Steins;Gate 観測者の仮想世界   作:アズマオウ

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コミュニケーション(意味深)


死闘前夜のコミュニケーション

「えー、それでは第75層ボス攻略の攻略会議を始める。血盟騎士団の副団長は欠席のため、私フレッドが担当させていただく。どうぞよろしく」

 

 攻略ギルド、血盟騎士団の本部には重々しい空気が流れていた。攻略会議の最中だからだ。まゆりを助けてから約2週間がたったこの11月6日。戦士たちが厳しい表情で会議に臨んでいた。俺も、気を抜くわけにはいかなかった。少しでも抜いたら、押し潰されてしまうほどに、この空気は重くて冷たかった。ボス攻略のせいだけじゃない。新たにもたらされた情報が拍車をかけていた。

 偵察隊が全滅したのだ。

 通常、ボス攻略に挑む前に偵察隊を送り込み、ボスの姿、技、攻撃パターン等を見極めてこちらに情報を送り込むことになっている。偵察隊に選ばれるのは、防御力の高いプレイヤーばかりで、並大抵では死なない構成になっている。しかも準備を怠ることはなく、安全に安全を重ねての偵察だった。

 だが、この有り様だ。偵察隊は全滅して、何一つ収穫のない結果を招いてしまった。その事実は情報屋に伝わり、新聞などのメディアにて攻略組の失態等と広められた。

 だからここにいるプレイヤーのほとんどはその事実を知っている。ここまで重い空気を作り出しているのは、この事実のせいだ。

 偵察隊が全滅するほどの破壊力を持つボスに対し、勝てるのか? 生き残れるのか? そんな不安が靄のように心に覆い被さっていった。

 

「諸君らも知っているように、偵察隊は全滅した。どうやらボス部屋の扉は一度閉まったら二度と開くことはない仕様らしい。転移結晶も使えないことから脱出手段はまずないと思っていい」

 

 俺は息を呑む。同時に理不尽にも思えた。もしそうだとしたら、生きるか死ぬかしかなくなる。死んだら終わりの戦いに、そんなえげつないルールを課すなんてどうかしている。

 

「それ以外の情報は……ない。完全に手探り状態だ」

 

 司会のフレッドの声は消え入るようだった。それが俺たちの不安を煽ってくる。

 その後、痛々しい沈黙が訪れた。誰も口を開けようとせず、ただ黙る。帰りたい。純粋にそう思った時だった。

 

「……黙っていてもなにも始まらないよ。俺たちは、選ばれたものなんだから」

 

 唐突に声が聞こえた。全員が振り向くと、青髪のディアベルがいた。彼が発言したのだろうか。

 ディアベルは皆の視線に動じず、きっぱりといい放った。

 

「いいか、確かに今回はキツい戦いだ。犠牲者だって出てしまうかもしれない。でも……それでも戦わなくちゃいけない。今までもそうだったろう? 情報が少ない中、突撃して勝ってきたじゃないか。だったら、今回の戦いを止める理由はなくなるんじゃないか。そうだろ?」

 

 舌を巻くほどの論述だ。皆がこくっと頷く。確かに言う通りだ。攻略組は、どんな危険があろうとも下で待っているプレイヤーたちのために戦わなくてはならない。

 俺は嫌だとは、言えない空気になってしまった。正直このままだったら俺は辞めると言いかけていたのだから、素直にディアベルの言葉に頷くことはできなかった。正論だが……正論なのだが、俺は死にたくない。この世界線で俺の死期はどこかわからない。だからこそ怖いのだ。

 でも、どうしようもなかった。このまま会議は終わり解散となって帰る最中にも、戦おうか、迷い続けていた。

 

 

 

 ラボに戻ると、まゆりがリビングにてぐったりとしていた。テーブルを見ると、布素材が散乱していることから、裁縫をしていたのだと思われる。まゆりは暇さえあれば裁縫をする。今日は何を作っていたのだろうか。

 

「どうしたのだまゆり」

「ん……あ、オカリン……。まゆしぃちょっとお裁縫やり過ぎちゃって……」

「やれやれ、ほどほどにしておけよ。しかしこんなに縫ってどうするのだ?」

「それはねー、冬近いでしょ? だから皆の分のあったかいお洋服作ってたの」

 

 えっへへーと、無邪気な笑みを浮かべて完成した服をすっと俺に見せる。無地の肌色のセーターで地味な印象はあるけれど、とても暖かそうだ。

 

「あとどれくらいで終わるのだ?」

「んーっと、あとダル君の分と萌郁さんの分かな。おっきいからねぇー二人とも」

「そうだな……。俺に手伝えることはないか?」

「大丈夫だよまゆしぃ一人でも。それにオカリンはスキル0だから何も出来ないよ」

「確かにそうだが……あまり無理するなよ」

「うんっ。オカリンはどうするの?」

「しばらくここにいる。やることがないからな」

 

 特にこれといって何をするか考えていなかったので、少し離れたところでまゆりの裁縫を見ることにした。まゆりはそれに気づき、にっこりと笑って裁縫を続けた。

 静かな時間が流れた。裁縫とはこれほどまでに静かなもので、針を通す音すら聞こえやしない。でも、それはそれで心地よかった。俺はぼんやりとまゆりの踊るような手を見つめ、まゆりは優しい笑みを浮かべながら美しい縫い目を作る。その空間は、今朝にあった攻略会議の重苦しい気分を消してくれるほどに、暖かかった。いつしか俺は瞼が重くなり、睡魔が襲いかかってくる。そのまま寝てしまおうかと無意識に俺の瞳は閉じていきーーー。

 

「あっーーー!!」

 

 俺の睡魔は、まゆりの突然の叫びによって吹き飛ばされた。まゆりは目を大きく見開いて、困ったような顔をしていた。

 

「どうしたのだ……そんな大声を出して、何があった?」

「あのね……ポケットを取り付けたいんだけどね……ハサミが壊れちゃって……」

 

 まゆりは手元を見せる。すると僅かにだが光の粒子が散っていた。おそらくこれは、耐久値の切れた時に起こる破散現象だ。まゆりが一度もメンテナンスをしていなかったからだろう。

 

「他のハサミはないのか?」

「うん……あとはポケットだけなのに……」

「替えのハサミを買ってくればいいではないか」

「うーん……このハサミ紅莉栖ちゃんから貰ったからどこにいけばあるか知らないんだよね……」

「そうか……。あっ」

 

 俺は思い付いて小さく声をあげた。あることをひらめいたのだ。

 

「ナイフとかを使えばいいんじゃないのか? ハサミがなくても、切れればいいんだろ?」

「まゆしぃ的にはハサミがいいんだけど、ないから仕方ないね。オカリンナイフある?」

「ああ、要らないナイフなら何本かあるぞ。これなんかどうだ?」

 

 俺はメニューウィンドウから《ドラゴンダガー》という名の短剣を取り出してまゆりに差し出す。まゆりはそれを受け取り、早速布を裁とうと刃を突き立てるのだが。

 

「あれ? 全然切れないよ?」

 

 まゆりは短剣を使って布を切ろうと必死だが、剣は全く動いてくれない。それどころか……。

 

「な、なんか重いよ…… !!」

 

 まゆりは苦しそうに呻きながら両手でナイフを持ち上げている。しかし、ナイフはまるで地面に貼り付くようにピタリとも動かない。端から見たら珍妙な光景だ。ただ、この世界では珍しい話じゃない。

 武器を持つには、筋力要求値なるものが必要で、満たしていないと満足に振り回したり、使うことができない。足りなければ武器を持ち上げたり、運んだりすることはできるが、切ったり戦闘に使うことは出来ないのだ。

 まゆりは未だにレベル1であるので筋力パラメータは絶望的に低い。つまり俺の渡した、レアでそこそこ強いナイフなど持てるはずがないということだ。

 

「ふぅ……ま、まゆしぃには無理だよぉ……」

「うーむ……お前でも持てるナイフなど持っていないしなあ……」

 

 俺がそのナイフを持って布を裁っても良いのだが、俺はまゆりほど器用ではないから出来はひどいことになりそうだ。何か手段はないのか。

とそこで俺はあるアイディアが浮かんだ。物は試しだ。あれを使ってみるか。

 俺はメニューウィンドウを開き、あるアイテムを探す。

 

「あった」

 

 俺はそのアイテムをクリックして取り出す。

 

「オカリン、これは指輪……?」

「いかにもだ。はめてみるがいい」

 

 まゆりは言われるがままに指輪を中指にはめた。結婚指輪かと突っ込みたくなったがこの際無視である。俺はまゆりにプロポーズした訳じゃない。まあこんな質素な指輪などではとても結婚には切り出せないが。

 

「そのままナイフを握ってみろ」

「わかったー。うんしょっとぉ……わぁ!!」

 

 まゆりが掴んだナイフは軽々と持ち上がり、自由に扱えるようになった。この指輪は《武器商人の指輪》といい、相手に与えるダメージが半減してしまう代わりにどんな武器でも持てるようになるという能力を付与できるのだが、まさかこんなところで役に立つとは思ってもいなかった。

 これで力のないまゆりでもナイフを使うことができ、裁縫が楽になるのである。

 俺はこの指輪についてまゆりに説明すると、まゆりは嬉しそうにありがとうとお礼をいってくれた。

 

「でも、びっくりしたよ~。オカリンいきなり指輪渡すんだもん、プロポーズかと思っちゃったのです」

「人質の癖にそのようなことを言うでない。ただ、この鳳凰院凶真が授けたその指輪は人質としての働きを労うためのものだ。大切に扱うのだぞ」

「? よくわかんないけどありがとー」

 

 まゆりらしい返答が返ってきて俺は頷くとその場を離れた。まゆりはきっと裁縫に集中するだろう。邪魔しては悪いので退散させてもらう。

 つもりだったが。

 

「オカリン、セーター忘れてるよ」

「え?」

 

 セーター。ああ、そういえばまゆりが作ってくれたんだっけ。貰い損ねるところだったな。俺はくるっと足の向きを戻して取りに戻ろうとした。まゆりのそばに置いてある灰色のセーター。きっとこれだろう、手を伸ばして取ろうとーー。

 まゆりの小さな手が、妨害するように俺の腕を掴んだ。俺は驚いてまゆりを見た。表情は、真剣で……穏やかだ。まさか……。

 

「オカリン、何かあったの? 不安なの?」

「っ…………」

 

 全く、変なところで鋭いやつだよ。俺は呆れる。同時に、謎の安心感が沸いてきた。やはり何かにすがりたいと思っていたのだろう。

 

「何かあったら、まゆしぃに話してほしいなあ……」

 

 俺は話すべきか迷った。でも、話しても別に何の問題もないと判断する。前みたいにまゆりが死ぬとか死なないとかの問題はないのだ。だったら、話しておくべきだ。

 俺はまゆりに今日の75層の攻略会議について話した。まゆりは途中よくわからなさそうに首をかしげていたが、どうにか説明しきれた。死ぬかもしれないという恐怖だけは、伏せた。

 

「ーーーということだ」

「……そっか。ねえオカリン」

「なんだ?」

 

 話を聞き終えたまゆりが質問をする。

 

「嫌だったら、やめてもいいのかな。攻略組」

「……駄目だろうな。少なくとも今回は皆が死を覚悟しているんだ、俺だけ逃げ出せる雰囲気じゃない」

「そうだよね……。うーん、まゆしぃにできることはなにかないかな……」

 

 まゆりはうーんと考え込んでいる。まゆりには関係ないことだが、それでも自分のことのように考えてくれる。それがまゆりだ。まゆりの優しさだ。俺はそれに何度も救われている。

 まゆりが考え込んでいるところを俺は手で制し、首を振った。

 

「気持ちだけでいい。少し気が楽になったよ。ありがとな」

 

 まゆりはじっと俺を見つめた。そして……いつものほんわかとした笑みを再び浮かべて。

 

「……良かった良かった。まゆしぃはオカリンが元気ならそれでいいのです」

 

 まゆりはそういうと裁縫に再び取りかかった。まゆりの動く手は先程よりも穏やかで楽しそうに見えた。俺はありがとうと一言だけ言って、邪魔にならないようにその場から去った。

 

 

 

***

 

 

 まゆりに励まされたのはもう何度目になるだろうか。数えきれないほどの回数には絶対になっているはずだ。何だかんだで俺は人に助けられている。ダルも、フェイリスも、ルカ子も、指圧師も、まだ生まれていない鈴羽だって、みんな俺を助けてくれた。

 そして、俺にとってかけがえのない存在には、何度も救ってもらった。心が折れそうなとき、壊れそうなとき。時間の超越によって朽ち果てた心を、天才的な知能を駆使して癒してくれた、少女。俺が恋い焦がれ、今でも尊敬しているひとつ下の少女。もう少女といえない年齢なのだがな。

 俺は明日もしかしたら死ぬかもしれない。その死の戦いに身を投じることは先程まで恐れていた。でも今は不思議と勇気が湧いてくる。まゆりの、言葉のお陰だ。

 でも、それで死なないとは限らない。だから……紅莉栖に会っておきたかった。今までは別にそんなことをしてこなかった。生きて帰れると思っていたから。でも、帰ってこれない確率の方が今回は高い。もし紅莉栖に会わずに死んでしまったら、俺はきっと死に切れないだろう。

 そんなわけで俺は紅莉栖を探しているのだが、まだラボには帰ってきていないようだ。メールを送ってみると第一層にいるようなので、俺は転移門でそこに向かう。

 その後紅莉栖に指定された場所まで歩いて向かう。第一層に来たのはずいぶん久しぶりだ。ここは始まりの場所。2年前、デスゲームが始まり、万人を恐怖の底へと落とした宣告が行われた場所。

 俺はいまだに感心している。よく俺たちはここまで生き残れたなと。引きこもらずに生き残っていく道を選んだ俺たちは、死のリスクが高いはずなのに。運が助けてくれたのか、アトラクトフィールドの収束によって死が約束されていないか。

 俺は歩きながら周囲を見渡す。人の気配はかつてに比べたら少なくなっている。ちらほらと人がいるくらいで、NPC商人が忙しそうにしているようには見えない。恐らく、2年前に引きこもることを選択して僅かなお金を切り崩して生活しているのだろう。俺たちも、2年前次第ではこうなっていたのかもしれない。

 ふと、後ろから物音がした。俺は振り向くと、そこには黒の分厚い鎧を纏った人間が数名いた。ファンタジー世界の寡黙な騎士っぽくて、荘厳な印象を思わせた。軍は解散したとニュースで聞いたが、町の警備、治安維持は相変わらずやっているようである。最近までやっていた恐喝やカツアゲ等の下劣な行為を、平気でやっていたときよりかは遥かに良くなった方だ。

 俺は目的の場所へと足を速める。しばらくすると市街地から抜けていき、大きな石碑みたいなのが見えてきた。そこにひとつの人影が見えた。俺はそこにいる人物の正体を確信して声をかけた。

 

「クリスティーナか。随分と厳かなところにいるんだな」

「ティーナ付けんな。……まあ別にいいでしょ」

 

 紅莉栖は石碑に寄りかかるようにして俺をじっと見つめている。紅莉栖の表情はやや重い。どうしたのだろうと疑問に思ったが、すぐに察した。

 ここは生命の碑。ベータテストの時は、死んだときの蘇生ポイントで苦笑いする場所だった。けれど今は、涙を流す場所だ。何故ならここはプレイヤーたちの墓とも言えるものだから。といっても、死んだものは全プレイヤーの名前リストから横線を引かれるという、あまりに無感情で簡素な印を頂くのみだ。ゲームマスターにとっては、人の死など些細なことだとでも言いたいのだろうか。マッドサイエンティストの鏡だよ全く。

 

「墓参りか?」

「ええ。知り合いが今日亡くなったって聞いたから」

「お前に知り合いがいたとはな。少し驚いたぞ」

「失礼ね。これだけ長い月日過ごしていれば何人かは出来るわよ」

 

 紅莉栖は視線を再び石碑に戻す。俺もついつい石碑を見る。自分の名前があるかを確認しようとしている俺に、苦笑せざるを得ない。無論俺の名前には横線は引かれていない。生きている。いや、生かされているのだ。

 次に俺は、ある男の名前を探す。クラディールだ。名前はアルファベットのため、音だけではすぐに探すことは出来ないが、頭文字を予想してなんとか探した。すると、クラディールに非常によく似たスペルがあり。無慈悲に横線が引かれていた。俺は胸が少し痛んだ。

 

「あんたも、せっかくここに来たんだから、墓参りくらいしていきなさい」

「……そうする」

 

 俺は手を合わせ、目を閉じた。狂っていた奴の冥福を祈るのは嫌だったが、それでもプレイヤーだ。俺たちと同じ被害者だ。それに、奴の殺害にも関わったのだ。無視するのは違う。厳密には俺が手をかけたわけではないけれど、その事実を忘れてはならない。

 祈り終え、目を開けた俺は紅莉栖に向き直る。紅莉栖はいつもの冷めた表情で俺を見て、ボソッと言った。

 

「で、話したいことって何?」

 

 ただ会いたかった、と言えるわけがない。だから少し返答に困った。明日死ぬかもしれないと言っても変に思われるだけだ。俺は口角を釣り上げ、無理矢理顔を解す。

 

「フ、フンッ。貴様の惨めな姿を見て笑ってやろうと思っただけだ」

「あっそ……。明日死ぬかもしれないって考えているあんたにしては苦し紛れね」

 

 読まれていたか。

 

「誰がそんなまやかしを流したのだ……。まさか、イリュージョン・コンダクターが紅莉栖の脳に……」

「あんたのスケジュールと顔を見ればわかることよ。そして成ってない中二病。あんたらしくないわ」

「…………」

「どうせ、ビビっているから私にでも会いに来たとか、そういうことでしょ?」

 

 すべてお見通しだったか。さすがは天才少女、舐めていた。俺は図星を当てられて、黙ることしか出来ない。

 

「ま、別にいいけどね。寧ろ一人で思い悩んで欲しくない。話せる範囲で……私にぶちまけたらどう?」

「…………ふっ。全くお前にはいつも助けられるよ」

「いつも?」

 

 おっと、紅莉栖には前のことなんて覚えていないんだった。俺は慌てて修正する。

 

「いや、前の世界線での話だ。お前はいつも俺を助けてくれた。お前は、いつまでも俺の味方なんだなって、嬉しく感じるよ」

「……あんたは変なところで素直ね。ちょっとやりにくいな」

「それはどういう意味だ……?」

「そのまんまよ」

 

 これ以上は話してくれそうにないのでこの辺で切り上げる。俺のなかで、ある決心もついていたというのもあるからでもある。紅莉栖と話していると、勇気がもらえるのだ。

 俺は紅莉栖を見つめる。高鳴る鼓動をどうにか抑え、噛みそうになる舌をどうにか落ち着かせて、喉に出掛けている言葉を出した。

 

「紅莉栖……俺は次生き残ってこれるか、分からない」

 

 言いたくない言葉だ。今まで、自分の生死についての話題は仲間の前では絶対に避けてきた。恐怖や不安を与えてしまうからだ。でも……紅莉栖にだけは俺は伝えたかった。まゆりにも伝えようか迷ったけれど、あの笑顔を曇らせたくないという俺のエゴでそれは止められた。紅莉栖は、俺の言葉に対して冷静に受け止めてくれると思っているから、きっと何かためになることを言ってくれると思うから。遠慮のないことばで、道を記してくれるから、俺ははっきりと伝えた。

 紅莉栖は、じっと俺を見て考え込むように顔を伏せる。恐らく、次という言葉が示すものが何か分かっている。

 

「だから…もし俺が帰ってこなかったとしても……無茶だけはしないでほしい。必ず生き残ってほしいんだ。皆に、紅莉栖に。ーーーそれだけを伝えたかったんだ。せめて、お前だけにはそれを伝えなくてはと思っていたから……」

 

 これで、言い残すことはない。言い残すことは……ない。

 いや、ある。あるけれど……それを言うべきではない気がする。何故なら、決意が揺らいでしまうから。死ぬかもしれない危険な戦いに身を投じる意思が、薄れてしまうだろうから。

 俺は紅莉栖の瞳を見る。気丈な目だ。冷静さは失われていない。

 分かった、そうする。

 このフレーズを出すだけでいい。それで俺は、覚悟を決められーーー。

 

 

 ぎゅっ……。

 

 

「えっ……?」

 

 胸に、温もりが生まれて俺は思わず声を漏らす。華奢な体が俺の胸に密着している。抱き止めるわけでもなく、突き放すわけでもなく。俺は、ただそこに立つだけしか出来なかった。

 

「あんたは……バカよ」

 

 紅莉栖は、濡れた声を出す。肩は震え、俺の服を握りしめている小さな両手は、離すまいと必死になっている。俺はどうすればいいかわからなかった。抱きしめるべきなのだろうが、今それをやっていいのか、わからなかった。

 

「あんたはずっと一人で苦しんでいる。あんたはいっつも一人で考え込んで我慢している。明日死ぬかもしれないってずっと怯えている。だから……バカよっ。……本当にバカよっ!! それで……他の皆には何も言わないつもりなの? ふざけないでよ……あんたが死んで何もないと思ったら、大間違いよ!! それを分かっているの……?」

 

 紅莉栖の言葉は重く突き刺さった。仲間には俺は何も言わなかった。心配させたくないという、俺の勝手なエゴによって。俺は仲間のことが大切だ。でも、本当は違う。大切ならば、真実を伝えるべきなんだ。仲間を傷つけたくないと思う気持ちは、ただの自己満足、強がりだ。

 でも、俺には真実をいう勇気はどうしても沸き上がらない。まゆりが心配そうに見つめる、瞳。ダルの冷静なアドバイス。ルカ子の泣きそうな声。フェイリスの空元気。指圧師の慰め。これがどうしようもなく怖い。そして、情けなく感じる。仲間のことを信頼していない訳じゃない。でも……泣き言は言いたくない。プライドがあるんだ、俺にだって。なのに紅莉栖は、俺にプライドを捨てろとまでいう。俺には、それが出来そうにない。口でそれを言うわけにもいかず、俺は紅莉栖を強く抱き締めた。

 

「紅莉栖……俺は弱い人間だ」

「…………」

 

 紅莉栖は何も言わない。俺はもっと強く抱き締める。

 

「だから、仲間に打ち明けるのが怖い。弱い自分をもうこれ以上見せたくない。皆に情けないところを見られたくない。まゆりの笑顔を……余計なことで曇らせたくない」

「だからあんたは何も言わない。随分と、傲慢ね」

「分かっている……。最低な糞野郎だよ。でも……俺はラボメンに常に笑っていて欲しいんだ。俺が死んだときはきっと悲しんでくれるだろうけど、情けない言葉を遺言にしたくないんだ」

「ーーーじゃあ、なぜ私には打ち明けた?」

 

 紅莉栖は俺の瞳を見る。涙に濡れてはいたが、瞳の中はしっかりと俺を捉えている。俺は目を細め語りかけるような口調で答えた。

 

「よくは分からない……でも、お前ならば言ってもいいかなって思ったんだ。俺の弱さを受け入れてくれる人、弱さを見せても俺が傷つかない人だと思ったんだ」

「説明がアバウトな件について」

「……要するにだ。お前は、何でも話せる相手だと思ったんだ」

「……なるほどね。私はただのアドバイザー?」

 

 紅莉栖はにやっと笑いながら憎まれ口を言う。俺は、そういうところが好きだ。紅莉栖の正直なところ、何にも怖じけずに突き進めるところ。それでいて、何処かに脆さがあるところ。

 俺は正直に今、紅莉栖がほしいと思った。肉体的にも、精神的にも。紅莉栖の近くにいたい。紅莉栖のそばにいたい。紅莉栖と話したい。紅莉栖と……。

 

「紅莉栖」

「何?」

 

 俺は無意識に名前を呼んでいた。紅莉栖は頬を若干染めている。俺は可愛いと感じていながら。

 

「この戦いでもし俺が生き残れたら……結婚して欲しいんだ。ここでも……現実でも」

 

 俺は言い切った。自分の望みを。欲望を。

 何でこんなことを言い出したんだろうか。よく分からない。でも……俺は紅莉栖が欲しかった。紅莉栖にこの想いを伝えなくては、後悔するんじゃないかって感じていたんだ。だから言った。俺は紅莉栖と結婚したい。彼女を愛している。

 紅莉栖は目を大きく開き、俺を見つめる。そして俺の胸に顔を埋めた。愛らしい。天才少女の中に隠されている少女の部分が現れている。俺は嬉しく感じた。

 

「紅莉栖の返事を……聞かせてほしい」

 

 俺は優しく言った。紅莉栖は泣いている。俺の胸が妙に水っぽく、暖かいから。

 

「泣くほど、嫌なのか?」

 

 俺は心配になって聞いてみた。が、紅莉栖はブンブンと首を振って否定する。

 

「ちがう……嬉しくて、ね……ヘタレのあんたからプロポーズされて、嬉しいなって……」

「……ヘタレは余計だぞ」

「あら、事実じゃない」

 

 そんな軽口をお互いに叩きあう。紅莉栖の顔が俺を見ていて。俺の顔が紅莉栖を捉えていて。

 俺は無意識に紅莉栖の唇に自分のそれを押し当てていた。不馴れなキス。恋人になってから3年も経っているのに、お互いもう成人なのに。まるでお互いを傷つけることを避けるような、遠慮がちのキス。

 俺は嫌気が差してくる。何故俺はここで止まるのか。何故俺は怯えているのか。それが、俺の情けなさじゃないのか。だから俺は、ダメ人間なんだ。仲間に弱いところを見せたくないという、見せかけの強さを振りかざして何になるんだ。それでは、ダメなんだ。

 

「ーーー!?」

 

 決意を込めるように、俺はさらに唇を押し付ける。激しく、それでいて優しく紅莉栖のそれを味わう。紅莉栖の全てをそっと食べるように舌を忍び込ませる。口腔を舐め回し、唾液を飲み込む。仮想のものとは思えないほどの、リアリティのある感触。これは、堪らない。

 ああ、そうか。俺はやはり死ねないんだ。紅莉栖という存在がいる限り。紅莉栖を愛している限り。紅莉栖が、生きる勇気を与えてくれる限り。

 俺は一度唇を離し、紅莉栖の目を見る。紅莉栖の目は恥じらいで揺らいでいる。けれど……決意のある赤い表情だった。

 

「紅莉栖……」

「優しく……してね……?」

 

 そこから先。

 俺たちは何も考えずに愛し合った。始まりの町にて……俺たちの仲は再び始まったのである。

 

 

 

 

***

 

 

 翌日になった。ボス戦当日の朝、ラボの前で俺は皆に出迎えられた。皆は俺がこれからいく場所を、待ち構えているかもしれない運命のことを知っている。だけど皆笑顔だった。信頼されているのだろう。それだけで俺は嬉しかった。

 

「オカリン……そろそろいかなきゃ不味くね?」

「そうだな」

「オカリン……死んじゃやだよ?」

 

 まゆりが心配そうに声をかける。俺は安心させようと近寄って頭を撫でる。

 

「俺は死なない。人質をおいて死ぬわけにはいかないからな」

「キョウマ、頑張ってニャ! 生き残ったら……フェイリスの手料理食べさせてあげるニャ!!」

 

 その台詞に俺は少しぎょっとして紅莉栖を見るが、紅莉栖は一切の不快感を出さず、笑ってくれた。俺はフェイリスに向き直って頷いた。

 

「分かった。楽しみにしているぞ。ダルにも作ってくれよ?」

「んー分かったニャ。キョウマの頼みとあらば何でも聞くニャ」

「岡部さん……その……昨日まゆりちゃんとお守り作ったんです。ど、どうぞ……」

 

 ルカ子がおずおずと俺にお守りを差し出す。小さな布に包まれた神様が、俺の手元にある。俺は強い想いと共にぎゅっと握りしめた。

 

「フム……清心斬魔流のお守りか。巫女のお前が作ってくれたのだから心強い。感謝するぞ」

「は、はい……ありがとうございます。おかべ……いえ、凶真さん」

 

 わざと中二病の口調で答える。その方がいいと思ったからという、それだけの理由で。

 

「岡部くん……私からも、これ」

「ん……?」

 

 指圧師が声をかける。しかし、指圧師の手元には、何もない。指圧師の手がゆっくりと降り下ろされ、メインメニューを呼び出す。そして数秒後、アイテムがオブジェクト化される光が見えた。この縦長に伸びる形状のアイテムは……。

 

「これは……剣か!?」

「そう……岡部くんのために、作ったの。前にも言ったと思うけど……」

 

 そういえば作ってくれていた。それがようやく完成したのだろう。俺は高まる胸を押さえながら、指圧師の作ってくれた剣をまじまじと見る。刀身はやや太めの威力重視タイプで、柄は長い。片手剣において限りなく扱いやすく、パワーのあるものに仕上がっているといえるだろう。現在使っている剣も気に入っているが、この剣もすごくいい。俺は暫し考え、もとある剣をウィンドウにしまった。代わりに、指圧師の剣を背に納める。これが俺の愛剣と胸を張りたいから。

 

「ありがとう指圧師。こいつで戦ってくる」

「がんばって……岡部くん。死なないで」

 

 指圧師の激励を受けると俺はちらっと紅莉栖を見た。紅莉栖は腕を組ながら微笑んでいるだけだ。言葉を交わす気はないようだ。俺は安心する。紅莉栖は信じてくれていることに。

 俺は背を向けて歩き始めた。仲間たちの応援の言葉が聞こえる。俺は手を上げてそれに答えた。

 天に掲げられた俺の右手に、煌めくものがあった。仮想の日の光が指輪に反射し、その場を照らしていく。俺は、体に力が入った気がした。

 

「……頼んだぞ、相棒」

 

 手を下ろし、俺はそっと指輪に語りかけた。同じものを着けている恋人に伝わることを願いながら。




アインクラッド編もあと2話くらいで終わっちゃうなあ……。なんか短かった気がする。

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