球磨姉と多摩姉との会話を終え、部屋に戻ってきたものの、特にやる事が無かった。週の内、大半は療養の時間に充てられている。一方の北上さんは演習に参加しているため、午後遅くにならないと部屋に戻っては来ないだろう。
「さて、今日は何をして時間を潰そうかな…」
最近一人で過ごす時間が多いせいか、めっきり独り言が増えてしまったような気がする。たまに無自覚的な事もあり、もし誰かに聞かれていたらと、恥ずかしい思いだ。
本でも読んで時間を潰そうとも考えたが、生憎趣味が合うような本が見つからない。せめて、インターネットでも使わせて欲しいと思うが、提督の許可が下りる事は無かった。冷蔵庫やIH機器の許可が下りたばかりの事だったから、色々と頼り過ぎだという事は分かってはいるのだけれども。
何気なく部屋の辺りを見回してみると、所々散らかっているのが気になり始める。北上さんに遠慮してしまってあまり手を付けずにいたのだが、北上さんは掃除してくれないからなぁ。
散らかっているといっても、そこまで乱雑な状態であるという訳ではない。ミニマリストを気取るわけではないが、俺も北上さんも、物への執着心というのがあまりなかった。2人で1つの部屋を使っている割には、物は少ない方だと思う。昔はそのような性格では無かったのだが、これも北上さんの影響を受けているのかもしれない。
あらかたの整理を終えたうえで、本棚の整頓に取り掛かると、ある1冊の本の存在に注意が向いた。赤い背表紙に、金の箔押しで『Diary』と記されている。私には日記を書くような習慣はない。という事は…
「北上さんの…日記?」
ドクン、と心臓が跳ね上がるような感覚が分かる。見てはいけないものを見つけてしまったという背徳感と、高揚感で頭がくらくらしてくる。
勝手に見てしまえば、彼女に嫌われてしまうかもしれない。だけれども、彼女の事をもっと知りたいという欲求もある。見てしまっても、きっと彼女は許してくれるに違いない。そんな欺瞞に満ちた考えに頭が支配され、日記のページに手を伸ばそうとする…
「木曽っち~。大丈夫?」
突然の事に頭が真っ白になりながらも、慌てて日記を服の中へと隠す。
「き、北上さん!?どうして!?」
変な声が出たりしていないだろうか。必死に冷静さを取り戻そうとする。
「何か球磨姉が木曽っちの様子を見てやれってうるさいからさ~。私は大丈夫だって思ったんだけど…やっぱり、抜け出してきちゃいました!」
普段なら喜ばしい事ではあるのだが、状況が状況だけに、球磨姉が恨めしい。
「ありゃ。何だか本当に具合悪そうだねぇ。お腹なんか押さえちゃったりして」
「い、いや。別に、大したことじゃないから。ちょっと横になれば、良くなることだから…」
そう言いながら、カニ歩きでベットに移動する。布団を上から被ることで、何とか一安心できた。
「ふーん。それならいいけど。…あれ?部屋がちょっとキレイになってる?」
「あ、ああ。そうなんだ。ちょっと気になってしまって…」
思わず、北上さんから目をそらしてしまう。自分でも動揺し過ぎてしまっているのが分かるが、心臓の鼓動が収まってくれない。
「そうなんだ!ありがとうね。私、片付けとか細かい事苦手だからさ~。でも、そんだけ動けるって事は大丈夫そうだね」
北上さんはじゃっ、と踵を返してしまう。
「無理はするんじゃないよ~。最近は敵さんも大人しいし、私たちもやる事ないっていうのが本当の所なんだから」
言いながら、部屋を出て行ってしまった。
ベットから出ると、私は持っていた日記を本棚に戻した。今まで感じていた背徳感や罪悪感はすっかり消えてしまい、一体何をやっていたんだろうと冷めてしまった気持ちでいた。
「人の日記を読むなんて、普通しないだろ…」
自分に言い聞かせるようにして言うと、さっさとベットへと戻る。こういう時は、とにかく寝てしまうのに限るものだ。布団を被ると、色々あって疲れていたのか、あっという間に眠りに落ちてしまっていた。
その日、悪夢を見てしまう。
そこは、薄暗い空間だった。いるだけで不安な気持ちになるような…。それでも、何故だか懐かしい感覚があった。どこからか、声が聞こえる。何を言っているのか上手く聞き取る事が出来ないが、とても怒っているような感じだ。それが突然甲高い叫び声に変わったかと思うと、何かが倒れたような振動が伝わってくる。
続けて、びちゃり、びちゃり、と何かを叩きつけるような音が、断続的に続くようになった。目を凝らすと正面に、二つの折り重なった影がぼんやりと見えてくる。上になった影が、何度も持っている物を叩きつけていた。何度も、何度も、何度も、何度も。その光景から目を離せないままいると、ふと、影が動きを止めた。
早く逃げないと。本能的にそう感じるのだが、体がいう事を聞いてくれない。影が、だんだんと正体を現していく。やがて、私と目が合ったそれは、ぐにゃりと口元を歪めてみせて…
「うわああああ!」
叫び声と共に、夢から目を覚ます。心臓がばくばくと鼓動を続けている。
「だ、大丈夫?」
隣にいた北上さんも起こしてしまったらしい。部屋の明かりはついたままではあったが、外を見るとすっかり夜になってしまっていた。不用心にも、窓は開いたままの状態でいる。
「ごめん。起こしてしまって…」
「お水、持ってきてあげようか?」
北上さんが不安そうに見る。
「大丈夫。自分でできるから…」
頭が異常に重く、喉がカラカラに渇いてしまっている。ベットから立ち上がり、ふらふらとした足取りで、コップに水を注ぎに行く。水を思い切り飲んでしまうと、ようやく落ち着きを取り戻した。
「やっぱり、大丈夫じゃないみたいだね」
北上さんが心配そうにして言う。
「うん…。そうみたい…」
強がることをせず、素直に頷いた。北上さんになら、自分の弱い所も安心して見せてしまう。
「木曽っち、私に何か、隠していることない?」
突然の質問に、思わずぎくりとしてしまった。
「隠している…こと?」
「最近の木曽っち、なんかおかしいんだよ。私に変に気を遣ってくれているというか…」
ずっとそんな風に思われていたのだろうか。はっきり言われると、少し傷ついてしまう。
「私はそういうまどろっこしいのが苦手だからさ。何というか、もやもやしていてうざったいんだよね。…あ!今のは木曽っちがうざったいってわけじゃなくって…」
上手く話したいことがまとまっていないのだろう。しかし、北上さんの考えている事は理解する事ができた。
「だから、あぁ~、何ていえばいいんだろ…」
尚も話を続けようとする北上さんを手で制す。
「ごめん…、心配させてしまって。別に隠し事をするとか、そういうつもりじゃなかったんだけど…」
北上さんは黙ったまま次の言葉を待っている。
「記憶が…、無いんだ。医務室のベットから起き上がる前までの、記憶が…」
打ち明けてしまえば、何かが変わってしまう気がする。そんな不安を抱えながらも、すべてを解放してしまうような快感に、すっかりと身をゆだねてしまう。
「医務室のベットから起き上がった時、初めは何が起きたのかすら、俺は分かっていませんでした…」
口調が敬語に変わってしまっている。今まで無理にキャラを作っていたため、この喋り方の方がずっと楽なように感じた。
「窓に映る俺の顔をみて、ようやく自分の置かれた状況に気が付いたんだ」
言いながら、私は眼帯の方に手を伸ばし、外して見せる。右目の潰れた、きっと醜いであろう顔が、北上さんに露わになる。
「俺は何か大きな怪我をしたから、ここに運ばれたんだなって。それ以外は何も分からなかった。自分の事も、名前すらも…。白い服を着た男の人が、何か説明をしてくれていたんだけれど。今思うと、あれが提督だったんだって。それぐらい、意識がぼんやりとしていました」
北上さんは俺から目を逸らさず、じっと話を聞いてくれている。
「それからしばらくして、その提督が君を紹介してくれたんだ。きっと俺の力になってくれるって」
俺が言うと、北上さんはつらそうに俯いてみせた。
「あの時、本当は記憶が戻っていなかったんだね…。提督は、私には何も言ってくれなかったから。とにかく、木曽っちが意識を取り戻したって聞いたから、飛んで来たんだよ」
それを聞いて、不謹慎ながら嬉しくなってしまう。勿論、そんな事を言っている場面ではないと分かってはいるのだが。
「多分、提督は俺に余計な負担を掛けたくなかったんだと思う。こういう時は、周りが変に気を遣うのではなく、自然にふるまってあげる事が大事だっていう話も聞くし…」
「ぶっつけ本番にしては、私じゃ役が不足していたと思うけどね。無遠慮に、色々話してしまっていたと思う。言葉遣いがおかしいとか、早くいつもの調子に戻って欲しいだとか…。こういう細かいのは、全部大井っちに任せるべきだったんだよ」
その言葉に、何故だか胸のざわつきを感じる。
「それでも、そのおかげで俺は自分を思い出すことが出来た…。いや、思い出すというより、自分が何者かという事が分かったと言った方が正しいのかな。とにかく、北上さんには感謝しているんです」
言い終わると、俺は再び眼帯を身に着ける。しばらくの静寂の後、北上さんが口を開いた。
「とりあえず、木曽っちの置かれている状況が理解出来たよ。自分が木曽である事を知ってはいるんだけど、それは知識上の事で、本当は分かって無いって言えば良いのか…。ああもう!頭がこんがらがってくるよ」
「ごめんなさい…。迷惑かけてしまって…」
俺が謝ると、北上さんは傍に寄って来てくれた。
「迷惑だなんて思ってもいないって。ただ、状況が複雑なんだよねえ。そりゃあ、提督も木曽っちを使う訳にもいかないわけだよ…」
納得したように呟く。その事は頭では分かって入るつもりだが、何もできないというもどかしさは変わらなかった。
「とにかく、私にできる事があれば何でも言ってくれていいからね!ルームメイトである前に、なんたって私たちは姉妹艦なんだから」
「北上さん…」
話せて良かったと思えたが、北上さんの今の言葉に、妙な引っ掛かりを覚える。
「北上さん、今、何でもって…」
「ん?」
北上さんが不思議そうに見返したので、私は慌てて話題を変える事にした。
「い、いや別に…。とにかく、話を聞いてくれて、ありがとうございました」
「いいっていいって。私もちゃんと話をしてもらえて、すっきりしたよ…」
本当にすっきりしてしまったのか、北上さんが大きな欠伸をする。俺もそれにつられてしまった。今まで秘密にしていた事を話してしまったせいか、すっかりと楽な気持ちになっていた。
「あはは…。お互い寝不足だよねえ。朝まで時間があるし、もう少し寝ちゃおうか」
北上さんに続いて、俺もベットの中へと戻る。
「北上さん…、あの…」
「ん?」
俺は背中合わせの態勢のまま、北上さんに話しかける。
「ぎゅって…、抱っこしてもいいですか?その方が、何だか落ち着いて寝れるというか…」
言ってしまった後に、激しい後悔が押し寄せる。調子に乗って、一体何を言ってしまっているんだろう。北上さんに抱っこしてもらうならまだしも、俺が抱っこする方なのか?…いや、そういう事じゃあなくって…
「ぷぷ…っ」
俺があたふた混乱しているのが面白かったのか、北上さんが吹き出してしまった。
「そ、そんな…。何も、笑わなくたって…」
恥ずかしさから、かあっと、耳まで真っ赤になってしまっているのが分かる。
「い、いや…、違うんだって…。以前の木曽っちからは想像ができないような展開だから…」
以前の俺というのは、一体どのような性格だったのだろうか。何となく、男勝りな性格だったのだろうという予測はつくのだが。
「いいよ木曽っち。抱き心地は球磨姉ほど良くはないだろうけど、ぬいぐるみのかわりぐらいにはなると思うから」
一瞬何を言われたか分からず、聞き返してしまう。
「き…、北上さん、いいの?」
「いいからいいから…。ふぁ~あ…、私は眠いから、もうひと眠りする、ね…」
言い終わらないうちに、北上さんは寝息を立て始めてしまった。
どきまぎしながらも、俺は北上さんを抱くように腕を伸ばしていく。北上さんから体温がしっかりと伝わってきて、氷のようだった私の体が、ゆっくりと解けていくような感覚を覚えた。その日、俺が再び悪夢を見る事は無かった。
次の日。いつものように朝食を済ませ、提督と少し話をした後、自分の部屋へと戻る。北上さんは演習で部屋にはいない。1人きり空間の中で、俺は先日の北上さんの言葉を思い返す。
『私にできる事があれば何でも…』
そう言われて真っ先に思いついたのが、北上さんの日記の存在だった。あの時は北上さんの事がもっと知りたいという一心からだったが、今は違う。記憶を失う前に、私がどのような人物だったのかを、もっと知りたいと考えられるようになったからだ。
恐らく、医務室で出会う前から、俺と北上さんは面識があったのだろう。その当時、私はどのような存在だったのだろうか。こういう話は本人から聞くのが一番だとは思うのだが、日記の方がリアリティがあるという考えがどうしても捨てきれないでいた。
勿論、他人のプライベートを土足で踏み入るようなことはしてはいけない事は分かっている。しかし、北上さんは、私をきっと許してくれるに違いないという、根拠のない自信もある。結局、俺は北上さんの優しさを、自分のための免罪符に使っているだけなのかもしれなかった。
(北上さん…、ごめんなさい)
心の中で謝りながら、俺は日記のページを開いてく。
そして、日記を盗み見た事を、すぐに後悔するのだった。