「谷中かぁ。わざわざ谷中に住むなんて、変わり者なんじゃない?早苗さんって人は」
「幻想郷に迷い込む人間は、変わり者しかいないんじゃないかしら?」
「確かに、メリーは変わり者だよね」
「貴女ほどじゃないわ」
東風谷早苗。
彼女が住んでいるという谷中に、今、私達はいる。
台東区谷中。
昔から不思議な雰囲気が漂う街として、東京の人に愛されてきた。
谷中銀座が一番有名だが、不思議と言われる所以は、そこにはない。
谷中銀座を取り囲む住宅地、それこそが不思議なのである。
「しかし、本当に彼女の家に辿り着けるのかなぁ?だって、地図もないんだよ?」
「地図があっても、役に立たないらしいわ。現に、東京の谷中だけよ?地図が空白になっているの」
「辿り着くには、『強く願うこと』ねぇ…」
蓮子は、信じられない、というような顔をした。
本当に分かりやすい。
そう。
谷中の不思議というのは、地図が役に立たないこと。
同じように歩いても、歩く人間によって、辿り着く場所が全く変わってくる。
行きたい場所を強く願うことで、その場所に辿り着くらしい。
どういう訳かは、解明されていない。
谷中の別名は『幻の街』。
郵便局員には、願うだけで着くので、人気らしい。
「とにかく、行くわよ」
「大丈夫かなぁ」
谷中銀座を抜けて、住宅地へ入った。
何の変哲もない家がずらりと並んでいる。
人影はない。
ただ、ちゃんと人が住んでいるらしかった。
「不気味なほど静かだね。さっきまで吹いていた風も、何処にいったんだろう。音もないよ」
「でも、不思議なくらい違和感がないわね。ただただ、住宅地を歩いてるって感じ」
道は途中で分かれる事もなく、進むか引き返すかしか、方法がない。
何かに導かれるように進む。
この先に、早苗さんの家があるはず。
だけど、どうも不気味で、私は時々、幻想郷の事を思っていた。
こんな不思議な場所に、あの世界の入り口があっても、おかしくはない。
そう、思っていた。
「…」
私達は言葉を失っていた。
それほどに、あまりにも突然だった。
今までは、何か前触れがあった。
こうも、突然現れるとは。
「竹林…」
風が、笹の葉を揺らす。
私ははっとして、蓮子を見た。
どうせ、またワクワクした顔を見せるに違いない。
「ご、ごめんなさい…」
青ざめていた。
しまった、というような、そんな顔。
「れ、蓮子…?」
「ごめんなさい…メリー…まさか…本当に現れるなんて思ってなくて…」
何を彼女は謝っているのだろう。
まさか本当に現れるなんて?
幻想郷の事なのは分かるけど。
「もしかして…最初から幻想郷が現れるのを知ってたの?」
「そうじゃなくて…思ってしまったんだ…」
「何を?」
「もしかしたら…幻想郷が現れるかもって…。谷中は…願った場所に着くっていうんでしょう?だから…」
私は唖然とした。
そして、少し考えた後、彼女を慰める言葉を見つけた。
「だったら、何故、私もいると思う?」
「へ?あ…」
「そういう事よ」
しばらく竹林を歩いていた。
何処まで歩いても、同じような景色が広がる。
まるで、同じところをグルグルまわっているような。
「しかし、メリーもやっと幻想郷巡りを楽しむようになったんだね。蓮子さんは嬉しいよ」
別に楽しんではいないけど。
ただ、そんな雰囲気だっただけで。
でも、どうせ迷うなら、蓮子と一緒で良かった。
彼女もまた、あの住宅地に、不思議と幻想郷を思ったのだろう。
「メリーもノってきたところでさ、この活動をサークルとして始めようと思うんだ」
「サークル?」
「そう。もしかしたら、早苗さんのような、私達以外に、この幻想郷に迷い込んでいる人がいるかもしれないでしょう?」
「いるかしら…。しかも、東京大学で」
「東京大学は変人が多いから大丈夫でしょ」
変人…。
学生の本分を全うしている私達が変人…。
まあ、確かに、遊んでいる人達が8割いるあの大学で、8割の学生が、学生の本分を唱えれば、私達が変人になる事は相違ないのだろうけど。
「サークルの名前も、実は考えてあるんだ」
「へえ、随分と準備がいいのね」
「昨日、寝ないで考えたんだ。その名も…」
「秘封倶楽部」
蓮子の野望を聞いている内に、私達はとうとう疲れて、人の座るのに丁度良い岩に、座りこんでしまった。
「全く誰にも会わないね。いつもはすぐにでも誰かが現れるのにさ」
ふと、空を見ると、そこには、不気味な月が、浮かんでいた。
「ねえ、あの月、なんだか変じゃない?」
「本当だ。なんだか不気味だね」
私は、あの日聴いた、雀少女の歌を、思い出していた。
「夢違え…幻の…朝靄の世界の記憶を…」
「なにそれ、何かの詩?」
「早苗さんと初めて会ったあの世界で、雀の少女が、歌っていたのよ」
「へえ、全部歌える?」
「えぇ、散々聴かされていたから」
「聴かせてよ。暇だしさぁ」
「嫌よ。恥ずかしいわ」
「誰も聴いてないって。私だけだからさぁ。お願い!」
「仕方ないわね」
-夢違え、幻の朝靄の世界の記憶を-
-現し世は、崩れゆく砂の上に-
-空夢の、古の幽玄の世界の歴史を-
-白日は、沈みゆく街に-
-幻か、砂上の楼閣なのか-
-夜明け迄、この夢、胡蝶の夢-
-夢違え、幻の紅の屋敷の異彩を-
-現し世は、血の気ない石の上に-
-空夢の、古の美しき都のお伽を-
-白日は、穢れゆく街に-
歌い終わると、蓮子は何も言わず、ただ、何かを考えていた。
「何か言ってよ。ああ、やっぱり歌なんか歌うんじゃなかったわ」
「ねえ、その歌さ、昔、何かで流れていなかった?」
「なにかって?」
「例えば、テレビとか、色々」
「さあ、そもそも、私は最近日本に来たから、分からないわ」
「ああ、そっか」
蓮子はやはり、何か引っかかるようで、ずっとブツブツ呟いていた。
「夢違え…夢違え…」
その時だった、私達の真上を、まるで太陽が差したかのように、強く光る何かが通った。
それは、火花を散らしながら、ゆっくりと、空を飛んでいた。
まるで、フェニックス。
身を焦がしながら、空を飛ぶ、不死鳥。
それが、ゆっくりと、空を焼きながら、私達の元へと降りてきた。
不思議と、熱くはない。
炎の中心には、小柄な人影が見えた。
やがて、炎は弱まり、完全に消えた頃、白髪を長く持った、一人の少女が、そこに立っていた。
「私は藤原妹紅。あんた達の名前は?」
「え…宇佐…じゃなくて…蓮見ウサ子…」
突然の事に、動揺を隠せない蓮子を後目に、私は一人、安堵していた。
「私はメリー」
幻想郷を脱出できるキーマンが…いや、キーウーマンが、やっと現れた。
「ウサ子にメリー。あんた達、迷ってしまったんだろう。私が案内してやる。ついてきな」
蓮子と私は目を合わせ、お互いの意思を確認し、少女の後を追った。
竹林をズンズン進んで行く。
少女はこの間、一言も喋らなかった。
このまま帰してくれるような世界ではないだろう。
「何処に向かっているのかしら、藤原さん」
「出口だよ」
「出口って、私達の元いた世界の事を言うのかしら?」
「そうだよ」
返事は、あまりにもあっさりしすぎていた。
「あら、何かゲームでもやらされるのかと思ってたわ」
「私は不死身だ。だから、あいつらが生きようと努力する事を、私はしなくてもいいのさ。むしろ、滅ぶ事を望んでいる」
「生きようと努力する?あのゲームとかは、そういう意味が含まれているって事?」
「この竹林も、それを助長するステージの一部だ」
それを期に、少女は、一言も喋らなくなってしまった。
やがて、開けた場所に出た。
そこに、一つの扉が、あのドラえもんの何処でもドアのように、佇んでいた。
少女は、それを指すと、また竹林に入ろうとした。
「待ってよ、藤原さん」
それを止めたのは、蓮子だった。
「一つ聞きたい。この世界が、私達を帰そうとしないのは、どういう意味があるの?」
少女はこちらを見もせず、静かに答えた。
「意味などない。あんた達が本能的に子孫を繁栄させようとするように、私達にもそういう生存本能というものがあるだけだ」
「その生存本能に、何故私達が必要なの?」
「男と女…お互いがお互いを必要としているのと同じだ。夢には現が必要なんだ」
そう言うと、少女は竹林に消えていった。
扉を出ると、そこは、誰かの家の玄関を出たところだった。
「不味いわ蓮子。不法侵入になってしまったわ」
「この場合、どういうアリバイが必要なんだろうね」
そんな事を話していると、玄関のドアが開いた。
「あれ、メリーさん。いつの間に着いていたのですね」
「メリー、もしかして…」
「どうやら、本当のようね。谷中の不思議は」
早苗さんの家にあがり、早速、色んな話をした。
蓮子は、初対面とは思えないほど、早苗さんとペラペラ話していた。
「そっか。早苗さんは長野県に住んでいたんだ」
「はい。東京の大学に行きたくて、こっちに引っ越してきたんです」
「大学は何処?」
「東京大学です」
それから、幻想郷の話を、早苗さんから聞いた。
どうやら彼女も、東京に来てから、幻想郷に迷い込むようになったらしい。
しかし、私達とは、大きく違う点があった。
「あの世界に行くと、何故か、不思議な力を使えるようになって、その力で妖怪を退治していたんです。元の世界に帰る為に」
「不思議な力って?」
「光の玉を操る事ができるんです。他にも、クリスタルみたいな形をしたものとか…」
「それで殴るとか?」
「飛ばすんです。そして、操って相手に当てる…」
「シューティングみたいだね」
「シューティング…確かにそうですね」
「それでも、私達みたいにゲームをやらされたりするよりいいわ」
「私は嫌だな。シューティングって苦手だから」
東風谷早苗。
何故、彼女だけ、不思議な力を使えるんだろう。
「あ…」
「どうしたの?メリー」
「いえ、なんでもないの」
彼女だけじゃない。
私もだった。
あのカジノでの勝負。
私は、何か不思議な力を使って、玉を掴んだ。
紛れもない、私も指で。
あの力も、この早苗さんの言うような、不思議な力に関係しているのだろうか。
「それじゃあ、早苗さん。また大学で会おうね」
「はい。また」
早苗さんの家を後にし、私達は谷中銀座を願った。
谷中銀座には、あっさり着いてしまった。
「本当に不思議な街だったね」
「えぇ」
夕日が私達を、街を紅く染めて行く。
真上の空は、夜と夕の間をつくっていて、まるで夜が、段々と、この街を呑み込んで行くような錯覚を受けた。
それが、とても怖くて、私は不安な気持ちでいっぱいになった。
人間の最大の敵は、自らがつくりだした恐怖にあり、人間が闇を恐れるのは、闇の中に、自らのつくりだした恐怖が潜んでいるのを、知っているからだ。
そして、その恐怖が、闇が、段々と、世界を呑み込んで行くのを、私は感じていた。
足元が、砂を踏んだように、沈んで行くような、そんな感覚も、含めながら。
「メリー、メリー」
蓮子の呼びかけに、私ははっとした。
「大丈夫?顔色悪いよ?」
「うん、大丈夫。ちょっと疲れちゃっただけ」
「そう?じゃあさ、家に来ない?近いからさ、休憩していきなよ」
「いいの?」
「もちろん。そうと決まったら、お酒も買わないとね」
蓮子はそう言うと、私の手を掴んだ。
「行こう!」
夕日に照らされた彼女の顔は、そんな私の恐怖を晴らして行った。
「えぇ」
そんな私の笑顔も、また、彼女の不安を拭えたら、なんて、そんな想いを、掴んだ手の中に、一緒に握りながら、二つの影は、闇の深い方へと、進んで行った。