生存戦争記録 Before the battleship girl   作:ИСКУССТВО

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イスクストヴォです。
今回の回で出てくるコードネームは

マスクヘッド……雷巡チ級

となっております。

今回は今も謎の多い『あの国』が舞台です。


アメリカ合衆国 オレゴン州  シン・ミョンノク

アメリカ合衆国 オレゴン州 オレゴン州立大学

 

 

「僕の祖国は、世界で一番矛盾を孕んだ国名だったと思います。朝鮮民主主義人民共和国。英語ならDemocratic People's Republic of Korea。そう、国の名前にははっきりと『民主主義』の名があった」

緑の多いこのキャンパスのカフェテリアで、私は彼と会った。シン・ミョンノク。元北朝鮮在住で、生存戦争後に亡命先のロシアからアメリカにやってきた。スタンフォード大学で経済学の博士号を取り、今はここ、オレゴン州立大学で教鞭を取っている。若干27歳ではあるが、学内でも彼の授業は評判がいいようだ。

「でも、世界民主主義ランキングではいつも最下位。世界独裁者ランキングでは我らが首領様はいつも一位に輝いていた。僕の祖国は、世界で一番の嫌われ者国家だったんです。朝鮮半島は戦後……ああ、戦後というのはもちろん第二次大戦後、という意味ですけど、統治する者のイデオロギーによって裂かれてしまった。アメリカ資本主義の下で世界経済のプレイヤーとして成長する南と、もはやマルクス・レーニン主義からも程遠い主体思想に毒された北。世界にとって北朝鮮とは、ソヴィエト以上に共産主義の敗退を象徴していたんです。僕はそんな国で生まれ、育った」

北朝鮮は1948年、ソヴィエト連邦の統治地域だった北緯38度線以北の朝鮮を領土として独立。その後キム一族を主体とする一族独裁が続けられていた。共産主義と主体思想による厚いカーテンは、国家の内情を長きに渡り包み隠していたのだった。

 

 

「僕は当時、平壌に住んでいました。父は高級労働党員、母は高校教師。住んでいたのは党員専用の高級マンション。自分で言うのもなんですが、いわゆるエリート階層です。北朝鮮では国民は皆バッタを食べてるなんて話があったようですが、平壌は別です。僕はバッタなんて食べた事ないし、それどころかテレビ、冷蔵庫、電子レンジ、スマートフォンやパソコン、西側資本主義国の国民がもってそうな物はみんな持っていた。インターネットだって使えました。あの国は国民間の格差が異常なまでに大きかったんです。平壌は金持ちや党員の楽園、だから誰も不満はなかった。独裁制であろうとなんであろうと、自分達の生活が安定していればそれでよかったんです。あの日までは」

『奴ら』――深海棲艦の侵攻は、世界を大きく変えた。その変化は彼の祖国も例外ではない。

「実際、世界各国と同じで北にも奴らは侵攻していました。ウォンサンやタンチョンなど海岸地域は最初に襲撃されていたようですし。ただ、国内でそれは全く報道されなかったんです。中央放送や労働党新聞も、いつも通りの報道ばかり。だから、平壌市民は最初、本当に何も知らなかった。もちろん僕も」

では、事態を把握したのは? と私が聞くと、

「侵攻が始まってから、六日くらいしてからですかね。ネットにいくつか画像や動画が上がっていたんです。特に韓国や日本に現れた奴らの画像が。最初はジョーク、それかハリウッドの新作映画か何かの宣伝じゃないかと思ったんです。だってそうでしょ、砲台を付けたタコや半漁人が海からやって来て街を破壊なんて。でも、その画像が数十分もすると『検閲削除』を受けたんです。それでまず疑問を覚えた。それで気になって調べようとしたときには、奴らの侵攻に関するものはほとんど削除されていました。いいえ、それ以上の深追いはしませんでしたよ。あの国で削除事項をさらに調べるのは党員の息子であってもご法度でしたから。中学時代にちょっとハッキングの腕がある同級生がいたんです。彼は陸軍大佐の息子でしたが、軍情報部のコンピューターにイタズラのつもりで侵入したら、彼と彼の家族はそれ以降一切姿を見せなかった。つまりそういうことなんです。詮索する者は長生きしない」

北朝鮮が秀でていた部分の一つが、情報統制能力である。インターネット使用者が国民の一割以下であろうと可能性があるなら監視し、思想的に危険なものは国民の目に触れる前に削除。密告に報酬をつけて推奨し、国民同士を疑心暗鬼の中で生活させる。さながら『1984年』(イギリスの作家ジョージ・オーウェルのディストピア小説)のような世界が、半島の北部には存在していたのだ。

「それから二日……つまり侵攻から八日後、ですか。中央放送で緊急放送がありました。いつもの女性キャスターが怒りに震えた声で言ったんです。『憎むべきアメリカ帝国と、彼らの手先である南朝鮮(北朝鮮では韓国のことを南朝鮮と言っていた)はついに、我らが首領様と朝鮮民主主義人民共和国に侵攻を開始した』って。テレビを前に、僕以上に驚いていたのは父でした。高級党員であるにも関わらず、父は何も聞かされてなかったんです。別に、父が労働党内で除け者だったわけじゃないですよ。あの時、真実を知ってたのは総書記と一部側近。それに三軍の最高司令官のみ。情報統制は徹底されていた。その時には、彼らはとっくに白頭山(旧中国・北朝鮮国境にある火山。総書記専用の戦争司令部があるとされていた)のシェルターに逃げていたんでしょう。奴らとの戦闘を行っていた軍人から情報が漏れる可能性もあったでしょうが、軍人は皆戦闘で戦って死んでいましたから。それでも、あの時まで平壌市民に気付かれなかったのは奇跡と言っていい。奴らの平壌進撃を阻止するために、カンソとチョマリ、それにカングドンで大規模な防衛戦があったのを知ったにはかなり後になってからでした」

カンソとチョマリは平壌の西、カングドンは東にあった都市の名だ。後に北朝鮮からの難民の証言をまとめたIWCOの報告書によれば、これらの都市において行われた防衛戦は第二次大戦におけるレニングラードやスターリングラードにおける戦闘と同じかそれ以上の規模であった、と書かれている。市民の被害はもちろんのこと、軍の戦力は著しく削がれたに違いない。

「父は僕と母に、すぐ荷造りするよう言いました。父が考えたのは亡命です。行先はモスクワ。党内では国際部にいたので、父はロシア外務省にかなり太いパイプがあった。彼が電話している間、僕も母もとにかく最低限必要なものを詰め込みました。やがて父が自分の部屋から出てきて、『明日の午前10時の便でモスクワに行く。恐らくこの国に戻ることはない』と言いました。父は泣いていました。彼はキム一族の信奉者ではなかったけど、祖国への愛はあった。父は僕や母を生かすために祖国を捨てる決意をしたんです。そしてその日は、不安の中眠りにつきました」

ここまで聞いて、私は一つ疑問が生じたので聞いてみた。『侵攻したのが米軍や韓国軍ではないと知ったのはいつです?』

「脱出する直前までですよ。これから話すつもりですが、僕はこの目で奴らを直接見るまで本気で米軍の侵攻だと思ってました。中央放送も繰り返し『国内に侵攻した米帝軍の映像』として、アメリカ軍の戦車や韓国軍の兵隊を放送してましたから。もちろん、高度に編集された映像だったわけですが。彼ら、つまり総書記や軍のお偉い方は敵がアメリカや韓国、いや、人間ですらないということが国民に知られるのを非常に恐れていたはずです。パニックがパニックを呼び民衆暴動が起これば、この国は崩壊すると。首領様は、あの状況でも戦後の国家維持、しかも主体思想を基本とした国家維持を最優先に考えていたんですよ。せめて米帝の侵攻だと言えば、常日頃の憎悪教育が功を奏して国民の愛国心が高揚されるのではないかと思ったのではないでしょうか。まあ、それも微妙なところだと思いますが」

 

 

「翌朝、僕は砲撃の音で目覚めました。驚いてベッドから飛び上がると、父が部屋に入ってきて『まずい、平壌に侵攻が始まった』と。あの緊急放送は、最後通牒だったんです。僕たち一家は着の身着のまま外に出ました。車に乗り込み、向かったのは平壌国際空港。でも道は避難民で溢れてて、車はほとんど進みませんでした。おまけに避難民たちは車を見つけるとフロントやサイドガラスを叩いて、乗せてくれと頼んできたんです。ほら、映画とかでたまに見るでしょ。金持ちがヘリか何かで脱出するのを見て、赤ん坊を抱えた母親がフェンス越しに『せめてこの子だけでも』って懇願するシーン。あれが実際に起こったんです」

シンは突然、残っていたコーヒーを一気に飲み干し、それからしばらく無言になった。彼はしばらく窓の向こうを見ていた。

「……一人の赤ん坊を抱えた女性が、サイドガラスを叩きました。何て言ってたかは、よく覚えていません。確か、『乗せてください。二人がだめならせめてこの子だけでも。お願いします』とかだったかな。僕と一緒に後部座席に座っていた母は『乗せてあげたらどうかしら』と父に言ってました。そしたら父は、唐突にサイドガラスを開いて……それから、あるものを取り出したんです」

シンは、右手で銃の形を作った。彼の父が何を持ち出したのか、私は理解した。

「トカレフ拳銃。旧ソ連製の軍用拳銃……でしたっけ。多分護身用に持ってたんでしょう。父はそれで、女性の額を撃ったんです。女性は糸が切れた人形みたいに倒れて、赤ん坊は何が起こったのかもわからず彼女の腕の中で泣いていました。車にゾンビみたいに引っ付いていた避難民も銃声を聞いて一気に離れましたよ。そしたら父は、いきなり何か覚悟を決めたような目をして、ハンドルを握りアクセルを踏みました」

先程シンは避難民が道に溢れていたと言っていた。にも拘わらず彼の父がアクセルを踏んだ、ということはつまりそういうことである。極限状態で人が何をするか分からないというのは、私もよく知っている。

「歩道の方にハンドルを切って、僕たちの乗った車は進みました。幸い、なんて言ったら不謹慎だけど轢いてしまったのは三、四人くらいで済んだんです。他の避難民は皆急いで車の進行方向から避けてくれたので。人の波を超えて瓦礫と化した街を進んでいる間、僕は何体か『奴ら』を見ました。ほら、あの仮面を被ったようなやつ……名前は忘れちゃったんですけど」

詳細を聞くと、それがマスクヘッドのことを指してるのだと分かった。右手に巨大な盾、左手に砲を持ったタイプである。

「あれを見て、僕は思い出したんです。数日前にネットで見た日本や韓国に侵攻する半漁人の画像を。そしてようやく状況を理解した。敵はアメリカや韓国じゃなくて、それどころか人間ですらなかったって。でも、それが分かったからって事態が好転するわけじゃなかった。空港に行く途中で根本から折れた主体思想の塔を見て、国が滅ぶことを悟りましたよ。空港に到着してモスクワ行の飛行機に乗り込んだ後も、離陸する飛行機の窓から奴らの艦載機の攻撃を受ける平壌が見えました。僕が最後に見た平壌は……炎と黒煙に包まれていた」

 

 

最後に、私は少し無粋な質問をした。可能なら、祖国に帰りたいか。と。

ご存じの通り、シンの祖国はもはや存在しない。朝鮮半島は現在、統治機構の存在しないNGA(Non-Government Areaの略。非政府地域のこと)となっている。南ではIWCO統治軍進駐や艦娘貸与が昨年から少しずつ始まっているが、北でそういった動きはない。南北軍事境界線には未だに旧体制信奉派の軍人崩れ達が警備している為、現在北がどういった状況なのかもほとんどつかめていない。

「帰りたいとは、思いませんね。やっぱり僕は今の自由資本主義の下での生活が好きですし。父も二年前、肺がんで亡くなる前に言ってました。『あの国は、間違ってしまっていたんだ。滅ぶのが必然だったのだろう』って。あの国が今どうなってるのか、僕は知らない。総書記たちがどうなったかも。一説には北京に逃げた、なんて言われてますけど、実際は分かりません。今でも白頭山のシェルターの中で国家再建を考えているかもしれないし、欧州にでも逃げて悠々自適に生活しているかもしれない。どのみち、彼らがあの国を建てなおすのは不可能だと思いますが。……あの国は確かに僕の祖国です。けど、こう長くアメリカにいるとファーストフード店もない国に帰る気はなくなりますよ」

シンは苦笑しつつ、そう言った。

 

 

 




今回も読んで下さった皆様、ありがとうございました。

さて、前回や前々回の感想で「ワールド・ウォーZに作風が似ている」という感想を頂いたので早速密林さんにて頼んでみました。

読了した結果。なるほどこれはかなり作風が似てますね。やはりどのジャンルにも先駆者の方はいるものですね。ははは……。自分でもアイデアは斬新かな、と思っていたのですが。

この作品を書くにあたっては戦争ルポの本を数冊参考にしてました。一応この書式は変えないつもりです。


あと、最初に艦娘は出さないなんて言ってましたが、前回みたいに軍人へのルポの回ではちょくちょく出すかもしれません。今の対深海棲艦との戦いがどうなってるのかも少し書いていきたいので。


それでは、今回はこの辺で。

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