「ヒヤシンス?」
障子が静かに開くと、早苗さんが桶を持って入ってきた。
姿は巫女のような格好のままだ。
「お目覚めになられたのですね」
「早苗さん」
「メリーさん、頭はもう大丈夫ですか?」
「ちょっと痛いわ……」
「早苗さん、あれからどうなったの?」
「お二人の姿が戻っているので察しているかもしれませんが、幻想郷でのメリーさんと蓮子さんも、この世界での姿と魂を取り戻しました。私が持っていた名前を解放して……」
「じゃあ、やっぱり早苗さんが?」
「そのようです……」
「でも、どうして……」
「どうやら、私の遠いご先祖様に神様がいたそうです」
「え?」
「か、神様?」
「そして、その神様は……この幻想郷にいるそうなのです」
「えぇ……? で、でも……神様って……」
蓮子が信じられないというような顔で私を見た。
私だって信じられないわよ。
そもそも、神様が人間の子を産むの?
「えーっと、つまり、早苗さんは幻想郷の血を継ぐ者で間違いなかった……という訳ね?」
「はい。私も信じられませんが……」
「その神様には?」
「向こうが会うことを拒んでいるようです。なんでも、住んでいる時間が違うとか何とかで……」
「時間?」
「えぇ……。私にもよく分からないのですが……」
「時を超える神様なのかな? それとも、この幻想郷と私たちの住む世界の時間が違うとか……?」
蓮子はブツブツ言いながら考え始めた。
本当、この手の話、好きねぇ。
「それより早苗さん。幻想郷での私たちはどこに?」
「それなんですが……」
「?」
居間に出ると、私にそっくりな女性と、狐女が座っていた。
「起きたのね」
「貴女が……幻想郷での私……」
「もう私は私よ。貴女も貴女。貴女と私はもうお互いに違う存在」
「……」
「私の名は八雲紫。まずは謝らせて頂戴。メリー、蓮子、そして早苗。悪かったわ……」
そういうと、紫と狐女は頭を下げた。
「八雲紫……」
蓮子の方を見ると、やはりという顔をしていた。
「じゃあ、もう一人の名前は博麗霊夢?」
「え?」
私たちは夢で見たことをすべて話した。
皆、驚いた顔をした。
「驚きだわ……。そうよ。すべてその通り……」
「やっぱり、あの夢は、この事件の真相を見せてたんだ……」
「そのようね……」
「しかし、何故そのような夢を見たんでしょうか……」
「うーん……。しかも、メリーと一緒だったしね」
「ヒヤシンスね」
「うん、ヒヤシンス」
「?」
「で、その霊夢はどこに?」
「……今は結界の中で大人しくしているわ。これだけの異変を起こしたのだもの。それなりの処分を考えないといけないわ……」
「それなりの処分って……?」
紫は黙ったままだ。
「もしかして……殺しちゃう……とか……?」
「……そうなるかもしれないわね」
「そんな……」
何故か蓮子が悲しそうな顔をした。
「蓮子、どうして貴女がそんな顔をするのよ?」
「……分からない。けど、魂が入ってたからかな……霊夢の気持ちが……少し分かる気がするんだ……」
「霊夢の気持ち?」
「きっと、霊夢は紫の中にずっと残っていたかったんだと思う」
「私の中に……?」
「うん。紫は妖怪だから、長く生きていれば、いずれは霊夢の事を忘れちゃう。それって、辛いことだと思うんだ……。それに、もし覚えていたとしても、霊夢は紫を慰めることが出来ない。紫にとって霊夢は大切な人なんでしょ? だったら、失った時の悲しみは深いと思う……。分かるでしょ?」
「……もし霊夢を失ったら……辛いでしょうね……。ずっと考えないようにしてきたことだけどね……」
「だから、霊夢はあんなことをしてしまった。私だって、友達が同じような目に合うなら、なんとかして変えたいと思う」
「蓮子……」
「蓮子さん……」
「やり方を間違っただけで、霊夢に悪気はないんだよ……! だから……」
「本当に悪気があるかどうかは、本人が説明していたよ」
障子を開けて入ってきたのは、魔理沙だった。
「あいつの様子を見てきた。やっぱり言うことは一言だけだった」
「?」
「『私がすべて悪い。幻想郷が崩壊しようと関係がなかった。』ってな……。あいつは悪いと思ってやったんだ……。そんなことする奴じゃないし、信じられないが……」
「そんな……」
「本人がそう言っている以上……もうどうしようもねえ……。私だって辛いが……今回の異変は笑って見過ごせないぜ」
一気に空気が重くなった。
本当は皆、霊夢に悪気が無いでほしかったのだろう。
なんとなく分かる。
霊夢は、この幻想郷の世界では、きっと好かれていたのだろうと。
それが、紫が処分を躊躇している原因なのだろうと。
狐女が強く言わない原因なのだろうと。
しかし、一つだけ解決していないことがある。
それは、どうして早苗さんに封印したんだろうということだ。
「一つ聞いていいかしら?」
「?」
「霊夢は早苗さんに封印した理由を何か言ってなかった?」
「いや、たまたまだって言ってたな」
「たまたま……。じゃあ、封印できるのなら誰でも良かったって事?」
「そうなるな。それがどうした?」
たまたま?
たまたま幻想郷の血を継ぐ人間に封印しちゃったってわけ?
でも、霊夢は早苗さんが名前を持っていて、幻想郷の血を継いでいることを知っていた。
なら、たまたまって?
もし、それが嘘で、わざと早苗さんに封印したのだとしたら?
早苗さんが私たちを発見して、名前を取り戻すことを知っていたら?
「……」
「メリー……?」
なんとなく分かった気がする。
霊夢がこの幻想郷で愛されるような存在で、魔理沙の言うように、こんなことするような人間でなければだけど。
「霊夢に会わせてくれないかしら?」
「いいけれど……どうしたの?」
「霊夢を救ってあげるわ」
部屋は結界で大きく囲まれていた。
その中で、霊夢は膝を抱えていた。
「博麗霊夢……」
「……マエリベリー・ハーン?」
顔を上げた霊夢の顔はやつれていた。
「何しに来たのよ……? 他の奴らは?」
「私一人で来たのよ。どうしても聞きたいことがあってね」
「……聞いたの? 私のしたこと……」
「えぇ。貴女、紫が好きなのね」
「……」
「だから、あんなことをしてまで、ずっと紫と一緒に居ようとした」
「笑えるでしょ……?」
「そうね。笑っちゃうわ」
「……」
「そんなことしても、貴女と紫が一緒になるって事ではないし、貴女は自分の正義に嘘をつけない人間だもの」
「どういう意味よ……」
「そのままの意味よ。貴女はこの幻想郷という世界を愛していたし、貴女も愛されていた。違う?」
「さぁね……」
「そんな貴女が、幻想郷を崩壊させるほどの異変を起こせるとは、私は思えないのよ」
「でも、私は起こしたわ……」
「でも、まだここにあるし、もう大丈夫でしょう?」
「……さっきから何が言いたいの?」
「どうして早苗さんに名前を封印したの?」
「!」
「貴女が答えないなら、私の考えを言うわ。私は名探偵なんだから、当てちゃうわよ?」
「……」
「貴女は幻想郷を愛していた。貴女が愛されているのがその証拠。だから貴女は早苗さんに名前を封印したのよね?」
「……」
「幻想郷の血を継ぐ早苗さんなら、いずれ私たちを見つけて、魂の封印を解いてくれる。幻想郷が崩壊しても、元に戻るように仕向けたのよ、貴女は」
「ふん……。どうしてそんなことする必要があるのよ?」
「紫に気持ちを知ってほしかったから」
「!」
「私も不器用だから分かるわ。気持ちを伝えることって難しいわよね。貴女もそうなんでしょう? 紫が好きってことを……貴女は気づいてほしかったんでしょう?」
霊夢は今にも泣きそうな顔をしていた。
きっと、彼女は孤独だったんだろう。
自分に正直になれなくて、誰にも相談できなくて、ずっと、苦しんでいたんだろう。
分かる。
私にも、分かる。
「貴女の気持ち、痛いほど分かるわ。辛かったんでしょう……? だから今も、そうやって自分一人で抱えようとしているんでしょう?」
結界に近づく。
なんて冷たい壁なんだろう。
なんて固い壁なんだろう。
この壁が霊夢を苦しめ続けてきたんだろう。
「もういいのよ。貴女は一人じゃない。貴女には皆がいる。貴女が苦しんでいる時には、誰かが慰めてくれる。貴女には、そういう存在がたくさんいるでしょう? 私も孤独だったけれど、蓮子と出会って、早苗さんと出会って、考え方が変わったの……!」
そう。
私は変わった。
それもこれも、全ては……。
「貴女のお蔭で……私はそれを知れた……! 蓮子と早苗さんに出会えた……! そして、貴女とも……」
自然と涙が零れてくる。
それを見ていた霊夢の頬にも、涙が伝う。
「それでも……それでも私は……!」
その時、結界が消えた。
振り向くと、皆が立っていた。
「霊夢……」
「紫……」
「話は聞いたわ。確かに貴女のしたことは許されることじゃない……」
「……」
「でも、私たちはまた、こうしてここにいる。私も、そして、貴女も」
「紫……」
紫は霊夢に近付くと、そっと抱きしめた。
「貴女の気持ちに気が付けなかった私も悪かったわ……。ごめんなさい……」
霊夢の涙がボロボロと畳に落ちてゆく。
一体、どれだけの間、溜め込んでいたのだろうか。
「ごめんなさい紫……ごめんなさい……ごめんなさい……」
紫の腕の中で、ずっと、ずっと泣いていた。
もう、霊夢が一人で悩むことはないだろう。
彼女も私と同じように、新しい一歩を踏み出すのだろう。
私と同じように、仲間たちと共に。
私たちの役目は終わった。
それを主張するかのように、体が段々と薄くなって行く。
「わわわ、なにこれ!?」
「蓮子さん! 体が透けてますよ!」
「そういう早苗さんだって! メリーも!」
「どうやら、終わったようね」
「行ってしまうのね……」
「紫……」
「ありがとうメリー。蓮子と早苗も……」
そうだ。
まだ言ってないことがあった。
「霊夢」
「……」
「ありがとう。蓮子と早苗さんに会わせてくれて。心から感謝するわ」
「メリー……」
最後に見えたのは、霊夢の笑った顔だった。
なんだ、可愛い顔出来るじゃない。
そんなことを口に出そうとした時、私の目の前は真っ暗になった。
ボーン。
大きな音で目が覚めた。
コーヒーの香り。
ここは東京駅のカフェだ。
「ううん……ここは……」
蓮子と早苗さんもいる。
「あれ……? 私たち……」
「どうやら戻って来れたようね」
「そうか……。なんだか、長い夢を見ていたようだね……」
「ぼんやりしてますよね。本当に夢だったんじゃないかって思います」
「……夢だったのかもしれないわよ?」
「……あ」
「「「ヒヤシンス!」」」
カフェは閉店時間らしかった。
窓の外はもうすっかり夜だ。
「ごめんなさいマスター。寝てしまって」
マスターは顔色一つ変えず、会計を済ませた。
そして、お釣りと一緒に、手紙のようなものを一緒に渡してきた。
「ンフフ」
そんな不気味な笑いをすると、私たちを追い払うように店を閉めた。
「マスターに何貰ったの?」
「手紙みたいね」
「手紙?」
手紙を開いて驚いた。
紫からだった。
『メリー、蓮子、早苗。
本当にありがとう。
あれから霊夢は閻魔のところで善行を積んでいるわ。
善行を積み終わったとき、また戻ってくるそうよ。
私はそれを待ち続けることにしました。
今度は、霊夢との短い時間を大切に生きることにしたわ。
いずれはお別れしなきゃいけないこともあるでしょう。
それでも、今を大切に生きようと思います。
改めてありがとう。
私たちはどこにでもある幻想。
またどこかで会うこともあるでしょう。
その時は、霊夢と一緒に歓迎するわ。
その時が来るのを楽しみにしています。
PS.
あなた達は「幻想」を知った。
これからは身近にある「幻想」を知ることになるでしょう。
井上円了が科学世紀の目から守った、不思議な不思議な「幻想」をね。』
「紫……」
「どうしてこの手紙をマスターが持ってたんだろう?」
「!」
「マスターに聞いてみ……」
カフェの方を振り向くと、そこは空き地になっていた。
全て終わった。
あれから蓮子の幻想郷を探すことが出来る能力も消え、鉛筆はどこか適当なところに転がっていった。
秘封倶楽部の活動も、お茶会がめっきり多くなった。
ただ、私は不安だった。
霊夢にもって齎されたこの関係。
異変が終わった今、私たちのこの関係は、ずっと続くのだろうか。
そんな不安が、ずっと、心に重く圧し掛かっていた。
そんな不安を煽るように、早苗さんが長野に帰ることが決定した。
「そっか……」
「せっかく友達になれたのに、残念です……」
「しかし、早苗さんって諏訪大社の人だったんだね」
「えぇ、勉強のために東京へ来たんですが、両親が帰って来いと……。本格的に、私に運営とかいろいろ継がせたいんだと思います。父の具合もあまりよくないようだし……」
「寂しくなるね……」
「離れていても友達よ。私たちも長野に遊びに行くわ。その時は案内して頂戴」
「はい。短い間でしたが、東京で友達が出来て嬉しかったです。ありがとう。メリーさん、蓮子さん」
数か月後、早苗さんは長野に帰った。
見送りを済ませ、私たちは夕焼けの中を歩いていた。
「また二人になっちゃったね……」
「そうね……」
「そうだ。夏休みになったら長野に行こうよ! よーし、今からお金を貯めて~」
「……」
「……メリー?」
「ねえ、蓮子……」
「ん?」
「私、早苗さんが帰ってしまったのは、幻想郷の異変が終わったからじゃないかって思うの……」
「え……?」
「元々、私たちは異変によって出会った。それが終わった今……私たちは……離れ離れになってしまうんじゃないかって……」
「……」
「早苗さんが帰ってしまうと知った時、私……怖かった……。蓮子も……どこかに行っちゃうんじゃないかって……」
「メリー……」
また一人になるのは嫌だった。
今なら分かる。
これは紫の気持ちに似ている。
霊夢を失うことが決まっている、あの気持ちに。
「いずれはそうなるかもしれないね」
「……」
「でも、紫も言ってたじゃん。それでも大切な時間を共に生きるって。少なくとも、今、私はここにいるし、私から離れることはしないよ」
「蓮子……」
「もしメリーが外国に帰らなきゃいけなくなったら、蓮子さんもついていくよ! そうだ! その為のお金も貯めよう! あと……あ……英語かぁ……。あまり得意じゃないんだよね……。英会話教室のお金も貯めなきゃかぁ……こりゃ大変だ」
「……ふふっ」
そっか。
そうよね。
「あれ……? おかしなこと言ってるかな……?」
分かってたことじゃない。
そうよ。
私は蓮子を親友だと思ってる。
蓮子もそう思っている。
分かってたことじゃない。
蓮子の言うように、私が外国に行くなら、蓮子も来るし、私も同じようにする。
「そうよね。ごめんなさい。いらぬ心配をしてたって、今気が付いたわ」
「メリー」
蓮子が私の手を握る。
「ずっと一緒にいてくれますか?」
蓮子の敬語。
なんだかプロポーズみたいで、恥ずかしいわ。
蓮子もそれに気が付いたのか、恥ずかしそうに下を向いた。
「よろしくお願いします」
私もなんだか堅苦しくなってしまった。
それが可笑しくて、二人して笑いあった。
「これからもよろしくね、メリー」
「こちらこそ、蓮子」
背中で太陽が沈むのを感じた。
夜が来る。
でも、もう寂しくない。
私が横を向けば、そこに蓮子がいる。
蓮子が横を向けば、私がいる。
それだけで、何も怖くない。
夜の深い方へ、私たち二人は手を繋ぎながら、笑いながら歩いてゆく。
「明日は何する?」
「そうね。こんなのはどうかしら?」
もう、東京メリーだなんて呼ばないで。
これからは……。
-終-
お疲れ様です。
長々と読んでいただき、ありがとうございます。
自分でもこんなに長く書いた話は初めてです。
兎にも角にも、完結できて良かった……と、思ったのですが、実はまだまだ続きます。
最後の文にもありますが、今度は「東京メリー」ではなく、また違ったタイトルでスタートします。
今まではメリーの孤独から始まってましたが、今度は横に蓮子がいますのでね。
話としては「東京メリー」の続編となります。
まだまだ見るよ! っていう人が居てくれると嬉しいです。
続編は結構自信があるので、しっかりとプロットを組んだ上で、書きたいと思います。
次回もお会いできたらと嬉しいです。
では、次回作のあらすじ的なものを最後に書いて終わりたいと思います。
「紫の手紙のPSにあったのって……もしかしてこれの事?」
「そのようね……」
「ここは井上円了によって隔離された世界。「真怪」の世界」
「君たちも井上教の信者かね?」
「宇佐見菫子を知ってるか?」
「宇佐見菫子を知ってるか?」
「宇佐見菫子を知ってるか?」
「宇佐見菫子を知ってるか?」
『東京秘封倶楽部(仮)』
see you the next story