「帰らなきゃ」
どこに?
「私のいるべき場所に」
だから、それは何処?
「楽園よ」
楽園?
「そう。全てのものが、そこに辿り着く」
…死後の世界のことかしら?
「ある意味では正しいわね」
そんなところに、私はいたの?
「えぇ、だから、帰りましょう?」
伸ばされた手を掴もうとしたとき、強い光が、私の目を潰した。
「うぅん…」
「メリー、朝だよ」
青い空、そして、黒い蓮子。
「今日もいい天気だね。さ、起きた起きた」
「うぅん…あ…早苗さんは!?」
「それは…」
「ん…」
私達の声がうるさかったのか、はたまた太陽の光に焼かれたからか、早苗さんは目を覚ました。
「ここは…」
「早苗さん!」
「良かった…目を覚ましたのね…」
「蓮子さんにメリーさん…?」
「そうだったのですか…」
「それで…早苗さんはどうして連れ去られてしまったの?」
「…覚えていません」
「え?」
「気がついたら…あの世界にいて…目の前にあの女がいました…」
「それで?」
「勝負を挑まれたので戦いました。もう少しで勝てるところだったんです!でも…名前がバレてしまって…」
「名前…?」
「携帯電話を奪われてしまったのです…。そこから名前を…。名前がばれた時…私の体は動かなくなって…それから…」
携帯電話…。
「メリー…」
「えぇ…」
「早苗さん…その携帯電話を女はどうしていた?」
「えと…空間の切れ目…?のような所に投げ入れてしまいました…」
「…なるほどね。謎は解けたね…」
「その女が私に携帯電話を…。ということは…向こうの世界からでも…こちらに干渉出来るという事になるわね…」
「だとして、どうして直接じゃなくて、こんな…。それに…どうしてメリーなのかしら…」
「それは…メリーさんがあの世界の住人だからです…」
「え…」
「どういうこと…?」
「蓮子さん…貴女もです…。名前を奪われたとき…お二人の姿が浮かびました…。でも…私の知っているお二人ではなかった。それでも…あの二人は…確かにお二人だったんです…!そして…そのお二人は、----神社でお茶を…」
「お、落ち着いてよ…。私達だけど私達じゃないって…」
「…姿が違うんです。でも…それがお二人だという確信があった…。今だって…」
早苗さんには落ち着く時間が必要だという判断の下、私達は早苗さんの家をあとにした。
「…なんだか、大変な事になっちゃったね」
「えぇ…」
早苗さんの言う、私達ではない私達。
私は私のはず…。
ずっと、あの女の勘違いだと思っていた。
でも…。
「メリー…」
蓮子が私の手を握った。
「蓮子?」
「あのさ…。もう…やめにしよう…?」
「え?何を…?」
「あの世界に行く事…」
その時の蓮子の目は、あのカフェで見た落ち込んだ時のものと、同じだった。
「私の力を使えば…幻想郷を回避できる…」
「でも…貴女、言っていたじゃない。いつまでもそんな生活は出来ないって…」
「一緒に行動すればいいんでしょ…?メリーと一緒に住む…」
「え?」
「これ以上…メリーをあの世界に行かせたくない…」
「確かに…あの世界は危険だけれど…」
蓮子の様子が、どこかおかしい。
…いや、私も、どこかおかしい。
どうしてだろう。
蓮子のこの提案は、私が望んでいた事…。
あの世界にはもう行きたくなかったはず。
なのに、なのにどうして、私は…。
「…大丈夫よ。そんなに心配しなくても」
そう言って、蓮子の手を放した。
「メリー…」
「いつもの元気はどうしたのよ?早苗さんを助けに行くと決心した時みたいな元気は?」
「…」
「ほら、帰りましょう?私、しばらく家を空けてたから、帰って色々やらないと…」
その時、蓮子の匂いが、私を包み込んだ。
「ダメ…!」
背中を通して、蓮子の震える姿が見える。
「蓮子…?」
細い蓮子の体が、私をしっかりと抱きしめている。
「痛いわ…」
「せっかく…」
「?」
「せっかく…こうして…幸せに暮らせているのに…。やっと…同じ立場になれたのに…」
同じ立場…?
「蓮子…貴女…泣いているの…?」
返事はない。
ただ、鼻をすするのだけは聞こえる。
「…あのカフェに行きましょう?私達も…落ち着かないといけないようね…」
そう言って、蓮子を宥めた。
「落ち着いた?」
蓮子は、いつものコーヒーを頼まず、グリーンティーを頼んだ。
初めて日本人らしさを見せたわね。
「落ち着きはしたさ…。でも…メリーを幻想郷に行かせたくない気持ちに、変わりはないよ…」
「蓮子…」
どうすれば彼女が納得するのかが分からない。
おそらく、蓮子も同じ気持ちだろう。
お互いに、妥協できる解決点が見つからないのだ。
…妥協?
…ダメだ、私はまだ疲れている。
どうしても、幻想郷を避けるようにする生活をしようという気持ちが、何故か起きない。
『帰らなきゃ』
「帰らなきゃ…」
「え…?」
「…あ、えと…家に…帰らなきゃ…って…」
咄嗟に嘘をついた。
だけれど、何故嘘をついたのかも、分からない。
「私、相当疲れてるみたい…。蓮子の提案も検討しておくから…今日は解散にしましょう…?」
「…分かった。でも、待って」
そう言うと、蓮子は地図を広げた。
「今日の幻想郷の位置を調べる。帰り道に幻想郷があったら…大変だからさ…」
鉛筆の渇いた音が、カフェに響いた。
「…神楽坂」
「帰り道とは間逆だね。大丈夫そうだ」
「そうね。じゃあ、今日はこれで…」
「メリー」
「なに?」
「…私達は、この世界で生まれて、この世界で育った。幻想郷などではなく…この世界でね…。それを…忘れないで…」
蓮子の目が、私を睨みつける。
どこか脅迫めいた、そんな目。
「そんなの当然でしょ?」
そう言って、カフェを出た。
蓮子が私の背中を睨んでいるのが分かる。
いや、私の思い込みかもしれない。
自分だけが知っている事実を、あたかも、他人も知っているかのような、そんな気持ち。
蓮子の気持ちを裏切ると言うのは、こうも、私を自意識過剰にするものなのね。
「罪を犯した人間は、こんな気持ちなのかしら?」
新宿区神楽坂。
坂が多すぎて、高齢化社会には合わないと、平坦ばかりにされてしまった街。
「随分と歩きやすい街だこと」
一本道を飯田橋方向へ歩く。
この道は、時間帯によって、一方通行の向きが変わる。
お昼前の今は、飯田橋方向へと、車が走っていた。
「ここね」
なんとなくだけど、分かる。
ここに、幻想郷への入り口がある。
善国寺。
神楽坂の毘沙門天として有名なお寺だ。
本堂の左右には、神社の狛犬のように、阿吽一対の狛虎像が置かれている。
その虎が、私を睨む。
そして、むくりと立ち上がると、二体とも、私に被いかかり、視界を暗くさせた。
風。
霧。
それも、とても湿った霧。
服が徐々に濡れてゆく。
ギギギという、木がきしむ様な音。
どうやら、木でできた船に、私は乗っているらしい。
「聖輦船といったかしら」
ふと、零れた言葉。
「…せいれんせん?」
全く知らない言葉。
だけど、誰でもない、私が発した言葉。
『帰らなきゃ』
「…帰らなきゃ」
「それは、どちらの事を言っているのですか?」
声のする方を向く。
その時、霧が晴れた。
青い空。
その中に、寅柄の服を着た女性。
「私は寅丸星。貴女の名前は?」
「メリー。なるほどね。貴女だったら、神楽坂に相応しいわね」
「え?」
「え?」
神楽坂に相応しい…?
自分の言葉だけれど、どうしてだろう。
何故、彼女が、神楽坂と…毘沙門天と関連していると、思ったのだろう。
「…なるほど」
彼女が、ゆっくりと、私の方へと、歩み寄る。
不安定な船の上を、いとも簡単に。
「…というか、この船…飛んでないかしら?」
遠くの景色が、何故か下に見える。
「広い幻想郷を飛ぶ船なのです。懐かしい景色でしょう」
「…えぇ」
本当に、懐かしい。
暖かな風、匂い、そして、遠くに見える、紅魔館、人里、竹林…それから…。
「…どう言う事かしら?」
知らない記憶。
だけれど、確かな記憶。
夢で見た?
デジャヴ?
いや、そんな曖昧なものではない。
もっと、ハッキリとした記憶…。
「私は…誰…?」
マエリベリ・ハーン。
その名前が、段々と、自分のものではない気がしてきた。
これが、のみこまれるという事なのだろうか。
『帰らなきゃ』
「貴女は…何を求めて、神楽坂に来たのですか…?」
『帰らなきゃ』
「私は…帰らなきゃって…」
「何処に?」
「分からないけど…でも…」
「…とある妖怪が、児童向けにつくった詩があります。この世界に迷い込んだ、少女の、御伽噺です」
-夢違え、幻の朝靄の世界の記憶を-
-現し世は、崩れゆく砂の上に-
-空夢の、古の幽玄の世界の歴史を-
-白日は、沈みゆく街に-
-幻か、砂上の楼閣なのか-
-夜明け迄、この夢、胡蝶の夢-
-夢違え、幻の紅の屋敷の異彩を-
-現し世は、血の気ない石の上に-
-空夢の、古の美しき都のお伽を-
-白日は、穢れゆく街に-
「夢…違え…」
「貴女は、この主人公にされてしまったのです」
「え…?」
「御伽噺の世界から、貴女は、今、帰ってきた」
「御伽噺の…世界…?」
「そうです。しかし、貴女はまだ完全ではない」
「どういう意味…?」
「名前を取り戻していない。御伽噺を終わらせるには、御伽噺の世界を完結させなければならないのです」
東京が、御伽噺の世界。
そして、その物語は、まだ終わってなくて、私は、それを完成させなければならない。
「…馬鹿げているわ」
そう零してはみたものの、今の私には、どうも、東京の景色が、色褪せて思えた。
「名前を取り戻すのです」
「私の名前って…なんなのよ…。それに…誰から名前を取り戻せって言うのよ…」
「貴女を御伽噺に閉じ込めた犯人からです」
「それは…一体…」
「----の巫女。御伽噺での名前は…」
神楽坂は、紅く染まっていた。
一方通行が、早稲田方向に変わっている。
「御伽噺の世界…ね…」
空間の亀裂から、日傘を取り出した。
相変わらず、歩きやすい街。
でも、御伽噺にしては、退屈な街。
遠くの空を見上げると、そこに、飛行船が飛んでいた。
「SFって言ったほうが、しっくりくるわね」
-夢違え、幻の朝靄の世界の記憶を-
-現し世は、崩れゆく砂の上に-
-空夢の、古の幽玄の世界の歴史を-
-白日は、沈みゆく街に-
-幻か、砂上の楼閣なのか-
-夜明け迄、この夢、胡蝶の夢-
-夢違え、幻の紅の屋敷の異彩を-
-現し世は、血の気ない石の上に-
-空夢の、古の美しき都のお伽を-
-白日は、穢れゆく街に-
「あらちをのかるやのさきにたつ鹿もちがへをすればちがふとぞきく」
そう零した後に、一人、笑った。
「なんてね。さて…」
『帰らなきゃ』