「見て見て!あれって、ジンベイザメじゃない?」
「なんで川にジンベイザメがいるのよ」
「東京湾に繋がっているから…ですかね?」
秘封倶楽部の活動も、お茶会などを除いて2回目となった。
今回は、足立区の綾瀬。
元々は隣の駅にある葛飾区の亀有の方が有名だったのだけど、この綾瀬川が綺麗になって、自然の水族館のようになってからは、観光客が綾瀬に集中した。
しかし、綾瀬というのは、実はもう一つの顔を持っている。
それが…。
「あの遠くに見えるのが東京拘置所?」
「うん。あれがあるせいで、綾瀬は「法の御膝元」と言われるようになったんだよね。こんなにも綺麗な川があるのにだよ?」
「法によって守られたから綺麗になった…って、ここには書いてありますね」
「何がだよ~。裁判所をバンバン作ったのは、川が綺麗になってからじゃん、ね!」
平成時代、インターネットを利用した犯罪が急増した。
また、法を抜けた「危険ドラッグ(脱法ハーブ)」なる依存薬物などの取引も増え、犯罪を法で裁くのは難しくなった。
それに伴い、裁判所、拘置所などの定員が限界に達し、ますます国は頭を悩ませる事態となった。
そこで提案されたのが、「「法のお膝下」の街を作ろう」というものだった。
街一つを裁判所と拘置所などで埋め尽くし、回転を良くしようというのだ。
東京でも最大の拘置所だった東京拘置所の、近くにある綾瀬が、そこに選ばれた。
「見てよ、こんな綺麗な景色に不釣合いだよ。警察官がたくさんいるのはさぁ」
「まぁ、そうだけれど。でも、安全と言う点では、悪く無いと思うわ」
「平成と違うんだからさ、そんな、犯罪なんて滅多に起きないよ」
「今の東京は日本で一番治安がいいですからね。長野なんて、毎日犯罪のニュースですよ」
観光地と言っても、風紀の為に飲食店などは全くない。
綾瀬に来た人は口を揃えてこう言う。
「一回来れば満足な街だ」
私達は何も出来ず、ただただ、川を眺めるだけだった。
「何も起きないね」
「そうですね。でも、油断は出来ませんよ。前みたいにメリーさんだけ連れていかれてしまうかもしれませんから」
それは困る。
確かに前回は気分よく終わった。
でも、よくよく考えたら、あんなのは滅多にない。
運が良かっただけだ。
次こそは、早苗さんを頼りたい。
「移動しようか。何かあるかも知れないし」
「駅前も何もないね」
時間は11時。
それを知らせるように、からくり人形がカタカタと音をたてながら動き出した。
猟銃を持った人形が、クルクルと回る。
私達はそれを、じっと見ていた。
それほどに、何もなかった。
「とって付けたような、愉快な人形ね」
「いくらなんでも堅すぎでしょ。この街のお頭はさぁ」
「飲食店もないんですね。本屋はあるけど、きっと辞書とかなんでしょうね」
「そりゃユーモアがあるわ。きっと笑いどころは「赤貝」の所だろうね」
「「新明解国語辞典」ですか?」
「お、知ってるねぇ」
「「肉が赤くてうまい」」
そう、合わせて言うと、二人はケラケラと笑い出した。
私は、なんだか、取り残された気がして、一人、手を揉んでいた。
何もないまま、時間だけが過ぎて行く。
私達の口は、無気力に閉じたまま、しばらく、開く事はなかった。
「そろそろ帰ろうか」
待ってましたと言わんばかりに、早苗さんと私の口が開いた。
「そうね。何もないようだし、今回はハズレかしらね」
「仕方ないですね。こういう日もありますよ」
珍しく、蓮子のアレが外れた。
そう、思っていた。
どこか遠くで、銃声を聞いた。
「これより、外来の人間である貴女の、魂の裁断を始めます」
映画の中でしか、見た事がなかった。
まさか、今の時代、こんな古臭い法廷があるなんて。
「私は、貴女の魂の裁断をします、四季映姫です」
「私はメリー」
私と、この少女以外、誰もいない。
嗚呼、何故。
何故、私は、一人なの。
三人も、いたのに。
何故、私だけ。
「メリー。貴女の死因を、貴女は知っていますか?」
私の死因?
「私は死んでいないわ」
「では、貴女の死因を述べます」
死んでないってば。
「貴女の死因は、猟銃に撃たれた事です」
「猟銃…?」
「場所は東京の足立区…綾瀬駅…」
そんな馬鹿な。
「ちょっと待ってよ。ここは幻想郷じゃないの?」
「な…!幻想郷…!?」
そうか。
幻想郷は蓮子が勝手に呼んでいるだけだった。
「つまり、私のいた世界とは別の世界でしょ?」
「…えぇ、死後の世界ですね」
死後の世界。
「つまり…私は死んだってこと?」
「さっきからそう言っているではありませんか」
幻想郷ではない。
私は、本当に死んだのだ。
何故?
猟銃?
馬鹿な。
あの時、私は蓮子と早苗さんとで、帰ろうとして、駅にいて、それから。
「遠くで…銃声を…聞いた…」
「思い出しましたか」
「で、でも…何故…」
「どんなことであり…貴女は死んでしまった…。それに変わりはないのです」
眩暈がする。
まるで海からあがった時のように、揺れているはずのない床で、一人、波にのまれている。
「さて、状況も分かったところで、貴女の魂を裁断いたします」
裁断…。
少女は閻魔か何かなのだろうか。
「裁断って…何をするのよ」
「貴女の魂が、貴女の元いた世界に帰れるかどうかの裁断です」
「帰る事が出来るの?」
「それは裁断しだいです。ちなみに、今までに、元いた世界に帰れた魂は、たったの二つです」
たった二つ。
それが希望なのか、絶望なのか、今の私には、よく分からなかった。
とにかく、帰れる可能性が零ではないらしい。
「それでは始めましょう…。魂の裁断を…」
少女は、淡々と私の人生について話し出した。
生まれた場所から、通った学校、初めておねしょをした時期まで細々と。
「そして、今、貴女はここにいる。それでよろしいですね」
「えぇ」
一つ。
少女がそこまで知っているのはいい。
しかし、何故、私の名を知らないのだろう。
「いくつか質問があります。その答えによって、貴女が帰れるかどうか決まります。質問に答えられない場合、それで終了となり、貴女は帰れません」
今回は質問か。
ゲームでないのは救いだけど、こういうのが一番厄介だったりする。
「それでは最初の質問です」
質問の内容はいたって簡単だった。
好きな食べ物とか、趣味とか、そんなのばかり。
正直に答えてしまえばいいのだろうか。
嘘つきかどうかを試している?
どちらにせよ、正直に答えやすい質問で良かった。
「よろしい。では、最後の質問と参りましょう」
やっと終わる。
でも、なんだか嫌な予感がした。
「貴女の、本当の名前は?」
質問から数秒。
私は酷い耳鳴りに襲われていた。
おそらく、この少女も同じだろう。
それほどに、静かで、少女も、私の発する声を、一言も逃さないよう、集中していた。
何故だ。
何故、少女は私の名を聞いてきたのだろう。
ここで、正直に言ってもいい。
もしかしたら、メリー、と、嘘をついた事を、正直に言わせる質問なのかもしれない。
正直者は帰そう、という、魂胆なのかも。
でも、なにか気がかりだ。
「質問に答える事が出来ないのですか?」
私の本能が、私の口を閉じている。
メリー、とも、マエリベリー・ハーン、とも、言えない。
言ってはいけない。
しかし、言わなくては。
答えられなければ、帰れない。
「貴女は、私の名前を知っているの?」
これだけは、簡単に出てくれた。
ただ、名前だけは、やはり、出てきてくれない。
「質問しているのは私です」
「もしかして、私の名前を知らないの?」
少女は、おそらく自分でも気がついていないであろう、眉毛をぴくりと、動かした。
「知らないのね」
「早く質問に答えなければ、終了にしますよ」
私はこの時、ここが死後の世界ではなく、幻想郷だと確信した。
それが理論とかではなく、もっと、訳の分からない何かによるものだった。
「私の名前はメリー」
「それは嘘です」
少女はすかさず、そう言った。
「本当よ」
「嘘です。私は、確かに貴女の名前を知りません。ですが、それが嘘なのは分かります」
「どうして?」
「それは、貴女が貴女であるからです」
私が私であるから?
どういうことだろう?
「もし、貴女がメリーという名であるならば、この裁断は、貴女が最初に名前を言った時点で終わっているのです。それが、証拠です!」
小さい体からは想像もできないくらい、力強く響く声。
しかし、その中身は、意味不明な理論で構成されていた。
少女の言い分だと、私が本名を言っていれば、そこで裁断は終了していたらしい。
つまり、この裁断の目的は、私に本名を言わせる事。
その可能性が高い。
だが、どうやって私の本名を、正しいと判断するのだろう?
少女は言った。
貴女が貴女であるから、と。
本名を言うと、私が私でなくなる?
だとすれば。
「私はメリー」
この一点張りだ。
「往生際の悪い人です。本名を言うまで、永遠に質問を続けます」
さっきと言っている事が違う。
やはり、本名を聞きだすことが目的。
私の本名が、何故、必要なのかは分からない。
ただ、今までも、そうだったのかもしれない。
この世界でやる事は、この世界を出る事ではなく、名前を、守る事だったのだ。
そう考えた瞬間だった。
後ろの扉が、勢いよく、開いたのは。
「メリー!」
それは紛れもなく、蓮子の声だった。
「なんですか貴女は!?どこから…」
少女は、本当に驚いた顔をしていた。
「メリー、助けに来たよ」
「蓮…ウサ子!」
蓮子は私を抱きしめると、後ろへと匿った。
「やいやい!このウサ子様が来たからには、もう容赦しないよ!通信空手だってやってるんだからね!」
通信だったのか。
なんて、冷静な突込みをいれられるほどに、私は安堵していた。
蓮子の背中が、より大きく見えた。
「まあいいでしょう。こちらも手間が省けました」
「手間が省けた?なんの手間だい?」
「貴女にも質問します。貴女の本名は?」
「私は蓮見ウサ子!」
「嘘です。何も起きない以上、貴女は蓮見ウサ子ではありません」
「どういうことだ!」
私は後ろから、静かに、蓮子に説明した。
あれから、何時間と経っただろう。
少女は私達を、じっと睨んだままだった。
蓮子も、本名を言ってはいけないと分かってくれた。
少女は聞くまで帰さないと言った。
蓮子が来てくれたのは心強い。
しかし、何も出来ない。
解決方法がない。
どちらかが折れるまで、この状況は続くだろう。
「今までで一番厄介だね。どうしようか」
「相手が折れるまで待つしかないかしら」
「いや、折れそうもないよ。私達から目を放そうともしないもん。私がさっき開けた扉も、ビクともしない」
「じゃあ、どうすれば」
少女は、瞬きすらしていないんじゃないかと言うくらいに、強く、強く、私達を見ている。
その瞳を見続けていると、こっちが折れそうな気がして、時々、私達はお互いに目を向けた。
「何をやっても無駄です。あなた達が本名を言わない限り、ここから出る事は出来ない。それはもう決まっているのです。それ以外に方法はありません」
「は!それがハッタリだってバレバレなんだよ!」
「ハッタリではありません。私のこの余裕を見ても、まだそう言えますか?」
少女の言っている事は、本当に思えた。
本当に、名前を言わない限り、ここからは出られないだろう。
しかし、本名を言ってしまったら、私が私でなくなる。
「メリー」
「なに?」
「私が行く」
「え?なにが?どこに行くのよ?」
蓮子は少女の前に立つと、大きく息を吸った。
嫌な予感がした。
「私の名前は…宇佐見蓮子だ!」
「…先生の、総回診です」
目が覚めると、二灯の蛍光灯が、最初に映った。
「痛っ」
左腕を見ると、そこには包帯が巻かれていて、その下には点滴のチューブが刺さっていた。
「病院?」
ベッドの隣にソファーが置いてあり、そこには蓮子が眠っていた。
そうだ。
私は、蓮子のお陰で、救われたのだ。
あの時。
蓮子は大きな声で本名を晒した。
しかし、それでも何も起こらなかった。
少女は、蓮子が登場した時よりも、倍くらい驚いていた。
その筈だ。
後ろの扉が開いたのだ。
蓮子は、私の手を引き、その扉に向かった。
しかし、私だけ、何かやわらかい壁のようなもので弾き返された。
蓮子だけが、扉の向こうへと帰ってしまったのだ。
少女は、まあいい、というような顔をし、また私に本名を求めた。
蓮子の勇気に、私も本名を晒した。
それも、何も起きなかった。
とうとう少女は、その場にへたり込み、動かなくなった。
私はそのまま、扉の方へと向かい、今、このベッドから起きたのだった。
本名を晒しても、問題はなかった。
あそこは、本当に幻想郷だったのだろうか。
いや、幻想郷で本名を晒しても、問題はなかったのだろうか。
少女の言った事は、嘘だったのだろうか。
それとも、何もかもが、夢だったのだろうか。
色んな事が頭の中をグルグルと巡った。
そのグルグルという音まで、聞こえるほどに。
いや、この音は、私のお腹の音だった。
「メリーさん!」
病室で大声を出したせいで、隣のベッドから舌打ちが聞こえた。
それに謝っているのは、早苗さんだった。
「良かった。目を覚ましたのですね」
その声に、蓮子も起きた。
「メリー!?良かった!無事だったんだね!」
隣のベッドの人がナースコールを押したようで、駆けつけた看護婦によって、私達はこっぴどく叱られた。
病院にいる経緯はこうだ。
綾瀬駅にて、私は犯人不明の猟銃で腕を撃たれ、気絶。
幸い、かすり傷で済んだが、一週間、目を覚まさなかった。
原因は不明。
蓮子はそれを、幻想郷に迷い込んでいると特定した。
一週間、幻想郷の発生がこの病院に集中していたからだ。
それから蓮子は私に付きっきりになり、無事、幻想郷へと辿り着いたのだった。
「そうすると、メリーさんはやはり幻想郷に?」
「そのようね。でも、蓮子に助けられたわ。ありがとう」
「まあ蓮子さんにかかればこんなもんよ」
そういうと、蓮子はカラカラと笑った。
蓮子はあの時、自らを犠牲にして、私を助けたのだ。
私は、ちょっとした罪悪感に駆られた。
それを感じ取ったのか、蓮子はそのまま笑いながら。
「早く退院して、また活動を再開させようよ」
と言った。
私は知っている。
こういう時、なんて返せばいいのかを。
「懲りないわね」
そう、笑って返すのだ。
それを知っている事が、実戦出来た事が嬉しくて、クスクスと、隣に迷惑のかからないように笑った。
先生によれば、ちょっとしたリハビリが済んだ後に、退院出来るらしい。
蓮子と早苗さんは、また明日、大学の帰りによってくれるそうで、今日は帰っていった。
「早く大学に行きたいな」
窓から見える夕日が、ビル群に沈んで行く。
私は、不思議と、それが、とても、珍しく感じ、ずっと、眺めていた。
-白日は、沈みゆく街に-
そんな、あの歌のフレーズを、頭に浮かべながら。