東京メリー   作:雨守学

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神保町の少女

東京駅は閑散としていた。

そうでなくても静かなこのカフェには、今時タブレットを操るマスターと、いつもの少女、そして、ぼんやりと外を眺める私しかいなかった。

いつもの少女は、やはりいつものように何かを書き終えると、急いで店を出るのだった。

彼女は何をいつも急いでいるのだろうか。

窓の外では、大きな道路を占領するかのように、猫が寝転んでいた。

猫が寝転ぶ。

我ながら出来のいいギャグだ。

 

カフェを出ると、足は自然と神田の方へと向いた。

「電車を使おうかしら」

そんな独り言を零すのは、なんとなく久々に、自分の声を聞きたかったからなのかもしれない。

東京に来てから数ヶ月。

新しい環境になれないせいもあって、私は未だに一人だ。

連絡を取る相手もいないし、時折テレビに向かって独り言を零したり、コンビニのお箸を断る時位しか自分の声を聞く事はない。

後は、「あの世界」に迷い込んだ時に喋るくらいだ。

 

結局電車に乗り、神田を目指した。

一駅分でも、貸しきり状態の車両なので、席に座る。

昔は東京駅も栄えていたと聞く。

電車の乗車率は100%を超え、駅員が人を電車に押し込めるのが伝統だったらしい。

「100%って、どれくらいの人数の時をいうのかしら?」

 

おかしい。

乗車してから10分以上が経過している。

電車は走り続け、見知らぬ風景が車窓から望める。

乗る電車を間違えたとか、そういう次元ではない。

懐中時計は丁度、正午を指しているのに、空の色はまるで夕方のように赤く染まっている。

「嗚呼、また迷い込んだのね」

そんな事を、また呟いた。

 

「神保町、神保町」

何故か神田ではなく、神保町に着いた。

しかし、私の知る神保町は、そこにはない。

見えるのは、禍々しいお屋敷だけ。

辺りは霧に包まれていて、電車の光を乱反射させていた。

「行かないと帰れないわよね」

この世界を創った誰かさんにそう言いながら、私は屋敷の扉に手をかけた。

 

屋敷は暗く、じめじめしていた。

その環境に似合わず、圧倒するのは、何メートルもの高さ・長さを誇る本棚。

こんなところで本を管理するなんて、このお屋敷の主はガサツな性格なのだろうか。

それにしては、本もきちんと整頓されていて、埃は一つもない。

とにかく奇妙だ。

「ここは図書館ではないわよ」

細く、けだるい声でそう言ったのは、パジャマを着た髪の長い少女だった。

「貴女がここの主?」

こういう時の私は冷静だ。

いや、そうでなければならない。

そうでなければ、この世界に飲み込まれてしまいそうだった。

「主…かどうかはといえば違うけど、まぁそういうことでいいと思うわ」

少女は咳を二つすると、ゆっくりと椅子に座った。

「私はパチュリー・ノーレッジ。貴女の名前を聞かせてちょうだい」

「私はメリー」

名前と言うのは、人を支配する力がある。

この世界に迷う時、必ず、そこにいる相手は私の名前を聞いてくる。

マエリベリー・ハーンという名を隠したのは、やはり飲み込まれない為だった。

「メリー、貴女は知っているかしら?神保町は昔、本の街だったのよ」

「えぇ、知っているわ。でも今は、スポーツの街だわ」

少女はムスッとした表情を見せた。

「私、スポーツが嫌いなの。喘息を持ってるし、何より不健康だわ」

スポーツが不健康…また新しいフレーズだ。

「私もスポーツは嫌いだけど、不健康っていうのは?」

「わざわざ体力を消耗し、精神を削るのが不健康と言っているのよ。体力を消耗せず、精神を安定させる本こそ、健康的だと思わない?」

「そうかもね。でも、本には健康の為にスポーツをやれと書いてあるけど。それって矛盾していないかしら?」

「むきゅー」

なにやら機嫌の悪そうな声を出し、少女はそのまま黙り込んでしまった。

「それより、貴女は知らない?私の元いた世界に帰る方法」

「さぁ、忘れてしまったわ。この何処かにその方法が書いてある本があったような気がするけど」

少女は目も合わせず、意地悪をするようにそう吐いた。

しまった。

機嫌を損ねる事を言うんじゃなかった。

しかし、彼女の言った事は本当だろう。

このどこかにその本があるはずだ。

この何万とある本の中の何処かに…。

 

一冊一冊をパラパラと捲って行く。

表紙や背表紙、そして中身、全て知らない言語で書かれているため、根気よく探していかなければならない。

この世界はいつも、私を簡単には帰してくれない。

こうやって、いつも苦労をさせられる。

「はぁ…」

山積みになった本の上に座る。

生涯、人は何冊の本を読むのだろう。

先ほどの少女は、この本全てを読んだのだろうか?

だとしたら、彼女は魔女か何かに違いない。

今回ばかりはお手上げ。

このまま帰れずに終わるのだろうか。

東京に来てから、ずっとこんな目にあっている。

どうせなら近代的な京都に行くんだった。

私みたいな外人は、やはり古い日本を楽しみたいという気がある。

東京はまさにそれだった。

こんな事がなければ、好きな所なんだけど。

色んな事が頭を駆け巡り、なんだか疲れて、本棚によりかかった。

目を瞑り、このまま眠ってしまおうかと思った時、本の崩れる音と、少女の叫び声が聞こえた。

 

少女の元へ駆けつけると、そこには本の山が出来ていた。

山の中から、咳こむ声が聞こえる。

「大丈夫?」

意地悪な声で、そう声をかけた。

「助けて…」

精一杯絞り込んだのだろう声が聞こえた。

「どうしましょう。そうね、帰る方法が書いてる本を探してくれたら、助けてあげるわ」

「探す、探すから、助けて」

 

少女を抱え、椅子に座らせた。

「スポーツやった方が良かったかもね」

しばらく、少女の呼吸が安定するまで待った。

 

しばらくすると、落ち着いたようで、私に感謝する前に愚痴を吐き出した。

「なんなのよあの女。帰る方法の本を探すとかいって、本棚をひっくり返したのよ。信じられないわ」

「帰る方法の本を探していた女って、私以外にもこの世界に迷い込んだ人がいるの?」

「えぇ、でも、もう帰ったみたいね」

驚いた。

私だけじゃなかったのか。

もしかして、東京にありがちな事なのだろうか。

「約束の本。その女が開いていたようね。ほら、そこに」

私は少女の指す本を手に取った。

「もうここには来ないで頂戴。私は一人で静かに本を読んでいたいの。もうあんなのごめんだわ」

 

神保町の駅には電車が止まっていたが、線路が消えていた。

私はさっきの本に挟まっていた乗車券を出した。

「大人一人」

それが合言葉だった。

乗車券は、シュルシュルと線状に解体されると、線路の形をつくり、何処までも伸びて行った。

発車のチャイムが響き渡る。

急いで電車に乗り込むと、一番端の席に座り、誰もいないのに身を縮めた。

 

「神田、神田」

電車は何事もなかったかのように神田駅で停まった。

電車を降りると、私の知っている風景がそこに広がっていた。

「帰ってこれたのね」

 

神田は、お一人様ブームと言うのがあってから、一人で遊べる街として有名になった。

「今日はお一人様サッカーでもしようかしら?」

こんな事を呟けるのも、この街にいるからだろう。

「たまにはスポーツもしないとね」

そう自分に言い聞かせ、お一人様スポーツクラブへと向かった。

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