七色の探索者   作:チャーシューメン

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 ただのてゐちゃんカワイイ小説です。
 てゐちゃんはわざとらしい語尾をしてるといいです、ハイ。
 ……今回、ちょっとオリジナル要素いれすぎました。ごめんなさい。



「私のホワイト・ラビット」

「おや」

 白い月光の中。驚いたように、因幡てゐが顔を上げた。

「あんたはたしか、姫様の茶飲み友達の」

「アリスよ。人形使いの、アリス・マーガトロイド」

 アリスはスカートの裾をつまみ、ワルツを踊るように、優雅に礼をした。傍に侍る上海も、ぎこちなくアリスの真似をする。近頃の上海は、すぐにアリスの真似をしたがる。もっと自立心を持ってもらいたいものだが。

「これはご丁寧に、どうもウサ」

 てゐは手にしていた砧を地面に突き立て、アリスと同じようにして返した。完璧な所作だ。一分の隙も無い。アリスを真似ただけでは、こうも滑らかには出来ない。因幡てゐには、明らかに教養が有った。

「珍しいウサね。私に何か用ウサか?」

「いや……」

 アリスが口籠ると、てゐはいたずらっぽく笑った。

「ははぁん。さては、てゐ達が搗いたお餅が目当てウサね?」

 ぺったんぺったん。

 迷いの竹林の中にある、広場の一角。てゐの周りには沢山の妖怪兎が集まり、餅つきをしていた。

「一つ搗いてはダイコクさま~、二つ搗いてはダイコクさま~」

 闇空の下、妙な歌を歌いながら。

 アリスは首を振った。

「いいえ。残念だけど、朝食は済ませてきたの」

「それは残念ウサね。てゐたちのお餅は美味しいのにな~」

 ニヤニヤと笑うてゐ。しかし。

「おや。それじゃあなんでまた。貴女はここにいらっしゃるウサ?」

 てゐはアリスの方へ視線を投げかける。

 疑うような、楽しむような、何も考えていないような。その小さい体からはにわかに想像しがたい、重く、刺さるような視線だ。

 このあどけない仔ウサギは、その実、アリスの何十、何百、何千、何万倍と生きて、その身に業を背負い続けているのである。纏った白毛とは裏腹に、抱える闇は暗く、深い。因幡てゐ。白面の夕闇。実を為す虚構。輝く紅蓮の双眸に射られ、蛇を前にした蛙のように、身が竦んで動けなくなってしまう。わなわなと震えだす体を必死に抑えて、アリスは平静を取り繕った。ひととき呼吸を忘れるほど、夢中に。

「それじゃあ」てゐの視線が外れる。アリスはほぅと息を吐いた。「迷子ウサか?」

 問われて、アリスは逡巡した。

「――ええ。ええ、そう。そうね。迷子よ」

 強がるように、アリスは笑った。

「ふーん?」

 てゐは訝しげに眉を寄せるが、ついと指を突き出して言った。

「妖怪のあんたに幸運はあげられないけど、出口なら教えてあげられるウサ。来た道を引っ返しなさいな」

 唇を噛む。少しの間、アリスは俯いていた。

 やがて顔を上げると、礼を言って、てゐに背を向けた。先に続く道は、闇に飲まれて見えない。それでも、アリスは一歩踏み出して行った。てゐはアリスの背の向こう側で、首を捻っていることだろう。

 迷いの竹林の中。アリスはてゐの指差した方角へ、歩き続けた。

 朧げな月明かりだけを頼りに。

 どこまでも同じ景色の中。どこまでも続く竹林の迷宮を、手探りで歩く。先も見えない。出口も分からない。帰るべき場所も見つからない。ここは幻想郷の縮図だ。

 息も荒く。

 足も重く。

 心は鉛のように。

「なぜ私はここにいるのだろう……」

 思わず独り言ちた――しかし、アリスの問い掛けは虚しく空に消える運命にあるのだろう、答える者も無く。たった一人の嘆きで埋め尽くすには、この空は広すぎる。

 竹林が嘲笑する。ざわざわ、ざわざわと葉を擦り、その身を逸らし。大地に根を張る彼らからすれば、根無し草のアリスの苦悩は分からない。ただ手を叩き、他者の悶え苦しむ姿を肴に、今宵も夜を明かすのだろう。ここは、地獄に相違ない。

 慰めるように、上海はアリスの肩にしがみついてその体重を預けた。

 私がいる、上海はそう言っている。

「そうね……上海」

 勇気をもらったアリスは、博麗の儀礼刀を抜き払った。

 妖しく光る『もう一つの月』の輝きを受け、白刃が赤く濁った光を放った。

 オオ……おめくように、畏れるように、竹林共は騒ぎ出す。幻想郷の有象無象にとって、博麗とは正に神に等しい力であり、世界そのものである。博麗大結界とはそういうものなのだ。

「怖ろしいか。だが私は……」白刃の輝きを、鞘に収める。「それを畏れることのほうが怖ろしい」

 アリスは再び歩みを始める。

 竹林の有象無象はアリスを嫌うように、ざらざらととした向かい風を吹かせる。逆風が頬を打ち、アリスのスカートが翻った。四面楚歌……惰眠を貪る者達にとって、アリスという探索者の存在は邪魔なのだ。もしも、同じ立場なら。アリスもそうするだろう。それが正しいのだとも思う。それでもアリスは、歩みを止めるつもりはなかった。

 彼女はきっと、こんな私の姿を見ているのだろう。嗤っているのだろう。

 彼女……八雲紫によって作られたこの世界は、幻想を日常に変え、日常を幻想に変える。それは、人間が妖怪になり、妖怪が人間になることを意味する。幻想郷にある限り、両者はいずれ融け合い、混ざり合う運命。その末に生まれるもの……それはきっと、在り方を誤ったものだ。八雲紫はそれを止めたがっているのだろう。この儀礼刀は……博霊の巫女の血は、そのためのものなのだ。

 ふと、竹林は途絶え、靄に包まれた、小さな広場に出た。

 何処に出たのかと周り見渡していると、脇から声が掛けられる。

「おや。また来たウサか」

 靄が晴れると、因幡てゐの屈託の無い笑顔がそこにあった。

「三つ搗いてはカグヤさま~四つ搗いてはエイリンさま~」

 ぺったん、ぺったん。兎の餅つきも元気よく。

「貴女達……」

 竹林に嫌われた挙句、元の場所に引き戻されてしまったらしい。

「なんだか、疲れたわ……」

 アリスはドッと疲れが出て、手近な木の幹に腰を下ろした。

「なんだい、若いのに、だらしないウサねぇ」

 ころころと笑うてゐ。ちょこん、とアリスの隣に腰を下ろした。

「どうしたウサか?」

「――なんでもないわ」

「嘘ウサね。嘘はてゐの専売特許ウサよ。そんな幼稚な嘘は、まるっとお見通しウサ」

 てゐは、アリスの顔をのぞき込んだ。

 紅蓮の瞳。しかし、先ほどのような重さはなかった。アリスを包み込むように、優しい光を放っていた。

「困ったことがあったら、お姉さんに言ってみるウサよ」

 上海が、背中を押した。アリスは、意を決した。

「それじゃあ一つだけ、質問があるわ」

「何ウサか?」

 アリスは、てゐの瞳を見据えて言った。

「ここには、博麗の社はあるのかしら」

「博麗? 何をボケているウサか、博麗神社は……」

 てゐは言葉を切った。博麗の儀礼刀が目に入ったのだ、アリスの手の中の。

 アリスは繰り返す。

「――博麗の社は、あるのかしら」

「嗚呼、此処にも無謀なる者がまた一人……」てゐは悲しげに首を振り、背を向けた。「止めておくウサ。それに関わったところで、碌なことにならないウサ」

 嘆くてゐの背に言葉を突き立てる。

「やはり貴女は、賢者達の内の一人なのね」

「賢者?」てゐはしかし鼻で笑った。「あいつら、今はそう名乗ってるウサか。八雲紫の太鼓持ちの癖に。救いようもない連中ウサ。話題にする価値も無いウサよ。本当の智者はほんの一握り……あの畏れるべき向日葵の妖怪か、白玉楼の亡霊姫くらいだろうに」

「そう……やはりね」

 てゐは振り返り、アリスを責めるように言う。

「今すぐそれを捨てて、帰るがいいウサ」

「帰るべき場所など、此処には無い。既に私は、後戻りできない」

「馬鹿なことを言うんじゃないウサ!」

 突然、てゐは強い口調で言った。

「貴女はまだ若い。生きている限り、やり直せないなんてことは無いウサ。さ、それを渡すウサ。てゐがしかるべき場所に返しておくウサ」

 てゐは強い目をして、アリスに手の平を差し出す。

「――違うのよ」

 アリスは首を振る。

「私は最初から……、違うの。私は、迷子なのよ」

 てゐはその意味に気づいたのか、その視線は憐れみに変わった。

「そうか。貴女は……」

 お互い、言葉を失う。

 てゐは、頭を優しく撫ぜてくれた。慟哭するアリスを、そっと抱きしめて。

「おうちに、帰りたいウサね」

 頷く。

 アリスの、その蝋人形のような頬に、ポロポロと大粒の涙が伝い、てゐの胸を濡らした。てゐもまた、震えていた。

「酷なようだが、帰っても、きっと碌なことにはならないウサ」てゐの声は、凛としていた。「過去に道は無い。ただ歩いてきた人生があるだけ……喜びも哀しみも救いも、未来にしかないものウサよ」

「それでも私は……もう一度、戻りたいの」震える声を絞り出す。「父さん達のいた、あの家に……」

「そう……そうだよね………」

 てゐの温もりが、懐かしき日々を思い出させ、ただ、涙が流れた。

「――てゐは」

 アリスの青い瞳を見つめて、紅蓮の双眸が瞬いた。その炎の奥……喜、怒、哀、楽、憎、怖、あらゆる感情、あらゆる業を超えてきた闇の先に、今なお灯る情熱の炎。幾億の夜を超えて。今もまだ、若々しく。因幡てゐは、強かった。アリスはその生き方を素直に尊敬し、畏れた。

「てゐは、貴女の白兎になってあげることは、できないウサ」

 てゐは悲しげに言うが、アリスは嬉しかった。

「優しいのね」

 心から、そう思う。

「既に幻想になってしまった貴女に、幸運はあげられないウサ……けど、人間だった頃の貴女になら」

 てゐは、首にぶら下げた人参の首飾りを外し、アリスの首に掛けた。

「貴方に、幸あれ」

 てゐの満面の笑み。自然と、アリスも笑顔になった。

「てゐ~? 何してるの~? さぼるなー!」

 餅つき場の方で、長いうさぎ耳を持った少女が手を振る。

「わかってるウサ! 今行くウサよー!」

 まったく鈴仙はやかましいウサ。てゐは愚痴をこぼしつつ立ち上がり、手を差し伸べた。

 差し伸べた手を取って、アリスも立ち上がる。

 また、靄が出てきた。

「貴女の着眼点は中々、的を射ているウサ。今代の巫女、博麗霊夢は、非常に『上手くやっている』。貴女が求めるものは、その先にあるかもしれないウサ」

 つい、とてゐの指が博麗の儀礼刀を差す。

「それを上手く使うウサ。それは賢者共のアキレス腱ウサ。でもそれだけじゃ、きっと足りない。例え八雲紫でさえも、貴女の望みは叶えられないウサ」

「そう……か。私には、新しい白兎が必要なのね」

 てゐはコクリと頷く。

「時を待つウサ。必ずいつか、風は吹く。待てば海路の日和ありウサ。生きていればきっと、いいことあるウサよ」

 励ますように、てゐは言う。

「ありがとう」

 思えば、心の底からこの言葉を言ったのは、今が初めてかもしれない。

「てゐ~? いい加減にしろー!」

 うす靄の向こう側で、優曇華院が手を振る。

「じゃあ、てゐは行くウサ。また泣きたくなったら、ここへ来るといいウサ」

 いたずらっぽく、てゐが笑う。

「ええ。その時はまた、胸を貸して頂くわ」

 走って行くてゐの後ろ姿、その丸くて白いふわふわの尻尾が、いつまでもアリスの目に焼きついた。

 上海は、アリスの胸元に寄って、人参のペンダントを羨ましげに見つめている。

「駄目よ、これは私の、幸運のお守りなんだから」

 ペンダントを手にとってみる。不思議と、力が湧いてくるような気がした。

 てゐが私のホワイト・ラビットだったら良かったのに……。そう、アリスは思った。

「死に急ぐつもりは無い。――私は必ず、この幻想の中から抜け出すわ」

 天上の月は、煌々と光を放っていた。

 


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