前書いた『人生』のスピンオフ的な感じです。
これはほぼノンフィクションの話です。
『人生』を見ていただいた人にはわかると思いますが家族についてはほとんど触れていません。そこで今回は家族について触れていきます。※ほぼノンフィクションです。
私には私を含め五人の家族で生活しています。父親、母親、祖母、俺、弟の大家族『世間でいえば家族だが社会的にいえば核家族の対義語の大家族』です。
父は工業で正規雇用の仕事をしているのですが仕事の内容までは父と会話をしたことがありません。母が言うには家に帰ると仕事のストレスがなくなるからだそうです。でも俺は何回か作業着が一部溶けていたりしてゾッとしたこともあったし手首に大きな焼けどなどをしたりして痛そうだった。だが俺は父の仕事を知らない。知らないほうがいいのかもしれない。だから俺はあえて聞いていないし今は知ろうとも思わない。多分家に仕事を持ち込みたくないのだろう。こればかりは正規雇用として自分は働いたことがないので父の仕事への気持ちはわからない。
母は専業主婦で二人の子供を育てている。俺は兄なので厳しく育てられた。間違ったことをすれば怒られたし時にはぶたれたこともあった。そして母が言うことすべてが正しいと思っていた高校までは。小中の平日はゲームを30分しかできなかったし土日は一時間だった。おれはそれをすべて守った。だが俺は母を嫌だと思ったことは一度もなかったしむしろ今は感謝しかない。いじめられていた時も常にお前が正しいと言ってくれたし素晴らしい未来があると言ってくれた。だが俺は大学四年の時母を裏切った。俺は当時精神的におかしくなりいつも苦しんでいる俺を見て泣いた。俺は初めて心の中で自分が心の底から母に愛されていると知った。でも俺は苦しかった。だから心療内科に俺は母とともに通い始めたのである。今では自分一人で原付で行ってます。弟に対してはどちらかというと放任教育だった。
弟は高校二年生で小学校の時から顔がイケメンだった。俺と弟は常に喧嘩をしていた『99%俺がふっかけた』。年が5もはなれているのに6年くらいほぼ毎日喧嘩した。理由は『人生』を読めばわかります。喧嘩の発端は俺が学校でいじめられたときに「あほ」「バカ」「死ね」「お前生きる価値ない」などを言ったり、暴力は殴ったり蹴ったり石を投げたり、学校でやられたこと以上の事を弟にやっていました。もちろん俺は母にこっぴどく怒られました。でも六年くらいそれの繰り返しでした。今はそれがすごく残念に感じ後悔しております。今は仲がいいです。弟のいい話も紹介します。弟は中学の時野球部キャッチャーで三年にはキャプテンでした。中学三年の時弟はバレンタインでチョコ20個もらってました『全校生徒約三百人くらい』。高校になると多分40くらいもらってたかな?『女子生徒が多い』。今も楽しそうに弟はしています。俺が弟の立場なら小学校の時死ぬほど今でも憎んでるでしょう。でも父に似て前しか向いていないので俺は命拾いしました(笑)
祖母は家族の中で一番優しかった印象があります。祭りもいろいろ連れて行ってくれたし、お金をめぐもうとしてくれました。僕は小学校の時月500円しかもらっていませんでしたがほとんどお金をもらっていません。しかし怒った時は一番こわかったです(笑)。祖母は祖父が生きていた時祖父は亭主関白で最も祖父が家系史上厳しかったと言っています。だから祖母も一番こわくおもったのかもしれません。祖父は物心つく前に亡くなりました。なので祖父の怖さを一部紹介します。私の聞いた話ですが隣の人ともめていたとき自分の家の○机を道に投げ飛ばしたり、間違ったことをしたらどけ座をして謝ったという話を身内で聞いたことがあります。あとあまり父はこのことを知りません『婿養子だから』。とりあえず今は休学していて祖母と一緒に話せる時間があるのでばあちゃん孝行を自分なりにやって頑張ってます。
最後ちょっと書くの飽きてきたんでやんわりと終わります。本当は『人生』だけ書いて放置しようと思ったのですがだんだん書くのがたのしくなってきたのと見てくれる人やお気に入り『一人だけ笑』してくれる人がいたので自己満足でできるだけ続けようと思います。
質問があればなんでも聞いてください。