ホントは魔理沙とアリスはもっとギスギスさせたかったんですが、マリアリには勝てなかったよ……。
燐光が燃え上がった。
アリス・マーガトロイドは、漆を塗ったくったようにどす黒い闇の中、儚げな色を放つそれを、自身の吐息で掻き消さぬよう、手で覆った。
この頼りない灯火だけが、今やアリスを照らしている、唯一の光だ。
「マッチか。さすがだな、アリス。用意がいいぜ」
アリスはその声を発した主のほうを見やる。
揺らめく炎に照らし出される、黒色の帽子を被り、金色の髪をした、十代かそこらの年端も行かぬ少女。その小振りなお尻を地面に付け、ぺたりと座り込んでいる。しかしその小さな体躯からは想像も付かないような行動力と意思力、そして魔力とを持つ女。整った、というよりは、何処と無く均整を欠いたその容姿が、逆に強く人を惹きつける魅力を持つ、不思議な女だ。霧雨魔理沙。人呼んで、白黒の魔法使い。もっとも、この闇の中では、纏った白と黒の割合が崩れ、半ば黒に喰われかかっているようにも見える。……いや。もしや、薄衣のように覆い被さるこの闇を、我が身の一部にしようと試みている最中なのかもしれない。霧雨魔理沙は、そういう強かさを持つ女だ。
アリスは燐光に導かれ、周囲を見渡す。揺らめく暖色が照らしだすのは、土、土、土の壁。アリスたちがいる空間は十間ほどの幅があり、両脇に平行して走る土壁が、アリス達に決定的な決断を迫るかのごとく、前後に伸びていた。闇の先はどちらも、燐光の限界に阻まれてしまっている。見上げると、土壁の中に大きく開いた穴がひとつ。アリスたちが落ちてきた穴だ。穴の先は暗く、女の細腕でよじ登るのは、とても無理だろう。
アリスは土壁に顔を寄せて、細かく観察を行う。
砂利や小石、石灰が混じった土壁は、所々から小さく藁がはみ出していた。さらに一定間隔で縦横に筋が入っている。表面に触れてみると、思った以上に滑らかで、ポロポロと崩れた表面のその奥に、ぎっしりと締まった粒子が、試みに突き立てたサバイバルナイフを、いとも簡単に跳ね返してくれた。
「……版築だわ」
「版築? それってアレか、古代の城とかで使われていた建築方式だろ?」
「よく知っているわね。でも方式というよりも、工法よ。城壁を作るための。どうやらここは、古城の回廊の中のようね」
「馬鹿な」魔理沙は大仰にかぶりを振った。「魔法の森の地下に、古代の城があったっていうのか」
「おまけに魔力封じのトラップまで仕掛けてある城。穏やかじゃないわね」
アリスは削った城壁の一部を、傍に浮かぶ上海人形が持つ小瓶に入れた。
「魔力封じで飛べもしないってのに、人形は動かせるんかよ」
「この子は有線だから」
魔力封じの術は様々に存在する。最も簡単なのは、魔力が指向性を持てぬよう、微弱な魔法を放ち続けることである。これはその類のトラップのようで、空気中に妨害魔法を放つ何かが充満しているようだ。そのため、空気中を魔力が伝搬するような魔法、例えば飛翔術や、精密な遠隔操作を必要とする魔法、例えば使役魔法などを使うことが出来ない。もっとも、この手の妨害は単純な分、対策も容易く、拘束時間は限られる。アリス達が微弱魔法の妨害を回避するための魔術的な「方向」を発見するまで、もうしばらくと言ったところだ。それにいざとなれば、妨害を上回る出力で魔法を使えばいいだけだ。……こんな所でそれをすれば、この古城がアリス達の墓標に変わるだけではあるが。
魔理沙は飛行箒を杖代わりに、立ち上がった。ケガをしているのか、片足を軽く引きずっている。この妨害の中では、治癒魔法を使えないのだろう。いやひょっとしたら、元々、魔理沙は治癒魔法が使えないのかもしれない。この女は、そういうところに気を回さないから。
「行こうぜ。じっとしてても始まらない」
「どっちへ?」
アリスたちの前後は、ブラックホールのような大穴がぽっかりと口を開けている。
「前に決まってるだろ。後ろを振り返るのは、もっと歳を取ってからでいい」
「前、ってのがどっちか分からなくて、困ってるんだけど」
「向いてる方向が前に決まってるだろ」
言うが早いか、魔理沙はびっこを引きつつ、歩き出した。アリスはため息を一つ吐くと、魔理沙に寄り添うように従った。
百間ほど進んだ所だろうか。回廊はすぐに突き当たってしまった。
魔理沙が指を鳴らす。
「ビンゴだ」
突き当たりの壁には、装飾の付いた門があった。
「どうだか」
魔理沙が鼻歌交じりに門に手を掛けようとした、その時、唐突にマッチの火が消えてしまった。
急に視界が利かなくなり、よほど驚いたのだろうか。魔理沙はバランスを崩してよろけたらしく、一瞬、アリスの腕に、その羽根のように軽い体重の全てを預けた。
すぐに大勢を立て直した魔理沙は、アリスを突き飛ばすようにして離れると、不機嫌そうな声を上げた。
「おいィ、頼むぜ? 見えなきゃ、開く扉も開かないぜ」
「待ちなさい。次のやつ、点けるから」
手探りでマッチを取り出し点火すると、再び周囲が燐光に包まれる。目の前には、眉を吊り上げた魔理沙の顔があった。
「全く、しっかりしてくれよ?」
「はいはい」
魔理沙は門の閂を外し、押したり引いたり寄り掛かってみたり、果ては数発殴り付け、おまけとばかりに頭突きまで入れたが、門は開かなかった。
魔理沙は振り返り、神妙な顔で言う。
「開かないぜ」
その様子が可笑しくて、アリスは吹き出してしまった。
「なあに、それ」
「反対側に進んでみるか」
「後ろは振り返らないんじゃなかったの?」
「今はこっちが前なんだぜ」
魔理沙はびっこを引きつつ、来た道を戻ってゆく。アリスは黙ってそれに従った。
仄暗い回廊の中。アリスの立てる、冷たく乾いた靴音と、魔理沙が足を引きずる音だけが響く。
前方は、見渡す限り闇。
闇の中、二人寄り添うように、ゆっくりゆっくり、進んでゆく。
「痛いのなら」
アリスは、魔理沙を視界に入れないようにしながら、言った。
「背負って行ってあげましょうか?」
きっと、魔理沙は振り返らないだろう。
「ハッ、どういう風の吹き回しだ、お前がそんなこと言うなんてよ」
その声は、とても遠くから響いたように、アリスには聞こえた。
「都会の風は、複雑なのよ」
魔理沙は声を上げて笑った。乾いた笑いだ。きっと魔理沙も、気づいているのだろう。
アリスの腕に触れた時。魔理沙の体は、震えていたのだ。
足の痛みではない。捨食の魔法のあるアリスは、たとえ何日、何年彷徨っても死なないが、未だ人間である魔理沙は、そうはいかない。閉ざされた闇の中、頼りの魔法も使えないこの状況。たとえそれが、たった数刻のことだとしても。死の恐怖を、闇への不安を覚えない人間など、存在し得ないのだろう。まして、年端の行かぬ少女ならば。
魔理沙のいじらしい強がりがたまらなく幼稚に見え、滑稽さに居た堪れなくなったが、きっとその強がりが、霧雨魔理沙という女の、果ては人間という生物の、強さの源であるのかもしれない。既に人間をやめたアリスには、想像するしかないことだった。
「……幻想郷の風も、複雑なんだぜ」
魔理沙はやはり、振り返らずに言った。
アリス達は時折、思い出したように、ぽつりぽつりと会話しながら、闇を掻き分けて進んだ。
千間、いや二千間も進んだだろうか。いつの間にか回廊は終わり、周囲は岩肌がむき出しの、まさに洞窟といった道に変わっていた。舗装されていた道に比べ、ゴツゴツとした岩に足を取られて歩きにくいのか、魔理沙の歩く速度が少し下がる。道幅は、相変わらず10間弱といったところだった。
分岐に出くわす度、ああだこうだと口論しながら、最終的に箒を倒して道を決め、進んだ。魔理沙はわずかの明かりの中で、その都度、どの分岐をどっちの方向へ曲がっただとか、何歩で分岐に出くわしただとか、細かく記録をとっていた。アリスは、そんなことをせずとも、元来た道を引き返せる自信がある。魔理沙もそうだろう。それでもなお、魔理沙は記録を残す。不安からか、それとも生来の用心深さからか。きっと両方なのだろう。
擦ったマッチも3箱を数えようかという頃。
前方に、かすかだが、燐光以外の明かりが見えた。青く揺らめくその光は、水の存在を予感させた。
同時に、何かが這いずるような音が聞こえてくる。
ずり……ずりり……。
アリスたちの前方から、少しずつ、それは迫ってくる。同時に、妙に生臭い匂いが辺りに立ち込め始めた。
「おい」
「わかってるわよ」
アリスは手にしていたマッチを吹き消した。燐光は止み、代わりに満たされる、青い光の揺らめき。
突然、足元に衝撃が走り、地面が盛り上がると、土中から現れた細長い物体が体に絡みつき、アリスの四肢は自由を奪われてしまう。
「しまった!」
魔理沙が鋭く叫ぶ。魔理沙も同じように、地中から現れたものに巻きつかれてしまっていた。
アリスは腕に絡みついたそれに目を向けた。
腕に巻き付くそれは、表面はぬるりとしていて、毛が生えておらず、代わりに小さな吸盤が無数についていた。しなやかにのたうつ様を見るに、おそらく、頭足類のそれのように、筋肉の塊なのだろう。力は強く、アリス達には振りほどけそうもない。触腕はギリギリと、少しずつ力を強くして、アリスの腕を締め上げている。徐々に力を強めているのは、わざと獲物に抵抗させ、体力を使い果たさせるのが目的なのだろう。自然界の法則は、万事が万事、非常に論理的で、時につまらないとさえ思うことがある。
前方の光が少しずつ輝きを増し、触腕の持ち主が現れる。
ぎょろりと剥いた巨大な目が二つに、人一人を軽く飲み込めそうな、くちばしの付いた巨大な口。しなやかにうごめく軟性の半透明な体を持つ、思った通りの頭足類の妖怪である。青い光は、おそらく頭足類の後方にあるだろう光源を、その半透明の体で屈折させた結果だろう。目には知性の欠片も認められず、醜悪で、見るに耐えない。アリスは激しい嫌悪感に襲われ、体をぶるぶると震わせた。
「妖怪の餌はゴメンだぜ」
魔理沙は頭を降って、帽子の中から自慢のミニ八卦炉を取り出すと、それを構えた。
「待ちなさい、そんなものを使ったら、私たちまで生き埋めになるわ」
「じゃあどうするってんだ」
「相手が醜悪であればあるほど、私たちは紳士的に振る舞うべきだわ。それがシティ派ってものよ」
アリスがブーツの踵でトントンと地面を叩くと、ブーツの先から白刃が現れる。そのまま足と体を一捻りし、醜悪な触腕を、一つ二つと切り裂いて、アリスは嫌悪の塊から逃れた。ついでに舞を一つ舞い、魔理沙も自由にしてやる。
「上海に頼るまでもないわ」
ひゅう、と魔理沙は口笛を吹いた。
「仕込みブーツかよ。シティ派ってのは物騒だな」
言いながら、魔理沙も魔力を込めた箒を触腕に叩きつけ、その一つをえげつなく引きちぎった。
巨大な頭足類は、痛みを感じる神経くらいは持っていたのか、切れ切れになった触腕を震わせながら、大きくよろめいた。
「なんだよ、もうオネンネか」
魔理沙が箒を担いで、頭足類に近づく。先程まで死と闇を恐れ震えていた少女と同一人物だとは、とても思えない。
意外にも、その頭足類は恐怖も感じることが出来るのか、ズリズリと後ずさりを始めた。
「ヘッ、次からは、相手を見てケンカを売るんだな」
そう言いながら、魔理沙は落ちていた触腕を一つ拾う。魔理沙の小さな手の中で、触腕がビチビチと跳ねていた。
逃れた頭足類と同じ方向に行くのは、アリスの美意識が許さなかったので、アリスたちは再び燐光を手に、来た道を少し引き返し、別の道を進んだ。
頭足類が現れ、光が見えたということは、水脈と出口が近いのかもしれない。
「そろそろ教えろよ。一体全体、なんで突然、探険なんて始めたんだ?」
「あんたからどう見えるかは知らないけど、私はいつだって、旅をしているのよ。世界中の、いろんな色を求めて、ね」
「なにぃ? じゃ、ただの趣味だってのか。なんかすっげぇお宝の地図とか見つけたのかと思って、ワクワクしてたのに。がっかりだぜ」
「勝手に付いてきてよく言うわ。……てか、その触手、いい加減捨てなさいよ」
「嫌だね」魔理沙の手の中で、触腕が嫌がるようにビチビチと跳ねた。「帰ったら魔法の材料にするんだ」
アリスはひとつ、ため息を吐く。
「あんたには分からないかもしれないけどね。世界の色ってもの、なかなか、捨てたものじゃないわよ」
アリスたちは、開けた場所に出た。
隣で、魔理沙が息を飲むのが聞こえる。
そこは、巨大な地底湖だった。水の力で出来たのだろう、ドーム状に滑らかに削られた岩肌の、その頂点にポッカリと開いた穴から、真昼の太陽の輝きが一筋、剣のように伸びている。青く透き通った水面に反射した光は、地底湖の湿気で散乱し、美しくキラキラと輝いていた。砂浜に寄せては返す穏やかな波音が、遠い昔に離れてしまった、母の温もりを想起させる。その光景の美しさは、例えようもなかった。
足を引きずりながらも、魔理沙は砂浜を駆け出し、地底湖の波打ち際まで行った。
「すっげー! キレイだなぁ!」
魔理沙の弾む声も、耳に心地良い。
「ね? 世界の色も捨てたもんじゃないでしょう?」
「ああ! 魔法の森に、こんなところがあったなんてな!」
「それにこういう美しい景色のあるところには」
振り返る魔理沙に、手にした「戦利品」を見せつけてやる。
「美しいお宝もあるものだしね」
「あーっ、やっぱり! ずるいぜ、アリス! 人が景色に見とれてる隙に!」
魔理沙は、洞窟の入口のすぐ脇に立てられた、古びた小さな社へ駆け寄り、その中を覗きこんだが、時既に遅し。中にあった獲物は、既にアリスの手の中だった。
「いいなぁ、そんなでっかい真珠……!」
魔理沙は物欲しそうに、アリスの右手の平の上にある、直径三寸はあろうかという巨大な真珠を眺めた。
「うふふ。いいでしょ。あんたはその頭足類の足で我慢しなさいな」
「いやだ! くっそ、他になんかないのかなぁ」
手にした触腕を放り出し、魔理沙は社に頭を突っ込んで、夢中で中を探っていた。
その後ろで、アリスは、祭壇の中にあったもう一つの戦利品を、そっと服の袖の中に隠した。
博麗の紋章が刻まれた、古の血に塗れる、一振りの儀礼刀を。