでにシルフィードに追跡させている。
タバサは両目を少し閉じて、シルフィードの視界を『覗き』こむ。
月明かりの森が視界に広がった。シルフィードは空を旋回しているのか、緩い弧を描きながら眼下の森が動いている。
小さな小屋が見えた。そのすぐそばに馬が繋がれている。
どうやらあの小屋で一夜を明かすつもりらしい。
タバサは視界を本に戻すのだった。
><><><><><><
簡単な木小屋の中で、リンは硬いベッドに横になっていた。
ここは木こりか何かが一時的に寝泊まりするためのものだろうが、狭い上にすきま風が入ってきてちょっと寒い。
しかも長らく使っていないらしく、埃っぽい上にベッドの寝心地はいいとは言えない。
はっきり言ってルイズの部屋で藁束で寝るほうがいくらかマシである。
窓から二つの月明かりが入ってきて真っ暗闇というわけでもない。
「これからどうしようか?」
木目の天井を見上げながら、壁に抜き身のまま立てかけているデルフに尋ねた。
「おいおい俺にきくのか? 俺は剣だぜ? 喋れるが、それだけだ。決めるのは相棒、おめえだよ」
「そうなんだけどさ……なんか、なにもする気にならなくて」
「おめえさんはどうしたいんだ? どうしたかったんだ?」
どうしたかったか? それは決まっている。
「そりゃ、ルイズちゃんのところに戻りたいけど……って、あれ?」
口に出して、違和感。
「そもそもなんでルイズちゃんと一緒にいたいのかな? しかも僕が『人喰い鬼』だってヒントまであげたりして。さっさと学院を抜け出せばよかったのに」
喰種の人生は終わりのない綱渡り。人と関われば関わるほどその綱は細くもろくなっていく。
そんなことはわかっている。わかりきっている。
でもどうしてルイズと一緒にいたいのか、その理由がわからない。
答えはデルフが出した。
「そのルーンの影響さね」
「ルーン? これ?」
左手の甲にある文字のようなもの。ここに召喚され、ルイズと契約のキスを交わした時、これが刻まれた。
「そうさ。どの使い魔もそうだが、その主人に『懐く』ように矯正されるんだよ」
「なにそれ洗脳ってこと?」
「身も蓋もない言い方すりゃそうなるな」
「……」
ため息をついた。
「ただよ、洗脳つっても完全じゃない。本気で主人を殺そうと思えばできてしまう。だからメイジが召喚するのは、そのメイジを『好きになりそう』な使い魔だ。そのルーンがなくてもおめえはあの娘っ子に惹かれていたと思うぜ?」
「……そっか」
たとえ気休めでも、そう言われると嬉しい。
使い魔がメイジを好きになればそのメイジの身の安全はそれなりに保証される。
そういう打算がリンの知らないところで働いたのかもしれないが、それでも。
「僕さ、けっこうルイズちゃんのこと気に入ってたよ」
「ほーう? どんなところが?」
「たった一週間だったけどさ、ルイズちゃんが『無理』とか『できない』とかいってるところ、一回も見たことないんだ」
「……それだけ?」
「それだけってことはないよ。できないってわかってて挑戦するの、普通やれることじゃないよ」
ギーシュの決闘も、魔法の実技も、勝てないしできないなら、最初からやらなければいい。
でもルイズは受けてたった。できないと言わなかった。
「ああいう諦めない子はけっこう好きだよ。僕は……もう頑張れないからさ」
「そっちの理由は話せないか?」
「……ごめん」
「いいってことよ、俺はこうやって会話できるだけで満足だぜ。今日はもう寝な。明日は明日の風が吹く、ってな」
「ん」
窓に背中を向けて腕枕をする。
寒い。
すぐそこにルイズがいない。
ルイズの寝息が聞こえない。
ルイズのにおいがしない。
それがひどく、寒かった。
この寒さでさえルーンの影響だとしたら、ずいぶんと厄介なものだった。