すっかり客足の遠退いたスカイツリー。
遠くには、その要因を作った、1000mのタワーが見える。
「私、東京に住んでたけれど、スカイツリーに登ったの始めてだよ」
そういうと、蓮子は、お婆さん一人の売店へと走っていった。
「早苗さんに何か買ってってあげようよ。ほら、これなんかいいんじゃない?」
埃を被った商品達。
後何百年もすれば、この物達も、きっと、付喪神として活躍するだろう。
幻想へと、歩み出すだろう。
「メリー?」
「ねえ、蓮子」
「なに?」
「今日、幻想郷が現われるのって、どこ?」
「…どうしてそんな事聞くの?」
「知っているんでしょう? 現われる場所」
「知ってたとして、メリーには教えない」
「どうして?」
「神楽坂……行ったでしょう?」
「……あら」
「貴女を幻想郷には連れて行かない」
「困ったわね……」
手に持っていた日傘に凭れかかった。
「貴女の名前は私が握っている」
「貴女も……『思い出した』のね……」
「違うわ。私も貴女も、最初からいたのよ。そして、ずっと見ていた。この世界、この生活。体験していたのよ。マエリベリー・ハーン……そして、宇佐見蓮子として……」
「どういう意味?」
「私は幻想郷を崩壊させ、貴女と私の名前をこの世界に封じた。名前を封じられた私達は、名前を封印したこの世界に閉じ込められた。ここまではいいかしら?」
「名前の支配権を持っているのは、この世界という訳ね」
「そして、私達の魂は、弱く、二人の人間へと宿った。それがこの体の持ち主……宇佐見蓮子とマエリベリー・ハーン」
「私に何の恨みがあって、この御伽噺の世界に? そして、どうして貴女まで?」
「それは言えないわ」
「そう……。どちらにせよ……私は必ず幻想郷に帰る。----、名前を返しなさい」
日傘を目の前で突き立てられていても、----は眉一つ動かさなかった。
「無駄よ。貴女はもう、幻想郷へは行けない」
「何を考えているの?」
「幻想郷で「マエリベリー・ハーン」そして「宇佐見蓮子」と名乗ってしまった今だからこそ、私達はこうして表に出る事ができている。でも、完全に支配されたわけではない。彼女達の意識に、私達が完全にのまれるのも時間の問題よ」
「そうなれば、私達は消えてしまう。貴女だって……」
「そうね」
「何が狙いなのよ……! どうして……!」
「別に貴女が憎いわけじゃない。むしろ、その逆よ」
「どういう……」
「時間ね」
完全に影に隠れたスカイツリー。
節電の為か、薄暗い。
「いつの間に寝ちゃったのね」
隣で蓮子が寝息をたてている。
「蓮子、起きて」
「うーん……あれ……? 寝ちゃってた?」
「そのようね」
「ここ……あ、そうか。スカイツリーか」
「寝ぼけてるわよ。さ、もう帰りましょう?」
「そうだね」
「あら……?」
「どうしたの?」
「こんな傘……持ってたかしら?」
「何言ってるのさ。最初から持ってたよ。日傘でしょ?」
「……そうだったわね。そうね」
「メリーも寝ぼけてるね」
「えぇ、駄目ね。最近、ぼんやりしちゃうのよ」
「私もなんだよね。湧かしたお湯を何も使わず捨てちゃうとかさ」
「それはないわ」
あれから幻想郷には行っていない。
秘封倶楽部の活動は、単なる東京観光となっている。
「幻想郷を避け続けるのって、案外楽だね」
「そうね」
「明日はどこに行こうか」
「そうねぇ……」
平和な日々。
早苗さんも元気そうだけれど、なんだか引っかかる。
時折、自分が自分でない気がする。
自分で決めたはずなのに、何を目的に外出したのか忘れたり。
この日傘だってそう。
どうしてこんなのを持っているのか。
単なる物忘れかしら。
それとも……。
「メリー?」
「ん?」
「どうしたの? 悩み事?」
「ううん。何でもないわ。それより、明日どうするか決めましょう? 東京駅のカフェ、まだ開いてるようだったら、そこで考えましょう?」
「うん」
「あら? 今日はグリーンティーじゃないのね」
「え? 蓮子さんはいつもコーヒーだけど?」
「え? そうだったかしら?」
「やだなメリー。忘れっぽいにもほどがあるよ」
「うーん……でも……ほら、神楽坂に行くなって話をした時に……」
「なにその話?」
「え? だから、幻想郷に行くなって、蓮子が言った時よ」
「……ちょっと待って」
「?」
「あのさ……幻想郷に行くなって……私が言ったんだよね……?」
「え、えぇ……」
「それって……どうしてだっけ……?」
「だから……貴女が私を幻想郷には連れて行きたくないって……」
「……確かに私は幻想郷に行っちゃダメだって……思ってた……。でも……それがメリーを守るためだっていうのは……今……初めて知った……」
「何を言って……」
「私、幻想郷に行っちゃダメって……私が言ったことも……知ってる……。でも、どうしてだかわからない……。言った状況も思い出せない……」
「蓮子……?」
「メリー……」
蓮子は震えていた。
「蓮子……」
「どうして……」
「……やっぱり……幻想郷の仕業かもしれないわ」
「え?」
「私もあれから変なの。今日だってそう。こんな日傘、どこで買ったのかも分からないし、どうして持ってるのかも分からない。ねぇ、これって……名前の件と似てないかしら……? 幻想郷で名前を言ってはいけないという知らないルールに支配されていた時と……」
「!」
「あの狐女の時に見た、空を飛ぶ貴女……。そして、早苗さんの言う、私たちとは違う、----神社でお茶を飲む私たち……。もしかしたら、あの一件で、私たちの中に、早苗さんの言う「私たちとは違う私たち」が入り込んでしまったのかもしれないわ……」
「そんなバカな……」
「そう考えると、この件も納得いくわ。私たちは、支配されたのよ」
「メリー、どうする……? このままだと……私たち……」
「段々と支配されるかもしれないわ……。もしくは、幻想郷を離れていれば、支配も薄れるかもしれない……」
「どちらにせよ……どうしようもできないね……」
その時、カフェの扉が開いた。
普段、お客さんなんて来ないから、私と蓮子は身を跳ねて驚いた。
「やっぱりここにいた」
聞き覚えのある声。
「早苗さん……?」
「蓮子さん……メリーさん……」
「奇遇ね。早苗さんもこのカフェを気に入ったの?」
「いえ、お二人がここにいると思って……」
「そりゃまたどうしたの? 携帯で連絡してくれれば……」
「違うんです。分かったんです。お二人がここにいること……。私は確かめに来たのです。お二人が本当にここにいるのかを……」
「……どういうこと?」
「……あの日から、お二人がどこにいるのか、何故だかわかるようになったんです。今だって……」
「……メリー」
「早苗さん、詳しく聞かせてくれないかしら?」
早苗さんが言うには、私たちがどこで何をしているのか、頭の中に浮かぶらしい。
でも、頭に浮かんだ私たちは、普段の姿とは違うようだ。
けれど……。
「確かにお二人なんです……」
「この前と一緒か……」
「そうです! 前に話したお二人と同じです……」
「頭の中では「私たちとは違う私たち」がいて、実際にいるのは私たち……ね……」
「もう訳がわからないよ!」
「……やっぱり、お二人は幻想郷に何らかの関係があります。それに……私は未だに信じています。幻想郷で見たお二人の姿……。お二人は……幻想郷の住人です……」
「……」
しばらくの沈黙が続いた。
私たちの中にいる誰か。
きっと、それが幻想郷の住人とやら。
私たちは普通に生まれ、普通に生活してきた。
私たちは私たちのはず。
「……頭が痛くなってきたわ」
「メリーさん……蓮子さん……もう一度、幻想郷に行ってみませんか?」
「え!?」
「もし……本当にお二人が幻想郷の住人であったのなら、帰るべきです」
『帰らなきゃ』
「帰らなきゃ……」
「メリー……?」
「え?」
「今……」
「……どうなってるのよ」
頭を抱えた。
今のは自分の意志で発言したわけではない。
無意識。
いや、自分の中にいる誰かが言った……とでもいうのだろうか。
「どちらにせよ、このままではいけません。幻想郷へ行きましょう」
早苗さんの言葉には、どこか安心できるものがあった。
「……そうはさせない」
「!」
蓮子の言葉だった。
「蓮子……?」
「え?」
「……貴女もなのね」
「……」
蓮子はただ、うつむくだけだった。
彼女の頭でも、もう、何が何だか分からない、といった感じだろう。
「幻想郷へ行きましょう」
「……帰らなきゃ」
「……行かせない」
「帰らなきゃ」
「行かせない」
「帰るわ」
「行かせない……!」
その時だった。
足が、ズブズブと、砂に沈むような感覚に襲われた。
世界が反転する。
足元には砂。
その砂が、舞い上がる。
咄嗟に目をつむる。
重力が反転する。
髪が舞い上がる。
だけれど、帽子は飛ばない。
世界が回る。
私を中心に。
正確には、私の顔を中心に?
いや、回っているのは私の顔?
目?
鼻?
口?
口に砂が入る。
凄い風。
体の下から、砂と一緒に吹き付ける。
これは夢?
夢?
ああ、夢?
だったら、目を開けなければ。
でも、風が、砂が。
苦しい。
夢なのに?
夢だから?
これは夢?
これは、夢?
現実は?
安らぎは?
楽園は?
目を開けろ。
夢から醒めろ。
元に戻れ。
『お帰り』
その言葉を聞いたとき、背中が熱くなった。
何かに包まれている。
ふわりとした何か。
目を醒ませ。