「では、第一回秘封倶楽部の活動を始めます!」
「わー」
哲学堂公園。
お化け博士などと呼ばれた哲学者の井上円了が、ソクラテス、カント、孔子、釈迦を祀った四聖堂を建設したのが、この公園のはじまりらしい。
今はもう、半分がどこかの寺に買われていて、墓場と化している。
「私、こういうクラブ活動って初めてだから、なんだか緊張しちゃいます」
蓮子、早苗さん、そして私。
秘封倶楽部は、結局、この三人しか集まらなかった。
「今回はこの哲学堂公園に幻想郷が現れるはず」
「早苗さんがいるし、頼りになるわ」
「あまり期待されても…」
「大丈夫。いざとなったら、蓮子さんも空手を習ってたからさ。こう、シュバッとね」
「初耳だわ」
騒がしくしていると、管理人らしき人に睨まれたので、私達はソソクサと公園の中へ入っていった。
「お墓ばかりだねぇ」
「そうですね。あ、東京だと、やっぱり電子線香なんですね。長野だとまだ普通の線香を使ってますよ」
電子線香。
東京では、線香の匂いが不快だとして、線香は電子化された。
「風情もあったもんじゃないわ」
「いいじゃん。いかにも「東京!」って感じでさ。進化してんだか退化してんだか、よく分からないのが東京って奴よ」
「流石、江戸っ子は分かってるわね」
「江戸っ子ってなんですか?」
「嘘!?江戸っ子知らないの?」
「江戸っ子って言うのは、江戸で生まれて、江戸で育った人の事を言うのよ」
「東京っ子では駄目なんですか?」
「東京っ子…なんだか現代の子供みたいな言い方だね」
「蓮子の場合は江戸っ子の方がしっくり来るわ」
「どういう意味、それ」
しばらくすると、やっとそれらしきものが見えてきた。
「なんだかヘンテコな建物」
「六賢台って書いてありますね」
「こっちには井上円了について書かれているわ」
「私、井上円了を、実は尊敬してるんだよねぇ」
井上円了を尊敬。
哲学、妖怪学の彼を尊敬?
物理学を専攻している彼女が?
「迷信などの正体を、四つの「怪」に分けたんだ。それによって、科学の発展に貢献した人が井上円了。簡単に説明すると、そんな感じ」
「本当に簡単ね。よく分からないわ」
「つまり、迷信の正体を暴いた人ってこと。怪奇現象ではなく、自然現象だ…とか」
「なるほど。では、ある意味では、この人が妖怪を退治してしまったのかもしれませんね」
「それ、面白い考えね。早苗さん」
蓮子は少し考えた後、答えが出ないような顔をした。
「え?どういうこと?」
哲学堂公園内を歩いて一時間は経った頃、私達は疲れて、ベンチで休憩する事にした。
「よかったら、お茶でも飲みますか?」
そう言うと、早苗さんは水筒を取り出した。
今時、水筒を持ち歩いている人がいるなんて。
「経済的だね」
「蓮子…貴女、現金な女ねぇ」
休憩中、私達は他愛のない話で盛り上がっていた。
私は、ふとした拍子に、楽しいと思っていた。
これが、友達。
そうだ。
これが普通なのだ。
ヘンテコな倶楽部でもいい。
なんでもなく、ただただ、他愛のない話に、花を咲かせる。
それが普通。
今までの私は、その普通ができなくて、学生の本分を全うする事で、それをしなくてもいいと考えていた。
でも、違うのだ。
学生の本分と、この普通は。
学生であろうが、社会人であろうが、なんであろうが、人間として、する事なのだ。
何にも代わりは出来ない、ただそれだけの為のもの。
「メリー?どうしたの?なんだか嬉しそうだね」
「なんでもないわ」
他人にもそれが分かってしまうのが恥ずかしくて、急いで顔を整えた。
でも、それが出来るのも、また、嬉しくて、静かに口を緩めた。
「それにしても、何も起きませんね。そろそろ、幻想郷が現れてもおかしくないのですけど」
「そうだね。何か条件でもあるのかね」
そうだった。
この活動は幻想郷を探すのが目的だった。
すっかり忘れてしまっていた。
それほどに、酔っていた。
この、普通に。
「私、ちょっとトイレに行ってくるわ」
「ん、じゃあ、メリーがトイレから戻ってきたら、また探索を始めますか」
「そうですね」
トイレはとても綺麗だった。
とても公園の中にあるものだとは思えないほどに。
トイレに来たのは、催したからではなく、顔をちゃんと整える為だった。
「はぁ、あまり笑う事がないから、顔の筋肉がずっと痙攣しているわ」
眉間がピクピクと痙攣している。
これでは、なんだか怒っているようだ。
「早くおさまらないかしら」
そう言った時、後ろの個室が静かに、少しだけ開いた。
私はびっくりしたと言うより、今の独り言を聞かれた事に、赤面していた。
人が入っているとは思わなかった。
そんな気配もなかった。
色んな思考がグルグルと巡っていた。
しかし、個室からは誰も出てこない。
それどころか、人の気配すらない。
もしかして、扉が勝手に、何かの現象で開いただけなのかしら。
そっと、扉に近づく。
中を覗こうとした時だった。
私の手を強く、掴む手。
そして、私を個室の中へ引っ張り込んだ。
気が付いたとき、私は、とても高価そうな椅子に、座っていた。
「こんにちは。私の名前は古明地こいし。貴女の名前を教えて」
向かいの椅子に座る少女。
体を周回する、細い管。
大きな帽子。
吸い込まれそうな瞳。
「私はメリーよ」
名前を言う事で、平生を保った。
嗚呼、何故、私一人なのだろう。
蓮子は?
早苗さんは?
「誰を探しているの?私はここよ」
「私と貴女だけ?ここにいるのは」
「そうよ。お姉ちゃんもいないわ。何故か知らないけれど」
途端に、私の鼓動は、とても早く、とても大きく鳴った。
「メリー、お話しましょう?」
「え、えぇ」
駄目だ。
私一人で、また、あの雀の時のようになってしまう。
汗が吹き出る。
肩に力が入る。
唾の飲み方を、息のしかたを忘れる。
「大丈夫?凄い汗だわ」
少女が近づく。
高貴な靴音が響く。
この空間に、私の、中に。
「ねえ、どうしたの?」
少女は、本当に分からないと言うような顔をして、私を見つめた。
「怖いの」
自分でも驚くほど、正直な答えが、口から出た。
「怖いの?何で?」
「だって、貴女が何をするのか、私が、この世界を出られるのか、分からなくて、怖いの」
少女は唖然として、また私を見た。
「それは、メリーがメリーを怖がっている証拠だよ。私は怖くないもん。メリー一人が、怖がっているんだよ」
めちゃくちゃな理論だ。
「この世界には、怖いものなんかないよ。恐怖は、自分の心が生み出した弱さなの」
「弱さ?」
「そうだよ。怖く無いと思えば、怖くない。なんでもないの。なんでもない。メリーが私を怖いのも、なんでもない。私は怖くないよ。何もしないよ」
「本当?」
「うん。だから、お話しよう?」
少女の話は本当なのだろうか。
私は不安だったが、今は、信じてみてもよさそうだ。
というよりも、それしかない。
「ねえメリー、貴女は人の心を読めたらって思った事ある?」
「あるわ」
「何で?」
「他人は何を考えているのか分からないわ。だから、それを知れれば、きっとお互いが分かり合えると思うから」
「本当にそうかな」
少女は顔を伏せ、足をぶらぶらと、退屈そうに揺らした。
「もし、人の心が読めたのなら、それはとても悲しい事なんだと思うよ」
「どうして?」
「だって、人を慰めるのは、いつだって、相手を傷つけないようにつく、嘘だから」
嘘。
「心が読めるって事は、相手の嘘を見抜けるって事だよ。関係を崩したくないから嘘をつく。本当は、もっと厳しい事を言いたいけど、嘘をつく。それが、全て、見抜けるんだよ?」
大学の抗議で、嘘がいいものかどうか、議論した事がある。
ついていい嘘。
いけない嘘。
それらは存在するのか。
その時の答えは「嘘をついたものが決める」だった。
「確かに、それは悲しいかも知れないわね」
「うん」
少女は、悲しそうな顔をして、しばらく黙ってしまった。
私は考えていた。
この世界から、どうやって出られるのだろう、と。
何か条件があるはずだ。
人形町のように、話だけで終わればいいけど。
「あのね」
少女は急に、また話を始めた。
「私のお姉ちゃん、心が読めるの」
それはまた唐突な話だ。
「私も、昔は読めたの。今は、やめちゃったけど」
「何故、やめてしまったの?」
「嘘が、辛かったの」
やっと分かった気がする。
何故、彼女が悲しいと言ったのか。
何故、あんな顔をしたのか。
「こいしは、お姉ちゃんを心配しているの?」
少女は、はっとしたように顔を上げた。
「何で分かったの?」
「私は探偵なの。だから、ちょっと推理してみただけだわ」
嘘だ。
ちょっとした、反抗だ。
「そうなの?ちょうどいいわ。探偵メリー、お姉ちゃんの心を推理して」
少女は真剣だった。
嘘もここまで信じられると、こっちもそれらしく成りきれそうだ。
「あんなに悲しい思いをしたのに、何でお姉ちゃんは、心を読むのをやめないんだろうって」
「貴女は聞いてみたの?お姉ちゃんに」
「うん。ただ一言、貴女が辛いだろうからって」
辛い?
どういう事だろうか。
「他には何か言ってなかった?」
「ううん。それだけ」
参った。
おそらく、本物の探偵でも、この難事件は解けないだろう。
なんせ、そのお姉ちゃんがいないのだから。
アガサ・クリスティの「And Then There Were None」のような、犯人の見つからない事件のようだ。
「心を読めることより、読めないほうが嫌なのかしら?いや、こいしが辛いと思うような真相なのよね?」
そう、独り言をぶつぶつと呟き始めた。
少女はそれを、じっと、大人しく見ていた。
分からない。
全く分からない。
こんなに、少ない素材で、どう推理しろと言うのだ。
「メリー、分かった?」
おそらく、この答えこそ、ここを出る為のキーになるのだろう。
困った。
相手に悪意がない分、さらにたちが悪い。
「ねえ、こいし。貴女はどう思うの」
「私も分からない。だから、メリーに聞いてるんだよ」
そりゃそうだ。
何を聞いているんだ、私は。
考えるんだ。
もし、私が心を読めたら。
「心が…読めたら…」
気がついた。
お姉ちゃんがいなくても、心が読めたものがいるじゃない。
「こいし。貴女が心を読めた時、何か、嬉しかった事はある?悲しい事以外に、何か、思った事はある?」
「あまり思い出したくない…」
「お姉ちゃんの気持ちを知りたいんでしょう?必要なことよ」
「…分かった。思い出すから、ちょっと待って」
「私が嬉しかったのは、お姉ちゃんが、心の底から、私を愛してくれた事。お姉ちゃんはいつも、私に声をかけないで、心で話してくれたの」
「テレパシーみたいなものね」
「心の底から話しかけてくれて、嬉しかった」
少女は、本当に嬉しそうに、微笑んだ。
「お姉ちゃんと声で話した事はある?」
「あまりない。だって、心で会話出来るんだもん」
それはそうかもしれない。
だけど、何か引っかかる。
声。
心。
純粋。
愛。
思いやり。
嘘。
嘘。
「嘘…」
「え?」
そうだ。
嘘。
「ねえこいし。お姉ちゃんは、貴女が何故心を読まなくなったのか知っているの?」
「うん。嘘が嫌だからって、私が言ったんだよ」
そうか。
なんとなく、分かったかもしれない。
そうであれば、私は、彼女に謝らなければならない。
「ごめんなさい、こいし。貴女に謝らないといけないわ」
「どうしたの?」
「私、嘘ついたの。本当は、探偵なんかじゃないわ」
少女は、きゅっと、唇を噛んだ。
「どうして、嘘をついたの?」
「私は、この世界を出たかった。だから、話を合わせるために、嘘をついたの」
少女は、悲しい顔をして、うつむいてしまった。
「でも、聞いて。私は探偵ではないけど、貴女のお姉ちゃんの心が分かったわ」
「それも、嘘でしょ?」
「嘘ではないわ。私の中で、ハッキリとした答えよ。聞いてくれる?」
「…うん」
「貴女のお姉ちゃんは、嘘から貴女を守ろうとしたのよ」
「私を…?」
「そう。貴女は嘘が嫌い。それを知っていた貴女のお姉ちゃんは、貴女を嘘から守る為に、心を読み続けるの。貴女を、絶望させない為に」
そうだ。
少女の話から、お姉ちゃんは優しい。
故に、彼女を守る為という線は十分にある。
「それ、本当?」
「えぇ、絶対そうよ」
「どうして、そう言いきれるの?」
「そうで、あって欲しいから」
少女は、はっとして、私を見た。
「嘘が悪いかどうかを判断するのは、嘘をついた本人よ。じゃあ、それを信じるのは誰?」
「…私だ」
「そう。貴女自身。心を読めない人同士が話をするときはね、全てが嘘になるの。だって、真実が分からないから。だから、相手を信じる力が必要。嘘を本当にするのは、貴女自身なの。傷つく嘘も、貴女がつくりだしただけ。最初に、貴女、言ってたじゃない。恐怖は、自分自身が生み出したものだって。それと、何が違うのかしら?」
少女は、なにか気がついた顔をした。
「私のこの推理も、本当かどうか分からないから、嘘になるかもしれない。でも、そうであってほしい、そうであれば、貴女が救われるかも知れない。そう思って、私は貴女に伝えたの。貴女を想った…嘘なの」
「嘘…」
「嘘も…悪いものばかりではない。そう思えば、嘘も、心地いいものよ?」
私は少女が愛おしくなって、気がつくと、近づいて、手をとっていた。
「メリー…」
少女の目から、涙が零れた。
それを見ていた私の視界も、ゆがんでいった。
「ありがとう、メリー」
涙を拭いてあげると、少女は微笑んだ。
「私、嬉しかった。貴女の嘘、信じてみようって思った」
「そう。それは良かったわ」
「もう嘘じゃないよ。メリーは探偵で、素晴らしい推理を見せてくれた」
我ながら都合のいい推理だったかもしれない。
でも、私は、そうであってほしかったのだ。
その気持ちが、少女に届いてくれて、本当に良かった。
「元の世界に帰りたいんでしょう?あそこの扉を出て、まっすぐ行ったところの扉が出口だよ」
「ありがとう。こいし」
「ううん。また会えるといいな。ありがとう。メリー」
少女は手を差し伸べた。
その小さな手を、私は、記憶に刻み込むように、しっかりと、握った。
扉を出てまっすぐ進む。
長い長い廊下だ。
ステンドグラスの窓から、虹色の光が零れ、廊下と私を照らした。
私はこの光景を、一生忘れる事はないだろう。
あの少女の事も。
ただ、一つ気がかりなのは、本当に、あのお姉ちゃんは、何を考えていたのだろう、という事だ。
もし、別の考えであったのなら、私は、少女の大変な事をしてしまったのかもしれない。
そんな不安を抱えながら、長い廊下をひたすら歩いた。
やっとの事で扉の前に着き、手をかけようとした。
その時だった。
「メリーさん」
後ろを振り向くと、そこには、こいしによく似た少女が、一人佇んでいた。
「ありがとう。メリーさん。妹を…救ってくれて…」
そう言うと、深く、お辞儀をした。
私の不安は、その時、全て吹き飛んだ。
「私こそありがとう。貴女のお陰で、私も救われたわ」
体が軽くなったせいか、扉は勢い良く開いた。
扉は六賢台のものだったようで、例のごとく、再度入れないようになっていた。
「疲れたわ。哲学チックな話は」
空はすっかり夕焼けになっていた。
「あ、秘封倶楽部」
すっかり幻想郷に浸かっていたようだ。
でも、今まで以上に、充実していたと言うか、幻想郷も、悪くないなと、思ってしまった。
「心配したよぉ~…メリ~…」
蓮子は私を見つけると、すぐに私を抱きかかえた。
「無事ですか?メリーさん…」
「何とかね」
「幻想郷に…行っていたんですか…?」
「えぇ…トイレで…」
「怪我はない?メリ~…」
「心配しすぎよ蓮子。どうしたっていうのよ?」
「実は蓮子さん、メリーさん一人じゃ心配だって、ずっと心配していたんですよ。幻想郷の入り口を探し続けたり…大変でした…」
「だって…メリーは弱いから…」
「あら、大丈夫よ。今回だって私一人で解決したんだし。聞かせてあげるわ。私の武勇伝」
そう言って、自分でも驚くほどペラペラと、武勇伝を語った。
帰り道。
電車の中で、疲れたのか、蓮子は私の肩で寝息を立てていた。
「蓮子さん、本当にメリーさんが好きなんですね」
私はその言葉を返せなかった。
その好きが、一種類のはずなのに、何故か、二種類に感じて、恥ずかしかったからだ。
電車には私達以外、誰も乗っていなかった。
車窓から零れる夕日が、私達三人を照らす。
「なんだか、青春ですね」
「青春ね」
なんだかおかしくて、二人して笑った。
その笑い声を聞いて、蓮子が起きてしまった。
「んー何?二人で何話してるの?私も…ふわあ…まぜてー」
「それじゃあ。またね」
早苗さんと途中の駅で、蓮子とはバス停で別れた。
今日は楽しかった。
色々、楽しかった。
幻想郷も、楽しめた。
「あ」
気がつくと、私は鼻歌なんかを歌っていた。
「うふふ。おかしいわ」
でも、恥ずかしくない。
嬉しい。
嬉しい。
全てが輝いて見える。
空に輝く星も、いつもより綺麗だ。
「恐怖も幸せも、与えられるものじゃないのね。自分で、自分自身が、つくるもの」
私が楽しいと思えば、楽しい。
嬉しいと思えば、嬉しい。
簡単だけど、なかなか気がつけない。
「気がつかせてありがとう。こいし、お姉ちゃん」
帰りのコンビニでアイスとプリンを買おう。
でも、最近、体重が少しばかり増えた。
これも、蓮子と美味しいケーキを食べてばかりだからだろう。
まあ、でも、太らないと思えば、太らないでしょう。
きっと。
「なんてね。うふふ」
下手糞なスキップをしながら、コンビニへと入っていった。