メリーとの面会が終わり、私達は夕暮れの中を歩いていた。
「メリー、順調そうで良かった」
「そうですね。この分だと、後2・3日すれば退院じゃないですか?」
「それにしても…どうして名前を言っても何も起きなかったんだろう」
「幻想郷の話ですか?」
「うん。早苗さん、これから空いてる?東京駅のカフェに行かない?幻想郷について話そう」
「いいですよ」
カフェには、いつものマスターがいた。
やはり、客はいない。
「私、ココア」
「あ、じゃあ…私は…」
メニューをパラパラ捲る早苗さんを待ちながら、私は考えていた。
どうして、名前を言っても無事だったのだろうか。
名前を言ってしまっては、幻想に飲み込まれてしまう。
飲み込まれてしまう。
「飲み込まれてしまう…?」
「え?何がですか?」
いつの間にか注文を済ませた早苗さんは、私の独り言に返事をした。
「あ、いやね?さっきの話なんだけど、私達が幻想郷に行くとき、名前を隠すでしょう?」
「えぇ、幻想に飲みこまれない為に…ですよね?」
「早苗さんは、それを何処で知ったのさ?」
「え?」
やはりそうだ。
「ほら、私もそうなんだよ。いつの間にか知っていたんだ」
「あれ?そう言われると…なんでだろう…?本能的に…かしら…?」
「だとして、メリー、私、早苗さんが、偶然にもそうなるとは思えないよ」
「幻想郷に行った人間は…必ずそう思うように…なっているのでしょうか…?」
「そうなると、怖いね。幻想郷において、私達は既に、何かしらの支配を受けている事になる」
マスターが何も言わずに、そっと、注文の品を置いた。
私達は、それに手をつける暇も無いくらい、議論に集中していた。
マスターもそれを察したのだろう。
見るからに熱そうなココアが、それを語っている。
「でも、無事だったんですよね?名前を言っても…」
「そこなんだ。幻想郷で、名前を隠す事を強いられたのなら、何故、名前を言っても大丈夫だったのか…」
「蓮子さんの話だと、相手は名前を引き出そうとしたんですよね?」
「うん。よくよく考えれば、今まで出会った者たちも、最初に名前を聞いてくる辺り、名前が欲しかったのかも知れない…」
「そして、この前の事件で、名前を言ったのだけれど、違うと言われた…と…」
「あ~!なんだかよく分からなくなってきた!」
そう言って、近くにあった角砂糖を、ココアへ大量に入れた。
「れ、蓮子さん…そんなにいれるんですか?と言うか、ココアに砂糖…」
「糖分は必要だよ。疲れに効くんだ」
「そ、そうですか…」
「あっつ!」
窓の外は、少しずつ暗くなっていった。
それでも、このカフェの雰囲気と、客の数だけは変わらないから、つい時間を忘れてしまう。
「名前か~…」
「名前ですね~…」
私達の議論も、そこで終わり、呪文のように、それを繰り返していた。
「あの幻想郷は、常識が通用しないですから、常識外の発想が必要なのかもしれませんね」
「とんでもない発想が必要という訳か…」
「例えば…メリーさんも蓮子さんも、実は、名前が違うとか」
「宇佐見蓮子でも、蓮見ウサ子でも無いという事?」
「幻想郷においての名前があるとか…。実はメリーさんも蓮子さんも、幻想郷の人間だったとか…」
「…確かに、常識を逸脱した発想だね」
「こっちの世界の事が嘘で、あっちが本当…なんて…」
「SFの展開みたいだね」
「もはや、幻想郷が現れていると言う事に疑問を持たなければいけないような気もします。当たり前で考えていては、それこそ飲み込まれてしまいますよ」
「確かに…」
ココアは、ちゃんと混ぜて無かったせいで、最後の方は、ジャリジャリと、砂糖を噛む結果となった。
「そう言えば、谷中で迷ったとき、変な事を聞いたなぁ」
「変な事?」
「そう。私達を帰さない理由を聞いた時の話。相手は「生存本能だ」って…」
「生存本能…ですか…」
「私達が本能的に遺伝子を残そうとしているのと同じで、彼女達にも、そういうのがあって、それが私達を残す事にある…のかな…?」
「名前…生存本能…。つまり、名前も必要で、私達も必要であり…それが生存に繋がる…ということですね…?」
「…なんか、ちょっとだけ見えてきた気がする」
「凄いですね。なんだか、探偵になった気分ですよ」
「楽しんじゃいけないんだろうけどね」
その時、普段鳴らない筈の振り子時計が、ボーンという大きな音を立てて鳴った。
「な、なに!?」
「まさか…幻想郷…!?」
すると、マスターが、私達のコップを片付けだした。
「あぁ…閉店時間だ…」
空はすっかり夜の色だった。
それなのに、東京駅は街灯も録に点灯していなく、月明かりの中を歩く事になった。
「遅くなってゴメンね」
「いえ、私も、踏み込んだ話が出来てよかったです」
「そっか」
「明日も大学で会いましょう」
「うん」
部屋は相変わらず散らかっていた。
足でスペースをつくると、そこに座り、今日の事を考えた。
生存本能…名前…私達…。
幻想郷は、私達を、あの世界の住人に仕立て上げようとしているのだろうか。
それとも、早苗さんの言う通り、私達は元々、幻想郷の人間で、元に戻そうとしているだけなのか…。
「まさか」
そんな事はあり得ない。
そう思ったが、完全にそう思えない自分がいて、一人、零した。
メリーは、どう考えているのだろうか。
もしかして、何か、私達の考えもつかない事を考えているのかも知れない。
おそらく、私達の中で、一番、頭の回転は速いだろう。
ああ、メリーの考えを聞きたくなってきた。
メリーと議論をしたい。
会話したいけど、電話は駄目だし、ネットも駄目だ。
そもそも、もう寝てるかもしれないし、相手は病人だし、隣のベッドの人はめちゃくちゃ怖かったし…。
「ああ、モヤモヤする~!」
いつもなら、こんなに悩まずに、自分の考えを何回も何回も疑い、答えを出してきた。
それよりも、遥かに、優れた方法が、メリーに相談することに、今はなった。
メリーと出会ってから、色んな事が変わった気がする。
早苗さんとも出会えたし、何よりも、一人でいる時間が少なくなった。
一人でいるときは、寂しいと、思うようにもなった。
「はぁ…」
いつもは、思想の波が大きな音を立てて、何度も何度も打ちつけてくるのに、今日に限っては、静かで、穏やかだった。
「早く退院しろよな~…メリー…」
この穏やかな波は、やはり私にとっては退屈なもので、いつの間にか、私は、眠りについていた。
次の日、私は遅刻した。