いつものように、東京駅のカフェでぼんやりしていた。
今日はいつもと違い、少女がいなかった。
なんとなく気がかりだったが、わざわざマスターに聞くのも気が引ける。
ふと、窓際を見ると、小さいビールの食玩が飾ってあった。
ジョッキに入ったビールは、まるで本物がそのまま小さくなったかのような、とても作りのいいものだった。
そうだ、今日は合羽橋に行こう。
あそこはまだ行った事がない。
何でも、作り物で出来た街だと聞く。
家も、店、人に至るまで、全てが作り物の街。
何一つ、本物が無い街。
変えて言うなら、偽物の街。
「浅草、浅草」
この前の神田みたいにならないか、正直ドキドキしたけど、何とか無事に浅草へと着いた。
ここからは歩き…なはずだけど、この前のお一人様サッカーの筋肉痛がまだ癒えない。
なんであんなにはしゃいだのだろうか。
何か乗り物はないかと辺りを見ると、一台の人力車が客待ちをしていた。
しめた。
「合羽橋までお願いします」
人力車の男は、笠を深く被っているせいか、表情が見えなかった。
そして、声も出さずに頷くだけだった。
浅草は外人が多くなった為に、日本文化というよりは、アメリカンな方向へとシフトして行った。
いたるところにハンバーガー屋が並んでおり、時折ケバブ屋がそこに加わった。
雷門の提燈も「Kaminari-gate」と英語で書かれていた。
人力車はどんどん加速して行った。
本当に人間の力かと、疑うほどに。
向かい風で、一旦視界を奪われ、また目を開ける頃、人力車が止まっている事に気がついた。
鼻は、水の匂いを。
耳は、水の音を。
そして目は、水色のレインコートを着た少女を見た。
「嗚呼、またなのね」
いつのまにか人力車の男はいなくなっていた。
人力車を降りると、少女は近づき、やはりこう尋ねた。
「私は河城にとり。君の名前はなんていうの?」
私もいつものように。
「私はメリー」
と、偽名で答えた。
「メリーだね。よろしくメリー」
少女は私の手を強引に掴み、そして、力強く握った。
なんて力だろう。
小柄な少女からは、想像もできない力だ。
「人間と我々河童は盟友だ。こっちにおいでよ。私の発明を見せてあげよう」
なるほど、彼女は河童だったのか。
力も強いわけだ。
そんな少女に引っ張られ、薄暗い洞窟へと入って行った。
中はひんやりして気持ちが良かった。
「クーラーが効いてるんだ。気持ちが良いだろう」
「河童でも自然の力には頼らないのね。クーラーがなくても涼しそうなものだけど」
「最近は温暖化も進んでるしね。人間と同じで、クーラー無しじゃいきていけんのよ」
「河童も大変なのね」
少女は私を座らせると、なにやら鉄の箱を持って来た。
「これ、ここを回すと…」
鉄の箱から、風の吹く音が流れた。
「どう?まるでクーラーの風が、自然の風のように感じるだろう?」
「感じなくはないけど。それが貴女の発明なの?」
「そうさ」
なんてくだらない発明だろう。
河童の技術とは、この程度なのか。
「盟友にとって、これはとてもくだらない発明に見えるかもね」
私は心を読まれたかと、ぎくりとした。
「でもね、我々は人間を超越した生き物なのだよ。故に、人間より繊細な心を持っている。そしてそれは、精神的な弱さにも繋がる」
「どういうことかしら?」
「そのままさ。人間は目覚ましの音で驚き、死んでしまうことがあるそうじゃないか。我々河童は、それが普通なのさ」
「臆病なだけじゃなくて?」
「そうじゃない。精神が発達しすぎているのだよ。毎年、クーラーで死ぬ河童は数万人いてね。社会問題にもなった。これはそれを解消した、素晴らしい発明なんだよ」
「クーラーで死ぬって?」
「言っただろう?精神が発達し過ぎた結果なんだ。河童は元々自然の生き物。クーラーのような不自然な風を浴び続けたら、自然の風が恋しくなって、精神が病み、死んでしまうんだ」
「だったら、クーラーを止めればいいんじゃない?」
少女は照れるようにして頭を掻いた。
「我々河童は、人間が大好きなんだ。涼しさより、人間の真似でクーラーを使う河童が多くてねぇ。人間の真似に依存した河童は、クーラーを手放す事が出来ないんだ。クーラーを手放してしまっては、それこそ精神が病み、死んでしまうのさ」
しばらく、少女の自慢の発明を見ていた。
中々興味深い物ばかりではあったが、その興味こそ、この世界が私を飲み込む要因となるに違いなかった。
「ねえ、貴女は、私が元の世界に戻れる方法を知っている?」
「知ってるけど、言いたくない」
少女はむっとした表情を見せた。
「何故?」
「盟友だから。離れたくないから。今日で二度目のお別れは、流石の私でも、精神が病む」
「二度目?」
「今朝早くに、盟友と同じ世界から来た女の子とも、お別れしたのさ」
まただ。
やはり東京では、この世界に迷い込む事は、良くあることなのだろう。
「その女の子は、どうやって?」
「秘密」
少女はどうしても、私を帰したくないらしい。
どうしたものか。
ふと横を見ると、裁縫セットが転がっていた。
そうだ。
河童は精神が発達している。
だとしたら、もしかしたらいけるかもしれない。
私は裁縫セットを勝手に手に取り、縫い物を始めた。
縫っている間、少女は何も言わず、ただその行方を見守っていた。
「出来たわ」
「それは?」
少女が見ても分からない程、酷い出来なのは自分でも分かる。
「これは私」
「盟友?これがかい?」
「そうよ。私、裁縫は苦手なのだけど、貴女の為に頑張ってみたわ」
裁縫は苦手、貴女の為に頑張った。
その言葉は、精神の発達しすぎた河童の心に刺さった様で、少女はぽろぽろと涙を流し始めた。
「これを私の為に?苦手なのに?頑張ったのかい?私の…為に?」
少女は涙混じりに、何度も何度も質問して来た。
私はそれに、優しく、そうだと答え続けた。
やがて、少女は泣き止んだ。
「貴女は大切な友達。でも、私は元の世界に帰らなきゃいけないの。だから、それにいっぱい貴女を思う気持ちを込めておいたわ。それがあれば、離れていても、お別れにはならないわ。私の気持ちは、ずっと貴女の傍にあるのだもの」
我ながらクサイ台詞を吐いた。
だが、それは少女にまた、多大なる感動を齎した。
「ありがとう盟友。そうだね。これがあれば、私は大丈夫。盟友にも生きる場所は必要だもんね。分かったよ。帰る方法を教えるよ」
少女は大事そうに、人形を抱いた。
洞窟の外には、やはり人力車しかなかった。
少女は、草を一枚毟り取ると、草笛を鳴らした。
すると、先ほどの男が、霧の中から現れ、人力車の前で立ち止まった。
「この男は鬼なんだ。力が強くて、人力車のスピードは、最高で100km/hも出るんだ」
そんなに出ても困る。
「ありがとう、盟友。私はこの日を一生忘れない。私達は、ずっと一緒だよ」
人力車に乗ると、別れを惜しむ暇もなく、すぐに走り出した。
「なるほど、鬼、ね」
後ろを振り向くと、段々と、少女が、より小さくなって行くのが見えた。
私は少し、なんとなく、寂しいと思った。
合羽橋では、作り物とは思えない程、精密に出来た、たくさんのマネキン人形が、街を占めていた。
人力車を降り、お金を払おうと振り向くと、もうそこには何もなかった。
店には、今にも匂ってきそうなスパゲティーの食玩が売っていた。
私はこういう時、感動するものだと思っていたけど、それに反して眉を顰めていた。
私はそっと、本物の人間がいないか、周りを見渡した。
そして、
「本物そっくりより、ちょっと似てないものこそ「本物の作り物」よ。心が篭ってないわ、心が」
と、一人で呟いた。
帰り道。
今にも潰れそうな土産屋を覗いてみた。
中には、今にも逝きそうなお婆さんが、首をユラユラ揺らし、店番をしていた。
商品の中に、河童のキーホルダーを見つけた。
「私の知っている河童より不細工ね」
どうせ聞こえないだろうお婆さんを尻目に、そんな事を言ってみる。
「でも、好きだわ。河童はやっぱりこうでなくっちゃね」
そう言って、私は河童のキーホルダーをお婆さんの元へと持って行った。
「これ、くださいな」