こんなにも、大学に行く事が楽しみになるとは、想像もつかなかった。
蓮子から貰ったメール。
「UTで待ってるからね!」
UTとは、大学の中にあるカフェの名前だ。
一人で行った事がないから、それも楽しみなのだけど、何よりも、大学に友達がいるという事が、私をこんなにもはしゃがせている。
約束まではまだ時間があった。
「上野公園でも歩いてみようかしら」
上野公園。
その貴重な自然などを保護する為に、数年前から入場料を取るようになった。
公園と動物園は、その為に合併し、公園の入場料を払うだけで動物も見る事が出来るようになった。
上野公園でしか見れない動物をあげると、絶滅危惧種に指定されている鳩と雀などがある。
特に雀は人気で、列を成しているほどだ。
今の時間だったら空いているかも知れない。
どれ、話題ついでに見に行ってみよう。
話題ついで。
「どれだけはしゃいでるのかしら。私ったら」
そんな自分に赤面する事もなく、むしろ、誇らしげだった。
雀のブースは人で混み合ってはいたが、雀を見るのに障害にはならなかった。
「わあ」
思わず声が出た。
生の雀が動いている。
あんなにも小刻みに首を振りながら。
そして、想像以上に小さい。
しばらく、じっと眺めていた。
子供のように、はしゃいで、ガラスにべったりしながら。
すると、雀がこちらを向いたまま、動かなくなった。
吸い込まれそうな黒色の小さな瞳。
かわいい。
そう思った瞬間だった。
雀を中心に、その周りがだんだんと真っ暗になっていった。
私は閃輝暗点を疑い、片頭痛を瞬時に思ったが、その症状とは微妙に違う。
だんだんと狭くなる視界。
やがて、目を瞑ったように暗くなる。
嫌な予感がした。
誰かの歌声が聞こえる。
いつの間にか目を瞑っていたらしく、私はゆっくりと、恐る恐る、目を開けた。
「こんにちは。私はミスティア・ローレライ。貴女の名前を聞かせて頂戴な」
雀人間?
「私はメリー」
落ち着いて、そう答えた。
空には満天の星。
月はいつも見ている以上に大きく、肉眼でもクレーターが確認できるほどだった。
風が吹くたびにざわつく木々。
ここは森の中のようだ。
「メリー。今日は私の歌を聴きに、ようこそ」
「別にそのつもりはなかったのだけど」
嗚呼、何で今日は一人なんだろう。
どうせなら、蓮子と一緒に来たかった。
「なら、是非聴いて行くといいわ。どうせ、貴女は元の世界には帰れないのだから」
「元の世界には帰れない?」
「そう。私の歌を聴き続け、私の歌しか聞こえないようにするのだから」
厄介なパターンかもしれない。
この前のような、ゲームでなければいいのだけれど。
「おほん。それでは早速聴いてもらおうかな」
そう言うと、少女は手でマイクの形をつくり、歌い始めた。
少女の歌は、幽かものであったが、どこまでもどこまでも、遠くへ聞こえるかのような、不思議なものだった。
この歌を聴き終えれば、私は帰れるのだろうか。
いや、先ほどの言葉の通り、何かあるに違いない。
「どう?私の歌、素敵でしょう?」
「そうね」
「続きまして…」
この世界が夜の設定のせいか、段々と意識がぼんやりとしてきた。
それに追い討ちをかけるように、幽かな少女の歌声が、私をそれへと誘っていく。
意識を保とうと、舌を噛んでみたり、足を抓ったりした。
「そろそろ、きつくなってきたんじゃない?」
その少女の声が、不思議な事に、何度も何度も、私の中で反響しだした。
そして、上野公園で雀を見たときと同じように、段々と視界が狭くなっていった。
「私の歌声には、人間を鳥目にする力があるの」
少女の声だけが、私の耳に響く。
それ以外の、木々のざわめき、自分のする呼吸すら、何も聞こえない。
私はとたんに恐ろしくなり、少女の声とは逆方向に走り出した。
「痛っ」
視界がどんどんと狭くなって行く。
1メートル先の木も見えなくなるほどに。
「もう私の歌しか聞こえない。私の歌に依存するしかない」
少女は木にぶつかって倒れている私の手を掴んだ。
「汗が凄いよ。拭いてあげるわ」
その声、そして、汗を拭く感覚。
気がつくと、私は少女の手を強く握っていた。
この手を放してしまったら、私はずっと、暗闇の中で一人、どうしようもなく、取り残されてしまうのだから。
暗闇の恐怖。
いつか、親に怒られて閉じ込められたクローゼットの中。
暗く、狭く、退屈で、出られない恐怖が、幼い私を襲った。
あの時の教育は成功していたんだと、少女の手を掴みながら思った。
それからずっと、少女の歌を聴いていた。
先ほどとは違い、少女の歌は、私に安心感を与えるものとなった。
少女が歌を止めると、不安になる。
-夢違え、幻の朝靄の世界の記憶を-
-現し世は、崩れゆく砂の上に-
-空夢の、古の幽玄の世界の歴史を-
-白日は、沈みゆく街に-
-幻か、砂上の楼閣なのか-
-夜明け迄、この夢、胡蝶の夢-
-夢違え、幻の紅の屋敷の異彩を-
-現し世は、血の気ない石の上に-
-空夢の、古の美しき都のお伽を-
-白日は、穢れゆく街に-
少女の歌は、私の心の奥深くに眠る何かを、呼び醒ますような感じがした。
そして、ゆっくり目を瞑り、私は眠りについた。
東京のビルが、サラサラと砂となり、崩れて行く。
そして、その砂は、何もないはずの空間に入った亀裂へと、吸い込まれていった。
時折、砂が私の体を叩く。
それを防ぐ為に、いつの間にか持っていた傘を差した。
東京が、砂と化して行く。
「それでいいの?」
背後で声がした。
しかし、私は何故か、後ろを振り向いてはいけない気がして、その声に集中していた。
「彼女が待ってるわ。貴女には、帰る場所がある。まだ、ここに来るには早すぎる」
私はふと、蓮子の事を思い出した。
「蓮子…」
「何れ、またここに来る事になるわ。その時まで、今という時を楽しみなさい。後悔しないように」
そういうと、背後から私の両目を手で隠した。
「きゃ!」
目覚めて最初に聴いたのは、少女の叫び声だった。
「大丈夫ですか?」
視界は晴れていた。
自分の呼吸する音も聞こえ、遠くには満天の星空。
そして、手を差し伸べる、また別の少女。
「貴女も東京の人間ですね。驚きました。私以外でこの世界に来れる人が居るなんて」
どうやら、この少女も私と同じ世界から来た人間のようだ。
蓮子以外にも居たのか。
「貴女誰よ。いきなり襲いかかってくるなんてぇ」
雀の少女は泣き出しそうな声で、そう少女に尋ねた。
「私の名は姫草ユリ子」
姫草ユリ子。
偽名だとすぐに分かった。
それが、彼女が東京の人間だからという事だけではなく、夢野久作「少女地獄」の中にある「何でも無い」という作品の登場人物の名であったからだった。
その登場人物も、偽名だった。
「姫草ユリ子…。貴女が妖怪を退治しているという!?」
「大人しく帰さないと、貴女を退治しますよ!」
なんという心強さ。
妖怪を退治?
いやはや、ハッタリで乗り切る蓮子と違って、本当に強いらしい。
「ひいい。お助けお助け。大人しく帰しますから」
雀の少女はそう言うと、祈るように懇願した。
「それでは、出口を教えてくれますね」
雀の少女が指した出口を出ると、そこは弁天堂の扉だったようで、外に出て後ろを振り向くと、いつものように入れなくなっていた。
「お怪我はありませんか?」
突然の声に驚き、息を飲んだ。
隣を見ると、先ほどの少女が居た。
「あの」
「あ…」
しばらく、何もいえず、お互い固まっていた。
「あの、どうやってあの世界を?」
「えと…」
折角、蓮子とあんなに話せるようになったのに、やっぱり私はコミュニケーションに疎いままだった。
「あ、申し送れました。私の名前は東風谷早苗です」
「マエリベリー・ハーン。皆、メリーって呼ぶわ」
自己紹介だけは慣れている。
「メリーさん。あの世界、どうやって?」
その時、私の携帯が鳴った。
「メリー!なにやってるの!まだ!?」
「え…もうそんな時間…」
「もう待ちきれないよぉ。ケーキ、メリーの分も食べちゃうよ!」
「ご、ごめん…。今、上野公園だから…」
「待ってるよ!」
いつもまにそんな時間になっていたのか。
急がないと。
「お急ぎですか?」
「うん…ごめんなさい…」
「だったら、またゆっくりお話しましょう。これ、私の連絡先です。絶対連絡ください」
そう言って、早苗さんは私に連絡先を渡した。
「絶対ですよ」
「メリー!こっちこっち!」
「あのカフェと違うんだから、あまり大きな声だしちゃだめよ」
「その前に、蓮子さんに言う事あるんじゃない?日本人の大切な礼儀がさぁ」
「ああ、またあの世界に迷い込んでしまったのよ。上野公園で」
「そうじゃなくて…え?」
「そこでね、早苗さんっていう同い年くらいの女の子に会ったの。あの世界の住人じゃなくて、東京の人間よ?その早苗さんに助けられて、無事に戻ってこれたのよ」
「ていうことは、私達以外にも幻想郷に迷い込む人間がいたって事?」
「ええ、連絡先も貰ったわ」
「私達以外にも…かぁ」
蓮子は少し考えた後、我に返ったようにして、私を見た。
「というか、メリーずるいよ!私も一緒に行きたかったのに!」
「私だって好きで行った訳じゃないわ」
「私の研究だと、幻想郷が現れるのは一日に一回だけ…。今日はもうでないよ…」
ケーキを食べながら、蓮子はしょんぼりしてしまった。
お皿が二つ。
おそらく、一つは既に食べてしまって、今食べているのは、電話で言っていた私の分だろう。
「仕方ないわ。明日もあるんだし、それでいいじゃない」
「明日は一緒に大学に行くから!上野公園で待ち合わせ!いいね!」
「分かったわ。分かったから、あまり大声出さないで」
カフェでしばらく話した後、キャンパス内を二人して歩いた。
誰かと肩を並べて歩くキャンパスは、天気のせいもあってか、とても輝いて見えた。
「恥ずかしい話だけど、私さぁ、まだ大学で友達できた事ないんだよね」
意外だった。
蓮子だったら、すぐにでも友達が出来そうなものだけど。
「つまんないやつばかりだし、皆遊びに大学に来てるっぽいんだ。こんなにも資料があるのに、誰もそれを活用しようとしない。学生の本質は勉強であるのにね」
私も同じ考えだった。
でも、どうしてこうも変な巡りあわせでしか、彼女と会う事が出来なかったのだろう。
「メリーはなんか他の奴らとは違うよね。賢いし、一緒にいて楽しいもん」
私も、なんて、言うのが少し恥ずかしくて、口を紡いだ。
「それにしても、私達以外にもいたなんてね。幻想郷を知ってる人が」
「東風谷早苗さんって言うのよ。なんだか彼女、妖怪退治をする人間として、幻想郷で有名らしいわ」
「妖怪退治?もしかして、「お前は蛙だ」とか言って聞かせるとか?」
「物理的な方だと思うのだけど」
それから、お互いの学科が違う為、一緒に帰る約束だけして、別れた。
東風谷早苗。
彼女はあの世界が何かを知っている可能性が高い。
あの世界でも名が通っているし。
私は携帯を取り出すと、早苗さんにメッセージを送った。
返事はすぐに返ってきて、講堂に着くまで、ずっと連絡を取り合った。
「仲良くなれるかしら」
そんな事を、騒がしいキャンパスの中で一人、つぶやいた。
最近、私の中で何かが変わろうとしている。