目を覚ますと、私は布団に寝ていた。
「ここは……」
目を擦った手。
「……え?」
手袋をしている。
日焼け用の手袋のように、少し長い。
「何よこれ……」
服装も、いつも着ているものとは少しだけ違う。
似てはいるんだけれども。
「お目覚めですか、----様」
聞き覚えのある声。
「狐女……!? どうして貴女が……!」
狐女はじっと、私を見ている。
あの瞳。
恐怖がよみがえる。
「……まだ、記憶がお戻りになっておられないようですね」
ここは幻想郷だ。
でも、どうして……。
私たちはカフェにいて……それで……。
「----様、もう少しのご辛抱です。少しの間、ここに居てください」
そう言うと、狐女は結界のようなもので私を囲んだ。
「宇佐見蓮子を探さなければ……」
「え?」
狐女の体がふわりと浮く。
それと同時に障子が勢いよく開いた。
土の匂いが辺りを包む。
結界の中にいるのに、匂いは通すのね。
「待ってよ!」
結界は冷たくて硬かった。
何度叩こうが、歪みもしない。
そうしている内に、狐女は外へと飛び出し、同時に障子も勢いよく閉まった。
「……また、一人」
どうして私はいつもいつも一人なんだろう。
「蓮子……早苗さん……」
膝を抱え、小さく縮こまる。
弱い自分。
助けを求める事しか、私には出来ない。
「貴女は弱い」
「え?」
顔をあげると、そこには私がいた。
「貴女は弱い」
「……そんなの分かってるわよ」
「どうして強くあろうとしないの?」
「お一人様サッカーだってやったわ。努力はしたつもりよ……」
「本当にそうかしら?」
「そうよ……」
「でも、貴女は弱いままだわ。努力って言葉はね、結果を出した人間だけが言える言葉なのよ。貴女は結果も出してないのに努力を語るというの?」
「……うるさい」
「貴女はいつもそう。そうやって逃げるの。友達が出来なかった時だってそう。学生の本分なんて言って、本当はコミュニケーションが取れないだけ」
「……」
「いつかは自分を理解してくれる人が出来る。そう信じて、ずっと、生きてきた」
「……それの何が悪いのよ。悪いと決めつけているのは貴女でしょう……!?」
「そう、私。その私は、誰かしら? ねえ、メリー?」
「……私でしょ!? 何……!? 何なのよ!? どうして……? どうして私は私を責めるのよ!? 私の幸せを妨げるの!?」
「不幸だからよ。貴女が弱いからよ」
「不幸……?」
「そう。逃げて逃げて「生き方は人それぞれ」、「幸福と思えば幸福」、そう信じてきた貴女は、自分の目から見ても不幸だった」
「そんなこと……」
「蓮子と早苗さんを見て、貴女はこう思ったはずよ。「彼女たちのようになれたのなら」って」
蓮子のように、積極的で、頼れる存在になれたなら。
早苗さんのように、謙虚で、誰からも好かれるような存在になれたなら。
幾度となく、妄想した。
理想の自分。
幸福に包まれた、自分。
「今の貴女は誰にもなれない。弱い弱い女の子。蓮子と早苗さんがいなければ、何も出来ない」
「……」
私は、弱い。
この先もずっと。
「で? どうするの?」
「え?」
「このまま、弱いままでいいの?」
「いい訳ないじゃない……。でも、どうすればいいのか分からないのよ……」
「私が変わってあげようか?」
「貴女が……? でも、貴女は私じゃない。私がどうしようもできないのなら、貴女にだって……」
「私は貴女だけど、貴女じゃない。貴女の中に眠っている、本当の貴女よ」
「本当の私……?」
「そう。だから、ちょっとだけ体を貸してちょうだい……?」
私の手が、私を抱こうとした。
私の目が、私を見つめる。
その瞳に映る、謎の女性。
私に似ている、私ではない誰か。
なら、私は誰?
私の手が私を包み込もうとしたその時だった。
「メリー!」
誰かの声。
「蓮子……?」
顔を上げると、そこには赤い服を着た巫女がいた。
「メリー……だよね?」
蓮子だ。
姿は違うけど、蓮子だ。
何故か分からないけれど、蓮子だと確信できた。
「蓮子……!」
結界が解ける。
「メリー……よかった……。無事だったんだね……」
蓮子の温もりが私を包む。
「蓮子……蓮子……」
「よしよし……もう大丈夫だよ。早苗さんが助けてくれたんだ」
蓮子の後ろには、巫女のような恰好をした早苗さんと、魔法使いみたいな白黒の服を着た少女、そして、狐女がいた。
「早苗さん、ありがとう……」
「いえ、それよりも、メリーさん……貴女のその姿……」
「あ……そうよ! 私の姿……というか、蓮子もその姿……一体……」
「どういう訳かは分かりませんが、お二人とも、「幻想郷のお二人」の姿になっているようです」
「幻想郷の私たち……?」
蓮子も聞かされてないのか、そう返した。
「そうだ、蓮子、お前が----で」
「マエリベリー・ハーン……貴女が----様だ」
ほにゃららと、ほにゃらら様。
蓮子と私が……?
本当に、私たちはこの世界の……。
「メリーさん、蓮子さん、私たちは貴女方の……幻想郷の名前を取り戻さなくてはなりません」
「!」
「それが、きっと、この異変の全てに繋がっているはずなのです」
「でも、どうやって……」
「それには、まず、貴女方にお話を聞かせて貰わないといけません。どのようにして、こうなったのかを……」
そう言って、早苗さんは魔女と狐女を見た。
「いいぜ。私が説明しよう」
魔女は語り始めた。
ごく普通の日だった。
空も晴れていたし、本当に普通の日だった。
お昼を過ぎた辺りだったかな。
私たちの頭の中に、何かが語り掛けてきたんだ。
『名前を求めよ』
ってな。
それからだった。
幻想郷から、いろんなものが消えたり、現れたりを繰り返したのは。
紅魔館……紅い大きな屋敷なんかも、まるっと消えちまったこともある。
そして、段々と、私たちの頭の中に語り掛ける声が、明確に、そして、当たり前だと言わんばかりに大きくなっていき、やがて、私たちはそれを幻想郷の声……私たちのするべき本能の声だと理解した。
『名前を求めよ』
『幻想郷を元に戻せ』
----が名前を外の世界に封印したことも、本能が知っていた。
だから、お前たちを襲ったいろいろな不幸も、本能によるものだったんだ。
男が女を求めるように。
女が男を求めるように。
どうしてもお前たちが欲しかったのさ。
幻想郷を元に戻すために。
名前を持っているであろう、お前たちがな。
だが、少し違ったようだ。
お前たちは名前を持っていなかった。
お前たちが持っていたのは、----と----の魂だ。
この異変が起きてから、----と----は魂が抜けたように眠ってしまっていた。
その魂は外の世界に封じ込められ、お前たちの中に宿ったんだ。
名前は、それを解放するためのカギなんだ。
……いや、おそらくそうだ。
私にも分からん。
だが、本能がそう言っている。
赤子の作り方を知らないやつが、性に目覚めるのと一緒だ。
確信はないが、関連はしている。
お前たちを例えると、鍵穴で、名前を持っているやつが鍵なんだ。
今、鍵穴は揃った。
残りは鍵だけだ。
「ここまではいいか?」
「……なんだか、本能ってだけで、あなた達も分かっていないのね」
「しょうがねえだろ。学校で習ってないんだ」
幻想郷にも学校があるのね。
「……今の話だと、幻想郷に迷い込んで求められるのは、名前を持っているか魂を持っている者だけになりますが……」
「ああ、そうだな。だからこそ」
魔女は早苗をじっと見た。
「お前が持ってるんじゃないか? 東風谷早苗」
場が凍り付いた。
誰もが、予想もしていなかったというような顔をしている。
狐女ですら。
早苗さんですら。
「蓮子とメリーが名前を聞かれていたのは魂を持っていたからだった。なら、何故お前も名前を聞かれていたんだ?」
「……私が?」
確かにそうだ。
どうして早苗さんが関係しているんだろう。
私たちはこの通りだったからだけれど。
「東風谷早苗、----はお前に封印したんだ。名前をな」
「そ、そんな……だって、どうしてそんな事……」
「……そうか」
狐女が、そう零した。
「東風谷早苗……お前は幻想郷に関係する人間なのではないか?」
「え……幻想郷の……?」
「その力……そして、お前の言う宇佐見蓮子とマエリベリー・ハーンを幻想郷に帰せという本能の声……。それは、お前が幻想郷に関係しているということではないか?」
「早苗さんが……幻想郷に?」
「でも、それは貴女に名前を支配されたからであって……」
「だが、その前から使えたんだろ? 妖怪どもがそう言ってたぜ? 姫草ユリ子と名乗ってた頃も使えていた」
「いや……そうとは言い切れないよ」
そう切ったのは蓮子だった。
「単に名前を封印されたからということもある」
「……確かにそうか」
「だけれど、早苗さんが持っているのは間違いなさそうね」
また、場が静まる。
早苗さんが持っていたとして、どうやって元に戻せるのか分からなかったからだ。
「どうすれば……」
瞬間、狐女が蓮子の首を絞めた。
「な……!?」
「蓮子!」
「う…ぁ…が……なに……を……」
「おい! それ以上すると撃つぜ!?」
少女が小さな八卦炉を構えた。
あれから何か出るのだろうか?
「名前を封印した本人に出てきてもらった方が、やはり早いんだ」
「どういうことだ!?」
「以前、宇佐見蓮子と対峙した時、気絶した後に----が出てきた」
対峙した時。
そうだ、早苗さんを取り戻しに言った時。
蓮子が気絶して、それから蓮子がめちゃくちゃしたあの……。
「あの時の蓮子は……そのほにゃららだったというの……?」
「ああ」
こう話している間にも、蓮子の首は徐々に絞めつけられてゆく。
確かに、こうすればほにゃららというのが出てくるかもしれない。
でも……。
「が……ぁ……」
「蓮子……」
私は弱い。
どうすればいいか分からない。
いつもいつも、見ているだけ。
さっきだって、蓮子や早苗さんが来てくれなかったら、私の知らない私に飲み込まれていただろう。
無意識に早苗さんを見ていた。
早苗さんは、自分の事で頭がいっぱいなのか、オロオロとしている。
誰も助けてくれない。
私は、誰も助けることが出来ない。
「メ……リー……」
蓮子が私の方を見た。
どうして、私を見ているの?
どうして、私の名を呼んだの?
私は何も出来ないのよ?
どうして。
「大……丈夫……。私は……が……大丈夫……だから……」
はっとした。
蓮子は、不安そうな私を励まそうとしてくれたんだ。
自分がそんな状況で、どうして私の事を心配できるんだろう。
『友達だからだよ!』
自ら危険を冒してまで、早苗さんを救おうとした理由を蓮子はそう言った。
そうか。
蓮子は、自分以上に友達を大切にしようと考える人間だった。
だから、今も。
……なんて馬鹿なんだろう。
自分が危険な目にあって、死ぬかもしれない状況であろうと、そうやっていられるなんて。
なんて馬鹿なんだろう。
そんな馬鹿と友達で、大切な人だと思っていて、一緒にいる私は、もっと馬鹿なのかもしれない。
大切な友達を、ただ見ているだけの、馬鹿野郎。
馬鹿野郎……。
馬鹿野郎。
「バカヤロウ!」
そう叫び、狐女の手に噛みついた。
なんて馬鹿な行動。
まるで犬のよう。
必死で、羞恥心も忘れ、これからどうするかも無計画で……。
でも、蓮子がそんな馬鹿なら、私は蓮子の為に生きようと思った。
蓮子が私を見るならば、私も蓮子を見ようと思った。
蓮子が馬鹿なら、私も馬鹿でいい。
バカヤロウでいい。
「メ、メリーさん……」
皆、唖然としている。
そりゃそうよね。
こんなはしたないことをしているのだもの。
でも、いいの。
「うぅぅ……」
こんなに必死になったの、初めてかもしれない。
今まで、自分自身の事ですら、こんなに頑張って来れなかった。
「この……! 離せ!」
狐女が私を振りほどこうとする。
顎が痛い。
歯が抜けてしまいそう。
頭を何度も振られるから、頭痛がする。
「うぅぅ!」
蓮子、今、やっと貴女を理解できた。
貴女がどうして、そこまで必死になって友達を救おうとしたのか。
自分を捨ててまで、大切にしたいものがある気持ち。
それが貴女の強さだったのね。
「メ……リー……」
私は、貴女のようになれたのかな。
貴女のように、強くなれたのかな。
「くっ……」
観念したのか、狐女は蓮子を放した。
私も狐女から離れる。
「うぅ……」
「蓮子……!」
「メリー……」
「蓮子……」
蓮子の体を抱きしめる。
なんて小さいんだろう。
こんな小さな体で、あんなにも大きな行動を起こしていたなんて。
「メリー……どうして……」
「友達だからよ……。友達が苦しんでいるのに、助けないでどうするのって、貴女の言葉よ……?」
「だからって……無茶したね……」
蓮子の指が私の口を拭いた。
どうやら、狐女の血がついていたらしい。
「それも貴女と同じよ……」
「……私って、馬鹿だったんだなぁ」
「やっと気が付いたの?」
「……うん、本当に馬鹿だったわ」
蓮子が立ち上がった。
いや、蓮子じゃない。
「蓮子……?」
「本当に馬鹿だったわ……。そう考えている今の私も、きっと馬鹿なんだわ」
「……貴女、誰? 蓮子じゃないわよね?」
「あ? 何言ってんだお前……」
蓮子……赤の巫女は、早苗さんの前に立った。
「もういいわ。さあ、名前を返しなさい」
赤の巫女は手を差し伸べた。
早苗さんはどうしていいのか分からないといった様子。
「洩矢の血を継ぐ者よ。我に名前を還し給え」
その瞬間、私たちは光に包まれた。
そして、後ろへと吹き飛んだ。
何かに後頭部をぶつけたのか、私はそのまま気を失った。
最後に見えた光景。
それは、私の後ろ姿によく似た、誰かの背中だった。